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「クリストフ・ルメール 挑戦」

Challenge

久しぶりに馬券とは関係ない競馬の本を手に取り、書評を書いてみた。外国人として初めてのJRA騎手となり、今年で4年目を迎えるクリストフ・ルメール騎手について、幼少時代から現在に至るまでの軌跡が描かれている。さすが競馬関係者を取材させたら右に出る者はいない著者・平松さとしさんの筆によるものだけあって、対象者とも身近な距離感であることを感じさせてくれる。

ただ個人的に残念に思ったのは、本書の大部分が最近の日本競馬におけるエピソードであり、私はそれ以前のルメール騎手の生い立ちや歩みがもっと詳しく知りたかった。妻バーバラさんとの出会いや日本の競馬に挑戦するまでの葛藤など、彼がどのような過程を経て、ジョッキーとしてここまで大成することができたのか、多くの競馬ファンはこれっぽっちも知らずに馬券を買っているのだ。

ルメール騎手は幼い時期から、「お前の性格は騎手に向いていない」と父親から言われ続けたという。競馬や騎手の世界に決して理解がなかったわけではなく、むしろ父自身も障害のジョッキーであり、親戚にも騎手が多くいたそうだ。

「父は『ジョッキーの世界はボクシングと何ら変わらないと思う』と言いました。僕は大人しくて優しい性格だったから勝負の世界には向いていないと思ったようです」

ルメール騎手の言動からは、彼の優しさや紳士であることが伝わってきて、確かにジョッキーという厳しい勝負の世界に生きるのが合っていないと考えた父親の気持ちも分からなくはない。しかし、彼はジョッキーとして生きていく上でもっと大切なもの、クールな頭脳を誰よりも持ち合わせているのである。勝負の世界では誰もが熱くなる分、最後の勝敗を分けるのは冷静さなのであろう。

ルメール騎手は競馬学校には行かせてもらえなかったという。昔、映画「ジョッキーを夢見る子供たち」中の凱旋門賞のパドックのシーンにて、ルメール騎手があこがれのジョッキーとして登場したことを鮮明に記憶しているので、彼も競馬学校の出身かと思っていたがそうではないようだ。高校の休みの日を使って、メゾンラフィットやシャンティイに行って調教に乗らせてもらうことから始め、ようやく半年がすぎてラーンゴーという小さな競馬場でデビューすることができた。

1年目は9勝しか挙げることはできなかったが、2年目は飛躍を遂げ、インドの競馬場で活躍したことを機にフランスのエージェントに認められるようになった。そこからはとんとん拍子に出世を果たし、2003年にはフランスでG1レースを初めて勝利した。おそらく最初から素質に溢れるジョッキーだったのだろうし、見出されるのにさほど時間は要しなかった。その後、ディヴァインプロポーションという名牝との出会いが、彼を一流のジョッキーへと導くことになる。

最後に、ルメール騎手は日本の若手騎手たちにこうアドバイスを送る。

「若いジョッキーはもっと積極的に海外へ行っておくべきだと思います。賞金だけでなく、言葉の問題もあるかもしれませんけど、レースに乗れても乗れなくても、外国で苦労した経験というのは必ず自分の人生に生きてきます。そうしてきた僕が言うのだから間違いありません」

耳の痛い話ではないか。積極的に海外に飛び出す若手ジョッキーなど、両手で数えられるほどである。外国の競馬場ではほとんど乗らせてもらえないし、賞金を稼ぐことも難しいだろう。英語すらまともに話せないだろうから、調教師とのコミュニケーションもままならない。そう考えると、日本の競馬学校に行かず、海外に飛び出してジョッキーとなり、外国の競馬場で活躍している藤井勘一郎騎手などの日本人ジョッキーとは大きな差がついてしまっているはず。モレイラ騎手などの超一流ジョッキーは分かりやすい脅威だが、最も恐ろしいのは海外で育って、海外の競馬場を渡り歩いている日本人ジョッキーということなのではないだろうか。この門戸こそが実は中央競馬のパンドラの箱なのである。

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