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脚の速い馬

Jiromaru

サクラが満開ですね。いよいよ今年もクラシックシーズンがやってきました。競馬を始めてもう20年近くになりますが、いくつになってもこの時期はワクワクします(笑)。あの2頭はどちらが強いのか?応援しているあの馬はクラシックに間に合うのか?あのジョッキーは今年こそダービーを勝てるのか?などなど、それぞれの想いが空へ向かって飛び立ってゆく季節です。今年はどのようなドラマや激闘が繰り広げられるのでしょうか。

私がまだ中学生1年生だった頃、同じクラスに渡邊くんという友人がいました。簡単な渡辺ではなく、難しい方の渡邊という字を書きます。皆から‘わったん’というあだ名で呼ばれていました。同じ野球部でもあったので割と仲は良かったのですが、彼は自分からグループに入って一緒に遊ぶというタイプではありませんでした。ほとんどの生徒がまだ小学校の延長線上にいるような中で、彼だけはひとり落ち着き払って、ひと回りもふた回りも大人の雰囲気を漂わせていました。

野球部の部室で着替えをしていた際、隣の‘わったん’の方にふと目をやると、胸には黒々と毛をたずさえ、筋肉が驚くほどに隆起した大人の男の肉体がそこにはありました。身体の発達のあまりの違いに驚き、まるで父親に対するような畏怖を持って、私はしげしげと彼の肉体を眺めました。そんな私の様子に気づいていたのか、それとも気づいていなかったのか分かりませんが、‘わったん’は手早くユニフォームに着替え、私に一瞥をくれてからグランドへ向かいました。

‘わったん’の身体能力は、中学生の間では群を抜いていたと思います。彼のポジションはキャッチャーで、座ったままセカンドベースまで矢のような送球をしました。ただバッティングはというと、スイングスピードが異常に速く、当たれば飛ぶのですが、なぜかボールの下ばかりを打ってしまい、高いフライばかりを打ち上げていました。特に試合になると力んでしまい、空振りか、良くてポップフライばかりが目立ちました。

‘わったん’にまつわるエピソードはたくさんあるのですが、特大ホームラン事件は今でも忘れられません。その事件は他校との練習試合で起こりました。1点差で負けていた最終回の2アウト、ようやく同点のランナーが出て、‘わったん’に打順が回ってきました。とにかく同点に追いつこうと、監督は1塁ランナーに盗塁のサインを出しました。野球をご存知の方はお分かりでしょうが、バッターである‘わったん’はわざと空振りをしてランナーの盗塁を助けるはずでした。盗塁が成功すれば、ワンヒットで同点に追いつくことができます。私たちは固唾を飲んで見守りました。

ピッチャーが投げたその瞬間、パンッという乾いた音とともに、キャッチャーのミットに収まるはずであったボールは、見たこともないスピードで上空へと消えて行ったのでした。あまりにも一瞬の出来事で、誰もそのボールの行方を目で追うことは出来ませんでした。ネットを越えて近くの民家へでも飛び込んだのでしょうか。そのボールが学校のグランドの中にないことだけは明らかでした。特大サヨナラホームランでした。

空振りをすると思い込んでいた私たちチームメイトは、最初は何が起こったか理解できずポカンとしていました。相手チームはというと、その打球のあまりの速さと飛距離に、これまたポカンと口を開けたままでした。ゆったりとホームインした‘わったん’は、監督に向かってひと言、「すいませんでした」と小さく呟きました。監督も私たちも訳が分からずにいると、「空振りしようと思ったら当たってしまいました…」とだけ付け加えました。

ようやく事情を理解し始めた私たちは、ひとり、またひとりと笑い出しました。全員が腹を抱え、涙を流して笑い転げましたが、‘わったん’だけはいつもと同じ冷静な表情でした。もしかすると、空振りしようとしたのにホームランを打ってしまったことが悔しかったのかもしれません。それにしても、あの‘わったん’のバットの音と打球の速さは今でも鮮明に記憶に残っています。空振りしようと思って軽く振ったにもかかわらず、バットの芯に当たれば、まるでピンポン玉のようにボールが飛んでいくのですから、‘わったん’の身体能力がどれだけズバ抜けていたかが分かりますよね。

そんな‘わったん’と、1度だけ50m走を走ったことがあります。確か1年生の運動会だったと思うのですが、私と‘わったん’との一騎打ちでした。当時は私も足の速さには少しだけ自信を持っていましたので、いくら‘わったん’とはいえ、もしかしたら勝てるかもしれないと高を括っていました。スタートの合図とともに、私たちはほぼ同時のスタートを切りました。前半30mくらいまでは互角の争いをしていたのですが、途中から‘わったん’がいきなりスピードを上げました。もう一段ギアがあったことに驚かされたのですが、さらにそのスピードが驚異的で、あっと言う間に私は突き放されてしまいました。あの時ほど、他人に足の速さの違いを思い知らされたことはありません。

武豊騎手は、ディープインパクトを他馬と比べて、「脚が速かった」と語りました。武豊騎手がここで言う「脚が速い」とは、ただ単にスピードがあるということではありません。ディープインパクトが1完歩で進む距離(ストライド)は、他の馬より約50センチ長い7メートル54で、逆に滞空時間は0秒12と最も短いそうです。上下動が少なく、重心を低くし、ストライドを伸ばした理想的なフォームでした。同じように走った時に、他馬とは進む距離が全く違うということですよね。ディープインパクトを相手にした馬や騎手たちは、私が‘わったん’と走った時と同じように、脚の速さの違いを感じたことでしょう。

今年の牝馬クラシックの主役であるブエナビスタも「脚の速い馬」ですね。阪神ジュべナイルFや前走のチューリップ賞を見ても、同じ世代の牝馬の中では脚の速さが違います。こういう馬はエンジンが掛かってしまうと一瞬にして先頭に立ってしまうので、気をつけるべきは、道中は他の馬の走るペースに合わせてゆっくりと走らせることです。脚の速い馬だけに、ゆっくり走らせる方が難しいのです。ディープインパクトのようにゆっくりと行って、最後の3ハロンだけ走らせる乗り方が最も合っていると思います。まあこの辺りは安藤勝己騎手ですから心配はないでしょう。まずはブエナビスタで桜花賞を制し、今年こそ年間G1レース6勝の大記録を達成して欲しいと思います。

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