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競馬があったから生きてこられた

Takamatumiya2016wt

競馬を始めた頃は、馬券が外れてはふて寝をしていた。悔しくて仕方なく、自分の感情を抑えることができず、ただ眠りに落ちるのを待つしかなかった。ときには胃液が逆流しそうになるほどの苦しみを味わうこともあったし、しばらくの間、言葉が発せなくなるほど動揺することもあった。ちょうど全能感に溢れていた年頃でもあり、こちらが激しく思えば思うほど、馬券が外れたときの反動もそれだけ激しかった。たまに馬券が当たって有頂天になることもあるが、ほとんどはそうではなく、世の中と自分との間にある溝の大きさに絶望していた。競馬を始めて以来、週末になると、私は奈落の底に突き落とされ、一週間かけて再びはい上がる。そんなことを繰り返して、すでに20年以上が経ってしまった。

良かったと思えることは、自分が傷つけられることにたいそう慣れたことだ。毎週末、自分の考えが間違っていることを知らされ、思い込みを指摘され、現実は自分の思っているとおりにはならないことを叩きこまれる。本気で想えば思うほど、傷つけられるのだ。傷つけられるという表現では生やさしく、私の実感としては、ときに殺される。傷つけられ、自分を殺され、もうそんなことさっさとやめてしまえば良いのに、やめるという選択肢はなかった。やめるのは生きるのをやめることに近いから。何度傷つけられ、何度殺されても、何度でも立ち上がって、とにかく生きる。20年もこんなことをしていると、慣れるのだ。

競馬以外のことで、多少の苦しいことや辛いことがあって、傷つけられ、殺されそうになっても、耐えられるようになった。私は氷河期世代の真っ只中に社会に出たが、世の中で思い通りに行かないことが多くても、そんなものだと受け取れるようになった。どれだけ激しい苦難が襲ってきても、しばらく静かに眠っていたら悲しい感情は少しずつ薄れていくと悟れるようになった。自分の負の感情をある程度はコントロールできるようになった。そして同時に、いつかは上手く行くチャンスが巡ってくるかもしれないと微かな希望を心のどこかで抱くことができるようになった。こんなときは競馬をやっていて良かったと思えた。競馬がひ弱な私を鍛えてくれたのだ。競馬があったから生きてこられた。

ところが最近は、傷つけられることに慣れ過ぎてしまっている気もする。昔であれば寝込んでも不思議ではないようなことでも、深く私の身体には入り込んでこない。あの頃のような感情の起伏がないのだ。いい歳をして傷つけられるなんてみっともないと思っているからなのか、激しく傷つけられないように期待値をあらかじめ下げているのかもしれない。競馬に鍛えられた私は、麻痺して鈍感になってしまったのか。それはそれで悲しい。もしかすると今の私に必要なのは、激しく思い、激しく負けることなのかもしれない。高松宮記念の日、久しぶりに人生において激しく傷つけられ、あとからレースを見てみるとアルビアーノが敗れていた。それでも私は負けないで生きていこうと思う。

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Comments

治郎丸さん いつもお疲れ様です(^^;;


自分も週末に底なしの哀しみ海に沈められて1週間かけて復活するような感じですね(^^;;でも競馬からいろんなモノをもらい負けや失敗してはじめて見えてくるモノがあったので負け惜しみになるかもしれませんがいろんな貴重な経験と2度とはない瞬間を見ることが出来て何だか儲かったような感じに思います(^^;;だからこれからさきもずっと競馬と一緒に生きてゆきたいと思ってます(^^;;

Posted by: ユビキタス | April 01, 2016 at 07:49 PM

治郎丸さん

いつも楽しみに拝見しています。
まずは題名を見ただけで涙腺が緩みそうになりました。僕の場合は人生の辛い時に、単純にまずは来週の競馬を、更には未来の競馬を見たいから頑張っていこうという感じです。(幸い最近は平和な日々ですが)
それゆえに競馬に対して治郎丸さんほど熱くはなれていませんが、それでも競馬と一生付き合っていく自信は十分にあります。付き合うといえば今回のコラムで少し恋愛と共通する感情も思い浮かべました。
残念ながら競馬は僕にとって仕事ではなくて完全な趣味ですが、こんなに素晴らしい趣味は他にはないでしょう。

Posted by: ダイコウサク | April 02, 2016 at 02:38 AM

ユビキタスさん

私の日常にとっては競馬が当たり前の風景になっていますが、振り替えってみると、競馬に鍛えられ、助けられて、ここまで生きてこれた気がします。

馬券には何度も殺されそうになったことはありますが(笑)。

ようやく最近穏やかに付き合えるようになってきたのですが、物足りなさも感じているこの頃です…。

Posted by: 治郎丸敬之 | April 02, 2016 at 12:08 PM

ダイコウサクさん

いつもありがとうございます。

私も競馬だけが心の支えだった時期もありましたし、未来の競馬が観たいから、いつまでも生きていたいと思えます。

もう競馬とはずいぶん長い付き合いになり、その途中において、付き合い方も変わってきた気もしますが、これからも競馬とは仲良くやっていこうと思います。

ほんとうに競馬には救われて来ているんですよね私。

その恩返しとしても、競馬についてはずっと語り続けていきたいと思います。

これからもお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

Posted by: 治郎丸敬之 | April 02, 2016 at 12:11 PM

次郎丸さん
お久しぶりです。
子どもも4月から中学生になり 私の競馬人生も中等部にさしかかったかなぁなんて思ってます。
小学校にあがる年に競馬を始めたので気付けば6年が過ぎました。私は毎年テーマを決めて競馬していました。今年は馬連でとか、今年は3連複で 等々自分なりに楽しんでました。結果辿り着いたのが単勝1点でした。悩んで悩んで選んだ1頭が先頭でゴールする瞬間はこの上ない幸せでした。気付けば馬券を握りしめ涙する自分がいました。幸せとは一転 奈落の底へ突き落とされる瞬間も何度か味わいました。
選んだ馬がレース中に故障し、予後不良になる。悲しい現実も競馬には確かに存在します。嫌なことや辛いことからは逃げたいけど 生きるためには必要な通過点であり 人生の大半は楽より苦のほうが遥かに多いとわかる歳にもなりました。そう思えたのも競馬があったからです。競馬が直接何かをしてくれたわけではないですが、競馬があったから 生きようと思えました。未来を見たいから今日も明日も競馬を続けていきます。ハナミズキは1912年 時の東京市長がアメリカのワシントンD.Cに桜を送った返礼として1915年に日本にやってきました。昨年がちょうど100年にあたり 一青窈さんの歌の通り 100年続いたわけです。人生100年とは なかなか難しいものですが 1日でも長く生きて競馬を見続けていきたいものです。

Posted by: 通りすがりの皇帝ペンギン | April 02, 2016 at 06:08 PM

治郎丸さん、こんにちは。

僕は競馬があるからいま生きてます(笑)

治郎丸さんを初め競馬界の文化人の方々が明日への光を与えてくれます。

大袈裟ではなくROUNDERSは聖典です。
いや、ほんとに(笑)

Posted by: ヒロシレス | April 03, 2016 at 06:59 PM

通りすがりの皇帝ペンギンさん

お久しぶりです。

お子さまが小学校に上がる頃から競馬を始めたのですね。

競馬をやっていると、あの時はあんなことがあって、あのレースではあの馬が勝って、馬券は負けて悔しかったみたいに記憶が蘇りますね。

私もこれからも競馬と共にたくさんの良い思い出をつくっていきたいと思います。

あなたと競馬が、100年続きますように。

Posted by: 治郎丸敬之 | April 04, 2016 at 05:03 PM

ヒロシレスさん

ありがとうございます。

私は文化人ではなく、ただの競馬好きですが、私の書いた文章が何かの光になっているのであれば、それ以上に嬉しいことはありません。

これからも共に競馬を楽しみましょう!

Posted by: 治郎丸敬之 | April 04, 2016 at 05:05 PM

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