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文化が足りない


凱旋門賞2014-観戦記-
完敗という言葉しか思い浮かばない。ジャスタウェイ、ハープスター、ゴールドシップという3頭の名馬たちが走っても、あらゆる面において相手の力が二枚も三枚も上であり、レースにすら参加させてもらえなかった。唯一見どころがあったと言えば、最後の直線におけるハープスターの一瞬の切れ味ぐらいで、それもほんの一瞬でしかなかった。挑戦したこと自体には称賛の拍手を送りたいが、これを良い経験と言って片づけてしまうのでは、あまりにも情けない。

ハープスターは末脚に賭ける乗り方に徹し、この馬の力は出し切った。残念だったのは、前半の1000mまでは馬群から離してポツンと追走していたにもかかわらず、途中から内ラチ沿いに進路を変えてしまったことである。ゴールドシップの行きっぷりが悪く、外から被されるような形になったことも影響したのかもしれないが、結局、直線の入り口で外に出すぐらいなら、最後まで気楽なポジションを走って、ハープスターの気を溜めておくべきであった。もしあそこで内に入れたのであれば、内からこじ開けるようにして馬群を抜けてほしかった。この馬は日本では相当な名牝になるだろうが、馬場とポジションに注文がつく以上、海外では厳しい。

ジャスタウェイとゴールドシップについては、ローテーション的に、走る前から負けていた。世界ランキング1位に輝くジャスタウェイは、ドバイデュ―ティーフリーの疲れが抜ける間もなく不良馬場の安田記念を勝利したことで、凱旋門賞までにベストな状態に戻すことができなかった。ゴールドシップは宝塚記念を勝ったことで、凱旋門賞にピークを合わせることが難しくなった。これは何度も書いてきていることだが、もし本気で凱旋門賞を勝ちたいならば、宝塚記念を使ってはならないのだ。6月末にG1レースを勝つ状態に仕上げられた馬が、およそ3か月後の凱旋門賞までに再び完調に戻ることはない。海外遠征による環境の変化が加わればなおさらだ。遠征に掛かる莫大な費用を宝塚記念で補いたい気持ちはよく分かるが、凱旋門賞の栄誉を取りたければ、目先のお金は捨てなければならない。

野平祐二騎手がスピードシンボリに跨って凱旋門賞に挑戦したのは1969年のこと。あれから45年の歳月が流れ、日本競馬のレベルは格段にアップした。エルコンドルパサーやディープインパクト、ナカヤマフェスタ、オルフェ―ヴルらの凱旋門賞での走りを見るまでもなく、日本馬の実力は世界中で認められ、たとえ凱旋門賞でも勝てるだけの力は秘めている。血統レベルの向上だけではなく、生産から育成、調教に至るまで、あらゆる面において、ヨーロッパやアメリカなどの競馬先進国に追いついた、はずであった。しかし、本当にそうなのだろうか。日本の競馬人である私たちは、今年の3頭の敗戦を真摯に受け止めて、真剣に考えなければならない。

何が足りないのか?抽象的で申し訳ないが、文化が足りないと私は思う。これはサッカーのワールドカップのときにも強く感じたことだが、日本のサッカーに足りない、いや、ないのは文化であった。選手からマスコミ、そしてファンの間に文化の蓄積がまるでないのだ。お金の出どころばかりを気にして、サッカーのことを本当に考えている人が少ないということだ。同じことが日本の競馬にも当てはまる。当たり障りのないインタビューや提灯記事ばかりで、ローテーションの不備を突いたり、過去の凱旋門賞における騎乗ミスを振り返ったりした議論はあったのか。凱旋門賞を本当に勝つには、日本の競馬人全員が言葉の粋を尽くして語り合い、互いに高め合わなければならないのではないだろうか。批判されて取材拒否をする関係者などもってのほかで、気を遣ってばかりのマスコミも情けない。悲しいかな、そうして流された表面的な情報ばかりに競馬ファンは踊らされる。だから負けても誰も気づかないのだ。私たちの競馬には文化が足りないことを。

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