« ◆第5位指名◆プラチナチャリス(牝)父ロックオブジブラルタル | Main | 北九州記念を当てるために知っておくべき2つのこと »

「ジョッキー」 松樹剛史

Jockey 1star

第14回小説すばる新人賞を受賞した、痛快な競馬小説である。主人公の中島八弥は、朝の調教手当てだけで糊口を凌ぐフリーのジョッキー。とある理由で目の前から姿を消した兄弟子の、「自分の技術を安売りするな」という言葉を信じ、営業活動を一切しない骨ばった信念のおかげで、乗り鞍を減らしてしまっている。それでも、たまにおこぼれのような騎乗依頼があれば、あらん限りの技術と知恵を振り絞り、たとえ惨敗続きの未勝利馬であっても勝ち負けにまで持ち込んでくる。そんなどこかにいそうでどこにもいない中堅ジョッキーが、ひょんなことから桁違いの能力を持つ新馬オウショウサンデーの騎乗を依頼される。そんなプロローグから物語は始まる。

ネタバレになるのでここでは書かないが、ラストの天皇賞秋でオウショウサンデーを敵に回した主人公が、スターティングゲートで使った作戦は微笑ましい。この小説を象徴しているかのようである。そして、特筆すべきなのは、サラブレッドや厩舎に住む人々の様子、レース中のジョッキーの心理から技術的なことまで、わずかな参考文献をもとにして、微に入り細に入り実に見事に描写していることだろう。私の友人が、「競馬の世界を外から見てあそこまでのものを書いたのは凄い。JRAはもっとこういう若い才能に競馬世界の中に入るチャンスを与えるべきだ」と語っていたことも改めて頷ける。

しかし同時に、ある種、漫画のような安っぽさを感じたのも確かである。というのも、この小説を読みながらにして、私はあるジョッキーのことが頭から離れなくなってしまったからだ。事実は小説よりも奇なりと言うように、私は競馬の世界で実際に起こったドラマにいつの間にか思いを馳せてしまっていた。そのジョッキーの名は中島啓之。そう、この小説の主人公と同じ名字を持つ、昭和49年のダービーをコーネルランサーで制した実在のジョッキーである。このダービー勝利は、父時一との親子2代制覇としても知られる。

「万馬券男」と競馬ファンからは親しまれ、「あんちゃん」という愛称で仲間からは慕われていた中島だが、デビューしてから10年ほどは勝ち星も少なく、リーディング争いをしたのは36歳になった年の1度だけという苦労人でもあった。ちょうど保田隆芳や加賀武見といった当代きっての敏腕ジョッキーたちと時代が重なってしまったことも、不遇といえば不遇であった。それでも、コクサイプリンスで菊花賞、アズマハンターで皐月賞を制して、史上10人目の3冠ジョッキーとなった。

そんな遅咲きのベテランジョッキーを病魔が襲ったのである。42歳になった昭和60年の春、トウショウサミットというお手馬を擁して、中島啓之はクラシック戦線を戦おうとしていた矢先の出来事であった。末期の肝臓ガン。無類の酒好きであったが、本質的には酒豪ではなかった中島の肝臓は知らず知らずのうちに蝕まれていたのである。思うように動かない体にムチを打ちながら、中島とトウショウサミットはNHK杯を逃げ切った。

「ダービーだけは乗せてください」と中島は懇願したという。まさに決死の覚悟を抱いてダービーに臨んだのである。中島は自らの運命に抗うように、トウショウサミットを駆って逃げに逃げた。たとえ他馬が競りかけてこようとも、頑としてハナを譲ることはなかった。中島とトウショウサミットは先頭で4コーナーを回る。しかし、次の瞬間、あっという間に馬群に飲み込まれてしまった。この小説の主人公・中島八弥が天皇賞秋を逃げ切ったように、中島啓之は最後のダービーを逃げ切ることは出来なかった。現実はなかなか小説や漫画のようには行かないものだ。ダービーの9日後に入院した時には、もはや治療の施しようのない状態だったという。中島啓之はダービーからわずか16日後に急逝した。

現在のランキング順位はこちら

|

Comments

Post a comment