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ハイランド真理子さんと野平祐二先生と私

私は運命論者ではないが、少しは運命というものを信じたくなることもある。先週末、ハイランド真理子さんと初めて会うことができた。私の想像していたとおり、いやそれ以上に素敵な方であった。私たちの出会いは野平祐二先生がアレンジしてくれた、とハイランド真理子さんはおっしゃってくれたが、本当にそうなのだと思う。私にとっては巡り合うべくして会った人なのである。ここから先は、ハイランド真理子さんという女性について、あくまでも私個人的な歴史を含め書くことを、どうかお許しいただきたい。

私が初めて勤めた会社を辞めた後、競馬に携わる仕事がしたくても見つからなくて、悶々とした日々を過ごしていたとき、雑誌「優駿」の片隅の記事でオーストラリアにある競馬学校のことを知った。騎手、調教師、厩務員等の養成コースがあり、オーストラリアに渡ってホースマンになろうという人々のために開かれた民間の機関であった。まだ創立されてから間もない頃だったが、ワラをもつかむような気持ちでいた私は、迷わず資料を請求し、問い合わせをした。どうにか競馬関係の仕事に就けないか、という想いで一杯であった。

今でも忘れない。そのどこの誰かも分からない若者たったひとりの問い合わせに、懇切丁寧に答えてくれたのが、創設者であったハイランド真理子さんであった。FAXだったか手紙だったか記憶は曖昧だが、これから海外に渡って一人前のホースマンになることがどれだけ大変なことか、中途半端な気持ちで来ると大変という旨が、決して悲観的ではなくむしろ前向きに、直筆で書かれて私の元に届いたのだ。見知らぬ他人にこれだけ親身になってくれる人が世の中にはいるのか、と私は衝撃を受けた。世の中が殺伐として見え、自分の心が不安定だった時期だからこそ、余計にその優しさが染み入ったのかもしれない。ハイランド真理子という名は、この時から私の心の片隅にずっと刻まれていた。

勇気のなかった私はオーストラリアの競馬の世界に飛び込むことはできなかったが、あれから10余年の年月が流れ、少しはまともに暮らせるようになり、競馬に対する希望と愛情だけは変わることなく、野平祐二先生の遺志を継ぐつもりで競馬について書き綴ってきた。そして、「女性」、「野平祐二」というキーワードがハイランド真理子さんと私を惹き合わせた。野平祐二先生もハイランド真理子さんも、私が勝手に追いかけてきたつもりが、実はいつも側で優しく見守っていてくれたのかもしれない。「野平先生はまだ生きている」とハイランド真理子さんはおっしゃっていたが、そういうことなのだろう。私たちには祐ちゃん先生の口笛が聞こえる。

■ハイランド真理子さんのブログはこちら
Hylandmariko01
グローバルかつ女性ならではの視点で綴られるブログは必見です。
オーストラリアの競馬についても学ぶことができますよ。

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