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天に唾を吐き続けた騎手

Satotetsuzo佐藤哲三騎手が現役復帰を断念し、引退する声明を発表した。2012年11月の落馬事故により全身に大けがを負い、それでも6度の手術を乗り越え、リハビリを続けてきたが、ついに鞭を置く決断をした。「待ってくれている人たちもいる」と語っていたように、まだやり残したこともあったはず。ジョッキーとして、これから円熟期に入ろうとしている矢先の、無念のリタイアとなってしまった。競馬において落馬や事故は避けられないとはいえ、何とも惜しい。できることならば、まだその騎乗を観ていたかった。

佐藤哲三騎手は26年間の騎手人生の中で、6つのG1レースを勝利した。タップダンスシチ―、アーネストリー、エスポワールシチ―とのレースは記憶に新しく、またいずれも名コンビであった。とはいえ、佐藤哲三騎手が勝ったレースよりも、敗れたレースの方が記憶に刻まれているのは私だけだろうか。印象に残っている佐藤哲三騎手の騎乗を挙げると、私の場合、13番人気のタップダンスシチ―に乗って惜敗した2002年の有馬記念であり、インティライミでディープインパクトの前に砕け散った2005年の日本ダービーである。

いずれも2着に敗れたレースであるが、共通しているのは、大本命馬を負かさんと立ち向かい、私たち競馬ファンをあっと言わせたという点である。2002年の有馬記念は、牝馬ながらも1番人気に推されていたファインモーションから道中でハナを奪い、そのまま粘り込もうとした寸でのところをシンボリクリスエスに差し切られてしまった。2005年の日本ダービーは、あのディープインパクトよりも前を積極的に攻め、直線ではあわや押し切ろうかという勢いで先頭に立ったが、最後は力尽きてしまった。本命馬に乗ることが少なかったせいもあるだろうが、そう簡単には負けないという気迫や気概を感じさせる数少ないジョッキーであった。

実はもうひとつだけ、佐藤哲三騎手の忘れがたい騎乗がある。2008年にインティライミを背にして挑んだ宝塚記念である。2度にわたる落馬骨折の末、ようやく完全に復帰した時期のレースであった。インティライミは11番人気に過ぎなかったが、好枠を引いて、スタートしてから最後の直線に向くまで、佐藤哲三騎手の思い描いていた通りの騎乗であった。最初から最後まで佐藤哲三騎手とインティライミだけを観ていた私には、「勝てる」という無言の想いが彼の背から伝わってきたのだ。ところが、ゴール前で馬群から抜け出そうと思ったその瞬間、見事にパッチンを食らってしまったのだ。インティライミはスパッと切れるタイプの馬ではないので、あのタイミングでの不利は痛かった。やっとの思いでターフに帰ってきたのに、ここぞという場面で神に見放された彼の無念が痛いほどに分かった。

競馬は2着や3着では意味がないというのは正論であり、勝ち馬や勝利ジョッキー以外の人馬の名は人々の記憶からも消えていくというのはある意味正しい。ほとんどのレースや馬や騎手の場合は、実際にその通りであるからだ。しかし、佐藤哲三騎手が騎乗して敗れたいくつかのレースや馬の名は忘れたくても忘れられない。正直に言って、勝ち馬や勝利ジョッキーよりも記憶に残っている。それは彼らが敵わないはずの相手に真っ向勝負を挑んだからであろう。お金を探して下を向いてばかりいる騎手が多い中、佐藤哲三騎手は天に向かって唾を吐き続けたのである。それを良かれと思わない人もいただろうし、熱狂的な支持者もいたはずだ。あの有名なインタビューは、彼の挑戦者としての負の側面だと私は考えている。そして、彼の吐いた唾が天に届くのではと思う瞬間があって、そんな時、私たち競馬ファンはいつもの予定調和的なレースのつまらなさにハッと気づき、ついには心を動かされるのである。佐藤哲三がいなくて、私は寂しい。

Photo by M.H

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