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君の名は

Yuichi

熱狂的というわけではなく、どちらかというと付かず離れずという表現が適切だろうか、福永祐一騎手をデビューの頃からずっと応援してきた。その名前の由来を知って、彼を応援しないわけにはいかないと思ったのだ。私の敬愛するミスター競馬と称される野平祐二騎手の祐と、日本競馬史上に残る偉大なジョッキーである父福永洋一騎手の一を取って、彼は名付けられた。彼がジョッキーになるのは運命であり、必然でもあった。ただそうした大きな期待が、彼にとっては大きな重圧や失望となり続けたこともまた事実である。なぜなら彼は野平祐二や福永洋一ではなかったからだ。

どの世界においても、努力の上に才能がある。努力し続けることができるのも才能のひとつだが、頂点を極めるためにはそれ以上の才能が求められる。努力だけでは如何ともしがたい才能である。頭脳でも肉体でも精神でも、ある世界を極めようとすると、そうした自分にはない種類の才能を持った人間が目の前に現れる。どれだけの時間を掛けて努力しても敵わないと悟ったとき、私たちは夢をあきらめて彼らを応援する立場に回ったり、別の生きる場所を探したりするだろう。でもそうはできない人間もいる。その世界で生きることが定められている人たちである。

自分が生きていかざるを得ない世界で、自分には才能がないと知ることはどのような気持ちだろうか。自分にトップに立つ人間が持つ輝きがないと悟り、騎手を続ける気持ちを失ってしまったこともあったに違いない。私たちには見えないところで、福永祐一騎手の心は右往左往していたはずである。それでも彼はいつしかジョッキーを続けることを選んだ。ただ続けるだけ、辞めないだけではなく、ジョッキーとしてできる限りの努力をしようと決心したのだ。藤原英昭厩舎の門を叩き、プライドを投げ捨てて、馬乗りの基本から学んだ。初心に帰り、動作解析やプロのトレーナーをつけ、フィジカルトレーニングを積み、科学的なアプローチで騎乗姿勢を見直し、安定化させた。

今年のダービーの最後の直線で、福永祐一騎手がワグネリアンを追う姿には、そんな彼の努力が凝縮されていた。勝ちたいという気持ちが先走って、少しだけ姿勢が浮いているように見えるのは愛嬌だが、あれだけの状況でも基本に忠実に馬に負担を掛けないように追うことができたからこそ、最後のひとムチに応えて、ワグネリアンがグッと伸びてくれたのだ。もちろん、道中のポジション取りも、馬の御し方も、脚の溜め方もパーフェクトであった。何よりも大一番で、馬を出していく決断をし、実行に移した最後の決め手は、福永祐一騎手の日本ダービーを勝ちたいという強い気持ちであった。それは努力をし続けてきたことで鍛えられた心であり、彼の強い心は才能がない人間による努力の賜物なのである。私には、福永洋一と野平祐二の名を継ぐ福永祐一が輝いて見える。

Photo by fakePlace

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