ミルリーフとの衝撃的出会い
初めてテイエムオペラオーの強さを認識したのは皐月賞だった。1頭だけヨーロッパの競馬をしている、と思ったほどだ。以来、この世代のなかではテイエムオペラオーが最も強い、と言い続けてきた。
「研ぎ澄まされた鋭敏な鋼」
今年の春の天皇賞を見ていると、そんな表現が浮かんでくる。
あの脚力は日本の馬にはないタイプだ。四肢のつき方もそうだし、走法も珍しい。強い馬はフワーッと前脚がゆったり出るものだが、テイエムオペラオーの場合はピッチ走法なのだ。
乗っている側からすれば違うのかもしれないが、脚にしっかりと力を入れて走っているように見える。これは日本の強い馬としては型破りの走法といえる。それだけパワーと弾力が備わっており、だからこそ競馬で無類の強さを発揮できるのだろう。
体に余分なものは一切ついていないが、彼の体型は、決して頭抜けて素晴らしいわけではなく、派手に見せない。しかし、四肢が強健で、レースで驚くばかりの強さを発揮する。そんなテイエムオペラオーのイメージと合致する馬と、かつてヨーロッパで対戦したことがある。
その馬の名前はミルリーフ。
歴史的名馬と対戦したレースはフランスのガネー賞だった。私はロンバードという馬に騎乗していた。
ミルリーフは決して立派に見せる馬ではない。この程度の馬だったらわれわれでも作ることができると思ったほどだ。ところが、いざ競馬をしたらまるで違った。レースでの強さといったらなかった。乗っていた騎手には失礼かもしれないが、誰が乗っても勝てる、と思えるほどだった。
ミルリーフとの対戦によって、「強い」と「勝つ」の意味の違いを真剣に考えざるを得なくなった。いくらか力が劣っていても騎乗技術によって勝たせる、というのが当時の私のスタンスであった。ミルリーフとの出会いは、それを根本から覆されるほど衝撃的だったのだ。
「これまで日本でやってきた競馬はごまかしの競馬ではないか」と思い悩むほどに。
「勝ったから強い」ではなく、「強いから勝つ」。そうした馬を作らなければダメ。そういう気持ちを抱いて調教師となり、出会ったのがシンボリルドルフだった。ヨーロッパでの経験があったから、初めてルドルフにまたがった瞬間、これは海の外へ出る馬だ、という確信をつかめたと胸を張って言える。
テイエムオペラオーも本当の意味で強い馬だ。正攻法の競馬にこだわらなくたっていい。「強い」とはこういうものだ、というものを見せつけてほしい。
日本で大レースを制して賞金を稼ぐのもいいだろうが、あの馬の強さや価値は、もっとほかにあるはず。
海外に言ってほしいとはいわないが、いずれ日本に相手がいなくなるときがくるだろう。そのとき、いやでも海の外を考えざるを得なくなるはずだ。それまで余裕を持って無事に勝ち続けてほしい。
(「口笛吹きながら」)
このコラムが祐ちゃん先生によって書かれたのが2000年の5月。その後、テイエムオペラオーは、同年の有馬記念まで負け知らずの5連勝をすることになる。それまで3連勝してきていたので、あわせて8連勝、しかもそのうちの5勝がG1レースだったのだから、テイエムオペラオーという馬がどれだけ強かったか分かる。この馬の相手は日本にはいなかった。
皐月賞での走りを見て、祐ちゃん先生がテイエムオペラオーの強さについて熱く語った時には、正直に言うと、私にはその強さが分からなかった。この世代にはアドマイヤベガとナリタトップロードがいて、3強と称されていたのだが、私はその時点ではナリタトップロードが一番強いと思っていた。結局、アドマイヤベガがダービーを、ナリタトップロードが菊花賞を勝ち、クラシックの3冠を分け合った形となったが、祐ちゃん先生の見る目が正しかったのはその後のテイエムオペラオーの活躍を見れば明らかである。皐月賞の走りだけを見て、テイエムオペラオーの強さをあそこまで掴んでしまうのだから、さすが祐ちゃん先生だなと感じたことを覚えている。
今となっては、テイエムオペラオーの強さが私にもよく分かる。日本の馬場は軽いので、日本で強い馬たちは脚捌きが軽いことがほとんどだが、テイエムオペラオーの四肢は力強く、ピッチ走法で一完歩一完歩を弾けるように走るのだ。3歳時までは重さが残っていたが、4歳を迎えて古馬に成長してからのテイエムオペラオーは軽ささえも兼備するようになっていた。特に4歳時の天皇賞春と秋の2レースにおける、テイエムオペラオーの強さは桁違いで、同じサラブレッド同士が走っているとは到底思えなかった。ジャパンカップでの叩き合いに敗れたファンタスティックフライトに騎乗していたデットーリ騎手も、テイエムオペラオーの強さに驚愕し、「クレイジーストロング!」と言い残した。メイショウドトウしかライバルがいなかったことで評価を下げる向きもあるが、テイエムオペラオーの強さは今もって別格である。
惜しむらくは、一歩も海の外に出ることなく競走生活を終えてしまったということだろう。日本に相手がいなくなった後も、テイエムオペラオーは国内で戦い続けることを選んだ。あらゆる絡みがあったのだろうから、その是非についてここで問うことはしない。また、翌年(2001年)のテイエムオペラオーには目に見えない疲労の影が忍び寄っていたことも確かである。天皇賞秋とジャパンカップは2着と踏ん張ったが、最後の有馬記念では盟友メイショウドトウと共に力尽きた。天皇賞秋→ジャパンカップ→有馬記念と古馬G1を3連勝することの厳しさを、テイエムオペラオーは教えてくれたのだ。それでも、もしテイエムオペラオーが全盛期にヨーロッパのG1レースに挑戦していたら、G1のひとつかふたつは勝っていたのではないかと私は思う。
その後、ディープインパクトという21世紀の最強馬が出現することになるのだが、祐ちゃん先生はすでに他界されてしまっていた。もし祐ちゃん先生がディープインパクトの衝撃的な強さに出会っていたならば、何とおっしゃっただろう。テイエムオペラオーがミルリーフならば、ディープインパクトはニジンスキーもしくはダンシングブレーヴだろうか。テイエムオペラオーとは全く異なるタイプではあるが、海外に行くべきだと主張されたことは確かである。そして、ディープインパクトの凱旋門賞への挑戦に誰よりも胸を躍らせ、敗北に誰よりも胸を痛めたことだろう。「強いから勝つ」という馬を作らなければダメ、という祐ちゃん先生の言葉を、私たちは心のどこかに留めておきたい。
大外一気の強靭な末脚を見よ!


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天皇賞春2
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凱旋門賞2
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