「競走馬私論」 藤沢和雄著

一流の仕事人によって語られると、やはり中身の濃い、一流の書物が出来上がるものである。「競走馬私論」というタイトルのこの本には、競走馬論をはるか通り越し、教育書、ひいては哲学書として読まれてもおかしくないだけの内容の奥深さがある。
もちろん、かなり突っ込んだ調教論が展開されているため、馬券のヒントも所々に隠されていることは間違いない。流し読みするには勿体なく、小説家が小説を読むように、詩人が詩を詠むように、テキストに沿って解釈していきたい。
少々長くなるが、第2章における「馬は痩せていてはいけない」からの引用。
よくパドックの解説で「うっすらとアバラが浮いた、ギリギリの仕上げ」という言葉を耳にするが、私に言わせれば、やりすぎである。仮にそれでいつもより少しばかり速く走れたとしても(私は速く走れるとは思わないが)、そういう体で目一杯のレースをしたら、馬はそのあと、どうなるのか。そんな競走生活を、二年三年と続けさせられる馬は、はたしてハッピーだろうか。レースのときさえ速く走れれば、そのあとはどんな状態になってもよいという考え方には賛成できない。(中略)
たしかにレースに出走する馬は、体が出来上がっていなければならないが、痩せていてはダメである。レースで勝ち続けるには、力強い馬体に、元気が満ちていなければならない。
まさに、これぞ藤沢調教論の本質である。藤沢調教師と、他の多くの調教師との間にある、たったひとつの大きな違いがここにある。目一杯に仕上げてしまうか、そうでないか、の違い。目一杯に仕上げてしまうことを、藤沢調教師は「やりすぎ」とする。
その後のことを考えずに100%に仕上げてしまってはいけない。肉体的にも精神的にもダメージを受けた馬は、次第に走ることが嫌になり、それを強いる人間に対しても反抗的になる。果たして、その馬の成績は尻すぼみとなり、競走期間は短いものとなる。
もちろん体が出来上がっていなければレースにならないので、80%程度の仕上げでコンスタントに競争に臨ませることになる。肉体的にも精神的にも、多少の余裕を持たせた状態で出走させるのである。馬に力があればそれでも勝てる。果たして、その馬の能力に相応しい成績を残すことができ、競走期間は長く充実したものとなる。私もこの調教法には大いに賛成である。
狙ったレースを勝つために、馬にギリギリの仕上げを施すことは、人間のエゴに他ならない。究極的には、馬にとっても、人間にとっても、マイナスの効果を生んでしまうことになるだろう。クラシック等の大きなレースを獲るために、人間の枠に当て込まれながら無理な調教を強いられ、成長を阻害されてしまったり、故障して競走能力を失ってしまったり、最悪の形としては死に至るサラブレッドがどれほど多くいることか。価値のあるG1レースを獲ろうとも、高額な賞金を稼ごうとも、その馬を傷つけてしまったり、未来を閉ざしてしまったり、その馬に期待する関係者やファンの夢を壊してしまっては元も子もないのである。
ところで、藤沢調教師が、何気なくひとつ重大な見解を示しているのにお気づきでしょうか?
先ほどの引用文の途中における、仮にそれでいつもより少しばかり速く走れたとしても(私は速く走れるとは思わないが)、という示唆。あくまでも私の主観ではあるがという形を取ってはいるが、『ギリギリに仕上げても馬は速く走れない』、とサラブレッド調教の根幹を揺さぶりうる発言を行っている。
なぜ根幹を揺さぶるかというと、ほとんど全ての調教師は、『鍛えれば鍛えた分だけ強くなる』という前提において馬に調教を施しているからだ。だからこそ、故障と隣り合わせの厳しい調教を馬に課すことになり、速く走るために必要な筋肉以外は全て削ぎ落とし、0,1秒でも速く駆けることのできる肉体を作り上げる。馬を壊さないギリギリのさじ加減の調教が最良の調教であり、それを実践して馬に結果を出させることが調教師の務めだと考える。もし万が一、鍛えても速く走ることができないならば、サラブレッドを調教するということの意味が問い直されなければならない。
しかし、私の結論から述べてしまうと、この良書を通じて、この点だけは唯一、私は藤沢調教師と見解を異にする。
「サラブレッドは鍛えれば(少しばかりは)強くなるし、ギリギリに仕上げると(少しばかりは)速く走ることができる」
あくまでも(少しばかりは)という括弧付きではあるが、その(少しばかり)が勝負の行方を左右することになるのだ。サラブレッドの競走は0,1秒を争うものであり、わずか鼻の差でレースの勝敗が分かれてしまうことは少なくない。相手よりも鼻の差だけでも前に出ることができれば、勝負に勝つことができる。そのわずかな差を埋めるために、(少しばかり)速く走ることが必要になるのである。
同じサラブレッドを80%に仕上げた時と、100%に仕上げた時で、一緒に走らせたと仮定すると、間違いなく100%に仕上げられた時の方が勝利を収めるだろう。最後のひと踏ん張りが違ってくるからだ。これまで、限界まで仕上げられたサラブレッドが激走するのを数多く見てきた経験からも、このことは自信を持って言える。たとえば、平成11年のNHKマイルカップを勝った時のシンボリインディは、ギリギリの仕上げであり、己の能力を極限まで出し切っての勝利であった(このレースでは、藤沢調教師の思惑に反して、シンボリインディが仕上がり過ぎてしまったのであろう)。
しかし、100%に仕上げられた方は、肉体的にも精神的にも大きな反動に襲われる。そのレースが最後であれば、それでいいかもしれない。2003年の有馬記念を勝って引退したシンボリクリスエスは、まさにこれが最後のレースといった渾身の仕上げであった(このレースでは、何が何でも勝つといった姿勢で、臨戦過程における調教の厳しさは、普段の藤沢調教師のそれとは明らかに異なっていた)。ほとんどのサラブレッドの競争は1回で終わるわけではなく、その後も続いてゆくものだ。目先の勝ちだけを追って、馬の成長や将来を考えない調教は、長い目でみるとマイナスの効果しか生まない。
藤沢調教師は、誰よりもそのことを身に染みて分かっている。だからこそ、たとえ仕上げてしまえば勝てるかもしれないレースであっても、ギリギリの仕上げを施すことなく、余裕を持たせて出走させる。我慢をすることができるのだ。だからこそ、藤沢調教師の管理馬は、故障が極端に少なく、高齢までコンスタントに走り続ける馬が多い。
大事に育てていけば、『夕鶴』じゃないけど、ウマの恩返しは必ずあると思います
こんなロマンチックなコメントも、藤沢調教師だからこそ許されるのではないか。
■「競争馬私論」その2へ→http://www.glassracetrack.com/blog/2005/08/__a837.html
by ken



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