« KY有馬記念 | Main | スイープトウショウ引退式 »

「個別」という名の多様性

Wtmilecs07

アグネスアークの故障は残念だったが、それよりも私にとってはダイワメジャーが勝ったことに大きな衝撃を受けた。というのも、天皇賞秋でこの馬に◎を打った私にとって、掲げた旗をあっさり降ろしてしまったことをあざ笑われたかのように感じられたからである。

私が掲げた旗にはこう書いてあった。

「サラブレッドにも人間にも必ず衰えがあります。サラブレッドの場合、特に精神面から衰えていきます。最後まで頑張り通せなくなってしまうのです。ノド鳴りでほとんど走っていなかった間はあったとしても、この馬は3歳の頃から一戦級で活躍し続けている馬ですので、ピークであった昨年の勢いをどこまで維持し続けることができるのかという心配は当然あると思います。そのピークは半年とも1年とも1年半とも言われます。しかし、ルドルフおやじさん風に言うと、これはとてもデリケートな問題です。馬には個体差がありますので、全ての馬が半年とか1年とか1年半で力が落ちるとは限りません。私が精神的な疲労を心配したその裏には、もしかしたらダイワメジャーは常識の壁を超えていくのではという期待もあるということですね。今年47歳にしてまだまだ勢いを失わない安藤勝己騎手がこの馬に乗るというところも、また面白いところです。」

アスリートである以上、サラブレッドの肉体や精神には必ずや衰えが来る。激しいレースをして消耗すればするほど、その衰えは早まる。2歳の早くから一線で活躍した馬が古馬になって見る影もなくなってしまうことや、クラシックなどには目も向けずにゆっくりと仕上げられてきた馬が古馬になって大成するということが往々にして起こるのはそういうことだ。

だからこそ私たちは、年齢や活躍してきた期間をモノサシとして、その馬の消耗や衰えを計ろうとする。それはそれで間違ってはいない。ほとんどの馬はそういうモノサシの中に当てはまってしまうものである。「普遍」というのはそういうことである。そしてまた、「普遍」を疑うことなく貫いた方が、私たちにとっても便利でありアタマを使わないので楽なのである。

しかし、本当にそれだけでいいのだろうかというのが、私が天皇賞秋でダイワメジャーに◎を打った意味であり、今年の秋のG1シリーズのテーマでもあった。あたかも常識のように語られる「普遍」は、本当に私たちの目の前にいる馬たちにも当てはまるのだろうか。まるで無反省に「普遍」を垂れ流し続けることに正直嫌気が差していたのだ。

これは少し別の問題になってくるが、自分の中に普遍的なものがあるとして、それを貫ける人間は世の中でも成功する可能性が高い。ナントカ理論とか、そういう自分の中にある普遍を推し進めると、案外と現実の方から折れてくることが多い。それはナントカ理論が正しいからということではなく、多様な現実の一部がタマタマにしてナントカ理論に当てはまってしまうからである。その衝突が激しければ激しいほど、ナントカ理論は世の中の「普遍」として広まってしまう。

話を元に戻すと、「普遍」だけでは物事の本質を外してしまうということだ。「普遍」の正義だけを信じて、我が身を省みることがない世界観は、なんとも砂を噛むように味気ない。それは想像力のなさでもある。そんなに年食ってたらもう無理でしょ、もう頑張ったんだからサヨナラバイバイ、とは自分がオッサンになることを少しも想像できない若者の思想や言葉である。そんな若者たちに、47歳の安藤勝己と6歳馬になるダイワメジャーが教えてくれたのは、「個別」という名の多様性であった。

現在のランキング順位はこちら

|

Comments

競馬を含めてギャンブルに普遍的な理論なり、法則が
あるのであれば・・それはギャンブルではないですよね。
必勝法がないからこそその楽しさに「ハマる」わけで、
右脳と左脳をどこで統合するのかが個人の裁量であり、
面白さだと思います(^^)

考察で「傾向」を調べて予想に役立てようと頑張って
いますが、どこまで行ってもそれはあくまで傾向に
過ぎないんですよね。
しかし、この傾向を元に思考を巡らせていくと
いつの間にかある地点から傾向が前提条件にすり替わって
しまい、そこから離れられない自縄自縛に陥ってしまう
という罠が待ち構えているわけで・・・
先日の記事にもありましたが、途中まできた考察を
全部白紙に戻すのは非常に難しいですよね。

レースの全体像を見るのに傾向を掴むのは大切なことですが
それ以上に「その馬」1頭1頭をしっかり見つめていく、
そういう基本を忘れないようにしたいと思います。
来年に向けて自戒を込めて・・・

Posted by: けん♂ | December 28, 2007 at 06:01 AM

けん♂さん

こんばんは。

おっしゃる通り、傾向はあくまでも傾向なのですよね。

現実は常に傾向の先を行くわけで、どの程度、傾向という名の普遍に重きを置きつつ、そこから逸脱できるかが勝負なのでしょう。

それから、普遍と考えられているものが、果たして本当に普遍なのかも疑ってかかることも必要なのでしょうね。

そして、けん♂さんがやられているように、1頭1頭をしっかりと見つめていく作業はとても大切だと思います。

そこに競馬の楽しみもあるわけですから。

Posted by: 治郎丸敬之 | December 28, 2007 at 08:45 PM

Post a comment