寸止めの美学
なぜ安藤勝己騎手がこれほどまでに馬を走らせられるかというと、それは馬の気持ちが分かるからである。もちろん、他のジョッキーも馬の気持ちは分かるのだろうが、安藤勝己騎手はそれ以上に深く分かるということだ。技術的には他の一流騎手と大きく変わることはないのだが、馬の気持ちが分かるという極めて曖昧な部分で、安藤勝己騎手は大きく秀でているのだ。
ところで、昨年の天皇賞秋のゴール前、ウオッカとディープスカイの壮絶な叩き合いに、内から食い下がるダイワスカーレットを駆った安藤勝己騎手が、ゴール板手前の最後の一完歩で追うのをやめてしまったことについて批判の声が上がったらしい。ウオッカとの着差がハナである以上、もし安藤勝己騎手が最後までしっかりと追っていれば、せめて同着もしくは逆転の目もあったのではないかということだ。確かに目を凝らしてゴール前を見ると、そう見えなくもない。あと一完歩、手綱をしごいていれば、結果は違っていたのかもしれない。
しかし、安藤勝己騎手はそうはしなかった。交わされたと思ったから追うのをやめた、という意見もあるようだが、そうではないだろう。神の視点を持つ百戦錬磨のジョッキーが、天皇賞のようなレースで、そんなボーンヘッドをやらかすはずがない。
ふと、2003年のスプリンターズSのことを思い出してしまった。ゴール前で一瞬追うのをやめたように見えたあのレースで、デュランダルにハナ差で差されてしまい、ビリーヴの引退レースを飾ることが出来なかった。あのレースの後も、最後までビッシリと追っていたらという批判があった。「最後は止まってしまった。引退レースを飾らせてあげられなくて残念」とだけ安藤勝己騎手は言葉を残した。つまり、馬が止まってしまったから追わなかった、あそこから追っても追わなくても変わらない。ただそれだけのことだ。
いや、それだけではないのかもしれない。安藤勝己騎手が止まってしまっている馬を最後まで追わないのには、もっと深い思想があるのではないか。たとえばダイワスカーレットの天皇賞秋を考えてみると、もしあそこで追って勝っていたとすると、有馬記念での究極の走りは見られなかったのではないか。7ヶ月の休み明けで、レコードラップを自ら刻み、最後まで走り切ってしまえば、どんな馬でもサラブレッドとしての限界を超えてしまうだろう。ましてダイワスカーレットは牝馬である。ビリーヴについても同じで、繁殖牝馬としての未来があるからこそ、あそこで最後の一滴まで搾り取らない選択をしたのだろう。
賛否両論はあると思うが、安藤勝己騎手は常に馬の気持ちを優先して乗っているのだ。馬の気持ちが分かるからこそ、限界に達して悲鳴を上げようとしている馬たちを、勝つ格好を付けるためだけに最後まで追ったりはしない。安藤勝己騎手ほどの技術を持っていれば、その馬の限界を超えさせて、目の前のレースだけを勝つことぐらい朝飯前である。しかし、そのことによって馬が肉体的にも精神的にも壊れてしまえば、元も子もないだろう。馬に100%の力を出し切らせることは騎手の使命だが、100%を超えさせてはならない。馬の呼吸を聞き、全身から語りかけてくる心の声に耳を澄ませなければ、その境目は分からないだろう。安藤勝己騎手の寸止めには、まさしくジョッキーとしての美学があるのだ。
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Comments
治郎丸さん、こんばんは。
安藤勝己騎手のゴール前での姿勢についてのご見解、なるほど…と。
僕はちょっと違う見解もありまして、あの騎乗は、「慣性の法則」に従っていると思っています。
例えば、アイススケートのスピード競技。ゴールラインで競技者は、最後のフォームが完了した姿のまま、次のアクションをおこさずにスーとゴールインします。
見た目には、最後は腰が上がってしまっていて、流しているように見えます。
水泳でも、最後は手を伸ばしてゴール板にタッチします。
野球でも、ヘッドスライディングするよりも駆け抜けた方が早いと言われていますね。もっとも、スライディングには別の理由もありますが。
連続した運動の流れを繰り返すタイムトライアルレースの場合、その方が早くゴールに着く、あるいは少なくとももう1回アクションを起こすよりも絶対に遅くはならない…という事を(一流の)競技者は経験則として知っているからだと思います。
競馬はタイムトライアルではありませんが、一連のフォーム(完歩)の流れを崩さずに、馬と動きをシンクロさせて走っていれば、ゴール前ではその流れで腰が上がっても、それが馬を止めていることにはならないということを、安藤騎手は分かっているのではないでしょうか?そしてそれがどれほど馬の負担を軽減することも。
結果として、馬の能力は変わりなく出し切り、100パーセントの力で走っているのだと。
もっとも、それが出来る技術を持つジョッキーというのは、限られていると思いますが。
Posted by: Quina | March 20, 2009 at 10:20 PM
Quinaさん
ご無沙汰しております。
こちらから連絡も出来ずに失礼しております。
さて、慣性の法則の件ですがなるほどです。
無駄な動きをしない方が早く到着するというのは、運動学的にもまさにその通りなのだと思います。
余計なことをして、馬に負担を掛けるのを避けているのでしょうね。
天皇賞秋などは、あれだけの接戦ですから、最後のひと押しで着順が変わったと言われても仕方ないのかもしれませんが、安藤勝己騎手ほどのジョッキーがやったことだからこそ、そこには深い思想があるものだと信じています。
そろそろ春のクラシックシーズンの足音が聞こえてきましたね。
明日の阪神大賞典からスタートする古馬戦線もまた面白そうです。
今年もまた素晴らしい競馬が観られそうな予感。
Posted by: 治郎丸敬之 | March 21, 2009 at 01:50 AM
う~ん…
>賛否両論はあると思うが
この前置きは、暗いですね。
アンタッチャブル(?)に触れる、しかも批判されるサイドからの視点で。
治郎丸さんはMですね(笑
いつもタダで楽く読ませていただいている御礼として、予想通りの反論を(笑
キッパリと、認められない行為です。
競馬は賭け事。
100万(?)の視線が集まるGⅠのゴール板でやっていい動きではないでしょう。
お金がたくさん賭かっています。
「お前は競馬を見る目が無い」なんて、言ってていいんですか。
分かる人だけが付いてくれば良い、そうですか??
なぜ安藤騎手だけが「腰を上げる」のでしょうか。
>安藤勝己騎手ほどの技術を持っていれば、その馬の限界を超えさせて、目の前のレースだけを勝つことぐらい朝飯前である
たとえあと一完歩ビッシリ追って故障したとして、それで勝てるのならばそうしないといけないのが競馬でしょう。
そこで止めるのが、本当にギリギリの判断なのかを騎手に決められては堪らないと思うのですが。
競馬を理解しすぎている人たちの擁護論は、認めたくないですね。
Posted by: 78 | March 21, 2009 at 08:08 PM
競馬は賭け事!馬は生き物!
Posted by: massa55 | March 21, 2009 at 08:56 PM
78さん
反論ありがとうございます(笑)。
私がこういうエントリーを書くときには、絶対的に正しいとは思っていませんので(わざと穿って書くことも)、78さんのようなきちんとされたご意見は大歓迎です。
結論から言うと、腰を上げても上げなくても着差は変わらないのではないかと私は思います。
>100万(?)の視線が集まるGⅠのゴール板でやっていい動きではないでしょう。お金がたくさん賭かっています。
ここの部分は、確かにおっしゃる通りですね。
梨下で冠を正さずというか、誤解を生むような行為は、お金が賭けられている以上、慎むべきなのでしょう。
ただ、目先の勝利のために馬を壊しても良いかと言うと、それは別問題でしょう。
そんなジョッキーには誰も乗ってくれと頼まなくなってしまうはずです。
ここが競馬の難しいところですよね。
ギャンブルとスポーツの両面のバランスを取って進んでいかなければならないのですから。
私としては、そういう大切なことを、競馬メディアこそがしっかり説明するべきだと思います。
おっしゃる通り、分かっている人だけがついてくればいいということではないのですからね。
Posted by: 治郎丸敬之 | March 22, 2009 at 12:20 AM
massa55さん
そうですよね。
競馬は賭け事で、馬は生き物。
そのバランスをうまく取っていかなければ、競馬は成立しなくなってしまいますよね。
Posted by: 治郎丸敬之 | March 22, 2009 at 12:21 AM