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ONCE AGAIN

Tensai

今週号の週刊Gallopにて、新春恒例の武豊騎手のロングインタビュー「武豊 希求の‘16」を読んだ。昨年は前人未到のJRA通算3700勝、JRA重賞300勝、6年ぶりとなるJRA年間100勝、8年ぶりの海外G1制覇を成し遂げ、今年はいよいよ武豊騎手がデビューして30年の節目となる。あどけなさが残る長身の若手ジョッキーがスーパークリークで菊花賞を制してから、もうそんなにも長い歳月が経ったのかと思うと感慨深く、見開きの扉に写る武豊騎手の姿には、今の日本の競馬を背負ってきた男の生き様が現れている。

光り輝く才能を天才と祭り上げるのは簡単だが、その者が常にトップであり続けることは難しく、第一線で活躍し続けることさえ困難である。それは勝負の世界における倒木更新の掟でもあり、少しでも調子を崩したり、衰えを見せたりすれば、あっと言う間に堕ちてしまうことになる。そういう意味においては、時や時代の試練に耐えて、最後まで残っていた者こそが天才と称されるべきではないのだろうか。

武豊 「よく人からも言われるんだけど、『もういいかな』というのがないですね。これ去年も一昨年も言ってますよね。いつそうなる(意欲が衰える)んだろ(笑)。だから年を取らないし、1年が早いわけだわ。去年の冬にイチローと食事をしたんだけど、彼も全く同じことを言うんですよ」

今回のロングインタビューと並行して、「羽生善治 戦う頭脳」(文藝春秋)をたまたま読んでいて、こうして表舞台に立ち続けた天才には共通する何かがあると私は感じた。羽生善治氏について、同じく棋士である島朗氏が書いた「乱調の中に美を探る天才」という評論の中に、羽生善治の底知れぬ体力について言及する文章がある。長くなるが、身震いをせざるをえなかった箇所があるので引用させてもらいたい。

この春の名人戦、相手は小学生の頃からのライバル、森内俊之名人(当時)だったが、決着局となった対局は千日手(引き分け)、即、再対局となり、終了は深夜の一時半を超えていた。それから2局分の感想と解説で、時刻はもう3時過ぎ。相模灘に面した、熱海の朝日が東から上ろうとしていた。

報道陣の多くが居眠りをしている中、2日間戦いきったにもかかわらず羽生は、将棋を覚えたての子どものように、眼をらんらんと輝かせて未開の局面を調べ続ける。ふだん、周囲への配慮を欠かさない彼が、唯一、時間という概念を忘れる至福のひととき。自分の納得いく見識をこの局面に植えつける作業に、研究者が没頭しきっている姿がそこにある。高揚を感じ、一期一会の局面の軌跡を勝負のごとに繰り返す。そんな幸せな時間があっていいのだろうか…。

体力に自信のある森内でさえ、ふと目の前の羽生を見て(まさか徹夜で感想戦をやる気じゃないんだろうな…)と思ったという。同世代の強力なライバルたちが畏れるのは、羽生の頭脳もさることながらそこに根づく体力(スポーツにおける体力とは異なる、盤に向かい、考え続ける根気を伴った体力。数百手、時間をかけて読んだ蓄積を、相手の予想しない1手ですべて無駄にしたあとに、また1から読み進めていく集中力のすばやい回復)でもある。

この秋の王座戦では、70年生まれの羽生が初めてひと回り年下の新鋭、渡辺明5段の挑戦を受けた。劣勢を予想された渡辺は実によく戦い、あと1勝でタイトル奪取というところまで羽生を追い詰め、さらにその将棋も優勢に進めていた。しかしわずかの遺漏から羽生に千日手に持ち込まれてしまう。

夜間の指し直し、通常であれば条件は若者に有利と思われがちだが、棋士の認識は違っていた。谷川浩司王位言うところの「タイトル戦を戦ううちに、体力がついてくる」のである。緊張の中にもゆとりある瞬間を見せながら羽生は制勝し、指し直し局の開始から4時間後(当然ながら、深夜と言われる時間帯になっていた)に羽生はいつものように楽しげに感想戦を行い、渡辺もまたあの時の森内と同じように、羽生よりも少しだけ疲れていた。そしてその「少し」が思考の消極性、読みの効率・判断の悪さにつながる。精悍な森内も、若い渡辺も、指し直し局に関しては、はっきり体力負けの兆候があった。

ここで言う体力を、そのまま武豊騎手やイチローに当てはめるわけではなく、また気力や根気という言葉と置き換えるつもりもない。ただ、もし天才という者がいるとしたら、こうした底知れぬ体力を持った人間のことを言うのではないだろうか。努力する天才、勇気と意志を継続する天才、柔軟な思考を持つ天才。それは他の者と比べて少しの違いなのかもしれないし、また一瞬のものではなく、長く静かに光るたぐいのものであろう。どれだけ厳しい状況に置かれても、あきらめずに楽しめる力がある者こそが最後に天才になるのである。

武豊騎手は、インタビューの中で自分に言い聞かせるように語っていた。

「ジョッキーは、いいも悪いも自分。いい馬に乗っていないというジョッキーもいるけど、いい馬に乗っていないのは自分がそうさせているんだと思う。アイツはいい馬に乗っているというのは、いい馬の騎乗を頼まれるだけのことをしているから。成績は、自分の頑張り次第。だから、もっと頑張りたい」

Photo by 菅原秀彦

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