時代を大きく変えたテスコガビー

先日、ダービー馬を探しに東京競馬場まで足を運んだついでに、JRA競馬博物館で「オークス展」を見てきました。優駿牝馬の70周年を記念して、歴代の優勝馬の写真や貴重な資料などが展示してありましたが、その中でも、第36回の優勝馬であるテスコガビーのメンコには感激しました。
テスコガビーは8馬身差でオークスを逃げ切り、日本のスピード競馬の幕開けを示した馬です。それまでは、マイルの桜花賞と2400mのオークスは全く異なるものというのが定説で、桜花賞を勝ったスピード馬は、オークスでは軒並みスタミナ不足を露呈して、失速していた時代でした。ところが、テスコガビーはあり余るスピードで、なんとオークスさえも楽々と逃げ切ってしまったのです。距離不安を吹聴していた専門家の口はふさがりませんでした。この日を境として、まるで堰を切ったかのように、スピードが全てを制する競馬の時代がやってきたのです。
テスコガビーは菅原泰夫騎手のお手馬でした。そして、この年、菅原泰夫騎手はもう1頭の化け物の主戦も務めていました。ダービーを伝説のハイペース(前半1000mが58秒9!)で逃げ切ったカブラヤオーです。幸いなことに、テスコガビーは牝馬、カブラヤオーは牡馬であったため、菅原泰夫騎手は桜花賞、皐月賞、オークス、ダービーという空前絶後のクラシック4冠を制することになりました。実は、私が誕生した歴史的な年でもあります(笑)。
テスコガビーとカブラヤオーは一度だけ対決したことがあります。東京4歳S(現共同通信杯)で見えることになった2頭ですが、菅原泰夫騎手はテスコガビーを選んだのです。というのも、これはカブラヤオーが引退するまで誰にも明かされなかったことなのですが、他馬が近くに寄ると怖がって力を出せない弱点を隠すため、テスコガビーに乗って他馬からカブラヤオーをガードする作戦を獲ったそうです。その作戦が見事に成功し、カブラヤオーはテスコガビーとのデットヒートの末に、東京4歳Sを逃げ切り、その後、ダービーを制しました。
直接対決ではカブラヤオーに軍配が上がりましたが、菅原泰夫騎手は「カブラヤオーも強かったけど、テスコガビーはもっと強かった」と後年に語ったそうです。牝馬らしからぬ堂々とした青鹿毛の馬体や鼻筋の美しい流星もあって、テスコガビーはカブラヤオーよりも人気があったのです。その圧倒的なスピードと眩いばかりの輝きに、誰もが目を奪われた競走生活でした。
ところが、そこでめでたしめでたしと終わらないところが、競馬の歴史の恐ろしいところですね。テスコガビーの生涯には、誰もがあまり語りたがらない結末が待っていました。無事に引退して、ようやく繁殖生活に入ろうとしていたその時、テスコガビーはなぜか再び現役復帰に向けて方向転換がなされました。1年間のブランクがあったにもかかわらず、無茶な調教を課せられたテスコガビーは、調教中に心臓麻痺で急死してしまいました。
真相は分かりませんが、テスコガビーの馬主が経営していた会社が、テスコガビーの死の数日後に倒産していることから、馬主にとっての最後の頼みの綱としてテスコガビーが競走に駆り出されたということだったのでしょう。馬の運命も人のそれと同じように数奇なものです。テスコガビーの生涯を不運とする方もいらっしゃるでしょうし、それが運命だったと捉える方もいらっしゃるでしょう。
それでも、テスコガビーがオークスで放っていた輝きは、永遠に私たちの心に残ると私は思っています。スピードだけを頼りに生涯を駆け抜け、時代を大きく変えた牝馬でした。JRA競馬博物館で見た、緑と黄色で彩られたメンコにくり抜かれた目の部分からは、まるでテスコガビーがこちらを見つめているように感じました。
1975年オークス
時代を震撼させたテスコガビーの走りを見よ!

菊花賞2
有馬記念
阪神大賞典
天皇賞春1
天皇賞春2
宝塚記念1
宝塚記念2
宝塚記念3
凱旋門賞1
凱旋門賞2
ジャパンカップ
ファイナルフライト1
引退式
ハーツクライ
伝説のウオッカ
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スイープトウショウ引退記念
アドマイヤムーン
ダイワスカーレット桜花賞
ディープスカイ
ウオッカ安田記念
伝説の天皇賞秋
ダイワスカーレット有馬記念
Comments
カブラヤオーとテスコガビーの東京四歳S、Quinaの記憶の中にも美しいレースとして残っています。
府中の直線、先行するカブラヤオーを外から交わそうとするテスコガビー、両馬が並びかけたとたんに大きく右によれたカブラヤオー、それを受け止めるかのように身体を併せるテスコガビー。そしてまるで二頭でダンスを踊るかのようにゴール板を駆け抜けた二頭。いまでもあのシーンはスローモーションの様に脳裏に焼きついています。
あれはカブラヤオーがテスコガビーに送った求愛の印だったのだろうか?それともガビー鞍上の菅原泰男に対しての親愛の証か、それともジェラシーだったのか…
当時Quinaは高校生。まるで映画を観ているような気持になった事を思い出しました。
Posted by: Quina | May 22, 2008 at 01:52 AM
Quinaさん
高校生だったのですか!
実は東京四歳Sの話を今回書きたかったのですが、動画がなくなっていたのですよね(以前はあったのですが)。
>ダンスを踊るかのように
まさにその表現がふさわしいシーンでいたよね。
読者の皆さまにも、あの直線の攻防はぜひ見て欲しかったのですが残念です。
さて、今週のオークス、どんな結果が待っているのかワクワクしています。
Quinaさんの予想も楽しみにしております。
Posted by: 治郎丸敬之 | May 23, 2008 at 02:00 AM