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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第3回)

Hitokuti03

忘れかけていた頃にパンフレットが届いた。「サンデーサラブレッド」と「社台サラブレッドクラブ」は同時にまとめて、それからしばらくして、「シルクホースクラブ」から送られてきた。過去には他のクラブからも送ってもらったことがあるので良く分かるが、どのクラブも写真集やカタログのような素晴らしいパンフレットを送ってきてくれる。印刷代だけでもかなり掛かるのではないかと余計な心配をしてしまうが、それでも馬が売れれば十分に利益が出るのだろう。そう、今や一口馬主全盛の時代なのである。

私が競馬を始めた1990年から25年が経ち、この間にコアな競馬ファンの馬券から(一口)馬主へのシフトがあった。これは大きな潮流の移り変わりである。馬券時代には、ロマンを絡めて競馬が語られた時期もあったし、枠番から馬番への移行に伴い馬券が盛り上がり、3連単等の導入によってその流れが加速したかに見えたが、様々な要因が重なり、馬券の売り上げはみるみるうちに失速し、コアな競馬ファンは馬券に対しての興味を次第に失いつつある。

海外の競馬を範にして、多様な種類の馬券を売り出したことが、馬券時代の終わりの始まりだったと私は思う。当時は、アメリカや香港では3連単やWIN5のような馬券が売られているのに、なぜ日本では買えないのだという論調であったと記憶している。私もそのような馬券が売られたら面白そうだと思ったこともあった。がしかし、いざ発売されてみると、たしかに売り上げに占める割合は3連単が大きく占めるようになったものの、競馬の質も大きく変容してしまったのだ。戦後から長い歳月をかけて、せっかく競馬が数字だけの賭博ではなく、ロマンやスポーツなどの要素も併せ持つ知的ゲームになったのに、再び騎手や馬たちはサイコロの駒のようになり、競馬は数字の組み合わせに化してしまった。

競馬ファンの興味や視点が数字の組み合わせに向くと、マスコミや競馬評論家たちもすなわちそちらを向かなければならない。競馬のマスメディアは、メインストリームを自ら作り出しているのではなく、メインストリームを追っているだけなのである。なぜなら、そうしなければ、番組は見てもらえないし、雑誌や本は買ってもらえないからだ。こうして書店の本棚からは競馬の本質に迫るような内容の読み物は消え、いかに儲けるかという馬券本で埋め尽くされた。私も昔はよく行った書店の競馬本コーナーにも、最近は足を運ぶことが少なくなった。

こうした変化に抗うためか、意識的であれ無意識であれ、コアな競馬ファンの中には馬券に当てていた資金を一口馬主の方に回す者が現れ始めた。私たちは、1頭1頭の競走馬をしっかりと見つめたいのだ。競馬の本質をもっと身近に知りたいのだ。そんなコアな競馬ファンの声にならない気持ちの現れだと私は思う。もちろん、ダビスタ世代である私たちは、万馬券を当てたり、3連単で高額配当を手にしたりするよりも、もっと興奮することがあることを知っているからでもある。そう、自分の愛馬がレースで勝つこと。これは競馬における至福の瞬間であり、かつ競馬の原点でもある。

「サンデーサラブレッド」、「社台サラブレッドクラブ」、「シルクホースクラブ」の3つのパンフレットに目を通し、募集馬たちの立ち写真や血統等を比べてみた。魅力的な馬ばかりで目移りしてしまうと内心困っていたところ(いつもそれで結局選びきれない)、「シルクホースクラブ」のあるページを開いたとき、私の目は止まった。そして、しばらくそこから動けなかった。一目ぼれ?直感?そんなシンプルな言葉では表しきれない、素晴らしき馬体と血統の馬がそこにいたのだ。私は迷いなくその馬の募集番号と母の名前を申込用紙に記入し、ポストに投函した。あとは抽選のみ。

Photo by fakePlace

(次回へ続く→)

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