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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第9回)

Hitokuti09


シルクホースクラブから馬名が決まったとの知らせが入った。私が初めて出資する馬の名は、クインアマランサス。女王+母の馬名の一部という、穏当な名前に落ち着いた。まあ、このあたりは一口馬主だけに仕方ない。個人的な思い入れの入ったエキセントリックな名前をつけるわけにはいかず、どうしても最大公約数的な名前になる。とはいえ、昔から名は体を表すとも言われ、これまでの競馬の歴史を鑑みても、名馬にはやはりそれなりの名前が付けられている。セントライト、テンポイント、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ディープインパクト、キングカメハメハ、オルフェーヴル、ウオッカなどなど、挙げていけばキリがない。その強さに後から名前が符号してくることは確かだろうが、どの名馬も立派な名前を有している。

立派な名前をつければ馬が強くなるなんて言うつもりはない。それでも、大切なことは、人間がその1頭の馬に対して思い入れを持つことである。生産から育成、調教から身の周りの世話に至るまで、人間が思い入れを持って馬に接することが、その馬が強くなり成功するかどうかを大きく左右する。これは決して非科学的な話ではなく、どれだけの時間と労力が費やされ、その馬のことを考え、様々なアプローチを試みて、時間をかけて育てられ、心身のコンディションを整えてもらったかにサラブレッドの競走生命は委ねられている。飛び抜けた才能を持つ馬はそうではないかもしれないが、ほとんどの馬にとっては、関わる人間の情熱の量が運命を決めると言っても過言ではない。

「だからこそ、できるだけ高い値段で馬を売りたいんです」とある生産者は言っていた。もちろんビジネスとして高く馬を売りたいと思うのは当然のこととして、実はそれだけではなく、高く売れた馬はそれだけ大事にしてもらえる確率が高いという意味である。すべての馬がそうであるとは言わないが、安く買われて行った馬はそれほど期待されずに、それなりの扱いしか受けない。高値で買われた馬は、それだけの育成場に預けられ、それだけの調教師のもとに入厩する。どの馬にも可能性があって、公平に接するべきと頭では分かっていても、無意識のうちに、いや、自然な感情として、ある一定水準以下の値段で買われた馬には期待が掛けられない。同じ馬であっても、髙値で買われた方が周りの人間の意識が違うため、成功の可能性が広がる。

どんな名前をつけられたかは、人間がその馬に対してどれだけの愛情や情熱を持って関わっているかの一端を表しているのではないか。だから私は冠名のつく馬があまり好きではない。たとえ高値の馬であっても、その馬に対する思い入れが感じられないからだ。そう考えると、穏当な名前の馬は最大公約数的な成績しか残せないのかもしれない。それは共同馬主という制度の限界を示している。それでも、と私は考えを改める。ヒカルアマランサスにとっては初めての仔だし、生産者にとっても、育成のスタッフにとっても、調教師にとっても、1頭の良血馬であることは確かである。値段が高くなかろうが、名前が凡庸だろうが、目の前にいる1頭のサラブレッドに情熱を注ぎこめるのが真のホースマンであろう。そのように信じていれば、クインアマランサスが、その名の意味どおり、枯れることのない女王という名前を立派に体現してくれるかもしれない。

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