集中連載:「調教のすべて」第1回

「もし坂路コースがなければ、ミホノブルボンはダービーはおろか、たった1勝することも出来ずにターフを去っていたかもしれない」
2冠馬ミホノブルボンを管理した、故戸山為夫調教師の弁である。
栗東トレセンに坂路コースが出来たのは、今からおよそ20年前のこと。今でこそ関西馬が強くなったのは坂路コースのおかげともてはやされているが、完成当初の調教師たちの反応は冷ややかなものであった。実際に、坂路コースを使って追い切られる馬などほとんどいなかった。そんな中、故戸山為夫調教師は、坂路コースに活路を見出し、坂路コースに己の調教師生命を賭けた一人であった。
父マグニチュード、母カツミエコーという、これといって目立ったところのない短距離血統のミホノブルボンは、当時、1億円以上の煌びやかな血統を誇る高馬が続出する中、1000万にも満たない価格でひそやかに取引された安馬であった。しかも、脚元には不安があり、頭が高く、走る姿勢が悪かった。
しかし、ミホノブルボンは故戸山為夫調教師によって坂路コースで鍛え抜かれた。「坂路の申し子」と呼ばれ、通常1日2~3本の厩舎が多い中で、1日4本、多い時には1日に5本も登坂することもあった。ミホノブルボンのトモは異常なほどに発達し、幾層の山のように盛り上がっていた。私もパドックで実際にミホノブルボンを見たことがあるのだが、他馬の2倍の大きさがあると言われたお尻から伝わってくる力強さに、しばし圧倒されたものだ。
何と言っても、今でも記憶に残っているのは、惜しくも3冠を取り逃がした菊花賞である。玉砕的に逃げたキョウエイボーガンにペースを乱されながらも、希代のステイヤーであるライスシャワーに最後の最後まで食い下がった走りは、まさに負けて強しであった。それでも、故戸山為夫調教師はジョッキーであった小島貞博に対し、「どうしてミホノブルボンを信じることが出来なかったのだ?」と諭したとされる。この菊花賞を最後にミホノブルボンは引退してしまったが、坂路で内容の濃い調教を積み重ねることによって、距離までも克服できることを証明したのである。
もし坂路コースがなければ、脚元に不安のあったミホノブルボンをここまで鍛え上げることは不可能であっただろう。頭の高い走法も改善されることなく、スタミナのロスも大きかったに違いない。3000mの距離など論外で、もしかすると血統どおりマイル戦でパタッと止まってしまうような馬で終わっていたかもしれない。冒頭の言葉は決して謙遜ではなく、数々の名馬を坂路コースで育て上げてきた故戸山為夫調教師の本音であったように思える。
故戸山為夫調教師は、ちょうどミホノブルボンが入厩してきた頃に食道ガンに冒され、引退する前に息を引き取った。「私から馬を取ったらガンしか残らない」と冗談を言いながら、坂路調教で馬を鍛え上げることに執念を燃やし続けた。スパルタ調教と酷評されても、馬は鍛えて強くなるという信念を曲げることは決してなかった。そのおかげで、今日の坂路調教の基礎があると言っても過言ではない。故戸山調教師の試行錯誤が、現在の坂路コースのノウハウにつながっているのは確かなのである。
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