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藤田菜七子騎手への提言

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有馬記念や東京大賞典が終わり、年始ぐらいはゆっくりとしたいところではあるが、2016年の競馬を振り返ってみたいという衝動に駆られている。今年の日本の競馬は、小さくも大きく変わったところがあり、後世から見ると歴史の転換点となったと思われる出来事も多かったのではないだろうか。思いつくままに書くと枚挙に暇がないが、それらを5つの論点に分けて綴ってみたい。

まずはJRAの女性騎手としては16年ぶりになるという、藤田菜七子騎手のデビューについて。3月に川崎競馬場で初騎乗したことを皮切りに、4月10日には中央競馬の福島競馬場で初勝利(サニーデイズ)を飾り、その後も騎乗を積み重ね、今年度は地方競馬を合わせて307レースに騎乗した。計7勝、2着12回という成績には確かに物足りなさが残るが、個人的には307回のレース経験を積むことができたことに価値があると思う。

藤田菜七子フィーバーというべきか、所属した厩舎や調教師だけではなく、JRAからマスメディアまでが全面的にサポートした結果、藤田菜七子騎手は武豊騎手と並ぶ、競馬界のアイドルにまで登りつめた。藤田菜七子騎手より前にも、たくさんの女性騎手たちがデビューしたものの、大したサポートを受けずにターフを去っていったことを考えると、彼女の出現と時代がマッチしたからこその一大現象になったのだと思う。競馬の人気を回復させたい競馬関係者たちと、愛くるしいルックスを備えた女性騎手が、お互いを利用し利用される関係を築くことができたのである。

それはそれで良いことであるが、作られた現象は一過性のものになりやすい。藤田菜七子騎手は今のうちにひと鞍でも多く乗り、様々な経験を積み、騎手としての技術を磨いてもらいたい。藤田菜七子だからとか、女性騎手だからという理由ではなく、馬を勝たせてもらいたいから騎乗依頼をされる騎手になってもらいたい。一刻も早く。人々の熱が冷めるのはあっと言う間であり、スキャンダルが表に出たりすれば追い風は逆風に変わるかもしれない。彼女がタレントとしてではなく、騎手として生きていたいと思っている純粋な気持ちは、楽しそうに馬に跨っているその姿を見れば伝わってくる。だからこその提言である。

藤田菜七子騎手の目標とするリサ・オールプレス騎手は8歳の頃から乗馬を始め、20歳の時に見習い騎手として修行を始めた。ハードな見習い時代を経て、2000/01年のシーズンにはニュージーランドのリーディングで3位に入る活躍を見せ始める。見習い騎手としての修業時代を振り返った彼女の言葉は重い。

「お酒はもちろん、車の運転も控えるように厳しく指導されました。毎日、朝から晩まで仕事尽くし。馬に乗るだけではなく、馬房の掃除や餌やりや馬体のチェックなど厩舎作業の全般をこなしました。見習いの4年間は午後の休みが週に1回だけ、本当にハードな毎日だったけど、こなさなければ生き残っていけない。そういう世界ですよね。若い頃は体力をつけるために体も鍛えなければならない。厩舎作業は重たい物を持ったり、本当に大変な毎日でした。母が心配して何度も様子を見に来てくれたりしたけど、そのたびにボス(調教師)に説得されたんですよ」

見習い期間の4年間は、週末や土日も関係なく、休みは1週間に1日の午後のみ。ブラック企業も真っ青なハードワークだが、この時代があるからこそ今があるとリサ・オールプレス騎手は語る。現役の騎手たちだけではなく、世の多くの女性や男性にとっても耳が痛くなるような話である。健康管理や安全管理を徹底せよ。遊んでいては生き残っていけない、何かを捨てなければ何も成し遂げることはできない。彼女がこの4年間で学んだことは、もちろん厩舎の仕事や競走馬にたずさわる知識など多岐にわたるはずだが、何よりも自分の仕事や人生への向き合い方ではなかったのか。自分を信じ、自分の仕事に打ち込むことだ。

幸か不幸か、藤田菜七子騎手には4年間も猶予は与えられていない。誰も見ていない劇場でデビューすることができなかった藤田菜七子騎手は、仕事に臨む姿勢から自分自身に対する信頼まで、成功も失敗も全て見られてしまうのだ。願わくは、彼女の周りに厳しく指導できる大人がいてほしい。そして、繰り返しになるが、藤田菜七子騎手には人一倍、馬に触れて、乗って、学んでもらいたい。遊んでいる時間はない。日本の競馬の未来の一端はあなたにかかっている。

Photo by 三浦晃一

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