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集中連載:「調教のすべて」第19回

■角居勝彦調教師の極意
続いて、もう少し具体的に、馬は鍛えても走らないという考えを実践している調教師のケースを紹介したい。牝馬のウオッカで日本ダービーを制し、シーザリオ、デルタブルースで海外のG1レースを勝つなど、驚くべき挑戦をしてかつ結果を出し続ける、日本を代表するトレーナー角居勝彦調教師である。師にいたっては、馬は鍛えても走らないだけではなく、馬は鍛えなくてもよいという考えを持っている。

馬は、自分で強くなる。レースを使えば、本能的に120%の力を出し尽くし、その中から何かを学習して成長してゆく。また、レースで酷使した筋肉は、超回復の原理によって、いったん組織が壊れても、適切な休養さえ取ってやれば、よりたくましくなって回復する。調教師は、それを我慢強く見守り、あせらずにじっと待ちながら、その時点での彼らのベストパフォーマンスを引き出すような、管理の工夫をしていればいい。

鍛えなくていいのである。

違う言い方をすると、それぞれの馬が持って生まれた能力というのは、調教師がつくり変えられるような甘いものではない。私にできるせめてものことは、彼らの能力をできる限り減らさないことくらいだろう。目先の勝ち負けにこだわって、馬に無理をさせるようなことはできないのだ。

わずか10年ぐらいの間に、これほどまで馬を調教することに対する考え方が変わることにまず驚かされる。故戸山為夫調教師も角居勝彦調教師も共に、ミホノブルボンやウオッカといった、時代の最強馬を作り上げたダービートレーナーであるのだ。決してミホノブルボンがウオッカに比べ、素質が劣っていたとは思えない。ミホノブルボンは戸山厩舎に入厩したときから凄い馬だったという説もある。それでも、故戸山為夫調教師はミホノブルボンを鍛えることで、一方、角居勝彦調教師はウオッカを鍛えないことでダービー馬となさしめたのだ。

角居勝彦調教師にとって初めてのG1制覇となったのは菊花賞のデルタブルースだが、このレースに臨むにあたっての調教においても、角居勝彦調教師はデルタブルースを鍛えることはなかった。最終追い切りは、芝コースを馬なりで流したのみという極めて軽い調教であった。これから3000mという過酷な距離のレースをする馬が、これだけの調教で息が持つのかどうかという心配の声も少なくはなかった。従来の考え方であれば、長距離のレース前にはビッシリと追っておくのが常であった。それでも角居勝彦調教師は勇気を持って鍛えなかったのだ。

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大丈夫さ、と私は信じていた。デルタブルースはその菊花賞の3週間前に、中山競馬場で2500mの九十九里浜特別を勝っていた。長距離レースの経験がある馬は、よほど長いブランクがない限り、実戦で一度息をつくってさえやれば、調教は軽くてもかまわない。というより、レースに行ったときの息と調教でつくる息は違うので、どんなに厳しい調教を積んでもあまり意味はない、とさえ言えるだろう。
悪影響の方が大きいかもしれない。サラブレッドの腱や関節は消耗品だからである。大きな負荷をかけるのはレースだけでいい。毎日のように長い距離を走らせれば馬は傷むものだし、大事な本番直前に強い追い切りをかけるのも、せっかく高まっている心身のテンションを台無しにする恐れがある。

マラソンランナーや野球の投手、ボクサーなど、人間のアスリートに置き換えて考えてみてほしい。ピークを本番に持っていくために、逆算して、激しいトレーニングを積むのは本番よりかなり前に済ませて、直前には微調整くらいしかしないはずである。

サラブレッドもまったく同じだ。使うレースの距離に関係なく、3000mのレースだろうが1200mのレースだろうが、同じである。トレセンでの調教は、稽古というより、心身の調整程度に考えておいたほうが良いのだと思う。(「勝利の競馬、仕事の極意」より)

随分と長く引用してしまった。いずれにせよ、この両者の考え方において、大きく異なるのは、調教で馬を鍛えることによって能力が上がるかどうかという点である。故戸山為夫調教師や白井寿昭調教師は調教で馬を鍛えることによって走る能力が高くなると考え、藤澤和雄調教師や角居勝彦調教師はそうはならないと考えている。鍛えれば速く走られるようになるのであれば厳しい調教を課すだろうし、そうでなければ調教は心身のコンディションを整える程度のものとするだろう。

私は後者の考えに一日の長があると思っている。もちろん、現代を代表するトップトレーナーたちが実行して結果を出しているというのが何よりの証拠だが、それ以上に、馬の走る能力はサラブレッドが厩舎に入ってくる時点ではほとんど決まっていると考えるからだ。

角居勝彦調教師の言う、「それぞれの馬が持って生まれた能力というのは、調教師がつくり変えられるような甘いものではない」という言葉は、まさにその通りだと思う。競走馬としてトレセンに入ってきた時点で、調教師及びその関係者たちに出来ることといえば、その馬が本来持っている能力を最大限に発揮できるよう、あらゆる手段や方策を工夫してケアすることぐらいなのではないか。

(第20回へ続く→)

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