「我が初恋の馬ヒシアマゾン」
好きな馬がいると、世界はキラキラと輝いて見える。私が初めて本当に好きになったのは、ヒシアマゾンという牝馬であった。黒鹿毛の馬体は薄い皮膚で覆われていて、その艶やかな黒さがほんのりとした色気を漂わせる。いざ走り出すと、完歩の大きなダイナミックなフォームで他馬をごぼう抜きにする。スタートがあまり良くないため後ろから行くことが多かったが、3コーナーから4コーナーにかけてスッと上がっていくあのスッという瞬間がたまらなく好きだった。
ヒシアマゾンに初めて出会ったのは、平成5年の阪神牝馬ステークス(今の阪神ジュべナイルフィリーズ)。競馬を教えてくれた友人はタックスヘイブンという馬を勧めてくれたのだが、とくに何の根拠もなく、なぜか私はヒシアマゾンを本命にしてレースを見守っていた。最後の直線で他の乙女たちが2完歩で走るところを1完歩で走ってしまったかのような豪快なフットワークで楽勝したのを見て、私の心の中でカランコロン!と鐘が鳴った。
この牝馬は私たちが今まで見たことのないような強い馬になる!ナリタブライアンとナムラコクオーの力の差が分からなかったほど、競馬を始めたばかりの私の一方通行な思い込みによって、私たちの恋はスタートした。友人のタックスヘイブンはハナ差で3着に敗れてしまい、彼はよほど悔しかったらしく、「もう競馬やめようかと思う」と愚痴っていたのを記憶の片隅に憶えている。友人と私の競馬は、ここで大きく二つに道が別れたのかもしれない。
ヒシアマゾンは私の期待どおりに走ってくれた。クリスタルカップでは追い込み列伝に名を連ねる強烈な末脚で快勝し、ニュージーランドトロフィーでは府中のマイル戦で牡馬を胸で受ける横綱相撲で圧勝した。秋になっても、クイーンステークスとローズステークスは回ってくるだけで楽勝し、エリザベス女王杯は大外を回って2400m以上の距離を走ったが辛勝した。
そして、暮れの有馬記念も、最盛期のナリタブライアンには歯が立たなかったものの、古馬との初対戦であったにもかかわらず、2500mという距離で歴戦の古馬を完封した。この牝馬は私たちが今まで見たことのないような強い馬になる!今から思うと、私の期待過剰以外の何ものでもないのだが、その青い想いにヒシアマゾンは必死で応え続けてくれた。
1年後、ヒシアマゾン4歳時の有馬記念には彼女と行った。高田馬場から始発の地下鉄に乗って中山競馬場へと向かった。ナリタブライアンを買うと言った彼女に、「ナリタブライアンは体調が戻っていないから、買うなら複勝にしておけ」とうんちくを垂れると、「うん、分かった、複勝にしておく」と彼女は素直に頷いた。前走のジャパンカップで2着したヒシアマゾンが、有馬記念で負けるはずがないと私は思っていたのだ。日本馬最先着したヒシアマゾンが、日本馬同士の有馬記念を勝利することに相当な確信があったのだろう。前日に前売りオッズが4倍もついているのを見て、「クリスマスイブに行われれる有馬記念だから、オッズもダブルアップチャンスなんだ。JRAも粋なことをするな」と本気で思ったほどだ。私は彼女と二人で地下鉄に揺られながら心地よい眠りについた。
私は迷うとほぼ必ずと言ってよいほど間違った方を選択してしまう情けない若者であった(今でもそうなのだが)。平成11年のNHKマイルカップでは、お決まりのように2頭で迷った挙句、結局、シンボリインディの単勝を買った。私が最後まで迷いに迷っていたのは、同じ藤沢和雄厩舎のマチカネキンノホシ。こちらの方が人気も素質も上であったので、シンボリインディを選択したことは当時の私としては大英断であった。レースではシンボリインディが直線内から抜け出し、私は久しぶりの勝利に大喜びした。
彼女は私と共に喜びながら、「あーあ、マチカネキンノホシ負けちゃった」と単勝馬券を見せてくれた。「マチカネキンノホシは来ないでしょ。俺も最後まで迷ったんだけどね。」と私は誇らしげに語った。私がシンボリインディに賭けたのと同額が賭けられた馬券に込められた彼女の気持ちに、当時の私は気付くことはなかった。
平成10年の有馬記念では、グラスワンだーと迷ってメジロブライトに賭けてしまった私を慰めるように、彼女は「これで美味しいもの食べに行こう!」とグラスワンダーの単勝馬券を私に手渡してくれた。私をよく知る彼女は、これは後から気付いたことなのだが、私が迷って買わなかったもう一方の馬の馬券を買ってくれていたらしい。

また私は、すぐに勝負を捨ててしまう、あきらめの早い若者でもあった。彼女から借りたお金で大勝負を賭けたレースの途中で、クルりと振り返って競馬場を後にすることもあった。平成11年の朝日杯3歳ステークス(今の朝日杯フューチュリティステークス)はさすがの彼女にも怒られた。私が賭けた1番人気のレジェンドハンターは4コーナー手前から動いてしまい、敗北を確信した私はレースが直線に向かったところで競馬場をあとにあした。
「なぜ最後まで応援しないの?」
「いくら中山でもあれだけ早く動いてしまえば間違いなく差される」
「そんなの分からない。諦めないで最後まで応援していれば差されなかったかもしれない。諦めたから差された。」
「いや、俺には分かる。あそこから動いて差されなかった馬はいない。負けると分かっているのに応援できるかよ!」
「もしそうだとしても、勝負しているんだったら、最後まで一生懸命応援するべき!」
中山競馬場のオケラ街道で繰り広げられた、この笑ってしまうような会話は今でも私の心に残っている。
ファンファーレが寒空に鳴り響き、思ったよりも静かにスタートは切られた。ターフビジョンで見る限り、ヒシアマゾンは少し出遅れたようだ。まあいい。いつもスタートはよくないのだから。先頭を切ったのはマヤノトップガンで、それにタイキブリザードが続く。ヒシアマゾンは後ろから数えて数頭目を走っていた。馬群は1週目の3コーナー、4コーナーを回って、スタンドの前をまさに通過しようとしていた。
次の瞬間、今でも鮮明に思い出す、人混みをかいくぐるように背伸びをしていた私と、馬群の一番外側を走っていたヒシアマゾンの目がピタリと合った。私の瞳にヒシアマゾンの瞳が映り、ヒシアマゾンの瞳に私の瞳が映った。その時、私は自らの間違いを悟った。あらんかぎりの力を出し尽くした彼女の瞳には、悲しみに似たあきらめが宿り、包み隠すことのない涙がうっすらと浮かんでいた。

なぜ分からなかったのだろう。いや、なぜ分かろうとしなかったのだろう。出来ることなら、もう一度やりなおしたかった。私は黙って目を逸らし、そのままうつむいた。
私は言葉を失った。「メリークリスマス!!」という田原成貴流のエンターテイメントも、沈黙の石と化した私にはもはや何も伝えなかった。目の前で起こった現実世界と私とのあいだには、途方もなく深い漆黒色の断絶が広がっていて、なんとかその隔たりを言葉によって埋めようとしてみたが、私の抑圧された心はそれを決して許さない。私の世界から言葉がすっかり消えてしまっていた。自分を揺り動かすために何かを口に出そうとするものの、終に言葉は思い浮かばず、紙のようなものが喉に張り付いたように声すら出ない。私はひたすらに歩いた。華やかなりしクリスマスツリーに目もくれずに歩き続けた。
私たちは言葉によって世界とつながっていると思う。言葉があるから世界は存在するとか、世界ははじめから存在するとか、そういうことではなくて、自分というそれだけで完結してしまいそうな存在を、言葉によって果てしない広がりを持つ世界となんとか結び付けているのではないだろうか。そうして初めて、私たちはこの世界で生きているという実感を得ることができる。言葉を失ってしまえば、私たちはこの世界との関係を保ち続けることができずに、その場に立ち尽くしてしまうだろう。
私たちはただ生きようという意志によって生きているのではない。世界で起こっているただそれだけでは意味のないことがらに、言葉によって意味を与えていくことによって、生きている意味を感じることができるのだ。だからこそ、世界が意味のないものとして突然目の前に現れたとき、私たちはそれを語るべき言葉を失ってしまうのかもしれない。 孤独とは言葉のない世界のことである。もし語るべき言葉がみつかったとしても、語るべき「誰か」がいなくては言葉がないことと同じであり、伝えたいという想いに乗せて本当の言葉を紡ぐことができる「誰か」がいなければ、私たちは世界とひとつになることができない。
それは自分の心の中にいる「誰か」であってもいい。自分の見たこと、感じたこと、聞いたこと、考えたことを言葉にすることのできる「誰か」は、自分の外にいる必要はないだろう。もっとも、私たちは自分の心の中にいる「誰か」に対して言葉を紡いでいることの方が多いのかもしれない。そういった「誰か」がいなかったり、いなくなってしまったときに、私たちは言葉を失い、世界から放り出されてしまう。言葉のない世界に私たちは意味を感じない。言葉のない世界に私たちはいないのだ。
私はその最後の瞳を決して忘れることができないだろう。
失うことによって、言葉さえも失われてしまうこと。
言葉のない世界を、これからどうやって生きていこう。
*「ガラスの競馬場」がホームページだった時代に書いたエッセイに手直しを加えて、今年(2007年)の優駿のエッセイ賞に応募したものの落選した作品です。かなりクサイと思うのですが、それは今から6年以上前に書いたということでお許しください(笑)。
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ロック・ドゥ・カンブとはフランスのワインの銘柄が由来だそうですね。蒸留酒によって失われた希望を取り戻すのは、醸造酒のなせる業かもしれませんと読者の方が教えてくれました。それから、私のワイン好きの友人も、なぜか急に思い立って恵比寿までロック・ドゥ・カンブを買いに行ったそうです。中身は飲んじゃうけど、エチケット(ラベル)はプレゼントしてあげると言ってくれました。




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