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調教師の苦悩と決断

フサイチゼノンが皐月賞を回避した。

出走すれば人気になる馬だけに、田原成貴調教師は「やめるべきか、行くべきか」と回避を決めるまで悩んだはずだ。これだけの馬の出否を決めるのは大変なことである。

3歳クラシックは、個々の馬たちにとってたった一度のチャンス。しかも、決められた日程の中で戦線に乗っていく厳しさが求められるだけに、体中きれいな馬などいない。

運よく、何事もなくいく場合もまれにあるが、「何らかのアクシデントが起こる」という悲運は、しばしば訪れるのだ。

それに直面して出否の決断を下すのは、調教師という立場として避けて通れない道。元同業者として、田原調教師の無念はいかばかりだったかと思う。

フサイチゼノンのような馬には、どんなにお金を積んでも、そうそう巡り合えるものではない。もしかすると、彼は生涯一度のチャンスを逃したかもしれない。だが、今回の決断を見ると、彼は「次がある」という考え方を選んだようだ。

田原調教師はフサイチゼノンに相当な思い入れがあるのだろう。それだけに「大レースを勝てるチャンスはこれから何度もある」と、ちょっとでも不安があるのならやめる、と決断したと想像できる。

関口房朗オーナーへ報告せずに回避を決めたのはいかがなものかとは思うが、万全の状態でない馬を出走させることはできない、という考え方に異論はない。しかし、彼の記者会見のコメントにひとつだけ気に掛かるところがあった。

それは「ダービーは当初から使う予定がない」と語ったことだ。

右トウ骨円位端骨膜炎は重症ならば意外と治りにくい部位であるのだが、回避を決めたその日の調教も行っていることから、致命傷を負ったというわけではなさそう。それならば、万全の状態に再度もっていけるのなら、ぜひ「次はダービー」と考えるべきである。

生産者はダービー制覇を夢に描いて配合を考え、種付けをして出産を待つ。牡馬が生まれたのにダービー出走を考えない生産者はいない。

ましてや、フサイチゼノンはサンデーサイレンス産駒で、弥生賞を勝っているのだ。特に馬主はフサイチゼノンの価値をダービー制覇に求めているはずである。

それを「血統や距離適性などから判断してダービーは考えていない」という考え方は改めるべき。人間の判断はすべて正しいといえるだろうか。

フサイチゼノンは中山2000mのG2戦を横綱相撲で堂々と勝っている。クラシックは同じ三歳馬同士の戦いである。皐月賞はもちろんのこと、400m延長するダービーだって問題はない。それでも距離適性に問題があるなら、それを補おう、という考え方があってもいい。

その努力をしないで「ダービーは出ない」というのは、戦いから逃げているといってもいいだろう。戦わずに道は拓けず、ビクトリーはない。

フサイチゼノンにとってダービー出走は無謀な挑戦ではない。イチかバチか。男だったら、勝負に出てほしい。
(「口笛吹きながら」)

Nohirayuuji


この事件のことは今でも生々と思い出す。クラシック最有力候補のフサイチゼノンが突然、皐月賞を回避したことだけではなく、その後の田原成貴調教師と関口房朗オーナーの間でのひと悶着が印象に残っている。「またやってくれたか」と「またやったか」というアンビバレントな想いが交錯して、何とも言えぬ複雑な心境であった。これまでに田原成貴という人物が競馬界に巻き起こしてきたセンセーショナルな事件の数々が、私の脳裏に鮮やかに浮かんでは消えた。

とはいえ、私の心中で答えは明らかであった。フサイチゼノンの出走回避は正しい決断である。オーナーに報告なしに回避を決めたのは常識外だとしても、その決断自体は正しい。万全の状態でない馬を出走させることはできない、という考え方に異論はない。のちに骨膜炎が発覚して、田原調教師の見立ての正しさは証明されたが、たとえ何も悪いところが見つからなかったとしても、おかしいと思ったのなら出走を回避するのが調教師としては常に正しい決断である。

言葉を話せないサラブレッドを守ることが出来るのは、人間をおいて他にいない。競馬にたずさわる人間が、サラブレッドの心の声に耳を傾けて、彼らの訴えているところを察してあげなければならない。そうしなければ、彼らは競馬場という名の戦場で深い傷を負い、最悪の場合、声もなく命を落とすことになるだろう。ダービーを勝つために生まれてきたのがサラブレッドだとしても、ダービーが終わっても彼らの一生は終わらない。Life goes on.

これはジョッキーにも同じことが当てはまる。少しでも危ないと感じたら、すぐその場で止めるべきである。たとえ何もなかったとしても、おかしいと思ったのなら馬を止めるのもジョッキーの正しい役割のひとつである。数々の馬たちの背中に跨り、心の声を聴いてきた田原成貴騎手だからこそ、サンエイサンキューやフサイチゼノンの異常に気づくことが出来たのだろう。馬を走らせるだけがジョッキーではないのだ。

という前置をしたのち、それでも出来る限りのことをしてダービーに出走させるべき、という祐ちゃん先生の意見には同感である。血統や距離適性が合わないと思うのなら、そこを人間が調教でカバーしてあげるべき。また、本調子になくとも、なんとかして調子を取り戻そうとするのが調教師としての務めだろう。たとえば、ロジユニヴァースは皐月賞でまさかの惨敗を喫し、ダービーへ向けて黄色信号が灯ったが、萩原調教師を中心とした陣営があらゆる手段を講じ、起死回生の勝利をダービーで飾った。最後の最後まで、馬の生命力と回復力を信じ続けた陣営の勝利である。あきらめていたら勝利はなかった。No guts, no victory.

これは余談になるが、ロジユニヴァースの皐月賞の敗因は社台グループの陰謀という説が流れたらしい。ロジユニヴァースの馬主はまだ1年目の新参者であり、いきなりクラシックを獲ってしまえば、長年、社台から馬を買ってくれる古株の馬主に申し訳が立たない。そのため、短期放牧で戻ってきたロジユニヴァースをあえて悪くして厩舎に戻したのだと。人づてにそんな話を聞いて、私は悲しかった。自分の商品に毒を入れるようなことするわけがない。競馬ファンの想像力をかき立てるようなファンタジーならば大いに結構だが、無垢な競馬ファンをもて遊ぶのはやめてもらいたい。面白いことを言ったと悦に入るのはその瞬間だけで、長い目で見れば、競馬に携わる自分たちの首を絞めていることに気が付かないのだろうか。私の予想は当たらなかったが、ロジユニヴァースがダービーを勝ってくれて本当に良かったと思う。


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