世界バケンカ旅-シンガポール後編-

12頭立てのゲートが音立てて開いた時、ゴール前に陣取る観衆の中の一人が「ジャポーン!」と大きな声を上げた。私たちと同じく、藤井騎手の最後の夜を知り、勝負を賭けてきたに違いない。まったく綺麗なスタートだった。馬群が黒い塊となってゲートから飛び出した。その中から頭ひとつ抜き出てきたのは、人気薄のNINETYFIVE SWORDと藤井勘一郎騎手のPREMIER NIGHTであった。外のNINETYFIVE SWORDがどうしても譲らない構えを見せたため、藤井騎手は無理をすることなく2番手に控えた。この時点で、勝負あったも同然に見えた。あとは前の馬を交わすだけであった。
「フジイー!フジイー!フジイー!」
ラスト200mを切っても、その差は詰まらない。2頭の脚色はほぼ同じになった。追いすがるPREMIER NIGHTには敗北の色がちらつき、勝利を確信したNINETYFIVE SWORDの騎手は手綱を緩め始めた。それでも私たちは叫び続けた。他のどのシンガポーリアンよりも懸命に。藤井騎手も自分の馬のタテガミだけを見ながら、ひたすらにPREMIER NIGHTを追い続けた。
しかし、奇跡は起こらなかった。2馬身差の2着。勝った馬は人気薄の大駆けであった。勝てる馬で勝ちに行く競馬をしたが、それでも勝てなかった。藤井騎手にとっても、高岡調教師にとっても、誰にとっても悔いのない騎乗であった。
それにしても、藤井騎手が騎乗した馬は“動く”。2RのJAVELINも3RのPREMIER NIGHTも、ゲートからしっかりと出し、決して無理をしているわけではなく先行させていた。レース体系のほとんどを短距離が占めるオーストラリアやシンガポールでは、スタートしてから息を入れる間もなくゴールまでなだれ込む競馬がほとんどだ。だからこそ、馬を動かして前に出す技術がジョッキーにまず問われる。
馬を動かすことは、ジョッキーにとっての永遠のテーマである。馬は鞭で叩けば動くのではない。ある騎手が乗ると全く動かないのに、別の騎手が乗ると、何もしなくても自ら動き出すということはよくある。馬を動かすためには、ある種、生まれ持った何かが必要とされるのだ。努力すれば手に入るものではない。それは肉体的なものかもしれないし、精神的なものかもしれないが、藤井騎手はその何かを持っている。
「スタンドに行こうか?」と友人が言った。
悔いがないと思いつつも呆然としていた私は、
「そうするか」とだけ答えた。
わずか3Rにして、本日の勝負馬券を外してしまったのだから無理もない。
「PREMIER NIGHTか…」とつぶやいてみた。
彼の言うスタンドとは、「ハイビスカス」と呼ばれる観光客向けのラウンジのことだ。パスポートが必要で、詰め入りのシャツを着用しなければならず、サンダル、スリッパ等のラフな格好は禁止と厳しい。ハイビスカス以外で楽しむのであれば、Tシャツでも短パンでもスリッパでも別に構わない。実際、現地の人はそのような格好がほとんどであった。

ハイビスカスは既に満員であった。観光客がそれほど来ているのだろうか。入場料が20ドルもするのに大そうなことだ。代わりに私たちはオーナーズラウンジに通された。ここから見えるターフは壮観であった。私が今までに行った日本のどの競馬場の指定席よりも眺めがいい。おそらく建築の構造上の違いなのだろうが、日本のガラス張りのスタンドはコースとの距離があるのに対し、こちらはかなり近く感じた。ここならば、ガラス張りとはいえ、かなり迫力のあるレースが観戦できるだろう。
私たちは立派そうな椅子に腰を下ろした。これでようやく落ち着いて予想が出来る。先ほどのレースで力強く握り締められ変形したレーシングプログラムを、私は机の上にポンと置いた。左手でレーシングプログラムの片隅を押さえ、右手でシワを伸ばしながら、気持ちを落ち着かせるように、4Rの出走表の頁を開いた。
そこに書いてある文字たちは、まるで何かの暗号のように見えた。ロゼッタストーンを発見したナポレオンのように、一字一句に目を凝らし、私はその意味を解読していった。これほどまでにレーシングプログラムを真剣に見るのはもう何年ぶりだろうか。馬の名前、馬齢、生産国、父母の名前、近走の出走日、走った距離、斤量、その時の騎手の名前ぐらいまではなんとか分かる。しかし、肝心の前走の着順や枠番号などがはっきりしない。ようやく、[6]とカッコの中に入っているのがゲート(この場合6番枠)で、その横に並ぶ3つの数字の一番右が最終着順で、真ん中が4コーナー、左が3コーナーでの位置取りということが分かり始めた時には、4Rの投票は既に締め切られていた。
私は5R以降もこの暗号表を解読することが少々億劫に思えた。不意に出走表をめくり、ボールペンを片手に、藤井騎手の名前を探し出した。5RのKakurei、7RのPrior Viscount、8RのZinly、9RのTitan Funの4頭に赤色のアンダーラインが入った。どの馬も到底勝負になるようには映らなかったが、ここまで来たなら、最後まで藤井勘一郎に付き合ってみたいと思ったのだ。
藤井騎手はこの後、シンガポールを立ち、年内は北海道のノーザンファームで調教に乗るという。大井競馬場の騎手会によって、短期免許の受け入れを拒否されたのである。オーストラリアで184勝を挙げ、シンガポールで重賞を取っているほどの騎手でも、大井競馬場で乗ることは許されないらしい。いや、騎手“でも”ではなく、騎手“だから”許されなかったのかもしれない。
短期免許の受け入れを拒否された日、彼は日記に下のように記した。タイトルは「勝負の世界」である。
「勝負の世界」 騎手という職業は勝つか負けるかの仕事。僕の見習い期間を過ごしたオーストラリアでは、レースに勝たなきゃ仕事がないし未来がないというシビアなものでした。今回、大井競馬に短期免許を拒否されたわけですが、以前川崎競馬場の騎手会長をされていた方に電話でお話したところ、日本はまだ鎖国的で現在既にいるジョッキーを大切にしすぎているとおっしゃっていました。今回、自分が日本の競馬に戻れなかったから嫉んでこの日記を書いているわけじゃありません。海外で経験してたジョッキーが、日本のレースに騎乗できる事で地元のジョッキーの良い刺激になりそしてがんばりさえすれば、海外からでも道は開けるんだと夢を持っている人達に、僕の競馬を見せられなかったのは残念です。でも絶対戻ってきますよ。リベンジしてやる!!!!
私は彼のファイト溢れる騎乗を大井競馬場でも見てみたかった。誰もがその騎乗ぶりに驚いたことだろう。それも今となっては叶わぬ夢だが、私の無念など彼の比ではない。いつか陽の当たる場所に立つことを求めて世界を飛び回り、しかし戻る場所のない藤井騎手に、私はふと今から約20年前に日本を飛び出し、シンガポール、マレーシア、ドバイなど世界を股にかけて活躍した伝説の騎手、道川満彦の姿を重ねた。

「キッチリと差し切ったね」と私は念を押した。
メインレースのクランジSで、友人の買ったCAPABLANCAが、ゴール前で1番人気のWHY BEを見事に捕らえたのだ。CAPABLANCAに騎乗したCALLOW騎手は、シンガポールで78勝を挙げてリーディングジョッキーのトップをひた走っている(9月17日現在)。連対率ではなく、勝率が30%という驚異的な数字である。どれだけ良い馬に恵まれたとしても、勝率30%は尋常ではない。いつの日か、シンガポールから強い馬が現れ、日本に挑戦してくることがあれば、その背にはこのCALLOW騎手が乗っているはずだ。名前を覚えておいて損ではないと思った。「おめでとう」と言いながら、私は友人に握手を求めた。
結局、藤井騎手は残りの4鞍を勝つことが出来なかった。能力的に足りない馬ばかりだったのだろう。シンガポールでの最後の夜は、残念ながら0勝で幕を閉じることになった。それでも7Rでは、人気薄のPrior Viscount(高岡厩舎)を先行させて、3着に持ってきた。複勝は7倍近くもついていた。騎手にとって勝つということはこんなにも難しいものか。そして、彼が勝てなかったということは、当然、私も勝つことは出来なかった。
帰りの車の中で、私たちはシンガポールの競馬について話した。
「日本の競馬と比べると、シンガポールの競馬は馬券的に勝ち目があると肌で感じた」
と私が言うと、
「それを負けた奴が言っても説得力がない」と冷やかされた。
しかし、これは負け惜しみでもなんでもない。ただ単純にオッズが総じて高いと感じたのだ。なぜかというと、これは後で調べて分かったことなのだが、控除率が圧倒的に小さいのである。シンガポールの控除率はわずか10%。日本の控除率(25%)との差がどれぐらい大きなものか、これは実際に馬券を打った者でないと分からない。たとえば単勝を買うとして、日本では3レースに1度、3倍の単勝を当てるのが難しく感じるのに対し、シンガポールでは3レースに1度ぐらいは簡単に3倍の単勝が当たるような気がした。大雑把な言い方ではあるが、私たちが思っているよりも、この体感控除率の差は大きい。
それでも、日本の競馬ではなくシンガポールの競馬をやりたいかというと、そうは思わない。たとえ控除率が高くとも、日本の競馬(特に中央競馬)はやはり面白い。ダートから芝、芝からダートへと様変わりし、距離、コースも多種多様である。逃げ切りがあったかと思いきや、今度は大外から一気の差しが決まる。シンガポールは同じような距離を行ったきりのレースが多く感じられた。変化に乏しいと言おうか。JRAの番組はよく練られて緻密に作られていると改めて感じた。日本の競馬は素晴らしい。
車の窓から、マーライオンの白い姿が右手に見えた。真夏の夜にポツンと浮かぶその姿は、孤独そのものであった。海に帰ることを許されない海の獅子は、水平線に何を思うのだろう。長旅と敗北の疲れからか、私はふと浅い眠りに落ちてしまった。
嫌な夢を見た。喧嘩の強いあいつに向かっていかなければならなかった夢。中学校時代の記憶のきれぎれが、夢となって蘇ってきた。あいつと俺とじゃ体の大きさが違いすぎる。何発か俺のパンチは当たるかもしれないが、最後は胸ぐらをつかまれて、拳骨で殴られ、ひじ打ちをくらい、鼻をやられて終わりだ。そうなる前に、謝った方がいいのか。いや、それも格好悪い。
ふと我に返った。いかにも俺の考えそうなことだ。最初から負けることを考えている。どうせ勝てるはずないと思っている。正解。正論。もちろん勝てるはずなどないのだが、それでいいのか?どうやって負ければダメージが少ないか、格好がつくか?そんな計算ばかりしている。勝てるチャンスを探せよ。真っ向から戦わなくてもいいんだ。格好悪くてもいいじゃないか。美しい負け方なんてない。勝つためだけに堂々と向かっていけばいい。それでボコボコにされたら仕方ないじゃないか。死ぬわけじゃないだろ。逃げたらエネルギーまで失うぜ。
なぜ盲目的に藤井騎手の単勝だけを買ってしまったのだろうか。3Rは良かったとしても、それ以降のレースでは本当に勝ち目はあったのか?ないと知りつつ、なぜ勝つために賭けようとしなかったのか。藤井騎手に最後まで付き合うといえば理由は付くが、それは格好の良い負け方を選んだに過ぎないのではないだろうか。あれだけしかない情報の中でも、勝てるチャンスはあったはず。シンガポールまで来て、なぜ真っ向から勝負しなかったのか。貪欲に勝ちを求めるために、お前は世界に旅に出たのではないのか。
車の中には、友人が日本で買ってきたモンキーマジックの歌が流れていた。
SOUL SEARCHING IS ALL I NEED TO DO.
WHEN YOU’RE STUCK IN THE MOMENT
IT’S HARD TO KNOW WHAT’S TRUE
ただ今一人夜が 明けるのを待って
果てしないこの道の 青く広がる先に
いつも僕らが望んでた その時は来るさ
そして いつか きっと…
もう逃げることはやめよう。たとえボロボロになっても勝ちに行こうと決めた。そう決めた瞬間、明日が来るのが待ち遠しくなった。明日はマレーシア競馬の場外発売だ!







思っていたよりも蒸し暑さのない、どちらかというと快適な目覚めであった。昨夜遅く空港に到着したことを思うと、もう少し寝ておきたい気持ちはあったが、少し大きめの窓から差し込んでくる明るい日差しがそうさせてはくれなかった。私はエアベッドからゆっくりと起き上がり、ベランダに出た。外に出るとムッとする熱気がまとわりつく。眼下にはプールが広がっていた。水面からの反射光が眩しい。


シンガポール競馬はイギリス占領時代の1843年、現在はリトルインディアの一角に造られた競馬場で始まった。「レースロード」というストリート名に今もその名残がある。日本で初めて洋式競馬が行われたのが1861年になるから、ある意味、我々よりも一歩先んじていたことになる。19世紀に入って競馬人口が急激に増加し、馬券人気があまりにも過熱したため、1913年には賭博条例が成立し、不法な馬券発売の取り締まりが行われた。日本でも馬券禁止令が出たのが1924年だったことを考えると、その歩みは驚くほど似ている。


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