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戸崎圭太騎手とクリストフ・ルメール騎手のリーディング争いを見て

Tosakikeita

2016年のリーディングジョッキーは戸崎圭太騎手であった。これで2014年からの3年連続となる。騎手になるために生まれてきたような天才型のジョッキーであり、もともとダート競馬よりも芝向きのスタイル(あえて言うならばハイブリッド型)であったため、中央競馬で頭角を現すのも時間の問題であった。美浦を所属としたことも上手く機能している。それにしても、と思う。それにしても、3年連続で全国リーディングを獲ってしまうとは、驚き以外のなにものでもない。特に今年は、クリストフ・ルメール騎手とミルコ・デムーロ騎手がほぼフル参戦しての争いであり、前年を大きく上回る187勝を挙げてのものだけに、文句をつけようがない完勝であった。

戸崎圭太騎手の騎乗をひと言でいうと、道中はソツがなく、勝負所からが多彩ということか。ミルコ・デムーロ騎手や川田将雅騎手、岩田康誠騎手のように、積極的にレースのベストポジションを狙って馬を出してゆくタイプではなく、スタートしてから勝負所に至るまではひたすら静に徹している。余計なことをせず、その馬のリズムで走らせて負担を最小限に抑えて回ってくる。自分が馬券を買っている馬であれば、ときとして不甲斐なさや物足りなさを覚えることもあるが、客観的に見れば、騎乗馬の力を100%引き出すことに長けているということだ。

特筆すべきは、勝負所からの馬の追い方である。馬のタイプや馬場状態、同じレースであっても騎乗馬の余力や他馬との手応えの違いなどに応じて、馬を追うスタイルを変幻自在に変えている。たとえば、中央競馬の競馬学校で習うような正統派スタイルで追ってくることもあれば、馬の動きに合わせて自分の重心を動かして激しく追う、いわゆるブランコ乗りと呼ばれる追い方をすることもある。どちらが良いということではなく、それらを組み合わせて、馬が最も力を発揮できるように走らせるのである。このあたりの柔軟性を持つことは案外難しい。

たとえば、昨年のG1オークスにおける騎乗を例にとってみると、最後の直線ではチェッキーノをヨーロピアンスタイルで激しく追っていた。結果的には惜しい2着ではあったが、距離が少し長いと思われていたチェッキーノの脚を最後までグッと伸ばしたのは見事であった。限界まで力を出し切らされたチェッキーノはその後、ターフに戻ってくることなく引退してしまったが、裏を返せば、それだけ戸崎騎手はビッシリと追うことができるということである。対して、ヴィクトリアマイルにおいては、ストレイトガールのスピードを殺すことのないよう、スタートからゴールまでピタリと馬の背に張り付くようなアメリカンスタイルで騎乗していた。馬のタイプや余力によってスタイルを使い分けることができるのだ。

別に戸崎圭太騎手の素晴らしさを語るために、この記事を書いたわけではない。そんなことは競馬ファンならば百も承知だろう。私が言いたかったのは、地方競馬出身の戸崎圭太騎手とフランスからやってきたルメール騎手の2人がリーディングを争ったという事実を見て、誰がどう考えても、もうそろそろ日本の騎手免許制度や競馬学校のあり方を見直す時期が来ているのではないかということである。守るべきものがあることも分かる。しかし、一部の者たちにしかチャンスが与えられず、そうして生まれた限られたパイを培養して守ってゆく時代ではない。いきなり全てを変えるということではなく、変化を恐れることなく少しずつ変化し、誰にでもどこからでも頂点を目指せるシステムを完成させるべきではないだろうか。

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Photo by 三浦晃一

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Comments

競馬学校騎手養成課程は通常中学卒業後すぐに入学で卒業は18歳だったと思います。
そしていきなりレースに臨んで歴戦の先輩と戦う訳です。
その為には騎乗技術のみではなく人としてのマナーも大切になってくると思います。
1頭何千万円もする競走馬に乗って沢山の人の様々な思いとともにレースで戦うわけです。
成人前の未成年がこれだけの社会的責任をいきなり背負わせられると言う事です。
たまたま勝ち星に恵まれて今まで見たことも無い大金を手に入れることがあるかも知れません。
舞い上がるなと言う方が無理かもしれませんし、道を踏み外す可能性も否定できません。
競馬学校には人としての社会教育・躾をしっかりする役割があり、公正競馬を担保する意味でも競馬学校は必要だと思います。

Posted by: アダチ@おかやま | January 31, 2017 at 06:38 PM

地方競馬と中央競馬の騎手の区分や養成過程を見直すべきだと思いますが、縦割り行政のような障害があるのでしょうね。

Posted by: Masaki Yoshio | January 31, 2017 at 11:40 PM

アダチ@おかやまさん

こんにちは。

競馬のジョッキーはアスリートですから、他のスポーツと同じく、若くから活躍する人も出てくると思います。

もちろん大金の掛かったレースに乗ることもありますし、同世代の友人とは比べ物にならない大金を手にすることもあるでしょう。

そういった意味でも、競馬学校の存在自体は否定しませんが、結局のところ、プロとしてのジョッキーを育てるのではなく、JRAお抱えの騎手を育成しているだけになっているのが問題なのだと思います。

ボクシングに公認のボクシング学校がなく、野球に公認の野球学校がないように、様々なルートから淘汰を繰り返してピラミッドを登ってくるような仕組みが必要なのではないでしょうか。

もはや日本の競馬が日本の競馬学校出身者だけで独占される時代ではありませんので、育て方も変わってきてしかるべきですよね。

公正競馬という点では一理ありますが、競馬学校の教育だけが公正競馬を担保できるとは思えませんし、それこそ仕組みが必要な部分だと思います。

Posted by: 治郎丸敬之 | February 01, 2017 at 09:00 PM

Masaki Yoshioさん

こんばんは。

縦割りの問題もあると思いますが、外からジョッキーが出入りすることで、最初は針の穴のつもりでも、気がつくと大きな穴になっているということが起こるから、本能的に反対する人たちがいるのだと思います。

Posted by: 治郎丸敬之 | February 01, 2017 at 09:08 PM

次郎丸さん、こんにちは。

「1頭何千万円もする競走馬に乗って沢山の人の様々な思いとともにレースで戦うわけです。
成人前の未成年がこれだけの社会的責任をいきなり背負わせられると言う事です。」
こういう責任感を持って仕事をするのがプロの騎手だと思います。
責任感は仕事をしていく中で培われる部分もありますが、その間の成長過程を責任を持って見守れる人がいるのでしょうか?

ここは一つ競馬学校が設立された過程を歴史をひも解いて調べてみる必要がありそうですね。
その設立のミッションが達成されているのならば競馬学校は必要がなくなるわけですから。

「様々なルートから淘汰を繰り返してピラミッドを登ってくるような仕組みが必要なのではないでしょうか」
この意見には大賛成です。それがスポーツとしての競馬を面白くする要因の一つになると考えるからです。
その観点から考えるとエージェント制度も一つの弊害になりはしないでしょうか?

ただ、これで思い出したのが10年ほど前になりますが、名古屋で10年連続リーディングを取っていた騎手がついに中央競馬の騎手になれなかった事実です。

Posted by: アダチ@おかやま | February 02, 2017 at 02:00 PM

アダチ@おかやまさん

おはようございます。

競馬学校自体はあってしかるべきだと思いますが、入口はひとつではない方が良いのと、おっしゃるように、その成長過程の方が大切なのかもしれません。

藤田騎手について伊藤雄二元調教師が、せっかくの素晴らしい素質を持った植物もきちんとした方向に剪定してあげないといけないという主旨のことを書いていました。

競馬学校が成長過程を見守れているとは思えませんし、騎手になってからの方が大変な競争を強いられる以上、誰が見守るのかというと周りの人たちということになるのでしょう。

エージェント制については、便利な面もあればもちろん弊害もあるのだと思います。とはいえ、これだけ複雑になった関係性をジョッキー自身が管理して騎乗するのは至難の業だと思います。

名古屋の騎手は私も応援していましたが、とても残念でしたね。シーザリオの桜花賞が大きな転機になったと思います。

Posted by: 治郎丸敬之 | February 03, 2017 at 08:24 AM

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