ムチを使うことなく
今月末で角田晃一騎手が22年にわたるジョッキー人生にピリオドを打つ。デビューしたのが1989年だから、私が競馬を始めた年とほぼ同じで、そういう意味では、私の知っている競馬にはいつも角田晃一騎手が乗っていたことになる。その角田晃一騎手がムチを置くことには正直驚かされたし、アスリート人生の短さと歳月の流れる速さには、感傷的にならざるを得ない。
角田晃一騎手は高度な技術に支えられたジョッキーである。中央の騎手たちの中では、馬を勝利に導くという巧さにおいては、おそらく5本の指に入ったのではないか。もともと筋が良かったのだろう。それに加え、デビューしたばかりの頃から、シスタートウショウ、ノースフライト、ヒシアケボノ、フジキセキといった一流馬に跨り、調教をつけ、G1レースを勝った経験が、彼の才能を一気に開花させていった。全重賞38勝中10勝がG1レースであったことは、角田晃一騎手が心の強い騎手だったことだけではなく、彼の技術がより厳しいレースでこそ発揮されたことを示している。
私の記憶に最も鮮明に残っているのは、1994年に牝馬ノースフライトで勝利したマイルCSである。前走のスワンSで、快速サクラバクシンオーにスピードで圧倒されたにもかかわらず、このマイルCSは1番人気に推されての出走となった。距離が200m延長されて逆転が起こる、というのが大方の予想であった。私もそのように思っていたし、また実際にその通りの結果となったのだが、今振り返ると、この負けられない1戦に角田晃一騎手はわずか24歳で臨んでいたのである。大きな期待と大金を背負って、若かりし彼は何を想って乗っていたのだろうか。
スタートしてからゴール板に至るまで、角田晃一騎手は完璧であった。ゴールから逆算したのではないかと思わせるほどの緻密な手綱さばきと絶妙な仕掛けで、小島太サクラバクシンオーを歯牙にもかけなかった。重圧など微塵も感じさせないあっさりとした勝利に、心臓に毛が生えているのではないかと思わせられた。最後の直線で左ムチを振りかざす姿からは、ただ勝つだけではなく、魅せなければならないという自意識さえ伝わってきた。
勝気な性格を表すエピソードとして、フジキセキで朝日杯3歳ステークスを制した時の勝利ジョッキーインタビューがある。ゴール前で武豊騎手が乗るスキーキャプテンに迫られたことを指摘されるや、「こっちはムチを一度も使っていませんから」と言い放ったのである。あなたたちはヒヤヒヤしたかもしれないけど、俺とフジキセキは余裕だったんだよ。俺たちに触ると火傷するぜ、という激しさがヒシヒシと伝わってきた。フジキセキの強さに対する自負とジョッキーとしての矜持が、思わず言わせたひと言だったのだろう。レースを観てみると、確かにムチを使っていない。これはフジキセキがムチを使わずにG1レースを勝てる馬だったと同時に、角田晃一騎手もムチを使うことなくG1を勝たせることのできるジョッキーだったことを意味する。
もっともフジキセキの気性の激しさを考えると、ムチを使ってしまうと、どこに飛んで行ってしまうか分からないという危うさがあったからなのだろうが、そういう難しい馬を御すことにも長けていたということだ。彼の晩年にダービー3着に導いたアントニオバローズという癖馬もそうであった。角田晃一騎手が乗っていなければ、アントニオバローズはダービー3着はおろか、重賞すら勝てたかどうかあやしい。簡単に乗っているように見えるのは、彼のジョッキーとしての技術が卓越しているから。競馬を知っている者であれば、そのことを誰もが知っている。角田晃一騎手の調教師としての活躍を見守りたい。



それまでは、調教にも跨ってもらっていた横山典弘騎手に対し、藤沢和雄調教師はこう言ったそうです。「明日から攻め馬に来なくていいよ」と。横山典弘騎手は何も言えませんでした。お互いにプロとして、勝負の世界では結果を出せなければ飯が食っていけません。調教師が乗れないジョッキーに騎乗を依頼するわけにはいきません。ドライではありますが、当たり前の話ですよね。こうして、およそ2年以上にわたって、横山典弘騎手が藤沢和雄厩舎の馬に跨ることはありませんでした。









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