集中連載:「パドックの見方を極める」第3回

■ビリー・‘ザ・キッド’
アメリカの競馬場は勝負師たちにとってパラダイスのような場所である。現地でのレースが終わると、続いてアメリカの他場で行われるレースがテレビで始まり、競馬場は一転してウインズと化す。そのうちナイターで行われる馬車レースが始まり、そうこうしていると、なんと香港のレースまで買えたりする。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。
ある日、夢中になっていて、ふと気が付くと時刻は夜の11時過ぎであった。慌てて競馬場から飛び出し、タクシー乗り場を見ると、タクシーの姿は1台たりとも見当たらない。周りを見渡してみても、こんな所にホテルなどあるはずもない。車で迎えに来てくれる友人もいない。アメリカにやって来て間もない私でも、夜の競馬場周辺に野宿することが、どれほど危険なことかは分かった。生まれて初めて、本気で背筋がゾッとした瞬間である。
真っ白になった頭でようやく思いついたのは、タクシー会社に電話をしてタクシーを呼ぶという方法だ。アメリカにやって来て間もない私の英語力で、タクシーを競馬場まで呼び寄せる自信などなかったが、そんなことを言っている場合ではない。あたりをキョロキョロと見わたしてようやく公衆電話を見つけた。が、肝心のタクシー会社の電話番号が分からない。日本みたいに電話帳などないのだ。エエイ、こうなったら分からないことは人に聞いてみようと覚悟を決め、競馬場の入り口に立って、ポツリポツリと出てくる男たちの一人に意を決して声を掛けた。
「Excuse me!Could you tell me~?」
私が話しかけた長身の男は、彫りが深く、インディアンの血が混じっているような風貌をしていた。私の拙い英語を聞き取ってくれたのか、親切にタクシー会社の番号を教えてくれた。
私は礼を述べ、すぐさま公衆電話へ走った。受話器を取りダイヤルを回してみたが、どれだけコールを鳴らしても相手は出なかった。番号が間違っていたのか、それとも受付が終了していたのか、今でも分からない。私は受話器を静かに置いた。悲嘆に暮れた私は、その場に座り込んだ。深夜の競馬場には残っているのは私だけであった。
まさかこういう形で、競馬で人生が終わるとは…。
そんな時、私の目の前で男の声がした。見上げると、さきほどの男であった。「タクシーは来ないのか?」とかそういうことを聞いていたのだろうが、私には聞き取れなかった。それでも、「車で送って行こうか?」というところだけはなんとなく理解できた。
助かった!と素直に思ったが、すぐさま不安も湧いてきた。あまりにも親切すぎる提案に、もしかしたら法外なお金を取られるのではないか、もしかしたらどこかに連れ去られるのではないか、など悪い妄想も広がっていった。私の頭の中がグルグルと高速回転して、1秒後に出した答えは「Please.」であった。
祈るような気持ちで男の車に乗り込んだ。沈黙が続き、競馬場から私の自宅までのおよそ30分は、1時間にも2時間にも感じた。あまりにも長く感じたので、どこかに連れ去られるのだと思い、何度ドアを開けて飛び降りようとしたことか。それでも私は、その男を信じるしか生きる道はなかった。当時アメリカの最強馬であったシガーがどれだけ強いかという話をすると、ようやく私たちは饒舌になり、お互いに気持ちが通じ合った気がした。
男の名前はビリー、私はTakaと呼ばれることになった。
翌日、私たちは競馬場で再会した。ビリーの周りにはたくさんの競馬仲間がいて、ビリーは私を彼らに紹介してくれた。この時点では、ビリーは私にとって命の恩人にすぎなかったが、それから共に競馬場で時間を過ごすうちに、ビリーは競馬の師匠にもなっていった。彼は馬を見る天才であった。あまり詳しいことは教えてくれなかったが、小さい頃から馬に携わる仕事をしていたらしい。競馬仲間は彼のことを、ビリー・ザ・キッドとかけて、“The Kid(競馬の神の子)”と呼んでいた。
そう、実はこの連載で私が書こうと思っている馬の見方は、決して私が独力で編み出したものではない。ビリーに教えてもらったことに、私が少しだけ味付けをしたものである。偉そうに書いていても、それはビリーからの受け売り半分だということをまずは記しておきたい。

菊花賞2
有馬記念
阪神大賞典
天皇賞春1
天皇賞春2
宝塚記念1
宝塚記念2
宝塚記念3
凱旋門賞1
凱旋門賞2
ジャパンカップ
ファイナルフライト1
引退式
ハーツクライ
伝説のウオッカ
メイショウサムソン
スイープトウショウ引退記念
アドマイヤムーン
ダイワスカーレット桜花賞
ディープスカイ
ウオッカ安田記念
伝説の天皇賞秋
ダイワスカーレット有馬記念
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