集中連載:「調教のすべて」第16回
例)6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5 ⑨ 一杯
「タイム」の隣にある数字(赤字)は、「走ったコースの内外」である。すなわち、コースのどのあたりを走ったかを表している数字であり、内ラチ沿いが②、外ラチ沿いが⑨となり、その間を順に③から⑧までに分けている。当然のことながら、外を回った方が長い距離を走ることになるので、同じタイムの調教であったとしても、その価値が違ってくるのだ。
最後は、「追われ方」である。「追われ方」は、“馬也(うまなり)”と“強め”と“一杯”の3つに大別される。“馬也(うまなり)”→“強め”→“一杯”の順で強く追われていることを示す。もちろん、“馬也”でもなく“強め”でもないような微妙なさじ加減の追われ方もあるのだが、あくまでも表記方法として、これら3つの「追われ方」が用いられている。
だからこそ、その調教での「追われ方」が“馬也”であったのかそれとも“強め”であったのかは、トラックマンの判断によるとことが大きい。ある夕刊紙では“馬也”となっていたのが、別の専門紙では“強め”となっていることがあるのはそういうことである。何が正しいという基準はないので、自分が買った競馬新聞のトラックマンを信用するか、もしくはあなたが実際に調教を見て判断しなければならない。
「追われ方」についてもう少し詳しく説明していくと、“馬也”とは、読んで字のごとく、馬の気持ちに任せて走らせることである。手綱を通して全体的なタイムの調節はするものの、基本的に騎乗者には大きな動きはなく、ただつかまって乗っているだけである。当然のことながら、馬にとっては肉体的にも精神的にも最も負担の掛からない調教となるため、今の体調を維持したいといった状況においては最適な「追われ方」となる。
たとえば、最近で言うと、宝塚記念を勝ったエイシンデピュティの最終追い切りは、体調を維持するための“馬也”であった。エイシンデピュティは、昨年の毎日王冠以来、ほぼ月1のローテーションで休むことなく走り続け、今年に入ってすでに4戦を消化していた。しかも、京都金杯と金鯱賞を制し、産経大阪杯でもあのダイワスカーレットの2着と激走していたのだから、もはやギリギリの体調であったに違いない。宝塚記念に臨む最終追い切りと、その他のレース時の最終追い切りの「追われ方」を比べて見てみれば一目瞭然であった。
毎日王冠
2007/10/03(水) 栗坂 稍 野元 53.1-37.6-24.3-12.1 一杯
天皇賞秋
2007/10/24(水) 栗坂 良 野元 53.0-38.0-24.7-12.5 一杯
鳴尾記念
2007/12/05(水) 栗坂 良 助手 51.0-38.3-26.0-13.5 一杯
京都金杯
2008/01/03(木) 栗坂 良 岩田 52.8-38.7-25.4-12.6 一杯
京都新聞杯
2008/01/30(水) 栗坂 重 岩田 53.8-38.7-25.2-12.7 一杯
産経大阪杯
2008/04/03(木) 栗坂 重 岩田 53.1-38.1-24.3-11.9 一杯
金鯱賞
2008/05/28(水) 栗坂 良 岩田 54.1-38.8-25.4-12.8 一杯
宝塚記念
2008/06/26(木) 栗坂 良 内田 57.5-40.5-26.1-12.4 馬也
いつもならば最終追い切りは一杯に追われてレースに臨むエイシンデピュティであったが、野元調教師もさすがにギリギリの体調であることを察し、仕上がり切っていると判断して、“馬也”の追い切りを掛けてきたのだ。馬也なので57秒5と時計は掛かったが、内田博幸騎手を背にしてスムーズな動きであった。幸いにしてレースまでに体調を落とすことなく、エイシンデピュティは宝塚記念で悲願のG1制覇を成し遂げたわけだが、もし最終追い切りで“強め”または“一杯”に追われていたら果たしてどうなっていただろう?最終追い切りを境に、体調が下降線を辿ってしまい、レースでは惨敗を喫していたかもしれない。それほど、サラブレッドの体調とは繊細で移ろいやすく、そんなサラブレッドが集まって走るレースの結果もまた移ろいやすいのである。


菊花賞2
有馬記念
阪神大賞典
天皇賞春1
天皇賞春2
宝塚記念1
宝塚記念2
宝塚記念3
凱旋門賞1
凱旋門賞2
ジャパンカップ
ファイナルフライト1
引退式
ハーツクライ
伝説のウオッカ
メイショウサムソン
スイープトウショウ引退記念
アドマイヤムーン
ダイワスカーレット桜花賞
ディープスカイ
ウオッカ安田記念
伝説の天皇賞秋
ダイワスカーレット有馬記念
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