大きく考える

Wtsatuki16

痺れ上がった頭のままでこれを書いている。前述した観戦記よりも前に、今の考えを書き留めておかないと混乱が収まらないと思い、書き始めた。何が私をそこまで感情的にさせたかというと、皐月賞の奇想天外なペースや展開ではなく、勝った馬である。私の本命のリオンディーズが敗れたのは仕方ないとして、マカヒキやサトノダイヤモンドが勝ったのならあきらめがつくとして、そうではなく、大外から突き抜けたのがディーマジェスティであったことだ。

競馬ファンならば、ひとつ先のレースで狙おうと考えていた馬が今回のレースで勝ってしまい、悔しい思いをしたという経験のひとつやふたつはあるだろう。私にとっては、このネタはひとつ先のレースのために取っておいたのにという感覚と同じ。まさにディーマジェスティがそれであった。共同通信杯を勝ったとき、あのシンコウエルメスの孫にあたることに気づき、蛯名正義騎手の初勝利を願う意味も込めて、日本ダービーでこのネタを使って狙ってみようと考えていたのだ。

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ご存じない方に、今さらながらに紹介しておくと、シンコウエルメスは今から20年ほど前に藤沢和雄調教師のもとにいた、父サドラーズウェルズ、母ドフザダービー、兄にジェネラスやオースミタイクーンがいる超良血馬である。同期のシンコウウィンディやシンコウフォレストよりも遥かに期待されていたが、第2戦目のレースのためにウッドチップコースにて追い切りをかけていたその時、シンコウエルメスの脚が突然止まった。鞍上にいた橋本広喜騎手はすぐさま下馬し、トレセンの診療所に運んでレントゲンを撮ると、左前脚の第1指骨を複雑骨折していたのだ。競走生命というよりも、命すらも危ぶまれる重傷であった。

「普通なら安楽死させるケースです」

そう獣医師に言われたにもかかわらず、安田オーナーや藤沢和雄調教師をはじめとするスタッフが一丸となり、目の前で死の淵に立っている牝馬を助けたいという一心で手術が行われた。手術後に発熱や下痢、患部の細菌感染といった合併症を引き起こしたが、厩務員による献身的な看病のおかげで、シンコウエルメスは一命をとりとめた。「競走馬私論」(藤沢和雄著)でこの話を読んだとき、いつかシンコウエルメスの血を授かった馬が大きなレースで活躍することになるだろうと直感した。藤沢調教師の言葉を借りるならば、馬の恩返しである。あれから20年が経ち、シンコウエルメスの名前すら忘れかけていたとき、ディーマジェスティが私の目の前に現れたのであった。

(私にとっては)ここまで壮大なストーリーがあったにもかかわらず、あと回しにしてしまったのは、皐月賞に関しては3強と称された3頭のいずれかが勝つと考えていたからだ。正直に言うと、共同通信杯以来の成長力を加味しても、ディーマジェスティの現在の完成度では皐月賞の時点で3頭に先着するのは難しいだろうという計算が働いていた。それはそれで間違ってはいないのだけれど、結果としては、展開によって全てがひっくり返った。普通に考えれば、3強が前に来る可能性の方が圧倒的に高かったはずだが、ディーマジェスティが勝つ可能性もゼロではなかったということである。

上手く言い表せないけれど、私は大きく考えられなかったのだ。大きく考えられなかったばかりに、せっかくの壮大なストーリーは使われることはなく、私も大きく成功することもできなかった。たとえ大きく考えたとしても、大きく賭けなければ、大きく成功することもないが、どちらが先かというと、大きく考えることである。大きく考えなければ、大きく賭けることはできない。つまり、人生に大きく成功するかほとんど成功しないかは(人生に失敗はない。成功するかしないかだ)、どれだけ大きく考えることができるかどうかで決まるのだ。もっと大きく考えなければならない。競馬も人生も、私が考えているよりも遥かに大きいのだから。

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その喜びは何ものにも代えがたい

Sankeiosakahai2016wt

競馬をやっていると、ときには良いこともある。自分の考えていたとおりにレースが流れ、馬券を買っていた馬が勝ったときの喜びは何ものにも代えがたい。馬券が当たったことによる配当など(私の場合)たかが知れているが、「勝負で稼いだ金は、働いて稼いだ金の2倍の価値がある」(映画「ハスラー2」)という名言があるように、他の仕事で得たお金の何倍も嬉しく、むしろお金という尺度では測ることのできない価値がある。負けることがほとんどである状況において、ときとして競馬の神様に認められたような、自分自身と競馬の世界が一体になった瞬間を味わうことができるのだ。

何よりも痛快だったのは、横山典弘騎手がアンビシャスを先行させ(2番手)、逃げるキタサンブラックをゴール前で交わして抜け出したことである。私は週刊「Gallop」誌上の連載「超・馬券のヒント」にて、ルメール騎手から横山騎手に乗り替わったアンビシャスが前にポジションをして勝利することを予想していた。ルメール騎手が根気強く折り合いをアンビシャスに教え込んできたことが実りつつあり、なおかつバトンが自分にわたってきた以上、ルメール騎手と同じように乗っては意味がないと横山騎手は考えるのが自然だからである。

かつて横山典弘騎手と武豊騎手は、乗り替わりにおける騎乗について、以下のように週刊「Gallop」誌上の対談で語っていた。

武豊
「言われた(指示された)としてもちょっと気持ちが動くぐらいで、変えることはないですよね。でも実際は調教師さんや馬主さんの意図はレース前から分かるじゃないですか。たぶん、こう乗ってほしいんだろうなって。乗り替わりのときなんか、前のジョッキーがどういう乗り方して負けたとか、分かるから」

横山典弘
「だいたい、こういう過程でオレに回って来たとか、だからこう乗ってほしいんだなとか」

武豊
「言われなくても、考えますものね。前回、内でなかなか出られなくて負けたなら、またわざわざ内を突くこともないかなとか」

横山騎手はアンビシャスにどう乗るべきなのか自ら考え、これまでのアンビシャスのレースぶりと陣営の気持ちを推しはかった結果、前に行く競馬をする(試してみる)べきだという結論に至ったのだろう。もちろん、そうすることが産経大阪杯の勝利につながるはずという計算が根底にあった。後ろからポツンと行って、たしかに素晴らしい脚で追い込んで来るだろうが、また届かない可能性は十分にあった。それならば、一か八か、もし前に行って引っ掛かって負けてしまったら仕方ない、アンビシャスの可能性を広げる乗り方をしてみようと考えたのだ。それは横山騎手の思いつきというよりは、これまでのアンビシャスの走りを踏まえつつ、陣営の思惑を察しての結論であった。報道では、先行することを横山騎手から提案したことになっているが、オーナーのことも考え、陣営の思惑と自分の考えをすり合わせたということだろう。

競馬はほんとうに難しい。馬券が当たらなければ楽しくないし、当たったとしても、自分の考えていたとおりではなく、偶然にすぎなければ面白くない。競馬ではなく、サイコロでもジャンケンでも良いことになる。競馬というスポーツを理解し、楽しめるようになるには、途方もない時間とお金が必要になる。時間やお金だけではない。何といっても、傷つけられても立ち上がる心と根気がなければ続けられない。続けられなければ、たまにやってくる束の間の喜びも味わえないのだ。だからこそ、この知的なゲームを探求し、そこから何かを学び、競馬を愛し続けることのできる者を私は心から尊敬してやまない。

 

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守りは習性となり、いつのまにか生き方となる

Yasuda2014wt

久しぶりに胸が張り裂けそうになったレースであった。もう20年以上も競馬をたしなんでいると、馬券で負けることには慣れっこになり、悟りの境地に至るものだが、さすがに今年の安田記念ばかりは冷静に見ていられなかった。といっても、ゴール前でジャスタウェイとグランプリボスが激しく叩き合うシーンに興奮したということではなく、極めて個人的な事情で、全身から汗が噴き出したのだ。実は、前記2頭のどちらかの単勝を買うべきか当日の朝まで迷いに迷って、私は前者を選んでいたのである。

馬の体調や仕上がりを判断するとき、私は立ち写真を使っている。レースに出走する馬たちの立ち写真を見て、最も馬体が良く見える馬の単勝に賭けるのだ。だいたい本番1週間前の追い切りの前後に撮られることが多く、その時点で馬体がどれだけ仕上がっているか、疲れが残っていないか、気持ちが安定しているかどうかなどを、馬が立っている姿を映した写真から見て取る。写真1枚からそんなことが分かるのかと訝しがる方もいるだろうが、分かるのである。馬体は語るのである。

今年の安田記念はグランプリボスが良く見えた。私は①胴体②バランス③毛艶④メリハリ⑤目、顔つきの5点を意識して馬の馬体を見ているが、これまでの出走レースと比べても、他の出走馬と比べてみても、グランプリボスの馬体は総合的に際立っていた。特筆すべき点こそないが、筋肉には柔らかみとメリハリがあり、リラックスして立ち、毛艶も申し分ない。レース間隔が開いたことで、馬がかえってリフレッシュできたことが、その顔つき(表情)から伝わってきた。

もちろんジャスタウェイも良く見えたことは確かである。胴部や首がスラリと長い馬体は中長距離馬のそれであり、父ハーツクライ譲り。今回のような道悪でスタミナが問われるレースには適していると思えた。ドバイに遠征し、あれだけ激走をした反動は馬体からは微塵も感じられなかった。やや気がかりだったのは、表情に僅かながら反抗心が見られたことぐらい。さすがのジャスタウェイも、精神的には少し参っていたのかもしれない。

それでは、なぜ私はグランプリボスの単勝を買わなかったかというと、怖気づいたのだ。買わなかったのではなく、買えなかった。「阪急杯を回避したことで、追い切りが1本足りない」という陣営の言葉を聞いて不安になり、ジャスタウェイのここ3戦の圧倒的な強さを観て弱気になったのである。最終的にはジャスタウェイの単勝は1倍台に下がり、グランプリボスのそれは100倍を超えていた。最後の最後に、私はグランプリボスの評価を少しだけ下げ、ジャスタウェイを少しだけ上げて本命に推した。最後の直線でグランプリボスが勢い良く馬群から抜け出したとき、身体が震え、恥ずかしいことに、グランプリボスに負けてほしいと心の底から願ったのだ。

レースが終わったのち、的中馬券を手にしているにもかかわらず、私は大きな敗北感を味わった。自分の馬を見る目を信じられず、最も良く見えた馬に賭けることができなかった。私はジャスタウェイが結果的にハナ差で差し切ることを見切っていたわけではない。目先のわずかな勝ちを取りに行っただけのことだ。それの何がいけないかというと、次に同じような状況に陥ったとき、私は再び守りに入り、今度こそ、千載一遇のチャンスを逃してしまうことになるだろうから。自らの手で自分の限界を狭め、未来における大きな勝利を失うのだ。守りは習性となり、いつのまにか生き方となる。

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考えることは攻めること

Racingseminar

「オープン型レーシングセミナー」に出演させてもらい、エーシントップに本命を打ち、悔しい思いをしたので、久しぶりに馬券の失敗学を書いてみたい。結果が出たあとで手に取ってみると、押し出されるようにして人気になってしまった馬に、押し出されるようにして本命を打ってしまった、情けない馬券である。当てにいったつもりはなくとも当てにいっている、、無意識のうちに守りに入った馬券である。自信を持って自ら選択した馬ではなく、消去法で残った確率の高そうな人気馬に本命を打っている。個が立っていない馬券とも言える。

ニュージーランドTとNHKマイルCは、同じ1600mのレースであっても、全くもって異質なレースである。中山のマイル戦と東京のマイル戦では、芝の状態やコースの形態から道中のペース、直線の長さや坂の位置に至るまで、あらゆる全ての体感が異なる。そのため、レースを勝つために問われる適性が異なり、勝ち馬も違うことが多い。ニュージーランドTが中山競馬場で行われるようになって以来、ニュージーランドTとNHKマイルCを連勝した馬はカレンブラックヒルしかいない。ニュージーランドTが東京1400mで行なわれていた頃よりも、明らかに結びつきが弱くなった。

特に、今年のようにニュージーランドTがスローに流れた場合は、余計に結びつきが弱くなる。なぜかというと、NHKマイルCは総じてハイペースに流れることに加え、最後の直線が長く字ヅラ以上にスタミナが問われるからだ。小回りの中山1600mでスローに流れたレースで結果を出した馬たちが、府中のマイル戦の厳しいレースに巻き込まれたら、戸惑いを隠せないはず。むしろスローに流れたニュージーランドTでは差し脚やスタミナが生きなかった馬たちこそが、漁夫の利を得たり、力を十全に発揮できる舞台となる。

それを分かっていながらも、エーシントップに◎を打ったのは、ニュージーランドTの勝ち方に余裕があったからだ。ゴール前、エーシントップの耳は完全に絞られておらず、横を向いていた。ゴールまで必死になって走ったのではなく、ムキにならずに走り、他馬に抜かされそうになったから踏ん張った。自らガーっと走ってしまう短距離馬にしては珍しいタイプではあるが、だからこそエーシントップはこれまで2着馬を大きく離して勝ったことがないのである。つまり、ニュージーランドTにおけるエーシントップは着差以上に強かったということである。それ自体は間違いではない。

たとえレースが異質であり、結びつきが極端に弱くとも、ニュージーランドTを余裕勝ちしたエーシントップがNHKマイルCでもセーフティーリードを守り切る。そう考えた時点で、本来は専ら考えるべき、ニュージーランドTで差し損ねた馬たちの巻き返しについて考えることを止めてしまったのである。そして、実際のところ、NHKマイルCは厳しいレースとなり、スタミナ勝負に強い差し馬にとって逆転のチャンスが生まれた。ニュージーランドTでは出遅れて、馬群の外を回して追い上げたマイネルホウオウが見事に巻き返したのだ。スプリングSでも差し損ねて3着に来た走りを含めると、ニュージーランドT巻き返せる可能性を秘めた1頭であったことは確かである。

考えを止めることは守ることである。世の中で言うところの守りに入った人とは、つまり思考停止した人と言い換えることができるだろう。考えることを止めた人たちには、ゆるやかな安心の時がもたらされるが、別の新しい可能性は見えない。本当の宝物はそちらに埋まっていたとしても、探し損ねるのではなく、探すことさえできない。攻めの馬券や守りの馬券があるのではなく、ただ考え続けるかどうかが重要なのである。考えることは攻めることなのだ。

Wtnhkmile13

Photo by Ichiro Usuda

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まずは己と向き合え。

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誤解されるかもしれないのであらかじめ言っておくと、これは有馬記念ではなく、ジャパンカップの馬券である。ローズキングダムとヴィクトワールピサのハナ差は、あらゆる意味で大きな鼻の差であった。もしローズキングダムが不利を受けた後に、ヴィクトワールピサをも交わすことなく、3着に敗れてしまっていたとしたら、果たしてどんな結末になっていただろうか。それでもブエナビスタは降着となり、2着のヴィクトワールピサが繰り上がって優勝となれば、私の単勝馬券はなんと28万2000円に化けていたはずである。

でも、自分で言うのもなんだが、そんな結末はどうもしっくり来ない気がする。棚からぼた餅というか、負けたのに勝ったということになってしまったという感覚。ルールならば仕方ないが、勝負には負けたということになる。スポーツとしては楽しくないのである。

今回の降着について様々な意見があったが、最も多かったのは、裁決の基準をもっと透明化してほしいという意見ではなかったか。グレーな部分があるから審議にも時間が掛かり、ファンも決定に納得しないのだという論である。確かにその通りだと思う。数値化された基準や明確にグローバルスタンダードがあれば、白黒はつけやすい。

ただし、グレーな部分があるということにも大きな意味がある。競馬をスポーツもしくはブラッドスポーツとして考えた場合、そのレースにおける強い馬が勝つことに価値があり、強い馬が歴史に名を残すべきである。もし単純な基準だけではアウトになってしまうケースでも、被害を受けた馬への影響が少ない、もしくは不利がなくても着順は変わらないと明らかに判断される場合には、セーフとするのが正しい判断だと私は思う。単一のルールによって、世の中の全てが白か黒かを決められてしまうほど恐ろしいことはない。杓子定規ではなく、本当の意味で正しい総合的判断をするには、人間的(グレー)な部分も必要なのではないだろうか。

たとえば2008年のオークスにおけるトールポピーの裁決と今回のそれを比較することは、ナンセンスだと思うのだ。文脈が違う2つのレースを比較してはならない。大まかに言うと、トールポピーのオークスにおける斜行は、被害馬に乗っていたジョッキー達から、馬の能力発揮には影響はなかったという見解が発せられていた。実際のレースに乗っている者にしか分からない感覚もある。そういう意味で、関係者に事情聴取をするのも当然のことだ。

対して、今回のジャパンカップにおける降着は、被害馬ローズキングダムは能力発揮に大きな影響を受けた(着順が変わった)という見解があってのものである。明らかに脚色が違ったように見えるが、東京スポーツ杯でトーセンファントムを差し返したことのあるローズキングダムのことだから、あそこから巻き返して勝利できた手応えはあったと言われたら否定はできまい。そう考えると、誰にとっても正しい決定などないのかもしれない。

それよりも、私たちにとって、もっと大切なのは、なぜブエナビスタはあそこまでヨレたのか、ということではないか。これまでのレースでは見せたことのない彼女の走りを見て、私たちは何を感じ取るべきだったのか。さすがのブエナビスタにとっても、最後の直線での攻防は意外に苦しかったということだろう。極限を超えていたと言ってもよい。大外枠からの発走のために外を回りつつ、他馬よりも長い距離を走らされ、直線では一気に追い出されて、苦しがったのである。そう考えると、実は薄氷を踏むような危ない勝利だったことが分かる。圧勝したように見えても、ちょっとしたミスやロスがあれば、ブエナビスタが負けていた可能性だって十分あったということだ。

ジャパンカップで1番人気に祭り上げられ、チャンピオンディスタンスを走って一流の牡馬を相手に勝つということには、私たちの想像を超える困難さがあったに違いない。いくら脚が速く飄々としていても、彼女はやはり牝馬なのである。降着に対して痛烈な批判をするのも、ブエナビスタの強さを感情的に称えるのも、降着で馬券が当たることを期待するのもいいが、競馬と向き合うことがまずは必要なのである。己の馬券と向き合って、なぜそういう結末になったのか、もう一度考えてみようではないか。そうすることでこそ、私たちは未来(有馬記念)とつながることができるのだから。


関連リンク
「SANSPO.COM」:審判担当者に聞く、ブエナ降着は被害重視

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馬場に敏感、距離ロスに鈍感。

Elizabethwt10

別に、内を通っていたら勝っていたなんて言わない。メイショウベルーガは日本馬の中では最先着したが、スノーフェアリーはさすがに強かった。イギリスとアイルランドのオークスを勝ち、夏場もろくに休むことなく走り、それから日本に空輸されてこれだけの走りを見せるのだから、グウの音も出ない。ブエナビスタがオークスを勝ち、その秋に凱旋門賞に挑戦しようとしたが、体調が整わずに断念したことを思い出せば、いかにスノーフェアリーが凄いか分かるだろう。

ただ、スノーフェアリーとメイショウベルーガとの間に、4馬身もの力差があったかというと疑問である。ムーア騎手とスノーフェアリー1頭だけが内を突いたため、まるで別次元の競馬をしたように錯覚してしまうが、果たしてそうであったのか。私の目には、4馬身の差はそのまま最終コーナーでのコーナリングの差にあったように映って仕方ない。JRAが公開している全周パトロール映像を見てみれば、第4コーナーで内ラチ沿いピッタリを回ったスノーフェアリーに対して、外へ外へと膨れたアパパネやメイショウベルーガなどの日本馬との間に、大きな溝が開いていることが分かる。駆けっこに夢中の小学生でも、「そんなに外を回したら勝てないよ」と素直に思うだろう。

日本のジョッキーたちはレース後に何と言うのだろう、と私は興味津々であった。さすがにこれだけの辱めを受けたら、外を回しすぎたという後悔や反省の弁が聞けることを期待した。ところが、メディアを通して日本のジョッキーたちから出てきた言葉は、「勝った馬は強かった」というニュアンスのものばかりであった。私の知る限りにおいては、誰ひとりとして通ったコースやコーナリングに言及する者はいなかった。それは競馬メディアも同じである。もしかすると、誰しもが分かっているから言わないのか、それともジョッキーの乗り方について批判してはならない暗黙の了解でもあるのか。実に不思議な感じがした。

日本のジョッキーたちは、馬場の悪い内側を通って勝ったスノーフェアリーは圧倒的に強い、だからこそ、負けたのは自分たちのミスではなく非もない、と今でも本気で思っているのである。その考えが伝染した競馬メディアに関わる人々も同じ。そして、そのメディアから流れる情報を鵜呑みにする競馬ファンも然り。

でも、本当に内の馬場は悪かったのだろうか。わずか468kgの馬体重で牝馬らしく細身なスノーフェアリーが、しっかりとした脚取りで駆け抜けた姿を直視しても、内を走ると勝てなかったと言い切れるのか。馬場の内側が傷んでいたのは確かだが、気にするほどでもなかったというのが真実なのではないだろうか。

日本のジョッキーは、馬場に敏感で、距離ロスに鈍感なのである。武豊騎手が強いサンデーサイレンス産駒に跨って、馬場の良いところを走って勝ちまくった印象からなのか、外差しという言葉を使ってやたらに馬場を気にする予想家たちの影響からなのか、それとも外を回らされてしまった自分たちにとっての言い訳として考えているのか。馬場の良いところを走らせることに敏感なのである。その反面、外を回してしまって負けても、あっけらかんとして「馬場が…」などと言っている。欧州の重く深い馬場で乗っているジョッキーたちにとってみれば、日本の短くて軽い芝で馬場が重いと言われて内が開けば、笑いが止まらない。日本のジョッキーはコーナリングにおける距離ロスに対して、あまりにも鈍感なのである。

日本人ジョッキーが乗る馬の単勝を買った自分を棚に上げて、敢えて言っておきたい。

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競馬の神様はいずこに?

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私にとっては痛恨の馬券であった。競馬の祭典ダービーだというのに、当日にどうしても外せない仕事が入り、現地で観戦できなかっただけでなく、前日に馬券を買わなければならない羽目になってしまったのだ。前日に購入することは慣れているのだが、その日、雨が降っている場合だけにはどうしても慣れることができない。このまま雨が降り続き、重馬場になるのか、それとも当日には降り止んで、良馬場での戦いになるのか。ここの見極めは難しい。

今年のダービーに限っては、雨が残るだろうという憶測(臆病な観測)のもと、良馬場であればかなりの自信があったディープスカイへの賭け金を下げた。ただでさえ何が起こるか分からない中で、さらに何が起こるか分からないのが重馬場の競馬というものだからだ。ディープスカイの切れすぎるほど切れる末脚も、あまりにも馬場が悪ければ削がれることもあるだろう。今年のダービーは控除率が5%も引き下げられるプレミアムレースで、大きく賭けるつもりだっただけに、なおさら忸怩たる思いではあったことは確かだ。

そんな私の暗澹たる思いとは裏腹に、ディープスカイに跨った四位騎手の騎乗は見事なものであった。スタートしてから全くの馬任せで第1、2コーナーを回り、向こう正面に至って先頭を走る馬との差が大きく開いているにもかかわらず、全く慌てることなくディープスカイのリズムで走らせていた。四位騎手の隣をフロテーションに乗って走っていた藤岡祐騎手が、「1コーナーで四位さんは笑っているように見えた」と言う気持ちもよく分かる。いくら末脚に自信があっても、おそらく中団でレースを進めるのではと考えていた私にとって、四位騎手の揺るがない騎乗には身の引き締まる思いがしたものだ。昨年のダービーをウオッカで勝った自信と余裕からなのか、それとも腹を括っているのか。おそらくどちらでもあったのだろう。一世一代のダービーで、勝ちたいという思いを完全に消し去ることの出来た四位騎手は、ダービージョッキーの称号に相応しかった。

しかし、勝利ジョッキーインタビューでの言動は褒められたものではなかった。以前、こちらのエントリで評価しただけに裏切られた気持ちもあった。私は勝利ジョッキーインタビューには特別な思いがあって、この場でいい加減なことをする騎手は断固として許せないのである。個人的には、佐藤哲三騎手の人をバカにしたような受け答えには肝を冷やすし、後藤騎手がかつてやっていたオチャラケもあまり好きではない。テレビで放映されるということは、不特定多数の人々の目に触れるということであり、その受け答えひとつで競馬ファンではない一般の方々の見る目も変わってくるからだ。

ジョッキーたちが、レースが終わって興奮しているのも分かるし、次のレースのことで頭が一杯なのも分かる。競馬のことを知らないインタビュアーの下らない質問に怒りを感じるのも分かるし、神聖なるダービーの勝利ジョッキーインタビューの場をぶち壊すような輩に心底腹が立つのも分かる。それでも、あなたは運良く特別な場を与えられて、競馬を代表するひとりのジョッキーとして、世界の人々に対してメッセージを語っているということだけは忘れないで欲しい。

日本一のジョッキー武豊騎手が偉大なのは、たくさん勝っているからではなく、馬乗りの技術が優れているからでもなく、日本の競馬のことを常に考えて生きてきたからである。「去年も勝たせてもらって、まさか2年連続でダービーを勝てるとは思わなかった。競馬の神様が今日も僕のところに降りてきたようだ」と四位騎手は話したが、ダービーの神様はもう二度と彼のところには降りてこないのではないかと思う。

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もっと褒めろよ、お前たち。

Wtoaks08

私の見当外れな馬券は傍らに置いておいて、今年のオークスにおける池添謙一騎手の騎乗について。審議の対象となったのは、最後の直線、ラスト400mあたりからの攻防である。池添騎手はトールポピーを馬場の中央に出したが、前が完全に壁になってしまい、わずかに内側に空いたスペースに馬を突っ込ませた。その際、小牧太レジネッタを押し込む形となり、直後にいた安藤勝己オディールは手綱を引っ張り、その内にいた後藤浩樹ソーマジックはレジネッタに接触され弾き飛ばされた。池添騎手はレース後に裁決室に呼ばれ、失格・降着には至らなかったものの、2日間の騎乗停止処分が課された。

結論から述べると、今回の処分は極めて妥当なものだと思う。トールポピーの反応が抜群だったため斜行の度合いが大きく見えたことや、レジネッタなど4頭もの有力馬を巻き込んでしまったことから、多くの競馬ファンにとって後味は悪かったことに違いはないが、そもそも「斜行の大きさ」や「被害馬の頭数」は走行妨害の要件にはならない。「被害の大きさ」やトールポピーと被害馬との脚勢の違いが考慮されて、走行妨害には至らないと判断されたということである。

また、「走行妨害」による失格や降着にならなかったにもかかわらず、池添騎手が2日間の騎乗停止処分を科せられたのは、抜け出した後も立て直しを図らず、必要以上に継続的に右ムチを使ったからであって、他馬との絡みの問題ではない。

G1レースでの降着というと、最近では2006年のエリザベス女王杯が思い出される。このレースでカワカミプリンセスが降着になったのは、ヤマニンシュクルに対して著しく大きな被害を与えたからである。さらに、カワカミプリンセス自身の手応えも良くなく、4コーナー手前から本田騎手が左ムチを連打していたように、他馬との脚勢にも大きな違いがなかったことも印象を悪くした大きな理由だったろう。

大きなレースでこのような事件が起きると、必ずといってよいほど、公正競馬を標榜してJRAを盲目的に批判したり、社台系の馬だったからセーフになったなどという裏世界を語る輩が現れる。もちろん、JRAの審判・裁決にJRAの職員ではない第三者を審判に迎え入れるという建設的な意見には賛成だし、競馬の世界における政治の存在を私は完全には否定しない。しかし、今回のレースに限っては、たとえ誰が審判したとしても、池添騎手の行為は「走行妨害」には至らなかったはずである。裏も表もないのだ。

それよりも、池添騎手の騎乗を褒めた人がほとんどいなかったことが悲しかった。誤解を恐れずに言えば、これほど勝つということにこだわり、まるで針の穴を通すように実現された騎乗は珍しい。特にスタートから1コーナーにかけての進路の取り方などは、神がかり的でさえあった。素晴らしい騎乗は素晴らしいと認められるべきで、それがなされていないことが日本の競馬にとって最も大きな病だと思う。褒めるには知識や技術がいるのである。私たち競馬ファンはともかくとして、悪いことを悪いと言えない以上に、良いことを良いと正しく評価できない競馬メディアにひと言だけ言わせてもらいたい。予想もいいけど、もっと褒めろよ、お前たち。


関連リンク
JRAホームページ:「走行妨害および制裁について」
ガラスの競馬場:「もっと褒められていい」
ガラスの競馬場:「どうぞやめてもらいたい」

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なんとか持ってしまう。

Wtvictoriam08

府中のマイル戦はタフなコースであることは、オールドファンならずとも、ほんのわずかばかり前に競馬を始めた初心者でも知っているだろう。コーナーを2つしか回らないため、全体的に淀みの少ないペースになり、そのコーナーも複合カーブであるため息が入りにくい。それに加え、何といっても直線が長い。字ヅラ上は1600mという距離であっても、実際のところは、それ以上のスタミナが問われる舞台ということである。

だからこそ、関係者は府中のマイルでの走りを見て、2400mでも距離は大丈夫ではないか、もしくは3歳限定戦であれば持つかもしれないが、本質的に2400mの距離は長いのではないかと判断する。たとえば、今年のダービー馬であるディープスカイは、NHKマイルで圧倒的な勝ち方をした時点で、ダービーにおける距離に対する不安はほとんどなかったと言える。それぐらいに、府中のマイル戦は、スタミナと底力を問われるタフなコースであるということだ。

しかし、同じ府中のマイル戦でも、ヴィクトリアマイルというレースにおいては、そういったイメージを捨て去って臨んだほうが良いようだ。主な理由としては、牝馬限定であるこのレースは、G1であるにもかかわらず、あまりにも道中のペースが遅いからである。ヴィクトリアマイルが新設されてから3年間のレースのラップタイムを見てみたい。

12.6-11.2-11.6-12.1-12.2-11.4-11.3-11.6(47.5-46.5)S
1:34.0 ダンスインザムード
12.3-10.8-11.7-11.8-11.6-11.2-11.2-11.9(46.6-45.9)M
1:32.5 コイウタ
12.4-11.3-12.0-12.2-12.1-11.2-11.0-11.5(47.9-45.8)S
1:33.7 エイジアンウインズ

どのレースも、前半の800mの方が後半のそれに比べて遅い。コイウタが勝ったレースは比較的引き締まったペースであったが、特にエイジアンウインズが勝った今年のレースは、前後半のタイム差が2.1秒という究極のスローペースであった。軽くて走りやすい馬場で、これだけ前半が遅いペースになれば、ラスト3ハロン勝負のレースになることは目に見えている。もはやマイルを走るだけのスタミナは必要とされていないのだ。

一昨年のダンスインザムードはともかくとして、昨年のコイウタや今年のエイジアンウインズという、私にとっては府中のマイル戦では若干距離が長いのではと思わせる馬たちが、ヴィクトリアマイルの勝者となっているのはそういうことなのである。スピードには溢れているが、本質的にはマイルよりもスプリント戦寄りのスタミナと底力しかない牝馬が、遅いペースを味方につけて、なんとか持ってしまうのである。つまり、ヴィクトリアマイルは、スタミナと底力に富んだタイプではなく、どちらかというと短距離寄りの馬を狙うべきレースなのだ。

長く競馬をやっていると、圧倒的な人気を背負っているウオッカが復調一歩手前であることが見える一方で、エイジアンウインズにとって府中のマイル戦は長いと無意識のうちに決め付けてしまうことがある。それは経験や知識の成せる業であり、また怖いところでもある。人が生きていくために経験や知識は欠かせないが、人が新しい何かに挑むとき、最大の壁になるのはしばしばその経験や知識なのだ。ヴィクトリアマイルはまだ3回目を迎えたばかりの新しいG1であるからこそ、私たちはまず常識を捨ててかかるべきだろう。

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攻めるか守るか、それが問題だ。

Wtnhkmikec08

最後までブラックシェルとディープスカイの2頭で悩みに悩んだ。どちらの馬にもそれぞれ強みと弱みがあって、レースが始まる前の時点では、勝つ可能性はほぼ同じに私には思えたのだ。前日のオッズはブラックシェルの単勝が10倍以上、一方のディープスカイは3倍台の1番人気であった。こういう時、人気薄に賭けるか、それとも人気のある方に賭けるのか、つまり、攻めるか守るかの判断は非常に難しい。攻めれば人気馬があっさりと勝ち、守れば人気薄が突っ込んで来るといった経験など、競馬をやっている者ならば数知れないだろう。

どこかの本で読んだことがあるのだが、人間は追い詰められた状況で二者択一をすると、確率以上に間違った方を選んでしまうという。たとえば、極端な例を挙げると、カードが2枚あって、片方の1枚を引くと命を奪われてしまい、もう片方の1枚を引けば無事に解放されるとする。そうすると、最後の最後まで悩み抜いた末に、普通に引けば2分の1の確率にもかかわらず、なぜか前者のカードを選んでしまうということだ。私の経験からいっても、確かに迷えば迷うほど誤った選択をしてしまうことが多い気がする。

そこで私は自分の中であるルールを決めている。もし最終的に2頭の勝ち馬候補が残り、どうしても優劣をつけることが困難であった場合、どちらを買うべきか。人気のある方の馬を買うのか、それとも人気薄の方を買うのか。攻めるべきか、守るべきか。私はそのレースが行われるコースを基準として、その決断をしている。あまり具体的には述べられないが、各馬が実力を出し切れるコース設定で行われるレースにおいては、人気のある方の馬を買う(守る)というルールである。その逆もまた然りである。

なぜなら、各馬が実力を出し切れるコース設定で行われるレースは、当然のことながら、力のある馬が勝つ確率が高いからである。逆に、各馬の実力が正直に反映されにくいコース設定で行われるレースにおいては、展開などの紛れやレースの綾によって、力のない馬が強い馬に勝利することが少なくない。だからこそ、人気のない方の馬を狙った方が妙味なのだ。

もちろん、人気=実力ではないことは百も承知の上である。人気のある馬がない馬に比べて、常に力があるということにはならない。人気のなかった方が実は強かったなんてことは歴史上、山ほどあった。一方で、ウェブ2.0的な考え方でいうと、人気(オッズ)とは見えざる民衆の集合知であるともいえる。普通に走れば、人気のある馬の方が勝つ確率は高い。ひとつの目安として人気というファクターを用いて、人気とコース設定という客観的な要素に拠って、攻めるか守るかを決断するということである。

しかし、私はそのルールを破ってしまった。東京のマイル戦で行われるNHKマイルCは、各馬が実力を出し切れるコース設定なのだから、人気のある方のディープスカイを素直に買うべきレースであった。守るのが正解のレースだったのだ。自分で作ったルールにもかかわらず、なぜブラックシェルを買ってしまったのかと問われれば、ただ単に人気のない方に印を打ちたいという虚栄心や見栄を張ったばかりの欲目だったのかもしれない。毎日杯→NHKマイルCというパターンのディープスカイに印を打つのは、あまりにもヒネリがないと考えたのかもしれない。後藤浩樹騎手がそろそろ久しぶりにG1レースを勝ってもいいと思ったのかもしれない。思い返してみると、そのどれもであったような気もするが、いずれにせよルールを守れなかった私が悪い。

競馬は、攻めるか守るか、それが問題だ。

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世代の強さ(弱さ)はあるのか?

Wttennosyo08

競馬界でよく使われる「この世代は強いから(弱いから)」という世代間の力差を表す概念に、私は昔から違和感を持っていた。そこで、かつてルドルフおやじさんと手紙のやりとりをさせてもらった際、思い切って私の素直な疑問を投げかけてみたことがあった。2006年のエリザベス女王杯のことである。

治郎丸
「便宜的に世代をひと括りにすることもありますが、基本的に世代間での力差という概念には疑問があります。サラブレッドにはワインのような豊作の年という考え方は当てはまらないのではないでしょうか?やはり、馬1頭1頭の実力が全てであって、この世代が強いからこの馬も強いという捉え方は、どうもシックリきません。今年の4歳世代は、シーザリオは別格にして、確かにラインクラフト、エアメサイアあたりまではトップクラスの実力を持っていたと思います。ディアデラノビアもそれに次ぐ馬ですが、G1クラスだとワンパンチ足りないかなという印象です。」

ルドルフおやじさん
「3歳世代のおかげで、エリザベス女王杯のレベルが高くなったと思います。世代の強さというのはやはりありますね。農作物にも豊作年というのがあるでしょ?それだけの話です。人間にだってあるはずですよ。サラブレッドを特別な動物と見てはいけませんね。総じて強いというのは、何かあるはずです。総じて弱い世代の中にも、強烈に強い1頭はいます。カブラヤオーのように。」

このようなやりとりが行われた後、私は当時5歳馬であったスイープトウショウに本命◎を打ち、ルドルフおやじさんは◎カワカミプリンセス○ディアデラノビア▲スイープトウショウ△アサヒライジング×フサイチパンドラと印を打った。ご存知のとおり、結果は3歳馬カワカミプリンセスが先頭でゴールを駆け抜けたものの降着となり、2着に入った同じく3歳馬のフサイチパンドラが繰り上がりで優勝、私が本命を打った5歳馬スイープトウショウはクビ差の2着に終わった。

もしカワカミプリンセスの降着がなければ、3歳馬のワンツーで終わっていたわけで、ルドルフおやじさんの言う通り、総じて強い世代というものが存在することになる。しかし、強い世代であったはずの4歳馬ディアデラノビアが4着に敗れてしまった以上、この世代が強いからこの馬も強いではなく、馬1頭1頭の実力が全て、という私の考え方も正しいことになる。結局のところ、世代の強さはあるようでなく、ないようであるといった具合に、はっきりと結論が出ず仕舞いで2006年のエリザベス女王杯を私は終えた。

ところが、およそ1年半の年月を経た今年の天皇賞春にて、私は世代間の力差という概念の存在を目の当たりにすることになったのだ。私はアサクサキングスの敗因を、「前半1000mが思いのほか遅く流れてしまったことにより、上がりの速い競馬になってしまい、スタミナ勝負に持ち込めなかったため」と観戦記に書いたが、今振り返ってみると、それだけではなかった。アサクサキングスの最大の敗因は、今年の4歳馬と古馬の間にある厳然とした力差にあった。「スパートをかけた際も、さすがにサムソンはとりついてくるのが早かった。(上位2頭には)古馬一戦級の貫禄がありました」という四位騎手のレース後のコメントが、そのことを如実に物語っている。

さらに、今年の宝塚記念に至っては、過去10年間で4歳馬が8勝というレースの傾向にもかかわらず、勝ったのは6歳馬のエイシンデピュティで、2着は5歳馬のメイショウサムソンであった。4歳馬で最先着したのはアサクサキングスの5着、故障を発生してしまったロックドゥカンブの12着は度外視したとしても、3番人気に推されたアルナスラインはなんと10着。7歳馬であるエアシェイディやカンパニーにも先着を許すという情けなさである。雨が降って道悪になったことを考慮に入れても、あまりにも今年の4歳牡馬世代は弱すぎる。

世代の強さ(弱さ)というものは確かにある。

これが今の私の結論である。もちろん、強い世代に属する全ての馬が強いのではなく、弱い世代に属する全ての馬が弱いのということではない。世代間の力差とはつまり、これまで戦ってきたレベルの問題である。特に3歳馬と古馬、4歳馬と5歳以上の馬の間には、戦ってきたメンバーによるレベルの違いが生じるため、世代間の力差があって当然なのである世代間の力差とは、タイムやラップだけでは分からない、レースの密度の濃さや厳しさを大局的に把握するためのツールのひとつと考えてよいだろう。

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なかなか止まれない

Wtokasyo08

正直に言うと、今年の桜花賞は手探り状態であった。新阪神1600m戦で行われる桜花賞は力通りの決着になりやすいレースなのか、それとも紛れの多いレースなのか、私は計りかねていた。というのも、昨年の暮れに行われた阪神ジュべナイルFが芋を洗うようなハイペースとなり、その結果、前に行った馬は最後の坂で総崩れし、後方に位置していた2頭での決着となったからである。あのような極端な展開になるとは想像していなかっただけに、私の中で大きな疑問が生まれていた。

コース設定だけを見ると、新阪神競馬場のマイル戦は、スタートから第1コーナーまでの距離も長く、3~4コーナーの回りも緩やかで、最後の直線も十分に長い。各馬の実力が反映されやすく、紛れが生じる確率が低い設定のコースの典型と言っても過言ではない。

阪神競馬場の改修後、初めて行われた一昨年の阪神ジュべナイルFは、先に抜け出したアストンマーチャンをウオッカがゴール前で捕らえた。今から振り返ってみれば、力通りの決着だろう。昨年の桜花賞はダイワスカーレットとウオッカが3着以下を大きく引き離しての決着となり、後のオークス馬ローブデコルテが4着に入っていることも含め、こちらも各馬の実力が反映されたレースであった。この2つのレースの結果とコース設定を見る限り、新阪神1600mコースで行われるレースは紛れが少ない、つまり、力通りの決着になりやすいはずと考えるのはごく自然であろう。

しかし、そうではなかったのである。前述のとおり、昨年の阪神ジュべナイルFは、それまでの2つのG1レースとは全く異なる展開となり、後方からレースを進めた馬にとって有利な、展開が大きく結果を左右するレースとなった。その結果に驚いた私は、今年の桜花賞はもう一度様子を見ようと考えていたのだ。

結果はご存知のとおり、今年の桜花賞もまたまた私の予測に反し、驚異的なハイラップが道中で刻まれ、後方で流れに乗って末脚を生かした人気薄のレジネッタが豪快に差し切った。有力馬たちが負けたのはそれなりに理由があったのだが、それ以上に、あれだけの速い流れになったことに私は改めて驚かされた。どう考えても勝ち目のない、暴走としか言えないペースで、デヴェロッペやエイムアットビップがレースを引っ張ったのはなぜなのか。コース設定からはどうしても見えてこない理由があるはず、と私は考えた。

そして、私が出した答えはこうだ。

若駒の特に牝馬は、一旦スイッチが入ってしまうとなかなか止まれない。

牡馬に比べ牝馬は、手抜きをせずに一生懸命に突っ走ってしまう傾向がある。レース経験の浅い若駒であればなおさらだ。特にスピードが豊富な馬が集まる阪神ジュべナイルFや桜花賞でその傾向は強い。だからこそ、無理をして飛ばしていく必要の全くないコースであったとしても、まるでスプリント戦のようなレースになってしまうことがあるのだ。

逃げ宣言をしたデヴェロッペはなんとしてでもエイムアットビップのハナを叩こうと飛ばし、エイムアットビップは前走で抑えて失敗しているので、今回は馬の行く気に任せる作戦を採り、どちらの馬のスイッチもオンになってしまったのだ。こうなってしまうと、もう誰にも止められない。かくして、前半46秒4-後半48秒0という極端な前傾ラップが生み出された。

逆に考えると、スイッチが入らなければ、極端なスローになってしまうということでもある。前述のダイワスカーレットが勝った桜花賞(47秒8-45秒9)や今年の桜花賞のトライアルレースでエアパスカルが逃げ切ったチューリップ賞(48秒7-47秒1)など、まるで別のコースで行われているかのような違いがある。

結論としては、新阪神1600m戦で行われる桜花賞は紛れの多いレースである。コース設定に紛れはないのだが、レースの特性上、どうしても紛れが生じてしまうのだ。レースを引っ張る馬にスイッチが入るか入らないかによって、道中のペースがスローかハイに極端に分かれ、展開による有利・不利が生じてしまうということだ。さらに、フケや歯替わりといった、この時期の若い牝馬特有の事情も合わさって、今後も桜花賞は必ずしも実力どおりには決まらない舞台となるに違いない。

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馬の声を聞いていますか?

Wtfebs08

スタート直後、フィールドルージュの走りから異常を察した横山典弘騎手はレース途中(3コーナー手前)で馬を止めた。ヴァーミリアンに次ぐ2番人気に支持されていたほど馬は充実しており、横山典弘騎手にとっても待望の中央G1勝利に手が届く所だっただけに、フィールドルージュ絡みの馬券を買っていなかった私でさえ、その迅速な決断と対応には驚きを隠せなかった。

そして、あるやりとりをフト思い出した。そのやりとりとは、「週刊ギャロップ」誌上で行われた横山典弘騎手と四位洋文騎手の対談中の、馬を止めることについてのこんな会話である。かなり長くなってしまうが、とても大切な部分だと思うのでお付き合いいただきたい。

横山
この前も土曜にアドマイヤカイトを止め、日曜にメイショウオウテを止め、自分の中ではおかしいと思って止めてみる。でも、意外となんともなかったりする。馬運車で運ばれて、診療所で獣医に見せると、なんともないって言う。なんともないって本当かって。その時は止めないで行ったほうがよかったのかって思うけど、2日してやっぱり脚が腫れてきた。そういうのあるからね。オレも若くはないから、いい加減、年食ってくると経験がそういうこと(行かせること)をさせない。経験で出来ないことがいっぱいある。でも、結果を見せなきゃダメ、勝ち負けじゃない結果ね。(脚が)折れるか、ひっくり返るか。そこが一番イヤだ。

四位
昔、カッちゃん(田中勝春騎手)が馬を止めて騎乗停止になったじゃないですか。あの時、すごい違和感があった。馬がなんともなかったから騎乗停止になったんですよね。でも、ジョッキーって馬の走りを分かっているわけだし、おかしいと思ったら止めてあげるのもジョッキーの仕事。あそこで止めておけば死ななくて済んだのにって思うのいっぱいあるから。

横山
あるね。

四位
たしかに止めてなんともなかったら、ファンや関係者は何でって思うかもしれない。でも、ボクは怒られてもいいと思った。ボクはこいつ(馬)の声を聞いたから。ノリちゃんもカイトやオウテの声を聞いたんでしょ。馬の声を聞いている、そういう騎手であり続けたい。

横山
数勝つのも素晴らしいけど、そういう声を聞けるジョッキーでありたい。言葉を換えると、繊細すぎて情けないかもしれないけど、違うんだって。

四位
競走馬は細い脚で全力で走るから、故障するのは仕方ないけど、自分らで食い止めることができるんであれば、やっぱりそこで馬の心の声を聞いてあげてね。最後はちゃんと牧場に帰してあげたいよね。

横山
そうね。仕方のないところもあるかもしれないけど、オレの見える範囲、手の中にいる範囲でそうはさせたくない。

(中略)

四位
馬を大事にしようってことは、ずっとこの世界にいると麻痺して、そういう感覚がなくなってくる。競馬ではダメでも、そのあと、乗馬や繁殖として大きな可能性があるかもしれないし。最後は牧場に帰してあげたいっていうのはありますよね。

横山
岡部さんもそうだったけど、四位に教わったな。やっぱり愛情だよ。大事にしていれば、(馬が)助けてくれるんだって。人もそうだと思うよ。

馬をレースの途中で止めることは、ジョッキーにとって非常に勇気の要る行為である。もしどこにも異常が認められなかったとしたら、騎乗停止とまではいかないにしても、巨額のお金が動いている以上、批判は避けられないだろう。八百長を疑われることもあるかもしれない。しかし、そのようなリスクを背負ってでも、やはり止めるべき時には止めるのもジョッキーの仕事だと彼らは主張する。

勝ちたいという人間のエゴが馬を殺してしまうことを、横山典弘騎手はホクトベガに学び、馬に愛情を持って大事にしていれば、いつか馬が助けてくれることがあることも多くの馬たちから教えてもらったのだろう。もちろん、ジョッキーだけではなく、競走馬に携わる全ての人々が、馬の心の声を聞こうとする気持ちを忘れないことが大切である。

そして、当たり前のことではあるが、私たち競馬ファンも、自分が買った馬がレースの途中で止められても仕方ないだけの馬券を買うべきである。そもそも私たちは、運という最も理不尽で不平等で矛盾したものに身を委ねて馬券を買っている以上、いかなる理由であろうとも、たとえそれが不公平・不公正であろうとも、自分の買った馬券が紙くずになることを前提に私たちは賭けなければならない。だからこそ、ジョッキーには遠慮することなく馬を止めてもらいたい。そうすれば、馬券が外れる以外の、悲しい出来事は少なくなるはずだから。

関連リンク
ナルトーンの大好き!競馬ブログ:サンアディユまで…
BABOOからの手紙:こんなことって…

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メイショウサムソンはなぜ敗れたのか?

Wtarima07

マツリダゴッホが楽々とゴールを駆け抜ける中、メイショウサムソンの敗因が走馬灯のように私の頭の中をよぎった。メイショウサムソンは本調子にはなかったか…。凱旋門賞に備え、夏場を厩舎で過ごしたことによるツケが遂に回ってきたか…。前走のジャパンカップで3着と走っていない分、なんとか有馬記念までは余力が残っているのではと楽観視していたが、やはり天皇賞秋がピークの出来であったのだ。

メイショウサムソンの敗因を本調子になかったことに求めた論調は他にもあったが、なぜ本調子になかったのか?という理由のきちんとした説明は意外にも見当たらなかったので、私がここにもう一度書いておきたい。有馬記念でのメイショウサムソンの敗因は、凱旋門賞に備え、夏場を放牧に出さずに厩舎で調整されてきたツケが回ってきたということである。

自厩舎で夏休みを過ごすことにはメリットもあるが、デメリットもある。メリットとしては、放牧に出すよりも自厩舎で過ごした方が調整しやすく、また安全・安心ということでもある。難しい馬の場合、放牧に出してしまうことによって、走る気持ちが切れてしまって戻ってくることもある。今回のメイショウサムソンの場合は凱旋門賞への出走を控えての調整だけに、上のいずれのケースにも当てはまらないが、いずれにせよ、放牧に出されることなく夏休みを自厩舎で過ごしたことは事実である。

デメリットとしては、自厩舎で夏を過ごすと馬はどうしても精神的にリフレッシュされないということである。肉体的には緩められるので楽になるが、ずっと同じ環境にいることによって、馬の気が休まるところがないのである。もちろん馬によって差はあるが、涼しい気候の中、のんびりと走り回れる牧場と違い、自厩舎で夏を越すことは馬にとってはあまり喜ばしいことではない。知らず知らずの間に、身近な人間にも分からないところで、精神的なストレスが蓄積されていくのだ。

精神的にリフレッシュ出来なかったツケは、将来的にいつか回ってくる。途端に調教やレースで走らなくなることもあるし、また精神は肉体と直結しているため、精神的なストレスの蓄積が馬体の細化や怪我にまでつながってしまうこともある。実は、ウオッカもメイショウサムソンと同じく自厩舎で夏休みを過ごした1頭だが、結局、ダービー激走の疲れが抜けなかったばかりか、エリザベス女王杯では脚元に不安が出てしまった。それほどまでに、休ませる時に完全に休ませないことの影響は大きいのだ。

それを承知で、手元に置いておきたいという調教師の気持ちも良く分かる。自分の馬だけは何とか持ちこたえて欲しいという心理は何とも避けがたい。私も自厩舎で夏を過ごすことのデメリットを承知の上で、何とか持ちこたえてくれるはずと思いつつ、メイショウサムソンに印を打ったのだ。もちろん、ジャパンカップでの拙騎乗からの巻き返しという期待もあったし、ジャパンカップで凡走している分、余力が残っているのではないかという欲目もあった。

メイショウサムソンやウオッカのような一流馬は、追い切りでもパドックでも返し馬でも明らかな不調は見せないものだ。それは普段管理している厩務員や調教師にとっても同じで、目に見えない疲れは目に見えない以上、実際に走ってみなければ分からないのだろう。しかし、全てを結果論で終わらせてしまうのは少々勿体ない。自厩舎で夏休みを過ごすことのデメリットを、もう一度問うてみるべきであろう。メイショウサムソンとウオッカに今必要なのは、小手先の休養ではなく、牧場でのんびりとリフレッシュさせてあげることなのではないだろうか。それよりも、私が放牧に出て頭をリフレッシュさせるほうが先か。


関連エントリ
ガラスの競馬場:「自厩舎で夏を過ごすこと」
ガラスの競馬場:「変わってゆくことだ」

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2つのレースの共通点は?-抽選クリア馬編-

Wtasahihai07

前回で「展開」について取り上げたので、今回は阪神ジュべナイルFと朝日杯フューチュリティのもうひとつの共通点であった「抽選をクリアしてきた馬」について説明したい。

阪神ジュべナイルFを勝ったトールポピーと朝日杯フューチュリティSを勝ったゴスホークケンは、どちらも抽選をクリアしてギリギリで滑り込んで出走してきた馬である。前者は12分の6、後者は直前で回避馬が出て8分の1の抽選をくぐり抜けての出走であった。阪神ジュべナイルFに至っては、2着に食い込んだレーヴダムールも抽選をクリアして出てきた馬である。

歴史を振り返ってみても、抽選を見事クリアしてきた馬や、回避馬が出たことによって滑り込みでギリギリ出走できた馬が、本番でもアッと言わせてきた例は意外に多い。思い返せば、トールポピーと同厩舎の先輩ウオッカも、昨年の阪神ジュべナイルFでは抽選をクリアして優勝したクチである。また、最も記憶に鮮明に残っているのが、これは抽選ではなくもう少し複雑な背景があるのだが、ギリギリ出走が叶った菊花賞を制したスーパークリークであろうか。特に2歳戦~クラシックレースにおいては、抽選をクリアした馬、滑り込み出走が叶った馬たちの活躍は枚挙に暇がない。なぜこれほどまでに、出走すら危うかった馬たちが本番で好走してしまうのだろうか?

それは抽選をクリアした馬、滑り込み出走が叶った馬たちは運がいいからである。ということではなく、彼ら彼女たちの「ローテーション」と「成長曲線」に秘密が隠されているのだ。

まず「ローテーション」については、抽選をクリアしてきた馬は、これまでの出走過程において無理を強いられていない馬が多いということである。多いと書いたのは、全ての馬がそうではないからである。本番に出走する権利を取るために、何度もレースに出走してそれでも抽選待ちになってしまった馬もたくさんいるはずだ(こういう馬は能力的に疑問符がつく)。そのあたりは1頭1頭を検証する必要があるが、トールポピーはキャリア3戦、ゴスホークケンは2戦、レーヴダムールに至ってはわずか1戦である。

これが何を意味するかというと、これらの馬たちは、本番であるG1レースに合わせたローテーションを組んで走らされてきたのではなく、自分たちの仕上がりに合わせて大事に使われてきたということである。人間の都合ではなく、馬優先の余裕を持たせたローテーションであったということだ。あくまでもその延長線上に、たまたまG1レースがあったということに他ならない。だからこそ、そこまでの過程において無理をさせてきていないからこそ、馬に余力が十分に残っているということになる。

次に「成長曲線」についても、余裕を持たせたローテーションということとリンクしてくる。馬の仕上がりに合わせるとは、馬の成長に合わせたローテーションということである。特に若駒の間は、レースを使うことによって、成長を大きく阻害してしまうことがある。2歳戦~クラシックにかけて、数多くのレースを使うことは、マイナス材料にこそなれ、決してプラス材料にはならない。レース経験の少なさは、馬の能力と騎手の手綱で補うことが出来る。つまり、本番のレースに出走するために、馬をキッチリ仕上げて勝ってきた馬たちに比べ、成長を阻害しない程度のゆったりとした仕上がりで走ってきた馬たちは、上積みが見込めるばかりではなく、本番のレースへ向けて上向きの成長カーブで出走してくることが可能になるのだ。

これらのことからも、余力が十分に残っていて、上向きの成長カーブを辿っている馬が、もし抽選をクリアして出走することが出来たとしたら、本番でも好走する確率が高いことは自明の理であろう。これが2歳戦からクラシック戦線においては、抽選をクリアして出走してきた馬、滑り込みで出走してきた馬には大いに注目すべき理由である。

ただひとつ問題なのは、抽選が行われる木曜日までは、どの馬が出てくるか分からないという点である。そう考えると、抽選待ちのある2歳戦からクラシック戦線のG1レースは、出走馬が決まってから予想をし始めたほうがいいのかもしれない。

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2つのレースの共通点は?-展開編-

Wthansinjf07

平成19年の阪神ジュべナイルFと朝日杯フューチュリティSには、レースの勝敗を決めた2つの共通点がある。ひとつは大方の予測に反した展開であり、もうひとつは抽選をクリアした馬の台頭である。この2つの共通点について、今回は展開、次回は抽選クリア馬をテーマとして、2回に分けて説明していきたい。

今回のテーマである大方の予測に反した展開とは、阪神ジュべナイルFがスローに流れると思われていたにもかかわらずハイペースになったこと、朝日杯フューチュリティSがハイペースに流れると思われていたのに対し、このメンバーとしてはスローに近いミドルペースで流れたことである。

これは【展開の最も簡単な読み方】として「馬券のヒント」でも書いたことだが、「あちらこちらからハイペースという声が聞こえてきたらスローペース、その逆もまた然り」ということである。つまり、誰もがハイペース必至と予測するレースは、ほとんどの騎手もそのように意識するわけで、大半の騎手がハイペースに巻き込まれることを嫌い、手綱を抑えて馬をゆっくりと走らせた結果、レースは思いもよらぬスローペースとなる。また、逃げ馬がおらず、スロー必至とされた時もまた同じで、大半の騎手がスローに乗じるために、無理をしてでも好位置を確保しようとした結果、レースは思いもよらぬハイペースとなるということである。

もう少し具体的に述べると、阪神ジュべナイルFでは、戦前から新設の阪神1600mのコースはスローになりやすいという声が大きかったし、私もそのように考えていた。もちろんその通りで、新設の阪神マイル戦はスローになりやすく、前に行った馬が好走することが圧倒的に多いというデータもある。それは3~4コーナーが緩やかな複合カーブであり、後続の馬たちは直線が長いことも手伝って、このカーブの部分で無理に動いて前との差を詰めることをしない(出来ない)からである。そのため、逃げ・先行馬がペースを落としてゆっくり回ることができ、中盤が緩み、前が残りやすい後傾ペースになりやすい。

朝日杯フューチュリティSでは、過去10年間のラップタイムを持ち出してみても、スローペースになったのは平成17年のフサイチリシャールが2番手から押し切ったレースだけで、平成18年のドリームジャーニーが差し切ったレースをミドルペースしても、それ以外の8年間は全てハイペースである。にもかかわらず、4コーナーを好位で回った馬が好走しているのは、開催替わりの中山は馬場が良く(特に保護されていた内)、前が止まらないからである。それでも逃げ馬はミホノブルボン以外勝ったことがないように、溜めの利かない、前に行き過ぎる馬にとっては厳しいレースとなる。

この意識は、私たちだけではなく、当然、実際にレースに騎乗するジョッキーたちも持っている。特にG1レースともなれば、各ジョッキーたちは今まで以上にレースを細部までイメージし、乗り方を工夫してくる。

たとえば阪神ジュべナイルFでは、前に行った方が有利である以上、普段は先行している馬はより前にポジションをしようと心掛け、後ろから行っている馬は、今回は思い切って前に行ってみようかと策を練る。外枠を引いてしまったジョッキーは、スローで外々を回されることを嫌い、無理をしてでも外から被せる形で好位を取りにいくかもしれない。

実際に、内枠を引いた武豊レジネッタは、好スタートから迷わず先頭を奪い、レースの主導権を握らんと主張した。それに対し、川田マイネブリッツも何が何でも逃げる構えを見せ、強引にハナを奪い返した。それに輪をかけたのが、外枠を引いた蛯名エフティマイアと岩田エイシンパンサーであり、外から一歩も引かない姿勢で先行争いに加わり、スタートから3コーナーに至るまでの激流を作り上げた。

一方、朝日杯フューチュリティSでは、逃げた馬や無理をして先行した馬が最後の急坂でパタッと止まってしまうことを想定すると、道中は馬との折り合いを付けて差し脚を残しておくことが必要になる。スタートしてから最初のコーナーまでの距離が短いことも考慮に入れると、無理をして好位を取りにいくメリットはほとんどない。外枠の馬が好位を確保するために、危険を冒してまで切れ込んでくることも考えにくい。

実際に、最内枠を引いた勝浦ゴスホークケンがロケットスタートから躊躇なくハナを切ると、他のどの馬もあっさりと引いて先頭を譲った。当初は逃げると予想されていた幸レッツゴーキリシマも、ハイペースに巻き込まれるのを避けるため抑える競馬を予定していたのだろう、最初から手綱を抑え先行策に終始した。道中も逃げた馬は最後の坂で止まるという思いからか、ゴスホークケンに鈴を付けにいく馬は皆無で、どの馬も自身の差し脚を溜めることに集中していた。

このように、ジョッキーたちの総意が飽和点に達した時、スローペース必至と言われたレースはハイペースに、ハイペースと言われたレースは思いもよらぬスローペースに変容する。いつそのような時点に達するか分からないのが難点だが、ひとつの目安として、あちらこちらからスローペース(ハイペース)という声が聞こえてきたら、その逆になることを意識してもいいのではないか。そもそも、競馬関係者を含めた私たちの心理は傾きやすいものであり、マスコミが騒げば騒ぐほど、現実の結果はその逆になるというパターンは繰り返されているのだから。

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点ではなく線として

Wtjapancup07

以前、「勝つためには勝つ気で乗らないこと」という安藤勝己騎手の思想を紹介したが、自分で記しておきながら、その思想の真意をはかりかねていた。というよりも、無欲・無心を貫くことによってこそ勝ちは向こうから転がり込んでくる、という意味に曲解していたのである。その解釈は間違ってはいないが、決して正しくもないと今は思う。

そんな風に思い直したのが、今年の夏、シンガポールに旅打ちに行った時ぐらいだろうか。簡単に説明すると、その日の勝負レースを外してしまった私は、その後のレースで、応援する日本人ジョッキーの乗る馬を買い続けるという安易な馬券に終始した。競馬新聞を見てもよく分からないという理由を付けて、その日の競馬を勝ちに行こうとしなかった。その反省を踏まえ、翌日のマレーシアではわずかに負け分を取り戻すことが出来たが、勝ちに行かない、変にあきらめの良い自分に嫌気が差した旅であった。

勝とうという意志がなければ勝つことは出来ない。武豊騎手の凄さは勝とうという意志の強さと頭の良さだと私は思うが、もちろんそれは安藤勝己騎手にも当てはまる。その安藤勝己騎手が、勝つために乗っていないとは到底思えない。そんなこと当たり前のことである。もしかしたら、47歳になった今でも、他のどのジョッキーよりも勝とうという意志は強いのかもしれない。その勝つことに対するハングリーさが、安藤勝己というフロンティアを支えているといっても過言ではないだろう。

それでは、勝つ気で乗らないということが負けてもいいと思って乗るという意味ではない以上、安藤勝己騎手の言う「勝つためには勝つ気で乗らないこと」とは、一体どういう意味なのだろうか。

私たちは目の前にある場面をなんとか勝とうと強く意識してしまうため、余計な小細工をしたり、実はそれほど安全ではないにもかかわらず安全に見える方を選択してしまったりする。そうではなく、ひとつひとつのレースにおいて勝とうとせず、全体を通した騎乗の中で勝てばいい。そういう意識で乗れば、ひとつひとつのレースにおいても、また最終的には全体を通しても勝つことが出来る。これが安藤勝己騎手の真意だと私は思う。

点ではなく線として勝つことを意識する。なんとなくその意味が分かりつつあったのに、相も変わらず私は点として勝ちに行ってしまっている。JCダートは勝負レースであったにもかかわらず、諸般の事情でレートを下げてみたり、ジャパンカップでは前日まで勝ち馬を本命にするつもりが最後は勝つ確率が高いと思われた方を選んでしまった。

後にも先にも競馬は続いていくのであり、今日の負けが全ての負けではない。今日負けることが全体の勝ちにつながることは意外と多い。今日負けることを恐れるからこそ、全体としても大きく負けてしまうのだ。点で負けても線で勝てばよい。そのためには、点ではなく線として勝つことを強く意識しなければならない。線として勝とうとするからこそ、点としてはヤマを張ったり創造的に振舞ったりすることも出来る。私にとって、来年に持ち越しの大きな課題ができた。

Wtjcdirt07

追記
今年も最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
おかげさまで、今年も楽しくブログを書き続けることができました。
この後は、「K-1 Dynamite!!」でも観ながらのんびりと年を越すことにします。
また来年も一緒に競馬を楽しんでいきましょう!

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「個別」という名の多様性

Wtmilecs07

アグネスアークの故障は残念だったが、それよりも私にとってはダイワメジャーが勝ったことに大きな衝撃を受けた。というのも、天皇賞秋でこの馬に◎を打った私にとって、掲げた旗をあっさり降ろしてしまったことをあざ笑われたかのように感じられたからである。

私が掲げた旗にはこう書いてあった。

「サラブレッドにも人間にも必ず衰えがあります。サラブレッドの場合、特に精神面から衰えていきます。最後まで頑張り通せなくなってしまうのです。ノド鳴りでほとんど走っていなかった間はあったとしても、この馬は3歳の頃から一戦級で活躍し続けている馬ですので、ピークであった昨年の勢いをどこまで維持し続けることができるのかという心配は当然あると思います。そのピークは半年とも1年とも1年半とも言われます。しかし、ルドルフおやじさん風に言うと、これはとてもデリケートな問題です。馬には個体差がありますので、全ての馬が半年とか1年とか1年半で力が落ちるとは限りません。私が精神的な疲労を心配したその裏には、もしかしたらダイワメジャーは常識の壁を超えていくのではという期待もあるということですね。今年47歳にしてまだまだ勢いを失わない安藤勝己騎手がこの馬に乗るというところも、また面白いところです。」

アスリートである以上、サラブレッドの肉体や精神には必ずや衰えが来る。激しいレースをして消耗すればするほど、その衰えは早まる。2歳の早くから一線で活躍した馬が古馬になって見る影もなくなってしまうことや、クラシックなどには目も向けずにゆっくりと仕上げられてきた馬が古馬になって大成するということが往々にして起こるのはそういうことだ。

だからこそ私たちは、年齢や活躍してきた期間をモノサシとして、その馬の消耗や衰えを計ろうとする。それはそれで間違ってはいない。ほとんどの馬はそういうモノサシの中に当てはまってしまうものである。「普遍」というのはそういうことである。そしてまた、「普遍」を疑うことなく貫いた方が、私たちにとっても便利でありアタマを使わないので楽なのである。

しかし、本当にそれだけでいいのだろうかというのが、私が天皇賞秋でダイワメジャーに◎を打った意味であり、今年の秋のG1シリーズのテーマでもあった。あたかも常識のように語られる「普遍」は、本当に私たちの目の前にいる馬たちにも当てはまるのだろうか。まるで無反省に「普遍」を垂れ流し続けることに正直嫌気が差していたのだ。

これは少し別の問題になってくるが、自分の中に普遍的なものがあるとして、それを貫ける人間は世の中でも成功する可能性が高い。ナントカ理論とか、そういう自分の中にある普遍を推し進めると、案外と現実の方から折れてくることが多い。それはナントカ理論が正しいからということではなく、多様な現実の一部がタマタマにしてナントカ理論に当てはまってしまうからである。その衝突が激しければ激しいほど、ナントカ理論は世の中の「普遍」として広まってしまう。

話を元に戻すと、「普遍」だけでは物事の本質を外してしまうということだ。「普遍」の正義だけを信じて、我が身を省みることがない世界観は、なんとも砂を噛むように味気ない。それは想像力のなさでもある。そんなに年食ってたらもう無理でしょ、もう頑張ったんだからサヨナラバイバイ、とは自分がオッサンになることを少しも想像できない若者の思想や言葉である。そんな若者たちに、47歳の安藤勝己と6歳馬になるダイワメジャーが教えてくれたのは、「個別」という名の多様性であった。

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<ゼロからやり直す>ということ

Wtelizabeth07

私の本命であるテイエムオーシャンが敗れ去ったエリザベス女王杯の日の夜、TBS系の『情熱大陸』という番組で音楽家の久石譲のことをやっていた。久石氏は宮崎駿アニメ『となりのトトロ』『風の谷のナウシカ』などの音楽を作曲したこと、他にはビートたけし監督の映画『HANABI』などの音楽でも有名である。日本映画の音楽賞をほぼ総なめにしていて、この人なしでは映画音楽は語れないという人物である。 この久石氏の音づくりに密着するという形で番組は進んでいくのだが、途中のインタビューでこんなやりとりがあった。

久石 「音を作っていって突き詰めていくと、ある地点で“これは違うな”と感じてしまうことがある。そうすると、どうするか?新しく作り直すには、またゼロからやり直さなくてはいけない。」

インタビュアー 「どうするんですか?」

久石 「俺はやり直すよ」

つまり、延々とシジフォス的に時間をかけて作った音が“違う”と感じてしまう瞬間があり、そんなとき彼はどういう態度をとるかということである。

久石氏がとる<ゼロからやり直す>という態度は、一般にもてはやされている「一からやり直すつもりで」といった心理的態度とは一線を画している。「一からやり直すつもり」とは、つまり、「初心にかえって」とか「気持ちを新たに」という気分転換へのレトリックとして用いられるし、その証拠に語尾には「つもりで」が付くことが多い。

<ゼロからやり直す>という言葉は、ある方向に向かって進んでいた作業を全てなかったものとして、もう一度原点という空白な地点からやり直す、という意味の迫力を持っている。それまで積み上げて来たものすべて、それは時間であったり、人間関係であったり、自分自身であるかもしれないが、それらを完全に否定することによって<ゼロからやり直す>ことは成立する。

『盤上の海、詩の宇宙』(河出書房新書)の中で、将棋の羽生善治はこう語っている。 「考えた指し手に愛着はあるけれども、それをやっぱり考えていく中で捨てていかなくてはいけないことがある。――たとえば、そういう愛着を捨てなきゃいけないときには、向こう側から見ないと捨てられないのかもしれない。」

向こう側とは、将棋盤をはさんでの対面、つまり相手の側から見るということである。相手の側(客観)から見ることによって、それまで考え抜いてきた愛着のある指し手ときっぱりと訣別することができるというのである。苦しみ抜いて自分で考えた手を否定するときに、他者の目、ここでは敵の目を通して判断していることは興味深い。他者という存在を意識することによって、それまでの自己を完全に否定するといった手法からは、ある種マゾヒズム的な残酷さを感じざるをえない。

<ゼロからやり直す>という作業の苛酷さは、<やり直す>ことよりも<ゼロに戻る>という点にあるだろう。果たして<ゼロに戻る>ということは可能なのだろうか。それまである地点を目指し延々と試行錯誤してきたものを、完全にきっぱりと捨て去って、まるで何ごともなかったかのように再び考え始めることができるのだろうか。切っても切り離せない思考の断片のようなものに引きずられている限り、それは<ゼロに戻る>ことにはならない。

「あなたがこれまで生きて来て、今、そしてこれからも生きて行こうとする人生を、何から何まで同じ順序や形で、もう一度、もしくは何度も反復してやり直す」というニーチェの永遠回帰の思想がある。一度見終わった人生というビデオテープを巻き戻し、もう一度、もしくは何度も繰り返して見る。必ず同じ人々が登場し、同じ時間に出会い、同じ場所でキスをして、同じ場面でつまずき、同じジョークに笑い転げる。そこには、あの喜びも、あの悲しみも、あの苦痛も、あの快楽も、すべて同じ程度、色合い、手触り、匂いをもってやってくる。

もちろん過去の人生の記憶は微塵も残っていない。全てがゼロに戻り、<ゼロからやり直す>のである。全く同じことが反復される以上、そこには過去もなければ未来もなく、向上もなければ後退もない。ただひたすらに、与えられた人生を繰り返し生きる。

何度やり直しても、私は2001年のエリザベス女王杯でテイエムオーシャンの単勝を買って負けるのであろう。トボトボと家に帰り、フテ寝をして、起きて、11時からの『情熱大陸』を観る。そして、久石穣という音楽家に触発されてこの稚拙なエッセイを書こうとする。「トゥザビクトリーか・・・」という悔恨の意を胸に宿しながら。同じ失敗をして、同じ病を授かり、同じく不遇で、罪深く、凡庸な人生を、私たちは「それでもやり直したい」と思えるのであろうか。

ニーチェはこうも語った。「そなたたちはかつて何らかの快楽に対して然りと言ったことがあるか?おお、わたしの友人よ、そう言ったとすれば、そなたたちは一切の苦痛に対しても然りと言ったことになる。一切の諸事物は、鎖で、糸で、愛で、つなぎ合わされているのだ。」

ダービーでまぐれ当たりした万馬券の喜び、あの人に出会えた奇跡、あの日の夕焼け、それらすべて、私は否定することができない。いや、一切を肯定したいと思う。そのためには、今日の外れ馬券、あの苦痛、あの虚しさ、自分の愚かさ、卑小さをも肯定しなければならない。プラスもマイナスもすべてはつながっているのだから。すべてをひっくるめて徹底的に肯定することによってのみ、<ゼロからやり直すこと>はできるのかもしれない。

「どうするんですか?」


「俺はやり直すよ」

そう言い切った久石穣を素直にすごいと思った。

以上は今からちょうど6年前に書いたエッセイである。あれから長い年月が経った今でも、<ゼロからやり直す>ことは難しいなと感じる。それは予想の過程においても同じで、ダイワスカーレットが負けるという前提から入ってしまった以上、どれだけアサヒライジングの本命に違和感があろうとも、ゼロから考え直して(予想し直して)ダイワスカーレットを買うことは難しい。

しかし、それでも正解を求めるとすれば、自分の予想を否定するのではなく、徹底的に肯定していくこと以外に方法はないのかもしれない。自分の予想を徹底的に肯定し、論理的に詰めていき、それでもどうしても正解に辿り着けなくて、そうして初めてダイワスカーレットの可能性を拾えるのだろう。全ては一周してつながっているのだから。

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そんなの関係ねえ

Wttennosyoaki07

金曜日から雨が降り始め、土曜日には台風までやってきた。日曜日にあっと言う間に馬場がほとんど良馬場にまで回復しようとは、前日予想をする段階で予測するのは難しかった。たとえこの時期の野芝の状態が絶好とはいえ、馬場をあそこまで一気に乾かしたのは太陽光の力が大きい。もし日曜日の天気が曇りであったならば、あそこまで馬場が回復することはなかっただろう。

レース当日の朝、私はルドルフおやじさんに手紙を書いた(もちろんメルマガの一部としても配信している)。

おはようございます。朝、カーテンを開けると、そこには晴天が広がっていました。週末にさんざん悩まされたのは何だったのでしょう、というくらいの秋晴れです。開幕週の芝の状態を考えると、もしかするとほぼ良馬場に近いコンディションでレースが行われるかもしれません。

そうなると、前回の手紙にも書かせていただいた通り、メイショウサムソンにとっては不安点がなくなります。良馬場であれば34秒台の脚をコンスタントに使える馬ですし、パワーもある馬ですので、馬場が少し水分を含んでいるような力の要る馬場は得意とするところです。また、東京競馬場は排水溝によって内側から乾いていきますので、馬場の良いところを通られる1枠も有利になります。

宝塚記念は天皇賞春を速い時計で勝った反動が少なからずあったと思われます。あまり得意としない重馬場や、
石橋騎手の勝ちたいという思いが道中で馬に伝わってしまい、少し早めに動いてしまったことも重なっての差が最後に出てしまいました。そういう意味では、宝塚記念を激走していないとも考えられますね。馬インフルエンザの影響も、だいぶ間隔が空きましたので問題ないでしょう。最終追い切りも、ほぼ仕上がったという文句のない動きでした。前日予想は難しいですね。

私は当日、東京競馬場に行き、重馬場前提の馬券を買った。やや重にまで回復している馬場をこの目で確認していたにもかかわらず、重馬場前提でレートを下げて買うという自己崩壊である。好レースを期待しているにもかかわらず、一方では馬場の回復を恨めしく思ってしまう矛盾をどこかで感じながら、レースを迎えたのだ。

しかし、前日予想は難しいと書いたが、もしかしたら勝手に難しくしていたのは私だったのかもしれない。当日の馬場状態によって本命を変えようとするから難しくなるのである。無意識のうちに網羅思考に陥って、結局買うはずのない馬に印を打ってしまうことになる。本命は最初から決まっているのだから、その馬を買えば良い。もし馬場状態が悪化したらレートを下げればいいだけの話だ。天命を待って本命を変えてはならないのだ。答えは最初から分かっているのだから、前日予想だろうと何だろうとそんなの関係ねえのである。

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馬体重の曲解

Wtkikka07

ロックドゥカンブはよく頑張ってくれたが、私としてはアサクサキングスの取捨を誤ったという思いが強い。前走でほぼ仕上がったアサクサキングスの体調に上積みが見込めるのか、平行線か、それとも反動があるのか。馬体重の推移からおよその見当はつくにもかかわらず、アサクサキングスの体調を私自身が曲解してしまったことが悔やまれる。

アサクサキングスは宝塚記念後に放牧に出され、3ヶ月の休養を経て、神戸新聞杯に出走した。その時の馬体重は、宝塚記念から-10kgの484kgと、デビュー以来最低の数字であった。馬体重に関する考え方の大原則は、「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースにおいてではなく、レースの後になる」である。つまり、この-10kgという大幅な馬体減をどう考えるかが、今年の菊花賞を予想する上で(結果的には)大きなポイントとなったのである。

このポイントを考える上で、もう一度問い直してみなければならないのは、以下の2点である。
1、アサクサキングスの菊花賞時点でのベスト体重はどのくらいであったか?
2、休み明けのレースをマイナス体重で走った後に反動が出るのは、具体的にどういったケースか?

1については、特にキャリアの浅い若駒の場合、ベストの馬体重はある程度幅を持たせて捉えるべきである。初めてのG1となった皐月賞が486kg、2着と好走したダービーが488kgであるから、およそこの周辺ということになる。NHKマイルC(494kg)と宝塚記念(494kg)は、言い方は悪いが、勝つために仕上げていない。つまり、神戸新聞杯でのマイナス10kgという馬体減は、決して大幅なものではなく、キッチリ仕上がっていたと解釈すべきであった。反動はないが、大きな上積みもないと私は判断した。

しかし、実際には、わずかながらも上積みがあった。パドック写真ではしっかりとした立ち姿を披露していたし、パドックでは力強く歩いていた。それは一度レースで使われた分の上積みと言ってもよいほどのものであったが、体調が落ちているということは決してなかった。

そして、なぜ前走であれほどキッチリ仕上がってきた馬の体調が、わずかながらも上昇カーブを描いたかというと、それは上の2のケースに当てはまらなかったからである。2のケースについては、「プロフェッショナル馬券戦術」で話す内容と重複する可能性があるので、今回はお伝えできないが、休み明け2走目を占う上での指標となるだろう。

★お知らせ★
11月24日(土)に渋谷で開催される「プロフェッショナル馬券術ライブ」が、残り4席となっております。参加をご希望の方は、なるべく早めにお申し込みください。昨年のライブとは180℃違った、馬券技術(戦術)についてのお話をしたいと思っています。ディラントーマス、レッドロックスも参戦するかもしれないジャパンカップウィークを、ぜひ一緒に楽しみましょう!

「プロフェッショナル馬券術ライブ」詳細はこちら
→ http://www.glassracetrack.com/blog/2007/10/post_73db.html

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素直になろうよ。

Wtsyuka07

武豊騎手の騎乗に批判が集まったことに対して、私は少しばかり驚かされた。もう少しポップに言えば、「あれっ、ああいう騎乗を期待していたんじゃないの?」という感じであった。見聞きするところによると、ベッラレイアを買っていた多くのファンは、武豊騎手がもっと前の位置で競馬をするという期待を込めていたらしい。だからこそ、ほぼ最後方に近い位置取りからの騎乗に不満を覚えたのだろう。スローな展開で末脚が不発に終わったとなればなおさらである。しかし、結果こそ裏目に出てしまったが、今回の騎乗こそが、武豊が武豊たるゆえんではないのだろうか。

武豊騎手はおよそ届かない位置から届いてきた(届かせてきた)ことで、今までの競馬の常識を覆してきた騎手と言ってもよい。シャダイカグラの桜花賞を筆頭に、ナリタタイシンの皐月賞、ダンスインザダークの菊花賞、スペシャルウィークの天皇賞秋など枚挙に暇がなく、特に大舞台において人気を背負っているからこそ、そのインパクトは大きかった。名騎手でもあった実の父(武邦彦氏)にさえ、「豊は後ろから行き過ぎているのではないかと思うことがある」と小言を言われたこともあったが、現代の競馬においては届くものは届くという信念を彼は貫いてきた。そうした信念をサンデーサイレンス産駒の瞬発力が後押ししたところもある。

当然のことながら、武豊騎手は後ろから行って騎乗馬の末脚を引き出すだけの騎手ではない。スーパークリークやメジロマックイーンのように正攻法の競馬にこだわることもあるかと思えば、サイレンススズカのようにサラブレッドの常識を超えた大逃げを御すこともある。ディープインパクトのように折り合いに危うさを秘めた馬の力を、コンスタントに発揮させ、走らせることも出来る。もしひとつだけ彼の騎乗に流儀があるとすれば、そのレースに勝つためにはどう乗ればいいのかを忠実に実行する(出来る)ということであろう。

今回の秋華賞に臨むにあたって、武豊騎手はベッラレイアの新馬戦からオークスまで全てのレースを見直したに違いない。そして、ローズSに乗った時の感触、追い切りでの手応え、京都2000m内回りで行われる秋華賞の特性などを加味した上で、ギリギリまで脚をタメるだけタメて末脚を爆発させるという作戦を第一にしていたのだろう。ダイワスカーレットに勝つにはこれしかない。さらに、返し馬でベッラレイアがいつも以上に行きたがっていたこともあり、その作戦は必須のものとなった。ほんの僅かでも無駄な動きをしてはダイワスカーレットには勝てない。

ちなみに、道中がスローでもジョッキーが動けない(動かない)という競馬の難しさについて、田原成貴元騎手はこう語る。

スローなレースの流れがわかれば、道中で動けばいいじゃないか。スローで進んで前にポジションを取った馬が有利なのがわかっているなら自分が出て行けばいいじゃないか。私たち騎手はよくそう言われることがある。机上の計算やレースを見ていればなるほどそう言う気持ちも非常によくわかる。

しかし、誰も出て行かない。きっと自分が買った馬券の馬がスローなレースの中の後方に位置している場合など、ファンの人は歯がゆい思いでレースを見ていることと思う。ましてや自分の思った通り強烈な差し脚を発揮しても、前の馬を捕らえ切れずに負けた場合等、「だから出て行けばよかったんだ…馬に乗っていない素人のオレでもそんなことわかる」「あの三流騎手が…」そう思われることだろう。

しかし、はっきり言わせてもらえば、出て行けばよほど能力差がない限り、出て行った馬は負ける。たとえ、前の馬は捕らえ切れたとしてもスローな流れの中でジッと我慢に我慢を重ねた馬の餌食になるはず。馬の能力差がない場合、その確率100%と言っても過言ではないでしょう。

武豊ほどの騎手であれば、道中のペースが緩んでいたことに気付かないはずがない。ベッラレイアも窮屈そうに走っていた。それでも、当初想定していた流れと大幅に違っていたとしても、途中から動くよりも動かない方がマシなのである。途中から動いていたら、4着もあったか疑わしい。勝つために後ろから行くと決めたら、それを最後まで忠実に実行するのが武豊の流儀なのである。そういう意味においては、武豊騎手は最後まで誰よりも勝つことを諦めていなかった。

それにしても、私を含め、私の友人のほとんどがベッラレイアに賭けていたことにも驚かされた。彼らは20年近く馬券を買ってきているいわゆるツウ(通)である。彼らはツウであるからこそ、ダイワスカーレットを逆転する可能性をベッラレイア、いや武豊に見たのかもしれない。しかし、もしその可能性が武豊の考えた可能性と違っていたとすれば、批判されるべきは正攻法で勝つには能力が足りないベッラレイアに賭けた自分の馬券だろう。やはり、競馬は前に行ける馬が有利で、当然のことながら勝つ可能性も高い。そんな当たり前のことも私たちは忘れてしまっていたのかもしれない。分かっていて可能性の低い方に賭けたのであれば、ダイワスカーレットの2.8倍、ベッラレイアが3.8倍という単勝オッズはあまりにも分が悪すぎた。ねえみんな、もう少し素直になろうよ。

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勝ちに行ったのは

Wtsprinters07

雨のスプリンターズSは800mのレースであると言ってよい。スタートしてから4ハロンをどれだけ速く走ることが出来るかが勝負のレースである。平成12年のダイタクヤマト、平成16年のカルストンライトオ、平成18年のテイクオーバーターゲット、そして今年のアストンマーチャンと、道悪になったスプリンターズSは全て逃げ馬が制していることからも、それは明らかである。逃げる馬を当てるレース、逃げた馬以外は何者でもないレース、それが雨のスプリンターズSである。

もう少し具体的に説明すると、スプリンターズSはパンパンの良馬場で行われても、重・不良馬場で行われても、前半の800mのタイムはほとんど変わらない。たとえば、平成17年に良馬場で行われたスプリンターズS(勝ち馬サイレントウィットネス)と、不良馬場で行われた今年のスプリンターズSのラップをご覧いただきたい。

平成17年 12.1-10.1-10.7-11.1-11.5-11.8 良馬場 
平成19年 12.0-10.3-10.8-11.1-12.0-13.2 不良馬場

これほど異なる条件下で行われた2つのスプリンターズSだが、テンの4ハロンのラップタイムはほとんど同じであることが分かる。平成17年がスローペースで流れたわけではない。どちらかというとハイペースで道中は進み、中団から進出したサイレントウィットネスが最後の急坂で差し切り、2着には最後方からデュランダルが32秒の脚で追い込んできた。パンパンの良馬場をハイペースで流れたスプリンターズSと、ドロドロの不良馬場のスプリンターズSの前半800mがほぼ同じラップなのだ。これはどういうことだろう?

これこそが雨のスプリンターズSは800mのレースであるということに他ならない。つまり、スタートしてから800mで究極のラップを刻むため、ラスト400mはどの馬もバテてしまい、レースどころの騒ぎではないということである。また、競走馬はスタミナが切れたところを追い出されるとフォームを崩してノメるという特性があるため、4コーナー手前からはどの馬も真っ直ぐ走らせるだけで精一杯という状況にもなる。勝負は800mで決まってしまうのだ。

いや、800mの時点での隊列(位置取り)はスタートしてからのそれと変わらない以上、本当の意味で勝負が決まってしまうのは、スタートして200mの向こう正面の直線なのかもしれない。雨のスプリンターズSの本当の直線は向こう正面にある、と言ってもよいのではないだろうか。そこで懸命に追わなかった騎手たちは、直線に向かっているにもかかわらず手綱を持ったままゴールインしたも同じだ。

私は松岡騎手の怖いもの知らずの若さとアイルラヴァゲインの1番枠を買って、このレースを勝ちに行ったのだ。しかし、もう一度、レースリプレイを観てみると、このレースを勝ちに行ったのはアストンマーチャンとエムオーウィナー、アンバージャックの3頭だけであった。

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Xの値は?

Wttakaraduka07

今年の宝塚記念のポイントは体調だと書いた。それは宝塚記念が春シーズンの最後に位置していることと、春に海外遠征をしてきた実力馬たちが出走してきたからだ。有力馬の中ではウオッカとダイワメジャーの体調は下降線で、メイショウサムソンが平行線と私は捉えていたし、そのように書いた。しかし、どうしてもアドマイヤムーンの体調だけは分からなかった。なぜかというと、アドマイヤムーンのドバイデューティーフリー時の馬体重が不明であったからである。

アドマイヤムーンの馬体重を見てみたい。
京都記念  ドバイ   香港    宝塚記念
482kg → Xkg → 460kg → 468kg

京都記念の482kgは休み明けによる太め残りとして、成長分を含めても、これまでの戦績からアドマイヤムーンのベスト体重は460g前半~470kg前半と推測できた。これらの数字を基に、宝塚記念を予想する段階で、私は2つのケースを想定していた。

ひとつは、ドバイデューティーフリー時の馬体重が460kg以上で出走したケース。今までアドマイヤムーンは460kg以下の馬体重で出走したことがないので、数字的にはこちらの方があり得そうに思えた。このケース、つまりX>460kgだとすると、次の香港に向けて馬体重をさらに減らし、体調はおよそ下降線を辿っていることになる。そうだとすると、香港からわずか2ヶ月の間で馬体を回復し、体調のバイオリズムを再び上昇させるのは困難である。

もうひとつは、ドバイデューティーフリー時の馬体重が460kg以下で出走したケース。上の4つのレースの中では、最大の目標はドバイデューティーフリーであったことは間違いないはずで、そのドバイデューティーフリーで究極の仕上げを施すのも当然である。そう考えると、X<460kgは、数字的にはイメージしにくいが、十分にあり得る。そうだとすると、極限の仕上がりであったドバイの反動があっての香港での凡走をステップとして、2ヶ月後の宝塚記念では、馬体を十分に回復して、体調のバイオリズムを上昇させての出走となる。

「馬体は太いくらいに戻っている」という松田博調教師のコメントを知らなかったわけではないが、関係者の話は半分なので、私にはX>460kgのケースの方があり得るように見えた。しかし、結果から見ると正解はX<460kgのケースであったのだろう。つまり、アドマイヤムーンはドバイデューティーフリーに極限の450kg台の馬体重で出走したということである。もちろん、これは推測の域を出ないが、究極に仕上げたからこそ発揮された、あの恐ろしいまでの切れ味を見ると納得できるのではないだろうか。

私はXの値を間違えてしまったわけだが、わが畏友ルドルフおやじさんはアドマイヤムーンの勝ちを完全に読み切っていた。手紙の文面から察すると、もう月曜日の時点でアドマイヤムーンが勝つことが分かっていたのだろう。また、「競馬場で叫ぼうツアー」に参加していただいた方々の中でも、ズバリ単勝を的中された方が多くいた。さすがだと思った。

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ
(石川啄木「一握の砂」より)

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記号ではなく本質を

Wtyasuda07

今年の安田記念は、以下の3つの理由で、サンデーサイレンス産駒を買ってはいけないレースであった。

1、サンデーサイレンス産駒は安田記念を勝ったことがない
2、サンデーサイレンス産駒の特性と安田記念で求められている特性が一致しない
3、非サンデーサイレンス系の馬の活躍が顕著である

1は、数々のG1レースを総なめにしてきたサンデーサイレンス産駒も、今まで安田記念は未勝利で、サンデーサイレンス産駒にとっては鬼門のレースということ。次に2は、安田記念はサンデーサイレンス系の馬が得意とする瞬発力型のレースではなく、苦手にしている持続力を問われるレースであるということ。そして3は、今年に入ってからサンデーサイレンス系の馬が、特に大レースにおいて凡走しているということ。これら3つの理由は、安田記念でサンデーサイレンス産駒を買ってはいけないことを十分に後押ししていた。

しかし、本当にそうだったのだろうか。1は確かに事実であって、それは2ゆえに1ということである。11秒台のラップが量産される安田記念で狙うべきは、過去の安田記念で活躍しているノーザンダンサー系やミスタープロスペクター系、ネイティヴダンサー系の血を持っている非サンデー系の馬である。と、ここまでは大いに正しい。だが、ダイワメジャーはサンデーサイレンス産駒の中でも、瞬発力勝負ではなく持続力勝負に滅法強いタイプの馬なのである。サンデーサイレンスの血が恐ろしいのは、このように様々なタイプの産駒を出すことである。だからこそ、ダートから芝、短距離から長距離までの大レースを席巻できたのである。サンデーサイレンス産駒は、血統的にひと括りにはされないのだ。つまり、マイルCSを勝ってはいたが、同じマイルのG1ということであれば、持続力が要求される安田記念とダイワメジャーの特性は一致するのである。

そして、もうひとつ。特に今年は非サンデー系の台頭が著しかったことがあり、サンデーサイレンス系の馬たちは血の勢いを失ったという話をよく聞くがが、本当にそうなのだろうか。私には、ただ単純に、サンデーサイレンスの仔たちの産駒がサンデーサイレンスの直仔よりも底力が落ちるということだけのように思える。強いサンデーサイレンス直仔の生き残りが少なくなってきて、一枚も二枚も落ちるサンデーサイレンス系の後継種牡馬の仔たちが多く出走しているので、あたかもサンデー系と非サンデー系の逆転が起こったように見えるだけではないのだろうか。つまり、サンデーサイレンス自身の力は健在で、サンデー系の血が飽和したということでは決してないのだ。

とまあ、タマに当たったレースなので偉そうに書いてしまったが、私も一歩間違えばサンデーサイレンス産駒VSその他という図式を描き、サンデーサイレンス産駒ということだけでダイワメジャーを消してしまっていただろう。競馬は知れば知るほど、サラブレッドが記号に見えてしまうことがある。記号と記号が走って、記号が勝ち負けをするのである。単純な区分けも必要ではあるが、それだけでは何も見えなくなってしまう。ダイワメジャーがサンデーサイレンス産駒であることに間違いはないが、ダイワメジャーには母系からも脈々とした血液が流れ、たとえ同じ血を引くサラブレッドとしても妹ダイワスカーレットとはまた少し違った個性を持つ。それがサラブレッドの本質というものだろう。記号ではなく本質。競馬の一番難しいところか。


いつも外れたレースの絶叫ばかりお見せしていますので、たまには勝ったレースをご覧ください(笑)。ゴール後にカメラがブレているのは、失神したからではなく、ご一緒させていただいた方に握手を求められたからです。

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行うは難し

Wtderby07

「言うは易し、行うは難し」とは、小さい頃から耳にタコが出来るぐらいに聞かされてきたが、今年のダービーで初めてその真意を体感することができた。ウオッカが勝ってもおかしくないと言うことと、ウオッカに本命◎を打つことの間には、果たしなく大きな壁が立ちはだかっていたからである。

私はウオッカについて、こう語っている(「ルドルフおやじからの手紙」より)。

牝馬ながらも挑戦してくるウッカは、牝馬離れした身体能力を持つ馬です。「なんだかんだ言っても結局のところ牝馬だから」というセリフは、この馬には相応しくないのかもしれません。横からみると、長方形に近い、まるで重戦車のような馬体です。桜花賞の時はスッキリ見せていましたが、仕上がりすぎていたのかもしれませんね。

桜花賞終了後、ジックリと時間を掛けて立て直してきました。そういう意味でも、桜花賞から1週でも遅いダービーはローテーション的には良いかもしれません。この馬に対しては牝馬という意識は持たずに臨みます。距離の延長も大きなマイナスにはならないはずです。唯一の不安は、体調面が戻りきっているかどうかということです。

「牝馬という意識は持たずに臨む」と書いておきながらも、頭のどこかで、「いくらウオッカが強くてもさすがに牝馬はダービーを勝てない」と思っていたに違いない。最終的には、ウオッカよりもスケールの小さい牡馬アドマイヤオーラに本命◎を打ち、中途半端に賭けてしまったことがその証拠である。どうしてもウオッカに賭けられなかったのは、それはほとんど無意識のようなものではあったが、「ウオッカが牝馬だから」ではなかったか。「牝馬だから」という理由だけで、まるで金縛りにあったように賭けることが出来なかった。

競馬の常識がいつの間にか染み付いていた自分が情けない。私の小さな価値観など、ひっくり返されていい気味だと思う。経験が増えれば増えるほど世間の文脈からは離れがたく、物知り顔した素人(私のことである)には、ダービーで牝馬ウオッカの単勝は買えない。たとえ「ウオッカはいい馬だ、来るかもしれない」とは言えても、牝馬ウオッカの単勝はどうしても買えない。世間の常識に縛られず、牝馬ウオッカの単勝を買えた人は凄い。

ちなみに、ウオッカのダービー圧勝を受けて、私の頭に真っ先に浮かんだのは、やはり、「なぜウオッカは桜花賞で敗れてしまったのか」問題である。牡馬を相手にチャンピオンディスタンスを圧勝したウオッカが、なぜ牝馬のマイル戦で負けてしまったのだろうかということを、私たちはもう一度考え直さなければならないだろう。私見についてはこちらで述べたので省略するが、ウオッカのオーナーである谷水氏が雑誌『優駿』にて、「まあ、厩舎サイドは言わないですけど、心持ち調教をやりすぎたかなというのがあるんじゃないかな」と語ったことは立派だと思った。ファンのためにも、関係者はありきたりの、誰もが傷つかない敗因を述べるだけではいけない。

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先へつながる敗北と信じたい

Wtoaks07_1

この春シーズンの中で、最も箸にも棒にもかからない馬券かもしれない。大いに自己批判されるべきであろうし、そうすることによってしか救われないだろう。

まずは、桜花賞組との力関係の比較を見誤っている。オークスにしてもダービーにしても、基本中の基本として、桜花賞組(皐月賞組)から狙うべきである。春のクラシックでは、何よりもと高い完成度と絶対能力がないと勝ち負けすることは難しいからだ。ベッラレイアのようによほど不運(除外)の続いた馬でない限り、この時期で完成度と絶対能力が高い馬は、勝ち負けはともかくとして、少なくとも桜花賞には出走しているはずなのである。

しかし、あまりにも桜花賞組に形勢が傾いているようであれば、別路線組の馬を狙う妙味もある。たとえば、忘れな草賞組やフローラS組、スイートピーS組である。桜花賞よりもレベルが一枚も二枚も落ちることがほとんどだが、ペースや距離、馬場などが異なるこれらのトライアル組の力量を厳密に計ることは難しい。だからこそ、あまりにも桜花賞組で断然というムードの時に限ってこそ、別路線組を狙う意味があり、カワカミプリンセスのような馬がたまに引っ掛かってくる。

今年のオークスはこの逆のパターンで、ダイワスカーレットとウオッカが他馬を引き離してしまったことにより、桜花賞組の評価は例年になく低かった。実はこういう時こそ、桜花賞組を狙うべきだった。つまり、こっちが傾けばあっちに妙味が生まれ、あっちが傾けばこっちに目を配るべきなのである。

次に、フローラS組の力関係について見誤っている。前走のレース振りを見る限り、ベッラレイアの力が上であることは誰の目にも明らかであり、私もそのように書いた。ただし、ベッラレイアには前走でかなり仕上がっていた感があり、上積みがないだけでなく体調が下降線を辿れば、成長曲線を描くミンティエアーが逆転する可能性がないとは言い切れないとも書いた。しかし、結果としては、逆転は起こりえなかった。開幕週にしてはパワーを要する馬場で、そのような馬場に適性のある馬が上位を占める中(ミンティエアーも同じ)、ただ1頭軽い馬場にこそ適性のあるベッラレイアが勝ったということを思い返すと、フローラS組の中ではベッラレイアの能力は抜けていたということになる。

そんなベッラレイアでも、桜花賞組のローブデコルテに勝つことが出来なかった。秋山騎手の消極的な騎乗はあったにせよ、G1レースを制するには、もうワンパンチ足りなかったというのが現実だろう。それでも、今回の厳しいレースをした経験は(なぜ本番でそのようなレースをしたのかは疑問だが)、ベッラレイアや秋山騎手にとってプラスとなって生きてくるはずである。

先へつながる敗北と信じたい。

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大局観でしか

Wtvictoriam07

「大局観」とは、一般的には物事の全体の流れやなりゆきのことを言うが、競馬においての「大局観」とは、“全体の流れの中で、出走メンバーの力関係を大枠で捉える”ということである。

たとえば、今回のヴィクトリアマイルには18頭の馬が出走してきたが、私は「ルドルフおやじからの手紙」の中で以下のような大局観を書いている。

昨年の第1回目のレースを見て分かったことは、このレースは「牡馬相手に勝ち負けできる牝馬」でないと勝つことは難しいということです。そういう視点で今年のメンバーを見渡すと、やはり中心はスイープトウショウとカワカミプリンセスで仕方がないと思います。

ヴィクトリアマイルは今年で2回目を迎える新設のG1レースだが、昨年はダンスインザムードとエアメサイアの2頭で決着した。この2頭の共通点といえば、サンデーサイレンス産駒であることと、近走で牡馬を相手に勝ち負けできていた牝馬ということである。

サンデーサイレンス産駒は他の出走メンバーにもたくさんいたので、大切なのは後者の「近走で牡馬を相手に勝ち負けできていた」ことだろうと昨年の結果を踏まえて感じていた。「近走で牡馬を相手に勝ち負けできていた」とは、つまり「今年に入って、牡馬牝馬混合戦で1着もしくは2着になっていた馬」という解釈である。

とここまで書いた時点で、私の大局観の重大なミスに気づかれた方は相当に鋭い。昨年のヴィクトリアマイルが終わった時点で私は、「牡馬を相手に勝ち負けできていた」馬でないと勝つことは難しいと感じ、今年のヴィクトリアマイルに当てはめようとしていたのだが、いつの間にか「牡馬を相手に勝ち負けできる」馬にすり替わってしまっていたのである。

厳密に言うと、カワカミプリンセスは「牡馬を相手に勝ち負けできていた」馬、つまり「最近、牡馬牝馬混合戦で1着もしくは2着になっていた馬」ではない。そして、「牡馬を相手に勝ち負けできていた」馬、つまり「最近、牡馬牝馬混合戦で1着もしくは2着になっていた馬」を厳密に挙げていくと、マイラーズカップで2着したスイープトウショウともう1頭、そう、ダービー卿チャレンジで2着したコイウタがいるのである。

もちろん、コイウタのことは気になってはいたが、最後に頭の中から消してしまった。なぜかというと、ダービー卿チャレンジを勝ったピカレスクコートが次走の京王杯スプリングCで惨敗(18着!)していたからである。

コイウタの単勝は、「大局観」だけで取れた馬券であるというよりも、「大局観」でしか取り得ない馬券であった。

恋と馬券は、いつの時も後悔先に立たず。

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雨のせいにする前に

Wtnhkmikec07

私は観戦記の中で、ピンクカメオは道悪になったからこそ勝てたと書いたが、今振り返ってみると、果たしてそれは正しかったのかという思いがある。つまり、ピンクカメオは道悪だから勝ったのではなく、もしかすると道悪でなくとも勝っていたのではないかということである。

そう思い直すきっかけとなったのは、ウオッカのダービーでの勝利である。今年の3歳牝馬のレベルが高い(もしくは牡馬が弱い)ということは、かなり前々から言われていて、頭では分かったつもりでいたのだが、ウオッカにダービーを勝たれてようやく体で理解できたのである。

そんな状況下での3歳牝馬ピンクカメオの勝利だけに、NHKマイルカップはあながち道悪によるフロック(?)とは言い切れないだろう。確かに、道悪に助けられた面があることは否めない。ピンクカメオの父フレンチデピュティはパワーに優れたタイプの産駒を輩出する種牡馬であり、ピンクカメオ自身も、直線の伸びを見る限り相当な道悪巧者(道悪を苦にしない馬)である。また、内田博幸騎手のギリギリまで仕掛けを我慢して、切れ味を引き出した騎乗のアシストも大きい。しかし、たとえレースが良馬場で行われていたとしても、ピンクカメオは勝っていたのではないだろうか。

ピンクカメオの最大の勝因は、何といっても長距離輸送がなかったということにある。これ以上書いても、後付けになるのでやめておくが、つまり力を出し切れる状況にはあったということで、あとは周りのメンバー(牡馬)との力関係だけであったのだ。3歳牝馬が強いという力関係さえきちんと把握できていれば、ある程度論理的に、ピンクカメオという結論を週明けの時点から導くことができたのではないだろうか。有力視されていた実績のある牡馬はなんとも頼りなく、この時期の牝馬は、マイルぐらいの距離であれば、牡馬と互角に戦えることはラインクラフトがかつて証明しているのだから。

それにしても、同じ3歳牝馬であるイクスキューズの使い方には疑問が残る。桜花賞は道中で折り合いを教えて、いかにもオークスを意識したレース振りだったにもかかわらず、なぜかフローラSを使い、NHKマイルカップにも出走させるという無謀に出た。しかも、フローラSでは馬の行く気に任せて回って来ただけの3着である。桜花賞で勝ち負けを半ば捨てて折り合いに専念したのは何だったのか。

強い3歳牝馬の1頭だけに、ゆったりと時間を掛けて調整し、オークスもしくはNHKマイルCに直行していれば、かなり良い結果が出たのではないだろうか。これは結果論ではない。イクスキューズの陣営は、ピンクカメオの勝利という事実を踏まえて、もう一度、(競馬を教えるということを含めた)ローテーションの意味を問い直してみるべきであろう。そして私も、ピンクカメオが勝ったこのレースを道悪のせいにして諦めてしまう前に、もう一度、自分の大局観(力関係を把握すること)の欠如を問い直してみるべきである。

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偶然の上に載る栄光

Wttennosyo07

13.2 - 11.9 - 11.8 - 11.6 - 11.8 - 11.6 - 11.8 - 13.0 - 12.9 - 12.4 - 13.0 - 12.5 - 11.8 - 11.2 - 11.3 - 12.3

長距離レースによくあるパターンの、前半が速くなって、中盤が急激に緩み、ラストがまた速くなるというラップ構成である(これだけ前半に速いラップが続くのも珍しいが)。このラップ構成だけを見ると、アイポッパーの前半の位置取りは実は悪くない。前が止まらない馬場を考えると、少しでも前に位置しておきたいのは山々だが、これだけ速い前半であれば、立ち遅れて後方を進んだことは決して致命的ではなかったのだ。

むしろ致命的だったのは、向こう正面でガクンとペースが落ちた中盤(1400m~2400m)で、先団との差を詰めておけなかったことである。安藤騎手は、(結果的に)ここでひとつだけ判断ミスをしている。アイポッパーを外に出さなかったのである。外に出すロスを避けるという選択肢を選んだ結果、差を縮めなければならない場面で、不運なことに、左右の馬に前をカットされてしまったのだ。結果論で言うと、一旦馬を外に出してから、先団との差を詰めておくべきであった。

→天皇賞春のパトロール映像はこちら(左から8頭目の馬がアイポッパーです)

私は決して安藤勝己騎手の騎乗を批判しているわけではない。そうではなく、最高の騎手である安藤騎手でさえ、わずかな判断ミスで勝利を逃してしまうことがあるということである。もちろん、外に出せていたら勝っていたとまでは思わないが、もう少し勝利に近いところまで手が届いたのではないだろうか。

一旦外に出して差を詰めるか、そのままの進路で差を詰めるか、2つにひとつの選択である。安藤騎手だけではなく、騎手にとって、レースとはこういった選択・判断の連続であり、それぞれの騎手の選択・判断が複雑に絡み合ってレースを形成する。これぞ競馬のレースの未来を正確に予測するのが困難な理由のひとつである。

そもそも、アイポッパーが出遅れたのは、トウカイトリックがなかなかゲートに入らずに、ゲート内で待たされて、馬が神経質になってしまったからだという。たったそれだけのことで、1番人気の馬が出遅れ、レースの展開は大きく変わり、結果も大きく変わる。

アイポッパーが向こう正面で差を詰められなかったことや、トウカイトリックがゲートに入らなかったことは、今回の天皇賞春に限ってたまたま起こったアクシデントではなく、競馬のレースではごく日常的に起こっている出来事なのである。競馬のレースとはそれほど曖昧なもので、常に移り変わる。レースは生き物なのである

そういったあらゆる偶然(accident)の上に、メイショウサムソンの栄光は載っている。

私たちの馬券もまた同じ。

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凄い人がいる

Wtsatuki07

これほどまでに方向性を誤ったレースは久しぶりである。どこをどう誤ったかというと、「皐月賞を予想する前に知っておくべきこと」にも書いた、“皐月賞は道中がゆっくりと流れ、ラストの瞬発力勝負になる傾向が強くなってきている”という分析が誤っていたのである。

もう一度、過去10年の皐月賞における上がり3ハロンの時計の推移を見てみたい(今年を除く)。

36.5→36.7→36.0→36.3→35.8→35.8→34.7→34.4→34.5→35.7

平成15年から17年までが3年連続で34秒台の上がりで決着したため、これからは皐月賞もスローペース症候群に陥るのではないかと考えた。昨年の35秒7は馬場が悪かったため例外とした。スローの瞬発力勝負になれば、ご存知サンデーサイレンス直系の産駒が得意とするところで、これまでの皐月賞で猛威を振るってきたブライアンズタイム産駒の出番は少なくなってしまうということになると分析していたのである。

しかし、そうではなかった。結果、上がりは35秒9という、まるでサニーブライアンが逃げ切った皐月賞を思い出させる決着で、パワーと地脚の強さに勝る馬たちのワンツーとなった。私はフサイチホウオーもこういう力勝負に強いと思っているが、今回は展開が向かない等、レースの綾に翻弄されてしまった。ひとつだけ挙げると、フサイチホウオーは、皐月賞馬の条件である「器用さ」に欠けていたということである。

よく考えてみれば、皐月賞が瞬発力勝負(上がり時計の速い勝負)になる可能性は低い。平成15年から17年までが例外で、おそらくこれからもラスト3ハロンが35秒台後半という決着になるはずである。その主な理由は、中山2000m内回りコースの形状と皐月賞当日の馬場にある

中山2000m内回りコースについてはこちらを参照していただくとして、つまり、このコースは3~4コーナーにかけてスパイラルカーブが延々と続くため、後ろから行く馬は一気に差を詰められず、先行している馬はある程度息を入れながら回ることができる。つまり、どの馬にとっても、ギアをトップに入れるのは最後の310mの直線だけということになる。だからこそ、たとえラスト310mで驚異的な瞬発力を使っても、脚が残っている逃げ・先行馬を捕らえることは難しい。そう、今回のフサイチホウオーのように。

皐月賞当日の馬場については、最終日ということもあって、全体的に重くなっているのが通常である。特に、最も良く使われる3~4コーナーにかけては、見た目以上に馬場の傷みは激しく、当然力の要る馬場となっている。つまり、手脚の軽い、瞬発力で勝負したい馬にとっては、その重い馬場が思いのほか足かせとなる。ほぼ1ヶ月前に行われた弥生賞当日の馬場とは、全くと言ってよいほど異なった馬場になってしまうのである。これも弥生賞馬が皐月賞を勝てない理由のひとつかもしれない。

このように、最初から誤った方向に進んだ船が目的地に着くはずもない。大いに反省し、自分の力不足を嫌というほど思い知ったレースであった。そんな中で、嬉しい知らせもあった。ご存知の方も多いと思うが、あのカリスマネット馬券師(?)の半笑い氏が皐月賞を◎ヴィクトリー→○サンツェッペリンの本線で完全的中させたのだ!半笑い氏とは面識はないが、同じ個人ブロガーとして応援と心配をしていた部分もあって(余計なお世話か)、彼がこのような形でこれだけの馬券を的中させたことは、羨ましさや妬みを通り越して、正直驚きであり、そして嬉しい。やはり、世の中には凄い人がいる。「お金も大切ですが、今回の予想的中は、お金では買えないものをいっぱいもたらしてくれた気がします」という彼の言葉、私はすごく好きだなぁ。

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四位騎手と私の外れ馬券は浮かばれるのか?

Wtokasyo07

こういう馬券は非常に美味しい。圧倒的に強いと思われていた馬が凡走するには明らかな理由があるはずで、その理由を目の辺りにしなければならないからである。野球で言えば、ど真ん中に来たストレートを打ち損じたようなもので、そういう場合、自分の打撃フォームに明らかな原因があることが分かる。その理由や原因を突き止めることが出来れば、その失敗は美味しいものとなる。

ウオッカの敗因は、「前走のチューリップ賞で上がり33秒台の脚を使って勝ったこと」ではないだろうか。勝ち馬が上がり33秒台の脚を使うレースというのは、総じて道中がスローに流れた楽なレース、もしくは異常に時計の速い硬い馬場で行われたレースである。そういったレースにおいて、ラスト3ハロンで一気にギアをトップに入れ、勝つために33秒台の脚を使って目一杯走ることは、サラブレッドの脚元や肉体に目に見えない疲労を蓄積する。あくまでも経験則ではあるが、そういう理由で33秒台の上がりを使って勝った馬は次走で凡走することが多い。

このことは桜花賞前から分かっていたことであり、もちろん私も知っていた。それでもウオッカを本命にしたのは、それでも勝てると高を括っていたからだ。私たちは自分の都合の良いようにモノやデータを見て、見たくないものには目をつぶってしまうことがある。ウオッカの脚元や肉体には、目に見えない疲労が残っているかもしれないという不安があることも知っていたにもかかわらず、目をつぶってしまっていたのだ。「馬券の失敗学」を書き始めたのも、ほとんど同じ理由だったことを考えると、まるで成長していない自分がイヤになる。

さて、ウオッカの敗因が他にもたくさん考えられることは私も分かっている。たとえば、「エルフィンSを一走余計に走ったことが悪かった」、「四位騎手の拙騎乗」、「あの上がりでダイワスカーレットに上がられては届かない」など。それもそうかと思うが、私は「前走のチューリップ賞で上がり33秒台の脚を使って勝ったこと」を支持する。だからこそ、四位騎手が「よく分からない」というコメントも、彼の正直な気持ちだと納得できるのだ。まさか、前走のラスト3ハロンで使った脚の疲労が桜花賞で噴出するとは、考えてもよらないからである。

ただ、私は納得できても、「よく分からない」では納得できないファンもたくさんいることも分かる。それでは、これでどうだろうか。実はダイワスカーレットも桜花賞を33秒台の上がりの脚を使って勝っている。つまり、「前走で上がり33秒台の脚を使って勝った馬は次走で凡走する」という法則がもしかして正しいとすれば、ダイワスカーレットも次走のオークスで負けるということになる。そうすれば、四位騎手も私の外れ馬券も少しは浮かばれるのかもしれない。


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私が単勝を買う理由のひとつ

Wttakamatumiya07

「競馬は強い馬が勝つ」と言われる。同時に、「競馬は勝った馬が強い」という言い方もよくされる。結局はどちらも同じことを言わんとしていて、“実力のある強い馬でないと勝つ(1着になる)ことはできない”ということである。また、逆に考えると、たとえ走る力に劣る馬でも、2着までなら展開などに恵まれることによって食い込むことは可能だということだ。つまり、勝つことと2着に敗れることの間には、決定的な差があるのだ。

私に勝つことと、2着に敗れることの決定的な差を教えてくれたのは、平成6年の安田記念でノースフライトが世界の強豪や並み居る牡馬たちをなで斬りにした、あのレースである。この年の安田記念は、A.ファーブル調教師が連れてきたスキーパラダイスや、サイエダティ、ドルフィンストリートらの外国馬が上位人気を占め、日本馬では快速サクラバクシンオーが外国馬の返り討ちを期待されていた。ノースフライトは、前走のマイラーズカップを勝ってはいたものの、武豊騎手の乗り替わりやG1レース未勝利ということもあり、5番人気に甘んじていた。

レースでは、ハナを切ったマイネルヨースにマザートウショウが絡み、サクラバクシンオーがそれを見る形で、前半からかなりのハイラップで流れた。ノースフライトはスタートで立ち遅れたものの、3角半ばから追い上げを開始し、ラスト200mでは全馬を完全に捲りきって、最後は差が開く一方のゴールインであった。圧倒的な勝利を収めたノースフライトは、その年秋のマイルチャンピオンシップでもサクラバクシンオーを子供扱いし、歴史に残る名牝マイラーとして名を残している。

それに対して、このレースで2着に突っ込んだ超人気薄のトーワダーリンは、どう見ても、ハイペースに乗じて他馬がバテたところをまとめて差し切ったとしか考えようがなかった。トーワダーリン自身も、この時には生涯最高の状態に仕上がっていたのだろうが、それでも展開の助けがなければ2着はなかったと断言できる。事実、トーワダーリンはその後のレースでも、国際G1レース競走2着馬としての貫禄をみせることはなかった。
このレースを勝ったノースフライトとトーワダーリンの着差はわずか2馬身半に過ぎないが、両者の間には決定的な力の差があったことを、私はひしひしと感じざるを得なかった。ノースフライトはたとえ展開に恵まれずとも、多少の不利があろうとも勝っていただろうし、トーワダーリンはいくら恵まれたとしても安田記念を勝つことはなかった。

今回の高松宮記念においても、同じことが当てはまるだろう。スズカフェニックスはたとえ良馬場でも勝っていただろうし、ペールギュントはどれだけ恵まれたとしても高松宮記念を勝つことはなかった。スズカフェニックスが圧倒的なスプリント能力を見せつけて勝利したのに対し、ペールギュントは、展開やコース取りなど、全ての面で最高に恵まれてようやく2着に食い込むことが出来たということである。ペールギュントが弱い馬ということではないが、今後、同じレベルの走りをも求めるのは酷だろう。これほどまでに、勝つことと2着に敗れることの間には決定的な差があるのだ。

「競馬は強い馬が勝つ」

これが、私が単勝を買う理由のひとつである。

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掬い上げることができなかった

Wtfebs07

このレースでは、技術的に大きなミスをしてしまっている。そのミスとは、平安Sにおけるメイショウトウコンとサンライズバッカスをひと括りにして評価してしまったことである。つまり、スローペースの瞬発力勝負がハマったという見解を、2着馬であるサンライズバッカスにも無意識のうちに当てはめてしまったのである。

私は最後のエントリーで、以下のように書いている。

平安Sは超がつくほどのスローペースで流れました。そして、その先行馬有利の流れを、後方から飲み込んだメイショウトウコンとサンライズバッカスは強い競馬をしたと思います。素直に考えればそうなのですが、あまりにもこの2頭のレースが鮮やか過ぎたので、私は少し違った見方もしてみました。

もしかすると平安Sはラスト800mだけのヨーイドンのレースだったのではないか、というものです。道中が極端にスローに流れると、ラストの瞬発力勝負になってしまうことが往々にしてあります。そうなると、スロー=前に行った馬に有利という図式ではなく、たとえ先行していても瞬発力に劣っている馬は差し切られてしまいます。芝のレースではよくある形ですよね。

平安Sは前に行った馬もバテてはいないのだけれども、メイショウトウコンとサンライズバッカスの瞬発力に屈したのではないでしょうか。つまり、この2頭は厳しい展開を跳ね返したわけではなく、ただ単に、他馬よりも瞬発力に勝っていただけということです。そんなイメージで平安Sを捉えているので、メイショウトウコンはある意味でハマったと書いたのです。

そもそも、サンライズバッカスは瞬発力勝負に強いタイプの馬ではない。武蔵野Sに象徴されるように、先行馬がガリガリと行ってペースが速くなってこそ、その末脚の破壊力が生きる馬である。そのサンライズバッカスが、平安Sでスローペースからあそこまで堅実に末脚を繰り出せたのは、まさに5歳を迎えて充実一途を辿っているということを証明しているものであった。フェブラリーSに臨むにあたって、腰高のスピードタイプの馬だけに、距離の短縮はプラスに働くはずで、また道中のペースが速くなることも間違いない。結果論を承知で言わせてもらえば、サンライズバッカスにとっては、まさにお膳立てが整ったレースであった。

それでも、私がサンライズバッカスを本命に出来なかったのは、その気性の難しさゆえである。G1レースのような一瞬のスキも見せられない厳しいレースになると、泥を被って馬が走る気をなくしたり、追われてからフラついたりしてしまっては、勝ち切ることは非常に困難になる。サンライズバッカスはそういった面を背後にあわせ持つ馬で、たとえ安藤勝己騎手であったとしても、勝利に導くのは難しいだろうと考えていたからである。そこで思考はストップしてしまい、平安Sのレース評価からサンライズバッカスを掬い(すくい)上げることができなかった。

たとえハナ差の1、2着でも、スローの瞬発力勝負を得意とする馬(メイショウトウコン)と、ハイペースの前崩れ展開を得意とする馬(サンライズバッカス)とでは、180度評価を変えるべきであった。平安Sのサンライズバッカスは、厳しい展開を跳ね返して2着を確保したと適切に評価すべきであったのだ。その作業を怠ったからこそ、この詰め将棋のようなレースで読み抜けをしてしまうのである。勝てる可能性のない馬の中から勝ち馬を探し、当日の馬場状態に惑わされながらも本命を打ったのは、なんとあれほど中心にしないと決めていた6歳馬であった。

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ディープに本命◎が打てない

Wtarima06

この有馬記念では、お約束的なことも含め、ある種のエンターテイメントとしてディープインパクトを斬ったつもりである。もちろん、「前走のジャパンカップを33秒台の上がりで激走した反動が出る」という理由には、私なりの根拠があった。岡部幸雄元ジョッキーも、「ディープインパクトは極端に上がりの速いレースが多いことが心配だ」というニュアンスのことを、サンケイスポーツの紙面上で書いていた。世界屈指の高速馬場で、いきなりトップギアを入れて最後まで走り切ることが、サラブレッドの肉体的に及ぼす影響は少なくないということである。

ご存知の通り、結果はディープインパクトの圧勝で、私はグウの音もでなかった。結局のところ、ディープインパクトという馬に、そういったサラブレッドの常識は全く通用しなかったことになる。これだけをとっても、ディープインパクトが規格外であったことが、私にはよく分かる。

そういった規格外の強さを十分に承知していながら、それでも有馬記念で本命を打たなかったのは、私にとっては最後の挑戦であると思っていた。そして、明らかに分の悪い賭けに臨むのは、ディープインパクトが絶対勝つだろうという世の中の流れに、ちょっと待ったをかけたつもりでもあった。

しかし、本当にそうだったのだろうか?

ディープインパクトを本命にして、万が一、外したらカッコ悪い。

そんな心理が、私に本命を打たせなかったのではないのだろうか?

偉そうに競馬を語る者にとって(私のように)、またあたかも自分は馬券のセンスがあると勘違いしている者にとって、ディープインパクトという大本命の馬に本命◎を打って馬券を外すことは堪えられない行為なのである。たとえディープインパクトに逆らって馬券を外しても、周りも「そりゃ仕方ないよ」と言ってくれるだろうし、本人も「ディープが勝つのは覚悟の上でのチャレンジだからね」と、下手をすると誇りにさえ思ってしまう。しかし、誰が見ても勝てるだろうと思われるディープインパクトに本命◎を打って、万が一、負けてしまった場合は逃げ道がないのだ。そんなことが起こってしまっては、自分の見識すら疑われかねない。つまり、皮肉なことに、競馬ツウを名乗る者ほど、ディープインパクトに本命◎を打つことのリスクは高いのである。ディープインパクトに本命を打たなかったと私は思っていたのだが、実は打てなかったのである。

あなたはディープインパクトに本命◎を打つことができましたか?

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逃げてはいけない

Wtasahihai06_2

朝日杯フューチュリティSにおけるオースミダイドウの唯一にして最大の敗因は、決して逃げてはいけないレースで逃げてしまったことである。朝日杯フューチュリティSはなぜ逃げてはいけないかというと、例年、ハイペースでレースが流れるため、終いの3ハロンが36秒も掛かってしまうほど、一本調子の先行馬(特に逃げ馬)にとっては厳しい展開になってしまうからだ。急坂が待ち構えていることも含めて、最後の直線まで脚を温存しておかなければ勝てないレースなのである。

そんな中、1番人気を背負って逃げるということは、まさに自殺行為と言ってもよいだろう。他馬の格好の目標にされてしまうのは明らかで、案の定、手応えの良かったローレルゲレイロはオースミダイドウを目標に仕掛けてきた。ドリームジャーニーの勝ちっぷりは鮮やかであったが、その末脚は、逃げたオースミダイドウに演出されたと言っても過言ではない。

なぜペリエ騎手はオースミダイドウを逃がしてしまったのだろうか?

おそらく、オースミダイドウはパドックでも入れ込んでいたし、返し馬でも行きたがる素振りを見せていたため、馬の気持ちに任せて行かせた方が良い結果が出る、とペリエ騎手は判断したのだろう。もともとペリエ騎手は、馬の気持ちに沿って、積極的に前に位置することに徹する騎乗で結果を出してきたジョッキーである。そのシンプルな思考が今回のレースに限っては裏目に出てしまった、と好意的に解釈すればこうなる。

しかし、そうではなかったのではないかと私は思う。馬が行きたがるから行かせるという思考は、ほとんどの意味においては正解なのだが、そうではないレースもある。今回のレースで、馬が行きたがったから行かせたのであれば、その思考は余りにも短絡的すぎる。朝日杯フューチュリティS特有の流れだけではなく、ここを目標にデイリー杯では抑える競馬を教え込んできた陣営の文脈すら、完全に無視してしまっているからである。もちろん、逃げなくても負けていたかもしれないが、たとえ引っ張ってでも抑えるべきだったのではないか。また、ゲートからゆっくり出すという工夫も出来たはずである。

ペリエ騎手は、日本に来て最も成長した騎手である。初来日の時から、日本語でコミュニケーションを取ろうと努め、ヨーロッパと全ての面で違う日本の競馬になんとか適応しようと、考えに考え抜いてこれまでやってきた。そのことが、彼の騎乗に大きな影響を及ぼし、技術の幅を広げ、超一流の騎手へと成長させたに違いない。そんなペリエ騎手が、レースの傾向も理解していなかったばかりか、オースミダイドウの文脈さえも無視したような騎乗をしてしまった。はっきり言って、何も考えていない騎乗である。もしかすると、ペリエ騎手は考えることからも逃げてしまったのではないだろうか。

かつての緻密で大胆な騎乗をまた見たいと思うペリエファンは、私だけではないだろう。

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自意識の病

Wthansinjf06

新馬戦  464kg 2着

未勝利戦 462kg 1着

500万下 456kg 1着

ルミナスハーバーの体調が下降線を辿っていたことは、馬体重の推移を見るだけで分かることであった。「馬体重が語る」第6回でも述べたとおり、前走マイナス6kgの大幅な馬体重減で激走した反動は、次のレースであるここで出るはずで、そのことはルミナスハーバーの体調に対して橋口調教師の泣きが入ったことにもよく表れている。

それでも私がルミナスハーバーに本命を打ってしまったのは、今から思い返してみると、以下の2つの自意識からであろう。

1、小牧太騎手が橋口調教師の管理馬でいつかG1を勝つと思っていた
2、今年度のアグネスタキオン産駒は何かが違うと思っていた

1については、お恥ずかしい話なのだが、平成16年の朝日杯フューチュリティSから私の頭のどこかに刷り込まれてしまったイメージである。ペールギュントの能力からすれば、あのレースは、小牧太騎手が中央入りして初めてのG1レースを勝ち、自身を最大限にアピールできるチャンスであった。しかし、後藤騎手が操るマイネルレコルトに上手く立ち回られてしまい、小牧太騎手は中山競馬場の直線をペールギュントで追い込み切れず、そのチャンスを逸してしまった。幸い私はペールギュントを買っていなかったのだが、それでも小牧太騎手の悔しさは想像に難くなく、このレース以来、いつか小牧太騎手が橋口調教師の馬で追い込んでG1を勝つシーンが頭から離れないのである。

2については、ルミナスハーバーを見た瞬間に、これがアグネスタキオンの産駒だとはどうしても思えなかったことだ。初年度のアグネスタキオンの産駒は、父のスケールを一枚も二枚も小さくしたような、馬体に伸びと柔軟性がない早熟な馬ばかりであった(母父のサクラユタカオーが強く出ているロジックは例外)。母系のロイヤルスキーが強く出ていたのかもしれないが、これらの産駒を見て、アグネスタキオンの種牡馬としての能力に限界を見た気がした。

しかし、今年度のアグネスタキオン産駒は何かが違うのだ。平たく言えば、父に似ていないのである。サンデーサイレンスが抜けて、良質の繁殖が回ってきたこともあるのだろう。繁殖牝馬の良さが見事に引き出されて、1頭1頭の個性や形態にバラつきがあり、奥の深さを感じさせる馬が多い。そして、ルミナスハーバーはその1頭だと思い、いち早く先取りして馬券に生かしたかったのである。

1にしても、2にしても、いずれも先走りすぎていて、自意識過剰のような気がする。小牧騎手は困ると逃げる癖を出してしまい、武豊アストンマーチャンのいい目標にされてしまった。また、アグネスタキオン産駒にこだわったつもりが、同じ新種牡馬であるタニノギムレット産駒のウォッカに勝たれてしまった。その後、ダイワスカーレット、アドマイヤオーラ、ニュービギニングと母系の良さが出た重賞級の活躍馬が出ているが、このレースに関しては先走りすぎていた。アストンマーチャンが勝たないことが分かっていただけに、もう少しシンプルに考れば、ウォッカに辿りついたかもしれない。先取りしてカッコよく勝ちたいという自意識が、それをさせなかったのだろう。

自意識の病。

この病によって、いつも私は美味しい馬券を取り逃してしまう。

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口は災いの元

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「口は災いの元」とはよく言ったものだが、ブルーコンコルドをJCダートに出走させた服部調教師の超が付くほどの強気な発言には、耳を疑った。私の記憶によると、師は「競馬に“絶対”という言葉はないことは知っているが、それでも勝つ。他馬をねじ伏せて勝つ。」と高らかに勝利宣言をした。この発言を聞いて私は、ブルーコンコルドは負けると確信した。

というのも、メルマガ「馬券のヒント」や【決して信じてはいけない】でも書いたように、「競馬の世界で“絶対”という言葉は禁句」だからである。“絶対”に勝てると調教師が宣言した馬が負け、“絶対”に当たると豪語した馬券が外れたりするのを、私は幾度となく見てきている。厳密に言うと、服部調教師は“絶対”とは言ってはいないが、そのニュアンスは、“絶対”と感じさせるに足るものであった。

このような“絶対”と感じさせるような発言が出てくること自体、何かがおかしいのだ。服部調教師は、その思考の過程において大きな錯覚をしていたからこそ、あのような極めて主観的な言葉を発してしまったのであろう。ブルーコンコルドの調子がよほど良かったのかもしれないが、他馬との力差や距離、展開などの要素を冷静に分析しての発言ではない。全体が見えていれば、あのような発言になるはずがないのだ。

もちろん、服部調教師の発言とブルーコンコルドの惨敗の間には、直接的な因果関係はない。強気な発言を受けて、幸騎手が消極的な騎乗をしたわけでも、最後の直線で致命的なほどに前が詰まったわけでもない。ただ単純に、ブルーコンコルドには2006年のJCダートを勝てるだけの力がなかっただけのことである。そして、ブルーコンコルドを本命に推した私の思考過程も、どこかに大きな錯覚があったはずなのである。

服部調教師の発言によって、ブルーコンコルドの人気は急上昇した。1週間前の段階ではほぼ無印であった馬が、当日は2番人気にまで祭り上げられた。あの発言を聞いて、ブルーコンコルドに大金を突っ込んだり、押さえに追加したりした競馬ファンは少なくないだろう。私のようにイヤな予感がしても既に予想を出してしまっていたり、また馬券を買ってしまっていた人もいただろう。その馬を管理する調教師としての発言の形を取っているだけに、影響力は極めて大きいのだ。本人はラッパを吹いて自らを鼓舞しただけのつもりだろうが、あまりにも前時代的なやり方であったし、結果的にはホラを吹いたことになってしまった。

私も気をつけよう。

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<感情>が決断を支える

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マイルCSとジャパンカップは、そのレースの性格やコースの設定上から考えても、基本的には「守る」べきレースである。強い馬がその力を発揮しやすいレースなので、もしAという強い馬(得てして人気馬)と、恵まれればチャンスがありそうなBという馬(得てして人気薄)の2頭で迷った場合には、あえてBという馬を選択して「攻める」必要はないのである。

私はダイワメジャーとプリサイスマシーン、そしてディープインパクトとハーツクライとの間で判断を迫られたのだが、どちらも「攻める」という決断をしてしまった。そして、この誤った決断を下した原因を辿っていくと、“今年これだけ馬券を外してきている以上、今さら「守る」馬券など買うことができない”という極めて不安定な<感情>があったことに行き当たる。「攻める」べき局面において守ってしまったり、「守る」べき局面において攻めてしまったりする時は、得てして、<感情>が不安定な状態にあることが多い

人間の<感情>には、「守り」と「攻め」のバランスを取る役割がある。そして、その2つの間のバランスを取ることは、私たちがどの世界で生き残っていくためにも極めて自然で、正しい方法論なのである。

たとえば、あなたが自然の中でいろいろな所を歩き回って餌を探している動物であるとしよう。すでに、ある場所に行けば食べ物があると分かっている。危険な捕食者もいないと知っている。これは環境の中のほぼ確実な報酬源である。

しかし、その場所に行くだけで生きるために十分な食べ物が確保できると分かっていいても、食べ物を与えてくれる他の場所も探し続ける必要がある。なぜなら、たとえ今ほぼ確実な報酬源があったとしても、いつ状況が変わるか分からないからだ。

つまり、確実な報酬源だけに頼っていたのでは先細りになるし、環境の変化にも適応できない。その一方で、不確実な報酬源ばかり追い求めても、死に絶えてしまう。何がどうなるか分からない未知の世界で生きている動物にとって、ほぼ確実な報酬源を利用することと(「守り」)、未知の不確実な報酬源を探索すること(「攻め」)のバランスを取ることは、何よりも大切なことなのである。

少し話が逸れてしまったが、いざ馬券を買う時には、誰しもが確実な報酬源を利用する(「守る」)か、未知の不確実な報酬源を探索する(「攻める」)かの決断を迫られるだろう。人間の判断や決断は、単に決まったルールに基づいて結論を下すといったプロセスではなく、判断する対象について、必ずしも十分な情報が与えられていない中で行われなければならない。そして、そういった不確実な状況で、「守り」と「攻め」のバランスを取りながら決断を支えているのは、実は私たちの<感情>であることは意外と知られていない。不安定な<感情>では、「守り」と「攻め」のバランスを失ってしまうのである。

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どうぞやめてもらいたい

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こういうのを箸にも棒にもかからない馬券というのだろう。カワカミプリンセスが降着になろうがなるまいが、どうやっても当たらなかった馬券である。しかし、この馬券も、カワカミプリンセスの単勝と同じ紙クズであることに変わりはない。降着になったカワカミプリンセスの馬券を持っていた人の気持ちは察するに余りあるが、これもまた競馬である。

実は私も同じような気持ちを抱いたことがある。平成14年のNHKマイルカップで、タニノギムレットが再三にわたる不利を受けて3着に敗れたレースなのであるが、今から読み返すと、観戦記にもかなり感情的なことを書いている。「これも競馬か??」というタイトルにも、あのレースの理不尽さに対する私の憤りが表れている。論理を詰めていけば競馬の答えは出る、という考えがまだ残っていたあの頃の私には、「これも競馬か??」としか映らなかったのだろう。

あれから4年が経った今は、「これも競馬だ」と思える。自分がカワカミプリンセスの馬券を持っていなかったからではなく、競馬とは理不尽なものだと学んだからである。競馬は強い馬が勝つのだが、常に強い馬が勝つわけではなく、また負けたことには理由がある場合がほとんどだが、理由がなく負けてしまうこともある。そんな当たり前のことを、4年前の私は分からなかったのである。

今回のカワカミプリンセスの降着事件で、多くの的中馬券が紙クズに変わり、それに伴って様々な意見や感情が飛び交った。仕方なしという論調が大勢だったが、中には「競馬をやめたくなった。こんなことでは、競馬から離れるファンもたくさんいると思う。」という悲観論もあった。

どうぞやめてもらいたいと思う。私は、「これも競馬か??」とは思ったことはあるが、「競馬をやめたい」とは一度たりとも思ったことはない。それは競馬に対する愛情があったからだと思う。どれだけ理不尽な仕打ちをされようが、その理不尽ささえ理解したいと思えた。これっぽっちの理不尽に堪えられないのであれば、これを機会に競馬をやめたほうがいい。

もしあなたがこのまま競馬を続けるとすれば、これからも数え切れないほどの理不尽を味わうことになるだろう。自分の買った馬が馬群に閉じ込められて最後まで出られないことなど日常茶飯事で、恐ろしいほどの大金を突っ込んだ本命馬が、恐ろしいほどの不利を再三にわたって受けることもある。今回のように、勝ったと思わせておいて降着なんてことも、もちろんある。そんな辛い思いを、あなたにだけはさせたくないのだ。


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差し返すことの大変さ

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このレースを予想する最大のポイントは、ステップレースである毎日王冠の最後の直線にあった。あのダイワメジャーとダンスインザムードの叩き合いである。馬体を併せた2頭の長いデッドヒートの末に、なんとダイワメジャーがダンスインザムードを差し返したことである。

ここでいう“差し返し”とは、最後の直線でのデッドヒートで、一旦は抜かされた馬が再び後ろから抜き返すということである。最後の直線で“差し返し”が起こることには、以下の2つのパターンがある。

1、先に先頭に立っていた馬が勝手にバテた
2、一度は先頭を譲っていた馬がもう一度伸びた

ほとんどの差し返しは1のパターンである。そして私は、毎日王冠の差し返しも1のパターンだと解釈していた。毎日王冠でのダンスインザムードの馬体は素晴らしかったが、20kgほど増えた馬体重が示すとおり、やはり休み明けの分、太目が残っていたと判断していたからだ。安藤勝己騎手の「ダイワメジャーは抜かされてからやる気になった」というコメントはあったのだが、先頭に立っていた馬が急激にバテると、自分の馬が伸びたような錯覚に陥りやすいので、おそらくそういうことだろうと考えていた。だからこそ、毎日王冠で仕上がっていたダイワメジャーに対して、上積みが期待できるダンスインザムードを上に取ったのである。毎日王冠のハイレベルな決着から、ダイワメジャーを負かすことが出来れば、イコール勝ちにつながると考えていた。

しかし、毎日王冠の差し返しは、なんと2のパターンであったのだ。もちろん天皇賞秋での走りを見ての話ではあるが、ダイワメジャーは素晴らしく覚醒していた。あの覚醒ぶりを見るにつけ、毎日王冠の差し返しは、ダンスインザムードがバテたのではなく、安藤勝己騎手が言うように、ダイワメジャーが自らの力でもう一度伸びたということなのだと改めて解釈し直した。

それでは、なぜ2のパターンが珍しいかというと、2頭のサラブレッドがトップスピードで走っているはずの最後の直線で、一度交わされた馬に追いつき追い越すには、自分の走っている最速のギアをさらに2つは上げなければならないからだサラブレッドは時速60kmくらいで走るが、同じトップスピードで競って走っている時、ほんの一瞬で頭だけ前に出るというのは大変なことなのである

ゴール前の直線で、仮に時速60kmで2頭が競り合っているとすると、単純に考えると、相手が時速60kmなら、時速61km出せば頭くらいは前に出られそうだが、そうはいかない。時速1kmの差で頭だけ前に出るには、20m近く走らなければならない。さらに、頭だけ前に出るだけではなく、一度抜かされた馬を一気に差し返すためには、相手を遥かに超えていくスピードを出さなければならないのだ。

毎日王冠の最後の直線でのあの差し返しは、ダンスインザムードのトップスピードを2つも上回るギアが、ダイワメジャーには搭載されていたということを意味する。ダイワメジャーの体の奥深いどこかに神秘的と言ってもいい力が潜んでいて、ようやくその力を発揮できるようになったというサインであったのだ。そのサインに気付くことができなかった、私の馬券が当たらなかったのは至極当然の結果である。


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記念すべき外れ馬券

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この菊花賞は私にとって記念すべきレースである、と言っても誰もが首をかしげるに違いない。あまりにも外れすぎて、頭がオカシくなったんじゃないか?と思われるのが関の山である。しかし、誰に何と言われようが、この菊花賞の外れ馬券は私にとって記念すべき外れ馬券なのである。

ここ数年来、正直に言うと、自分の予想スタイルに行き詰まりを感じていた。ここで言う予想スタイルとは、馬券の種類や買い方のことではなく、予想をする上での思考の過程(流れ)のことである。野球のバッティングにたとえると、どれだけバットを短く持つかとか、バッターボックスのどこに立つかとか、そういうことではなくて、ピッチャーの投げた球に対して、どのような体の動きをしてバットでボールを捕らえるかという感覚のことである。

昨年は十分な結果を出すことが出来たものの、当てる感覚が自分のものではない気がしていた。たまたま当たって結果が出ただけで、自分としては、ちょっとしたキッカケで外してしまっていたかもしれない、という危うさを絶えず感じていた。馬券の当たり外れは確かに誰もが紙一重なのだが、それにしても、自分自身の感覚の中でさえ当てるという感覚が曖昧で、ここ数年来、確かなものを求めて絶えず試行錯誤していた。

野球のイチローは、凡打をした時に自分が打つ感覚を掴んだという。

「ぼくの場合は、打つ感覚をつかむ大きなポイントが2回あったんですけど、それはいずれも凡打です。通常は、いい打撃をする、ホームランを打つ、ヒットを打つ、そういうことによって、「あ、自分はこれで大丈夫だ」と思うらしいんです。ぼくもそうしてきたんですけど、その感覚って、続かないんです。長く続くもの、強いものというのは、「凡打をして、その理由が分かったとき」なんですね。こういう動きをしてしまったから、こうなったんだ。そういう答えが見えたときは、かなり強い感覚ではないかと思っています。」(「キャッチボール ICHIRO meets you ぴあ」より引用)

そして、その凡打から、いつどのようにして強い感覚を得たかというと、
「一度目は、打って、一塁に走っていくときです。こう…逆戻しをするんですね、頭の中で。自分の打った感覚を逆戻しすると、そのポイントが見えてくる。」(「キャッチボール ICHIRO meets you ぴあ」より引用)と述べる。

ここでいう「逆戻し」というのがポイントであろう。自分のイメージとして描いていたフォームに、実際に凡打したフォームを重ね合わせてみるという作業である。そうすることによって、自分が理想としてイメージする打てる感覚のフォームと、実際には凡打してしまったフォームが、どこのどの動きの中でズレてしまったのかが、まるで方程式を解くように分かったというのだ。

予想の過程にも、これと同じことが当てはまるのではないか。まるでビデオテープを巻き戻しするように、自分の思考の過程を遡って(さかのぼって)みることにより、どこのどの思考の流れの中で当てる感覚がズレてしまったのかを認識できるのである

もちろん、自分の当てるイメージというものが明確にあってこそ、実際に外した自分の思考の流れと初めて重ね合わせることができる。私が自分の予想スタイルに行き詰まりを感じ、手がかりを求めて試行錯誤していた結果として、おそらくこれではないかという当てるイメージがあったからこそ、今回の菊花賞で馬券を外した理由がはっきりと分かったのである。この菊花賞で得た答えは、かなり強い感覚として私の中に残っている。


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ザマアミロと言われそうな馬券だが

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ザマアミロと言われそうな馬券だが、ほとんど100点満点の予想であったと自負している。馬券を外して100点満点もへったくれもないとおっしゃるかも知れないが、私はあると思う。当たらなくてもほぼ完璧な予想もあれば、それは逆に言うと、たとえ当たったとしても完璧ではない予想もあるということである

これはジョッキーの騎乗と同じである。たとえば、武豊騎手ほどのジョッキーであれば、年間で100から200のレースを勝利する。しかし、たとえその武豊騎手であっても、勝った100から200のレースの中で、完璧に乗れたというレースは2つか3つしかないという。それ以外のレースは、馬に勝たしてもらっているというのだ。また逆に、たとえ勝てなかったレースの中でも、ほぼ完璧に乗れたレースもあるという。

もちろん謙遜も含まれているとは思うが、ほとんどの意味において事実であろう。自分の思い描いていたとおりにレースが流れ、騎乗馬の力を最大限に引き出して勝つということは、ナンバーワンジョッキーでもほぼ稀なのである。それよりも、自分は下手に乗ってしまったけれども、馬の力が上で勝手に走って勝ってくれたということの方が圧倒的に多いのだ。

今年の秋華賞を勝ったカワカミプリンセスは、素晴らしい能力の持ち主である。しかし、あの馬体の仕上がり具合を見て、ブッツケで臨んでくるこの馬を買うことは難しかったと今でも感じる。当の本田騎手も、「最終追い切りが終わってからも少し太いかと思っていたが、装鞍所で見たときにはいけると感じた」と答えているように、最終追い切りが終わった時点でもまだ太めが残っていたのである。

それに対し、アサヒライジングが勝つ可能性は高かったと思う。14.0倍というオッズとのバランスを考えても、買うに値した馬券ではなかっただろうか。「逃げ切るための条件」のエントリーは、アサヒライジングに本命を打つ前振りのつもりで書いたが、あのエントリーで言いたかったのは、「リーディングジョッキーが乗った人気馬が差し馬として後方に固まっていること」、「差してきた逃げ馬の次走を狙え」という2つの逃げ馬が残る条件を、アサヒライジングは満たしているのではということである。それに加え、秋華賞特有の瞬発力勝負になりにくい展開が、切れ味はないが地脚の強いアサヒライジングに味方するのではないかという読みもあった。

あとからであれば、自分の良いように何とでも解釈できる。そういった自分勝手な解釈をしないように、客観的に負けた(失敗した)理由を分析するために、この馬券の失敗学は恥を忍んで始めた経緯がある。そして、今までもそうしてきたつもりではある。しかし、今回の秋華賞は少し違うような気がする。外れた馬券を自慢するわけでは決してなく、もちろん賭けた金が返ってくるはずもないのだが、外れてもほぼ100点満点の予想があるのではないかという思いがどうしてもあるのだ。おそらく、皆さんにもそういった予想はあるのではないだろうか。良い予想をしても外れてしまうことや、失敗したなぁと思った予想でも馬に助けられて当たってしまうことが。


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2つの訂正

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今年のスプリンターズSでは、馬券を外してしまっただけではなく、なんと2つの訂正をしなければならないことになってしまった。まずひとつ目の訂正は、「海外馬の叩き2戦目はマイナス体重でのみ狙え」という考え方である。この考え方については、メールマガジン「馬券のヒント」でも発信していたことで、かなりニッチなケースではあるが、知っておいて損はないとしていた。

平成5年に安田記念が国際交流競走となり、スキーパラダイスやハートレイクらの実績ある外国馬が大挙押し寄せた時代があった。当時は、ステップレースである京王杯スプリングカップを使って、本番の安田記念に臨むローテーションが主流であった。そんな中、京王杯スプリングカップを快勝した馬が安田記念で凡走したり、またその逆もあったりと、どちらのレースが目標なのか分からないケースが多かったのである。つまり、ステップレースが8の状態で本番では10なのか、それともステップレースが10で本番は8なのか、各馬の状態や狙いが何とも掴みどころがなかったのだ。

そこで、ひとつだけ目安になるのではと思いついたのが、京王杯スプリングカップから安田記念への馬体重の推移である。以下のデータは、京王杯スプリングカップを叩いて、安田記念で人気になった外国馬の馬体重の増減と京王杯から安田記念の着順の推移である。

平成6年         京王杯からの増減   京王杯と安田記念の着順の推移
スキーパラダイス    +16kg         1着→5着
サイエダティ       +8kg          3着→7着
平成7年
ハートレイク       -6kg           5着→1着
平成8年
ハートレイク       ±0kg          1着→12着
平成10年
アライドフォーシズ   +4kg          4着→5着
平成12年
ディクタット        ±0kg          6着→2着

つまり、京王杯スプリングカップで好走して人気になったものの、安田記念で凡走する外国馬のパターンとして、本番の安田記念で馬体重が増えているということに気がついたのである。ごくごく単純な発想であるが、ステップレースを目標にきっちりと仕上げてきた馬は、本番では馬体を維持するだけか、もしくは反動でプラス体重に転じてしまうということだ。反対に、ステップレースで少し太く(重めに)作ってきた馬は、本番では絞れてマイナス体重になるという発想である(±0kgの場合は判断が難しいのだが)。あくまでも目安としてではあるが、大方はそういうことだろうと考えていた。

しかし、今年のスプリンターズSで、テイクオーバーターゲットはなんと+6kgで出走して圧勝してしまった。「海外馬の叩き2戦目はマイナス体重でのみ狙え」という考え方は、ものの見事に打ち砕かれてしまったのだ。ステップレースを叩いてわずか3週間で、さらに充実させながら仕上がったテイクオーバーターゲットの充実ぶりには驚きを隠せない。こういうパターンもある以上、「海外馬の叩き2戦目はマイナス体重でのみ狙え」という考え方は訂正せざるを得ないだろう。

もうひとつは、レース後の観戦記でレースの流れをスローペースとしたことである。ラップの数字は馬場の位置によってバイアスが掛かってしまうので鵜呑みにせず、私はどちらかと言うとレースを目で見たペース感覚を優先しているのだが、前半32秒8→後半35秒3という数字を見れば、どう考えてもスローとは言い切れないだろう。「穴馬発見☆別館」さんの【G1回顧】を拝見して、間接的に気づかされたのだが、やはりこちらも訂正しておきたい。正しくは、「時計だけを見ると前傾ラップが刻まれているように見えるが、上がりが掛かって内側が止まりにくい馬場や、テイクオーバーターゲットがあまりにも強かったことによって、前に行っている馬にとって有利な流れ」というのが正しい表現である。

馬券を外したのは仕方ないとして、ディープインパクトは負けるわ、訂正は2つも出てくるわで、これぞ泣きっ面に蜂である。なかなか物事は上手く行かず、と同時に、もっと勉強しなければ恥ずかしいと気付かされた1週間であった。なんとも情けない…。

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答えや過程はひとつじゃない

Wttakaraduka06

はじめに言っておくが、私は決してアンチ‐ディープインパクトではない。そうではなく、ディープインパクトという馬の能力に心底惚れているし、チームディープインパクトをどこまでも応援している。そして、私が生きている間にはもうお目にかかれないかも知れない、日本競馬の至宝の走りを、目に焼き付けておきたいと常々思ってもいる。

それでも、私が宝塚記念において本命◎を打たなかったのは、レース前の時点では、ディープインパクトが負ける可能性は十分にあったからだ。今でもそう思っている。もちろん、どれだけ強い馬であろうが、負ける可能性はあるのだが、特に今回の宝塚記念は十分にあったのである。

私としては、むやみやたらとこのようなことを言っているわけではなく、皐月賞、ダービー、菊花賞の3冠レースは実際に本命◎を打っているし、本命を打たなかったのは、有馬記念と天皇賞春、そして今回の宝塚記念である。皐月賞、ダービー、菊花賞は、「勝つだろう」という気持ちで本命◎を打ち、有馬記念、天皇賞春と宝塚記念では、「負けるかもしれない」という意味で本命を打たなかった。

もし、「負けるかもしれない」という気持ちが強いならば、たとえ結果的にそれが空論であったとしても、思い切った思想(予想)を展開するべきなのである。そして、思い切って挑戦してみたことによって得るものも大きい。

私は宝塚記念が終わった後、ディープインパクトが調教で走らなくなった理由がようやく分かった。調教で走らなくなる理由として、「体調が悪い」と「走る気力が失せている」の2つを私は挙げたが、ディープインパクトの場合はどちらでもなかった。ディープインパクトは、調教で人間が乗って走ることに慣れてしまったのだ。よく言われる、ディープインパクトは頭が良いから、調教とレースの違いが分かるということではなく、毎日繰り返される日常的な調教に慣れてしまって、それほど本気で走らなくてもいいことが分かってしまったのである。

これはディープインパクトだからということではなく、どんな馬でも、ちょっと気を抜くとサボろうとするし、適当に走ってサッサと厩舎に帰ろうとする。それを、人間側が手を変え品を変え、走る気にさせるのである。ディープインパクトはあまりにも厩舎にいる期間が長すぎて、調教で走ることに飽きてしまっている。おそらく、厩舎にいること自体がストレスにもなっているに違いない。

レースでは緊張して走ったので、悪い結果は出なかったが、ディープインパクト自身の気持ちの面での変化は明らかである。その変化がディープインパクトの走りに影響を与える可能性は、宝塚記念のレース前には確かに存在した。競馬は結果が明らかになるゲームであるため、正しい答えやそこに至る思想(予想)の過程もひとつしかないと思われがちだが、そうではないだろう。ディープは格好よくて、私は格好悪かったが、その思想(予想)の過程は間違ってはいなかった。

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馬券が当たらない時には

Wtyasuda06

とても抽象的な話になってしまうことを予めお断りしておくが、どうにもこうにも当たらない時は、自分の予想プロセスを見直してみること以上に、まずは自分の周りを見渡してみることが大切だ。なぜなら、自分の身近にいる大切な人間が応援してくれない状況では、どうあがいても勝負には勝てないからだ。

かつて、将棋の米長邦雄(永世棋聖)が、勝負運についての面白い話をしていたことを思い出す。将棋で同じぐらいの実力がありながらも勝負に勝てる子と勝てない子、また伸びる子と伸びない子の違いは、その子供の育った家庭の空気にあるのではないかという話である。あくまでも仮説であるが、勝てる子、伸びる子の育った(育っている)家庭の空気は“丸い”らしいのである。逆に、才能がありながらも伸び悩んでいる若手について、「この人は母親が応援していないからだめ」という論評をしいていたこともあった。

このことは、心理学でいう「自我関与」と大きなかかわりをもつ。「自我関与」とは、どれだけ自分が主体的に関わっているかということであるが、当然のことながら「自我関与」が高ければ高いほど勝ちたいという気持ちは強い。しかし、身近にいる大切な人が応援していないという状況においては、「自我関与」は安定せず、勝ちたいという気持ちは空回りしてしまう。「自我関与」が不安定な状態になってしまうと、勝ちたいという気持ちに波が出てしまい、悪い時には、勝たなければならないという強迫観念に襲われることになる。

勝たなければならない強迫観念に襲われると、これも心理学でいう「知覚自由度」が低くなってしまう。「知覚自由度」が低いとは、自分はやりたくてやっているわけではなく、やらされていると思ってやる状態である。馬券で言うと、当てたいという気持ちではなく、当てなければならないという気持ちが強くなってしまうことである。ものごとは何でも、「知覚自由度」が高い状態で行う方が良い結果につながることが多く、「知覚自由度」が低ければ、それだけ視野が狭くなり、直感も働かなくなる。

もちろん、周りの全ての人間が応援してくれるわけではないし、思いがけない修羅場をくぐらなければならない時もあるだろう。そんな時は、黙って時の経過を待つしかないのだが、何よりも怖いのは、自分の気付かないところで、「自我関与」が不安定な状況になってしまい、自らの「知覚自由度」を低くしてしまうことである。気付かない人は気付かない、目に見えない空気のような話だけに、あれよあれよという内に勝負の運は逃げていってしまうのだ。

馬券が当たらない時には、ゆっくりと時間をかけて、自分の周りにいる大切な人々の気持ち、そして自分の気持ちにも耳を澄ませてみたい。


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悔しくて情けなくて

Wtderby06

「馬体重が大幅に減った前のレースの数字に戻った時、次のレースからは<体調>が戻ったと判断する」を証明したくてアドマイヤムーンを買ってしまったが、私がこの復調の理論に執着してしまったのには伏線がある。

実は私は皐月賞でアドマイヤムーンを消している。その理由は弥生賞からの反動である。アドマイヤムーンの馬体重が大幅に減ったのは弥生賞時であり、マイナス6kgという、ほとんど100%に近い、キッチリと仕上げられての出走であった。皐月賞では、その反動が出てしまい、力を発揮することが出来ないだろうと警告した。実際に、アドマイヤムーンは本来の力を発揮することなく4着に敗れ、馬体重の原則の正しさを証明できたのではと満足していた。

ところがなんと、その皐月賞でアドマイヤムーンは、馬体重をプラス6kgと、大幅に減る前の体重に既に戻していたのだ。「馬体重が大幅に減った前のレースの数字に戻った時、次のレースからは<体調>が戻ったと判断する」という復調の理論に基づくと、アドマイヤムーンはダービーにおいて復調しているということが予測出来る。

このプラス6kgという数字を見て、私が同じ馬(アドマイヤムーン)で馬体重の原則だけではなく、復調の理論までもが証明できるのではないかと考えたのは当然と言えば当然のことである。つまり、集中連載:「馬体重は語る」が、アドマイヤムーンの凡走と好走によって、現実の証明という最高の形で完結するストーリーを思い浮かべてしまったのだ。

しかし、現実にうまく完結しなかったのはご存知の通りである。アドマイヤムーンが走らなかったのは、復調の理論が間違っていたということでは決してなく、皐月賞時に比べ、実際にアドマイヤムーンの<体調>は良くなっていただろう。それでも勝てなかったのは、距離が長かったのかもしれないし、馬場の影響もあったのかもしれない。道中で閉じ込められて、この馬のリズムで走れていないこともあっただろう。

様々な理由が思いつくが、いずれにせよ、<体調>が良いというだけではアドマイヤムーンは勝つことが出来なかった。つまり、G1レースは、<体調>が悪ければ勝つことはできないが、<体調>が良いだけで勝つこともできないのである。そんな当たり前のことを、今年のダービーでは再確認させられた。

技にこだわりすぎた自己満足な馬券を、前日の雨が綺麗さっぱりと洗い流してくれたのかもしれない。久しぶりに悔しくて、情けなくて、レースが終わってから大人げもなくフテ寝をしてしまった。


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ただの紙クズ

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オークスでは桜花賞組を狙い打つのが馬券の定石である。たまに今年のように桜花賞組以外のトライアル組が勝ったりすると、桜花賞とオークスでは求められているものが違うという論法がまかり通るが、決してそうではない。桜花賞とオークスはほとんど一直線上にあり、桜花賞で好走した馬が普通の体調で出走してくれば、多少の着順の入れ替わりこそあれ、オークスでの好走も間違いないというのがオークスにおける正しい大局観である。

しかし、今年のオークスに限っては、私はこの大局観を捨てた。なぜなら、桜花賞上位組(キストゥヘヴン、アドマイヤキッス、コイウタ)は、万全の体調ではないように見えたからだ。いくら完成度の高い桜花賞組でも、万全の体調でなければ信用を置くに足りない。そして、他の桜花賞組にも、オークスというG1レースを勝ち切るだけの潜在能力を秘めた馬がいるようには見えなかった。だからこそ、10年に1度か2度しかない別路線からの勝利という大局観に賭けてみたのだ。

私の馬券が正しかったのは、ここまでである。

勝ったカワカミプリンセスは別路線組であるが、その強さを私は見抜けなかった。正直に言って、今でもこの馬が本当にG1レースを制したのかと不思議に思う。ガラスのパドックでも書いているように、どこからどう見ても平凡な馬である。オークスを勝った後に、男勝りの素晴らしい馬体などと煽った専門家もいたが、これぐらいの馬体の牝馬は900万レベルにゴロゴロいる。見た目や、その走りだけからでは、カワカミプリンセスの強さは決して分からなかった。

たとえ、大局観は正しくとも、馬の力が見抜けなければただの紙クズである。


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五風十雨

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皐月賞からNHKマイルC、ヴィクトリアマイル、そしてダービーに至るまで、これほど馬場状態とトラックバイアスの把握に悩まされた年はない。まず、5週連続G1シリーズが行われた今年の東京競馬場は、外目の芝が長く、外を通った馬が伸びないというトラックバイアスが明らかであった。それに加え、雨が降り、排水システムの作用で内埒沿いの方がより走りやすくなることによって、トラックバイアスは一層強まった。

東京競馬場で雨が降ると内が有利になるこの現象は、【そのまま、そのままっ!】の山城氏の言葉を借りると、「タップダンスシチーの法則」と呼ばれる。平成15年にタップダンスシチーがジャパンカップを逃げ切った馬場状態とコース取りから名づけられたらしいが、「タップダンスシチーの法則」とは、より詳しく説明すると以下のようになる。

東京競馬場・芝コースで「前日・前夜に雨」「レース当日は曇りまたは晴れ」という条件が揃ったとき、地下に埋設された排水システムの作用により、コースの内側からいちはやく馬場の乾燥が進行する。その結果、イン有利のトラックバイアスが生じること。【そのまま、そのままっ!】より引用」

今年のNHKマイルカップとヴィクトリアマイルは、外の芝が長いということと、この「タップダンスシチーの法則」が絶妙に絡み合って、極端に内有利のトラックバイアスが作り上げられてしまった。そのことにいち早く気づくことが出来た者だけが、G1レース5週連続のスタートを最高の形で切れたに違いない。残念ながら私には、それができなかった。

予想を馬場状態によって変えていくのは極めて難しい作業であるし、今から思えば、刻々と変わりゆく馬場状態に気を奪われ、肝心の各馬の能力差や個体差といった大局的な判断力さえ失ってしまっていた。馬場を読み切れていれば、自信を持って買えた馬券も多かったに違いない。重馬場になった時の対応について、もっと多くを学ばなければならないと痛感させられた。そして、【そのまま、そのままっ!】の山城氏の馬場に対する深い観察と考察には、感心させられたと同時に学ぶところも多かった。

このエントリーのタイトルである「五風十雨」とは、五日ごとには風も吹き、十日ごとには雨も降る、そういうことは普通のことなのだ、という意味の漢詩の一部である。レースは良馬場ばかりで行われるわけではない。今年のように、日曜日にばかり雨が降ってしまうことも、ごくごく普通のことなのだ。雨が降ったから馬券を外してしまったでは済まされないのである。


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自らを戒めよ

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NHKマイルカップの敗因は、フサイチリシャールという馬に対する、私の認識が完全に間違っていたことに尽きる。実は皐月賞でも本命に推していたので、これで二度も認識を誤ってしまったことになる。

私個人的には、フサイチリシャールが、最もこの馬らしさを発揮したのは、東京スポーツ杯2歳Sであったと思う。逃げる形にはなったが、道中掛かるでもなく、余裕に溢れるリラックスした走りで、直線に向いてからは、追えば追うだけ伸びるといった手応えで楽勝した。スピード、スタミナ、パワー、柔らかさ、そしてレースセンスといった、父クロフネ、母フサイチエアデールのいいとこ取りをしたような、理想的なサラブレッドの誕生を予感させた。

それでもなぜ朝日杯フューチュリティSで本命に推さなかったかというと、マイルという距離は本質的には不向きではないかと考えたからだ。もしひとつだけ、この馬に負ける要素があるとすれば、それはマイルという距離での一瞬の瞬発力勝負になった場合、つまりジャリスコライトのような完成度の高いマイラーに、ビュっとマイラーの切れ味で差し切られてしまうケースではないかと想像していたのだ。結果的には、ジャリスコライトは本来の出来にはなく、フサイチリシャールはスピードで押し切る競馬だけで勝利してしまった。

このレース辺りから、私とフサイチリシャールの歯車が狂い始める。私はフサイチリシャールを、2000Mを走り切るだけの豊富なスタミナを備えながらも、中山のマイル戦をスピードだけで押し切ってしまった凄い馬と認識した。だからこそ、年明けの共同通信杯も、ただ単に休み明けで太め残りだったための2着と楽観していた。さらに、意外なほど直線で伸びを欠いたスプリングSについては、福永騎手が差す競馬を試みた結果の仕掛け遅れと解釈した。おそらく、フサイチリシャールの敗因について、福永騎手もここまでは私と同じように考えていたはずである。

今から考えると、スプリングSの時点で気付くべきであった。フサイチリシャールは、朝日杯フューチュリティSを勝った時点で、マイルをスピードに任せて押し切るだけの馬になってしまっていたことに。それまで持ち合わせていた柔らかさやレースセンスを失い、その結果、スタミナを浪費する走りしか出来なくなってしまっていたのだ。共同通信杯はまだしも、スプリングSでは道中で力みが目立ち、もちろん皐月賞へとそれはつながっていく。皐月賞でのフサイチリシャールは、明らかにマイラーの失速の仕方であった。

実際のところ、私は皐月賞が終わった時点でも、フサイチリシャールの異変に気付かなかった。G1トークでの最終結論を見ていただければ分かるが、皐月賞の敗因を馬体の変化に求めていた。確かに、皐月賞時に比べると、NHKマイルカップ時の馬体はスッキリと映るが、もうこの時点ではそういう問題ではなかったのだ。馬体うんぬんではなく、フサイチリシャールに中山のマイル戦をスピードで押し切る競馬のリズムが刷り込まれてしまっていたことが問題であったのである。

この問題を掘り下げると批判へとつながりかねないので、簡単に触れるだけにするが、フサイチリシャールを朝日杯フューチュリティSに使ったことは間違っていたのではないだろうか。なぜあれだけゆったりと走れる馬を、ラジオたんぱ杯2歳Sではなく、朝日杯フューチュリティSに参戦させたのか。この疑問は、かつてサクラプレジデントが朝日杯フューチュリティSに出走してきた時にも感じたことがある。

目先のG1レースを勝ちたい気持ちはよく分かる。しかし、将来マイル以上の距離で活躍が見込める素質馬を、朝日杯フューチュリティSに出して、中山マイル戦の流れを刷り込むことはないのではないだろうか。もちろん全ての馬がダメになるわけではないが、気性の真面目な若駒ほど、1つ1つのレースによる刷り込みの影響を受けやすいのは事実である。朝日杯フューチュリティSがクラシックへとつながりにくいのは、それゆえである。

いずれにせよ、そのことに気付けなかったばかりに、私は二度も買わなくてもよい馬券を買ってしまったことになる。本当のところを言うと、NHKマイルカップが終わった直後にも、フサイチリシャールの敗因を掴みかねていた。今になって、冷静に考えてみてやっと分かったのだ。敗因の見極めは、競馬を予想する上で最も難しい作業のひとつではあるが、1頭の馬に対する認識違いが、後々のレースにおける予想を大きく左右してしまうという典型的な例である。他人の馬の使い方を指摘する前に、自分の認識違いを深く自戒すべきである。


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レースは記憶を持たない

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アドマイヤキッスかアドマイヤムーンのどちらかは勝つのではないだろうか。どちらも勝つこともあるかも知れないが、どちらも負けるということはまずないだろう。どちらかが勝つとすれば、どちらだろう?どちらかが負けるとすれば、どちらだろう?

このようなテーマ(ストーリー)を持って、桜花賞の予想に臨んだ人は案外多いのではないだろうか。

両馬は、武豊騎手が騎乗し、松田博厩舎に所属し、近藤利一オーナーの所有馬である。どちらもトライアルレースであるチューリップ賞と弥生賞を勝ち、本番へと王手をかけていた。これだけの類似点があれば、意識的であれ無意識であれ、2頭をひと括りのテーマ(ストーリー)として考えてしまうことは避けられないだろう。

桜花賞を◎キストゥーへヴンで的中した青柳氏も、のちのG1トークでこう語っている。

「同じオーナーが2週連続クラシックを勝つことはそうそうないだろうと思い、"打倒アドマイヤキッス"として、桜花賞の予想に望んだのですが。…」

結果的に馬券は的中したのだが、彼ほどの上級者でも、このような考え方の間違いを犯してしまうことがある。どこが間違いかというと、全く連続性のない2頭の馬とそのレースを、あたかも連続した因果関係を持つレースとして捉えてしまっていることにある。

過去と現在、現在と未来、そして過去と未来とのつながりを、我々の誰もが意識しながら生きている。それは競馬の予想でも同じことで、過去のレースを分析して、現在の馬の状態を把握しながら、未来のレースを予測するという、過去から未来へと連なる一本の線の上で私たちは思考する。

しかし、馬とレースが違えば、その結果に連続性はない。

これは、丁半博打でよく言われる、「サイコロは記憶を持たない」ということである。イカサマが行われていない限りは、サイコロを振って奇数が出る確率は50%(2回に1回)である。そこで、たとえば奇数が10回続いたとする。そうすると、次は偶数が出る確率が圧倒的に高いと考えてしまう。今度こそは偶数が出ると信じて大きく賭けてみるものの、11回目もなんと奇数、ということは往々にしてギャンブルの世界ではあり得る。つまり、サイコロは過去に出た目を覚えていない。過去にどんな目が出ていようが、その1回1回における奇数・偶数が出る確率は50%なのである。

競馬のレースにおいても、これと全く同じことが当てはまる。「レースは記憶を持たない」のである前の週のG1レースで、同じオーナーが勝ってようがいまいが、今週のレースでそのオーナーの馬が勝つ確率は変わらない。今回のレースで、その馬にその騎手が乗って勝つ実力や運があるかどうかが全てなのである。

分かっていながらも、このような間違ったテーマ(ストーリー)を、いつの間にか作り上げてしまっていることは案外多い。もしかすると私も、皐月賞でのアドマイヤムーン斬りを意識していただけに、アドマイヤキッスは桜花賞を勝つだろうと無意識のうちに決め付けていたのかもしれない。アドマイヤキッスは力が抜けていると判断して、それ以上の思考を停止してしまった私こそが、間違ったテーマ(ストーリー)に支配されていたのかもしれない。この歯痒い2枚の外れ馬券を振り返るつけ、強くそう思う。

Wtsatuki06

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妄想を論破せよ

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これは妄想に取り憑かれた馬券である。朝起きて、予想をアップしようとしたその瞬間、ウィンクリューガー本命という妄想が私に取り憑き、そして私を支配した。ウィンクリューガーの調教の動きが良かったことと、外枠でスムーズに運べそうという2点が結びついて生まれた妄想だろうが、これまでの読み筋に全くなかった考えが、あっという間にオレハマッテルゼ本命の予想を押し潰そうとしていた。私は正午近くまで抵抗したが、結局、その消しても浮かんでくる妄想に屈してしまった。

ここでいう妄想とは、理性的・理論的に考えてほとんど起こりえないと分かっていることにもかかわらず、自分の頭の中だけでイメージが膨らんでしまい、極めて主観的なイメージを打ち消すことが出来なくなってしまうことである。

天才数学者のジョン・ナッシュをご存知だろうか。ナッシュ均衡という考えを発表し、映画「ビューティフルマインド」とノーベル経済学賞受賞で有名になったが、彼は30歳くらいの時に心の病を発症し、晩年まで様々な妄想に取り憑かれることになった。ナッシュの妄想とは、自分だけが特殊な使命を帯びていて、自分だけが暗号の指令を読み取ることができというものであった。

彼はその妄想をどのように克服し、正気に戻って来られたかというと、心の中でつねに妄想を論破したらしい。たとえば、自分が外国政府か宇宙人から極秘指令を受け取って、世界救済のために特別な使命を果たしているという妄想を否定するためには、それをまず仮説と設定した上で、新聞を読んだり、外界を観察したりして得た情報に照らして、仮説が成立するかどうか論理的に詰めていく必要があるという。頼りになるのは、自分の論理的思考だけであり、この作業はきついダイエットのように苦しい作業であるという。

妄想に取り憑かれることは、私自身初めてのことではないし、むしろ私だけに限ったことでもないだろう。私たちは予想の過程で様々な妄想に取り付かれるはずで、予想とは様々な妄想を論理的に打ち消していく作業であるとも言える。

今回の高松宮記念で、最後の最後に来たビッグウェーブのような妄想を、凡人の私は論破することが出来なかった。そして、あなたはあなた自身の妄想を論破しなければならない。


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なぜ考えるのか

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このわずか2.7倍の単勝を買うために、私はおよそ1週間考え続けた。特にレース前日の土曜日などは、ほとんど1日中をフェブラリーSの予想に費やしてしまったのだ。やっと決断できたのが日曜日の朝で、当ブログへのアップもかなり遅い時間になってしまった。

私が考え続けたのは、もちろんカネヒキリの取捨である。

カネヒキリには、次の2つの不安点があった。
1、能力を発揮できる状態にまで仕上がっているのか
2、スタートで立ち遅れることはないのか

まず1については、レース1週間前までの馬体を見る限り、まだ100%の状態にまでは仕上がってはいなかった。しかし、芝コースで行われた最終追い切りで、ハットトリックを凌ぐ動きを見せ、このひと追いでガラッと状態が上向くことも期待できた。

2については、この東京1600mダートで走った2つのレースで、カネヒキリは共に立ち遅れている。2度あることは3度あるというように、今回のレースでも立ち遅れてしまう可能性は十分にある。とはいえ、カネヒキリは本来スタートの良い馬でもあり、これといって立ち遅れてしまう決定的な理由もない。

つまり、どちらの不安も、実際にレースで走ってみないと分からないのである。

競馬において、ほとんどの要素は実際に走ってみないと分からない。スタートした後に、全ての不安は解消されるか、もしくは見事に的中することになる。しかし、競馬の予想をする以上、スタートをする前に少しでも多くの不安要素を解消していかねばならない。特に今回は、カネヒキリが圧倒的な能力を持っていることがはっきりしている以上、上の2つの不安を解消できるかどうかが馬券の当たり外れに直結してくる。だからこそ、私は他のことを全て投げ打って考え続けた。

しかし、どうしても私には分からなかったのだ。それでも私は、「カネヒキリは完調とまではいかないが、能力を発揮できる状態にまで仕上がっていて、たとえ出遅れたとしても、なんとか差し切ることができるはず」という結論を下した。そして、実際のレースでは、カネヒキリは出遅れることもなく、私の結論を大きく上回る、他馬を寄せ付けない強さで圧勝した。結果的に馬券は当たったものの、決して私の考えが当たったわけではない。

レース後の安堵感の中、「なぜ、毎々レース、当たりもしない先を考えるのだろう?」とふと思った。そのレースを当てるために考えているのだが、実際にそのレースの勝ち負けに直結することはほとんどないという実感があるにもかかわらず。実際に走ってみないと、ほとんどのことは分からないと分かっているはずなのに、それでもなぜいつも考えてしまうのか。

疲労した頭で出した結論は、

「それでも考えないと、いつか負けてしまうから」

である。

つまり、そのレースを当てるために考えていることが、結果として、どこかのレースで役に立つという直感があるからである。今回考えたことが、また次に考える時に、いろいろ考える方法のひとつとして役に立つということはよくある。たとえばカネヒキリについて考えたことが、ディープインパクトについて考える時に、ひとつのノウハウとして生きてくるのである。

考えなくても当たることもあるが、考えなければいつかは負けてしまう。

だからこそ、もし競馬が知的ゲームであるとすれば、考えることを続けた者のみが最終的な勝者になれるのだ。


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時にはジョッキーの視点を

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「ジャパンカップのあとは、何度も反省した。何度も何度も…。どういう乗り方がハーツクライにとっていいか考えて、今回は乗り方を変えてみようと思った。それが、この結果につながったと思う。」

有馬記念を勝利したルメール騎手の弁である。

騎手としては当たり前のことなのかもしれないが、ルメール騎手がジャパンカップの騎乗を反省し、有馬記念に向けてハーツクライの騎乗を考え抜いていたことに、軽い衝撃を受けた。

思い返してみれば、ルメール騎手は惜しいところでG1レースを取り逃がすことが多かった。ダンスインザムードに始まり、コスモバルク、ダイワメジャーときて、ハーツクライのジャパンカップはなんとハナ差。ハイペースを綺麗に差して、それでもデットーリ騎手にわずか届かなかった。もっとも、ルメール騎手だからこそあそこまで迫れたはずで、完成度の高い騎乗は非の打ち所がなく、勝てないのはただ運に恵まれていなかっただけである。

そのルメール騎手が、ジャパンカップのあと何度も何度も自身の騎乗を反省し、どういう乗り方をすればハーツクライを有馬記念で勝たせることができるか、考えに考え抜いたというのだ。

それに比べ、私は有馬記念を勝利するために、どれだけ考えたのだろう。

ディープインパクトを初めて消すという挑戦には成功したが、本命◎を打ったのは、休み明け2戦を叩いて上積みが期待でき、ペリエ騎手で先行できるデルタブルース。結果が出てみると、あまりにも安直で、ワンパターンな予想であった。しかも、前が止まらない有馬記念時の馬場状態を考えると、ハーツクライの追い込みでは勝つことが難しいと安易に決め付けていた。ハーツクライのルメール騎手が勝つために先行して来る可能性など、これっぽっちも考えてはいなかった。

考えに考え抜いたルメール騎手に対して、考えて考え抜かなかった私。この違いは大きい。

私たちは、時にジョッキーの視点に立ってみることも大切である。自分だったら勝つためにこう乗るだろうという具合に、ジョッキーの気持ちになってレースをイメージしてみる。まるでジョッキーがそうするように、スタートからゴールまで、いろいろなパターンのレースを想定してシュミレーションする。そうすることによって、思いもよらなかったレース展開が見えてくることもある。勝てるはずもないと思っていた馬が、乗り方ひとつでチャンスがあることにも気付くかもしれない。ジョッキーの視点を持ち込むことによって、馬券にも幅が広がることは間違いない。イメージしてイメージし抜く。考えて考え抜かなければ、最後に勝利を手にすることはできないのだ。

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閉口

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朝日杯フューチュリティSは完成度の高い実力馬が順当に勝つことができるレースで、一般的な手順を踏んで予想をすれば、勝ち馬を当てることはそう難しくないレースである。

将棋で言えば詰め将棋のようなもので、正解は最初から用意してあり、その正解に向かって最善手を探していく逆算をすればよいだけである。少し極端なたとえかもしれないが、きちんとした手順を踏めば勝ち馬を見誤るということが少ないという意味において、朝日杯フューチュリティSは詰め将棋なのである。

もう一度、朝日杯フューチュリティSを振り返ってみたい。私が本命に推したジャリスコライトは、フサイチリシャールをマークする形でレースを進めたが、直線で弾けることなく3着が精一杯という結果に終わってしまった。デザーモ騎手がムチを落としてしまうというアクシデントはあったが、ほとんど結果には影響はなかったと思われる。デザーモ騎手は、レース後のインタビューで以下のように語っている。

「返し馬から気合が乗りっぱなし。スタートでゴチャついてぶつかり、闘争心に火がついてしまった。終始イライラしてリキんで走っていたし、しまいの伸びを欠いていた。2歳馬のモロさが出てしまったね。」

このコメントからも、ジャリスコライトが過去2戦とは全くの別馬であったということ分かる。それまでのジャリスコライトは、完成された古馬のような気性を持ち、騎手の指示通りにスムーズに折り合い、ゴーサインには素早く反応する馬であったはず。それがなぜ大一番の舞台で豹変してしまったのか。2歳馬のモロさというだけで片付けてしまうのは、大雑把すぎはしないだろうか。

ジャリスコライトの敗因は、その臨戦過程にあるのではないか。ジャリスコライトは新馬戦といちょうSを、どちらも33秒台の瞬発力を使って楽勝してきていた。特に前走のいちょうSは、2度に渡る立て直しの不利を克服しての勝利だけに、価値も高く、専門家の目を引いた。しかし、裏を返せば、このいちょうSがジャリスコライトにとって負担の大きいレースであったのだのだろう。

特に肉体的にも未完成な2歳馬にとっては、3ハロン33秒台前半の脚は限界に近い。見た目にアッと思わせるような勝ち方だったからこそ、そこに潜む勝ち馬へのダメージが見過ごされてしまっていたのである。おそらく、このいちょうSでジャリスコライトはレースの苦しさ、厳しさを味わったはずで、朝日杯フューチュリティSでは肉体的だけでなく、精神的にも追い詰められての出走であったに違いない。

朝日杯フューチュリティSは詰め将棋と冒頭で書いたが、そのレースを外してしまったということは、明らかな読み違えがあったはずである。私はジャリスコライトの瞬発力の高さにばかり心を奪われて、裏のマイナス面が見えていなかった。ジャリスコライトが肉体的・精神的に追い詰められて、能力を発揮できる状態にないということに気付かなかった。そこにさえ気付けていれば、フサイチリシャールという最善手へと駒を進めることも出来ていたかもしれないのに。読み違えも甚だしい。閉口。

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今年の課題は“攻めて負ける”

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いずれにせよ負けていたのだが、守って負けたこの馬券は最低である。2歳の牝馬による阪神1600mというコース設定におけるレース。しかも、当日はかなり雨が降って、道悪で時計が掛かっていた。このレースで本命に賭けるバカはいない。アルーリングボイスの単勝を買った私は大バカである。

とはいえ、実のところを言うと、雨が降ったことを知ったのは当日の朝。つまり、予想をアップした後なのである。土曜日の夜に予想をアップして、日曜日の朝にジャンジャン雨が降っているのを見て、アルーリングボイスの負けを覚悟した。阪神競馬場に到着してからレースが始まるまでの数時間、平場のレースを観戦しながらも、頭の半分くらいは、「なぜアルーリングボイスを買ってしまったのだろう」と自分で自分を問い詰めていた。

アルーリングボイスを買ってしまったのは、他の馬で勝てそう(買えそう)な馬がいなかったからに他ならない。フサイチパンドラは追い切りの動きを見て成長途上であることを確信していたし、コイウタはレースっぷりにも血統的にも大物感がない。1600mと坂のあるコースという2つの経験をしていたシークレットコードも、前走の時計(1分37秒1)を2秒近く縮められるかどうか自信がない。結局、ききょうSで牡馬に圧勝して、さらにファンタジーSの勝ち時計からある程度計算がつくアルーリングボイスに落ち着いてしまったのだ。

結論から言えば、当日に雨が降るという想定までして、シークレットコードに本命を打つべきであった。フサイチペガサスの仔は、芝のレースよりも、ダートや芝でも時計の掛かる馬場に強いという傾向もある。人気もなかったし、思い切った馬券を買うにはもってこいの馬である。たとえ前日に予想を決めなくてはならないとしても、阪神ジュべナイルフィリーズは攻める(荒れる)レースであるという原理原則を守ってさえいれば、シークレットコードに◎を打つことは出来たのではないか。

どちらにせよ、テイエムプリキュアはノーマークであったので、馬券としては負けていたことに違いはない。しかし、守って負けたのと、攻めて負けたのでは天と地ほどの差がある。たとえ負けても、挑戦をした結果であれば、その負けは必ずや将来の勝ちにつながる。だからこそ、“攻めて負ける”べきなのである。時には、負けを覚悟して挑戦することも必要になってくるだろう。このことは、私自身の今年の課題でもある。

最後に、アルーリングボイスの敗因を分析しておくと、何と言っても「ピークを過ぎてしまって余力が残っていなかった」ということである。凡走の理由は色々と考えられえるが、主な原因はこれしかない。この時期の2歳牝馬にとって、5連勝することは至難の業である。しかも、アルーリングボイスの場合は、新馬戦で敗れているため、このレースが6戦目になるのだから。今から考えると、アルーリングボイス自身のピークはききょうSであったのだろう。下り坂でG1レースを迎えてしまった馬が、見せ場もなく凡走してしまったのは当然といえば当然のことである。


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心を動かした騎手デットーリ

jockeyLDアルカセットの前日売りオッズには、思わず目を疑った。L・デットーリ騎手が騎乗するから人気にはなるだろうと予測はしていたが、まさかこれほどまでとは。サンクルー大賞を勝っているものの、その後の2戦は敗れており、他の外国馬と比べても実績不足は明らかである。そもそも、肝心の実力や日本の軽い芝に対する適性など、未知の部分が多すぎるではないか。その証拠に、2週間前の時点でアルカセットに本命を打っている競馬記者などほとんどいなかったはずである。

自慢ではなく、私はL・デットーリ騎手の騎乗を知る前から、アルカセットに本命を打とうかと考えていた。なぜなら、今年のジャパンカップは外国馬に持っていかれると感じていたからだ。ゼンノロブロイが一本かぶりしている今年は、日本馬のメンバーが手薄であることは明らかである。そのゼンノロブロイも、昨年の唸るような勢いを感じさせず、昨年の激走によって燃え尽きてしまった感が強い。

それに対し、今年の外国馬はバゴやウィジャボードを筆頭に、締めてG1レース18勝というメンバーである。ジャパンカップでは日本馬有利は確かだが、こうなると外国馬に勝ち馬を求めるのが自然な流れである。その流れの中で、私はアルカセットをピックアップしていた。

理由としては、「これまでに大きなレースを勝った実績がないから」である。逆説的に聞こえるかもしれないが、アルカセットの実績のなさを評価した。これまでのジャパンカップで、数多くの凱旋門賞馬やブリーダーズカップ馬が人気になり敗れてきているが、それは馬自身のピークが過ぎた状態で臨んできているからである。あれだけの大レースを制するには、その時点で肉体的・精神的にピークの状態で臨まなければならない。もちろん馬によって違うのだが、ピークの時期はそれほど長くなく、ピークというのは生涯に一度だけである。というよりも、生涯に一度のピークの状態でなければ、大レースを勝つことは難しい。

つまり、バゴやウィジャボードは、凱旋門賞やブリーダーズカップを勝った昨年、すでにピークを迎えてしまっているのだ。力のある馬なので今年も好走はするが、昨年ほどの勢いを取り戻すことは不可能である。バゴやウィジャボードでは、どう考えてもジャパンカップで勝つことは難しい。過去の名前で勝てるほど、今のジャパンカップは甘いレースではなくなっている。また、ベタートークナウやウォーサンは年齢的にピークを過ぎており、キングスドラマの実力では通用しないことは明らかである。

そうなると、アルカセットしか残らないではないか。「これからの馬」に白羽の矢を立てるとすれば、アルカセットしかいないと考えていたのだ。もちろん、「これからの馬」なので、実力のほどは良くも悪くも計り知れない。そして、実力も分からない、どこの馬の骨とも知れない馬(?)なので、少なくとも30倍以上のオッズがつくだろうと、2週間前の「週刊Gallop」を見ながら妄想を膨らませていた。

しかし、本当に私の予想は正しかったのだろうか。アルカセットは本当に実力でジャパンカップを勝ったのだろうか。もしかすると、L・デットーリ騎手がジャパンカップを制しただけなのではないだろうか。

L・デットーリ騎手が乗ったからこそ、私の予想も当たり、アルカセットもジャパンカップをレコードで勝利することができたのではないか。レース後のL・デットーリ騎手に対する熱狂的な報道を見るにつけ、その感は強くなる。「L・デットーリ騎手が勝った」、「L・デットーリ騎手だからこそ勝てた」と。

自分の胸に手を当ててみると、最終的に私がアルカセットを本命にした理由として、確かにL・デットーリ騎手が乗るからという要素はあった。あったというよりは、大きくなっていったという方が正確な表現だろう。L・デットーリ騎手が乗っていなければ、もしかすると他の馬に本命を変えていたかもしれない。

アルカセットを買ったつもりが、実は私はL・デットーリ騎手を買っていたのかもしれない。L・デットーリ騎手が、アルカセットを買う私の背中をソッと押してくれたのだ。そのようにL・デットーリ騎手に背中を押された人々が多くいたからこそ、30倍のオッズが10倍へと下がったのだろう。L・デットーリ騎手はオッズを動かしたのではなく、私たちの心を動かしたのだ。

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【Photo by Ruby】


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物差しを間違えた

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このレースは、カネヒキリVS古馬という図式が出来上がっていた。3歳馬の中では圧倒的な力差を誇るカネヒキリだが、果たして歴戦のダートの鬼たちに通用するのかどうかがポイントであった。

ます、私はカネヒキリに対して、以下のような高い評価をしている

カネヒキリは前走でまさかの2着に敗退してしまいました。
スタートの芝部分でトモを滑らせて、後方からの競馬を強いられたことが原因です。
さらに、他馬より2kg重い、57kgという斤量も若干堪えていたと思います。
今回はスタート地点に芝はありませんし、定量の55kgで出走できます。
過去の戦績やレース振りからも、この馬がダートの鬼であることは疑うべくもなく、歴戦の古馬に混じってもヒケを取りません。
スピード、スタミナともに高い次元で備わり、レースセンスも抜群で、追ってからの末脚もしっかりしています。
まさに非の打ち所のない馬で、余程のことがない限り、凡走することはないはずです。
不動の中心馬と考えていいでしょう。
-G1トークより-

その上で、カネヒキリに◎を打たなかったのは以下の理由からである。

カネヒキリについては、中心馬という評価をしましたが、私も勝てるかどうかは疑問です。
力が一枚抜けているのであれば、前走でも楽に突き抜けているでしょう。
3歳馬でJCダートを制したクロフネのレベルには、まだ達していません。
現時点では完成度の高い馬ですが、この時期にダートの古馬と戦うには、余程の実力が必要です。
つまり、好勝負は間違いないのですが、最後の最後で古馬にねじ伏せられる可能性も大いにあります。
-G1トークより-

つまり、現時点(3歳11月)でのカネヒキリには、古馬をねじ伏せるだけの力はないと判断したということになる。3歳馬が秋の時点で、古馬と2kgの斤量差しかないレースを勝つのは、容易なことではないからだ。もちろんジャパンカップでも同じことが当てはまるのだが、ダートは芝のレース以上に経験がモノを言うだけに、3歳馬と古馬の力差はより大きい。そういった理由から、クロフネ級の実力でないと、古馬の壁をブチ破ることはできないと考えていた。

しかし、この「クロフネ」という物差しが間違っていたのだ。「クロフネ」級の3歳馬でないと古馬の壁を越えられないと考えたのであるが、この物差しはあまりにも大きすぎたのだ。結果的に見ると、「クロフネ」級の3歳馬でなくとも、古馬の壁に阻まれることはなかった。

とはいえ、2戦級の古馬であるシーキングゴールドやスターキングマンにあわや足下をすくわれそうになったことも事実であり、圧倒的な力で古馬をねじ伏せたわけではない。タイムパラドックスが凡走していなければ、おそらくカネヒキリは負けていただろう。結果だけを見て、「カネヒキリ」級の馬であれば3歳の時点でも古馬に勝てると考えるのは、早計すぎるのかもしれない。

今年のJCダートの収穫は、「カネヒキリ」という物差しを得たことである。JCダートにおいて、3歳馬が古馬に通用するかどうかを見極める物差しを、今後は「クロフネ」から「カネヒキリ」に変更したい。つまり、「カネヒキリ」級の実力を持っていないと3歳秋の時点では歴戦のダート馬に通用しない、というより正確な物差しを今後は用いることができるようになったということである。


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競馬は無限なり、個を立てよ

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できればこの馬券だけは公開したくなかった、というのが本音である。

デュランダルを買うかどうかは、本当にギリギリまで迷った。なぜ迷ったかというと、デュランダルには前走からの反動があるのではと危惧していたからだ。デュランダルは歴史に残る屈指のマイラーであることは承知しつつも、今回のレースに限っては末脚が不発に終わることがあるのではないかと、週の初めから、心のどこかで気に掛かっていた。

デュランダルが2着したスプリンターズS2005の観戦記で、私は以下のように書いている。

「デュランダルは32秒7という鬼脚を使ったが、昨年同様に届かず2着。今年は勝った馬が強すぎた。それにしても、コンスタントに追い込んでくる柔軟な末脚にはいつも驚かされる。持病の裂蹄を克服して、なんと10ヶ月ぶりのレースだけに価値は高い。まさに歴史に残る末脚を持った馬である。ただ、次のマイルCSに出走してくれば人気になるだろうが、反動が心配である。今回のレースで-7kg体重を減らしていたことや、32秒台というサラブレッドとして限界の脚を使ったことによる反動が出てしまうのではないか。」スプリンターズS2005-観戦記-より引用

私が気に掛かっていたのは、デュランダルが10ヶ月の休み明けにもかかわらず、32秒台という強烈な末脚を使ったことによる反動が出ないかどうかという点である。極端な脚質(追い込み一辺倒)による取りこぼしや、不向きな展開(超スローペース)を心配したわけではない。デュランダルには後ろから行く競馬が合っていることは確かで、たとえスローの展開になろうとも勝つことのできる柔軟な末脚は、これまでの戦績が十分すぎるほどに証明している。そうではなく、前走で強烈な脚を使って日本馬の意地を見せたことが、今回のマイルチャンピオンシップにおいては逆にアダとなるのではないかと危惧したのである。

とはいえ、昨年のデュランダルも休み明けのスプリンターズS2着→マイルチャンピオンシップというローテーションで優勝したではないか、という反論もあるかもしれない。昨年と同じパターンだからこそ、今年も人気になったという面もあるだろう。しかし、昨年のデュランダルと今年とで、明らかに異なる点がひとつだけある。

それは、前走のスプリンターズSで使ったラスト3ハロンの脚である。

2004年→35秒8
2005年→32秒7

およそ3秒もの違いがあることが分かる。もちろん、2004年はドロドロの不良馬場で行われたのだから、上がりタイムも遅くて当然である。しかし、同じ2着でも全体のタイムや上がりの時計が異なれば、脚元への負担も全く異なる。特にデュランダルのような蹄に問題のあるような馬にとって、32秒台の脚を使ったことによる負担は想像以上に大きい。パンパンの高速馬場で、しかも休み明けにもかかわらず、32秒7の脚を使ってしまったことによる反動は大きいと考えるのが普通である。

それでも人気になったのは、「ツメの不安はない」「一度叩いて上積みは大きい」という陣営からのコメントや、最終追い切りで速いタイムが出たからであろう。実際に、私もこれらの材料をもって自分を納得させようとした。ただし、デュランダルが本来のデキになかったことは結果を見れば明らかである。いや、正確に述べると、結果を見れば明らかではあるが、中間の様子や動きからは明らかではなかった。陣営にさえも分からない、目に見えない部分で、32秒台の己の末脚によってデュランダルの肉体もしくは精神が蝕まれていたのだろう。

ここまで何だかんだと理屈を並べてきたが、つまりは私が自分自身の論理を突き詰められなかったということである。思い起こしてみると、デュランダルの3連覇というイメージに引きずられ過ぎた気がする。32秒台の末脚による反動が頭のどこかに引っ掛かりながらも、同一のG1レースを3連覇するという快挙を成し遂げるとすればデュランダルしかいないのでは、と一方で考えていた。この気持ちは今でも変わりない。そして、デュランダルの3連覇に便乗する形で、自分も馬券で勝とうと考えていたのである。

まさに、「勝ちたい」という自分のだらしなさが感じられる馬券である。馬券は正直だから、そのだらしなさは如実に表れるし、隠すことができない。馬券には、恐ろしいほど人物が出る。個性・生き方・競馬に対する姿勢など、その人の全てが凝縮されて馬券に表れてしまう。「勝つことがすべて」ではない。勝ち負けはあとから付いてくるものであって、勝ち負けにこだわって縮こまってはいけない。こだわるべきなのは、自分にしか買えない馬券を買うことなのである。

私の尊敬する碁打ちの藤沢秀行氏はこう言う。
「碁は無限なり、個を立てよ」

私流に解釈すると、こうなる。
「競馬は無限なり、個を立てよ」


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公開処刑

wtelizabeth05

「馬券の失敗学」のカテゴリーで馬券を公開するようになって以来、賭け方についての疑問・質問を受けることが多くなりました。幸い誹謗中傷はないのですが、もしかすると誤解を招いている部分もあるかも知れませんので、この場を借りて正直に説明します。

Q、なぜ馬券を公開するようになったのか?
A、馬券は当たるより外れることの方が多いが、そのひとつひとつの失敗をしっかり反省するため。それから、自分にとって収支が分かりやすいからです(どれだけ負けたか一目瞭然でしょw)。

Q、公開している馬券以外にも馬券は買っているか?
A、買っていません。G1レース以外は買いませんし、今のところ予想もしていません。

Q、馬券は単勝のみか?
A、はい、単勝以外の馬券は買いません。シンプルな馬券を心がけています。

Q、ブログ上で予想した以外の馬券を買いたくなったことはあるか?
A、正直、あります(笑)。たとえば、今年の天皇賞秋はブログ上で◎サンライズペガサスに本命を打ったのですが、直前までどの馬の単勝を買うべきか迷っていました。いずれにせよ外れていましたが・・・

Q、レースによって賭ける金額が違うのはなぜ?
A、メリハリを付けているからです。紛れが少ないレースには大きく、紛れが多いレースには小さく賭けるようにしています。今年は1万円:3万円の比率で賭けています。

こんなところでしょうか。私にとっては公開処刑のようなもので、これからも恥ずかしい馬券を次々と公開しなければならないでしょう。それでも、恥ずかしさや悔しさをバネにして、競馬の世界をもっと探求していければと思っています。10年後の私が見ても、「外れているけれど思い切った予想をしているなぁ」と納得できるような馬券を買うことが当面の目標ですかね。


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答えのない答え探し

wttennosyoaki05

結果として、正解のない問いに延々と取り組んでいたことになる。本命はゼンノロブロイとサンライズペガサスとリンカーンの間を円環し、同じ予想の道筋を繰り返し辿るというアリ地獄へと落ちてしまっていた。

当日の朝になっても結論は出ず、最終的には中でも一番人気のなかったサンライズペガサスを買ったが、レースでは直線でズルズルと後退。勝ったのは14番人気のヘヴンリーロマンスで、私の予想の中ではこれっぽっちも勝つとは思っていなかった馬であった。まさに完敗中の完敗である。

このレースに臨むにあたって、まずゼンノロブロイが負けるという仮定を立てていた。その理由としては、ゼンノロブロイの競走意欲が低下しているのではないかと考えたからだ。

競走意欲のピークの期間は、それほど長くはない。1シーズン持続させるのも難しいが、それが1年、もしくはそれ以上になってくると、さらに難しい。競走馬が走らなくなるのは、肉体的に朽ち果てるよりも、精神的に最後のひとふん張りが利かなくなってしまうことに依ることが多い。

ゼンノロブロイは、昨年秋シーズンを驚くべき精神力と集中力で走り通した。そのツケが回ってきても、なんら不思議はない。テイエムオペラオーもこのパターンで、天皇賞秋→ジャパンカップ→有馬記念と3連勝した後は、天皇賞春を勝ったものの、他のレースは惜敗を続けターフを去った。それだけ、競走意欲を持続させることが難しいということなのである。

春の2戦(宝塚記念とインターナショナルS)を見るにつけ、ゼンノロブロイに昨年ほどの闘争心がないことを感じていた。それに加え、今回のレースは海外遠征後の初戦であり、休み明けという具体的なマイナス材料もあり、堅実に好走するものの何かに負けるのではないかと考えたのだ。

さらに、スピードとスタミナが要求される厳しいレースになることを想定し、思い切って全ての休み明けの馬を勝ち馬候補から外した。これだけ実力が拮抗したレースでは、休み明けであることがネックになってしまうと考えたのだ。タップダンスシチーやハーツクライ、アサクサデンエン、スズカマンボなどは、この段階で勝つのは難しいと踏んでいた。

ここまでは良かったのだが、そこから予想が前に進んで行かない。どれだけ考えてみても、どの馬にもピンと来るものがないのである。本命と考えていたサンライズペガサスは、最終追い切りでもイマイチ煮え切らず、なんと悪いことに大外枠を引いてしまった。リンカーンは追い切りで絶好の動きを見せ、内枠を引いたとはいえ、たとえ武豊騎手の力を借りたとしても勝ち切るまでの実力があるだろうか自信がない。そうなれば、やはり実力、実績で勝るゼンノロブロイで仕方ないのかと振り出しに戻る。このように、予想はただひたすら同じ地点を回り続けた。

それもそのはずで、結果だけを見ると、答えのない答え探しをしていたことになる。ヘヴンリーロマンスは、いつの間にか予想の過程の中から外れてしまっていた。牝馬ではあるし、ここでは実力的に通用しないという無意識が働いたのだろうか、勝てるチャンスがあるかどうかという検討すらすることがなかった。これだけ完全に読み抜けしてしまうと、正直に言って、私に当てられるレースではなかったという思いだけが残る。

それでも、ひとつだけ知識化しておくべきことがある。それは天皇賞秋における展開の考え方である。「天皇賞秋を当てるために知っておくべきこと」の中で、「前半のラップが速くなることにより、さらにスタミナが問われるレースへと変容するだろう」と私は述べているが、おそらくそれは間違っていた。

平成14年の改修によって、東京2000mは最初のコーナーまでの短さが解消された。最初のコーナーにスムーズに入れることによって、前半のラップは落ち着くと考えるのが自然であろう。ローエングリンとゴーステディが競り合って、とてつもないハイペースになった平成15年は例外と考えるべきである。つまり、「前半のラップが落ち着くことにより、スローペースの瞬発力勝負になりやすいレースへと変容する」のではないか。そうなると、すなわち牝馬にもチャンスが生まれることになる。

ここまで考えて、初めてヘヴンリーロマンスが予想の過程に入ってくることになる。それでも、ヘヴンリーロマンスを「当てられるのか」と問われると、「当てられない」と答えるのが、ウソ偽りのない私の結論である。


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嗚呼、恥ずかしい

wtsyuka05

これほどまでに恥ずかしい予想は今までにない。いや、あったかもしれないが、それを忘れさせるくらい、この馬券は恥ずかしい。負けると断言してしまったエアメサイアに、私が本命を打ったラインクラフトが、ゴール前でキッチリと差し切られてしまったのだから。グゥの音も出ないほどの敗北であり、穴があったら本当に入りたい。

そもそも、エアメサイアを消したのには2つ理由がある。1つは「エアメサイアはなぜ負けるか」で示したように、サンデーサイレンス産駒と秋華賞との相性の悪さである。京都2000mは小回りコースで行われるため、ペースのアップダウンが激しく、スピードの持続性も求められる。サンデーサイレンス産駒が万能な能力を持っていることは百も承知だが、もし弱点があるとすれば、ゴチャつきやすいコースでスピードの持続性が求められた時である。そのことはエアメサイアにも当てはまるはずで、距離が延びて良さを発揮し始めたように、道中はゆったりと流れて終いの瞬発力勝負のレースが得意であると考えた。

2つめの理由は、エアメサイアの立ち写真の馬体が前走のローズSよりもしぼんで見えたからだ。どちらかと言うと、実はこちらの理由が支えとなって、エアメサイアの消しを決断したと言ってよい。うまく表現しにくいが、しぼんで見えたという感覚は、馬体の張りや皮膚の艶がローズS時よりも失われているのではと感じたということだ。これは元調教師の境勝太郎氏も指摘していたことで、まんざら私だけの主観ではないだろう。

これら2つの理由を根拠として、「エアメサイア消し」を断言してしまった訳だが、事実として、エアメサイアは秋華賞で見事な末脚で勝利を収めた。秋華賞にしては珍しく、序盤からペースが落ち着いてスムーズなレースとなり、エアメサイアもはちきれんばかりの馬体を誇り、武豊騎手の見事な手綱捌きも加わり、全てがうまく噛み合っての快勝であった。

つまりはエアメサイアの取捨を完全に誤ったのだが、これだけの完敗を喫することになったのはラインクラフトにも大きな原因がある。ラインクラフトはレース前から騎手の制止を振り切って引っ掛かる素振りを見せていて、特に輪乗りからスタート地点に移動する時の引っ掛かり振りは尋常ではなかった。レースでも4コーナーから無茶なスパートをかけて、最後の1ハロンは脚が止まってしまっている。2000mという距離が長かったのではなく、ラインクラフトの引っ掛かり癖がスタミナを奪っただけのことである。

何が言いたいかというと、エアメサイアの取捨に熱心になってしまったことにより、逆にラインクラフトの取捨を見誤ってしまっていたということである。「週刊Gallop」の写真やJRA提供の調教VTRを見るにつけ、ラインクラフトの舌がハミを越している様子は気になっていた。G1トークの最終段階でも、以下のように私は話している。

「ひとつだけ気になる点は、口癖が悪い(ハミ受けが悪い)様子が普段の運動中に窺えることです。この馬の癖なのかもしれませんが・・」

舌がハミを越しているのは、馬が走ることに対する集中力に欠けている状態であり、プラスの要素ではない。ただ、それを承知の上で、ラインクラフトを私は選択したのだ。レースに行けばローズSのようなことはないだろうと、ラインクラフトが発する分かりやすい危険信号を軽く見ていたのだ。なぜなら、エアメサイアを消す材料の方を重く見ていたからである。

いずれにせよ、完全に誤った読み(誤読)であることは明らかで、レースという現実がそれを証明してくれた。もう一度このレースを予想しろと言われたとしても、おそらくエアメサイアを消して、ラインクラフトに本命を打ってしまうかもしれない。それぐらい、私の秋華賞での予想はトンチンカンであったし、救いようがないくらいに誤っていた。まだまだ競馬のことが分かっていないなぁと再認識させられた。

それでも、エアメサイアが負けると思い切って断言したことには納得している。

「思想の値段は勇気で決まる。間違った思想でも、大胆にそして明晰に表現されているなら、それだけで十分な収穫といえる。」

数学者であり哲学者であるヴィトゲンシュタインのこの言葉を胸に、これからも間違った思想(予想)であろうとも、大胆にそして明晰に表現していきたい。


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もし放馬を知っていたなら

wtsprinters05

実を言うと、この馬券は土曜日に買ったものである。個人的な事情により、当日どうしても買うことができなかったため、前日売りにて購入したのである。つまり、サイレントウィットネスが前日追いで放馬してしまったニュースを知る前に、この馬券を買っていることになる。

中山競馬場で行われた前日調整において、4コーナー手前でサイレントウィットネスが突然つまずいて前のめりになり、鞍上のコーツィー騎手は落馬してしまった。コーツィー騎手は無事であったが、騎手が不在のサイレントウィットネスはその後、もう一周馬場を走り切ってしまった。向こう正面では13秒5→12秒5の速いラップを刻んでしまったらしい。

このニュースを知った瞬間、「シマッた」と私は思った。既に買ってしまった馬券が、ただの紙切れになってしまうことを予感したのだ。この予感を分かりやすく言葉にしてみると、以下のようになる。

ただの放馬そのものは、大した問題ではない。問題がないと言うとウソになるが、馬の気任せに一周しただけであれば、競走成績に影響を及ぼすほどのことはないだろう。本来、馬は一日中走り回っている生き物である。つまずいた際に脚を痛めたり、埒に激突して怪我をしたりせずに戻ってきただけで幸いである。

しかし、なぜ騎手が落馬するほどにつまずいたのか。もしかすると、サイレントウィットネスは走ることに集中できていないのではないか。環境の変化に戸惑い、周りが気になって仕方ないのではないか。陣営は落ち着いているとコメントしているが、馬本人は意外とナーバスになっているのかもしれない。海外への輸送も今回でまだ2度目で、一度経験したからそれで慣れるというものではない。輸送を苦手とする馬は、何度行っても遠征すると力を発揮することができないのだ。

このように考えた伏線として、最終追い切りでのサイレントウィットネスのジャンプ事件がある。ダートコースで追い切りを済ませたのであるが、併せ馬をしていたにもかかわらず、サイレントウィットネスはゴール板の影を障害物と間違えて跳んでしまったのである。

このジャンプ事件と放馬がリンクして、サイレントウィットネスは環境の変化に敏感になっていて、走ることに集中できない(気が向いていない)のではないかと感じたのである。そうなると、いくら伝説の馬とはいえ、本番のスプリンターズSで勝つことは難しいのではないか。4コーナーを回っても手応えが悪く、他馬に交わされ、馬群に飲まれていくサイレントウィットネスの姿がイメージされてしまったのだ。

失敗してしまった。もしサイレントウィットネスでなければどの馬が勝つのだろうと考えて、ここで止めた。もう既に馬券を買ってしまったので、今さらどうしようもない。もう1頭の単勝を買うわけにもいかないだろうと。

サイレントウィットネスが勝つことを信じることだ。そもそも、集中力を欠いているというのは、私の勝手な思い込みに過ぎない。そういえば、歴史的快速馬デイジュールも、レース中に影に驚きジャンプしたらしい。スプリンターはステイヤーと比べると、気性的にもピリピリしているし、物事に対して敏感である。それはスタートから一気にスピードを爆発させるという特性を考えると、当然のことである。ジャンプしたのは、そういった敏感なところがあるからで、レースに行ってしまえば何の問題もないだろう。つまずいて落馬した件についてはは、本当に偶然なのであろう。馬がつまずくこと自体は、それほど珍しいことではないのだから。

結果的には、後者の仮説の方が正しかったようで、サイレントウィットネスは何事もなかったかのように圧勝した。放馬の影響も全く感じさせず、ゴール前でジャンプしてしまうこともなく、危なげない勝利であった。私の悪い予感は的中することなく、馬券も幸いにも紙くずになることはなかった。

しかし、もし馬券を買う前に放馬のニュースを知っていたなら、私はどうしていただろうか。サイレントウィットネスを買うか消すかについて、もっと真剣に考えを巡らしたに違いない。その結果、同じようにサイレントウィットネスを買っていたかもしれないし、もしかするとアドマイヤマックスの単勝なんかを買っていたかもしれない。

いずれにせよ、最後の最後まで詰めて考えることができなかったわけで、私としては不完全燃焼の予想であった。当たり馬券にも、失敗はたくさん転がっている。完璧な当たり馬券など存在しないのだ。


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負けに理あり、勝ちに理なし

wttakaraduka2005

タップダンスシチーが直線で手応えなく後退していくのを見て、久しぶりにどうすることも出来ない悔しさと怒りがこみ上げてきた。もちろん、タップダンスシチーにではなく、自分自身に対してである。なぜなら、タップダンスシチーを本命にするにあたって、ひとつだけ自分の中に隠していたことがあったからだ。

それは、タップダンスシチーには、前走の金鯱賞で33秒台の脚を使って快勝したことによる反動があるのではないかという不安点であった。33秒台の脚を使って勝利した馬はその後のレースで凡走する(反動が出る)という基礎知識は、今年のオークスでディアデラノビアの評価を落とす際に紹介した。タップダンスシチーは、休み明けにもかかわらず59kgを背負っての激走であったため、金鯱賞後に反動が出ることは十分に考えられた。このことを知っていながらも、そして、タップダンスシチーは体調が優れないのではないかという不安を抱きながらも、タップダンスシチーに◎を打った。

以下、G1トークにおける私のコメント

本命は◎タップダンスシチーを考えています。調教では迫力ある動きを見せていますが、普段は非常に落ち着いていて、年齢を重ねるごとにメリハリが出てきました。鞍上の思うまま自在に動けるレースぶりも、こういった精神的な成長の賜物です。 前走からの反動を心配していましたが、中間の調整過程を見る限り問題ないでしょう。 というよりも、もしかすると一昨年にジャパンカップを制した時よりも上の出来かもしれません。陣営のこのレースに賭ける意気込みが、調教を通じてヒシヒシと伝わってきます。

前走からの反動を心配していましたが、というわずかな前置きはしているが、全体的にはタップダンスシチーの体調に対する不安を打ち消すかのような強気なコメントをしている。一昨年のジャパンカップよりも上の出来かもしれない、というトンチンカンな見解をも示していている。今、こうして読み返しても恥ずかしいかぎりである。

もう一度タップダンスシチーの敗因を述べておくと、前走の金鯱賞で33秒台の脚を使って勝ったことによる反動が出てしまったということである。タップダンスシチーの体調が優れず、本来の実力を発揮できなかったのである。

敗因についてはいろいろな説があるが、佐藤哲三騎手の乗り方が間違っていた訳ではなく、道中のラップが厳しかった訳でもない。前崩れの展開に見えるが、それはあくまでも先行馬が自滅しただけのこと。そもそも、タップダンスシチーはハイラップでガンガンと飛ばし、後続の脚をなし崩し的に使わせて勝つパターンの競馬が得意ではなかったのか。何度でも言うが、タップダンスシチーの敗因は前走からの反動で体調が万全ではなかったということである。

それでは、ここまで言う私がなぜタップダンスシチーを本命にしてしまったのか。以下の2つの思考の流れが思い浮かぶ。

1、宝塚記念は古馬の定量戦で、実力が反映されやすいレースであるため、実力馬が勝つであろうという大局観があった。ゼンノロブロイとタップダンスシチーが実力的には一枚抜けていて、勝つのはどちらかだろうと考えていた。そして、予想過程において、ゼンノロブロイは昨年3連勝しての休み明け初戦という理由で勝つことは難しいという確信があった。

2、タップダンスシチーを本命に推すためには、前走からの反動という不安を打ち消す必要があった。そこで、中間の調教でも緩められることなくハードに乗られ、77秒台という好時計を連発していたことを裏付けとして、今回のタップダンスシチーは生涯最高の出来だった一昨年のジャパンカップより調子が良いかもと、自分を信じ込ませた。

まとめると、ゼンノロブロイかタップダンスシチーのどちらかが勝つだろうという無意識の前提がまず間違っていたことになる。確かに、宝塚記念は強い馬が普通に競馬をすれば、順当に勝つことのできるレースである。しかし、強い馬が本来の力を発揮できない状況にあれば、大局観そのものをもう一度見直すべきであった。それができなかったのは、春のG1シリーズの最後のレースを当てて締め括りたいという気持ちがあったからだ。攻めて挑戦することなく、予想の上で妥協してしまったのだ。

今回の失敗から学ぶべき知識は、一流馬になればなるほど、体調が悪くても調教では走ってしまうということ。特に古馬になると、調教の動きだけでは調子の良し悪しを把握することは難しい。だからこそ、目に見えない疲れというものが存在する。調子が悪いはずの一流馬が調教で良い動きを見せていても、それを鵜呑みにしてはならない。

「負けに理あり、勝ちに理なし」とは、野村克也監督の名言である。負ける時には、何かしらの負けるべき理由が必ずあるものである。それはサラブレッドがレースで負ける時にも当てはまるし、私たちが馬券を買って負ける時にも当てはまる。しかし、勝つ時には、勝つべき理由がないことが常である。もしかすると、負けるべき理由がないから勝つのかもしれない。気付いたら勝っていたという表現が自然だろう。確かに、安田記念をアサクサデンエンが(で)勝ったのも、思い返してみるとこれといった勝つべき理由はなかった。あえて言うと、他馬と比べて負けるべき理由がなかったということだろうか。

wtyasuda05

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