それは哀しさではなく

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東京から金沢に新幹線が開通するというニュースを聞いたとき、すぐに金沢競馬場のことが思い浮かんだ。金沢競馬場のことと言っても、実際に行ったことはなく、確か金沢に競馬場があったはずという程度の認識であった。大変失礼ながら、まさかもう廃止になってしまっていないよなという不安がよぎって、ネットで検索してみると火曜日と日曜日に開催されていることが分かって、ホッとひと安心した。今まで縁もゆかりもなかった競馬場だが、新幹線も開通したことだし、ぜひこの機会に金沢に行ってみようと思ったのだ。そう、競馬場が私を金沢に連れていってくれたのである。

私は小さい頃から旅行というものがさほど好きではなかった。今となっては、旅は自分の世界を広げてくれるひとつのアクションであることは分かるのだが、つい最近まで旅行とは嫌々行くものでしかなかった。家族で行く旅行もそうだし、友人知人と行く旅行もそれほど気乗りがしなかった。なぜかというと、ただ単純に、そこに競馬場がないからである。私は競馬場に行きたいのだ。競馬場こそが目的地であり、その過程に旅がついてくるのだ。競馬場がある場所ならば、地球の裏側でも行けそうな気がする。

東京から3時間。前日入りした私は、金沢駅近くのホテルに宿を取り、海の幸を楽しもうと「とっくりや」へ向かった。4月にもかかわらず金沢はまだ寒く、吐く息が白くなるぐらい。天気が悪かったこともあり、余計に寒く感じます。かなり迷ってようやく到着すると、そこはどこからどう見ても普通の居酒屋。暖簾をくぐって店内に入り、お品書きを見てみると、なんとお値段が書いていない。どれぐらいの量なのかも分からない中、一見さんに見られたくなくて、思い切って刺身の盛り合わせと牛ロースのたたきの2品、そして私はお酒が飲めないのでウーロン茶を注文した。

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最初に出てきたのは、お目当ての刺身の盛り合わせ。思わず「何人前ですか?」と聞いてしまうぐらいの豪快な盛り合わせが登場しました。お刺身が積み木やジェンガのように見事に積み重なっている(積み上げられている)。写真では分かりづらいかもしれないが、このように綺麗に積み上げられるのは、一つひとつの切り身がかなり大きいからである。私はこれまでこんなにも大きな刺身を食べたことがないし、その味も今までに味わった事のない美味しさであった。これだけでもうすでにお腹いっぱいで幸せを感じていたのだが、続いて出てきた牛ロースの叩きも相当な美味であった。この店にしばらく通うために、あと何泊かしてもいいと思えるほどであり、また今度、金沢に来るときには必ず立ち寄ることになるだろう。

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翌日は、朝早く起きて、兼六園と金沢城、そして金沢21世紀美術館に足を運んだ。我ながら観光らしい観光をしてしまったわけだが、ちょうど桜も満開宣言が出ていたように、庭園もお城も美術館も最高のおもてなしをしてくれた。主要な観光地が駅の周辺に位置しており、コンパクトにまとまっていて、観光客にとってはありがたい。金沢は駅自体の建物も実に近代的で、平日にもかかわらず、人も多く賑わっていた。といっても外国人が目立っていたように、観光地としての盛り上がりがあったし、これからもそうなのだろう。

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観光という用事を済ませたあと、いよいよ私の本命である金沢競馬場に行った。金沢駅西口から無料のシャトルバスに乗って、20分ぐらいウトウトしていると競馬場に到着した。入場料を払い、久しぶりの競馬場に胸を高鳴らせながらパドックへと向かっている途中、人がいないことに気がついた。少ないと言うよりは、いないと言った方が正しい。私に見えるのは、パドックの奥の方にポツンと立っているひとりの競馬ファンのみ。いくら平日の開催とはいえ、あまりにも人が少なすぎる。馬券を買おうとスタンド内に入ると、そこには20年前の南関東の競馬場の雰囲気がそのままあった。私が通っていた頃の浦和競馬場や船橋競馬場にタイムスリップしてしまったような錯覚にとらわれた。

懐かしいというよりは哀しい。素直にそう思った。パドックを見て、馬券を買い、レースを観てみたけれど、その感情は変わらなかった。20年前と何も変わらない風景。もしかしたら関係者たちはそうは感じていないのかもしれないが、私には倦怠感が漂っているように思えた。日々、同じようなメンバーによる同じようなレースの繰り返し。同じような調教師の馬に同じような騎手が乗り、いつもと同じように勝つ。それでも競馬ファンがいれば目の前の勝ち負けにこだわれるし、もっと先を見て競馬を考えることもできるが、競馬ファンが競馬場に足を運ばなくなると、競馬は途端に魅力を失い、競馬場は哀しさに包まれる。

私は数レースを観戦したのみで、競馬場をあとにした。帰りのシャトル便の発車時刻には時間がありすぎて、タクシーは1台も待っておらず、歩いて帰るには遠すぎる。結局、競馬場の運営の方にタクシーを呼んでもらって事なきを得たが、サンフランシスコのベイメドウ競馬場から帰られなくなって以来、久しぶりに競馬場で足止めを食らってしまった。帰りがけのタクシーの窓から見える風景は広大な田畑ばかりで、煌びやかに見えた金沢も、一歩離れると現実の世界が広がっていた。

私たちはこれからどうすれば良いのだろう。金沢競馬場に限ったことではなく、私たちはこの哀しさとどのようにして付き合っていけばよいだろう。人口が確実に減少していき、ありとあらゆるものがダウンサイズしていく中、かつての輝きは失われ、哀しさだけはじわじわと増していく。都市部などの中央に集中させてコンパクト化していくのもひとつのアイデアだが、私はその土地に住んでいる、その場所にあることの意味も信じている。それはトーテムポールのようなものではないか。もしかしたら私も誤解していたのかもしれない。それは哀しさではなく、自然なのだ。

その土地に深く関わった霊的なものを、彼らは無意味な場所にまで持ち去ってまでしてなぜ保存しようとするのか。私たちはいつかトーテムポールが朽ち果て、そこに森が押し寄せてきて、全てのものが自然の中に消えてしまって良いと思っているのだ。そしてそこはいつまでも聖なる場所になるのだ。なぜその事がわからないのか。

(「森と氷河と鯨 ワタリガラスの伝説を求めて」星野道夫

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盛岡競馬場に行ってきた(前編)

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JBCを観戦するために盛岡競馬場に行ってきた。何を隠そう、私にとって初めての競馬場である。20年以上も競馬をやってきて、恥ずかしい話ではあるのだが、世界には、もちろん日本にも、私の知らない競馬場がまだたくさんあるのだ。私の盛岡競馬場のイメージは、高校生の頃に読んだ漫画「パッパカパー」の主人公・杉ちゃんが、借金取りから逃れた末にたどり着く競馬場である。そこに登場する菅原勲という騎手の名前や鉄火場、場末のバーなどのイメージが入り混じって、あらゆる意味において極北の競馬場だと思っていた。実際はそうではないことぐらい分かっていたが、そうではないことを確認するためにも、今回は盛岡まで足を運ぼうと思った。

朝ふと思い立って、東京から新幹線に乗ったため、3つのメインレースにはギリギリ間に合う時刻に競馬場に到着予定であった。ところが、特急券を捨ててしまうという愚行を犯してしまったのである。駅員さんと交渉の末、なんとか無事に改札を出ることができ、競馬場行きのバスに飛び乗るも、盛岡駅から競馬場までは30分近くかかるということで、おそらくJBCレディースクラシックには間に合わないことは確実となった。

半ばあきらめつつ、バスの座席に座りながら、村上春樹の訳した「セロニアスモンクのいた風景」を読み耽っていると、いつのまにか競馬場が近づいてきたのか、乗客の競馬ファンたちがザワザワと落ち着きがなくなってきた。ふと窓の外を見ると、山一面に色とりどりの紅葉が映えている。思いがけず、盛岡の紅葉を堪能することができた。

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いよいよ競馬場に到着すると、場内の放送からサンビスタが優勝したアナウンスが聞こえた。それは私が本命にしようと考えていたワイルドフラッパーが負けたことを告げ、松田国調教師との師弟対決を制した角居勝彦調教師の勝負強さを物語る声でもあった。

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入場チケットを買って場内に入るとすぐに、私の真正面に、競走馬の石像が立ちはだかった。これまで行った競馬場の中でも出会ったことのないほど巨大な石像。それは盛岡競馬場に対して卑小なイメージを持っていた私を見下ろしているようであり、私は深く懺悔した。

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パドックにはすでにJBCスプリントのメンバーが登場しており、私は2頭の馬に目を移した。どちらに賭けようかと迷っていたノーザンリバーとドリームバレンチノである。じっくりと観るまでもなく、私はドリームバレンチノに決めた。ノーザンリバーが良く見えなかったからである。この馬の体型だろうが、どう見ても腹構えが太すぎる。短距離馬特有のものと割り切ったとしても、腹回りに余裕がありすぎる。同馬が道中で手応えが悪く見えたり、行きっぷりが悪くなったりするのは、このあたりにも理由がある気がする。

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馬券を買って、コースに出てみると、スタンドは小さく、いかにも地方の競馬場という趣である。それは悪い意味ではなく、競馬場として過不足なく、競馬を楽しむ分には十分な設計ということだ。パドックから本馬場へ、またレースを走った馬たちがクールダウンして厩舎に帰っていく導線からは、ファンを意識していることが伝わってくる。欲を言えば、もっと競馬ファンと馬は近くていい。そして、驚きはスタンドの内観である。当然のことながら、馬券売り場も払い戻しも数は少ないが、その風景は中央の競馬場やウインズのそれと全く変わらない。うっかりしていると、盛岡競馬場にいるのかウインズ新橋にいるのかさえ分からなくなるほどだ。自動化や効率化を進めていくとどこも同じような馬券売り場になるのは残念だが、それはそれで仕方がない。

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世界バケンカ旅-シンガポール後編-

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12頭立てのゲートが音立てて開いた時、ゴール前に陣取る観衆の中の一人が「ジャポーン!」と大きな声を上げた。私たちと同じく、藤井騎手の最後の夜を知り、勝負を賭けてきたに違いない。まったく綺麗なスタートだった。馬群が黒い塊となってゲートから飛び出した。その中から頭ひとつ抜き出てきたのは、人気薄のNINETYFIVE SWORDと藤井勘一郎騎手のPREMIER NIGHTであった。外のNINETYFIVE SWORDがどうしても譲らない構えを見せたため、藤井騎手は無理をすることなく2番手に控えた。この時点で、勝負あったも同然に見えた。あとは前の馬を交わすだけであった。

「フジイー!フジイー!フジイー!」

ラスト200mを切っても、その差は詰まらない。2頭の脚色はほぼ同じになった。追いすがるPREMIER NIGHTには敗北の色がちらつき、勝利を確信したNINETYFIVE SWORDの騎手は手綱を緩め始めた。それでも私たちは叫び続けた。他のどのシンガポーリアンよりも懸命に。藤井騎手も自分の馬のタテガミだけを見ながら、ひたすらにPREMIER NIGHTを追い続けた。

しかし、奇跡は起こらなかった。2馬身差の2着。勝った馬は人気薄の大駆けであった。勝てる馬で勝ちに行く競馬をしたが、それでも勝てなかった。藤井騎手にとっても、高岡調教師にとっても、誰にとっても悔いのない騎乗であった。

それにしても、藤井騎手が騎乗した馬は“動く”。2RのJAVELINも3RのPREMIER NIGHTも、ゲートからしっかりと出し、決して無理をしているわけではなく先行させていた。レース体系のほとんどを短距離が占めるオーストラリアやシンガポールでは、スタートしてから息を入れる間もなくゴールまでなだれ込む競馬がほとんどだ。だからこそ、馬を動かして前に出す技術がジョッキーにまず問われる。

馬を動かすことは、ジョッキーにとっての永遠のテーマである。馬は鞭で叩けば動くのではない。ある騎手が乗ると全く動かないのに、別の騎手が乗ると、何もしなくても自ら動き出すということはよくある。馬を動かすためには、ある種、生まれ持った何かが必要とされるのだ。努力すれば手に入るものではない。それは肉体的なものかもしれないし、精神的なものかもしれないが、藤井騎手はその何かを持っている。

「スタンドに行こうか?」と友人が言った。
悔いがないと思いつつも呆然としていた私は、
「そうするか」とだけ答えた。
わずか3Rにして、本日の勝負馬券を外してしまったのだから無理もない。
「PREMIER NIGHTか…」とつぶやいてみた。

彼の言うスタンドとは、「ハイビスカス」と呼ばれる観光客向けのラウンジのことだ。パスポートが必要で、詰め入りのシャツを着用しなければならず、サンダル、スリッパ等のラフな格好は禁止と厳しい。ハイビスカス以外で楽しむのであれば、Tシャツでも短パンでもスリッパでも別に構わない。実際、現地の人はそのような格好がほとんどであった。

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ハイビスカスは既に満員であった。観光客がそれほど来ているのだろうか。入場料が20ドルもするのに大そうなことだ。代わりに私たちはオーナーズラウンジに通された。ここから見えるターフは壮観であった。私が今までに行った日本のどの競馬場の指定席よりも眺めがいい。おそらく建築の構造上の違いなのだろうが、日本のガラス張りのスタンドはコースとの距離があるのに対し、こちらはかなり近く感じた。ここならば、ガラス張りとはいえ、かなり迫力のあるレースが観戦できるだろう。

私たちは立派そうな椅子に腰を下ろした。これでようやく落ち着いて予想が出来る。先ほどのレースで力強く握り締められ変形したレーシングプログラムを、私は机の上にポンと置いた。左手でレーシングプログラムの片隅を押さえ、右手でシワを伸ばしながら、気持ちを落ち着かせるように、4Rの出走表の頁を開いた。

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*クリックすると大きくなります。

そこに書いてある文字たちは、まるで何かの暗号のように見えた。ロゼッタストーンを発見したナポレオンのように、一字一句に目を凝らし、私はその意味を解読していった。これほどまでにレーシングプログラムを真剣に見るのはもう何年ぶりだろうか。馬の名前、馬齢、生産国、父母の名前、近走の出走日、走った距離、斤量、その時の騎手の名前ぐらいまではなんとか分かる。しかし、肝心の前走の着順や枠番号などがはっきりしない。ようやく、[6]とカッコの中に入っているのがゲート(この場合6番枠)で、その横に並ぶ3つの数字の一番右が最終着順で、真ん中が4コーナー、左が3コーナーでの位置取りということが分かり始めた時には、4Rの投票は既に締め切られていた。

私は5R以降もこの暗号表を解読することが少々億劫に思えた。不意に出走表をめくり、ボールペンを片手に、藤井騎手の名前を探し出した。5RのKakurei、7RのPrior Viscount、8RのZinly、9RのTitan Funの4頭に赤色のアンダーラインが入った。どの馬も到底勝負になるようには映らなかったが、ここまで来たなら、最後まで藤井勘一郎に付き合ってみたいと思ったのだ。

藤井騎手はこの後、シンガポールを立ち、年内は北海道のノーザンファームで調教に乗るという。大井競馬場の騎手会によって、短期免許の受け入れを拒否されたのである。オーストラリアで184勝を挙げ、シンガポールで重賞を取っているほどの騎手でも、大井競馬場で乗ることは許されないらしい。いや、騎手“でも”ではなく、騎手“だから”許されなかったのかもしれない。

短期免許の受け入れを拒否された日、彼は日記に下のように記した。タイトルは「勝負の世界」である。

「勝負の世界」 騎手という職業は勝つか負けるかの仕事。僕の見習い期間を過ごしたオーストラリアでは、レースに勝たなきゃ仕事がないし未来がないというシビアなものでした。今回、大井競馬に短期免許を拒否されたわけですが、以前川崎競馬場の騎手会長をされていた方に電話でお話したところ、日本はまだ鎖国的で現在既にいるジョッキーを大切にしすぎているとおっしゃっていました。今回、自分が日本の競馬に戻れなかったから嫉んでこの日記を書いているわけじゃありません。海外で経験してたジョッキーが、日本のレースに騎乗できる事で地元のジョッキーの良い刺激になりそしてがんばりさえすれば、海外からでも道は開けるんだと夢を持っている人達に、僕の競馬を見せられなかったのは残念です。でも絶対戻ってきますよ。リベンジしてやる!!!!

私は彼のファイト溢れる騎乗を大井競馬場でも見てみたかった。誰もがその騎乗ぶりに驚いたことだろう。それも今となっては叶わぬ夢だが、私の無念など彼の比ではない。いつか陽の当たる場所に立つことを求めて世界を飛び回り、しかし戻る場所のない藤井騎手に、私はふと今から約20年前に日本を飛び出し、シンガポール、マレーシア、ドバイなど世界を股にかけて活躍した伝説の騎手、道川満彦の姿を重ねた。

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「キッチリと差し切ったね」と私は念を押した。
メインレースのクランジSで、友人の買ったCAPABLANCAが、ゴール前で1番人気のWHY BEを見事に捕らえたのだ。CAPABLANCAに騎乗したCALLOW騎手は、シンガポールで78勝を挙げてリーディングジョッキーのトップをひた走っている(9月17日現在)。連対率ではなく、勝率が30%という驚異的な数字である。どれだけ良い馬に恵まれたとしても、勝率30%は尋常ではない。いつの日か、シンガポールから強い馬が現れ、日本に挑戦してくることがあれば、その背にはこのCALLOW騎手が乗っているはずだ。名前を覚えておいて損ではないと思った。「おめでとう」と言いながら、私は友人に握手を求めた。

結局、藤井騎手は残りの4鞍を勝つことが出来なかった。能力的に足りない馬ばかりだったのだろう。シンガポールでの最後の夜は、残念ながら0勝で幕を閉じることになった。それでも7Rでは、人気薄のPrior Viscount(高岡厩舎)を先行させて、3着に持ってきた。複勝は7倍近くもついていた。騎手にとって勝つということはこんなにも難しいものか。そして、彼が勝てなかったということは、当然、私も勝つことは出来なかった。


帰りの車の中で、私たちはシンガポールの競馬について話した。
「日本の競馬と比べると、シンガポールの競馬は馬券的に勝ち目があると肌で感じた」
と私が言うと、
「それを負けた奴が言っても説得力がない」と冷やかされた。
しかし、これは負け惜しみでもなんでもない。ただ単純にオッズが総じて高いと感じたのだ。なぜかというと、これは後で調べて分かったことなのだが、控除率が圧倒的に小さいのである。シンガポールの控除率はわずか10%。日本の控除率(25%)との差がどれぐらい大きなものか、これは実際に馬券を打った者でないと分からない。たとえば単勝を買うとして、日本では3レースに1度、3倍の単勝を当てるのが難しく感じるのに対し、シンガポールでは3レースに1度ぐらいは簡単に3倍の単勝が当たるような気がした。大雑把な言い方ではあるが、私たちが思っているよりも、この体感控除率の差は大きい。

それでも、日本の競馬ではなくシンガポールの競馬をやりたいかというと、そうは思わない。たとえ控除率が高くとも、日本の競馬(特に中央競馬)はやはり面白い。ダートから芝、芝からダートへと様変わりし、距離、コースも多種多様である。逃げ切りがあったかと思いきや、今度は大外から一気の差しが決まる。シンガポールは同じような距離を行ったきりのレースが多く感じられた。変化に乏しいと言おうか。JRAの番組はよく練られて緻密に作られていると改めて感じた。日本の競馬は素晴らしい。

Singapore13_3車の窓から、マーライオンの白い姿が右手に見えた。真夏の夜にポツンと浮かぶその姿は、孤独そのものであった。海に帰ることを許されない海の獅子は、水平線に何を思うのだろう。長旅と敗北の疲れからか、私はふと浅い眠りに落ちてしまった。

嫌な夢を見た。喧嘩の強いあいつに向かっていかなければならなかった夢。中学校時代の記憶のきれぎれが、夢となって蘇ってきた。あいつと俺とじゃ体の大きさが違いすぎる。何発か俺のパンチは当たるかもしれないが、最後は胸ぐらをつかまれて、拳骨で殴られ、ひじ打ちをくらい、鼻をやられて終わりだ。そうなる前に、謝った方がいいのか。いや、それも格好悪い。

ふと我に返った。いかにも俺の考えそうなことだ。最初から負けることを考えている。どうせ勝てるはずないと思っている。正解。正論。もちろん勝てるはずなどないのだが、それでいいのか?どうやって負ければダメージが少ないか、格好がつくか?そんな計算ばかりしている。勝てるチャンスを探せよ。真っ向から戦わなくてもいいんだ。格好悪くてもいいじゃないか。美しい負け方なんてない。勝つためだけに堂々と向かっていけばいい。それでボコボコにされたら仕方ないじゃないか。死ぬわけじゃないだろ。逃げたらエネルギーまで失うぜ。

なぜ盲目的に藤井騎手の単勝だけを買ってしまったのだろうか。3Rは良かったとしても、それ以降のレースでは本当に勝ち目はあったのか?ないと知りつつ、なぜ勝つために賭けようとしなかったのか。藤井騎手に最後まで付き合うといえば理由は付くが、それは格好の良い負け方を選んだに過ぎないのではないだろうか。あれだけしかない情報の中でも、勝てるチャンスはあったはず。シンガポールまで来て、なぜ真っ向から勝負しなかったのか。貪欲に勝ちを求めるために、お前は世界に旅に出たのではないのか。

車の中には、友人が日本で買ってきたモンキーマジックの歌が流れていた。

SOUL SEARCHING IS ALL I NEED TO DO.
WHEN YOU’RE STUCK IN THE MOMENT
IT’S HARD TO KNOW WHAT’S TRUE
ただ今一人夜が 明けるのを待って

果てしないこの道の 青く広がる先に
いつも僕らが望んでた その時は来るさ
そして いつか きっと…

もう逃げることはやめよう。たとえボロボロになっても勝ちに行こうと決めた。そう決めた瞬間、明日が来るのが待ち遠しくなった。明日はマレーシア競馬の場外発売だ!

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世界バケンカ旅-シンガポール中編-

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府中本町や船橋法典の駅がそうであるように、クランジ駅ではそれらしき人たちが大挙して降りる。シンガポール中から同志が集まってきたようで心強い。駅の目と鼻の先に入場門があり、人々はチケットを買い、競馬場に吸い込まれていく。私は入場門の前で友人を待っていた。

まだ1Rが始まる前だというのに、電車が到着する度に、駅の出口から人々が溢れ出てくる。国民のレジャーとして定着しているのを感じた。その勢いは日本の競馬場に優るとも劣らない。ただひとつだけ、女性の姿がほとんど見られないことは気になった。ギャンブル一辺倒から脱却しない限り、女性は競馬場にはやってこない。女性はそのあたりの感覚が鋭敏である。

少し遅れて友人がやってきた。3ドルを出して買った入場券を、自動改札機のようなゲートに通して正門から入場した。はやる気持ちを抑えつつ歩いていると、「ワーッ」と大きな歓声が聞こえた。1Rがスタートしたのだろう。私は気分が高揚し、いつもに増して早足になった。右手にパドックらしき照明がみえた。ようやくたどり着いたのだ。これがシンガポールの競馬だ。

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前もって4ドルで買っておいたレーシングプログラムを取り出すと、2Rの出走表には、日本産馬の名前が載っていた。グランドオペラ産駒のJAVELIN、タヤスツヨシ産駒のGassan Racing、フサイチソニック産駒のBiwako である。グランドオペラといえば地方馬として初めてJRAのG1を制したメイセイオペラを思い出す。韓国で元気にやっているのだろうか。Biwakoは琵琶湖だろう。ついつい応援したくなる名前である。

ページを戻して1Rの出走表を見ると、エアジハード産駒の日本産馬の名前が載っていた。Hanauma Bayである。それからもう1頭、ペインティドブラックの産駒Ezee Does itもいた。ステイヤーズSであのテイエムオペラオーを完封したサンデーサイレンス産駒のステイヤーである。ニュージーランド産になっているので、おそらく向こうで種牡馬として頑張っているのだろう。知らなかった。Hanauma BayもEzee Does itも勝ち負けにはならなかったようだった。

他には、ラムタラ産駒が5Rに出走していたが、それでも日本馬は本当に少ない。特に今日はサンドコースでのレースだけに、出走頭数も人気も、オーストラリアかニュージーランド産のサラブレッドに占められてしまっている。近年、日本馬が世界で活躍するようになったとはいえ、まだまだ日本で生産された馬は世界のマーケットでは魅力的ではないらしい。輸送費等の問題を含め、この現状を打開するためには、やはり日本産馬がシンガポールで活躍しなければならない。

パドックでは、まさにこれから藤井勘一郎騎手がJAVELINに跨るところであった。1番JAVELINは少し入れ込み気味ではあったが、堂々と歩いていた。異国の地で日本人ジョッキーが乗っているのを見るだけでなぜか誇らしい。そして、藤井騎手からは国際的ジョッキーとしての自信が満ち溢れていた。

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名前すら聞いたことがないという方もいるかもしれないので、簡単に紹介したい。“Joe Fujii”こと藤井勘一郎騎手は、体重が重すぎたためJRAの騎手養成課程に落ちてしまい、15歳の時にオーストラリアに渡ってジョッキーになったという異色の経歴の持ち主である。“Joe”というのは、 “Kanitiro”と呼びにくいオーストラリア人がつけた彼のニックネームだそうだ。

2001年に騎手デビュー。激戦区であるシドニーで実力が認められ、昨年までに通算184勝を挙げた。弱冠23歳。好きな言葉は「Be what you want to be (なりたい自分になりなさい)」。いかにも若者らしい屈託のない笑顔が印象的である。

今年の1月からシンガポールでの短期免許が許可され、延長期間を含め、8ヶ月の間に12勝の成績を残した。3月には、自身初の重賞チェアマンズトロフィー(星G3)をTRIGGER EXPRESSで優勝する。そして、今夜はシンガポールでのラストライドになる。6頭に騎乗予定で、どこまで勝ち星を積み上げることが出来るだろうか。

ジョッキーが跨り、パドックを1周しただけで、11頭の馬たちはコースへと消えていった。追うようにして私も、馬券売り場を横目に人々の間を縫い、スタンドを通り抜け、コースへと到着した。そこには見事な緑のターフが広がっていた。ふとスタンドを振り返ると、ナイターの光が乱反射して美しい。

「藤井の単勝って、一体何倍だ?」と友人がポツリと言った。
私は、彼の視線の先にある電光掲示板を見た。藤井騎手が乗るJAVELINはゼッケン1番で、その1の数字の下には“16”の数字が。
「16倍ってことはないよな…?」
「ないね」
その他の馬のオッズを見ると、24とか50とか113とか高配当のオンパレードである。16より低い数字を探すと、11という数字の馬が1頭いるだけ。20年近く競馬をやってきた私たちが、まるで今日初めて競馬場に来た大学生のようにポカンと佇む姿は、外から見たら可笑しかったに違いない。レーシングプログラムの中を必死に探してみるが、どこにも書いていない。締め切りのアナウンスが流れた。こういう時、無理に買ってもロクなことがないことを知っている競馬歴20年近くの私たちは、とりあえずこのレースは見(ケン)ということにした。

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けたたましいベルの音と同時に、ゲートが開いた。JAVELINは藤井騎手に導かれ、抜群のスタートを切った。もう1頭ポンと出た馬を目標にして、JAVELINは2番手に控えた。行きっぷりも良く、もしかしたら楽勝かと思わせられた。

馬券を買えなかったことを後悔したその時、4コーナーを前にして、藤井騎手の手が少しずつ動き始めた。結局、逃げた馬との差は広がるばかりで、最後は自分がバテてしまい、危うく後ろの馬に差されるところをなんとか凌いで2着に入った。

「買えなくて良かったな」
私たち二人は声を合わせて笑った。

オッズに関しての疑問はすぐに解決した。マークシートを見てみると、単勝と複勝のUnit(単位)が5ドル単位で細かく分けてあったからだ。要するに、単勝と複勝は最低5ドルからしか買えないらしい。電光掲示板にあった数字は、5ドル賭けて的中したときの数字ということだ。先ほどのJAVELINは16であったから、3.2倍ということになる。ちなみに、連勝などそれ以外の馬券は2ドルが最低単位であった。

シンガポール競馬を語る上で、知っておかねばらなない日本人がもう一人いる。高岡秀行調教師である。

高岡調教師は昭和54年に騎手として岩見沢競馬場でデビューした。14年間の騎手生活における通算成績は5059戦524勝、うち重賞20勝という素晴らしい戦績を残した。師事していた調教師の事故死を契機として、平成5年に調教師に転向し、その後、調教師として10年間で355勝。平成12年にはホッカイドウ競馬で54勝を挙げてリーディングトレーナーになった。

順風満帆に見える騎手・調教師人生だが、彼はそれで満足することはなかった。日本産馬の販路拡大と、地方騎手の活躍の場を広げるため、さらなる一歩を踏み出した。日本の調教師免許を捨て、外国人免許を持つ最初の日本人調教師として、平成15年からシンガポール競馬を拠点として活動を開始したのだ。18頭の日本馬を引き連れ、彼はどんな思いで海を渡ったのだろうか。

徐々に勝ち星を増やし、2006年にはダイヤモンドダストで重賞を初制覇した。今年も既に15勝を挙げ、リーディングの11位に付けている。それでも、「馬産地のある国はほかの国に馬を送ることが大事。そのためには馬の活躍が必要だが、まだ活躍馬を出せていない」とクールに語る。
 
2Rの余韻も冷めやらぬまま、パドックを3Rの出走馬たちが歩き始めた。藤井勘一郎騎手騎乗のPREMIER NIGHTは8番。2番人気か3番人気ぐらいであろうか。入れ込みと紙一重の気合乗りで周回していた。これが最後のチャンスであることを感じてか、藤井騎手の表情からも絶対に勝ってやろうという無言の気迫が伝ってきた。パドックの周りに立つ、観客の誰もが真剣に馬を見つめている。未来しか見えないのが競馬の魅力のひとつだ。


藤井騎手本人は、先ほどの2RJAVELINに最も期待しているとコメントしていたが、私としてはこの3RのPREMIER NIGHTで勝負するつもりであった。実を言うと、この2頭は高岡調教師の管理馬である。藤井騎手のラストライドである以上、究極の仕上がりにあることは疑う余地はない。PREMIER NIGHTが日本産馬でないことは残念だが、藤井勘一郎騎手が高岡秀行調教師の管理馬に乗って勝利することがあれば、それはまさにPREMIER NIGHT(最高の夜)であろう。そんなこじつけをして、私と友人は50ドルずつ出し合い、8番PREMIER NIGHTの単勝を100ドル買った。シンガポールに来て、初めての馬券であった。

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世界バケンカ旅-シンガポール前編-

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「フジイー!フジイー!」

日本の競馬場でも聞かれることのない藤井コールが、シンガポールの夜にこだました。

私たちの掛け声は、ジョッキーの鞭となり、鞍下の馬を叱咤激励する。それに応えるかのように、藤井勘一郎騎手の操るPREMIER NIGHTは、徐々にポジションを押し上げていった。5番手から4番手。4番手から2番手へ。先頭に立ったNINETYFIVE SWORDとの差を一完歩ごとにジワジワと詰めていった。

残り400m。

あと1頭交わすことができれば、この夜はシンガポールで最高のものになる。

Singapore01_2思っていたよりも蒸し暑さのない、どちらかというと快適な目覚めであった。昨夜遅く空港に到着したことを思うと、もう少し寝ておきたい気持ちはあったが、少し大きめの窓から差し込んでくる明るい日差しがそうさせてはくれなかった。私はエアベッドからゆっくりと起き上がり、ベランダに出た。外に出るとムッとする熱気がまとわりつく。眼下にはプールが広がっていた。水面からの反射光が眩しい。

「シンガポールでは日当たりの悪い方が良い物件なんだ」と部屋の中から友人が言った。彼の住む、このいかにもシンガポールらしい集合住宅の一室には、たしかにそれほど日当たりが良くはなさそうだ。その代わりというか、この部屋にはカビが生えやすいため、一日中冷房を入れておかなければならないらしい。陽の当たる場所の方が悪くて、陽の当たらない場所の方が良い。いつか陽の当たる場所にと思っている私には、少し不思議な感じがした。

「それじゃあ、また後で」と言い残して、友人は仕事に出掛けた。彼は高校時代からの友人で、国内外問わず誰もが知る大手電気メーカーに勤めている。今年の4月、シンガポールに赴任となった。彼とはどれほど多くの時間を掛けて競馬について話してきただろう。人生や青春を語る代わりに、私たちは競馬について語ってきた。

「ケイエスミラクルは勝っていたに違いない。」
「田原成貴のあの騎乗は最高だった。」
「そんな馬、来るわけねぇ。」

彼とは手加減なしで競馬の話が出来る。互いの意見は一致しないことの方が多いが、唯一折り合いがつくのは、最強のスプリンターはサクラバクシンオーということだ。サイレントウィットネスやテイクオーバーターゲットよりも断然に強かったと信じている。

午前中は、シンガポールの競馬について調べて過ごした。シンガポールの在籍馬は8割以上がオセアニア産であること。シンガポールの競馬はマレーシアの3つの競馬場(セランゴール、イポー、ペナン)と密接なつながりがあり、マラヤン競馬協会として統括されていること。今のクランジ競馬場は1999年に新しくオープンしたこと。それまではブキティマ競馬場で行われていたのだが、競馬産業とシンガポールの経済の急激な成長に伴い、交通渋滞や騒音問題などが生じてしまったことによって、シンガポール政府はクランジに世界で最も美しく近代的な競馬場を建設することにしたこと。2000年に、クランジ競馬場のオープニングイベントとして、第1回シンガポール航空国際Cが開催されたこと(2002年には国際G1に認定)。シンガポールの年間の売り上げ(マレーシアも含む)は約1100億円であること。韓国の約4500億円、香港の約8200億円、日本の約3兆円に比べると低い数字だが、その差はいずれ縮まるだろう。それよりも、いかに日本の競馬の売り上げの多いことか。あとどれぐらいJRAは私たちに馬券を買わせたいのだろうか。

そうこうしていると、昼になった。友人が仕事を一旦抜け出して、迎えに来た。読みきれない資料をバックに詰め、私たちは部屋を出た。マンション地下にある駐車場から車に乗り込み、らせん状に地上に出ると、そこは常夏の国シンガポールだった。

「クランジ競馬場の入り口で18時に待ち合わせでいいよね?」
「そうだなぁ。仕事が終わってからすぐに向かうつもりだけど、もしかしたら10分ほど遅れるかもしれない。」

結局、18時10分に集合ということにして、クレメンティ(Clementi)という駅で車から降ろしてもらった。駅前は、電車とバスを利用する人々が行き交い、大変な混雑をしていた。ほとんどが中華系の人々であり、ごく稀にマレー系、インド系の人々の姿が見られる。

特にどこへ行くという当てもなかったので、MRT(Mass Rapid Transit)に乗ることにした。この鉄道は、都市部は地下を、郊外に出ると高架を走る。シンガポール国内を一周するように網羅しているので、交通網の中心となっている。日本で言えば、東京の山手線のようなものだ。

駅の階段を登り、切符を買おうと全体の鉄道マップを眺めると、リトルインディアやチャイナタウンなどの観光名所まではかなり時間を要することが分かった。そこで、空腹を感じていたこともあり、クレメンティ駅の周りを探索してみることにした。

Singapore02

シンガポールには建設中の土地が目立つ。クレメンティのような郊外だけではなく、オーチャードやシティホールのような都市部でさえも、新しい建物が次から次へと建つのである。先進国でありながら、まだまだ発展し続けているということだ。競馬だけではなく経済的にも、日本が追いつき追い越されてしまうのは、そう遠い日のことではないのかもしれない。

駅前の建物の1Fにあるマクドナルドには目もくれず、さらに奥へと進むと、30以上の屋台が集まった市場のようなところに行き着いた。平日の昼時をだいぶ過ぎた時間ではあったが、たくさんの人々が、せわしなく話しながら、のんびりと食事をしていた。その周りで、背中が奇妙に曲がった男が、テーブルの上に散らかった残飯の片付けをしている。蓋のない大きなバケツに次々と食べ残しを放り込み、飲み物の残りは別のバケツに流し、汚れたテーブルの上を濡れた雑巾で拭く。彼の働きがなければ、この市場はあっという間に食事どころではなくなってしまうだろう。食事に興じる人々は誰もその男の存在すら気に留めず、また男もそれで当然だといった様子で機械的に動き続けていた。片隅では、子供たちが日本のポケモンのようなアニメを小さなテレビで観ている。黄色いTシャツに青の半ズボン。小学校の帰りに違いない。もう夏休みの宿題は終わったのだろうか。どこの国でも子供たちの笑顔は美しい。

Singapore03

店の看板は中国語で表記してある。パッと見ただけでは、どの店で何を売っているのか全く分からない。私はしらみつぶしに店を見て回り、人々の食べている皿の上の料理に目を凝らした。皆が食べているような一品を食べてみたいと考えていた。しかし、面白いことに、どれひとつとして同じような店もなく、誰一人として他と同じものを食べている者もいなかった。一見、どの店も、どの料理も同じに見えたが、よく観察するとどれも違う。まるでジャングルに生息する生物のように多様であった。これといった決め手もなく、空腹であったことも手伝って、私は目の前にあった店で定番のチキンライスを注文して、3ドルを渡した。少し離れた外のテーブルに自分の場所を確保した。そこで、午前中に調べておいたシンガポールについての資料をバックから取り出し、読みながら待つことにした。

Singapore04

Singapore05シンガポール競馬はイギリス占領時代の1843年、現在はリトルインディアの一角に造られた競馬場で始まった。「レースロード」というストリート名に今もその名残がある。日本で初めて洋式競馬が行われたのが1861年になるから、ある意味、我々よりも一歩先んじていたことになる。19世紀に入って競馬人口が急激に増加し、馬券人気があまりにも過熱したため、1913年には賭博条例が成立し、不法な馬券発売の取り締まりが行われた。日本でも馬券禁止令が出たのが1924年だったことを考えると、その歩みは驚くほど似ている。

第二次世界大戦中の1942年、日本軍はシンガポールを占領し、競馬だけではなく、数万人以上の命を「粛清」により奪った。シンガポール華僑虐殺事件である。しかし、この頃から日本の競馬も次第に陰りを見せ始める。競馬専門紙・雑誌の相次ぐ休廃刊や競馬場の閉鎖。そして、1944年には競馬がついに停止となった。経緯こそ違え、どちらの国も戦争により一時的に競馬を失った経験を持っている。

「ここに座っていいかな?」

中国語なので全く分からないが、おそらくそう聞かれたのだと思った。顔を上げると、老人が満面の笑みを浮かべて、対面の席を指差していた。私も微笑んで、歓迎の意を伝えた。私のチキンライスがテーブルに並ぶや、老人が注文した料理も運ばれてきた。老人は醤油味のスープにタンメンが入っているような料理を美味しそうに食べ始めた。

私はチキンライスを食べていたが、老人の料理が気になって仕方なかった。そこで、店の人を呼び止め、老人の料理を指差しながら、「この料理が食べたい」と伝えた。これは昔アメリカで生活した時に覚えた、海外で美味しいものにありつくためのコツである。他の人が食べているものを、あからさまに指で差しても構わない。食べている本人は、かえって自分が認められたような気がするのか、まんざらでもない顔をすることが多い。

Singapore06

チキンライスを食べ終え、遅れてやってきた醤油味のスープにタンメンが入っているような料理に口を運んだ。老人と目が合った。老人は料理と私を交互に見て、何か訊ねた。

「うまいだろう?」

と言ったに違いないと思い、私は親指を立てて答えた。老人は安心したように頷き、また自分の食事に取り掛かった。正直に言うと、チキンライスもこの料理もさほど美味くはなかったが、それが作法であろう。私は市場を出て、MRTに乗り、クランジ駅に向かった。

(シンガポール中編へ→)

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最高の夜に

シンガポールより

思っていたよりも暑くなく、快適な目覚め。

クランジ競馬場でナイター開催のため、それまでは近くを観光する予定。

バクテーかチキンライスを食べようかな。

本日の狙い&注目は、、“JOE”こと藤井勘一郎ジョッキー。

今日がシンガポールでのラストライド。

6鞍に騎乗予定で、今期12勝にどこまで勝ち星を積み重ねることができるか。

本人は2RのJAVELINを推しているが、3RのPREMIER NIGHT(シンガポールで奮闘中の高岡調教師の管理馬)で勝てば、まさに文字通りの最高の夜になるだろう。

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シンガポールへ

Singapore

本日から9月4日(火)にかけて、シンガポールに遠征してきます。

向こうでも競馬を楽しんできたいと思います。

この間、メルマガ「馬券のヒント」はお休みさせていただきます。

どうぞよろしくお願いいたします。

治郎丸敬之

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エプソムの歓喜

世界各地に様々なダービーがあり、世界各地で戦いが繰り広げられる。その中でも最高峰に位置されるのが、競馬発祥の地イギリスにおいて行われるエプソムダービーである。

エプソムダービーが創設されたのは1780年で、第1回のダービーは直線1マイルにおいて9頭立てで行われダイオメドという馬が勝利した。ちなみに、それまで一般に行われていた競馬は、同じメンバーの馬が何度か走って2度勝った馬を勝ち馬とする「ヒート競走」が主流であった。しかし、若馬は能力が未知数となるため、レースをさせると最初から大きな差がついてしまい、「ヒート競走」をさせるまでもなく決着が付いてしまうことが多かった。さらに、未知の馬の1回限りの勝負というのは非常にエキサイティングで、こちらの方が盛んになっていった結果、エプソムダービーは、それまでに対戦したことのない新馬同士の1回限りのレースとして始まったという。

日本ダービーを勝ったメイショウサムソンとウオッカが挑戦する今年の凱旋門賞で、ブックメーカーに現在1番人気に推されているのが、そのエプソムダービーを勝ったオーソライズド(Authorized)である。Authorized(権限を与えられた)というその名も、第228回の歴史を誇るエプソムダービー馬に相応しい。父はあのエルコンドルパサーを凱旋門賞のゴール前でねじ伏せたモンジューで、再びその仔が凱旋門賞で日本馬の行く手を阻むことになるのだろうか。

オーソライズドのエプソムダービーのレーティングは132と、近年ではガリレオに並ぶ数値で、過去10年では最高の評価が与えられた。歴代では15位であり、あのニジンスキーが135+であったことを考えると、久々に誕生した最強クラスの名馬である。インヴァソールが引退してしまい残念に思っていたが、またワクワクさせてくれる新星の誕生を喜びたい。

鞍上のフランキー・デットーリ騎手も、15回目の挑戦にして悲願のエプソムダービー制覇となった。「残りの数ヤードで世界全体が叫んでいるのが聞こえた」とコメントしたように、数々の大レースを制してきたデットーリ騎手にとっても、エプソムダービーの勝利は格別だったのであろう。

オーソライズドの強さと、フランキー・デットーリ騎手を始めとした関係者の歓喜をあなたにもぜひ味わっていただきたい。エプソムダービーを勝つということは、こういうことなのですね。観ているこっちまで嬉しくなってきちゃいます↓

実は、オーソライズドはこの後、エクリプスSで古馬に挑戦して敗れてしまった。そのエクリプスSは不思議なレースだったのだが(詳しい内容・映像はこちら)、まるでウオッカと同じような足跡を辿るオーソライズドにはこれからも注目したい。またダービー後、オーソライズドはダーレーに買い取られたという。年内一杯で現役を引退し、イギリスで種牡馬入りするらしい。ということは、数年後には、このオーソライズドの産駒が当たり前のように日本でも走っているかもしれないということか。

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ウルグアイの英雄

◆2006年WTRR総合ランキング
1 インヴァソール Invasor(牡4、米)129、ダート(I)
2 ベルナルディーニ Bernardini(牡3、米)128、ダート(I)
2 ディスクリートキャット Discreet Cat(牡3、米)128、ダート(M)
4 ディープインパクト(牡4、日)127、芝(L)
4 ジョージワシントン George Washington(牡3、愛)127、芝(M)
4 ラヴァマン Lava Man(セン5、米)127、ダート(M)
4 レイルリンク Rail Link(牡3、仏)127、芝(L)
8 バーバロ Barbaro(牡3、米)126、ダート(I)
8 ディラントーマス Dylan Thomas(牡3、愛)126、芝(I、 L)
8 ハリケーンラン Hurricane Run(牡4、仏)126、芝(L)

2006年のワールド・サラブレッド・レースホース・ランキング(WTRR)が発表され、129ポンドで総合ランキング堂々1位の支持を受けたのが、アメリカのインヴァソールである。どの馬が強いという評価は極めて難しく、主観的なものになってしまうことを承知で言わせてもらえば、ディープインパクトと同じくらい、インヴァソールは強い馬だと私は思う。ブリーダーズカップに至るまでの走りには、それぐらい強い衝撃を受けた。

ウルグアイ3冠を無敗で制した直後にドバイの殿下に買われてしまったが、インヴァソールは今もってウルグアイの英雄である。アルゼンチンで生産され、ウルグアイで走っていた馬が、ブリーダーズカップまでを制して、世界のランキング1位を獲得したのだ。インヴァソールのアメリカンドリームは、ウルグアイの国民にとってなんと痛快であろうか。

インヴァソールの父キャンディストライプス(Candy Stripes)の半弟は、あのバブルガムフェローである。そして、同馬の母系はまさにアルゼンチン土着の血統で、雑草血統の逞しさに支えられた活力と生命力に溢れた配合であり、それゆえに底知れぬ可能性を十分に感じさせられる。また、いかにもダート馬という馬体ではなく、もしかしたら芝でも走るのではないかと思わせるほど、全体のバランスが取れていて、しなやかな動きをする。道中はリラックスして走り、それでいてアメリカのダート競馬の速さにも楽に付いていくことができる。だからこそ、最後の直線でも追えば追うほど伸びる。そして、レースに行っての闘争心溢れる走りとは裏腹に、その表情はとても愛くるしく、普段は大人しい性格なのであろうことが想像できる。

ランキングに話を戻すと、私はベルナルディーニの2位タイには疑問があって、引退が決まってしまった馬を今さら評価しても仕方ないが、それほど強い馬とは思えなかった。インヴァソールとの比較からこうなったのかもしれないが、ブリーダーズカップクラシックも着差以上の力差があるように感じた。それならば、日本の英雄ディープインパクトが、ディスクリートキャットと同じ2位タイ、欲を言えばインヴァソールと並ぶ1位タイの評価を与えられても良かったのではないか、とあくまでも個人的には考えている。



ウルグアイの英雄インヴァソールのプロモーションビデオ(?)はこちら↑
今年も応援したくなりますね!必見です。

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弱いところが狙われる

Deltablues

昨年の日本のスプリンターズSとオセアニアのメルボルンカップは、まさにこれからの世界競馬を象徴する2つのレースとなった。どういう意味かというと、これだけ競馬の世界地図が小さくなった今、層が薄いにもかかわらず、賞金が高いレースは格好の標的になるということである。つまり、弱いところが狙われるのである

オセアニアはサラブレッドの生産頭数がアメリカに次いで2番目に多い国であり、その多くの馬は2歳時に行われるゴールデンスリッパーS(1200m)を目標として生産される。このゴールデンスリッパーSは、1着賞金がなんと約1億6000万という、2歳戦としては世界最高賞金を誇る超ビッグレースである。日本の生産者が将来のダービー馬を夢見るように、オセアニアの生産者はゴールデンスリッパーS馬を夢見て配合・調教をする。このことだけを見ても、オセアニアはスプリンターの層が厚く、その中からトップに上り詰めてくる馬が、尋常ではない能力を秘めていることがうかがい知れる。もちろん、その代わりに、純粋なるステイヤーは皆無に近く、層が薄いことは否めない。

対する日本では、生粋のスプリンターとして生産される馬の数はまだ少なく、生産という面から見てもその層は薄い。また、スプリンターズSを秋口に移行したことにより、スプリンターとマイラーの分極化が進んでしまった。強い日本のマイラーがスプリントレースに出走しづらくなったため、まだまだ弱いスプリント路線を外国馬から守ることが出来なくなってしまっているのが現状である。しかし、マイル~中長距離路線は、血統や調教技術の飛躍的な向上により、ひいき目なしに見ても、世界のトップレベルにあるといっても過言ではない。重賞クラスの馬がきちんとした状態であれば、世界のどこに持って行っても好勝負になるだろう。

どちらの国のレベルが高いということではなく、その国のレース体系によって、目指している強い馬づくりの方向が違っているということである。それに応じて、層の厚い路線と薄い路線が出てきてしまうのは、当然といえば当然の結果である。

もちろん、日本としても手をこまねいて見ているわけではない。高松宮記念とスプリンターズSの短距離2冠を制した快速名牝であるフラワーパーク(父ニホンピロウィナー)が、年明けにもオセアニアでリダウツチョイス(父デインヒル)と交配するという。リダウツチョイスは言わずと知れたオセアニアのリーディングサイヤーで、快速馬の中の快速馬を生み出して、のし上ってきた種牡馬である。これは完全に短距離のスペシャリストを意識した配合で、下手にサンデーサイレンスやダンスインザダークなどをかけて距離を持たせるよりもずっと良いと私は思う。弱いスプリント路線を補うために、血統は敢えて強いところを伸ばす配合をする。これからの世界競馬は、「強いところを伸ばす」、「弱いところを補う」ことの両方が要求される時代なのかもしれない。

Photo by fakePlace

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