集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第33回)

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絶好枠を引いたクインアマランサスは、北村友一騎手に導かれ、内々の経済コースを回りながら、絶好の手応えで最後の直線へと向いた。あとは先頭を走るレジェンディストを捕まえるのみ。しかし、前が開かない!北村友一騎手も何とか切り返して、エンジン全開で追い詰めるが、クビの差まで迫ったところがゴール。全てが順調に来て、クインアマランサスの勝ちパターンにはまったにもかかわらず、最後の最後でまさか前が詰まるとは。これが競馬だと言ってしまえばそれまでだが、あまりにも無慈悲な負け方であった。まさか1000万下クラスで3着に入った馬が、500万下でここまで勝ちあぐねるとは。

次走は京都ダート1800mという全く同じ条件のレースに出走し、当然のことながら、圧倒的な1番人気(1.4倍)に推された。今度こそ勝つ番というわけだが、一口馬主としては悪い予感しかしなかった。それは期待がゆえの心配ではなく、外枠(8枠)を引いてしまったことによる具体的な不安。外を回らされてしまうことは、クインアマランサスの典型的な負けパターンなのである。その走りを、デビュー戦から目を皿のようにして見守ってきた一口馬主だからこそ分かること。まるでジョッキーがパドックで自分の騎乗馬のオッズを確認したとき、「人気になりすぎでは」とゾッとするあの感覚を味わったのである。

案の定、クインアマランサスは馬群の外を回され、勝ち馬とは0.5秒差の3着と、見るも無残な負け方をした。前脚の出が良くないため、どうしてもピッチ走法で走ることになり、その分、外を回らされてしまうことが他の馬以上に応えるのだろう。逆に言うと、フットワークが大きいタイプではないので、馬群の内でも器用に立ち回ることができる。どう考えても500万下では力が一枚上であることは証明されたので、次走以降は道中のポジションが勝ち負けを左右することになるはずである。

その次はすぐにやってきた。1年で4レースぐらいしか走れなかった馬が、今年に入って早3戦目を迎えることになった。高野友和調教師が大切に使ってくれて、牧場が焦らずに育ててくれたおかげで、ようやく競走馬としての肉体が完成されてきたのだろう。いまだに坂路で55秒を切ることができないが、クインアマランサスなりに充実期を迎えている。この勢いをどこまで続けられて、ひとつでも上のクラスで走ってもらいたいと願う。もう5歳馬にして500万下をウロウロしているにもかかわらず、夢を抱くことができるのだから一口馬主は不思議だ。もしこの馬に出資していなかったら、おそらく単なる500万下の馬として目にも留めていないだろう。

スタート良く飛び出したクインアマランサスは、行き脚もついて、楽な形で先行集団に取り付いた。道中は淀みなく流れ、折り合いもついて、実に気持ち良さそうに走っている。直線に向いてからの手応えも抜群で、北村友一騎手もほとんど手綱だけで馬を追って、3馬身の差をつけて勝利した。控えめに見積もっても1000万下に行っても通用するし、もしかすると準オープンまで行けるかもしれないと思わせる力強い末脚であった。私にとっての2日遅れの誕生日プレゼントとなった。初めての出資馬がコンスタントに走って、ひとまずは馬代金以上の賞金を稼いでくれたのだから、クインアマランサスとその関係者の方々には感謝の言葉しかない。

Photo by Silk Horse Club

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パドックで馬を見て、馬券を当てる!(中編)

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パドックで馬を見ても分からない。それは正直な考えであり感想だろう。ここで言う分からないとは、走る走らないを見極めるのは難しい、つまりパドックで馬券を当てるのは至難の業であるということだ。日々馬と関わっているプロフェショナルでさえ、「パドックを見ても分からない」と明言する。

トップトレーナーの藤沢和雄調教師は、「馬体は見ません。鞍を付けてゼッケンを置いてしまうと私の目には分かりづらいから」と言い、伊藤雄二元調教師は、「これだけ長いこと競馬に携わっている私でも、分かりませんと答えるしかありません」と難しさを語っていた。

『武豊TV』に出演した松永幹夫調教師は、地方競馬のパドックで人気馬の歩様がおかしいことを発見し、絶対に来ないと踏んで、ほくそ笑んで馬券の対象から外したところ、その馬がブッチ切って勝ってしまったという笑い話をしていた。このような話は数え切れないほどある。

谷中公一元騎手は、著書『ファンが知るべき競馬の仕組み』の中で、パドック解説者についてこう語る。「意地の悪い仮定をしてみよう。一切のデータを渡さず、オッズも見せず、パドック解説者に馬の良し悪しを語ってもらったとする。結果はまず間違いなく、メチャクチャになると思う。少なくとも僕は、血統や実績を知らないまま、勝ち馬を見抜くことはできない。明らかにダメな馬は分かる。しかし、どの馬が勝つか、ということまではわからない」 とても正直な意見だと思うし、私も同感である。

つまり、馬体や馬の動きや仕上がりだけを見極めることができても、どの馬が走る(勝つ)のかにはたどり着かない。なぜならば、能力の存在があるからである。どれだけ馬体や仕上がりが良くても、能力の足りない馬は走らない。その逆もまた然りである。パドックを見ても、その馬の走る能力は分からない。

それは馬の心理・精神状態においても同じである。もし馬の心理・精神状態が分かっても、その走る能力は分からない。大前提としては、馬の走る能力の差がある程度は分かっていた上で、どの馬がその能力を発揮できるのか、または発揮できないのかを判断するのがパドックを見るということなのだ。それでは、どのようにして馬の能力を測るのか。これは私の経験上の考えだが、パドックを見て馬券を買うときには、あまり出走馬のことを詳しく知りすぎていても良くない。余計なことを知っていると、先入観を持って馬を見てしまう。素直にその馬自身を見れなくなってしまうのである。

だからこそ私は、中央競馬の下級条件や地方競馬、海外の競馬場で馬券を買うときにこそ、パドックを見る。そもそも私はパドックの見方をアメリカの競馬場で修行させてもらった背景があるため、全ての出走馬の情報がほとんどないという前提でパドックを見る。情報があると、迷ってしまうことの方が多い。

とはいえ、たとえば出走馬10頭の情報が全くない中で、パドックを歩いている10頭の中から勝ち馬を選ぶのは難しい。アメリカの競馬場で右も左も分からない中、パドックを見始めたときは、真面目にそうしていたが、能力が分からないのでなかなか当たらなかった。どうすればよいのかと自問自答した。

余計なことを知りすぎてしまうと、馬を素直に見ることが難しくなる。しかし、全く知らなければ、走る能力の優劣が分からず、馬券につながらない。たどり着いた答えは簡単で、オッズを見るということだ。どの競馬場にもある、電光掲示板やテレビモニターに映し出されている各馬のオッズを見ることだ。

ここでがっかりした方も、ため息をつかれた方もいるだろうし、なるほどと思われた方もいるだろう。パドックを見るときには、最低限の情報として、オッズだけは知っておくべきである。オッズとは、その競馬場のそのレースにおける出走馬の優劣を極めて客観的に示す値なのだ。

ただし、ご存じのとおり、競馬のレースはオッズ通りには決まらない。人気のある馬は好走する確率は高く、人気のない馬は低いのは確かだが、オッズ通りには決着しない。それは競馬のレースや走るサラブレッドが生き物であるからである。サラブレッドも能力どおりに走ることができない日もあるのだ。

オッズという数字だけを頼りに、パドックを歩く馬たちの優劣や能力の凸凹を頭に入れながら、馬の心理・精神状態そして性格を見る。そうすることで、実力を素直に出し切れそうな人気馬とそうでない人気馬が見極められてくる。逆に、能力が劣る馬については、たとえ良く見えても馬券は買えない。

このあたりは意見が分かれると思うが、パドックは力のある馬が今日は力をきちんと発揮できるかどうかを見極める場であり、能力の劣る馬が激走することを予見できる場ではないと私は思う。つまり、パドックでは穴馬を見つけるのではなく、勝てる能力のある馬たちがどのような走りをするのかを見るのだ。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第32回)

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この連載を始めてから、ずいぶん長い歳月が流れた。私の初出資馬となるクインアマランサスはもう5歳になる。1歳時に見初めてから4年が経ったということだ。その間にたくさんのことがあった。個人的でここには書けないようなことばかりだが、良いも悪いも、一人の人生の中で起こるであろう程度の出来事が起こったということだ。私の人生に何があっても競馬が続いていくように、出資馬が走っている限り一口馬主ライフも続いていく。

しばらく連載が書けていなかったのは、忙しかったからというよりも、慣れてしまったからだろう。見直してみると、昨年の2月以降書いていないということは、およそ1年間、私の心は一口馬主ライフから離れていたことになる。初めて子どもが生まれて、4、5歳ぐらいまでは写真やビデオを撮ったり、子どもの様子を友だちや知り合いに発信したりする熱狂の時を過ぎてしまったという感覚に近いのかもしれない。決して熱が冷めたのではなく、一口馬主ライフとはこのようなものかと平常心に戻ったということだ。

クインアマランサスや2頭目の出資馬であるジャスパーゲランが、トントンと勝ち上がったり、重賞やG1レースに出走するようなことがあれば、また違った高揚があったのかもしれない。横断幕を張ったり、口取り写真に収まったり、ゼッケンを手に入れたりと、出資馬が活躍することによって体験できる喜びを味わえたのかもしれない。しかし、この2頭に関しては、自分の子どもがそうであるように、私の期待とは外れてきてしまっている。それは年月が経てば経つほど、傾きの違う線が少しずつ離れていくように、理想と現実は確実に違うものとして目の前に現れている。

そこには絶望も失望も全くなく、そのようなものであると最初から分かっていたことが、実感できるほど近くにやってきたということだ。実際に当事者として経験してみないと手に入れることができない現実であり、その現実を身をもって知れたことは価値があると思う。その現実から何を学び、今持っているものを工夫することによって、どうすればさらに楽しむことができるかを考えてみたい。そして、最も大切なのは、それでも夢や希望を失わないことだ。あきらめないで関わっていくと、思わぬチャンスが生まれることがある。

そう思わせてくれたのはジャスパーゲランである。3歳新馬戦でデビューして14着と大敗したのち、交流戦を求めて園田、笠松、金沢競馬場を旅して、ようやく金沢で初勝利を挙げることができた。競走生命を長めることができたのもつかの間、次走では再び12着と敗れた上、脚元の異常が発覚し、およそ半年の休養を取ることになったのだ。復帰戦の阪神ダート1400m(500万下)では、坂路で52秒台のタイムが出ていたので密かに期待していたにもかかわらず、レースの流れにまったく付いていくことができず15着とブービーの結果で終わってしまった。

「休養明けの一戦で最後は息が保たなかったにしても、追い切りの動きから道中はもう少し付いていけると思ったのですが…。距離が合わないわけではありませんし、現状、中央のこのクラスだとまだまだレース慣れが必要なようです。この後は障害転向も予定されているとのことでしたが、調教の走りから器用さは感じられるので、飛越は上手かもしれません。試してみる価値は十分にあると思います。私の力及ばず申し訳ないですが、ジャスパーゲランの新たなステージでの活躍を願っています」(高野友和調教師)

この結果を受けて陣営の取った決断は早かった。出資者でひいき目のある私でさえ、この馬は走ることで食べていけないと分かったのだから、シビアな目で見れば、競走馬としては失格という烙印を押されて仕方ない。ところが、私にはなかった選択が提示されて驚いた。転厩と障害転向の可能性である。美浦の厩舎に転厩し、環境が変わることはプラスに働くかもしれない。何よりも関東の競馬場で走ってくれると、生で彼の走りを見ることができる。障害転向はオジュウチョウサンの影響があるのかもしれないが、その手があったかと思わせる、あきらめかけていた自分が恥ずかしくなるような、素晴らしい視点である。もしかするとジャスパーゲランは第2のオジュウチョウサンになるかもしれない。これでもう少し夢と希望を持って生きていけるような気がする。

クインアマランサスは走りながら休み、休みながら走りをして、年始にようやく11戦目を迎える。一時は1000万下で3着に食い込んだこともある頑張り屋さんだが、モレイラ騎手が乗って500万下で敗れてしまったときは、さすがに目を覆ってしまった。この馬がダートでトントンと勝ち上がって、交流重賞を盛り上げる存在になってもらいたいと願ってきたが、今年の春がラストチャンスとなるだろう。あきらめたわけではない。あきらめた時点で勝負は終わってしまう。ここからが勝負である。そう自らを鼓舞しつつ、クインアマランサスの走りを見守りたい。

発走は1月5日(土)の京都第6レース。1枠2番と絶好の枠を引いた!

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第31回)

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アダチさんからクオカードが届いた。ただのクオカードではない。ラッキーライラックの阪神ジュベナイルフィリーズ優勝記念につくられたそれである。つまり、アダチさんはラッキーライラックの一口オーナーということである。アダチさんとは、確か岡山県にある引退馬のリトレーニングを行う吉備高原サラブリトレーニングについて拙ブログにコメントをいただいたことがきっかけで、同郷であることを知ったと記憶している。

彼がラッキーライラックを一口持っていることを阪神ジュベナイルFの直前に知った。残念ながら私は同じオルフェ―ヴル産駒のロックディスタウンの単勝を買っていたため、ラッキーライラックを心から応援することはできなかったが、自分の本命馬が負けてもラッキーライラックが勝ったことでほんの少しだけ救われたものだ。そんな私の気持ちを見透かしたように、アダチさんはアルテミスS勝利時のクオカード、そして阪神ジュベナイルFのクオカードを届けてくださった。

2枚のクオカードを眺めながら、なぜアダチさんはラッキーライラックを選んだのだろうか、という素朴な疑問がふと浮かんできた。あれだけ多くのサラブレッドたちが一口馬主の出資を募っている中で、なぜまだ山のものとも海のものとも分からない、しかも新種牡馬であるオルフェ―ヴル産駒という未知の要素の大きい1頭の1歳牝馬を選び取ることができたのだろうか。運と言われたらそれまでだが、運だけではない何かがあるならば知りたいと切実に思った。ちょうど母系の大切さに着目していたというタイミングも良かった。

実は、ラッキーライラックは今をときめくMy Juliet牝系の馬である。My Julietは自身がアメリカで24勝を挙げただけではなく、子どもたち(特にステラマドリッド)を通して、ラッキーライラックの他、ダイヤモンドビコーやミッキーアイル、アロエリット、テイエムジンソクらを輩出している。しかもここ数年のMy Juliet牝系の勢いは素晴らしい。その流れを知っていて、つまり、もしかするとMy Juliet牝系であるラッキーライラックを血統を重視して選んだのかもしれないと思った。

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アダチさんからは以下のように返答があった。

3年位前から一口馬を選ぶマイルールを決めました。募集カタログのDVDの引き馬を見て決めるのですが、 ①後脚の踏み込みが良いこと 前脚が地面から離れた位置より後脚がどれだけ前に着地しているか?つまりは後脚をどれだけ大きく前に振り出せるかということです。この後脚の動きが大きいほど股関節の可動範囲が広いことになり、一完歩が大きくなります。DVDをスローにしないと判別は難しいです。

②頭が高くないこと
頭はけっこう重いので首を伸ばして支えるのと首を立てて支えるのでは首を伸ばして支える方が力を要すると思います。首を伸ばして歩ける(頭の位置が低い)ということは首差しから胸前の筋肉が発達していることにつながると思います。また、頭を低くしてリズミカルに歩けるということは引いている人とのコミュニケーションが良好だと感じています。つまりは人に対して従順ということですね。以上の集大成がラッキーライラックにつながったと思っています。

あとは資金面ですが私も最初は1/400口から出発しました。1/100口(ラフィアン)にステップアップしてから結構当たり馬(代表はマイネルフロスト)を引けた事で1/40口にステップアップできました。社台・サンデーでもガーネットチャームを引けたことで続けられていると思っています。

アダチさんは血統ではなく馬体を見て、ラッキーライラックへの出資を決めていた。後肢の踏み込みが良く、頭が高くなくリズミカルに歩けるという2つのポイントから馬を探し、見つけたのがラッキーライラックであったということだ。たしかに立ち写真だけ見ても、産駒の馬体の出来にムラがあるオルフェ―ヴル産駒の中では、馬体全体のシルエットが美しく、バランスの取れた好馬体である。さらに動きの良さや気性の従順さも見抜いていたというのだからさすがである。

星の数ほどの名馬を育ててきた、ノーザンファームの元場長である秋田博章氏の「血統だけで決まってしまったら競馬は面白くないよ」、というひと言を思い出した。馬体だけでも血統だけでもない、どちらかではなくどちらも重要なのだろう。馬体か血統かの問いには、卵が先か鶏が先かと同じように、結論は出ない、もしくは出るのはだいぶ先になりそうである。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第30回)

愛馬のデビューや出走を待っていると来ないのに、日々を忙しく生きて、忘れてしまっていると、いきなりその日はやってくる。長い休み明けから栗東トレセンに復帰し、休み明け初戦を4着と好走したクインアマランサスの叩き2戦目がやってきた。正直に言うと、休み明けからぶっちぎりで500万下を楽勝し、1000万、1600万と連勝してオープンに上がるイメージを抱いていただけに、初戦からの敗戦にはがっかりした。半年に及ぶ長期の休養明けだけに仕方がないと自らに説きつつ、次走を待つことにしたのだ。

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「先週一杯は前走の疲れを取るメニューで調整していましたが、状態は変わりなく来ていたことから、22日に坂路でサッと時計を出しました。動きに硬さはなく、ノビノビとした走りで坂路を登坂していました。ひと叩きした上積みから、より良い走りを見せてくれると思います。このまま変わりなければ、12月9日の中京・ダート1,800m(牝)に出走させたいと思います」

レースを使われても、身体が硬くなることがなくなったのは大きな収穫だろう。ダートの中距離という得意条件も定まってきて、ここで負けたら後がないという心境での出走となった。クインアマランサス自身はもちろんそんなこと知る由もなく、また5番人気という評価を見て、競馬ファンも冷たいなあと感じつつ、私だけは彼女と新しい鞍上となる北村友一騎手(荻野極騎手は騎乗停止のため乗り替わり)を信じることにした。大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせながら。

1枠1番という好枠を引いた今回は、スタートが切られてそのまま経済コースを走ることができる。たとえ下級条件であっても、1800mを走って最後は首や鼻の差で勝敗が決まるのだから、道中のポジションが持つ意味は大きい。最後の直線で前が詰まったりすることがなければ、競馬は内枠を引いて内々を進めた方が圧倒的に有利なのだ。

案の定、北村友一騎手はクインアマランサスをうながし、内ラチ沿いの好位を終始進み、最終コーナーを回りながらも、他馬が外々を回しているその内を狙った。見事なイン突きである。綺麗に馬群が開いたスペースに突っ込み、早目に抜け出していたラレッサングルをゴール前で捕らえた。半ばあきらめかけた位置からの勝利だけに、さすがにレース後は興奮がなかなかおさまらなかった。

レースを振り返ってみて思うのは、特にこのような下級条件においては、血統(母系)の良さは大きな意味を持つということだ。坂路であれぐらいの時計しか出せない馬が、最後の直線で勝負根性を見せて勝ち上がった。走る気持ちというべきか、前に出る闘争心というべきか、そこには数字や言葉では説明しきれないものを感じたのだ。母ヒカルアマランサス、叔父にはカレンミロティック、姉にはギモーヴなど、走る馬を出している勢いのある母系からは、肉体のような目に見えるものではなく、サラブレッドとして成功するために必要な目に見えない何か、そう精神性のようなものが受け継がれているのではないだろうか。

「やはり血統が大事ですね」とある生産者が言った言葉が蘇ってきた。とても良い馬体をしていて、いかにも走りそうな馬でも、順調にデビューできなかったり、レースに行くと意外と走らなかったりする一方で、血統の良い馬は何だかんだ言っても遅かれ早かれ走るという意味でそう語っていた。ここでいう血統とは、種牡馬ということではなく、繁殖牝馬つまり母系ということである。極論すれば、種牡馬はお金さえ出せば(無理をすれば)リーディングサイヤ-の血を手にすることができても、母系の血統の良さは一朝一夕にはいかんともしがたい。そう考えると、私たちが一口馬主として出資すべきときにまず見るべきは、もしかすると母系なのかもしれないという考えに至るのである。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第29回)

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昨年末、シルクホースクラブのパーティーに参加してきた。一口馬主として懇親会に参加することは、私にとっては初めての経験であり、会場に入る前から胸が高まって仕方なかった。そのせいだろうか、肝心の招待状を忘れてしまい、受付に事情を説明すると、「会員ナンバーを教えてもらえませんか?」とのこと。会員証を持ち歩く習慣がないため、自宅に電話して妻に引き出しを引っ張り出して探し出してもらい、写メで送ってもらった。送られてきた会員証の写真をそのまま提示したところ、「これはノルマンディーさんのですね…」と言われ、よく見てみると本当にノルマンディーの会員証(笑)!顔から火が出るほど恥ずかしかった。そんなやりとりを通しつつ、招き入れてくださった快い対応に感謝したい。

パーティーが始まる頃には、数えきれないほどの一口馬主の方々や競馬関係者が集まり、会場には熱気が充満していた。過去にも何度か参加したことのある方の話によると、ここまでたくさん一口馬主の方々がいるのは初めて、今までで最も人数が多いのではないかとのこと。道を歩けば棒に当たるではないが、会場を普通に歩いているだけで、ミルコ・デムーロ騎手やその弟のクリスチャン・デムーロ騎手、シュタルケ騎手や横山典弘騎手らとすれ違う距離感の近さが素晴らしい。コアな競馬ファンが馬券を買うだけではなく、一口馬主としても競馬産業を支え、彼らが一口馬主クラブのパーティーや懇親会を通じて、騎手や調教師たちと触れ合う(コミュニケーションが生まれる)という形が今の時代である。

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シルクホースクラブ代表の阿部幸也氏とシルクレーシングの米本昌史氏のあいさつからスタートした。阿部さんとはシルクホースクラブが社台グループと提携する前に競馬場でお会いしたことがあり、その当時はクラブ所属馬が1勝もできずに競馬場を後にすることもよくあるし、クラブ所属馬が1勝でもしてくれると嬉しいとおっしゃっていた。勝利に飢えていた頃の阿部さんも好きだが、今こうして大きな舞台に立ち、所属馬を凱旋門賞に連れていきたいと語る阿部さんも好きだと思った。小休止があって、全ジョッキーたちが壇上に上がり、当日の天皇賞・秋を見事な騎乗で制した武豊騎手の挨拶があった。いつもどおりユーモアとウィットに富み、シルクの馬にもっと乗りたいと皮肉をはさみつつ、さすが日本一の騎手であることを体現していた。藤田菜七子騎手もプレゼンターとして登場し、会場は異常に盛り上がった。

愛馬クインアマランサスを管理する高野友和調教師に話を伺いたいと思っていたが、残念ながら今回は出席していないらしい。肩透かしを食らった気持ちになっていると、週刊Gallopの元編集長の鈴木さんを通じて、橋口慎介調教師と話すことができた。お父さまである橋口弘次郎元調教師やワンアンドオンリーの印象があるからか、とても開業して2年目だとは思えないほど私の中に名前が浸透しており、しかも同じ年(生まれた月も同じ!)であることも判明して、何かの縁を感じてしまうほどであった。こうして人間的な部分に触れることができると、次の出資馬は橋口慎介厩舎に所属する馬を選びたいと、選択肢の幅が広がる。クインアマランサスもジャスパーゲランもそうだが、私は結局のところ、そうした人間関係で馬に出資するタイプなのだろう。この人と一緒に愛馬を応援したいという気持ちが馬主としての私の原点なのだ。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第28回)

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クインアマランサスがノーザンファームしがらきに放牧に出され、すでに4か月が経とうとしている。もう1度、馬をつくりなおしていることが分かるし、厩舎長のコメントからも成長が伝わってくる。「これからどんどん良くなってくると思いますよ」、「いい具合に成長しているなと実感します」という言葉からは、それが定型文だと分かっていても、遥かなる期待を抱かないわけにはいかない。やはり1勝して、こうして時間を掛けて成長を促すことができることは大きい。「この秋は一気にオープンまで行くと思うよ」と周りの競馬友だちに話すと、フンと鼻で笑われるが、私の内心では半分本気でそう思っている。

クインアマランサスは順調に成長している一方、もう1頭の出資馬である2歳馬ジャスパーゲラン(父フレンチデピュティ)の調教が頓挫してしまっており、デビューの見通しが立っていない。調教→放牧中に怪我→調教再開→放牧中に怪我→怪我が治ってきたと思いきや左前肢に骨瘤が出るという流れで、現在はウォーキングマシンとトレッドミルのみで調整している。岡田牧雄さんからも「丈夫な馬だと思う」と聞いていたし、ノルマンディファームのスタッフの方々も「動く馬」と評価してもらっているだけに、何とかアクシデントを乗り越えてくれることを切に願う。

比較的早い時期にデビューできると踏んでいたジャスパーゲランが、こうして遅々として足踏みをしているのを見ると、2歳夏の時期からデビューできるサラブレッドは、ただそれだけでエリートなのだと思うようになった。競走馬としてターフの上を走るだけでも大変な馬もいる中、早い時期から厳しい調教に耐え、怪我や病気、アクシデントを乗り越え(もしくは回避し)、ゲートインできることがどれだけ凄いことか。かつては夏競馬でデビューする馬は早熟で尻すぼみだと勝手に見下ろしていたが、そうではないのだ。早い時期にデユーできる彼ら彼女らはエリートである。これは一口馬主を始めて分かったことのひとつだ。

それにしても、ジャスパーゲランは馬体重が増え、良い体つきになっている。前駆に力強さがあり、トモにも実が少しずつ入ってきて、全体のバランスが整ってきている。顔つきも凛々しく、筋肉にも柔らかみがある。実はジャスパーゲランの2つ上の兄サウンドフォース(父ダイワメジャー)は、千葉サラブレッドセールで1番時計を出して高値で買われた馬であり、デビュー前の調教であのワンダーアキュートに先着したという素質馬であった。残念ながら大成することはなかったが、祖母メガミゲランから伝わるスピードや走る資質は確かなのだ。時間が掛かってもいい。アクシデントや怪我を乗り越えて競走馬としてデビューし、とにかく無事に走り続けてもらいたい。そうすれば、同じ高野友和厩舎から、私の出資馬でもある2頭のダート馬が、重賞レースにそろい踏みする日は来るのではないか。

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Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第27回)

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クインアマランサスが放牧に出てから、しばらくの時間が経った。一口馬主は自身の馬が出走していないと時が止まるし、厩舎にすら入っていなければなおさらである。私の場合、もうかれこれ2か月の時が止まっていることになる。もちろん、その間にも現況報告のメールがシルクホースクラブから送られてくる。このあたりは実にサポートがしっかりとしていて、日常生活の中でふと忘れてしまいそうになる、自分が一口馬主であることを一瞬でも思い出させてくれる。

近況
クインアマランサス[父 キングカメハメハ : 母 ヒカルアマランサス]
在厩場所:滋賀県・ノーザンファームしがらき
調教内容:トレッドミル
次走予定:未定

7月21日
厩舎長「トレッドミルで負担が掛からない程度に調整していましたが、だいぶトモの状態が良くなってきましたので、トレッドミルのペースを少しずつ上げていこうと思います。それで変わりがなければ、来月から騎乗していくことを考えています。馬体重は499kgです」

7月28日
厩舎長「この中間もトレッドミルで調整していますが、順調に調子が上向いていますし、来月あたりから騎乗調教を開始していくことを考えています。ここまできたら良くなっていく一方だと思うので、トレッドミルで運動をしっかり継続して次のメニューに備えていきたいと思います。馬体重は498kgです」

8月4日
厩舎長「少しずつ良くなってきているものの、もう少しトレッドミルで時間を掛けて運動を行っていく方が良いかもしれませんね。硬さもまだ少し残っているので、ここで無理に進めて悪くなってしまうと余計に時間が掛かってしまいますから、焦らず馬の状態に合わせながら進めていきたいと思います。馬体重は494kgです」

8月11日
厩舎長「引き続きトレッドミルで運動を行っています。普段後ろ脚は裸足にしているのですが、蹄鉄を履かせたことでだいぶ楽にトモを踏ん張れるようになりましたね。無理せずじっくり進めてきたことも良かったのだと思いますし、今の感じなら来週あたりから騎乗調教を開始することが出来そうです。馬体重は497kgです」

8月18日
厩舎長「トモの状態が良くなってきたことで、順調に調教を進めることが出来ていたことから、今週から周回コースに入れて乗り出しています。歩様の硬さが取れたことで状態は上向いてきましたので、この調子で進めていくことが出来れば坂路調教も取り入れていくことが出来るでしょう。馬体重は498kgです」

この夏休みはトレッドミルを中心に使ってトレーニングが行われてきたようだ。ご存じない方のために簡単に紹介しておくと、トレッドミルとは屋内でランニングやウォーキングを行うための器具である。スポーツジムに行くと、たくさんの人が乗って、走って(歩いて)いるあれのサラブレッド用である。もともとはオーストラリアで使われて、その効果が認められてアジアに渡ってきたものであり、オーストラリアではトレッドミルだけで調教して、コースで調教することなくレースに出走させる調教師も出てきているほどだ。

トレッドミルによるトレーニングの最大の利点は、馬の脚元や背中に余計な負担をかけないことである。トレッドミルは横で手綱を握っているだけで良いため、人間が背中に乗る必要はない。そのため、馬は裸で(背に人間を乗せることなく)走ることができ、脚元への負荷が激減するだけではなく、背中を痛める心配もない。どう考えても、馬にとって人間を背に乗せることは不自然であり、だからこそ、サラブレッドにまつわるアクシデントの多くは人間が背に乗っているときに起こり、また乗り出しが最も要注意になる。

特に、放牧に出されて、馬体と気持ちを一旦緩めてから再び乗り出すときは、馬が暴れて脚をひねったり、立ち上がって背中の筋を違えたりすることが多い。トレッドミルを使うことで、そうした人間が背中に乗ることによって起こるアクシデントを回避できるのだ。クインアマランサスもトレッドミルを使うことによって、背中やトモに負担を掛けることなく、心肺機能を整え、馬体もひと回り以上大きく成長してきている。今月からはコース調教を取り入れ、これからは坂路調教へと進んでゆく。トレッドミルの効果がどの程度あるのか、次走における走りを見てみたい。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第26回)

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初めて出資した馬が初勝利を挙げた喜びは、何とも表現しがたい。現地(競馬場)にてリアルタイムで観ていなかったからかもしれないが、それは決して馬券が当たったときのような爆発的で刹那的な喜びではなかった。あえて表現するならば、持続的な喜びと言うべきか。これからも競走馬として走り続けることができる能力を持っていることが分かった安心感と(私の立場としては)馬を観る目がなかったわけではないという安堵感だろうか。もしかすると、これから先も一口馬主を続けていけそうだと思える、小さな成功体験を得た喜びもあるかもしれない。初勝利から1ヶ月以上の歳月が流れた今でも、その静かな喜びは胸の内にある。

高野友和調教師
「トレセンに戻って状態を確認しましたが、特に疲れた様子もなく、穏やかに過ごしていますが、これまでの疲れを取る為に放牧に出す方向で考えています。まだまだ伸びしろの大きな馬だと思いますし、一つ勝ってくれたことで、馬の状態に合わせて進めていけますね。明日軽く跨って状態を確認して、週末あたりにノーザンファームしがらきへ放牧に出す予定です」

クインアマランサスはレース後の様子を見て、ノーザンファームしがらきに放牧に出されることになった。高野調教師のコメントの中にある、「まだまだ伸びしろの大きな馬だと思いますし」という言葉には、人知れず心躍ってしまう。

騎乗スタッフ
「周回コースだともうひとつトモを上手く使って走れない感じですが、坂路だととてもいいフォームで登坂してくれますね。前後のバランスが伴っていけば、もっと走ってきそうな雰囲気がある馬なので、この休養期間にじっくり乗り込んで成長を促していきたいと思います。馬体重は489kgです」

厩舎長
「レースの疲れから硬さが窺えましたが、日に日に柔らか味が戻ってきましたし、活気も出てきました。まだ成長途上の馬ですから、この休養期間にしっかり鍛えて力を付けてくれると良いですね。まだ背・腰を上手に使って走れていないところがあるので、バランスを保てるようにしてあげたいと思います。馬体重は481kgです」

幼少期からの課題であった、特に前躯のさばきの硬さと背中や腰を上手く使って走れていない点はまだ解消されていない。坂路コースでは良いフォームで走れるにもかかわらず、周回コースでは上手く走れないのは、トモの筋力が弱いため、外に流れてしまっているからであろう。さすがに上のクラスに行くと、コーナーごとに失速してしまっていては勝つのは難しくなるので、この充電期間に後躯が成長してバランスが良化することを願う。それにしても、1頭1頭のサラブレッドにそれぞれのウィークポイントや悩みがあり、これだけ長い時間を掛けても簡単には解消できないものなのだなと改めて思い知る。馬券を買うときにはすっ飛ばしてしまいがちだが、これだけ幾多の個性がひとつのレースには詰まっているのである。

ところで、馬券を買うということで思い出したが、クインアマランサスが勝利したにもかかわらず、私は馬券を買っていない。クインアマランサスの馬券は一度も買ったことがない。正直に言うと、今回は前日の段階では勝つチャンスがあると思っていたので、馬券を買おうか買うまいか迷った。迷った挙句、私はひとつの結論を出して、心に決めた。それは自分が出資している馬の馬券は買わない、ということだ。

私の知っている限りにおいて、自分の馬が出走しているレースで自分の馬がらみの馬券を買っている馬主さんは多い。目が飛び出るほど(当たったら1着賞金よりも大きいんじゃないと思わせるほど)に買う馬主さんもいるし、心ばかり(といっても私からすればかなり高額だが)の馬券をたしなむ馬主さんもいる。勝てば喜びは2倍になるし、負ければ悲しみは2倍になる。自分の馬が勝てそうなときにだけ馬券を買っているのではなく、常に買っているのである。つまり、馬主さんたちは、いつも自分の馬が勝つかもしれないと思っているということだ。

私が自分の馬の馬券(単勝)を買わないと心に決めた理由は、自分の馬が勝つかどうか自信がないということではなく、買う必要がないと考えたからである。馬券を買わなくても大いに楽しめる、喜べると思うからである。私たちの競馬の楽しみ方は変わってきている。つまり、馬券を買う楽しみから、自分で馬に出資し(もしくは馬を購入して)、走るのを応援する楽しみへと、舵は切られつつある。それは時代的な変化であり、私や私の周りにいるコアな競馬ファンの個人的な変化でもある。そうした背景がある以上、馬券を買わずに愛馬が走るのを応援するが正しい(一口)馬主の楽しみ方ではないかと思う。馬券は馬券で楽しめば良い。自分の馬が走っているレースぐらいは、ただ1頭だけの好走や無事を願い、手を合わせて祈りたい。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第25回)

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勝っても負けても、レースが終わったあとの愛馬の状況は気になる。怪我をしていないか、疲れは出ていないか、飼葉食いが落ちていないか、などなど。もしできるならば、厩舎を直接に訪ねて確かめたいほどの気持ちである。まずは無事を願いつつ、あわよくば次走につながることを期待する。一口馬主にとっても、サラブレッドは愛着を抱くべき存在であると同時に経済動物でもある。我が子に抱くような労わりを覚える反面、再びレースに行って走ってもらいたい(もらわなければならない)というアンビバレントな感情を持たざるをえない。裏腹な想いにうしろめたさを感じつつ、一口馬主ライフは続いてゆくのだろう。

高野友和調教師「トレセンに戻って状態を確認しましたが、すぐ飼い葉を食べてくれていることもあって、馬体はふっくらとしていますし、体調も落ち着いています。もう少し様子を見て変わりがないようであれば、このまま続戦させるつもりですが、今週いっぱいしっかり状態を確認したうえで検討させていただきます」

高野友和調教師「前走後もこの馬なりに飼い葉を食べてくれていますし、体調面は変わりなく来ています。10日の追い切りではサッと時計を出した程度ですが、動き自体は前走と変わりなくしっかり走っていましたし、良い状態を維持しています。このまま変わりなければ来週の京都か新潟のダート1,800mの番組を予定したいと考えています」

調教タイム
クインアマランサス[父 キングカメハメハ : 母 ヒカルアマランサス]
 助 手 5.17栗坂良 56.1- 40.8- 26.3- 13.0 一杯に追う

高野友和調教師「17日に坂路で追い切りました。ジワジワペースを上げて終いの脚を伸ばす形で行いましたが、しっかり動けていましたし、いい追い切りが出来たと思います。フットワークはもう一つ伸びてきませんが、ここに来て気持ちの面がだいぶ前向きになっているので、そのあたりがレースに行っていい方に出てくれると思います。上手く立ち回れば前々走のようにいい競馬をしてくれると思うので、出来るだけロスのないようにレースをしてもらおうと思います。5月21日の新潟ダート1,800m(牝)も視野に入れていましたが、出来れば同じ乗り役の方がこの馬の持ち味を活かせるでしょうから、5月20日の京都・ダート1,800m(牝)を荻野極騎手で投票させていただきました」

相変わらず坂路調教で55秒台を切ることはないが、気持ちの面でも前向きになり、それなりに動いているらしい。高野友和調教師からの的確なコメントはありがたいが、重賞に出走するような馬たちの調教タイムばかりを見ている私は、一杯に追って56秒台なんていうタイムでは到底勝ち負けにならないだろうと思ってしまう。前走後も順調に来て、気がつくと、次の出走が決まっていた。5月20日(土)の京都ダート1800m戦(牝馬限定)である。今度こそ現地に応援に行こうと、手帳のカレンダーをめくってみると、何とその日は今年小学校5年生になる息子の運動会があるではないか!

巡り合わせの悪さに悶々としたが、さすがに我が子の運動会はスキップできない。今回はあきらめて運動会に集中しようと思うと不思議なもので、前夜までは覚えていたものの、当日は朝から運動会の場所取りをして、開会式を見て、写真を撮る準備をしていると、競馬のレースのことはすっかりと忘れてしまっていた。

開会式の直後に行われる徒競走(100m)に息子は出ることになっていた。「練習で勝てていないので、今日は1位にはなれないと思う」と本人が言っていたので、まあ一生懸命に走る姿を見られたらよいという軽い気持ちでカメラを握った。スタートが切られ、道中は先行しながら、大外を回って息子は先頭に立った。勝ち馬を捉える必要はないため、私は息子だけにピントを絞り、競馬カメラマンばりにシャッターを切り続けた。ファインダー越しに観ても、ゴール前は写真判定になりそうなぐらいの大混戦となった。1のゼッケンをつけた子どもが、息子の下に駆け付けてきた。そう、息子は勝ったのだ。

家に帰ってから息子が誇らしげに語る顔を思い浮かべつつ、私もにやにやしていると、スマートフォンに振動が溢れ始めた。ちらっと見て見ると、画面には「おめでとうございます!」の文字が踊っていた。なぜSNS上で息子の勝利が祝われているのかと、現実とインターネットの世界の境界が分からなくなり、頭がクラクラした。一度、スマホをポケットにしまい、ひと呼吸置いて、冷静になってみると、クインアマランサスのことが突如として思い浮かんできた。そういえば、第1レースがちょうど終わった頃だ。

クインアマランサスも勝ったらしい。息子が駆けっこで1位になった数分後に、クインアマランサスも1着となり、未勝利戦を勝ちあがったのである。


2枠3番、黒の帽子がクインアマランサスです。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第24回)

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たった数百分の一しか所有していない馬であっても、自らが選び、出資した馬が、レースで好勝負を演じることが、これほどまでに嬉しいことだとは思わなかった。クインアマランサスが最後の直線で内から伸びてきた瞬間、これまでの競馬では味わったことのない喜びが湧き上がってきたのだ。馬券が当たったときのあの熱狂的なそれではなく、ともすればそんな感情などなかったことにしてしまえそうなぐらいに淡い喜び。着順がどうのこうのというより、他馬よりも速く走ることができたという、ごく単純な感慨がそこにはあった。もしできるならば、彼女の馬房に駆け付けて、「頑張ったね」と褒めてあげたかった。

ところが、一口馬主として純粋な思いも、しばらくすると明確な期待へと形を変え、現実味を帯び始める。ひとつ上のクラスへと勝ち馬が抜けるということは、次は2着に入った馬にチャンスが回ってくる可能性が高い。当たり前すぎるほど当たり前の論理であり、2着に入った以上、次は勝てるのではないかという考えに憑りつかれてしまう。しかもこの馬にとって(おそらく)得意とするダートのレースに再び出走するというのだ。前走で騎乗した荻野極騎手も、クインアマランサスにはダート1800mぐらいのレースが合っていると言っており、現時点ではその条件に狙いを定めていけば、かなり上のクラスまでトントンと駆け上がってゆくかもしれないと私の頭の中では飛躍する。

現実はそう甘くはなかった。その予兆は、枠順が決まったときから薄々現れていた。15頭立ての15番枠を引いてしまったのだ。京都ダート1800戦における勝ちポジ(勝つために走るべきポジション)は内の2、3番手であり、他の競馬場の他のコースに比べても、勝ちポジの限定が強いコースである。勝つためには内の2、3番手を走らなければならず、そこを走るためには、内枠を引いて、馬をある程度は出していかなければならない。それほどダッシュや二の脚が速くないクインアマランサスにとって、外枠を引いてしまったということは、つまり勝ちポジを走るのは難しいということを意味する。簡単には勝たせてくれないのだ。私は冷静と情熱のあいだにいて、ゲートは開かれた。

クインアマランサスは思っていたよりも好スタートを切った。前走に比べるとレースの流れも乗れて、勝負どころでは外を回りながらも先団に取りつき、最後の直線では伸びあぐねたものの、納得の走りをして5着に敗れた。こんなものだ、というのがレース後の正直な気持ちであった。クインアマランサスにたずさわる者たちにとって、これまでの流れを考えると、次は勝つチャンスが十分にある、いや勝てると思うのは自然である。一口馬主の出資者から調教師、助手、厩務員などに至るまで、心のどこかでそろそろと考えている。しかし、よく考えて周りを見渡してみると、他の14頭の馬にたずさわるほとんどの人間も、濃淡の差こそあれ、同じような想いを抱いて出走してきているのである。勝ちたい、勝つはず、勝てるかもしれない。勝利を思わずして競馬をする者などいない。そのような思いがぶつかり合って、願いを叶えられるのはたった1頭しかいない。未勝利戦でさえ、競馬で勝つことが難しいのはそういうわけである。


15番ピンクの帽子です。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第23回)

Hitokuti23

不思議なもので、待つと心に決めると動きが出てくる。栗東トレセンに帰厩して、調教を積んでいたヒカルアマランサスの動きが少しずつだが良くなってきたという報告を受けた。そして、願ってもいないことに、4月8日に福島競馬場の未勝利戦に出走できるほどになったという。あまりの急展開に、無理をして出走させていないかという疑問も心のどこかに抱きつつも、レースで走れる喜びがひしひしと湧いてくる。やはりサラブレッドは、レースで走ることに意義を持って生まれてきたのだろう。それは経済的な事情ではなく(未勝利を勝ったところで一口馬主にはたかが知れている)、走ることを通して周りの人たちを喜ばせるということなのではないか。


高野友和調教師
「5日に坂路で追い切りました。テンはじっくり入って、徐々にスピードを上げていきましたが、前走と比べるとだいぶ動きが良くなり、体つきもしっかりしてきたものの、肩の出の可動域が狭いためにフットワークがもうひとつ伸びてこないですね。もう少し時間はかかるかもしれませんが、体質はしっかりしてきていますし、馬の成長に合わせながら使っていけば、フットワークが伸びてくるようになるでしょう。初戦はジリジリ脚を伸ばしてきましたが、テンのスピードについて行けませんでしたから、今回はダートを試してみようと思います。阪神にもダート1,800m(牝)の番組があり、どちらに向かうか悩みましたが、福島なら相手関係も楽になるでしょうし、2kg減の荻野極騎手を確保することが出来たので、4月8日の福島・ダート1,700m(牝)に投票させていただきました。普段から飼い葉食いが良く、物怖じしない馬なので、福島までの移動は問題ないと思います」

高野調教師からの報告メールを読んで、最後にダートの文字を見たとき、私は胃が熱くなるのを感じた。思っていたよりも早かったが、ついに来た。この連載にも書いているが、私はこの馬をダート馬として期待して出資したのである。キングカメハメハ×ヒカルアマランサスという血統的には芝向きだと思われてしまうかもしれないが、血統的にも馬体的にもダート馬だと私は考えていた。両親ともに芝で活躍した血統馬は、やはり芝のレースを中心に使われることが多く、ダートに適性があっても一度もダートを走る機会のないまま終わってしまう、または芝に走ることに慣れてしまってダートに転向できなくなってしまうケースが多いのではないだろうか。ヒカルアマランサスの場合は、幸か不幸か、芝の新馬戦で惨敗を喫したことで、2戦目からダート戦を使う選択が可能になったのだと考えると、馬生も万事塞翁が馬である。

ダートは合うのではないかという淡い期待を抱きつつ、その裏腹に、もし今回ダートでも惨敗を喫してしまうことがあれば、この先に光が見えなくなってしまう。芝でもダートでも走れない牝馬は、つまるところ走る才能がないということであり、引退の道を考えなければならない。今回の未勝利戦は、クインアマランサスにとっては単なる2戦目のレースではなく、競走馬としての分岐点になるだろう。そんな大事なレースにもかかわらず、現地(福島)まで行って応援してあげられない自分のスケジュールを呪った。それでも、私の心は福島にある。クインアマランサスよ、共に走ろう。


4枠7番の青い帽子の馬です。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第22回)

Hitokuti22

一口馬主の持ち馬が2頭に増えると、移り気になる自分がいる。あの馬は今どうしているのか、この馬の調整は進んでいるのかと、あちらもこちらも気になるのだ。私には子どもが一人しかいないが、もしかすると2人以上のお子さんを育てている方はこのような気持ちなのだろうか。今までは1頭だけを見ていれば良かったところが、複眼的になり、それぞれの馬に対する注目も、半減とまではいかないにしても、やや少なくなってしまうのは否めない。複数の馬を持つことを否定しているわけではなく、あまり多くの馬を持ってしまうのは良くない、一口を持つことに慣れてしまってはいけないと直感したということだ。

クインアマランサスの方は依然として調整が進んでいない。年末に新馬戦に出走したのち、ノーザンファームしがらきに放牧に出されてから、硬くなっていた体をほぐし、トモの疲労を癒し、後ろ向きになっていた気持ちを前に向けるために、ほんとうにゆっくりと腫れ物に触るような調教が施された。ようやく3月になって、栗東トレセンに帰厩し、坂路を中心に時計を出しつつあったが、CWコースに移したところ、やはり動き切れていないという。

高野友和調教師 「帰厩してから坂路主体で時計を出していましたが、どれだけ動けるか確認する意味で、23日の追い切りはCWコースで4ハロンから時計を出しました。道中の感触からもう少し動いてくれるだろうなと思って見ていましたが、追い出しにかかると、もう一つ動き切れませんでした。同じ3歳未勝利馬でしたから、良い併せ馬になると思っていましたが、今回の動きを見る限り、もう少し時間を掛ける方が良いかもしれません。状態面に関しては、飼い葉食いも良いですし、体調も安定しているので、調教の動きを見ながら復帰の予定を考えていきたいと思います」

もう少し時間を掛ける方が良いという言葉を、これまで何度聞いてきたことだろうか。無理に調教のピッチを上げても、馬を壊してしまっては元も子もないし、高野調教師の述べていることが嘘でも詭弁でもないことも分かっている。それでも、ここまで遅々として調教が進まないのは、もっと本質的なところに問題があるのではないかと思ってしまう。そう、クインアマランサスは、肉体的にも精神的にも、競走馬としての資質に恵まれていないということだ。馬主や関係者がそう思ってしまったらお終いだが、そういう思いが頭をよぎってしまうのも仕方ないことだろう。

それでも私たちは待つことしかできないのである。ふと、リン・スクーラー氏が冒険家であり写真家である星野道夫について書いた「待つこと、できるだけ長く」という文章が頭に浮かんできた。

撮影した直後に結果が出るデジタル写真以前、およそ40年前に写真家としてミチオは仕事をはじめた。ミチオの文章や写真を知った若い人たちにとって、高度に洗練された測光システムを持たず、また瞬時のオートフォーカスもなく、カメラにフィルムを入れて使うという彼の古い撮影スタイルを考えてみるのは面白いことだと思う。

まず、彼はフィルムを現場に持ち込まねばならず、不用意な露光によってフィルムが台無しにならないように注意深くカメラに装填しなければならない。そして、ふたたび待つ、おそらくは何時間も何日も、行動と光がもたらすその一瞬のために。そして、その瞬間の状況にふさわしい露光とシャッタースピードとその他の調整を決めてシャッターを切る。フィルムを使い切った後は、それを現像するためのラボに送るまで、何日も何週間も安全に保管しなければならない。さらに撮影した写真を見るために、現像されたフィルムが戻ってくるまで待たなければならなかった。時には、彼が心に描いたイメージがその努力の最終的な結果と整合していたかどうかを知るまでに、何ヶ月も待たなければならなかった。もし、結果が彼の望んだものではなかったなら、彼はそのイメージを追うためにまた別の機会を計画し、待たなければならなかった。もう1度トライするまでに1年、あるいは2年が過ぎただろう。どんなに時間がかかろうとも、アラスカの原野や動物たちへの彼の理解と好奇心を分かち合うイメージを、ひとたび心に描いた彼は、待つために何度も挑戦し続け、戻り続けたことだろう。そしてどんなに時間がかかろうとも、その忍耐強さで、完璧な瞬間を写真に捉え、私たちとそれを分かち合う時が到来するのである。

私たちの人生は待つことに満ちている。私たちは大人になるまで待たなければならないし、傷が癒えるのを待たなければならない。あの人と会える日まで待たなければならないし、辛い日々が過ぎ去るのを待たなければならない。何もかも最初から準備が整っていることなどほとんどなく、運よく何かを始めることができたとしても、それがひとつの形になるまでに、ひたすら待たなければならないことの方が多い。しかし私たちは、ただ待つだけではなく、見ているのである。いや、待つことを通して見えてくるのである。それは一口馬主も同じであろう。できるだけ長く待つことで、できるだけ多くのことが見えてくるのだ。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第21回)

Hitokuti211

「ガラスの競馬場」の読者の皆さまに、この場を借りて重大な報告がある。まさかと驚かれた方もいるかもしれないが、ブログ終了のお知らせではなく、もちろん結婚発表でもない。隠していたわけではなく、ただ単に書くタイミングを逸してきただけにすぎない。実は、2頭目の出資を決めたのである。今度はノルマンディーオーナーズクラブの募集馬。クインアマランサスがデビューしてから現役を退くまで、1頭だけを見守ろうと考えていたにもかかわらず、この段階でさらにもう1頭に出資するなどとは思いも寄らなかったが、これにはれっきとした理由があるので聞いてもらいたい。

昨秋、オータムセールの直前に北海道日高を訪れ、岡田スタッドの岡田牧雄さんにインタビューをさせてもらった。岡田さんの自宅にて、馬体の見かたから昔の思い出話まで、ひと言も聞き漏らすまいと私は耳を傾けた。岡田さんは包み隠すことのない性格で、初対面の私にも心を開いて多くのことを教えてくださった。えりも岬に放牧地をつくってから、生産馬や管理馬たちの成績がみるみるうちに上がって、今の快進撃につながっていると。それだけではない。彼が大物であることは疑いようもないのだが、かといって偉ぶるところはまったくなく、むしろ心の温かさや熱さを感じさせる人柄に私は惚れてしまったのだ。

そして、私が日高を訪れたときには、わざわざ空港まで迎えに来ていただいたり、泊めてもらったり、ラーメンを食べに連れて行ってもらったりと、大変お世話になっている長谷川ファミリーが経営する碧雲牧場がある。今の私には手が届かないとしても、いつの日か、碧雲牧場の生産馬を買って、馬主として走らせてみたいという想いは心のどこかにあった。それはお世話になっているからということだけではない。ホスピタリティや愛情に溢れた人間に育てられたサラブレッドは走る、という確信があるからである。

東京に戻った私は、オータムセール2016の結果をホームページで確認した。碧雲牧場の馬もセリに出ると聞いていたので、果たして売れたのだろうか、いくらの値がついたのかと気になっていたのだ。馬が売れることが、牧場にとっての最大の関心事であり喜びであることは、長谷川ファミリーとの付き合いを通して肌で感じることができるようになっていた。牧場名で探していると、碧雲牧場の文字が目に入った。しっかりと売却されていることが分かり、家族全員の笑顔が脳裏に浮かんで、私まで嬉しくなった。

ふと誰が買ってくれたのだろうと思い、落札者の欄を見ると、なんと「(有)ノルマンディーファーム」の名がそこにあったのだ。なんという偶然だろうか。昨日、お会いした岡田牧雄さんが率いるノルマンディファームが、昨日まで泊まらせてもらっていた碧雲牧場の生産馬をセリで落としたのである。ノルマンディファームが他の牧場の生産馬を購入したということは、十中八九、ノルマンディーオーナーズクラブでの募集馬となるはず。いくらで募集されるか分からないが、できるだけその馬の多くの権利を持ちたいと思った。そうすることで、彼らの馬にかける情熱に少しでも報いたい、分かち合いたいと願ったのだ。

Hitokuti212


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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第20回)

Hitokuti20

クインアマランサスと私の一口馬主としての初陣が終わった。ほろ苦いデビューと書くと響きは良いが、そのようなものではない。スタートしてからレースの流れに乗ることができず、終始馬群の後ろをついて回っただけの競馬。脚質的に末脚を伸ばす競馬が合っているということではなく、ただ単純に他馬のスピードに追いつくことができないがゆえの後方追走であった。次走につながる感触もなく、素質の片鱗を感じさせる瞬間もなく、夢も希望もない負け方を目の当たりにして、私は一口馬主の厳しさを思い知った。一口馬主の世界にはビギナーズラックなどまったくないのだ。

結果はある程度、覚悟していたつもりだが、そうはいってもレースの前夜から当日は気が気ではなかった。近くのコンビニで普段は買わない競馬新聞を買い、自宅でこっそり開いてみると、やはり人気がない。ほとんど印もついていない。父キングカメハメハ×母ヒカルアマランサスという良血にもかかわらず、これだけ注目されずにデビューするのは逆に難しい気もする。隣の枠順にいる、阪神ジュベナイルフィリーズをソウルスターリングが勝って今や飛ぶ鳥を落とす勢いのフランケル産駒のファヴォ―ラが1番人気に推されている。

この彼我の違いはなんだろう。印が多ければ良いということではないことなど重々承知しているつもりだが、分かっていても自分の馬が評価されていないことに対する、行き場のない無念さを感じないわけにはいかなかった。この感覚はどこかで味わったことがある。そう言えば遠い昔、学期末に渡された通知表を見たときのあの気持ちに似ている。言い訳もやり直しもできない、他者評価の厳しさ。私は馬柱欄を見ていることができなくなり、目をそらし、かつて通知表をそうしたように、競馬新聞をそっと閉じた。

今回のデビュー戦において、何よりも辛かったことは、クインアマランサスの走りを生で観ることができなかったことである。それは現地で応援できなかったということであり、またレースをリアルタイムで観戦できなかったという意味でもある。一生に1度しかないデビュー戦ぐらいは、たとえ日本全国どこの競馬場であっても、現地に駆け付けて観戦したかった。パドックから返し馬まで、自分の馬だけを見て、応援馬券を買う。それは(一口)馬主だけに許された体験であり、競馬の楽しみ方のひとつである。

しかし、私はなぜかその日、他の仕事でとてつもなく忙しく、阪神競馬場に赴くことができなかったばかりか、夢にまで見た愛馬のデビュー戦をレース後にレーシングビュワーで観なければならなかったのである。よりによって、年末の忙しいこの時期のこの日に出走させなくても良いのにと憎々しく思えた。クインアマランサスが最後の直線でもがくようにして走る姿を見て、私は自分が初めて選んだ1頭が凡馬であったことを悟り、さらに一口馬主はレースを生で観戦する自由もない、つまり愛馬が出走するレースを自分で選ぶことができないという不自由を突き付けられたのである。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第19回)

Hitokuti19

12月は師走であり、師が走るほどに忙しい季節とされている中、いつもはのんびりムードで年越しをする私だが、今年はなぜか忙しい。あっと言う間に今年も終わりに近づき、あわただしく動いているにもかかわらず、何ひとつ片付いていない。日常生活があまりにも忙しいと、ついぞ出資馬のことなど考えている余裕はなくなる。クラブから届くメールには目を通しているものの、既読スルー状態である。ノーザンファームしがらきから、11月24日に栗東トレセンに帰厩した知らせも読み流してしまったほどだ。それ以降は、栗東トレセンでの調教タイムが送られてくるが、どうにも調教のピッチが上がらないことだけは伝わってくる。

助 手 11.27栗坂不 56.4- 40.6- 26.5- 13.3 馬なり余力
  アレラーモ(新馬)馬なりに0.1秒先行同入
助 手 11.30栗坂重 55.5- 40.4- 26.3- 13.2 末強目追う
  ララオーロ(新馬)一杯に0.1秒先行同入
助 手 12. 4栗坂良 61.1- 44.1- 28.1- 13.6 馬なり余力
  ララオーロ(新馬)馬なりに0.3秒先行同入
助 手 12. 7栗坂良 54.7- 40.3- 26.1- 12.9 一杯に追う
  ショウナンサリュー(新馬)一杯に0.1秒先行クビ遅れ
助 手 12.11栗坂良 58.8- 43.0- 27.4- 12.9 馬なり余力
助 手 12.14 栗坂不 56.4- 40.8- 26.0- 12.6 一杯に追う
  キラービューティ(二未勝)馬なりに0.1秒遅れ
助 手 12.18栗坂良 56.8- 41.2- 26.7- 13.1 末一杯追う
  レクセル(新馬)末一杯に0.2秒先行0.2秒先着

これだけ本数を重ねても、坂路の時計が一向に縮まらない。馬なりで追っているわけではなく、一杯に追っても、最高タイムが54秒台しか出ないのである。もしクインアマランサスの跳びが大きくて、身体全体に力がつくのに時間がかかる、晩成のステイヤーであれば、この時期にこのタイムでも悲観することはない。むしろそれはステイヤーの特徴であり、時計が速すぎるよりも良い傾向であるからだ。でもクインアマランサスはそうではない。馬体的にも胴が詰まって前が勝っていて、ピッチ走法で走る、典型的な(ダートの)短距離馬だと私は思っている以上、坂路で時計が出ないと話にならない。つまり、走る能力に欠けていることの証明になってしまうのだ。

高野友和調教師
「7日に坂路で追い切りました。後半の馬場が悪い時間帯でしたので、時計こそ目立つものではありませんでしたが、先週の追い切りと比較するとだいぶ動けるようになってきています。本数を重ねる毎に良化が窺えますから、時間を掛ければ更に良くなってくると思いますので、もう少し様子を見てからデビューの予定を検討したいと思っています」

高野調教師の歯切れが良くないのは当然である。この時期にこのタイムでしか動けないのは非常にマズい、とは口が裂けても言えないだろう。もちろん、負荷を掛けると前さばきが硬くなってしまったり、トモの実の入りが物足りなかったりと身体上の理由を抱えていることも確かだが、それも含めて競走馬として仕上がってこないことが問題なのだ。時間を掛ければ良くなるだろうが、新馬戦はいつまでも待ってくれるわけではない。

高野友和調教師
「先週より動きは良くなっていますが、まだ動き切れていないところがあるので、今週末と来週の追い切りでどこまで良化してくれるかですね。仕上がれば阪神12月25日の芝1600mでデビューさせることを考えていますので、追い切りの感触を確認して出否を検討したいと思っています」

年内にデビューさせたいという想いは私も同じであるが、さすがにこの追い切りの感触や時計で出走しても勝負にならないだろう。レースで使われたことで、競走馬としての意識が芽生え、急激に馬体も成長する馬もいるにはいるが、むしろ中途半端な状態で出走させて、馬体に疲労を残してしまうばかりではなく、精神的にもダメージを負ったり、自信を失ってしまうケースの方が多い。出走させたいが、出走させられないというジレンマがこの師走はより強くなる。私は忙しくて走り回っているのに、クインアマランサスはレースで走ることができずにいるのだから皮肉なものだ。そう思っていると、クラブから一通のメールが送られてきた。

出走予定
クインアマランサス/25日(日)阪神5R・芝1,600m〔54 佐藤友則〕
(除外の可能性があります)


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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第18回)

Hitokuti18

クインアマランサスがノーザンファームしがらきに放牧されてから、音沙汰がなくなった。といっても、音信不通になったとかそういうことではなく、ほとんど動きがなくなったということである。シルクホースクラブは状況を逐一メールで送ってくれてありがたいのだが、馬自身の臨戦態勢がなかなか整っていかないのだろう、この1ヶ月と少しの間、栗東トレセンに戻れそうな気配が一向に感じられない。

9月23日
厩舎長「先週いっぱいは疲れを取るために軽めのメニューで調整し、20日から周回コースで乗り出しを開始しています。捌きの硬さは窺えるものの、姿勢を起こしながら意識して乗ると少しは肩の出がスムーズになるので、出来るだけ意識しながら調教を行っていきたいと思います。馬体重は452kgです」

9月30日
厩舎長「この中間は坂路主体の調教メニューにして、出来るだけ体全体を使って走らせるように心掛けています。歩様の硬さも少しずつ良化が窺えますから、今の感じで進めていきたいと思います。馬体重は469kgです」

10月7日
厩舎長「歩様の硬さも時間をかけてあげれば解れてきますし、普段は坂路で17秒ぐらいのキャンターを2本行い、速い日は終い15秒まで脚を伸ばしています。今のところ変わりなく来ていますし、出来るだけ体全体を使って、前に負担をかけずに走れるよう心掛けながら調教を行っていきます。馬体重は473kgです」

10月14日
厩舎長「この中間も順調に調整することが出来ていましたので、今週から週3回のペースで17秒から15秒まで脚を伸ばしています。ここまで進めている限り、歩様の硬さも変わりなく来ていますし、状態としては上向き傾向にあります。このまま乗り込んでいけば帰厩の目処が立ってくると思いますので、引き続き良化を図っていきたいと思います。馬体重は479kgです」

10月21日
厩舎長「この中間も坂路でハロン17秒から15秒まで脚を伸ばしていますが、歩様も変わりありません。もう少し時間をかけて本数を重ねていけば更に良くなってくると思います。馬体重は475kgです」

10月28日
厩舎長「この中間も坂路でハロン16秒から15秒まで脚を伸ばしていましたが、順調にここまで進めることが出来ましたので、今週はリフレッシュを兼ねてトレッドミルで軽めのメニューで調整しました。乗り込む毎に状態も上向いてきましたし、来週から元のメニューに戻して帰厩に向けて進めていきたいと思います。馬体重は479kgです」

11月4日
厩舎長「先週一杯はリフレッシュを兼ねて軽めの調整でこれまでの疲れを取りましたが、今週から坂路でハロン17秒ぐらいのところで乗り込みを再開しています。このまま変わりがなければ来週からハロン15秒まで脚を伸ばし、帰厩に向けてピッチを上げていきたいと思います。馬体重は476kgです」

馬体重の変化を見ると、クインアマランサスにとって栗東トレセンという新しい環境における生活がストレスフルであり厳しいものであったことが窺える。ゲート試験も含めて、競走馬としてデビューするための最終仕上げが施されるのだから当然といえば当然だが、入厩前と比べると馬体重が15kg減って戻ってきている。この数字だけを見ても、そのままデビューさせるのではなく、一旦ノーザンファームしがらきに放牧に出して立て直してからという判断は正しかったのだろう。

もうこれぐらいの時点になると、馬の欠点もはっきりとしてくる。クインアマランサスにおいては、前駆のさばきの硬さや肩の出の悪さが挙げられる。おそらく前に前にと気持ちが行って、前駆(人間でいうと上半身)だけで走ろうとして、両前肢に負担が掛かってしまうという走るフォームの欠点が顕著なのだろう。上半身を起こして、もっと体全体を使ってゆったりと走れるようにならなければならない。

前駆が勝っていて、トモが弱いという肉体の構造上の偏りがあるからこそ、走るフォームにも不均衡が生まれている面もあるが、逆に走るフォームを矯正することで、肉体の構造上の偏りを均(なら)していくという作業が必要になるのだ。時間が掛かる作業だし、長い目で見ると、時間を掛けるべきだろう。

そうはいっても、もうさすがに11月も半ばを迎えようとしている。かつて私は、クラシック戦線に乗ってくる馬は年内にデビューしているという理由で、年明けに格付けを行っていた。ちなみに、日本ダービー馬であるマカヒキもオークス馬のシンハライトも10月の新馬戦でデビューしている。他のクラシック競走上位馬たちも同じである。残酷なようであるが、年内にデビューできない馬は、能力面や健康面、気性面など何らかの理由があって出走にこぎつけることができていない。それは競走馬としての欠陥と言い換えても良いだろう。この厳然たる事実を、まさか自分の愛馬に突き付けられるとは。残された時間はあと1ヶ月半。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第17回)

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オータムセールの時期がやってきた。昨年、初めて見学させてもらってからというもの、この季節が来るのを心待ちにするようになった。あの仔は、無事にセールまでこぎ着けられるのだろうか、買い手が現れるだろうか、いくらの値がつくのだろうか。競走馬たちの最終セールともいえるオータムセールには数々のドラマがある。私がこれほどに楽しみにしているのだから、関係者たちのこのセールに賭ける想いの強さは、想像して余りある。「仔馬の肢を引っ張ってから、サラブレッドとしてデビューするまで。これほど結果が出るまでに時間が掛かる仕事もそうはないですよ」とある生産者がつぶやいていたように、馬の世界にたずさわる人間は、長い目で気長に待ち続けなければならないのである。

今年もオータムセールに行こうと思っていたところ、急遽、取材が決まったこともあり、オータムセールの前に北海道を訪れることになった。さすがにセール期間中は、関係者は忙しくて、ゆっくりと話すことなどできないだろうから。とはいえ、私も何日も東京を離れるわけにはいかないため、今回の滞在もわずか2日間しか取れなかった。1日目は岡田スタッドやノルマンディファームの岡田牧雄氏、2日目は北島牧場の北島佳和氏にインタビュー、そして初日の晩には、日高地方の競馬関係者たちが10名ほど集まってくださって、話を聞かせてもらうことになった。

岡田牧雄さんと北島佳和さんのインタビューは別の機会に譲るとして、日高の生産者や装蹄師、獣医師さんたちとの飲み会(?)は非常に面白かった。その場にいた全員の生産者が自分で牧場を持って馬を生産し、馬を売ったり、走らせたりしている、いわば牧場主であり社長である。雇われではないため、生産馬の良し悪しが自分たちの生活や人生に直結する。獣医師や装蹄師も同じく、自分の腕ひとつで生きてゆく職業である。しかも、年齢も私と近く、ちょうど父親から牧場を受け継いで、古き良き時代の名残を残しつつ、これから自分たちの世代が大きく変わって、社台グループらの巨大資本に立ち向かっていかなければならないという立場にいる。

こうした人々の生の声を聞ける機会は貴重であり、彼らが日々どのようなことを考えて、馬と向き合っているのかを垣間見ることができた。生産に対する考え方やスタンスはそれぞれに違っていたが、そこにいた全員から伝わってきたのは、馬や競馬が大好きだということ。とにかく1日中、馬のことばかりを考え、悩み、喜び、そして楽しんでいる。馬が走るためなら何でもするという人たち。夢があるなあ、私はそう思った。私も夢を持って仕事をしているから良く分かる。そんな仲間たちと飲むお酒はいつになく美味しかった(私はほとんど飲めないが)。夜遅くまで宴は続き、また話したいと思いながらも彼らと別れた。その日は昨年と同じく、碧雲牧場に泊まらせてもらった。

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翌朝、気がつくと9時を回っていた。部屋の窓からは放牧地を悠々と駆けまわっている馬たちの姿が見える。普段は7時には目が覚めてしまうのだが、深く眠りに落ちていたようだ。夜の牧場は静かである。たしか昨年もそうだったと思いつつ、朝早くから起きて馬の仕事をしている、碧雲牧場の長谷川家の皆さまには申し訳ない気持ちで顔を洗った。昨日の岡田牧雄さんのインタビュー取材や夜の生産者たちとの飲み会を思い出しつつ、ふとしたきっかけや縁がもとになって、なんだか少しずつ馬の生産に近づいてきたという思いが湧き上がってきて嬉しかった。20年前はただの競馬ファンだった私が、あの岡田牧雄さんの豪邸を訪れ、獣医師や生産者たちの生の声を聞き、牧場に寝泊まりしている。手を伸ばせは本物のサラブレッドに触ることができる距離まで、ついに来たのだ。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第16回)

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クインアマランサスがゲート試験に受かったという朗報が入ってきた。8月末に高野厩舎に入厩し、今月からゲート試験に向けて練習を始めたところ、15日に合格したという。最初は嫌がり、うるさいところを見せたので縛ったところ、観念したのか、翌日からは素直に行えるようになったそうだ。ゲートに縛られた彼女の気持ちを考えると心が痛むが、競走馬としてデビューするには仕方ないのだろう。賢くて素直な気性と評判の馬らしく、狭いゲート内で我慢することを受け入れるや、出るときの反応も良くなり、すぐに試験に合格することができたのだからさすがである。

クインアマランサス
助 手 9. 4栗坂稍 58.4- 42.2- 27.4- 13.9 馬なり余力
ストライクイーグル(古500万)馬なりに同入
助 手 9.11栗坂良 57.2- 41.2- 26.8- 13.2 馬なり余力
リルティングインク(古500万)馬なりに0.2秒先行同入
助 手 9.15栗E良 12.8 ゲートなり

坂路でのキャンターも並行して行われているようで、タイムこそまだまだであるが、しっかりと動けるようになってきているとのこと。しかし、動き出すときと、走るのをやめるときに硬さが見られるようで、そのあたりに心配は残る。おそらく、負荷に対して成長が追いついておらず、筋肉や腱などに疲れが残っているのだろう。疲れが抜けないまま、調教のピッチを上げても、馬体はさらに硬くなってしまう恐れがある。ここは焦らず、もう少し時間を掛けて成長を促していく方向で、再びノーザンファームしがらきに戻ることになった。私もそれが正解だと思う。早くデビューしてもらいたい気持ちは山々だが、無理をして怪我や故障につながってしまっては元も子もない。

競走馬がデビューするまでの道のりは、本当に一歩一歩なのだと改めて思う。近道はないし、遠回りをすることがかえって良かったりもする。ひとつ1つの難関や試練をクリアしていきながら、2歩進んでは1歩下がりつつ、競馬場へと近づいてゆく。一口馬主になることの価値は、この永遠とも思える時間を確かに共有できることなのかもしれない。すぐに結果が出ることを求められ、細切れの時間の中で生きている私たちにとって、表に現れるまでにこれほどまでに時間が掛かる遊びに付き合うことは稀であろう。誰にとっても時間というものは共通して流れていて、それは伸ばすことも縮めることもできない。それが現実なのだと教えてくれる。

クインアマランサスはいつまで放牧されることになるのだろうか。ゆっくりと身体をほぐすことができるだろうか。ノーザンファームしがらきに行けば、彼女と会うことができるのだろうか。彼女に会ってみたい。そう思うようになってしまった。

そんな甘い思いに耽っていると、見透かしたように、シルクホースクラブから2016年度の募集パンフレットが届いた。これでもう1頭選びながら、気を紛らわせなさいということか。初めて出資したクインアマランサスが走り始めるのを見届けない限り、2頭目なんてとんでもないと思っていたし、もう1頭のことを考えるなんてクインアマランサスに悪いと律儀なことを感じていたりもした。とにかくクインアマランサスの生涯をこの目でしっかりと見届けたいのである。そんなこんなで、私はクラブから届いた封筒を開けることなく、机の上にそっと置いた。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第15回)

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年を取ると時が経つのが速く感じるのは、それだけ時間や歳月に対しての意識が強くなるからであろう。私も例にもれず、最近はますます時間の流れの速さを痛感している。あれから何年も経つのに、何も変わっていないことに対する後悔や、何もできていない自分に対する情けなさばかり。ふとしたことがきっかけとなり、実現したいことと自分に与えられた有限の時間との間にある大きな溝を見下ろしては背筋が凍ることになる。この集中連載を始めてから、もう1年が経とうとしている。あの頃は、自分が選んだ馬が競馬場で走ることなど遠い未来のことに思えたが、私の意識が混濁している間に時は流れ、もうすぐそこまで来ている。そう、クインアマランサスのデビューが近づいているのだ。

8/19
在厩場所:北海道・ノーザンファーム空港
調教内容:週2回屋内坂路コースでハロン14秒のキャンター2本、残りの日は軽めの調整
担当者「この中間から入厩に向けてハロン14秒までペースを上げています。坂路での動きは良いものを感じますし、鞍上の指示にしっかりと反応して瞬発力のありそうな走りをしています。高野調教師と打ち合わせを行い、入厩に備えて来週ノーザンファームしがらきに移動する予定になりました」馬体重467kg

8/26
在厩場所:滋賀県・ノーザンファームしがらき
調教内容:ウォーキングマシン調整
次走予定:未定
厩舎長「25日に無事到着いたしました。長距離輸送の後ですから、今週いっぱいは軽めに調整をして疲れを取ってあげようと思います。変わりなければ環境に慣れさせる為にスクーリングから開始していこうと思います」

8/31
在厩場所:栗東トレセン 31日に入厩
調教内容:
次走予定:未定
高野調教師「北海道からしがらきに到着後は若干疲れが見られたそうですが、翌日はすぐに元気も戻ったようですから、31日の検疫で入厩させてこちらで進めて行くことにしました。まずはゲート試験を目標に明日から調教を開始していきたいと思います」

シルクホースクラブから届いたメールを時系列に並べてみた。8月上旬に入厩の段取りを組み始め、8月19日にノーザンファームしがらきに移動することが決まり、25日に到着し、31日には栗東トレセンに入厩した。もう少し長くノーザンファームしがらきに滞在するのかと思い、取材も兼ねてクインアマランサスに会いに行くことも考えたが、予定を調整する前にすでに栗東トレセンに入ってしまった。ノーザンファームしがらきは本当の意味での馬房が空くまでのワンクッションだったのだろう。初めての長距離輸送を経験し、1週間後にはまた新しい環境に放り込まれる。果たしてゲート試験を無事にクリアできるのだろうか。多くのサラブレッドたちが通ってきている道ではあるが、こと自分の愛馬に関しては些細なことにも気を揉んでしまう。

競走馬としてデビューすることは、実はそう簡単なことではない。何らかの形で競走馬がデビューする過程に立ち会ったことがある人ならば、その難しさが分かるだろう。競走馬として生を受けたにもかかわらず、デビュー戦を迎えることなく去っていった馬の何と多いことか。怪我や病気や事故など、あらゆる万難を排して、ようやく競走馬としてターフで走ることができる。競馬場に立つことができた馬は、ある意味ではラッキーと言えるのかもしれない。

デビューするための最後の難関として、ゲート試験がある。ゲートにすんなりと入ることができ、ゲート内で大人しく待っていることができ、ゲートが開いたら飛び出してダッシュできるかどうかを試されるのである。何もかもが初めての体験となる若駒のことでもあり、中には閉所恐怖症の馬もいるので、このゲート試験に合格することは想像以上に難しい。厩舎関係者の中で、ゲート試験に受かることを「競走馬になる」と言うのはそれゆえである。どれだけ速く走ることのできる馬でも、このゲート試験をパスしなければ、競走馬としてデビューすることは叶わないのである。

しかも、ゲート試験は2本連続で行われるため、1本目は成功したとしても、2本目で失敗してしまうと不合格となってしまうのだ。このやり方に疑問を投げかける関係者は多い。たった1回だけでも、若駒にとってゲート試験は肉体的にも大変で、神経をすり減らすものであり、それを2回連続で成功させるとなると、練習を含めると大きな負担となる。ちなみに、栗東トレセンでのゲート試験の合格率は75%程度だという。ゲート試験だけのために入厩して、合格すると放牧に出す馬が多いことからも、ゲート試験の負担の大きさが分かる。

とはいえ、公正競馬の観点から考えると、仕方がない部分もある。レースにはお金がかかっている以上、競走馬がゲートから出て行かなかったでは済まされない。競走馬は生きものであり、どれだけ試験に合格していても100%ゲートを無事に出る保証はないのだが、たった1回のテストでは心もとない。そう考えると、数回、しかも日にちを分けてテストをしたいところなのだが、馬の負担を考えて2回に限っているのではないだろうか。

それよりも、私にとってゲート試験の最大の問題と思われるのは、あまりゲートの練習をやりすぎて、スタートして全速力でダッシュしてしまうリズムを馬に作ってしまうことである。短距離戦でバリバリ活躍していこうと思う馬ならそれでいい。そうではなく、ミドルディスタンス以上の距離でこそ真価を発揮するような馬が、スタートしてから力んで走るようになってしまえば目も当てられない。松田博資元調教師はゲート練習をほとんど馬に課さなかったという。なるほど、ブエナビスタやハープスターの走りを見ると納得してしまう。長めをゆったりと追い切る調教方法だけではなく、こういう小さなところからも、一介のスピード馬で終わらせない馬づくりの本質が見える。もちろん、それも馬が無事にゲート試験に受かってくれたらの話である。もし不合格が続き、デビューが危ぶまれたとしたら、悠長なことを言っていられなくなるだろう。もしそれで、将来の偉大な馬たちの芽が摘まれてしまうのであれば、それはもったいないことである。今はとにかく、クインアマランサスが無事にゲート試験をクリアして、デビュー戦を迎えられることを願いたい。

Photo by fakePlace

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第14回)

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夏競馬に入り、他の2歳馬たちが続々と入厩し、デビューを飾っている中、牧場でのんびりと英気を養っている愛馬を見守っていると、クラブからのメールが届いた。

在厩場所:北海道・ノーザンファーム空港 調教内容:週2回屋内坂路コースでハロン15秒のキャンター2本、週1回周回コースでハロン22~24秒のキャンター3,000m、残りの日は軽めの調整

担当者「引き続きハロン15秒のペースで乗り込んでいます。馬体重はそれほど変わらないものの、付くべきところに筋肉が付いてきており、とてもいい体付きに変わってきましたね。休まず乗り込んでいますが、カイバ食いは良好ですし、脚元も問題ありません。非常に順調に調教を進められていますので、秋口あたりの入厩を考えて進めていきたいです」馬体重462㎏

あまり馬体重が増えていないことを憂慮しつつも、最後の1文に心を奪われてしまった。秋にデビュー!いや、よく読めば、「秋口(あたり)の(入厩)を(考えて)(進めていきたい)です」と書いてあるのだが、私には秋にデビュー!と変換されてしまうのだ。自分の思い込みの激しさをなだめつつ、それでも秋の京都開催の芝1600m新馬戦で走っているクインアマランサスの姿が脳裏に浮かんでくるのを止める術を私は知らないのだ。新馬戦はさすがに現地に観戦に行った方がいいかな。G1レースが開催される週とぶつかると、その時期の京都はえらい混むからなあ、などとさらに妄想は広がってゆく。

そうこうしていると、またクラブからメールが届いた。もしかすると、入厩が決定しましたという旨かと思い、期待を込めてクリックした。

在厩場所:北海道・ノーザンファーム空港 調教内容:週1回屋内坂路コースでハロン15秒のキャンター2本、週1回周回コースでハロン22~24秒のキャンター3,000m、残りの日は軽めの調整

担当者「この中間も順調に乗り込みを進めています。段々とトモに力が付いてきて、自分でバランスを取って走れるようになってきています。走ることに対しては前向きですが、基本的に人に反抗したりすることなく素直な性格ですから、精神的にも持っている資質を活かしながらいい方に成長を促していきたいですね」馬体重472㎏

「トモに力が付いてきて」、「走ることに対しては前向き」、「素直な性格」など、担当者によるポジティブな言葉が並ぶのは嬉しいが、入厩の入の字も、デビューのデの字もなく、しかも秋口という言葉も消えている。調教のペースは変わることなく、強いていえば、馬体重が10kg増加したのが大きな変化である。もしかすると、秋のデビューは延期になったのではないか、そんな不安も湧いてくる。レポートの一言一句に一喜一憂しても仕方ないと頭では分かっていても、文中の微妙な言い回しや“~が”などの逆説の接続詞が妙に気になってしまうのである。

一口馬主のクラブに入ってみて思ったのは、(特にシルクホースクラブの)情報発信に対する熱意には素晴らしいものがあるが、私たちが本当に知りたい情報には手が届きそうで届かない部分があるということである。調教のペースや仕上がり具合や馬の気性はもちろん知りたいが、それだけではない。馬主のはしくれとして、私たちが知りたいのは、愛馬の具体的な行動なのである。そこまでを一口馬主クラブに求めるのは求めすぎなのは分かっているが、敢えて言うならば、一口馬主クラブに足りない点だと思う。

たとえば、「今日は調教に行く途中にいたカラスに興味津々で、しばらく動こうとはしなかった」とか、「最近よく調教を一緒にする○○○○という馬と仲良くなり、2頭でいると安心するようです。お互いのゆったりとした気持ちのリズムが合うのかもしれません」、「今週から15-15を週2本に増やしました。負荷が増えたので、調教後は息が苦しそうでしたが、カイバを一気に食べ終わると、すぐに元気になったようで、隣の馬房の○○○○にちょっかいを出していました」など。その馬のエピソードや馬となりを表す行動などを知りたいのだ。

なぜかというと、私たち一口馬主はあまりに愛馬と離れているからだ。もしかすると、一度も愛馬に会ったことがないという人もいるだろう(私がそうだ)。見学ツアーなどに行ければ良いが、それもなかなか難しい。カタログやスクリーンや文字情報だけでしか知らない愛馬だからこそ、もっと知りたいと思ってしまう。私が大好きな写真家でアラスカの冒険家である星野道夫さんは、「寒さが人の気持ちを暖かくする。遠く離れていることが、人と人の心を近づけるんだ」と語っていた。遠く離れているからこそ、心が近づきたいと思うこともあるのではないだろうか。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第13回)

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セリの熱狂が忘れられず、千葉サラブレッドセールに行ってきた。本当は北海道のトレーニングセールの広告を見て、そちらに行こうかと思ったが、あまりにも遠い。その広告には、こう書いてあった。

「『北海道市場トレーニングセールに、スクリーンヒーロー産駒の凄いのがいるらしい』という噂が広まったのは2013年春、セール本番を6週間後に控えたリハーサル撮影の前後からだった」

スクリーンヒーロー産駒とはモーリスのことであり、確かにモーリスは2013年の北海道のトレーニングセールの公開調教にて、ラスト2ハロン21秒8の最速時計を出して、ノーザンファームに1050万円で落札されている。今や世界的なマイラーとなったモーリスの走りを目の前で見て、それからセリで購入するチャンスが誰にもあったということだ(しかも比較的安値で)。同じことは千葉サラブレッドセールにも当てはまるだろう。

千葉サラブレッドセールは船橋競馬場で行われている。2001年から始まり、今年で16年目となる。初年度は10頭の上場馬からスタートし、少しずつ増えて、今年は63頭が上場された。しかも2009年以来、社台ファームが市場を支える形で生産馬を多数送り込むようになったことで、売却率も総売り上げも大幅に上昇した。過去最高であった昨年(2015年)は全体で12億4000万円の売上額を叩き出し、関東圏で行われる一大セールになった。2015年はエイシンフラッシュの弟(父ディープインパクト)が1億9000万円の値をつけたように、上場馬の血統レベルは総じて高く、今年も重賞戦線で活躍した牝馬の仔やブラックタイプに埋め尽くされた血統馬がほとんどであった。

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入口で購買者登録を済ませ、カタログをもらい、スタンドに駆け上がってみると、すでにたくさんの競馬関係者たちが集まっていた。自分を棚に上げて、こんな平日に馬を買いに来られるなんて皆さん良い身分だと思いつつも、いつもの競馬場とはまた違った静かな熱気に、こちらも動悸が少しずつ激しくなる。スタンドのど真ん中には、社台グループの吉田照哉氏が座って、真剣な眼差しを登場馬たちに送っていた。最初の組が最終コーナー手前の残り400m標識のところあたりから併走し始めると、全員の目がその2頭に注がれる。誰もひと言も発しない。ただ静かに見守る。聞こえてくるのは、2頭のサラブレッドの息遣いと蹄がダートを蹴る音のみ。2頭がゴール板を通過したあと、2ハロンと最後の1ハロンのタイムがアナウンスされた。それから次々と2頭ひと組みの2歳馬たちが、私の目の前を走り過ぎていった。

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船橋競馬場の砂は深いこともあってか、速い時計を出す馬でも2ハロンが23秒台、1ハロンが11秒台前半であった。目いっぱいに追われている馬もいれば、ほとんど流しているように耳を立てて走っている馬もいる状況でのタイムだけに、時計が速ければよいということではないのだが、それでも速いタイムが出ると場内は騒然とする。それだけの能力の一端を持っているということの証明であることに違いはなく、順調に仕上げられ、デビューできるとある程度の好走は期待できるということである。ちなみに、2ハロンの最速タイムは23秒5、1ハロンの最速タイムは10秒9であった。1ハロンの最速を叩き出したミルルーテウスの14(父ワークフォース)は、前脚がしっかりと伸びてきれいなフォームで走れていたのが印象的であった。飛び切りの大物を掴むということではなく、コンスタントに走る馬を見出す確率を上げるという意味においては、トレーニングセールには一定の有効性があることは間違いない。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第12回)

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募集パンフレットを見ながら出資を決めたときには、デビューなどまだまだ先のことのように思っていたが、年月は私の思っている以上に速く過ぎ去りやって来る。私が前厄と本厄を耐え忍んでいるうちに、クインアマランサスはもう3歳の夏を迎えようとしている。そう2歳の夏といえば、競走馬のデビューの時期である。

私が競馬を始めた頃は、G1レースをにらむような素質馬たちは、無理をして早く仕上げるのではなく、成長を待ちつつ、秋の東京や京都開催でデビューするのが王道であった。夏の時期から走らせようとするのは、鬼の居ぬ間に洗濯というか、強い馬たちが登場する前にとにかく稼いでおこうという意図が垣間見え、また自身が早熟で奥がない馬であることを示すようなものであった。

ところが最近は、育成・馴致・調教の技術が進化したこともあり、馬に負担をかけることなく、成長を促しながら、素質馬を早期にデビューさせることが可能になってきた。たとえば、日本ダービー馬であるメイショウサムソンやエイシンフラッシュ、ロジユニヴァースは7月に、ワンアンドオンリーやオルフェ―ヴルは8月にデビュー戦を迎えている。私の感覚では、ロジユニヴァースが札幌2歳Sを勝って日本ダービーも勝った年あたりから、この傾向は高まっている。夏に新馬戦を迎えたからといって、その馬の能力が低いわけでも、早熟なわけでもないのだ。むしろ脚元に不安がなく、カイバ食いもよく、気性も素直で、仕上げやすいということを意味する。早い時期に初勝利を挙げて賞金を加算しておき、休養に入り、ローテーションに余裕を持たせて秋に備えるのが理想的だろう。

そんな考えもあり、クラブからの報告メールが届くたびに、焦りを感じてしまうことがある。

在厩場所:北海道・ノーザンファーム空港
調教内容:週2回屋内坂路コースでハロン15秒のキャンター2本、週1回周回コースでハロン22~24秒のキャンター3,000m、残りの日は軽めの調整
担当者「この中間からハロン15秒までペースを上げて乗り込んでいます。ペースアップ後も脚取りは変わらず力強く、問題なく対応できています。調教のペースが上がってからも厩舎で非常に落ち着いており、普段は手が掛からずとても扱いやすいですよ。今後もこれぐらいのペースで乗り込み鍛えていきたいと思います」馬体重463㎏

順調なのが何よりだから、クインアマランサスのペースに合わせて、ゆっくりと走る態勢を整えてくれたらいいよと頭では分かったつもりでも、心はざわつくのである。もしかしたら、走る能力が乏しいのではないか、脚元に不安があるのではないか、カイバを食べていないのではないかという漠然とした不安が湧き上がってくる。馬体重も増えているし、調教のピッチも少しずつ上がってきていることは目に見えるのだが、それでも早くデビューしてもらいたいという結果を求めてしまう自分がいるのだ。まだ寝返りができない赤ちゃんを心配するように、他の子どもや一般的な基準と比べてしまい、どうしてもネガティブな面に心を奪われてしまうのである。そのほとんどは杞憂に終わるのに。

良い面を見なければならない。そう思って、調教動画を観ると、胸前の筋肉の盛り上がりの素晴らしさに目を奪われる。この前躯の力強さに比べると、トモの実の入りは物足りなく映ってしまうのは仕方ないとして、このまま前輪駆動で成長したとしても、ダートでは活躍できるのではないだろうか。もともとは血統的にも馬体的にもダートで走りそうということで出資を決めたのだから、イメージ通りに成長してきているということである。さらにトモに実が入ってきたあかつきには、もしかすると芝のレースでも力を発揮できるかもしれない。姉のキモーヴが城崎特別(芝1800m)を快勝し、近親のカレンミロティックが天皇賞・春であわや勝利をという走りを見せたように、このファミリーは馬体が詰まって見えても、案外、距離が延びてよく、芝でこそなのかもしれない。子は親の思い通りには育たないのだ。

Photo by Silk Horse Club

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門別競馬場は日本で最も新しい競馬場である。かつては門別トレーニングセンターとして使われていた馬場を改修し、1997年に競馬場として誕生した。現在では、北海道にある唯一の平地の地方競馬場として、また馬産地日高地方にある競馬場として、その価値は年々高まってきている。特に、2012年に冬季も調教可能な坂路コースが新設されたことで、ホッカイドウ競馬所属馬たちのレベルアップが著しいという。今までは賞金の高い南関東に入厩していた馬たちが、調教施設が充実しているという理由でホッカイドウ競馬にてデビューを迎えることも増えるだろう。ホッカイドウ競馬に所属しながら、中央競馬やシンガポールでも活躍したコスモバルクに次ぐ馬が、これからまた現れるかもしれない。夢のある競馬場なのである。

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門別競馬場では、4月から11月までの期間限定でグランシャリオナイターの開催が行われている。とねっこゲートをくぐると、ちらほらとお店が立ち並び(夏はバイキングもできるらしい)、その先にパドックが見えた。地方競馬特有ののんびりとした空気が満ちており、心が落ち着く。馬券を買わなければという切迫感はなく、まあパドックで馬でも見てから考えようかとなる。パドックを歩く馬たちの姿を何気なく目で追っていると、なんだかいつもと違う。掲示板を見たとき、その違和感の正体が分かった。どの馬も馬体が小さいのだ。そう、このレースは「オータムライト級カップ」といって、馬体重が420kg以下の馬による2歳未勝利戦であった。それにしても、400kg前後の馬と私が普段見慣れている500kg前後の馬たちでは、違う動物ではないかと思えるほどの違いある。100kgの馬体重の差は大きいのである。

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次のレースのパドックには白毛のユキンコが登場した。夕陽とパドックの照明に浮かぶ真っ白な馬体は美しい。中央から門別競馬場に移籍して2戦目。前走は2着に好走しており、今回も人気になったが5着に敗れてしまった。どうしても目立つ馬だけに、人気先行は仕方ないとして、こういう馬が活躍すると、ひと目みたいと競馬場に駆け付ける人も増えるかもしれない。そんな想いに耽っていると、地平線に陽が落ちようとしていた。こんな色彩の空は他の競馬場では見たことがない。また、門別は霧が深いらしく、辺りを見回してみるとたしかに霧が立ちこめ始めている。あっと言う間に、門別競馬場の夜は更けてゆく。いつかこの競馬場で自分の所有馬を走らせてみたいという想いを胸に秘めて、競馬場をあとにした。

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その日は碧雲牧場に泊まらせていただくことになり、長谷川ファミリーと一緒に食事をした。食卓を囲みながら聞かせてもらった牧場を創業したときの話は、まるで冒険劇のようであった。1坪いくらの賃料で四苦八苦している私にとって、ヘクタールという単位には、人間としてのスケールの違いを感じた。その夜、長谷川敏さんに連れられて、夜の厩舎を訪れた。どの馬たちも寝静まっているのか、物音ひとつしない。10月だというのに、日高はもう冬のような冷え込みで、私はセーターを着てきて良かったと心底思った。とはいえ、「今日、雪虫がたくさん飛んでいたから、来週ぐらいには雪が降りそうだ」と聞かされたときには(北海道にはそういう言い伝えがあるらしい)、まだピンと来なかった。そこまでの寒さではなかったからだ。夜空を見上げると、星が手に届きそうなところにある。このような自然の中で生活するのも悪くない。東京に帰った翌週、北海道に初雪が降ったというニュースをたまたま見て、私はアッと驚いた。あの言い伝えは正しかったのだ。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第10回)

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シルクホースクラブからは頻繁にメールで情報が届く。その中に愛馬の成長状況が記されているかどうかを探し、動画があればすぐさま確認する。我が子の保育園における日誌を読むような気持ちである。先日、クインアマランサスに関する、このような内容のメールを受け取った。

在厩場所:北海道・ノーザンファーム空港 調教内容:週2回屋内坂路コースでハロン17秒のキャンター2本、残りの日は周回コースでハロン24秒のキャンター3,000m 担当者「周回コースでの調教量を増やしていますが、調教には非常に前向きに取り組んでいますし、馬力も付いてきてパワフルな走りを見せています。まだ前脚の捌きが硬く、体を大きく使い切れていない感じですが、その点も徐々に良化しつつあります。馬体に張りが出て筋肉量も増えてきましたが、前に比べてトモが少し寂しい感じもあり、前後のバランスがまだ一息なので、もっとトモを使わせて動かすことで、時間を掛けて良化を促していきたいと思います」馬体重454㎏

どうしても悪い点ばかりに目が行ってしまうのは親として、いや一口馬主として仕方ないことなのかも知れないが、「前捌きが硬い」、「トモが少し寂しい」、「前後のバランスがひと息」という言葉に敏感に反応してしまう自分がいることに気づく。募集時の写真では、確かに前が勝ち気味ではあったけど、前後のバランスはそれほど悪くなかったのになあ、と振り返りつつ、成長過程において、前後のバランスが崩れたり、筋肉が硬くなってしまったりすることは、どの馬にとってもあり得ることであると頭では理解してみる。それでも心配してしまうというのが、親ごころならぬ一口馬主ごころなのだろうか。

少し落ち込みながら、桜花賞へのステップレースであるフラワーCの予想をしていると、ある1頭の有力馬の血統表を見たときに、マウスに載せている私の手が止まった。ギモーヴ(父ハービンジャー、母ヒカルアマランサス)。そういえば、クインアマランサスにはひとつ上の姉がいたのだ。自分の愛馬ばかりに気を取られて、姉の存在を忘れていた。改めて戦績を辿ってゆくと、新馬戦は2着、未勝利戦で3着したのち、3戦目の前走で勝ち上がっている。前走の勝ちっぷりを見るとなかなかの末脚があるようだし、未勝利戦で敗れたアドマイヤダイオウがその後2連勝で若葉Sを制したように、強い牡馬とも渡り合っている。

これ以上の朗報があるだろうか。繁殖牝馬として、ヒカルアマランサスは初仔から走る馬を出しているのだ。たとえ名牝であっても、その産駒は全く走らないということなど、競馬の世界ではざらにある。ひと昔前よりも、繁殖や育成のノウハウや技術が進歩して、ベストトゥベストの配合の馬が走る確率は高くなってきたが、それでも走らない名牝の仔たちは数多く存在する。ヒカルアマランサスがハービンジャーを父に重賞級の仔を生んだという事実の意味は大きい。もし父が(ハービンジャーよりも実績がある)キングカメハメハだとしたら、さらに走るのではないだろうかという妄想を膨らませてしまうのは仕方ないだろう。このように、谷から山へ、山から谷へ、気持ちのアップダウンを繰り返しながら、一口馬主の日々は過ぎていくのだ。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第9回)

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シルクホースクラブから馬名が決まったとの知らせが入った。私が初めて出資する馬の名は、クインアマランサス。女王+母の馬名の一部という、穏当な名前に落ち着いた。まあ、このあたりは一口馬主だけに仕方ない。個人的な思い入れの入ったエキセントリックな名前をつけるわけにはいかず、どうしても最大公約数的な名前になる。とはいえ、昔から名は体を表すとも言われ、これまでの競馬の歴史を鑑みても、名馬にはやはりそれなりの名前が付けられている。セントライト、テンポイント、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフ、ディープインパクト、キングカメハメハ、オルフェーヴル、ウオッカなどなど、挙げていけばキリがない。その強さに後から名前が符号してくることは確かだろうが、どの名馬も立派な名前を有している。

立派な名前をつければ馬が強くなるなんて言うつもりはない。それでも、大切なことは、人間がその1頭の馬に対して思い入れを持つことである。生産から育成、調教から身の周りの世話に至るまで、人間が思い入れを持って馬に接することが、その馬が強くなり成功するかどうかを大きく左右する。これは決して非科学的な話ではなく、どれだけの時間と労力が費やされ、その馬のことを考え、様々なアプローチを試みて、時間をかけて育てられ、心身のコンディションを整えてもらったかにサラブレッドの競走生命は委ねられている。飛び抜けた才能を持つ馬はそうではないかもしれないが、ほとんどの馬にとっては、関わる人間の情熱の量が運命を決めると言っても過言ではない。

「だからこそ、できるだけ高い値段で馬を売りたいんです」とある生産者は言っていた。もちろんビジネスとして高く馬を売りたいと思うのは当然のこととして、実はそれだけではなく、高く売れた馬はそれだけ大事にしてもらえる確率が高いという意味である。すべての馬がそうであるとは言わないが、安く買われて行った馬はそれほど期待されずに、それなりの扱いしか受けない。高値で買われた馬は、それだけの育成場に預けられ、それだけの調教師のもとに入厩する。どの馬にも可能性があって、公平に接するべきと頭では分かっていても、無意識のうちに、いや、自然な感情として、ある一定水準以下の値段で買われた馬には期待が掛けられない。同じ馬であっても、髙値で買われた方が周りの人間の意識が違うため、成功の可能性が広がる。

どんな名前をつけられたかは、人間がその馬に対してどれだけの愛情や情熱を持って関わっているかの一端を表しているのではないか。だから私は冠名のつく馬があまり好きではない。たとえ高値の馬であっても、その馬に対する思い入れが感じられないからだ。そう考えると、穏当な名前の馬は最大公約数的な成績しか残せないのかもしれない。それは共同馬主という制度の限界を示している。それでも、と私は考えを改める。ヒカルアマランサスにとっては初めての仔だし、生産者にとっても、育成のスタッフにとっても、調教師にとっても、1頭の良血馬であることは確かである。値段が高くなかろうが、名前が凡庸だろうが、目の前にいる1頭のサラブレッドに情熱を注ぎこめるのが真のホースマンであろう。そのように信じていれば、クインアマランサスが、その名の意味どおり、枯れることのない女王という名前を立派に体現してくれるかもしれない。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第8回)

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第1部が終わり、お昼休みに入った。この間に軽い軽食として食べたラーメンが美味しかった。馬主しか食べられないコーナーがあり、いつか私もここで食事をしてみたいと感じた。ふと周りを見回すと、休憩にもかかわらず、馬を見ている関係者たちがあちこちにいる。彼らは気になった馬は1頭でも多く見ようと、食事を取る間も惜しんで、馬を出してもらい、つぶさに馬体を観察している。その中に、石橋守調教師や河内洋調教師もいた。セレクトセールなどに比べると、それほど高額馬が上場されるセールではないにもかかわらず、掘り出し物を探しに、馬のいるところならばどこでも行くという雰囲気が漂っている。

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そうこうしていると、セリが始まったのか、必然的に場全体の雰囲気もピリッとしたものに変わる。セリ場に入る前に、順番待ちをしながら引かれている馬もいるし、そのさらに前に屋外で周回している馬もいる。ここではどの馬も多くの人間の視線にさらされる。これだけたくさんの人間に一度に見られることは初めてという馬もいるかもしれない。自分が商品として観察される気持ちはいかようなものだろう。それでも、ほとんどの馬たちは、人間が見ていることなどお構いなしという仕草で堂々と歩いている。むしろ引いている人間の方が緊張しているかもしれない。

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私はセリの会場に入った。満席とまではいかなかったが、空席がちらほら目立つ程度で、人の入りも多い。安田隆之調教師の姿も見えた。主催者から金額が提示されると、それ以上の声が上がり、さらにそれを上回らんと値段が次第に吊り上がっていく。ほとんど主取り(買い手がつかない)になってしまう年もあるが、今年のオータムセールはまさに競り合いという様相を呈しており、人々の馬を買おうという気持ちが高まっていることが手に取るように伝わってきた。今回は馬を買うつもりで来たわけではないにもかかわらず、こうした雰囲気の中にいると、心が躍り、競りに加わってしまいそうになる自分を抑えるので精いっぱい。もしここで私が、「500万!」と声を上げたらどうなるのだろうかと、おかしな妄想で頭の中が一杯になった。

社台グループの創始者であり、ノーザンテーストやサンデーサイレンスを日本に輸入した吉田善哉さんは、名生産者は名バイアーでなくてはならないとして、セリで良い馬を買うためのコツを以下のように指南している。

吉田さんに、こうした良馬を買う方法をたずねると、「まあとにかく、たくさんのセリに出かけて、とことん良い馬を探すことです」という。吉田さんは子供の頃から父親に連れられて各国の馬を観てまわっている。年をとるにつれて、吉田さんは更に多くのセリに出かけていくことになる。キーランド、サラトガ、ニューマーケット、カラ、ドーヴィル、浦河、静内、むろん地元の千葉や胆振はいうにおよばず、セリのあるところ吉田善哉さんの顔があるといっても過言ではないだろう。だが、吉田さんが本当に欲しい馬を買えるようになったのは最近である。「長い間指をくわえて観ていたのですよ。しかし、それがとても重要なことです」と吉田さんはいう。セリで成功する方法の第一は、指をくわえて観ること!セリに出かけていくと、何頭かはどうしても欲しい馬に出合うものだ。何度もセリに出かけて行って、欲しい馬に出合わないのなら、馬産家としての才能がないとあきらめた方がよいだろう。もし、サラブレッドに対する何らかの見識があるならば、絶対に欲しくってたまらない馬に出合うはずである。そして、その馬を他人がセリ合っているのを、じっとがまんの子で観ている。やがて、もうどうしようもなく買わなければならない馬に出合うはずだ。そんな時、お金がなくても何らかの手段を講じて、買いにまわるのである。 (「新しい競馬のビジョン」山野浩一著 より)

それにしてもサラブレッドは美しい。セリ場でスポットライトに光り輝く馬を見ていると、その馬を走らせて賞金を稼がせたいという野心などはちっぽけなものであって、この人間がつくりだした芸術品を手に入れたいという崇高な気持ちが湧いてくるから不思議である。それは所有欲にまみれた、コレクション趣味の男の性なのかもしれないが、競馬が好きな人、馬を愛する人ならば私のこの気持ちを分かってくれるかもしれない。近いうちにまた来てみたい、いつか自分もこの場で競りに参加してみたい、そんな青白い小さい炎が私の心に灯った気がした。私はオータムセールをあとにして、門別競馬場に向かった。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第7回)

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思っていたよりもこの時期の北海道は暖かく、セーターとダウンを着こんで臨んだ私をあざ笑うように、力強い日差しが車のフロントガラスを通して射し込んでくる。この数日、ほとんど寝ていなかった私は、長谷川さんの運転の隣でついウトウトしてしまった。広大な海を右手に見ながら、直線だけで構成されたような道を飛ばして行くと、2時間ほどでオータムセールが行われている静内の会場に到着した。

いよいよこれからセリが始まろうとしていた。最後の最後まで馬を見ている馬主や調教師もいて、馬を買おうという気持ちと売ろうという気持ちがぶつかり合って、静かな緊張感の中にも競馬関係者たちの熱気がひしひしと伝わってくる。私はオータムセールが初めてなので分からないが、何度も来ている方の話を聞くと、今年はこれまでにないほどの活気だという。そう言われてみれば、行き交う人々の間に笑顔が絶えない。向こうから馬を引いてやってきた長谷川慈明さんも笑顔だ。1年ぶりの再会となる。今日はいつもお世話になっている他牧場の馬の出場を手伝いに来ているという。

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実は1頭気になっている馬がいた。ちょうど1年前、長谷川慈明さんから碧雲牧場生産の当歳馬の写真や血統表を見せてもらった中で、個人的に目を付けていた馬がいたのだ。トトノオナリ―の14(父ジャングルポケット)である。私がその馬に興味を抱いたのは、母父にスペシャルウィークを持っていたという点。母父にスペシャルウィークがいることでスタミナが補強されるはず。スピード化した現代の競馬において、もちろんスピードがあることは前提ではあるが、逆説的には最後に問われるのはスタミナである。父ステイゴールドで母父メジロマックイーンが黄金配合とされているように、近い将来、いずれかの種牡馬×母父スペシャルウィークという黄金配合が誕生するのではないかと考えている。

トトノオナリ―の14について私が言及すると、「売れました。良かったです」と長谷川慈明さんは破顔一笑。ドリームジャパンホースレーシングにより280万円で落札されたそう。今回のオータムセールに臨むにあたって、この馬だけではなく他の上場馬についても、コンサイナーに依頼し、馬の歩き方から僅かな動作に至るまで調教してもらい、準備をしてきたという。長谷川慈明さんいわく、「全然違う」。馬がしっかり歩けるようになるし、正しく振る舞えるようになる。だからといって、走るかどうかはまた別物であるが、とにかく馬を買いたいと思ってもらえるような動きができるように躾をするのがコンサイナーの仕事である。そこには特別な技術やノウハウが存在する。驚くべきは、どこどこの誰々が見たら買いたくなるような動きができるようにさえ調教できるという。セリ市は売る側と買う側の公平な場における真剣勝負であるのだ。

ひと昔前のセリ市では、そんなことをしてまで準備をするという考えすらなくて、牧場で走っている馬をそのまま連れて来ていた。毛は伸び放題でも、馬体が汚れていようが、馬が多少暴れてもお構いなし。それでも馬が売れた時代が確かにあった。大げさに言うと、馬であれば売れた時代があったが、今はそういう時代ではない。

たとえば、脚(球節から繋の部分)にソックスを履いているように白い毛が生えている馬がいる。左後一白(さこういっぱく)といって、左後ろ肢だけ白い馬は名馬の証なんて言われたこともあった。この白い部分が汚れやすいのである。糞や土を踏んだ蹄が擦れて、汚れてしまうというという具合に。どれだけ馬体の手入れをしていても、見る人が見たときに、汚れていると、見た目が悪く、印象が下がってしまうのだ。そんなとき、すぐに汚れを落とすスプレーのようなものがある。海外からの輸入品であり、高価なものなので、こういうセリのときぐらいしか使わないが、それでもそこまでするのだ。「そこまでするの?」ではなく、「そうするのが当然でしょ」と関係者の誰もが認識している時代なのである。今年こそ好況であったが、これまでの不況が競馬関係者を鍛えたのであろう。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第6回)

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あれほど馬主に憧れ、憑りつかれていたにもかかわらず、結局のところ、私が今まで一口馬主にすらならずにいたのは、ひとつは前述したように、これという馬がいなかったことがあるが、もうひとつの理由としては、一口馬主ではどこか物足りなさを感じていたからでもある。実は2つの理由はつながっていて、どちらもなぜ私がその馬を所有しなければならないのかという理由が思いつかない、ということだ。それはパンフレットやDVDを観て、付き合う(もしくは結婚する)異性を決めるような違和感というべきか。もちろん実際に会ったりして(馬の場合は見学ツアーに行ったりして)から決める人もいるのだろうが、それでも商品化されたものを買っているような気がしてならない。

そんな違和感を乗り越えて、今回は一口馬主をやってみようと思ったのだが、と同時に、1頭の馬の馬主になるという想いも捨てたわけではない。1頭の馬を自ら所有することで、より近い距離で、馬の生産や育成、調教やレースというものに関わることができる。生産者や育成に携わる人々、厩舎に入れば調教師やジョッキーというプロフェッショナルたちと直接に話をし、育成や調教の報告を受け、レースに出走するタイミングを見計らい、ローテーションも考える。そうしてようやくデビューした馬がレースを走ったときの喜びや勝利したときの興奮は、何ものにも代えがたいはず。もちろん、愛馬が怪我をしたり、いつまで経ってもデビューできなかったり、レースに行っても走らなかったりしたときの落胆も大きいだろう。それでも、そういう全てを含めて味わうことによってはじめて、競馬の世界の仲間に入れてもらうことができるのではないか、と思ったりする。

そこで、知り合いの生産者の招きもあり、馬を買うことが目的ではなく情報収集のために、セリ市に行ってみることにした。毎年秋、北海道市場(静内)にて開催されるオータムセールである。サラブレッドの競り市場は毎年各地で行われ、当歳や1歳馬のセリ市としては、セレクトセールやセレクションセール、サマーセールなどがある。毎年7月にノーザンホースパークで行われるセレクトセールは、1億円を超えるような高額で取引される馬も数多く出るように、あらゆる意味において、日本最大規模のセリ市である。その中でも、オータムセールは年内最後のセリ市として位置づけられている。過去に取引された馬では、アスカクリチャン、クリノスターオーやマイネイザベルらが活躍馬として挙げられる。

朝6時台の飛行機に飛び乗り、9時前には新千歳空港に到着した。今回の遠征を仲介してくださった福永さんと落ち合い、碧雲牧場の創業者である長谷川敏さんの車に乗せていただき、静内へと向かった。実は長谷川敏さんとは初対面であり、噂で聞いていたとおりの、精悍な顔立ちとインテリジェントな雰囲気をまとっている。長谷川敏さんは、学生時代に映画を撮るために牧場に泊まり込んで働いたことがきっかけで、生産の仕事をすることになった。柏﨑牧場時代にはあのスーパークリークを生産し、碧雲牧場から誕生したグラスポジションは重賞こそ勝てなかったが私の記憶には深く残っている。ちなみに、彼がつくった「青春のたてがみ」という映画は、吉永小百合さんがナレーションを手掛け、今観ても秀逸な作品である。

オータムセールは本日2日目。初日は売れ行きが好調だったそうで、碧雲牧場から上場させた3頭のサラブレッドたちも完売したという。手塩にかけて育ててきた馬たちであり、もちろん経済的な意味も含めて、生産者は自らの生産馬に値段が付くことほど嬉しいものはない。買い手がつかなかったときの悲しさと、売れたときの喜びは表裏一体の感情として密接に結びついている。「いい時に来たね」と福永さんが言ったように、長谷川さんからは抑えきれない喜びがポロポロと溢れ出ているように見えた。生産者冥利に尽きる瞬間ということなのだろう。私はすぐにこの人が好きになった。そして、長谷川敏さんの長男であり、碧雲牧場の後を継いだ長谷川慈明さんの顔が早く見たくなった。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第5回)

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私がヒカルアマランサスの14に出資しようと決めたのは、その馬体の素晴らしさゆえである。これまでも毎年、数々の共有クラブのパンフレットに目を通してきたが、私が納得できるような馬体(立ち写真)の馬はひとつのクラブに1頭いるか、もしくは1頭もいないことの方が多かった。それぐらい1歳馬の馬体というのは物足りなく、アンバランスで、今にも崩れてしまいそうなものなのである。たしかに、この時期の馬体のシルエットや骨格などは成長してからも大きくは変わらないため、その馬の馬体の基礎(土台)ではあるが、その後の筋肉の付き方や成長度合いによって、形やバランスが崩れてしまうこともある。だからこそ、1歳馬の馬体の見極めは困難を極めるのだ。

また、馬体のミスを探す方法にも私は疑問を抱いている。トモが緩くて踏み込みが甘かったり、脚が内向(もしくは外向)していたり、筋肉が硬かったりなど、馬体の悪いところを探すと、ほとんどの馬の馬体にはミスがある。あのサンデーサイレンスの飛節が大きく曲がっていたのは有名な話だし、名牝ベガは左前脚が極端に湾曲していたため競走馬になれるかさえ危ぶまれていた。最近でいうと皐月賞を勝ったイスラボニータはフジキセキ産駒にしてはトモが緩くて、ここまでの活躍は期待されていなかったのではないだろうか。つまり、どんな名馬の馬体にもミスはあり、ミスがあるから走らないのではなく、ミスがあっても他の強い部分が補うことで走っているのである。

競馬の専門家や関係者たちは、つい馬体の欠点を見てしまう(見えてしまう)。他の馬を見るときだけではなく、自分たちの携わる馬に関しても。専門家として、それはある意味において仕方のないことだが、だからこそあえて良い部分を見ようとする視点は必要なのである。良いところを強化していくことで、実は欠点さえもプラスに転じることがある。前述のベガなど、幼少の時期にはあれだけ脚元に不安があったにもかかわらず、無理に負荷を掛けずにゆっくりと調整されたことで、一本の線の上を走るような美しいフットワークの競走馬になった。イスラボニータはもしトモがパンとしていたら、距離はマイルまでしかもたない馬になっていただろう。逆説的ではあるが、トモが緩いからこそ距離がもつのである。

ヒカルアマランサスの14の馬体の良さは、その完成度と力強さである。今年度の「サンデーサラブレッド」と「社台サラブレッドクラブ」、「シルクホースクラブ」のパンフレットの中でもトップクラスである。前駆と後躯にしっかりと実が入っていて、しかも前後のバランスが抜群である。前だけが強い馬はたくさんいるが、後ろも同様に強い馬は少ない。ミスがあるとすれば、膝下が短いということであり、これはつまりヒカルアマランサスの14が芝では短い距離、またはダートに適性があるということを意味する。個人的には、ダート路線での活躍が期待できるのではないかと考えている。

というのは、血統的にも母父にアグネスタキオンがいて、最近はダートに強い馬を出す傾向にあるからだ。種牡馬も年齢を重ねるごとに、産駒の傾向が変わってくることがあり、たとえばブライアンズタイムやスペシャルウィークなどが典型的で、最初は芝の大物を輩出していた種牡馬から晩年はダートの鬼が誕生したりする。アグネスタキオンにもその傾向が感じられ、最近では父としてはノーザンリバー、母の父としてはノンコノユメを出している。同じことはキングカメハメハにも当てはまるだろうし、そもそもキングカメハメハは芝とダートの両方で大物を出す種牡馬である。ヒカルアマランサスの14は両親の実績から見ると芝馬のように見えて、実は血統的にはダート馬なのではないだろうか。もちろん、私の推測が外れて、芝の大レースで活躍してくれても全くかまわないのだが(笑)。

そんなことをつらつらと書き綴っていると、シルクホースクラブから私宛の封筒が届いた。小さい封筒だったので、もし落選していたらどうしようという考えが真っ先に頭に浮かんだ。他に出資したい馬を再び探さなければならないし、果たして見つかるかどうかも分からない。そうなると、まさかの連載中止??私の一口馬主ライフが始まる前に終わってしまうとは、夢にも思わなかった。最悪の結果を予期しつつ、書面を取り出してみると、そこには小さく当選の文字があった。まずは第一関門をクリアできた。入会金を含めて馬代金を振り込むと、今度はシルクホースクラブから会員証が送られてきた。新しい競馬の世界へのパスポートである。

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(第6回へ続く→)

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第4回)

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その馬は、ヒカルアマランサスの14、名前はまだない。母ヒカルアマランサスは、京都牝馬S(GⅢ)を勝ち、ヴィクトリアマイルであのブエナビスタと首差で2着した実績を持つ馬である。戦績を見ても、その馬体や走りからも、典型的なマイラーであったと記憶している。そして父はキングカメハメハ。言わずもがなの名馬であり、名種牡馬である。個人的にも、日本ダービーの祝勝会に参加させてもらったこともあり、思い入れの強い馬である。ただ最近は体調が優れず、様子を見ながらの種付けを行っており、あの金子真人オーナーにさえもなかなか順番が回ってこないという。そういった意味でも、これから先、キングカメハメハ産駒の希少価値は上がるだろう。

母ヒカルアマランサスには苦い思い出がある。ヒカルアマランサスというよりは、ヒカルアマランサスが走ったレースにといった方が適切か。2010年の京都牝馬Sにて、私は珍しく3連単の馬券を買っていた。普段は単勝しか買わないのだが、この年に行っていた「ガラスの競馬場Classic」という有料サービスの中で、3連単を1点で予想するという試みをしていたからだ。3連単1点勝負など、確率的にも当たることは滅多になく、この京都牝馬Sも、良い意味において肩の力を抜いて予想をしていた。私の予想は、ベストロケーション(7番人気)→ザレマ(2番人気)→ヒカルアマランサス(1番人気)であった。特にひねったつもりはないが、ベストロケーションが頭というところがミソであったと思う。

雨が降りしきり、力を要する状態の馬場でレースは行われた。大外枠からベストロケーションが好スタートを切り、内からザレマが先頭を奪った。私が思ったとおりの展開となり、2頭がガッチリと先頭と番手を押さえたことで、道中は緩やかに流れ、レースをかき乱す馬も騎手もいない。そこでふと後方を見ると、ヒカルアマランサスが最後方にいるではないか。いかにも差して届かず3着というポジション。そのまま馬群は最終コーナーを回り、粘るザレマをベストロケーションが抜群の手応えで捕らえにかかる。こうなると、あとは大外を回したヒカルアマランサスが心配になってくる。絶望的なところにいるヒカルアマランサスに向かって、「頼む、3着に入ってくれ!」と私は心の中で叫んだ。

私の願いが通じたのか、ヒカルアマランサスはM・デムーロ騎手を背にジワジワと脚を伸ばしてきた。道悪のレースにおいて、M・デムーロ騎手に追われた馬の伸びは凄い。ハミと騎手の手綱の支点が近く、馬の上体をやや引き上げるようにして追ってくるから、馬も下を気にすることなく走りやすいのだろう。ゴール板が見えてきた時点では、もしかしたら3着に入るかもという勢いで追い上げてきた。ベストロケーション→ザレマという並びは完成しているので、もしヒカルアマランサスが来たら3連単が的中することになる。私は馬券を手にしながら、ゴクリと唾をのみ込んだ。もしこの馬券が当たったら、大変なことになる。

あの時、私の胸に去来した思いを書くのは気が引ける面もある。不思議なことに、あの直線の半ばで、私はヒカルアマランサスに届かないでくれと半分願ったのだ。上手く説明することができないが、馬券が当たってほしいという気持ちと、当たらないでほしいという気持ちが同時に混在したということだ。なぜだろうか。おそらく私は怖かったのだと思う。あの3連単が当たったとしたら、私は見たこともない大金を手にするはずであった。一千万には届かずとも、それに近しい金額の配当金になったはず。目の前に突然、想像もしていなかった大成功や夢のような現実が訪れようとしたとき、私たちは恐怖におののくのだ。

ヒカルアマランサスは3着に入るだけではなく、なんと前に走っていた2頭までをもまとめて差し切ってしまった。1頭だけ次元の違う伸び脚であった。私は手の届きそうなところまで来た3連単的中を逃してしまい、目の前が真っ暗になったと同時に、どこかでホッと安心していた。当たらなくて良かったとまでは思わないが、当たっていたらどうなっていただろうと思う。私のような器の小さい人間には扱い切れなかったのではないか。ヒカルアマランサスは、私の中に眠っていた小心者を顕在させて見せてくれたのだ。それにしても、ヒカルアマランサスは強い牝馬であった。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第3回)

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忘れかけていた頃にパンフレットが届いた。「サンデーサラブレッド」と「社台サラブレッドクラブ」は同時にまとめて、それからしばらくして、「シルクホースクラブ」から送られてきた。過去には他のクラブからも送ってもらったことがあるので良く分かるが、どのクラブも写真集やカタログのような素晴らしいパンフレットを送ってきてくれる。印刷代だけでもかなり掛かるのではないかと余計な心配をしてしまうが、それでも馬が売れれば十分に利益が出るのだろう。そう、今や一口馬主全盛の時代なのである。

私が競馬を始めた1990年から25年が経ち、この間にコアな競馬ファンの馬券から(一口)馬主へのシフトがあった。これは大きな潮流の移り変わりである。馬券時代には、ロマンを絡めて競馬が語られた時期もあったし、枠番から馬番への移行に伴い馬券が盛り上がり、3連単等の導入によってその流れが加速したかに見えたが、様々な要因が重なり、馬券の売り上げはみるみるうちに失速し、コアな競馬ファンは馬券に対しての興味を次第に失いつつある。

海外の競馬を範にして、多様な種類の馬券を売り出したことが、馬券時代の終わりの始まりだったと私は思う。当時は、アメリカや香港では3連単やWIN5のような馬券が売られているのに、なぜ日本では買えないのだという論調であったと記憶している。私もそのような馬券が売られたら面白そうだと思ったこともあった。がしかし、いざ発売されてみると、たしかに売り上げに占める割合は3連単が大きく占めるようになったものの、競馬の質も大きく変容してしまったのだ。戦後から長い歳月をかけて、せっかく競馬が数字だけの賭博ではなく、ロマンやスポーツなどの要素も併せ持つ知的ゲームになったのに、再び騎手や馬たちはサイコロの駒のようになり、競馬は数字の組み合わせに化してしまった。

競馬ファンの興味や視点が数字の組み合わせに向くと、マスコミや競馬評論家たちもすなわちそちらを向かなければならない。競馬のマスメディアは、メインストリームを自ら作り出しているのではなく、メインストリームを追っているだけなのである。なぜなら、そうしなければ、番組は見てもらえないし、雑誌や本は買ってもらえないからだ。こうして書店の本棚からは競馬の本質に迫るような内容の読み物は消え、いかに儲けるかという馬券本で埋め尽くされた。私も昔はよく行った書店の競馬本コーナーにも、最近は足を運ぶことが少なくなった。

こうした変化に抗うためか、意識的であれ無意識であれ、コアな競馬ファンの中には馬券に当てていた資金を一口馬主の方に回す者が現れ始めた。私たちは、1頭1頭の競走馬をしっかりと見つめたいのだ。競馬の本質をもっと身近に知りたいのだ。そんなコアな競馬ファンの声にならない気持ちの現れだと私は思う。もちろん、ダビスタ世代である私たちは、万馬券を当てたり、3連単で高額配当を手にしたりするよりも、もっと興奮することがあることを知っているからでもある。そう、自分の愛馬がレースで勝つこと。これは競馬における至福の瞬間であり、かつ競馬の原点でもある。

「サンデーサラブレッド」、「社台サラブレッドクラブ」、「シルクホースクラブ」の3つのパンフレットに目を通し、募集馬たちの立ち写真や血統等を比べてみた。魅力的な馬ばかりで目移りしてしまうと内心困っていたところ(いつもそれで結局選びきれない)、「シルクホースクラブ」のあるページを開いたとき、私の目は止まった。そして、しばらくそこから動けなかった。一目ぼれ?直感?そんなシンプルな言葉では表しきれない、素晴らしき馬体と血統の馬がそこにいたのだ。私は迷いなくその馬の募集番号と母の名前を申込用紙に記入し、ポストに投函した。あとは抽選のみ。

Photo by fakePlace

(次回へ続く→)

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第2回)

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さっそく、一口馬主クラブの資料を取り寄せてみることにした。どのクラブもホームページ上に募集馬を公開しているので、それらを徘徊しつつも、最終的にはパンフレットで馬の写真等を見て決めたいからだ。やはりインターネット上の写真とパンフレットのそれでは、同じ写真であっても、受ける印象が異なることがある。情報量が違うということだ。それは毎週拙ブログ上で立ち写真の評価を行ってきて分かったことでもあり、できれば紙の媒体で見る方がよい

さすがにありとあらゆるクラブの募集馬を全て検討するのは時間的に難しいため、まずはクラブで絞り込みをかけることにした。私が資料請求したのは「サンデーサラブレッド」と「社台サラブレッドクラブ」と「シルクホースクラブ」の3クラブである。なぜこの3クラブを選んだかというと、信頼が置けるからだ。一口馬主をやっていく上で、おそらく良いことも悪いことも起こるだろうし、走ったり走らなかったりもするだろう。そういう紆余曲折のある長い道程において、クラブと側の理念や運営から対応に至るまで、信頼できるかどうかは極めて重要になってくると思うからだ。

きわめて個人的な理由ではあるが、「ROUNDERS」をより多くの競馬ファンに届けたいと思い、一口馬主クラブの会報誌に掲載をお願いに回ったことがあり、その中で縁があって、人間的な対応をしてくれたのが社台グループとシルクホースクラブであった。どこの馬の骨かもわからない私たちの話を聞いてくれ、自らの会報誌に載せてくれたことに今でも感謝している。全く利害関係のない、いち競馬ファンでしかない私たちを人間的に扱ってくれたことが嬉しかった。私が逆の立場であったら、同じようにできただろうか。

特に、シルクホースクラブの代表を務める阿部幸也さんに、中山競馬場でお会いしたことは今でも忘れられない。阿部さんは時間が許す限り、開催日には競馬場に足を運び、自らのクラブの馬たちを応援しているのだという。その日も中山競馬場にいらっしゃっていて、レースが終わったあと、競馬場内のカフェで「ROUNDERS」の話を聞いていただいた。ミスター競馬と呼ばれた野平祐二さんを特集したvol.3を発売した直後であり、阿部さんのお父さまが野平祐二さんと知己があったことを懐かしく話してくれたりした。まだ社台グループと提携する前であり、「今日は1勝もできませんでしたよ」と少し疲れた顔を見せてくれたのが印象的であった。苦しい時期だったのだと思う。この人にとっては、クラブの馬はすべての馬が愛馬なのだと感じた。

その後、社台グループとの提携が発表され、新しいシルクホースクラブとして一歩を踏み出すことになった。これで阿部さんの笑顔が見られることが多くなるのでは、と私は心から祝福した。

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集中連載:現代のコアな競馬ファンがすなる一口馬主というものを(第1回)

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「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてすなり」として紀貫之は土佐日記を書き始めたように、現代のコアな競馬ファンが愉しむといわれている一口馬主というものを、私もやってみようと思う。別に大上段に構えているわけではなく、もちろん女性になりすまして馬主になるということでもない。そこにあるのは、そこはかとない興味であり、大いなる野望であり夢である。この1歩を踏み出すことで、未来がどう変わってゆくのか、ぼんやりと分かるようでいて分からない。ひとつだけ言えるのは、新しい競馬の世界が待っている、ということである。

競馬と共に20年以上の歳月を過ごしてきた私が、いよいよ一口馬主になろうとしているわけだが、一口馬主を意識し始めたのはかなり昔のこと。社台レースホースやサンデーレーシングの馬たちが、ダイナースクラブの会員でなければ手に入らなかった時代といえば分かりやすいだろうか。その頃は、クレジットカードなど持てる身分ではなく、いくら共有馬主とはいえ、社台グループの生産馬を所有することは、貧乏人にはとても手の届かないお金持ちの遊びであった。

それ以外には、友駿ホースクラブや東京サラブレッドクラブの前身であるユーワホースクラブなどの資料を取り寄せ、学校をさぼって近くの喫茶店で穴が開くほど眺めたりもしたが、結局これぞという馬が見つからず、来年こそはと思い、いつの間にか20年が経ってしまった。おそらく当時の私の友人は、「一緒に共同馬主やろうぜ」という誘いを嫌というほど聞いたはずだし、あれだけ熱弁をふるっていたにもかかわらず、いまだに一口馬主にすらなっていない私のことを冷めた目で見ていたはずである。

私が馬主というものに憑りつかれていたことを示すエピソードを紹介したい。かつて国立競技場でアルバイトをしていたことがあった。たとえば、ラグビーやサッカーなどの大きな試合があるとお呼びがかかって、チケットのもぎりや競技場内での案内を行う。このアルバイトの良いところは、運が良ければ、仕事中にスポーツ観戦が無料でできることだ。運が悪いと、競技場の外にある駐車場に配属させられることもある。車でやってくる入場者を誘導し、適切な場所に駐車してもらうのだ。

ある日、私は初めて駐車場の係に任命された。試合が観られないことを残念に思いつつ、新しい場所での仕事を覚えようと、背筋を伸ばして駐車場の入口に立った。次々と入ってくる車を空いているスペースに導いていると、あっと言う間に時間が経つ。しばらくしてホッとひと息つき、ふと目を上げたところ、フロントガラスの右上に「馬主」と書かれたステッカーのようなものが貼られた車が私の前を通り過ぎた。ああ、馬主か、今日は競馬場に行かず、ラグビー観戦に来ているのだな、まあ毎週自分の馬が出走するわけでもないし、などと思った。

ところが、次にやってきた車にも同じ「馬主」のステッカーが。何という偶然だろう、こういうところに車で観戦に来るような人はお金持ちで、馬主の人が多いんだなあ、うらやましい、と心の中で独り言を言う私。しかし、次の車もまた同じ。駐車場の入口のところで並んで待っている4、5台の車を見渡してみると、すべての車に「馬主」のステッカーが貼ってあるではないか!目をこするとはまさにこのことで、さすがにこんなにも全員が馬主であるはずがないと私は自分を疑った。しばらく冷静になって考えてみると、そのステッカーに書かれていた文字は、「馬主」ではなく「駐」であったのだ。私以外の誰が見ても間違わないと思うのだが、それは駐車場に入るための専用のステッカーであった。駐車場の「駐」かよ!と気づいたとき、私は己の愚かさを恥じるとともに、自分の心がいかに馬主というものに支配されていることを思い知らされたのである。

どれほどまでに私が馬主になることに恋焦がれてきたか、分かっていただけただろうか。正真正銘の馬バカなんて言わないでほしい。そう、私は遅れてきた大物一口馬主なのだから。

(第2回へ続く→)

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第26回)

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昨年末、競馬好きのためのあるイベントに、いち競馬ファンとして参加させてもらった。企画のひとつとして、「最強世代のどの馬が強いか?」というテーマについて、3名の競馬予想家(評論家)がトークを繰り広げるというものがあった。つまり、エルコンドルパサーとスペシャルウィークとグラスワンダーのどの馬が最強なのかという問いである。冒頭で参加者たちにも意見投票が求められたのだが、私は自分がそれと思う馬に手を挙げられなかった。そうこうしているうちに、票はエルコンドルパサーとグラスワンダーに分かれ、なんとスペシャルウィークには誰一人として手が挙がらなかった。

なぜ手を挙げられなかったかというと、頭の半分で他のことを考えていたということもあるのだが(笑)、3強と言われる馬たちがどの3頭を指すのか分からなかったのだ。当時を知る者としては、皐月賞と菊花賞を勝ったセイウンスカイがそのメンバーに入っているのか(さすがにキングへイロ―は入っていないことは分かっていた)、もし入っているとしたら残りの2頭は?と頭がおかしな方向に回ってしまったのだ(よく考えれば、3頭と言えば、エルコンドルパサーとスペシャルウィークとグラスワンダーに決まっているのだが)。そのわずかな心の迷いの隙を突かれ、私はスペシャルウィークに手を挙げることができなかったのである。そう、その世代の3強の中では、私の最強馬はスペシャルウィークなのである。

この3頭に限らず、どの馬が最強かという問いは永遠のテーマであり、その難解さゆえに最後には水掛け論に終わってしまうことも多い。今回のトークでも、エルコンドルパサーが強いという意見も、グラスワンダー最強という主張も痛いほどよく理解できる。エルコンドルパサーとグラスワンダーに意見が二分するのは、サイレンススズカが逃げ切った毎日王冠を境として、この2頭が全く別の道を歩むことになったからである。凱旋門賞を目指してヨーロッパに渡ったエルコンドルパサーと、国内に専念したグラスワンダー。新しい環境に適応し、ヨーロッパの競馬でも結果を出したことを高く評価するか、マイルから2500mまで距離を問わず、国内のグランプリG1レースを勝ちまくったことを上に取るか、ほとんど同じレースで走ったことのない2頭の比較は確かに難しい。

それに対し、グラスワンダーとスペシャルウィークは同じレースで何度か走ったことがあり、特に宝塚記念では前者が後者を完膚なきまでに負かしているため、グラスワンダー最強説はこのレースが根拠になりやすい。確かにグラスワンダーは強かったのだが、あの宝塚記念におけるスペシャルウィークは、前走の天皇賞春で体力を使い果たして、決して万全の状態にあったわけではない。当時、外国産馬であるグラスワンダーも使えるレースが限られていたため、調整が難しかったのも確かだが、その分、消耗が少なく、ひとつのレースで限界を超えて力を出し切る同馬にとって、かえって良かったのではないかとさえ思える。

さらに、サンデーサイレンス産駒であるスペシャルウィークは切れ味を持ち味とするのに対し、グラスワンダーは筋骨隆々のパワータイプであり、宝塚記念や有馬記念のようなシーズンオフに近い時期に行われる、芝が傷んできて、力を要する馬場で行われるG1レースに適性があった。つまり、一緒に走ったレースを物差しにするにしても、どちらも万全の体調や仕上がりで走ったとは限らず、どちらにとっても得意とする舞台であったわけではなく、完全にフェアな条件下での比較にはなりえないのである。何を基準(拠りどころ)にするか、またどのレースを物差しにするか、そして強さの定義によっても、最強馬というのは異なってくるということである。

Photo by 三浦晃一

(最終回へ続く→)

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第25回)

Kettounituite25

スペシャルウィークの血統を語るにおいて、母系について触れないわけにはいかないだろう。スペシャルウィークの母系を辿っていくと、4代母にシラオキ(父プリメロ)、9代母にフローリスカップという、日本競馬の礎を築いた牝馬たちに行き着く。「ビューチフルドリーマー系」、「アストニシメント系」、「フラストレート系」、「ヘレンサーフ系」など、いわゆる小岩井牝系と呼ばれる牝系の代表のひとつである「フローリスカップ系」である。近年、競馬の世界も完全にボーダレス化し、外国から超一流の種牡馬や繁殖牝馬が続々と輸入され、その産駒たちが活躍している中で、日本の在来血統から出たスペシャルウィークという超大物の存在は貴重である。

日本の在来血統といっても、決して古くて劣っていたわけではなく、むしろ当時としては破格のマネーを積んで、三菱財閥の威信をかけて、イギリスから超一流の繁殖牝馬と種牡馬を買い求めた経緯がある。小岩井牧場に最初に導入された繁殖牝馬20頭の中に、前述のフローリスカップやビューチフルドリーマー、アストニシメント、ヘレンサーフらがいて、第二次世界大戦やその後の財閥解体、農地改革などの影響を大きく受け、各地に散り散りになりながらも、それぞれに血を繁栄させていったのである。同様に、シラオキの父であるプリメロも、アイルランドダービーやセントレジャーを勝ち、血統的にも文句をつけようがない、小岩井牧場が輸入した種牡馬であった。

これら日本の在来血統や小岩井牝系に特徴的なのは成長力とスタミナである。種牡馬の血統イメージ以上に距離をこなし、かつ古馬になってからの成長力に富み、衰えを知らずにタフに走り続ける。サンデーサイレンス産駒の中でも、のちに登場するディープインパクトのような突き抜けた存在を除き、日本ダービーを勝ち、クラシックで活躍しながらも、古馬になってからさらに強くなったのはスペシャルウィークぐらいのものである。サンデーサイレンスは基本的には早熟で仕上がりが早く、軽い馬に適応できるスピードと瞬発力に長けた種牡馬であるからこそ、サンデーサイレンス産駒の中におけるスペシャルウィークの異質さが母系に依ることは間違いがない。

サンデーサイレンスの種牡馬としての資質を小岩井牝系が下から支えていると考えることもできるし、逆に小岩井牝系の眠っていた資質をサンデーサイレンスの目覚ましい遺伝子が刺激し、活性化させたと考えることもできる。いずれにせよ、スペシャルウィークはサンデーサイレンスと小岩井牝系の見事な融合であり、その現役時代の強さだけではなく、種牡馬としてもシーザリオやブエナビスタ、トーホウジャッカル、ローマンレジェンドという名馬を誕生させ、ブルードメサイヤー(母の父)としてもエピファネイアなど多数の重賞ホースや活躍馬を出し(これからも出るはず)、成功を収めたのは当然といえる。

スピードと早熟さが要求される現代の競馬において、日本在来の血統の持つスタミナと成長力を伝えていくことの価値は極めて高い。時代に求められているものと反する血が、淘汰されることなく生き残っていくことは、簡単なことではないからだ。時代の流れと逆行するために、たとえ父としては目立った活躍馬を出せずにいても、生き残ってさえいれば、母の父として血を繁栄させていくことはできる。なぜならば、スタミナは主に母の父から受け継ぐため、スタミナに偏った種牡馬は母の父に入ったときにこそ、その影響を産駒に最大限にもたらすことができるからである。メジロマックイーンが、母の父としてオルフェ―ヴルという名馬を誕生させたように。そう考えると、あのブエナビスタからどのような名馬が生まれるのか、今から楽しみでならない。

Photo by 三浦晃一

(第26回へ続く→)

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第24回)

Kettounituite24

サンデーサイレンス産駒は初年度のフジキセキやタヤスツヨシ、ジェニュインだけではなく、2年目はバブルガムフェローやダンスインザダーク、3年目はサイレンススズカといった大物を出し続け、ついに種付け頭数が年間100頭を超えた。そしていよいよ4年目の産駒から、これまでの大物に輪をかけたようなスペシャルウィークが誕生することになった。

スペシャルウィークが他のサンデーサイレンス産駒と一線を画していた点は、もちろんその極めて美しいシルエットの伸びやかな馬体だけではなく、気性的に激しいところや難しいところがほとんどなかったということだろう。母キャンペンガールもその産駒たちも気難しい面があり、競走馬としては大成できなかったが、スペシャルウィークだけはそうではなかった。それもただ大人しいというのではなく、武豊騎手がスペシャルウィークを評して、「飄々としていて、明るい未来しか想像できない」と語っていたように、気高い精神のようなものを感じさせてくれる馬であった。出産時に母が亡くなり、乳母に育てられたことが大きかったのかもしれない。

新馬戦を快勝したスペシャルウィークは、2戦目に500万下のレースを狙っていた。ところが、1997年暮れから1998年初めにかけて、異常ともいえるほどの除外ラッシュが起こっていた。これは小倉競馬場の改修工事によって、例年よりも開催が少なかったことが大きな理由であり、どの馬も抽選に通らなければ出走が叶わないという状況に置かれていた。

そこで、ほとんどの陣営はどうしたかというと、一度除外されると、次の抽選では有利になるシステムを利用し、とりあえず登録だけするという作戦を採っていた。当然、スペシャルウィーク陣営も、とりあえずという気持ちで500万下の白梅賞に登録した。除外される確率の方が圧倒的に高いのだから、まずは除外されてから、次はどこを狙うか考えようということになっていた。

ところが、なんと抽選に通ってしまったのだ。白梅賞に出走できるようになったものの、除外を前提に考えていた陣営は、スペシャルウィークの体をキッチリとはつくっていなかったのである。どう贔屓目に見ても、あと1本は追い切りの本数が足りないというのが本音であった。その証拠に、白梅賞の馬体重は8kgも増え、さすがのスペシャルウィークの能力を持ってしても、最後はハナ差で差し切られてしまい、2着まで来るのが精一杯であった。

完全に予定が狂ってしまった陣営は、なんとかクラシックに間になんとか合わせるため、少しでも賞金を加算しようと考えた。次走は手堅く自己条件のつばき賞(500万下)を選んだ。ところが、皮肉なことに、今度は抽選に落ちてしまい、つばき賞に出走することが出来なくなってしまったのだ。そんな折、管理していた白井寿昭調教師は、もしかしたらスペシャルウィークは運に見放された馬なのかもしれないと思ってしまったそうである。というのも、前述したように、スペシャルウィークは産まれてすぐに母親を失くし、乳母に育てられたという過去があったからであった。

しかし、そうではなく、スペシャルウィークは実に幸運な馬であった。つばき賞を除外された結果、きさらぎ賞(G3)に出走することができ、そのきさらぎ賞で堂々の勝利を収めたのだ。競馬の世界にタラレバはないが、もし白梅賞に勝っていたら…、もしつばき賞を除外されていなかったら…、スペシャルウィークは果たしてダービーを勝つことが出来たのだろうか。答えは誰にも分からないが、勝負の世界には運も必要だということは確かである。

スペシャルウィークに調教で初めて跨った武豊騎手と白井調教師の間に、こんなやり取りがあったそうだ。面白いエピソードなので紹介しておきたい。

白井調教師(ニヤリと笑みを浮かべて)
「どうや、豊君。あの馬、ダンスパートナーに似て…」

武豊騎手(少し興奮気味に)
「先生、あの馬、ダンスインザダークにそっくりですよ!」

白井調教師(意表を突かれた感じで)
「えっ、いや、ダンスパートナーに似てへんか?」

武豊騎手(極めて冷静に)
「全姉弟ですからね。でも男馬ですから、ダンスインザダークに似ていますよ。」

スペシャルウィークという1頭の新馬を評するにあたって、白井調教師がダンスパートナーの名を口に出し、武豊騎手がダンスインザダークの名を挙げ、どちらも譲らなかったところが面白い。ダンスパートナーとダンスインザダークの2頭は全姉弟なので、どちらのイメージも正しかったのだと思うし、スペシャルウィークがそれほどに素晴らしい馬だったということだ。白井調教師にしてみれば、かつて自分の厩舎にいたサンデーサイレンス産駒の大物ダンスパートナーの後継者と考え、武豊騎手にしてみれば、その前年に惜しくも取り逃がしてしまった日本ダービーで騎乗したダンスインザダークのリベンジを夢見たのだろう。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第23回)

Kettounituite23

フジキセキはサンデーサイレンスに似ていると書いたが、もちろん似ていない面もある。同じ青鹿毛ゆえに生き写しのように誤解されてしまうこともあったが、気性の激しさと勝負根性の良さという精神面においては似ていて、馬体全体や各パーツという肉体的特徴においてはほとんど似ていなかった。サンデーサイレンスのように見えて、実はそうではなかったのだ。むしろ今から思えば、フジキセキは母系に脈々と流れるミルリーフの血を色濃く受け継いでいた。

ミルリーフは生涯14戦して12勝、2着2回という圧倒的な強さを誇った名馬である。何よりも、勝つときの着差が凄まじく、英ダービーの2馬身差から始まり、エクリプスSでは古馬のカロを4馬身離してレコード勝ち。キングジョージでは6馬身差、続く凱旋門賞では3馬身差、しかもコースレコード。古馬になってからも、ガネー賞では後続を10馬身千切ったように、まともに走ったらこの馬の影を踏むことができる馬はいなかったと言われる。

そんなミルリーフでも2回だけ負けたレースがあり、ひとつはデビュー3戦目にフランスに初めて空輸した際に激しく入れ込み、カイバを24時間もの間、全く食べなかったことによるもの、もうひとつは1971年の2000ギニーで、イギリスの国民的アイドルホースであるブリガディアジェラード(18戦17勝)に得意のマイル戦で敗れたものであった。この2000ギニーは歴史に残る名勝負であったが、人気とレースの結果、そしてその後の種牡馬としての成功も、それぞれに異なる珍しいレースであった。

人気
1番人気 マイスワロー
2番人気 ミルリーフ
3番人気 ブリガディアジェラード

結果
1着 ブリガディアジェラード
2着 ミルリーフ
3着 マイスワロー

人気と結果が見事に逆転している。たった6頭立てのレースだけに、光と影、明暗がはっきりと分かれたレースであった。そして、この3頭の中で、種牡馬として結果的に成功したのはミルリーフのみ。実は、ミルリーフが登場する前年にあのニジンスキーが英国3冠を達成している。2年連続で名馬が誕生したことになり、たとえば日本で言うとキングカメハメハとディープインパクトのように、2頭の比較が盛んに行われたという。当時における最高のハンデ作成委員会は、競走馬としてはミルリーフが2ポンド(約1kg)の優位と評価していた。ただし、ニジンスキーは種牡馬としてはミルリーフのさらに上を行く大成功を収めたのだから競馬は面白い。

話しをサンデーサイレンスとフジキセキに戻すと、これはしばらくしてから分かることなのだが、サンデーサイレンスという種牡馬は、母系の良さを引き出すことに長けていたのである。いかにもサンデーサイレンスらしい外見の産駒であったため、フジキセキもそして種牡馬としてのサンデーサイレンスもまだこの時期は大きく誤解されていた。フジキセキが早々に種牡馬入りしたものの、当初これといった活躍馬を出せなかったのは、もちろん父サンデーサイレンスが健在であったからということは確かだが、それ以上に、生産者サイドがフジキセキをサンデーサイレンスの代用品と考えていたことが大きい。

「サンデーサイレンスをイメージして配合し、育成、調教してしまったことが大きな間違いでした。サンデーサイレンスは重厚感のある欧州系のステイヤー牝馬と合い、重たさを解消してシャープな馬を出しましたが、フジキセキは筋肉質で身体のボリュームもある馬です。サンデーサイレンスは全体に細身でつなぎが長く、クッションのいい馬が多いのですが、フジキセキは前脚がかために出るタイプで、かき込む走法になる。だから、どうしても脚元に負担が掛かってくるのです。産駒はただでさえ大きくなるから、余計に負担が掛かって故障馬が出ました」『優駿』2008年8月号

フジキセキは日本初のシャトル種牡馬として、オーストラリアで種付けを行っている。結果から言うと、フジキセキの豪州での産駒はさほど振るわなかった。105頭の牝馬、しかも一流牝馬を集めてもらっていただけに、オーストラリアの競馬関係者らの失望は深かった。向こうの競馬は短距離が中心で、しかもスタートしてからすぐにトップスピードに乗り、どこまでバテずに走り続けられるかを問われる典型的なスプリント戦になりやすい。道中はスタミナを温存しながらゆったりと走り、最後の直線で瞬発力が問われる日本の競馬に適性を見せたフジキセキの産駒は、オーストラリアの競馬には合わなかったのである。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第22回)

Kettounituite22ブライアンズタイムと時代を重ねるようにして登場したのは、同じくヘイルトゥリーズンの血を引くサンデーサイレンスであった。今となっては、サンデーサイレンス系と言われるぐらいの影響力を誇るが、初年度産駒がターフに姿を現したときは、ここまで日本の競馬の勢力図を大きく変えるとまでは思わなかった。決して過小評価していたわけではない。私たちの前に現れたサンデーサイレンス産駒は暴力的な強さを誇ったが、それでもまさか1995年から2007年までの13年間にわたってリーディングサイアーとなるような、太くて長い活躍を見せるとは想像できなかったということである。それもそのはず、私はノーザンテーストの全盛期を知らないため、1頭の種牡馬による破壊的な影響力についてピンと来なかったのは当然であろう。

初年度産駒のうち、ファーストインパクトとして最も印象に残っているのはフジキセキである。当時、まだ海のものとも山のものとも分からないサンデーサイレンス産駒を預かることになった渡辺栄調教師は、戸山式のスパルタ調教を受け継ぎながらも、入厩当初のヒ弱なフジキセキを鍛え上げていった。幸いなことに、フジキセキは食欲の旺盛な馬だったため、どれだけ苛酷な調教を課してもカイバの量が落ちたことは全くなかったという。だからこそ、坂路で猛特訓を受けながらも、デビュー戦では472kgだった馬体重が朝日杯3歳Sでは492kgにまで増えていた。
フジキセキは全くの無駄のない素晴らしいフォームで走る馬であった。坂路を駆け上がってくるところを真正面から見るとよく分かるのだが、脚を外に振り回しながら上がってくる馬もいる。これは無駄のある走り方で、フジキセキはどれだけ速いタイムで上がってくる時にも、脚を真っ直ぐに伸ばして駆け上がってきた。それまでの日本馬とは違ったレベルの脚力であり、また馬体が急激に成長を遂げたため、さすがに脚元に掛かる負担は少なくはなかった。坂路コースがなければ、フジキセキもあれだけの強さを発揮することもなかったかもしれない。

フジキセキのレースはどれも強烈に覚えているが、朝日杯3歳Sの走りは忘れられない。朝日杯3歳Sの勝利ジョッキーインタビューにて、フジキセキの主戦を務めた角田晃一騎手は、ゴール前で武豊騎手が乗るスキーキャプテンに迫られたことを指摘されるや、「こっちはムチを一度も使っていませんから」と言い放った。あなたたちはヒヤヒヤしたかもしれないけど、俺とフジキセキは余裕だったんだよ。俺たちに触ると火傷するぜ、という激しさがヒシヒシと伝わってきた。フジキセキの強さに対する自負とジョッキーとしての矜持が、思わず言わせたひと言だったのだろう。レースを観てみると、確かにムチを使っていないのだ。もっともフジキセキの気性の激しさを考えると、ムチを使ってしまうと、どこに飛んで行ってしまうか分からないという危うさがあったからなのだろう。

残念ながら、フジキセキは弥生賞を圧勝した後に屈腱炎を発症し、幻の3冠馬になってしまったが、最後のレースとなった弥生賞も凄いレースであった。外からホッカイルソーがもの凄い脚で強襲してきたのを一旦受けて、そこからエンジンをふかして3馬身ほどチギってしまったのだ。フジキセキはその漆黒の馬体やレースぶりや気性からも、サンデーサイレンスに最も似ている馬と言われるが、私もそう思う。暴力的な強さと気性の激しさ、そして勝負根性の良さ。鋭敏な馬が多いサンデーサイレンス産駒の中でも、最も鋭気を感じさせる馬でもあった。サンデーサイレンスにとって、フジキセキは名刺代わりのような産駒であったと思う。


4戦4勝、その走りの全てを目に焼き付けておくべき。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第21回)

Kettounituite21

ブライアンズタイム産駒には、ナリタブライアンのような突き抜けた3冠馬やマヤノトップガンのような晩成型のステイヤーもいたが、最も得意とする舞台は皐月賞であったように、スピードとパワーを伝えた種牡馬であった。1997年のサニーブライアンとシルクライトニングのワンツーフィニッシュを皮切りに、ノーリーズン、ヴィクトリーと伏兵が皐月賞を制し、宝塚記念を勝ったダンツフレームは皐月賞を2着している。のちに登場することになるサンデーサイレンスの牙城を崩すことができたのは、ブライアンズタイム産駒であり、その皐月賞であった。なぜ皐月賞かというと、他のクラシックレースと比しても、力を要する馬場で行われるレースであるからだ。晩年にはダートの一流馬を多く出したように、ブライアンズタイムは産駒にパワーを確実に伝えた。

そして、忘れてはならないのは、仕上がりの速さである。昔から「皐月賞は速い馬が勝つ」と言われてきましたが、この時期のクラシックレースを制するには、スピードだけではなく、仕上がりの早さが不可欠である。他馬に先んじて、早くから能力を発揮できるという早熟性。クラシックレースは3歳のこの時点での完成度を問われるレースでもあり、もちろんサンデーサイレンスもそうだったように、クラシックに強い血統というのは早熟でなければならないということだ。

スピードと早熟性を極端に重視する傾向は、今からおよそ100年前にアメリカで生まれ、その後、ナスルーラやネイティブダンサーやロイヤルチャージャーの血を引いた馬たちが大活躍したことで発展した。その中でも、ロイヤルチャージャーの血を受けたヘイルトゥリーズンという馬は、まさにスピードと早熟性の権化のような馬であった。そう、サンデーサイレンスとブライアンズタイムが共通して父の父に持つヘイルトゥリーズンである。

1958年に生まれたヘイルトゥリーズンがデビューしたのは、わずか2歳の1月のこと。カリフォルニアのサンタアニタ競馬場でデビューし、初勝利を挙げるのに6戦を要したが、そこをレコード勝ちするや、ホープフルS、グレートアメリカンSなど2歳の主要重賞レースを勝ちまくった。2歳の9月の時点では、なんと18戦9勝というキャリアを誇っていた。ほとんどのレースがスプリント戦であった。ヘイルトゥリーズンという馬がどれだけ早熟でスピードに秀でていたか分かる。

残念なことに、ヘイルトゥリーズンは調教中に怪我をしてしまい、そのまま引退してしまったのだが、種牡馬としては大成功を収めた。1970年には2歳部門のリーディングサイヤーと総合部門のリーディングサイヤーの両方に輝いた。サンデーサイレンスの父ヘイローやブライアンズタイムの父ロベルトが生まれたのもその頃である。つまり、サンデーサイレンスの産駒にも、ブライアンズタイムの産駒にも、2歳の1月にデビューしたヘイルトゥリーズンからの早熟性の血が脈々と受け継がれており、両者がクラシック血統として成功した最大の理由のひとつになっているというわけである。

「昔とは違い、じっくりと秋から始動などと悠長に構えていられない時代」と藤澤和雄調教師が言うように(週刊Gallop8月31日号)、今は2歳の夏にデビューして初勝利を挙げ、秋に大きなレースで好走するもしくは2勝目を挙げて賞金を稼いでおかないと、使いたいレースにも出走できなくなるなど、翌年のクラシックに向けての道が極めて厳しいものになる。早熟性が問われ、求められる傾向は、ヘイルトゥリーズン系の血が猛威を振るい始めてから瞬く間に顕著になり、十数年の歳月をかけて完成したといえるだろう。晩成型のステイヤーが出にくくなってしまったのは非常に残念だが、スピードと早熟性が勝つ時代が逆行することはもうないのだ。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第20回)

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血の勢いというものは確かにあって、気がつけば、ある特定の種牡馬の血を引く馬たちがクラシックの上位を独占し、そのまま古馬戦線を席巻していく時代が訪れる。ナリタブライアンの同世代にはチョウカイキャロルがいて、翌年はマヤノトップガンが年度代表馬となり、さらに翌年にはサニーブライアンが2冠を取り、シルクジャスティスが有馬記念を勝利した。その翌年には、ビワハヤヒデとナリタブライアンを従兄に持つファレノプシスが桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯を制した。その他、ダンツフレームやタニノギムレット、ノーリーズンなど多くのG1ホースやクラシックホースが登場した。そう、全てがブライアンズタイム産駒である。

私の大好きだったヒシアマゾンを苦しめたチョウカイキャロルや勝てそうで勝てない歯がゆいシルクジャスティスなど、記憶に残っている個性的な馬が多いが、個人的に最も思い入れのあるのはマヤノトップガンである。菊花賞で期待に応えてくれたときの喜び、有馬記念でのまさかの逃げ切りと田原成貴騎手の投げキッス、阪神大賞典におけるナリタブライアンとの歴史に残る叩き合いなど、片手に余るほどの名勝負を繰り広げてくれた名馬だが、その中でも最も私の心を震わせたのは1997年の天皇賞春である。競馬における、ありとあらゆる綾が散りばめられた、素晴らしいレースであった。

天皇賞春に臨むにあたって、さすがの天才、田原成貴騎手も、宿敵サクラローレルに勝てる方法が見出せなかったという。当時のサクラローレルは、レインボークエストから継ぐ晩成の血が開花した真っ盛りであった。前年の天皇賞春でナリタブライアンをねじ伏せてからというもの、天皇賞秋こそ脚を余して負けてしまったが、有馬記念では圧倒的な力を見せつけて勝利した。確かに天皇賞春はブッツケではあったが、それすら不安に感じさせないほど、まさに付け入る隙のない無類の強さを誇っていたのだ。どう計算しても勝ち目がない、田原成貴騎手がそう感じたのももっともだったと思う(実際に私もサクラローレルに本命を打った)。

そこで、マヤノトップガンの田原成貴騎手はアルパチーノのビデオを、レース前に何度も観たそうだ。えっ、アルパチーノ?と思われる方もいるだろうが、そうあの「ゴッドファーザー」のアルパチーノである。なぜ田原成貴騎手が本番前にアルパチーノのビデオを繰り返し観たかというと、意識を消すためだったという。演技をしているのに演技をしていないように見えるアルパチーノを見て、そこには余計な意識が働いていないことを悟ったそうだ。つまり、ジョッキー(自分)にとっては、何もしない(騎乗技術を使わない)ことが正しい騎乗につながるのであって、今回の天皇賞春をマヤノトップガンで勝つ唯一の方法だと確信したのであった。

スタートしてからわずかにマヤノトップガンは引っ掛かったものの、スタンド前までになんとか折り合いがついた。マヤノトップガンのような首の低い馬は、一旦引っ掛かると抑えるのに苦労するのだが、おそらくこれは田原成貴騎手が技術で抑え込んだわけではなく、意識を消すことに成功したのだろう。スタンド前を走る馬群の中に、田原成貴騎手とマヤノトップガンの気配がスッと消えて行ったのを私は感じた。

実はこれには伏線があり、マヤノトップガンはそれまで逃げ・先行して結果を出してきた馬だったが、前走の阪神大賞典では後ろから行く競馬をしたのである。マヤノトップガンの前進意欲が年齢と共に失われつつあったということもあり、田原成貴騎手はマヤノトップガンの気持ちを尊重する乗り方をした。前哨戦はメンバーも違うので結果を出すことが出来たが、本番の天皇賞春で同じ乗り方をして通用するかどうか、半信半疑なところがあったと思う。しかし、田原成貴騎手は、勝ちたいという意識だけではなく、そういったマイナスの意識も全て消そうとしたのだ。

3コーナーを過ぎ、2週目の下り坂からサクラローレルが動き出した。これは横山典弘騎手の意識というよりも、サクラローレルが休み明けであった分、力んでしまったということだ。その動きにつられて、マーベラスサンデーに乗った武豊騎手が動き出す。武豊騎手はサクラローレルさえ負かすことが出来れば勝てると計算したのだろう。田原成貴騎手が凄かったのは、この時点で全く動かなかったことだ。この時の心境を田原成貴騎手は後にこう語った。

机上の計算では、あの時の馬場状態を考えると、もう少し差をつめておかなければとても届かない差であったと思う。それを私が意識していれば…、今はっきり言えること、それはただひとつ。あの時、もし差を詰めてしまっていれば、あの上がりの脚をマヤノトップガンは使えなかったということ。 しかし、たとえレースがあのように流れても、あそこで動かなければ最後にあの鋭い脚を使う、その思いは私の中に1パーセントもなかった。それが阪神大賞典から天皇賞まで私を悩ませつづけた全て。その思いを消すことが、私がマヤノトップガンを天皇賞馬に導いてやれる全てだった。 (「馬上の風に吹かれて」 田原成貴著)

サクラローレルがマーベラスサンデーを差し返し、私が自分の馬券の勝利を確信した瞬間、外から信じられない脚で飛んで来たのが田原成貴マヤノトップガンだった。視界の外から飛んできたフックパンチに当たった時のように、脳みそがグラっと揺れたのを私は感じた。この感覚は、その時私と共に後楽園ウインズにいた他の競馬ファンも同じだったようで、ゴールが過ぎて数秒の間が空いた後にようやく、「トップガンだ!」という大歓声が起こったことを憶えている。後にも先にも、このレースほど、競馬の凄さを思い知らされ、心が震え、いつまでも鮮明に記憶に残っているレースはない。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第19回)

Kettounituite19

ミホノブルボンは、鍛えればサラブレッドは強くなること、鍛えても乗り越えることのできない壁があること、そして隔世遺伝についても私に教えてくれた。父と母から50%ずつの影響を直接受けるのではなく、父や母を飛び越して、一世代前から大きな影響を受けることがある。人間でいうと、父や母には全く似ていないが、実は祖父や祖母の血が濃く出ていたというような話である。

血統評論家の吉沢譲治さんもたとえに挙げていたが、松坂大輔投手の強肩はおじいさん譲りだという。祖父・松坂徳次さんは、戦時中、樺太(現サハリン)の野砲隊にいて、当時55メートルだった隊内の遠投記録を63メートルに塗り替えたそうだ。鳶が鷹を生むという表現があるが、もしかすると一世代前の祖父や祖母からの隔世遺伝であるかもしれない。

1994年の天皇賞秋を勝ったネーハイシーザーという馬がいる。実は、ネーハイシーザーが勝った毎日王冠を私は東京競馬場で観戦している。58kgの斤量を背負いつつも、あり余るスピードを存分に生かし、レコードタイムで逃げ切ってしまった走りを観て、天皇賞秋でも勝負になるという感触は確かにあった。ただし、父サクラトウコウ、母ネーハイテスコという血統を見る限り、G1レースを勝てるようには到底思えなかった。母は全く無名であり、父サクラトウコウも全弟に日本ダービー馬サクラショウリ、半弟にサクラホクトオーがいるとしても実績は皆無の種牡馬であった。G2レースを勝ったことさえ驚きである。

さらにこの年の天皇種秋にはあのビワハヤヒデが出走していた。機械のように精密なレース運びで、他馬を正攻法でねじ伏せる強さを持つビワハヤヒデが、ごまかしの利かない東京2000mで負けるイメージが湧かなかった。ネーハイシーザーも強いことは確かだが、それとはひとつふたつ桁の違う強さがビワハヤヒデにはあったはずである。今となれば、クラシック戦線から古馬の春シーズンのG1路線まで、真面目に走り続けてきたことによる勤続疲労が噴出したのだと分かるが、当時は思いも寄らない、まさかの敗退であった。

茫然自失となりながらも、私はネーハイシーザーの血統表を改めて見てみた。そこで父の父の欄に見たマルゼンスキーの7文字に私は愕然とした。これだ、ネーハイシーザーはマルゼンスキーの血が強く出た隔世遺伝の馬だったのだと。残念ながら、私は現役のマルゼンスキーの走りを知らないが、当時、持込馬であったため日本ダービーに出走することができなかったマルゼンスキーの主戦・中野渡清一騎手が放った、かの有名なセリフは強烈に印象に残っている。

「賞金なんか貰わなくていい。
28頭立ての大外枠でもいい。
邪魔なんかしない。
頼むから出してくれ。
そうすれば、どれが日本一かわかる」

この言葉だけでも、マルゼンスキーがどれほど強い馬だったか想像がつくだろう。結局、後続につけた合計の着差が61馬身という圧倒的な強さを見せ付けて、8戦8勝の戦績で引退していった。引退式の日に、スタンドから上がった垂れ幕には、こんな文字が躍ったそうである。

「さようなら、マルゼンスキー。
語り継ごう、おまえの強さを」

その通りに語り継がれたマルゼンスキーの伝説を私は知り、ネーハイシーザーという快速馬を通してマルゼンスキーを感じることができた。あの天皇賞秋以来、私は血統表を眺めるとき、母の父だけではなく、父の父も必ず見るようにしている。そうすることで、思わぬ隔世遺伝に気づくことがあり、無名の種牡馬の産駒や血統的に軽視されているような馬にも、潜在的な資質を見出すことができる。思いも寄らない穴馬は、実は血統的にも意外なところから現れたりするものなのだ。


マルゼンスキーの衝撃的な強さは必見です。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第18回)

Kettounituite18_2

ミホノブルボンは父マグニチュード、母カツミエコー(母父シャレ―)という配合で誕生した。父マグニチュードは代表産駒にエルプス(桜花賞)こそいるが、それ以外にはほとんど実績のない種牡馬であり、母カツミエコーは南関東で1勝を挙げたのみの戦績、さらに母父のシャレ―も無名の種牡馬にすぎなかった。当時、血統のことをほとんど知らなかった私にとっては、わずか750万円で取引されたという事実が、ミホノブルボンのマイナーすぎる血統を物語っているように思えた。はっきりとした低評価であり、血統的な価値は全くもって認められなかったということである。

そのミホノブルボンが朝日杯3歳ステークス、皐月賞、日本ダービーを制し、菊花賞でも2着したという事実が驚きであり、不思議でもあった。競馬はブラッドスポーツであると叫ばれながらも、良血とは無縁の馬が世代の頂点に立ってしまった。私が競馬を始めるひとつのきっかけとなったオグリキャップも、お世辞にも良血とは言えない馬であったが、こういった突然変異が起こる以上、血統とは一体何なのか、という疑問が湧き上がってきたのである。淘汰を繰り返してきたサラブレッドはどの馬も良血であるという論にも、頷けるような頷けないような気がした。血統なんて実は何の関係も意味もなく、強い馬が強いというだけの話なのではと思ったりもした。

ミホノブルボンは隔世遺伝における突然変異だと考えることはできる。ミホノブルボンを管理した故戸山為夫調教師は、仔馬だった頃のミホノブルボンを見て、「まったく走らない馬だとは思わなかったけれども、これほど走るとは思わなかった」と感じたという。しかし、血統的にはひとつだけ閃くところがあったそうだ。それは毛色である。父マグニチュードは鹿毛、母カツミエコーは青毛であったが、ミホノブルボンは栗毛。血統を辿っていくと、ミホノブルボンの祖母にあたるAltesse Royaleが栗毛なのである。英1000ギニー、英オークス、愛オークスを制した名牝であるAltesse Royaleが隔世遺伝したのではないかという仮説である。

とはいえ、ミホノブルボンは血統の良くない馬であっても、安い馬であっても、鍛えれば強くなるという戸山イズムの象徴であったことは確かだ。「欠点のない人間がいないように、ミホノブルボンにも欠点がある。脚に不安があり、頭が高く、走る姿勢が悪い。走る姿勢は馬の骨格で決まるから、それを変えるのは困難だ。人でも馬でも、欠点を補うのは努力である」と故戸山調教師は語り、ミホノブルボンはそれを体現してみせたのだ。サラブレッドの世界において、氏よりも育ち、血統よりも調教ということを、私の目の前で証明したのである。

と同時に、最後の最後に問われるのは血統であることを教えてくれたのもミホノブルボンであった。菊花賞の走りと敗北は、明らかにスピードタイプの馬のそれであり、マグニチュードを父に持つミホノブルボンが本質的には短距離馬であったことの証である。同じくスプリント血統のキョウエイボーガンが先頭を奪って玉砕していった様も、何とか踏ん張ろうとするミホノブルボンを無情にも交わしていったライスシャワーの姿も、サラブレッドにおける血統の物語を彩っている。鍛えれば強くなる、努力すれば欠点を補えることを体現したのはミホノブルボンであり、どれだけ鍛えても、乗り越えることのできない血統の壁(肉体的な壁から気性面での壁まで)が存在することを教えてくれたのもミホノブルボンであった。一見矛盾するように思えるこれらの考え方は、サラブレッドの血統における真実のひとつでもある。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第17回)

Kettounituite17ミホノブルボンは日本ダービーを快勝後、夏の休養に入った。ライスシャワーだけではなく、もう1頭、ミホノブルボンの3冠を阻止せんと密かに牙を研いでいる馬がいた。キョウエイボーガンは、皐月賞にもダービーにも出走せず、ひたすら裏街道を歩みながら力をつけ、中日スポーツ賞4歳S(G3)と神戸新聞杯(G2)を連勝した。ミホノブルボンとキョウエイボーガンが初めて激突したのは、菊花賞の前哨戦にあたる京都新聞杯(G2)であった。

ミホノブルボンとキョウエイボーガンには「逃げ馬」という共通点があった。京都新聞杯を逃げたのはミホノブルボン。圧倒的な地脚の強さでハナに立つと、そのまま春の強さを再現するようにゴール板を走り抜けた。キョウエイボーガンは逃げることができず、2番手に抑える競馬をしたものの、本来の力を出し切ることなく、9着という思わぬ惨敗を喫してしまった。逃げ馬が逃げられなかった時点で終わりという典型的なレースであった。

ミホノブルボンのあまりの強さに、競馬ファンの間では、シンボリルドルフ以来の無敗の3冠馬の誕生はほぼ確定ムードに。春は血統的に距離延長が不安視されていたミホノブルボンが、菊花賞当日1.5倍の1番人気に推されたことからも、その熱狂ぶりがお分かりいただけると思う。ミホノブルボンが無敗の3冠に輝いたときに、競馬場のターフビジョンに映し出すために、詩人の志摩直人さんはこんな詩を用意していたそうだ。

その道に皐月花咲き
その道に青葉かぎろい
その道に菊花の飾り
ただひたすらにおのが道
速いことは美しい
そんな美学に酔いしれた
不敗の三冠、京の秋
ミホノブルボンの眩しさよ

ミホノブルボンの鍛え上げられた栗毛の馬体に、京都競馬場独特の夕陽が反射しながら、このような美しい詩が奏でられるはずであった。誰もがそんな結末を期待していたと思う。

しかし、本番の菊花賞では、キョウエイボーガンと松永幹夫元騎手が逃げた。強い覚悟を持って、ミホノブルボンから先頭を奪ったのだった。2周目の3コーナーまで先頭に立っていましたが、そこで失速し、そのまま後退して16着。ミホノブルボンはいつも通りの逃げが打てず、終始、折り合いを欠き、最後の直線半ばでライスシャワーに抵抗することなく交わされ、惜しくも3冠を逃してしまった。たった1頭の逃げ馬が歴史を変えたのであった。

キョウエイボーガン陣営は、菊花賞で逃げるかどうか、ギリギリまで頭を悩ませていたそうだ。キョウエイボーガンの気性から、逃げなければまず勝てないが、逃げてもバテてしまうだろう。もしレースを壊してまで逃げて、自分の敗北だけならまだしも、ミホノブルボンの3冠をも台無しにすることがあれば、批判は避けられない。自分の馬が勝つためだけのわずかな可能性に賭けるべきなのか、それとも競馬全体の空気を読むべきなのか。今考えてみても、どちらが正しい決断だったかは正直私にも分からない。ただひとつ、「逃げ馬」はひとつのレースにたった1頭しかいないという悲しい宿命を、そして血の恐ろしさを、キョウエイボーガンは私たちに教えてくれたのであった。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第16回)

Kettounituite16ちょうど私が競馬を始めた今から25年ほど前、栗東の坂路コースにひとり立ち続けていた調教師がいた。故戸山為夫調教師。今となっては関西馬躍進の起爆剤となった栗東の坂路コースだが、その頃までは誰にも見向きもされなかったことは意外と知られていない。そもそも最初は長さが270mしかなかったのだから、当然といえば当然か(現在は1085m)。のちに渡辺栄調教師が加わり、2人は栗東坂路の名物調教師となった。「変な調教師が2人、坂路コースで何かやっている」と揶揄されたこともあったそうである。

それでも、2人は坂路調教の可能性に賭け、1日に何本も坂路を駆け上がらせて、馬を鍛えていったのであった。その結晶が、ミホノブルボンでありフジキセキである。故戸山為夫調教師が育てたミホノブルボンは、わずか700万円で取引された安馬であったが、1日に4本もの坂路調教をこなしたとされている。それゆえ、「坂路調教の申し子」と呼ばれた。たとえ血統的にはスピード優先の馬でも、鍛えて心肺機能を高めていけば距離も克服できる、という戸山為夫調教師の信念の代弁者であった。

今でも鮮明に思い出すことができる。1991年、朝日杯3歳S(現在の朝日杯フューチュリティS)でのミホノブルボンとヤマニンミラクルの火花の出るような追い比べ。ミホノブルボンは新馬→500万下と圧勝し、その勝ちっぷりと坂路コースでのハードトレが評価されて、圧倒的な1番人気に推されていた。対するヤマニンミラクルは前走で京成杯3歳Sを勝ち、4戦3勝の実績で対抗馬として評価されていた。その当時は戸山為夫調教師とミホノブルボンのマッチョさがあまり好きではなく、仕事人・田島良保騎手が乗るヤマニンミラクルの方に私は賭けていた。

ヤマニンミラクルが直線で外からミホノブルボンを追い詰めた時、「差せ!」と思わず声が出た。明らかに脚色が違い、勝ったと思いながら声援を送ったのだが、ヤマニンミラクルが並んだその瞬間、ミホノブルボンがグッとまた前に出た。そこから先は絶対に抜かせないという意志がこちらまで伝わってくるような粘り腰を見せ、ミホノブルボンがヤマニンミラクルをハナ差で制したのであった。あと少しだったのになあ、次にもう一度走ったら、今度はヤマニンミラクルが勝てるかもしれない、というのがまだ競馬を始めて2年目の私の正直な感想であった。でも、そうではなかったのだ。

「馬を信じて乗らんかい!」

朝日杯3歳Sのレース後、ミホノブルボンの鞍上の小島貞博騎手は戸山為夫調教師にこう怒鳴られた。最近では、たとえ負けてもジョッキーを責めたりする調教師は少なくなり、勝ったのにジョッキーが怒られるという話は稀だろう。故戸山為夫調教師は、ミホノブルボンを2番手に付け、綺麗な競馬をしようとした小島貞博騎手の騎乗に腹を立てたのであった。小島貞博騎手は先を見据えて折り合いをつける練習をしようと試みたのだと思うが、そのことがミホノブルボンの長所であるスピードを殺し、ヤマニンミラクルに影を踏ませることにつながってしまったのだ。坂路であれだけ鍛えているというのだからという自信が、戸山為夫調教師にはあった。

それからというもの、ミホノブルボンの小島貞博騎手は吹っ切れたように逃げた。逃げに徹したミホノブルボンは、圧倒的な強さで皐月賞とダービーを制した。1ハロン12秒のラップをどこまでも刻み続けるサイボーグのような走りに、どの馬もついていけるはずがない。皐月賞で初めてクラシックを制した時の小島貞博騎手の涙は美しい。馬を信じ、自分を信じ、調教師を信じ、あらゆる全てを信じたからこその勝利であった。そう考えると、このミホノブルボンという馬は、あらゆる人の信じるという強い気持ちが乗り移った馬であった。戸山為夫調教師はミホノブルボンがダービーを制した1年後にガンで亡くなり、小島貞博騎手も今でも戸山イズムは関西の調教師たちに受け継がれ、ミホノブルボンにたずさわった男たちの信念もこうして語り継がれてゆく。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第15回)

Kettounituite15

もうひとつ、ビワハヤヒデとナリタブライアンの強さの秘密として、血統的なニックスがあった。ニックスとは、サラブレッドを生産する上で、優秀な競走馬が生まれる可能性が高い配合ということである。もう少し分かりやすく説明すると、相性の良い血統的な組み合わせということ。ちょうどこの時期に発売された「ダービースタリオン2」において、ニックスの概念が用いられるようになり、競馬ファンのみならず、一般のプレイヤーの間にも、その概念は浸透していった。

ビワハヤヒデは、父シャルードがグレイソブリン系、そして母パシフィカスはノーザンダンサー系であり、「ノーザンダンサー系牝馬×グレイソブリン系の種牡馬」というニックスになる。同世代のライバルでありダービー馬のウイニングチケットも、父トニービン、母父がマルゼンスキーという、「ノーザンダンサー系牝馬×グレイソブリン系の種牡馬」というニックス配合であった。クラシックを争った3強のうちの2頭が同じ組み合わせの配合だったことは決して偶然ではないだろう。

ナリタブライアンは、父ブライアンズタイムがロベルト系である。もう少し遡っていくと、ロベルトの父はヘルトゥリーズン(系)であり、その父はターントゥ(系)である。「ノーザンダンサー系牝馬×ロベルト系の種牡馬」というニックスであり、このニックスもたとえばライスシャワーに見られる。ライスシャワーの父はロベルト系のリアルシャダイであり、母の父はノーザンダンサー系のマルゼンスキーである。ナリタブライアンもライスシャワーも共に菊花賞を制しているように、同じニックスでも、「ノーザンダンサー系牝馬×グレイソブリン系の種牡馬」よりもややスタミナ寄りに出ている。

なぜビワハヤヒデとナリタブライアンの強さの秘密が母父ノーザンダンサーだけによるものではないかというと、母パシフィカスが生んだ他の仔たちに理由がある。実はパシフィカスがイギリスに残してきた3頭の産駒がいて、最初の仔はネアルコ系の種牡馬ハイトップであったが7戦1勝、第2子はボナビスタ系のドミニオンで46戦3勝、第3子はハイぺリオン系のプレコシアスで24戦3勝という成績であり、いずれも振るわなかった。当時の日本とイギリスの競馬のレベルの違い、種牡馬のランクの違いなどは考慮に入れても、あまりにも産駒の出来が違いすぎるのだ。

ニックスは時代によって異なることもあるし、国によって異なることもある。歳月の経過によって求められる資質が移り変わればニックスも変化し、各国の競馬で求められている資質が違う以上、ニックスも異なって当然である。

たとえば、かつては「ノーザンダンサー系の種牡馬にターントゥ系の繁殖牝馬」というのが世界の潮流であったが(このニックスから誕生した名馬にサドラーズウェルズ、ダンシングブレーヴ、ロドリゴデトリアーノ、トリプティックなど)、今は時代が移り変わって、「ノーザンダンサー系の繁殖牝馬にターントゥ系の種牡馬」という組み合わせから日本でも多くの名馬が誕生した。

最近でいうと、ステイゴールド×父メジロマックイーンを持つ繁殖牝馬などもニックスのひとつであろう。血液型の相性と同じく、科学的な根拠には乏しいのだが、これだけ多くのパターンから相性の良い組み合わせが如実に浮かび上がってくる以上、たしかにニックスというものは存在する。それは片方の系におけるスタミナ不足をもう一方の系が補うといった簡単なことから、ステイゴールド×母父メジロマックイーンのように、ステイゴールドの激しい気性をメジロマックイーンの血を引いた繁殖牝馬の寛容さが中和するといった働きもある。ニックスひとつをとっても、血統の奥深さと難しさを知ることができることを、ビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟の活躍は教えてくれたのである。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第14回)

Kettounituite14_2ビワハヤヒデとナリタブライアンは兄弟であったにもかかわらず、似ても似つかない馬であった。強いという点においては同じであったが、その強さの質やそれ以外の毛色や顔つき、馬体、気性などあらゆる面において、全く違う個性を持った馬同士であった。それまでの私は、血統同士の比較をしたことがなかったのであまり気にしていなかったが、父(種牡馬)が変わるだけで、こんなにも違った個性を持つ馬が誕生することに驚いた。そして何よりも驚かされたのは、同じ母から(しかも2年連続で)、超一流馬が2頭生まれたということであった。

ビワハヤヒデとナリタブライアンの強さの秘密として、血統的に2つの要素が見事に絡み合ったものと考えることができる。ひとつは、母の父の影響である。パシフィカスの父であるノーザンダンサーの血の強力さということだ。もちろん、シャルードもブライアンズタイムも素晴らしい種牡馬であるが、ビワハヤヒデとナリタブライアンに共通しているのは母であり、母系である。パシフィカス自身は、イギリスで3~4歳時を走って11戦2勝と、競走馬としては目立った成績を収められなかっただけに、その母系の最も近いところにあるノーザンダンサーに目を引かれるのは当然である。

ノーザンダンサーは、ヨーロッパでもなくアメリカでもない、カナダの生産馬であった。馬産家として有名なE・P・テイラーによって配合されたものであり、さすがかなり用意周到に、目的を持って配合がなされている。父二―アクティックは、イギリスのセリ市で購入したレディアンジェラ(父ハイハイぺリオン)にネアルコを2度かけてうまれた2頭目の産駒であった。母ナタルマ(父ネイティブダンサー)はアメリカのセリ市で購入された良血であり、ケンタッキーオークスを目指すほど能力も高かったが、骨折を機に早めに繁殖に上げられた。カナダの馬産家ではあるが、世界中から優秀な血を集めてきていることが分かる。カナダ国内だけの血で強いサラブレッドをつくろうとしたこともあったが挫折を味わい、ヨーロッパやアメリカに目を向けるようになったsその結実が、E・P・テイラーにとってのノーザンダンサーであった。

ノーザンダンサー自身は、2歳時はカナダで、3歳時はアメリカの競馬場で走った。ケンタッキーダービーとプリークネスSを連勝し、3冠に王手をかけたが、最後の1冠ベルモントSは距離が長く3着に失速してしまった。競走馬としても能力の高さを証明したが、ノーザンダンサーの凄さはやはり種牡馬になってからの活躍である。産駒が走り始めた1996年以降、瞬く間に世界の競馬の血統に影響を及ぼし、ニジンスキー、リファール、ノーザンテースト、ビーマイゲスト、ザミンストレル、ダンチヒ、ヌレイエフ、サドラーズウェルズといった後継種牡馬としても活躍した産駒たちの力によって、世界の血統を完全に支配下におさめるようになった。イギリス競馬界の大オーナーであったロバート・サングスターいわく、「種牡馬にはふたつのタイプがある。つまりノーザンダンサーとそれ以外である」。それぐらい、ノーザンダンサーの血を直接に引いていることは、この時代において世界的に価値が高かったのだ。

ナリタブライアンがクラシックを席巻した1994年の春シーズン、イギリス、フランス、アイルランド、アメリカ、日本という5ヶ国で行われた13のビッグレースのうち、6レースを制したのはノーザンダンサー系の種牡馬の産駒であり、残る7レースのうちの5レースを制したのはノーザンダンサー計の繁殖牝馬の仔であった。つまり、ノーザンダンサーの血を持っていないビッグレースの勝ち馬はたった2頭しかいなかったということになる。そのノーザンダンサーを直接父に持つパシフィカスの仔であるビワハヤヒデとナリタブライアンの兄弟がブレイクしたのは、世界の競馬の潮流の中でも、当然と言えば当然の結果だったのである。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第13回)

Kettounituite13

ビワハヤヒデが突然変異の馬ではなかったことは、それからしばらくして証明されることになった。ブライアンズタイムを父に持つ弟のナリタブライアンが、兄をも凌ぐ活躍を見せ始めたのだ。朝日杯3歳S(現在の朝日杯フューチュリティS)を圧勝して頭角を現したと思いきや、翌年は皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制して3冠馬となったばかりか、暮れの有馬記念では古馬をも一蹴してしまう強さであった。ナリタブライアンが勝ったレースはどれも強烈だったが、特に衝撃を受けたのは皐月賞であった。

12.2 - 11.1 - 11.5 - 12.2 - 11.8 - 11.9 - 12.2 - 12.1 - 12.0 - 12.0(58.8-60.2) 1:59.0

逃げたサクラエイコウオーをアイネスサウザーとメルシーステージが追いかけ、その直後の内をナリタブライアンは追走した。上のラップを見てもらえば分かるように、あきらかに淀みのないハイペースを、ナリタブライアンと鞍上の南井克巳騎手は迷うことなく先行したのだ。最後の直線に向くまでは強引にも思えた騎乗だったが、そこからさらに突き放した走りを見て、底知れぬ強さを感じたのは私だけではなかったはず。

ナリタブライアンの主戦であった南井克巳騎手は、その追ってから体の前部分が沈み込んでゆく走りをオグリキャップのそれと似ているとし、これまでの馬とは違うと語った。野平祐二氏も、皐月賞は「大人と子供の戦い」、日本ダービーは「1頭だけ次元が違う」と評し、自らが育てたシンボリルドルフと比較して、「現時点ではルドルフよりも上」と絶賛した。

私は兄ビワハヤヒデの方が好みのタイプであり、同世代のナムラコクオーに少しばかりの思い入れもあり、そして何よりも、同世代の牝馬に愛すべきヒシアマゾンがいたこともあって、ナリタブライアンに対しては、強すぎて応援する気にならないという感情を当時は抱いていた。どうにかして上の3頭でナリタブライアンを負かすことはできないだろうかと想像を膨らませ、友人らと語ってみたりもしたが、本音を言えば、ナリタブライアンの強さには隙がなかった。展開や距離や馬場、枠順の内外など、些細なことに思えるほどに、走る能力において他馬を凌駕していたのであった。

ナリタブライアンに対する私の認識が180度変わったのは、彼が引退してからのことだ。内国産馬としては史上最高額の20億7000万円でシンジケートが組まれ、種牡馬としても順風満帆なスタートを切ったかと思いきや、翌年(1998年)に疝痛を起こし、腸閉塞を発症していることが判明した。いったんは快方にむかったものの、再び疝痛を起こし、診療センターに運び込まれた際にはすでに胃破裂を起こしており、開腹手術を行うもすでに手遅れて安楽死の処分が取られてしまったのだ。あまりにも突然な、早すぎる死であった。

新冠町のCBスタッドの場長であった佐々木功氏の「我慢強い馬で頑張り屋だから、痛くても無理をしていたのかもしれない」という言葉を聞いたとき、私ははっと理解したのだ。その圧倒的な強さに覆われて気がつかなかったが、ナリタブライアンは繊細な馬だったのだと。そういえば、あのトレードマークであったシャドーロールも、自分の影を気にする臆病なナリタブライアンが走りに集中できるように装着されたそうである。サラブレッドとして走る資質の高さゆえに、周りの人間から大いなる期待を一身に受け、厳しいトレーニングを課され、極限のプレッシャーと戦っていたに違いない。ほとんどのサラブレッドは胃潰瘍があると言われるが、ナリタブライアンの場合はその強さとは裏腹な繊細さゆえにストレスを溜めこみ、現役晩年には股関節炎や屈腱炎という形で表出し、引退してからは腸閉塞や胃破裂という病につながったのかもしれない。ターフで輝いているように見えたナリタブライアンは本当に幸せだったのだろうか、今でも分からない。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第12回)

Kettounituite12

競馬に物心つくということがあるのか分からないが、私が物心ついた頃のクラシックは、ビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンの3強のそれであった。それまでは無我夢中で競馬を追いかけ、五里霧中に馬券を買っていたような気がする。競馬を始めて3年近くが経ち、ようやく競馬のイロハを覚え、目の前で行われているレースが全体のレース体系の中にあるものだと理解し、点と点が線としてつながり始めた時期でもある。そんな中で登場した3強が織り成すクラシック路線は、今でも脳内でリプレイができるように、それぞれのレースが鮮明に記憶に残っている。

3頭の名馬の中でも、上に記した順番どおり、私にとってはビワハヤヒデが最も好みの馬であった。芦毛の馬体に愛くるしい表情をしており、顔が大きく、脚が太く、まるでぬいぐるみのよう。彼の現役時代を知る人なら分かるはずだが、いざ走り出すと、弾力性に富む走り方に心が躍るようであった。また気性が素直であったからか、レースに行っても実に器用に立ち回ることのできるセンスの高さが光っていた。同じ芦毛のメジロマックイーンをスピード寄りにして、愛嬌を前面に押し出したようなタイプの馬であった。

ビワハヤヒデがデビューして、朝日杯3歳S(今の朝日杯フューチュリティS)で1番人気に推された頃にはまだ、父は無名の種牡馬シャルード、母は競走馬としては活躍できなかったパシフィカスと、他の2頭(ウイニングチケットやナリタタイシン)に比べて、良く言えば突然に現れた彗星、悪く言えばどこの馬の骨か分からないダークホースの1頭でしかなかった。皐月賞で2着し、ダービーでも2着したときにも、やはり血統的な裏付けのない馬はクラシックを勝つのは難しい、実は早熟なのではと評する者もいたほど。たしかに、スッと先行して、直線でも伸びる走りには安定感はあっても、皐月賞を勝ったナリタタイシンやダービーを制したウイニングチケットほどの爆発力がないように思えた。

そんな評価を裏切るように、ビワハヤヒデは夏を境にして大きく成長を遂げ、他の2頭が調子を崩し、モタつくのを尻目に、秋に向けて順調に駒を進めていった。迎えたクラシックレース最後の1冠菊花賞では、2着以下に5馬身の差をつけて大楽勝を飾ったのである。このとき岡部幸雄騎手の口から出た「生き残っていけば、いずれチャンスは訪れる」という言葉は、私の人生訓としても生きている。多少力が劣っていたとしても、突出した能力がなくとも、あきらめることなく、健康に、戦い続けてさえいれば、いつかは必ず順番が回ってくるということである。

その後、ビワハヤヒデは天皇賞春など2つのG1レースを制したが、その中でも最も強かったのは宝塚記念であったと私は思う。菊花賞や天皇賞春にあった距離不安がないことで、全く危なげのないレースであった。他の出走馬には、のちの天皇賞秋馬であるネーハイシーザーやサクラチトセオー、どんなレースでも堅実に走る万年3着馬のナイスネイチャ、名牝ベガなどもいたが、歯牙にもかけない5馬身差の圧勝であった。強すぎるため、やや機械的に映るかもしれないが、強い馬が勝つ見本のようなレースでもあり、ビワハヤヒデらしいレースとも言える。

ダービー馬になれなくてもいい。トウカイテイオーのような華のある馬に敗れてもいい。生き残っていればチャンスは回ってくることを体現してくれたビワハヤヒデの存在は、当時、志ばかりは高くても何も形にできず、自分の無力感に苛まれていた私を大いに勇気づけてくれた。今でもビワハヤヒデがレースで走る姿を見ると、「いつかはチャンスが回ってくるよ」とあの愛くるしい顔で励まされているような気がする。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第11回)

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その影響は、自身が父としてではなく、母の父として入ったときにより一層大きくなる。スタミナは母の父から伝わることに気付いたのは、競馬を始めて長い年月が経ったあとのこと。2009年、私に起こったある2つの非連続的な出来事による。ひとつは、天皇賞春において、母父にサンデーサイレンスの血を持つ有力馬たちが、淀の最後の直線でバタバタと倒れていったこと。勝った馬は父チーフベアハート×母父サッカーボーイという血統構成のマイネルキッツであった。私は2年連続でアサクサキングスに本命を打っていただけに、あまりの無様な負け方に少なからずショックを受けた。そして、サラブレッドの血による支配を感じざるを得なかった。

人気に推された有力馬たちの血統を挙げると、以下のようになる。

アサクサキングス(1番人気)父ホワイトマズル 母父サンデーサイレンス
スクリーンヒーロー(2番人気) 父グラスワンダー 母父サンデーサイレンス
ジャガーメイル(6番人気) 父ジャングルポケット 母父サンデーサイレンス
ヒカルカザブエ(7番人気) 父ジャングルポケット 母父サンデーサイレンス

いずれの馬も馬体だけを見ると、胴部や手脚に伸びがあり、長距離レースを走られそうなスタミナを有しているように思える。前哨戦の走りを見てもそれは明らかで、だからこそ本番の天皇賞春でも人気になったともいえる。アサクサキングスとヒカルカザブエは阪神大賞典(3000m)の1、2着馬である。さらに、アサクサキングスの父ホワイトマズルは、天皇賞春を制したイングランディーレを出している。スクリーンヒーローの父グラスワンダー自身は2500mの有馬記念を、ジャガーメイルとヒカルカザブエの父ジャングルポケットは、2400mのダービーとジャパンカップを勝っている。前哨戦から距離がわずか200m伸びただけで、またレースの格が上がり、中身の濃い厳しい競馬になったとしても、この4頭があそこまで大崩れしてしまうとは到底考えられなかったのだ。

もうひとつは、ある飲み会の席でのちょっとした会話である。髪の毛の話になり、席上のひとりが自分の頭を指差してこう言った。「俺のオヤジは禿げてるんだけど、母親のおやじがフサフサでさ、おかげで助かったよ、ほらこの通り」。それを聞いたもうひとりが、「そっか、だから僕は髪の毛が薄いんだ…。オヤジはフサフサなのになぁ」と返した。そんなやり取りを見て、私はドキッとして、ひと言も発することが出来なかった。最近薄くなってきた自分の頭や母の父を想い、「なるほどね」と我が意を得たのである。サラブレッドのスタミナの有無が主に母の父から受け継がれるように、信じたくはないが、人間における髪の毛の薄さも母の父から遺伝するようだ。

日本競馬を席巻し、なお今も産駒の直仔を通して圧倒的な影響を及ぼし続けるサンデーサイレンスだが、唯一の弱点は母父に入った時のスタミナのなさという点だろう。サンデーサイレンスは基本的にはスピードと瞬発力を伝える種牡馬である。その裏返しとして、母父に入った時には、ジリジリと走らなければならない、スタミナを問われるレースを苦手とする。父としてはダンスインザダークやディープインパクトなど、菊花賞や天皇賞春を制した産駒をたくさん出したが、それは母父にスタミナを十分に有する種牡馬がかかっていたからである。ちなみに、ダンスインザダークの母父はニジンスキー、ディープインパクトの母父はアルザオである。たとえ現代のスピード化された競馬であっても、3000mを超すレースではスタミナが問われる。スタミナが母の父から受け継がれる以上、長距離レースを予想するにおいてまず見るべきは母の父である。

この観点からも、ライスシャワーの非業の死は非常に惜しまれる。あのときは大好きな馬の1頭がターフの上で突然死んだという感慨しかなかったが、あれからおよそ20年が経ち、今になってもライスシャワーの血が日本の競馬に残っていたらと思う。おそらく父としては成功しなかったかもしれないが、母の父として、そうメジロマックイーンがそうであったように、大きな成功を収めたのではないだろうか。リアルシャダイの後継者としても重宝されたはずだ。ライスシャワーのあのスタミナとあの執念を受け継ぐ名馬が誕生したはずである。ライスシャワーが生きていたら、日本の競馬はまた今とは少し違っていたかもしれない。競馬にタラレバは禁物だが、こういったタラレバだけはどうか許してほしい。


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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第10回)

Kettounituite10_3メジロマックイーンのほかに、天皇賞春を2度勝ったライスシャワーという馬がいる。そして、この最高にして最強のステイヤー2頭が、死力を尽くして闘った伝説の天皇賞春がある。1993年の天皇賞春。3連覇のかかるメジロマックイーンは、休み明けの産経大阪杯をレコードで勝利し、1.6倍の圧倒的な1番人気に支持されていた。そんなメジロマックイーンに真っ向から立ちはだかったのがライスシャワーであった。

このレースに臨むライスシャワーの最終追い切りは、今でも鮮明に覚えている。レースでも手綱を取る的場均騎手を背に乗せての調教であった。的場騎手はゴールを過ぎても1発、2発、3発とムチを入れ続けた。見ているこちらが心配してしまうほどのハードな調教であった。これは後から聞いた話だが、的場均騎手にとっても一か八かの賭けだったそうである。ピークかそれとも疲労か。しかし、極限の状態に仕上げなければ、メジロマックイーンを負かすことは出来ないと思っていたからこその賭けであった。

的場均騎手の賭けは、見事に成功を収めた。スタートからピッタリとメジロマックイーンをマークしたライスシャワーは、直線に向くや、あっさりと抜け出し、先頭でゴールした。あのメジロマックイーンでさえ、全く抵抗できない強さを見せ付けての完勝であった。この時のライスシャワーには、馬が唸っているという表現がピッタリ。前の年にミホノブルボンの3冠を阻止したことも重なり、この頃から、「黒い刺客」や「マーク屋」という異名が定着した。

ステイヤーというカテゴリーにおいて、私にとってのステイヤーといえば、ライスシャワーをおいて他にいない。ライスシャワーには、ステイヤーとは如何なるものかということを教えてもらった。「ステイヤーはいきなり休み明けから走らず、叩かれつつ体調が上向いて行き、ピークの調子が長続きする」、「マラソン選手に線の細い選手が多いように、ステイヤーも小柄な馬が多く、極限の状態に絞り込まれてこそ真価を発揮する」、「ステイヤーは決して調教で速い時計を出さない」、「ステイヤーは我慢強い」など。ライスシャワーを語ると、それはすなわちステイヤーを語ることになる。

「もちろん、ステイヤーとしての血も素晴らしいんだけれど、それ以上にあの馬は執念を持っているんですよ。あの馬に対しては、スタッフみんなも執念を持って携わっている。それが馬に伝わっている。周りのスタッフの雰囲気をライスシャワーは感じてくれるだけの馬だった。そういう感性の強い馬だったってことです」

主戦の的場均騎手はライスシャワーをこう評した。ミホノブルボンを倒した菊花賞、メジロマックイーンに土を付けた天皇賞春、それからちょうど2年後の奇跡の復活劇を見ても、ライスシャワーは執念の馬だったことが分かる。周りの人々の気持ちを感じ取り、その期待に応えたいという執念。そういえば、メジロマックイーンは北野豊吉氏の執念によってつくられたステイヤーであった。人間の執念によってつくられたステイヤーは、執念を自ら持ち、執念を産駒に伝える。スタミナがあるからだけではなく、執念もあるからこそ、一流のステイヤーと呼ばれるのだ。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第9回)

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メジロアサマとシェリルとの間に生まれた牡馬はメジロティターンと名付けられた。世間的にはそれほど注目されていなかったが、北野氏のこの馬に賭ける想いは相当なものであった。牧場時代もそれほど目立つ存在ではなく、馬体は細くて頼りなかった。ステイヤーらしく、初勝利を挙げるのに4戦も要してしまった。そこからじわじわと力をつけて、セントライト記念を制するまでに成長し、菊花賞は骨折により無念のリタイアをしたが、古馬になって天皇賞秋(芝3200m)を見事に勝利したのである。メジロアサマから血がつながっただけでも奇跡的であるのに、その仔メジロティターンが親子2代で天皇賞を勝つとは、北野氏以外の人間は夢にも思わなかっただろう。

親子2代で天皇賞を制したということは、その遺伝子には明らかにスタミナが内包されてということであり、しかも母系はフランスの名門という血統を見ると、メジロティターンは超がつくほどの良血と評価されてよいはずであった。メジロアサマからメジロティターンに至るまでの北野氏の苦労がついに実を結んだと思われたが、そう上手くはいかなかった。日本の競馬にスピード化の波がちょうど訪れ始めていた時期である。スタミナに偏重しているメジロティターンの血は、ほんの少し前まであれば尊重されたはずだが、すでに当時は時代遅れになりつつあった。初年度は12頭、翌年が7頭、そして3年目が16頭にしか種付けをすることができず、さすがにこれでは活躍馬を誕生させるのは困難を極めた。

ちょうどそんな折、北野豊吉氏が帰らぬ人となってしまった。「メジロアサマとメジロティターンで続いた天皇賞親子制覇を3代まで続けたい。メジロティターンとメジロ牧場の繁殖牝馬で、ぜひとも成し遂げてほしい」と言葉を残し、あの世に旅立ったのだ。この遺言にメジロ牧場の関係者が奮い立たないわけがない。親子3代天皇賞制覇という偉業を目標に掲げ、配合から育成まで、すべてはメジロティターンの仔に天皇賞春を勝たせることに捧げられた。そこで候補として挙げられたのは、スタミナ血統の繁殖牝馬であった。当時のスピード化の流れを汲めば、ステイヤー血統のメジロティターンにはスピードに溢れる母系を掛けたくなるところだが、そこをあえてスタミナ×スタミナとしたところにメジロ牧場の意地を感じる。

メジロマックイーンの母メジロオーロラは母系が小岩井牝系であり、父はリマンド、母父がヒンドスタン、母母父がボストニアンと古き時代のステイヤー血統で固められている。初年度から菊花賞と有馬記念を制したメジロデュレン(父フィディオン)を出して、繁殖牝馬としての優秀さを示していた。そのメジロオーロラに、満を持してメジロティターンを掛けたのだ。どこまで走ってもバテることを知らない、スタミナの権化のような配合である。天皇賞春を勝つような名馬に大成するか、もしくは一度も先頭ゴールすることなくターフを去ってゆくか、一か八かの配合。当時はメジロ牧場にも挑戦する余裕があったこともそうだが、北野氏のビジョンやスピリットが受け継がれていたからこその選択であった。メジロオーロラにはその後、ノーザンテーストやサンデーサイレンスという超一級の種牡馬が配合されたが、メジロティターンとの間に生まれたメジロマックイーンを超えるような産駒はついに誕生しなかった。

メジロマックイーンが天皇賞春を勝ったとき、武豊騎手が北野豊吉氏の遺影を右手に掲げて口取りに臨んでいたのは、そういう訳があったからである。当時の私は、あの写真の人物が誰かさえ知らなかったし、そういった人間の情熱が馬をつくりあげていることなど想像もつかなかった。唯一分かっていたのは、芦毛の強い馬が突如として現れたということ。そして、今から思えば、オグリキャップから始まり、メジロマックイーンで最高潮に達した芦毛伝説は、芦毛の名馬にたずさわった人々の漂白された想いの現れではないかと。特に、メジロアサマからメジロティターン、そしてメジロマックイーンとつながった芦毛の親子3代からは、あらゆる妥協や打算を打ち捨てたところに残る、北野氏のホースマンとしての純白な信念が浮かび上がってくる。それを人々は執念と呼んだのである。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第8回)

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メジロマックイーンは人間の執念によってつくり上げられた馬である。偶然に誕生したというよりは、かなり必然的に生み出された馬。それは良血という意味ではなく、こんな最強馬をつくりたいという人間の明確な意図を以て誕生したサラブレッドということだ。その人間とは、メジロ牧場の創始者である北野豊吉氏。天皇賞を勝つような馬をつくりたいという彼の情熱が、メジロアサマ→メジロティターンという世代を経て、時を超え、メジロマックイーンとして結実した。

私が競馬を始めて20年以上が経った今でも、最強馬の候補の1頭として、メジロマックイーンの名が頭にすぐに浮かぶ。誰しもがキャリアの初期に巡り合った馬が原体験になる以上、過去の名馬を過大評価してしまうのは仕方ないとして、そういったことを差し引いても、メジロマックイーンという馬は強かった。その強さは天皇賞春というレースを2度制したという事実が雄弁に語っている。今でも天皇賞春は最高峰のレースだと私は信じていて、たとえ時代遅れと言われようと、京都の3200mで行われる天皇賞春を勝つことの出来る馬こそが、その時代における真の名馬に相応しいと思う。スピードは当然として、それを持続させる無尽蔵なスタミナ、道中で騎手の指示に素直に従える賢さ、馬群の中で我慢できる精神的な強さなど、天皇賞春を勝つためにはあらゆる要素が求められるからだ。

メジロマックイーンの祖父になるメジロアサマの父はパーソロン。母スヰートはアメリカの名牝であるラトロワンヌ系。ラトロワンヌの子孫からは数々の名馬が誕生し、特に長距離を得意とするスタミナと持続力に優れた馬が多かった。北野豊吉氏はこのスヰートに惚れ込み、自らも共同で出資して輸入した種牡馬パーソロンが配合されたメジロアサマを迷うことなく購入した。スタミナの血に裏打ちされたメジロアサマは、クラシックこそ出走することなく終わったが、古馬になってから安田記念と天皇賞秋(当時は3200m)を勝利した。7歳までコンスタントに走って48戦17勝(うち重賞6勝)。獲得賞金も1億8736万円と、史上初の2億円に迫った。

現役引退後、当時としては珍しくシンジケートが組まれ、大きな期待をかけられて日高スタリオンステーションで種牡馬の仲間入りを果たしたメジロアサマであったが、数か月の間に28頭に種付けしたものの、なんと1頭も受胎しなかったのだ。インフルエンザの抗生物質の影響ではないかと原因がささやかれ、あっという間に種牡馬失格の烙印を押されてしまうことに。他の牧場からの種付けの申し込みはなくなったが、北野氏はどうしてもあきらめきれなかった。メジロアサマの仔から再び天皇賞馬を誕生させたい、それが北野氏の願いであった。

そこで北野氏は、メジロ牧場にいる繁殖牝馬にメジロアサマを種付けすることにした。いくら自らの牧場とはいえ、「種無しスイカ」と揶揄されていたメジロアサマをすべての繁殖牝馬に配合するなんて、誰が見ても狂気の沙汰としか映らなかったはずである。「あいつは頭がどうかしている」と周りの人々に言われながらも、北野氏は意地と信念を貫き続けた。そんな北野氏の気持ちに応えるかのように、アラブ種と廃馬になることが決まっていた牝馬2頭が、わずかに受胎したのである。その後も、相変わらず受胎率は恐ろしいほどに低いままであったが、1頭、2頭と受胎する馬が出てきたのだ。

これを見た北野氏は最後の賭けに出た。フランスのセリで高額で購入したシェリルという良血の牝馬に、メジロアサマをかけることにしたのだ。シェリルは3歳時にオペラ賞を勝ったように、名門の血を引くだけではなく、競走能力も高く、繁殖牝馬の価値は極めて高い馬であった。どんな種牡馬をつけても成功しそうなシェリルに、あえて受胎率の極めて低いメジロアサマをかけたのだから狂気の沙汰である。しかし、確率に反することを運命やロマンというのだろうか、驚くべきことにシェリルはメジロアサマの仔を宿したのだ。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第7回)

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メジロマックイーンは私に競馬を教えてくれた馬であり、競馬を通して人生を教えてくれた馬でもある。メジロマックイーンをめぐっては個人的に色々な思い出があり、天皇賞秋というレースが行われる季節になると、いつも決まってあいつのことを思い出す。あいつというのはメジロマックイーンのことではもちろんなく、高校の同級生であったAのことだ。彼とはよく一緒に授業をさぼって、公園で弁当を食べたり、ゲームセンターに行ったりした。私はこの頃から競馬が大好きで、馬券を買うことは出来なかったが、週末となると休み時間には友達と予想を披露し合ったりしていた。
Aは競馬にはあまり興味を示さなかったが、なぜかその年の天皇賞秋の前日だけは、私たちの予想を聞いてきたのであった。

「どの馬が来るんだ?」
「武豊の乗るメジロマックイーンからプレクラスニーとカリブソングの2点で間違いないね」と間髪入れずに私は断言した。

メジロマックイーンは天皇賞春を連覇したような名ステイヤーだが、ごまかしの利かない東京の芝2000mならば、距離が短くて負けるということはないと思っていた。この頃の私は知識や経験がないぶん、迷いもなく、怖いもの知らずであった。Aは「そうか」とだけ答えると、くるりと私たちに背を向け、それ以上は競馬の話には参加しようとはしなかった。
 
第104回天皇賞秋。メジロマックイーンが不良馬場をものともせずに他馬を6馬身以上も千切った、と思われたのも束の間。進路妨害のために、なんと18着に降着となった。競馬ファンのどよめきは鳴り止まず、武豊騎手の蒼白な顔と江田照男騎手の戸惑いを隠せない勝利ジョッキーインタビューが印象的であった。

翌日、全てのスポーツ新聞が一面でこの事件を報じていた。競馬を知って初めて味わう、やりきれなさを引きずって、私は教室のドアを開けた。

彼は私の顔を見るなり、「何だよあれは!」と食って掛かってた。

「競馬にはああいうこともあるんだ」と私が言うと、彼は「ああゆうことってどういうことだよ?納得できねえよ」と突っかかってきたのだが、「ああゆうことっていうのは、ああゆうことだ」としか私は答えることが出来なかった。

あれ以来、彼との会話で競馬の話題が登場することは絶対になかった。Aにとっての競馬とは、あの忌々しい天皇賞秋のことであり、また彼が競馬に賭けた最初で最後のレースになったのだった。

その後、私は大学に進学するという安易な道を選び、Aは四輪のレーサーになるという夢を胸に高校を卒業した。それからも私たちの関係は続き、Aはガソリンスタンドでアルバイトをしながら、お金が貯まるとサーキットに出て練習をするといった月日を繰り返し、一方の私は、競馬漬けの自堕落な生活を送っていた。華やかなキャンバスライフにどうしても馴染めず、自分が何をしたいのかさえ分からなかった私は、ひとつの道を歩み始めているAがとても羨ましかったのを覚えている。

ある夜、Aが突然一人暮らしの私のアパートを訪ねてきた。お互いの近況を報告し合い、くだらない冗談を言い、女の子の話もした。彼は高校の頃から付き合っていた恋人と別れ、ガソリンスタンドで知り合った年上の女性と婚約することを少しばかり誇らしげに語った。

婚約するということが、どういうことなのか、その言葉の意味以上には、さっぱり分からなかった私は、「そうか、おめでとう」とだけ言った。

夜が更けゆき、私は電気を消した。長い沈黙の後、Aは珍しく小さな声を出した

「これから先、オレ、どうなんだろう。」
「お前、F1のレーサーになりたいんじゃないのか?」
と私が問うと、
「そうだ、F1レーサーになる」
と返ってきた。

Aがどういう表情をしているのか分からなかったが、私はいつものAに言うように、
「その世界でトップに立てると思っているのか?もし思っていなければ、やめちまえ」と檄を飛ばした。

一瞬の静寂の後、
「それじゃあ、お前は何になりたいんだ?」
とAは突如、聞き返してきた。私は自分の迷いを悟られないよう、はっきりと言い放った。
「競馬だ、競馬の仕事がしたい。競馬でオレにかなうヤツはいない。」
「オレだってそうだ。絶対に最高のレーサーになってやる!」
とAは応じた。

思い返すたびに顔から火が出るように恥ずかしい不遜な会話だが、あの夜の燃えるような気持ちの昂ぶりだけは今でも忘れられない。自分の未来にどんな地図が見えてくるのかさっぱり分からなかった私たちにとって、何の根拠もない自信だけが支えであった。

私が留学という名目でちょうど日本を離れていた頃、友人づてにAの悪い知らせが届いた。アルバイト中の交通事故だったらしい。日本に向かう飛行機が離陸した時、眼下に異国の競馬場が見えた。競馬場ではレースが行われている。こんな大変な時なのに、もうひとりの自分は、空から見下ろす競馬場の風景にみとれていた。なぜなのか、その時ふと、あの夜の会話が蘇ってきて、Aがこの世を去ったことを確信した。

事故現場でAの婚約者に初めて会った。長い黒髪の似合う大人の女性だった。何と言うべきか分からずにいると、
「Aのぶんまで生きよう」
と優しく微笑みながら言ってくれた。私が励ますべきだったのに、立場が逆転し、しきりに励まされていた。二人で同時に花を供え、ゆっくりと帰途についた。

今から思えば、その出来事は私の青春時代にピリオドを打ったように思う。ちょうど、モラトリアムも終わりかけていたこともあって、私は自分の将来を決めなければならなくなっていた。社会に出て、何者かにならなければならない。リクルートスーツに身を包み、こんな姿を見たらAは何て言うだろうと思いつつ、名前だけは聞いたことのある会社をひたすら訪問した。しかし、何者かになんかなれそうもないことはすぐに分かった。心にもないことを並べ立てることに私は困憊した。私はAの死からひたすら確かな結論を探していたように思う。悠長なことを言っている暇など本当はなかったのだが、それがつかめないと前に進めなかった。

あるとき、自分が探していた答えがふと見つかった。好きなことをやって生きよう。たったそれだけのことだった。それがAの死から受け取った私なりのメッセージであった。

それ以来、私は「好きなことをやって…」とまるで呪文のように呟き続けて生きてきた。言葉に束縛されたこともあれば、解放されたこともある。好きなことをやって生きていくには、まだまだ私には力が足りないが、それでもいつしか絶対にという想いは日に日に募っている。いつになっても先の見えない、地図のはっきりしない人生だが、それが私たちの選んだ、生きるということなのかもしれない。

私は結局、彼にああゆうことを説明することが出来なかった。ああゆうことは競馬のレースだけではなく、人生にも起こるということは少しずつ分かるようになってきたのだが、ああゆうことがどういうことなのかを説明できる自信はない。

もしあの時メジロマックイーンが降着していなければ、Aと競馬はどういう関係になっていたのだろうか。もしああゆうことがなければ、Aと私は今年の天皇賞秋について語り合えていたかもしれないと今でも思う。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第6回)

Kettounituite06

初めてリアルタイムで観戦した日本ダービーはトウカイテイオーのそれであったが、初めてのクラシックレースはといえば、メジロマックイーンの勝った菊花賞。前の週の天皇賞秋がヤエノムテキとメジロアルダンの4枠同士で決まり、ゾロ目の存在をその時に初めて知ったようなズブの素人であったから、菊花賞がクラシック3冠レースの最後の1冠であることや、3000mの長距離戦でスタミナと底力を問われる舞台ということさえも理解していなかった。レースは友達の家のテレビで観た記憶がある。ダービー2着の雪辱を期すメジロライアンと、前哨戦のセントライト記念を勝って勢いに乗るホワイトストーンが人気になっていた。

第4コーナーで黒い帽子の馬が先頭に立ち、そのままゴールまで押し切ってしまった時の、あのなんともいえない感覚は今でも忘れられない。強いというよりも、不気味な感じ。最後の直線に向いて、それまでは存在にさえ気づきもしなかった灰色の塊が、スッと死角から現れたように感じた。メジロライアンの黒子役に徹したように見せかけて、ラストシーンでは主役の座を奪い取ってしまったような、メジロマックイーンと内田浩一騎手の一世一代の名演であった。それ以降は、武豊騎手に乗り替わり、ステイヤーとしての表舞台を歩んだメジロマックイーンであるが、この世に出てきた時の衝撃は相当なものだった。

武豊騎手はこの馬について、「スプリントのG1を勝てそうなくらいスピードがあった」と評する。無尽蔵なスタミナとスプリンター並みのスピードがあったにもかかわらず、「掴みどころがない、強いのか強くないのか分からない馬だった」とも語っている。武豊騎手にとってみれば、オグリキャップやスーパークリークそしてイナリワンという3強世代と比べて、どうしても競走馬としての闘争本能に物足りなさを感じていたようだ。これはメジロマックイーンに良きライバルがいなかったということ以上に、彼の温厚な性格によるところが大きかったのではないだろうか。

現役を引退して種牡馬となっても、メジロマックイーンはマックイーンのままであった。種牡馬になるような馬たちは、先天的にも後天的にも気性のきつい馬が多く、お互いに相容れることは滅多にない中で、メジロマックイーンのような温厚なタイプは稀有な存在であった。あの気性の激しいサンデーサイレンスでさえも、メジロマックイーンにだけは心を許し、彼が近くにいると落ち着きを見せていたそうだ。サンデーサイレンスが亡くなるまで、早来の放牧地で2頭はいつも隣同士であった。この現役当時は物足りないとされた温厚な性格が、のちにブルードメサイヤーとして生きることになるとは、誰もが想像しなかったはずである。

種牡馬としては、クイーンCを勝ったエイダイクインやホクトスルタンぐらいしか活躍馬を出せなかったが、ブルードメサイヤーとしては、特にステイゴールドとの相性の良さを示した。思えば気性の激しい種牡馬との相性の良さは、ホクトスルタン(母父サンデーサイレンス)が走ったことに兆しがあった。激しいサンデーサイレンスと温厚なメジロマックイーンがうまく融合されたのだ。もう少し早くサンデーサイレンス(サンデーサイレンス系)との相性の良さに気づいてあげていたら、メジロマックイーン×母父サンデーサイレンスという血統構成の馬から、父系としてのメジロマックイーンがつながっていた可能性はあったと思う。それでも、母の父として、サンデーサイレンスに最も似ているステイゴールドを受け止めたことで、オルフェーヴルやドリームジャーニー、ゴールドシップという最強馬たちを誕生させたのだから面白い。ステイゴールドが種牡馬として当初はあまり期待されておらず、日高の繁殖牝馬にもチャンスが巡ってきたからこそでもあり、こうして血がつながってゆくのだから、世の中捨てたものではないと思わずにはいられない。

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大金星

Febs2014 by K.Miura
フェブラリーS2014―観戦記―
内田博幸騎手がエーシントップをしごいてハナに立ち、それを外から見る形でコパノリッキーとホッコータルマエが追走した。番手のコパノリッキーの折り合いがピタリとついたこともあり、道中のペースはほとんど上がることなく、前半と後半がいずれも48秒0というフラットなペースとなった。フェブラリーSにしてはスローな流れであり、典型的な前残りの競馬。1分36秒0という遅い勝ち時計を考えても、展開が結果を大きく左右したレースであり、後ろから行ったり、引っ掛かったりして力を出し切れなかった馬も多かった。

そんな中、スタートからゴールまで、自身のスピードを余すところなく発揮し、無駄のないレースをしたコパノリッキーが大金星を挙げた。2分の1の抽選をくぐり抜け、展開をも味方につけて、最後まで脚色が衰えることはなかった。もともとはダートの素質馬であったが、骨折明けの2走を凡走していたことで、完全にノーマークとなっていた。骨折をした馬は、たとえ完治していたとしても、自ら手加減して走ってしまうことがある。精神的なトラウマの克服が復活の鍵となる以上、いつ本気で走るようになるのか、タイミングが読みにくいのだ。コパノリッキーの場合は、それが今回だったということだ。

田辺裕信騎手にとっても初めてのG1レース制覇となった。ここ数年でメキメキと力をつけ、今年に入ってからは完全に才能が開花した感がある。思い切りがよく、馬を動かす力もあり、追っても力強い。かといってパワータイプなわけではなく、馬の背に極力負荷をかけずに回ってくる騎乗フォームは美しい。海外や地方競馬からジョッキーが参戦してくる中、負けじと鎬を削ってきた成果が出始めている。蛯名正義騎手が当面のライバルになるはずで、百戦錬磨のジョッキーたちが集う関東のリーディングを今年はどこまで突っ走れるだろうか。新星の誕生を期待したい。

ホッコータルマエは好スタートを決め、展開に恵まれたにもかかわらず勝ち切れなかった。中央競馬のスピードレースになるとあとワンパンチ足りない。説明が難しいのだが、スピードが足りないのではなく、一瞬のパワーが足りない。ドバイへ向けてひとつ大きな課題であり、肉体のレベルをもう1段階上げなければ通用しないだろう。素質は極めて高く、馬体にも成長の余地は残っている。幸騎手はソツなく乗っていた。スローペースと分かっていても、東京競馬場の長い直線を考えると、あれ以上早くは動けない。

1番人気に推されたベルシャザールは後方から伸びたが、3着を確保するのが精一杯。スタート時点の芝はこの馬にとって有利に働くはずであり、もっと前にポジションするつもりが、思いのほか行き脚がつかなかった。前が意外に止まらないフェブラリーSで、このポジションではさすがに厳しかった。JCダートから間隔が開いたことに加え、ドバイを目標にしている分、仕上げが甘かったことが理由である。さらに言うと、6歳馬になって、幾分か前進気勢が落ちてきたこともあるかもしれない。勝ったのが4歳馬であることと対照的である。

とはいえ、ドバイへ向かうホッコータルマエとベルシャザールの2頭が今回敗れたことについては、それほど悲観することはない。ドバイのことを考えると、むしろ負けて良かったとさえ思える。これまでのドバイ遠征の歴史を見ても、アグネスデジタルやアドマイヤドン、ヴァーミリアンなど、フェブラリーSを勝つために仕上げすぎてしまった馬は、ドバイでピークを過ぎて惨敗を喫してきたからだ。フェブラリーSは前哨戦と考えるぐらいで、馬にとってはちょうど良いのである。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第5回)

Kettounituite05

トウカイナチュラル(トウカイテイオーの母)
 ―トウカイミドリ
  ―トウカイクイン
   ―トップリュウ
    ―ブリューリボン
     ―ヒサトモ(第6回日本ダービー馬)

ヒサトモは日本ダービーを制した初めての牝馬である。下総御料牧場の黄金時代の自家生産馬の1頭であり、父トウルヌソルはイギリスから、母星友はアメリカから下総御料牧場によって輸入された、当時としては超がつく良血であった。ヒサトモは日本ダービーをレコード勝ちし、古馬になっても帝室御賞典を含め6連勝し、立派な競走成績を残して引退した。過去80回行なわれた日本ダービーを制した牝馬は、このヒサトモ(昭和12年)とクリフジ(昭和18年)、そしてウオッカ(平成19年)の3頭だけであるように、たとえ時代が違っても、牝馬が牡馬を従えて日本ダービーを勝利することの難しさが分かる。ヒサトモも、野平祐二氏が最強馬と信じて疑わなかったクリフジやご存知ウオッカと同じ、名牝中の名牝なのである。当然のことながら、繁殖牝馬としての価値も極めて高かったということになる。

ところが、ヒサトモは今では考えられないような不幸な運命を辿ることになった。

第2次世界大戦の敗北によって、農地改革などで下総御料牧場の規模は縮小となり、繁殖牝馬や生産馬などはセリなどで段階的に売られていく中、ヒサトモ自身の受胎も極端に悪く、11年間の種付けでわずか4頭の仔を出したのみであった。その中でも、1頭でも名馬が出ていたら良かったが、ヒサトマンとブリューリボンがそれぞれ5勝したのみで、とてもヒサトモの仔とは思えないレース振りであった。日本ダービー馬とはいえ、厳しい時代背景もあり、ついには繁殖牝馬としては見切りをつけられてしまったのである。馬主であった宮崎信太郎氏は、ヒサトモを連れ戻し、函館近郊にある別荘地で余生を送らせることにした。

そうこうしているうちに、競馬自体は少しずつ復興しつつあった。その中で問題になってきたのは競走馬の不足であった。戦争で多くの馬を失い、生産もほぼ中止されていたため、レースで走る競走馬が足りないという状況が生じていたのだ。そのため繁殖牝馬や農耕馬、馬車馬までが集められ、賭けの対象となってしまうという信じられない競馬が行なわれていたのである。その1頭として、日本ダービーを制したことのある元競走馬であり、かつ繁殖牝馬として見切りをつけられてしまっていたヒサトモが候補に挙がったのは不思議な話ではない。ヒサトモを養うどころか、自宅や別荘を維持することも難しいほど経済的に苦しんでいた宮崎氏は、15歳になる愛馬をついに手放してしまったのだ。

南関東地方競馬の厩舎に運ばれたヒサトモは調教を開始し、戸塚競馬場で11年ぶりのレースを走った。復帰戦こそ5着であったが、2戦目は持ったままの楽勝。さすが日本ダービー馬と誰もが気を良くし、さらに上のレースを目指し、調教における負荷は増していった。11月のある日、強い調教を終えたヒサトモが厩舎に戻る途中、突然崩れるようにして倒れた。心臓麻痺だったという。そして、その亡骸さえも、闇で処分され、行方知らずになってしまったのだ。昔話に聞こえるかもしれないが、たとえばウオッカが同じ運命を辿ったことを想像すると、たとえ戦後の混乱期であったとしても、ヒサトモがいかに悲劇の名牝であるか分かるだろう。

しかし、ヒサトモの血は奇跡的に途絶えなかった。わずか4頭の仔のうちの、最後の1頭の牝馬であったブリューリボンが、繁殖牝馬として11頭の産駒を出し、トップリュウ、トウカイクインとわずかに血がつながったのである。これといった活躍馬が出たわけではなく、むしろ先細りしつつあったにもかかわらず、やはりどこかでヒサトモの復活を願う人々の気持ちが血をつなげたのではないかと想像する。トウカイの冠名の競走馬を走らせる内村正則オーナーもその一人であった。初めて所有した馬がトウカイクインだというから、人と馬の運命は不思議なものだ。内村オーナーはヒサトモの血に注目し、復活させるべく、当時の一流種牡馬であったファバージ、ブレイヴェストローマンをかけていった。トウカイクインとファバージからトウカイミドリが生まれ、そのトウカイミドリとブレイヴェストローマンから産まれたトウカイローマンがオークスを制したのだ。これだけでも十分な復活であるが、ヒサトモの血はこれにとどまらなかった。トウカイミドリの仔トウカイナチュラルに日本最強馬であったシンボリルドルフを配合し、第6回の日本ダービー馬であるヒサトモからなんと6代(54年の歳月)を経て、第58回日本ダービー馬が誕生したのだ。

トウカイテイオーの二面性は、華々しく栄光の道を辿ってきた父系と、絶滅寸前からかろうじて這い上がってきた母系に由来する。トウカイテイオーは貴公子でありお坊ちゃんのようでいて、実はその血脈には恐ろしいほどのルサンチマンと生命力を抱えていた。優しさとプライドだけでは生きていけない世界で、トウカイテイオーの強さの本質はそこにあったのではないだろうか。1年の休み明けで復帰した有馬記念の最後の直線、ビワハヤヒデに並びかけ、馬体を併せてからもう1歩前へグッと出ようとしたあの極限の強さは、トウカイテイオーの内に流れる血を語らずして語れない。サラブレッドの肉体を超越したところに血統があり、競馬がブラッドスポーツであると言われるひとつの所以(ゆえん)はそこにあるのだ。

Photo by 三浦晃一

(第6回へ続く→)

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ファンファーレに合わせた競馬ファンの手拍子が鳴り終わった後、暮れの寒さを切り裂くような音を立てて、ゲートが開いた。真っ先に飛び出したのはトウカイテイオーであった。1年の休み明けの馬とは到底思えないロケットスタート。しかしまだこの時点では、トウカイテイオーの肉体に有馬記念を勝つだけの力が充満していることに、誰も気づいていなかった。

レースは前年のような大逃げの展開ではなく、馬群は固まって6つのコーナーを回り、スムーズに最後の直線の入り口を迎えました。レース巧者のビワハヤヒデがソツなく先頭に立ち、そのまま押し切ろうとした矢先、外からビワハヤヒデを凌ぐ手応えの馬が並びかけてきた。レース中の各馬のポジションや手応えをかなり正確に把握している自信のあった私でも、一瞬、その馬が誰か分からなかった。このお化けが出たような感覚(と私は呼んでいるの)を味わったのは、オグリキャップとトウカイテイオーの有馬記念のみ。

その時、走馬灯のように、あるシーンが私の脳裏に浮んだ。当時、毎日のように通っていたビリヤード場に置いてあったスポーツ新聞のひとつの記事。有馬記念を惨敗して以来、鹿児島県の牧場でただひたすら復帰を目指して調整を進めているトウカイテイオーに関する、ほんの数行と1枚の写真だけの記事を読んだ記憶が蘇ってきた。強い調教が掛けられないため、脚元の不安の少ない砂浜を歩いている姿であった。目の前のレースだけにこだわっていた私にとって、まるで自分とは無関係のこととして読み飛ばしてしまった。まさかその年の有馬記念において、中363日ぶりのレースで、彼が勝利するなんて夢にも思わなかったのだ。

私は不思議な感覚にとらわれた。私が過ごした1年とトウカイテイオーが過ごした1年。私がこうして東京の日常をあわただしく、時には怠惰に過ごしていたその瞬間にも、鹿児島の広大な浜辺でトウカイテイオーは復活に向けて一歩一歩、冷たい海水に浸りながらも柔らかい砂を踏みしめていた。私たちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、ゆったりと確実に流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそこのことを意識できるかどうか。年の瀬ほど時の流れを感じやすい季節はないが、有馬記念が終わり、トウカイテイオーが見事に復活し、そんなことに思いを馳せた。あの時、トウカイテイオーが私にくれた、「生きろ」という優しいメッセージは、今でもいつまでも私の心に残っている。

そして、私はずっと不思議に思っていた。なぜトウカイテイオーはサラブレッドとしての完全性を失いながらもなお諦めることなく、1年という長い歳月を経て、復活を遂げることができたのだろうか。もっと言うと、お坊ちゃまのように見えたトウカイテイオーのどこにあれほどの生命力が宿っていたのか。馬主の意向や陣営(厩舎)サイドの意図が左右したことは確かだが、このままで終わるはずはない、彼ならば復活できるという言葉にできない生命力をトウカイテイオーから感じたからこそ、馬主は黙って見守り、陣営も復帰に向けて弛まぬ努力をすることができたということだろう。そしてある日、私は知ったのだ。このトウカイテイオーの生命力の源を探っていくと母系に行き着くことを。


何度観ても、ビワハヤヒデに追いつき、抜かそうとする瞬間には鳥肌が立ちます。

Photo by 三浦晃一

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第3回)

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トウカイテイオーには青の時代と赤の時代があると書いたが、私たち競馬ファンの記憶に最も残っているのはやはり赤の時代であろう。日本ダービー後、左後脚の骨折が判明し、父子による3冠制覇の夢をあきらめて休養に入り、彼が私たちの前に再び姿を現したのは、およそ1年後の産経大阪杯であった。鞍上の岡部幸雄騎手のムチは最後まで抜かれることなく、トウカイテイオーは圧勝したのであった。滅多に騎乗馬を褒めることのない岡部幸雄騎手の「地の果てまでも走れそう」というコメントには、誰もが驚かされたものだ。

全てが順調に来ているように見えたが、メジロマックイーンとの一騎打ちが期待された天皇賞春で、トウカイテイオーはまさかの5着に惨敗してしまった。今度は右前脚の剥離骨折。今から思えば、このあたりから波乱万丈の競走生活が始まったのであった。トウカイテイオーは、またもや治療のために休養に入ることになった。

休み明けの天皇賞秋では、殺人的なハイペースに巻き込まれて大敗してしまったが、次走のジャパンカップではナチュラリズムを競り落とし、またもや復活を成し遂げた。レース直後の派手なガッツポーズは故障につながるからダメと若手を諭していた岡部幸雄騎手が、歓喜の余り、思わずゴール後にガッツポーズをしてしまったという逸話も生まれた。

ジャパンカップを制したトウカイテイオーは、当然のことながら、暮れの有馬記念でも1番人気に推された。騎乗停止処分を受けていた岡部幸雄騎手に替わり、田原成貴騎手が手綱を取ることに。当時、大学受験を控えていた私は、さすがにあまり大した予想などせず、中野にあるゲームセンターのテレビで観戦していた。レースはあっと驚く結末で、メジロパーマーとレガシーワールドによる世紀の「行った行った」に終わった。最後の直線では、トウカイテイオーのトの字も呼ばれることがなかった。どの馬が勝つのだろう程度の気持ちで観ていた私だから、トウカイテイオーが負けたことにも、それほどショックは感じなかった。

奇跡的に大学に進学することができた私は、冬眠生活から開放されたクマのように遊び回った。お酒が苦手なのでさすがに飲み歩くことはなかったが、毎晩、ビリヤードに明け暮れ、昼夜逆転の生活を送り、大学の授業に行ったとしても競馬に関する本ばかり読んでいた。競馬界ではビワハヤヒデ、ウイニングチケット、ナリタタイシンという3強がクラシックを盛り上げ、のちに壮大なドラマを描くことになるベガやホクトベガも登場した。秋になるとナリタブライアンというビワハヤヒデの弟が、兄にも勝る強さで朝日杯3歳Sを制した。私を含め、トウカイテイオーのことなど、誰もがすっかり忘れてしまっていた。

歳月の流れるのは早いもので、その年もあっという間に有馬記念の季節が到来した。菊花賞でようやく最後の1冠を手に入れた、岡部幸雄騎手鞍上のビワハヤヒデが1番人気。2番人気には、コタシャーンのK・デザーモ騎手のボーンヘッドによる漁夫の利はあったものの、ジャパンカップを制したレガシーワールド、3番人気には、その年の日本ダービー馬であるウイニングチケットが続いた。前年の有馬記念から1年ぶりに出走してきたトウカイテイオーは、それでもというべきか、4番人気に支持された。私は後楽園のウインズで、レガシーワールドの単勝を持って応援していた。大学生活に浮かれ、放蕩の限りを尽くしていた私の目を覚ます事件が起こったのは、このあとすぐのことであった。


内から抜けた風車ムチのナチュラリズムを競り落としたとき、馬券は買っていなかったけど、思わず声が出てしまったなあ。

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第2回)

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オグリキャップが引退した年に競馬を始めた私にとって、初めて観戦した日本ダービーはトウカイテイオーが勝ったダービーであった。最後の直線で、トウカイテイオーが踊るように軽やかに走る姿を観て、ダービーを勝つのは意外と簡単なものだと思った記憶がある。極限とか死力を振り絞ってとか、そういう類の言葉が相応しくない、悠然とした勝ち方であった。今から思うと、あれはトウカイテイオーだったからこそ。ハンサムな顔、おしゃれな前髪、気品のある馬体、歩くだけで人々を魅了する柔軟なテイオーウォーク、地の果てまでも伸びていきそうなフットワークなど、これぞサラブレッドという美しさを携えていた。皇帝と称された父シンボリルドルフから、良いところばかりを受け継いだトウカイテイオーが、貴公子と呼ばれたのも相応しいと思えた。

トウカイテイオーには、ダービーを6戦6勝で勝つまでの青の時代と、それ以降の波乱万丈な赤の時代がある。天真爛漫で無垢な青年時代と、傷つきながらも試練を乗り越えていく成年(盛年)時代。私はどちらの時代も好きなのだが、本当にトウカイテイオーが強かったのは、競走馬として完璧な姿を誇っていたのは、骨折する以前の青の時代ではないだろうか。それは日本ダービーだけではなく、デビュー戦から皐月賞に至るまで、弾むように躍動した肉体を見れば分かる。骨折を経て、大人になって体が硬くなってしまう以前の、若者に特有な肉体の柔らかさに、バネの強靭さが加わった強さ。私が初めて観た日本ダービー時点のトウカイテイオーまでは、おそらく歴代のどの名馬と走っても遜色がない。

そんな青の時代のトウカイテイオーの背中を唯一知るのが、安田隆行元騎手(現調教師)である。安田隆行元騎手にとって、ジョッキーとして初めてG1レースを制したのは、実はトウカイテイオーとのコンビであった。小倉の鬼と呼ばれながらも、中央の陽の当たる舞台にはなかなか縁がなく、トウカイテイオーと巡り合うまではローカルのジョッキーであった。トウカイテイオーと巡り合ったことで日本ダービーを制し、安田隆行の名前は全国区に知れわたることになった。残念ながら、ダービー以降は岡部幸雄元騎手に手が渡ってしまったが、安田隆行元騎手は乗り替わりについて、「やっぱり悔しかった」と語る一方、「普通は乗り替わりがあると、ちくしょう、負けちゃえばいいのにっていう気持ちもどこかに付いてくるものなんですが、あの馬についてはそれはなかった。ずっと勝ち続けて欲しかったですね。それだけ愛せる、素晴らしい馬です」と語った。このエピソードからもトウカイテイオーという馬の完璧性が見て取れる。

この完璧性は明らかに父シンボリルドルフから受け継いだものだ。無敗のダービー馬から無敗のダービー馬が誕生したと騒がれたように、競走馬としては、負けて強くなるタイプではなく、最初から完成されたタイプ。闘争心が旺盛と言おうか、競走意欲が満ちていると言うべきか、レースに行って自分のやるべきことが分かっているという大人びた馬。他の馬とは一線を引き、自分は自分という自己を持っていて、その気高さは時として人間をも下に見てしまうという恐ろしさにつながる。岡部幸雄元騎手がシンボリルドルフに競馬を教えてもらったというのは、レトリックでもなんでもなく、ある種、人間を超越した精神性を持っていたということである。トウカイテイオーは、そういった精神性や気高さを父シンボリルドルフから受け継いでいた。

父からは精神面での影響を受けやすいと私は考える。精神面での影響とは、大人しいとか煩いという気性のことだけではなく、素直であるとか、賢いとか、我慢強いといった表面的なことから、プライドの高さや人間との距離感などを含めた精神性のことである。「お父さんに似ている」と関係者が言うとき、走り方や背中の感触といった肉体的なことだけではなく、精神的に、性格的に種牡馬である父を思い起こさせるという意味合いがあると思う。精神面での影響は、良い方向に出ることもあるし、悪い方向に出ることもあるだろう。トウカイテイオーは、父シンボリルドルフから完璧性や気高さを見事なまでに受け継いだ馬であり、またサラブレッドとしての精神性までもが血を通して遺伝することを教えてくれた初めての馬であった。


最後の直線における、こちらの心も弾むようなフットワークは必見。

Photo by 三浦晃一

(第3回へ続く→)

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集中連載:血統について語るとき、私の語ること(第1回)

Kettounituite01

血統について語るとき、血統は下部構造なのかそれとも上部構造なのか、という問題から入らなければならないだろう。つまり、サラブレッドの本質は血統が規定しているのか、それともそれ以外の要素なのか、もっと分かりやすく言うと、血統が先なのか馬の個体(個性)が先なのかという問題である。鶏が先か卵が先か、どちらが原因でどちらが結果か、血統を先と見る者を私たちは血統論者と呼んだりする。もちろん、どちらが正しいということではなく、どちらのスタンスを取るかで、その人の血統に対する見方が違ってくるということである。

かつて私の敬愛するジョッキーのひとりであるL・デットーリ騎手がこう語っていた。

「馬のタイプや個性は、跨った時の感触や、実戦に行ってからのレースぶりから掴むものです。競馬が終わって、それから血統を聞いて、その血統ならこういう将来もあるかもしれない、と思うことはありますが、順番を間違えてはいけないと思います」

L・デットーリ騎手はワールドスーパージョッキーズシリーズにおいて、抽選で当たった馬について、どんな馬なのか関係者から情報を得る際に、「競馬に乗る前に血統の説明は要らないよ」と言って、戦績やレース振りは聞いても、あえて血統については耳をふさいだという。自分の家の敷地で繁殖牝馬を飼い、自ら配合を考えて馬の生産も手がけているL・デットーリ騎手が血統に興味がないはずがない。彼は馬を見るときの順番を間違えてはいけないと考えているのだ。馬のタイプや個性が先で血統が後ということである。

私も、いち競馬ファンとして、そして馬券を買う者として、血統は後というスタンスを取っている。同じ配合の馬でも、全く違う本質を持った馬が生まれてくるように、血統がその馬の全てを規定しているわけではなく、育成過程や体験、そして周りの環境(人も含む)などによって、その馬の本質さえも変わってゆくことがある。遺伝的な要素はかなり大きな部分を占めることは認めても、私たちは血統からその馬の本質を見極めることは難しいと考える。しかし、馬の個体(個性)があって、その本質を見極めようと血統を辿っていくと、何かが見えることがある。

と同時に、血統を辿っていくと迷宮に入ってしまうことも往々にしてある。私がこれまで血統について語ることをためらってきた理由はそこにある。おそらく血統については語っても語り尽くせないことを知っているからこそ、血統という大海に飛び込むのが怖くて仕方なかったのだ。正直に言って、この先、どういう方向に筆が進んでいくのか私にも分からないが、こうして語り始めた以上は、今私の考える血統について語ってゆきたい。もし道に迷っていたら声を掛けてほしいし、溺れかけていたら助けてもらいたい。それぐらいの奥深さが血統にはある。

いざサラブレッドの血統の世界へ。

(第2回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」最終回

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■大局観を持って見る
競馬という『複雑』なゲームと向き合う上で、最も大切なことがある。それは大局観を持って見るということだ。大局観とはつまり、「全体の流れの中で、各馬の力関係を大枠で把握すること」。もう少し具体的に言うと、以下のような流れに注目するということである。

・競馬界全体の流れ(海外競馬の動向、日本競馬界の潮流やニュース等)
・レースの流れ(レースの傾向や特徴等)
・世代の流れ(世代間の力関係等)
・競馬場の流れ(コースや馬場等の特徴や状態)
・人の流れ(騎手や調教師等の調子やバイオリズム)

レース毎にどの流れに注目すべきか異なるが、これらの流れを常に意識しながら、そのレースにおける全体の設計図を描くということである。全体の設計図を構想せず、1頭1頭の馬の能力や力差等の細かい計算ばかりしてしまうと、肝心の答えはいつになっても見えてこない。

そして、もっと大事なことは、「大局観が論理を超えていくことがある」ということである。私たちが頭で考えるよりも、現実はずっと豊かで複雑だということだろう。将棋や囲碁では「名人に定跡なし」と言うが、つまり名人は一見、論理的には矛盾しているような手(答え)を大局観から発想できるということである。

そうした常識を超えるような手(答え)を勝負どころで思い切って指すためには、勇気と自信が必要である。常識外れの手(答え)というのは、自分でも「どうかな?」と思うような、違和感を伴って見えるもの。そうした手(答え)をあえて指すには、やはり普段からの研究や経験や技術に支えられた自信が必要なのである。

■問い続けること
この連載を通して私が述べたかったことは、競馬という『複雑』なゲームにおいて、私たちの予想する“技術”など取るに足りないものであり、私たち人間は全く無力な存在であるということである。情報を分析するといった科学的な手法によって世界を理解することができると考えることは錯覚であり、世界は理解できないことの方が多いはずである。それを私たち人間の能力の欠如である、と考えることすら傲慢なのではないだろうか。

もし神という存在があるとすれば、それは世界の全てを理解できる者のことであり、それに対して私たち人間は常に「なぜ?」と問い続ける者なのである。しかし、「なぜ?」と問い続け、世界を理解しようと努力することによってこそ、私たちは一歩ずつでも確実に正しい方向に歩んで行くことができるのではないだろうか。21世紀を生きる私たちは、競馬という大海原に浮かぶ小さな舟を、たった今漕ぎ出したばかりなのである。

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集中連載:「複雑系の競馬」第8回

Hukuzatukei09■「ゆらぎ」の意識的導入
次に、②「ゆらぎ」を意識的に導入する、ということは一見「ゆらぎ」を抑えるという提案に矛盾するように思えるが、ここでは意識的にということがミソになる。いくら紛れのないコースを選択し、単勝で賭けることによって「ゆらぎ」を抑えることに成功しても、それで『複雑』な現象を私たちが完全に支配したということにはならない。むしろ、それでもコントロールできない領域のほうが圧倒的に大きいはずである。

『複雑』な世界を完全にコントロールしようというのは、人間の傲慢でしかない。コントロールできない領域に限っては、いっそのこと何も考えずに『複雑』という波に身を任せてしまおうという逆転の発想が、「ゆらぎ」を意識的に導入するということの本質である。「ゆらぎ」を完全に支配しようとするのではなく、必ず生じるものとして意識的に導入することによって逆に利用するのである。

それでは、どのように「ゆらぎ」を意識的に導入し、利用するかというと、「ゆらぎ」があること(予測できないと思われる結果が出ること)をあらかじめ想定(期待)して、予測を立てるのである。具体的に述べると、たとえば紛れの多いコース設定で行われるレースにおいては、あえて人気のない馬(人気薄の馬)を狙って賭けるということである。

ブラックボックスのたとえをもう一度使って説明すると、ブラックボックスにノイズ(「ゆらぎ」)の大きいAが入っていく場合、出てくる時にはBとなって現れる可能性が高いと思われている(思っている)状況でも、あえて可能性が低そうなCという形で現れるという状況を想定(期待)して予測を立てるのである。

ブラックボックスの中で大きな「ゆらぎ」が生じ、紛れが起こることをあらかじめ想定した上で、確率が高そうに見えるBではなく、確率が低そうに見えるCを意識的に選択する。選択したあとは、ブラックボックスの中で「ゆらぎ」が生じ、結果としてCというかたちで現れることを期待して待つ。

たとえば、秋華賞というG1レースを例に取ってみると、このレースは京都の2000m(内回り)という非常に紛れの多いコースで行われる。つまり、ノイズ(「ゆらぎ」)の大きい入力ということになる。それに加えて、未知の要素が多い3歳牝馬戦というレースの性格上、このレースは荒れる(あり得そうもないことが起こる)ことが多いと考えられる。

そういった状況において、あえて人気のない馬に賭けてみるのである。もし甲という馬と乙という馬でどちらを買おうか決めかねている場合に、甲は人気があり、乙は人気がないとすると、あえてそこで乙という馬を選択する。あくまで判断基準は、自分にとってどちらが勝ちそうかではなく、どちらが人気かということである。

なぜなら、人気の有無というのは、その馬が勝つということがあり得そうかどうか(勝つ可能性)を判断している唯一の客観的な基準だからである。そして、賭けるという事の性質上、人気がない方を選択して当たった場合には、より大きな報酬を得ることにもなる。

乙という人気のない馬を意識的に選んで馬券を買ったら、あとはレースの結果を待つのみ。レースで紛れが生じ、人気のある甲が力を出せず、人気のない乙がレースの流れに乗って大駆けをしてしまうことを期待しながら待つのである。

あり得そうもないことが起こる状況(荒れる設定のレース)において、あり得そうな結果(人気のある馬)を選択して賭けるのは効果的ではない。もし人気のある甲が順当に勝ってしまった場合は仕方がないだろう。それはあくまでも結果であって、レースの前における選択が間違っていたということにはならない。

一見極めて受け身の姿勢を取っているようであるが、『複雑』な現象の中で「ゆらぎ」があることを想定し、利用しようとしている限りにおいては、極めて積極的な姿勢であると考えることができる。

(次回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第7回

Hukuzatukei08

■「ゆらぎ」を抑える
しかし、ブラックボックスの中で起こっている出来事を知ることは出来ないが、出口と入口が分かっている以上、私たちは出力と入力のコントロールによって、「ゆらぎ」をある程度は抑えることができるのではないだろうか。

たとえば、スピーカーから出てくる音をイメージしてみてほしい。デッキのつまみをひねって音量を目一杯に上げる(出力を大きくする)と、普通の音量では聞こえなかったザーという音のノイズが聞こえるはずである。ここでいうノイズとは、『複雑』な現象における「ゆらぎ」である。音量(出力)が大きければ大きいほどノイズ(「ゆらぎ」)も大きくなることは想像に難くないだろう。つまり、出力を抑えることによって、「ゆらぎ」も抑えることができるのだ。
 
さらに、今度は音質の悪いテープをデッキに入れ(入力し)再生したとする。そうすると、音質の良いテープを入れた時よりも、同じ音量(出力)でもノイズ(「ゆらぎ」)は大きくなるはずである。ノイズの大きいものを入力すればするほど、出力も大きくなるのは当然だろう。つまり、ノイズ(「ゆらぎ」)の小さいものを入力することによって、出力される「ゆらぎ」をも抑えることができるのである。このことからも、全体としての「ゆらぎ」を最小限に抑えるためには、出力をできる限り絞り、入力時にできる限りノイズ(「ゆらぎ」)の少ないものを入れなければならないことが分かる。

それでは、競馬における出力と入力をどのようにコントロールするのか。これに関しては、これと言った正解があるわけではない。自分の馬券のスタイルに合わせて、それぞれが考えてみてほしい。敢えてヒントを挙げるとすれば、たとえば出力に関しては、単勝の馬券で勝負するということである。単勝はそのレースにおいて勝つ馬さえ分かれば当たりとなる。2着の馬まで当てなければならない連勝式よりも、3着に入る馬まで拾わなければならない3連単や3連複に比べると、単勝の方が出力を絞ることが出来るだろう。

たとえば入力に関しては、紛れの少ないコースで行われるレースに賭けるということである。競馬というブラックボックスにおいて、「ゆらぎ」を生じさせる一因として、コースの設定が挙げられる。紛れ(不確定要素)が生じやすいコースにおいては、当然、結果における「ゆらぎ」も大きくなってしまう。だからこそ、紛れの少ないコースで行われるレースを選んで賭けることによって、入力時におけるノイズ、つまり「ゆらぎ」を少なくすることが出来るだろう。

もちろん、これで完全に『複雑』な現象に対処できるわけではないが、それぞれが自分のスタイルに合った形で「ゆらぎ」を抑えることによって、少しでもコントロールできる領域を広げていくことが出来るのではないだろうか。

(次回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第6回

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■『複雑』な現象における可能性
競馬というゲームが、全くデタラメで予測不可能だということではない。もし神の視点というものがあるとすれば、競馬はこうなると分かっている決定的な状況にて行われている、予測可能なゲームなのであり、一方、神ならぬ人間である私たちの目には、ランダム(確率的)に振る舞っているように見えるだけなのである。

世の中の『複雑』な現象が完全なデタラメならば、そういった状況において未来を予測することは無意味かもしれない。しかし、私たちが相手にすべき『複雑』は、こうなると分かっている決定的な状況において起こっているのである。そして、そこにこそ、私たちにとってのわずかな可能性が残されているのではないだろうか。

たとえ全体から見ればごくごく小さな部分しか理解できないとしても、それらの部分を手がかりとして、全体のおおまかな形状を推測することは可能かもしれない。もちろん、全く方向性の違った全体を推測してしまうこともあるかもしれないが、人間が知り得るわずか一部分から、全体の未来における推測をすることは、全くの無駄ではないだろう。与えられたわずかな手がかりを工夫して用いることによって、全体の形状、方向性に少しでも近づくことが出来るかも知れない。そういう可能性が私たちには残されているのだ。

そこで、私たちに残されたわずかな可能性を求めて、競馬という『複雑』なゲームに対する2つの攻略法を提案したい。

①「ゆらぎ」を抑える
②「ゆらぎ」の意識的な導入

■ブラックボックス
①の「ゆらぎ」を抑える、ということを分かりやすく説明するために、ブラックボックスという概念を用いてみたい。ブラックボックスとは、その中では何が起こっているのか誰にも分からない箱のことである。

たとえばAというものが左から入ったとする。そしてブラックボックスの中を通って右から出てくるときにはBというものなっている。ブラックボックスの中でなんらかの操作が行なわれて(起こって)AからBに変化したのであるが、私たちはその中で行われていることを知ること(見ること)ができない。私たちが知り得るのは、AがBに変化したという事実のみである。

Blackbox

ブラックボックスの中は“カオス”であり、私たちにとっては、AがまるでランダムにBになっているように見えるであろう。しかし、『複雑』な現象における“カオス”は決定的な状況において行われているため、実はこのブラックボックスの中では、確実になんらかの操作が行われていると考えることができる。結果としてはランダムに映るが、実際はなんらかの操作が『複雑』な現象の中では行われているのである。

競馬においては、競馬のレースがブラックボックスである。どれだけ私たちが頭を捻って全ての部分(要素)を予想しても-これをAとする-、一度レースというブラックボックスの中に入ってしまうと、結果はアッと驚くBとなって出てくる。レースというブラックボックスを通ったAは、各部分(要素)間の相互作用によって「ゆらぎ」が生じてしまい、私たちの目にはランダム(でたらめ)な結果Bとしてブラックボックスから出てくるのだ。

(次回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第6回

Hukuzatukei06

■“カオス”の定義
もう一歩踏み込んで、さらに深く『複雑』であることについて理解するために、“カオス”というものの存在について知っておきたい。『複雑』な現象の本質は、“カオス”にあるといっても過言ではないからだ。

一般的に“カオス”とは無秩序のことであり、秩序である“コスモス”と相反するものである。しかし、複雑な現象において問題とする“カオス”は、一般的な意味のカオスと一線を画して考えられるべきである。

1986年にロンドンで開かれた英国王立協会主催のカオスに関する国際会議において、『複雑』な現象における“カオス”とは、「決定的な系において起こる確率論的なふるまい」と定義された。

分かりやすく言い換えるならば、「こうなると決まっている中で起こる予測困難な出来事」ということであろうか。一見、語義矛盾にも思えるこの定義であるが、ここに“カオス”の本質、そして『複雑』であること理解し、解読するための鍵が隠されているのである。

*これ以降は、便宜上、予測困難な出来事が現れることを「ゆらぎが出る」、もしくは「ゆらぐ」と言い換えることにしたい。

■“カオス”の特徴 
「こうなると決まっている中で起こる予測困難な出来事」という“カオス”の特徴を論じる際に、「非線形」という言葉がよく用いられる。「非線形」とは線ではないということであり、簡単に言うと、1次関数ではないということを意味する。つまり、1次関数の式においては、Xの値が増加すると、それに従ってYの値も増加し、線のようなグラフを描くが、「非線形」の式においては必ずしもそうはならない。

ここから数学的な話をするが、数学嫌いな方も少しだけお付き合いいただきたい。なぜなら、“カオス”の特徴を知っていただくことは、『複雑』であるということの意味を真に理解し、最終的には競馬というゲームの本質を掴むことにつながるからである。

ここに1次関数ではない非線形な方程式y=4(1-X)がある。

この方程式のXの値に0から1の間の小数、たとえば0.1を入れてみると、Yは0.36という値になる。その次の手順として、Yの値であった0.36を今度はXの値として再び代入する。そうすると、Yは0.9216という値になる。さらにまた、そのYの値をXに代入する、という作業を繰り返す。そして、20回目の計算では、Xの値は0.82001・・・となる。計20回の計算結果をグラフにすると分かるように、Yの値をXに代入するという作業を繰り返しているだけにもかかわらず、解であるYの値はまるで乱数のような結果になっているのである(下のグラフ①を参照)。

さらにもうひとつの実験として、同じくy=4(1-x)の方程式の最初のXの値として0.101を代入してみることにする。先程代入した0.1よりわずかに0.001だけ大きい値である。あとは前の作業と同じように、答えとして出たYの値をXの値として再び代入していく。20回目のXの値0.93458・・・が出たところで、0.1を最初の値として入れた場合の20回目のXの値0.82001・・・と比較してみると、大きな差が出ていることが分かるだろう(下のグラフを参照)。

Syokiti

これは先のパチンコの例で出てきた、「バタフライ現象」と呼ばれるものである。初期条件のわずかな違いが、全体の結果に大きく影響を及ぼしてしまうため、全体としては無限の広がりを持ってしまう。

これら「非線形」の式の実験結果から、“カオス”というものの特徴を説明すると以下のようになる。
①単純な式に単純な作業を繰り返しても、結果は非常に確率的(ランダム)に見える。
②少しの初期条件の違いが全体の結果に大きな影響を及ぼす。

y=4x(1-x)という式に代入している以上、計算していけば必ず答えは出るはずであり、一見答えに関しても簡単に予測がつきそうに思える。しかし、こうした決定的な状況(式がすでに分かっている)においても、私たちにとっては予測困難に見える結果が出ている(「ゆらぎ」が出ている)のである。また、初期条件のほんのわずかな違いが、全体としてみると大きな違いとして表れている。これが“カオス”の特徴である。

(次回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第5回

Hukuzatukei05

■複雑系における計算不可能性
さらに、『複雑』な現象における特徴として、計算不可能性ということがある。

たとえば、打ち出されたパチンコの玉がどこの穴に入るか予測することは不可能である、という問題である。月食や日食が何年の何月何日何時何分何秒に起こるかを予測できる現代科学をもってすれば、パチンコの玉がどの穴に入るかなど、いとも簡単に割り出すことができるのではないか、と考えるのは当然であるが、実はそうではない。なぜなら、パチンコ台はそれ自体が『複雑』なシステムとして成立しているからである。

パチンコ玉の描く軌跡の『複雑』さは、それが打ち出される時の速さと方向に原因がある。ほんの少しの速さ、方向の違いによって、釘に当たるか当たらないか、玉同士がぶつかるかぶつからないかが変化してしまい、打ち出された玉が穴に入るころまでには、無限の変化が繰り返されることになる。たとえ同じ穴に入った玉でも、そこに至るまでの過程(軌跡)は違うはずで、2度と同じ運動をして穴に入る玉が現れることはないのである。

これが『複雑』な現象において見られる、初期条件(パチンコ玉の打ち出される速さ、方向)のわずかな違いが、その現象プロセスの結果(パチンコ玉がどういう動きをして、どこの穴に落ちるか)に極めて大きな影響を与える、という特徴である。北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークでハリケーンが生じるというたとえから、「バタフライ現象」と呼ばれることもある。

打ち出される時の速さと方向を数値化し、無限に広がっていく玉の動きを、運動方程式を使って計算していくことは、理論としては可能であるが、物理的には不可能である。複雑な対象においては、仮に全体を要素に分解できたとしても、その要素が無限に広がりを持ってしまうため、計算が不可能になってしまうという状況が生じるのである。

■レースは生き物である
初期条件のわずかな違いが結果に大きな影響を与えることや、そのための計算不可能性といった『複雑』な現象の特徴は、競馬という『複雑』なゲームにも当てはめて考えることができる。

たとえば、ある逃げ馬がスタートにおいて出遅れたとする。このことによって、道中のラップは大きく変わってくるであろうし、出遅れた馬はもちろんのこと、代わりに逃げることになってしまった馬なども、当初の予定とは違ったレースを強いられることになる。それにしたがって、各馬のコース取りも変わってくるだろう。仕掛けのポイントも当然変わってくる。

このように考えていくと、わずか1頭の馬のわずかな挙動が、全体のレースそして結果にも影響を大きく及ぼすことになる。たとえ全ての部分(要素)を数値化できたとしても、一旦レースが始まってしまうと各部分(要素)が大きく変化してしまうため、レース全体としての結果は、無限の広がりを持ってしまう。そのため、計算自体が不可能となることは明白なのである。「レースは生き物である」と言われるゆえんはここにあるのだ。

■競馬の複雑性
つまり、以下の2点において、競馬が『複雑』なゲームであることを説明できるのではないだろうか。

①各要素間の<関係>が認識できない以上、全体(レース結果)を正確に予測することはできない
②初期条件のわずかな違いが、全体(レース結果)に大きく影響を及ぼしてしまうため、全体としては無限の広がりを持ってしまう

複雑な現象には様々な面があり、以上の2点だけでは語り尽くすことは到底できないのだが、競馬における『複雑さ』を理解していただけるには充分であると考える。これらのことから、競馬という『複雑』なゲームにおいて、そこで起こるであろう未来を正確に予測することが、ほとんど不可能であるとことが分かる。

(次回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第4回

Hukuzatukei04

■競馬は『複雑』なゲームである
もちろん、競馬は『複雑』なゲームである。競馬における「全体」とはレースの結果であり、「部分」とはそのレースを構成している要素であるコース、血統、展開、騎手などである。諸々の「部分(要素)」(血統、展開、コース、ローテーション、騎手、馬の能力など)が集まって、「全体」(レースの結果)を作り上げている。

そして、競馬が『複雑』なゲームである以上、各部分(血統、展開、コース、ローテーション、騎手、馬の能力など)が積み重なったものがそのまま全体(レース結果)となることはない。なぜなら、各部分(要素)の間に相互作用が生まれるため、全体(結果)は各部分の総和以上のものとして現れてくるからである。

各部分(要素)間の相互作用とは、それぞれの部分(要素)の間に存在する<関係>と考えてもらっても構わない。たとえば、血統と展開という要素の間にも<関係>があり、騎手と馬の調子の間にもまた然り。ひとたびレースが始まれば、血統、展開、コース、ローテーション、騎手、馬の能力、調子など無数の部分(要素)が互いに絡み合い、<関係>し合ってレースは進められていくのである。

競馬は、各部分(要素)の総和に各要素間の<関係>が加わって全体(レース結果)を成している、という典型的な動的なシステムなのである。つまり、各部分(要素)の間に<関係>が存在するがゆえに、競馬は『複雑』なゲームであると言えるのである。

Partsandtotal

■<関係>の認識不可能性
全体が各部分(要素)の総和以上になってしまう競馬というシステムにおいて、いくら各要素だけを深く分析してみたところで、全体(レース結果)を予測することは困難であることは一目瞭然である。競馬における全体(レース結果)を予測するためには、各部分(要素)間の<関係>をも理解しなければならないからだ。

しかし、ここで<関係>の認識不可能性という矛盾が生じてしまう。

なぜ<関係>を認識することが出来ないかというと、<関係>そのものだけを取り出して分析することが出来ないからである。あくまでも、<関係>というものはあるものとあるものの間にのみ存在するものであって、私たちは<関係>そのものを単独で手に取って見ることはできない。

前回のおもちゃの車のたとえで言うと、歯車とバネは部分(要素)であり、その二者のあいだに弾性という<関係>が生まれる。これらの部分(要素)とその間にある<関係>によって、おもちゃの車という全体は構成され、動的なシステムとして成立している。歯車やバネという要素は、おもちゃの車という全体を分解し、取り出すことによって認識することができるが、その二者の間にある弾性という<関係>は、おもちゃの車が全体として機能している(動いている)時には存在するが、一旦全体を部分(要素)に分解(還元)してしまうと、<関係>というものはすでにそこにはなくなってしまうのである。

<関係>は二者(またはそれ以上)の間にあってこそ、初めて存在することが可能なのであり、部分(要素)に分解(還元)してから認識しようとする時には、既にそこから<関係>というものの存在は跡形もなく消え去ってしまうのだ。

これが要素還元主義の示してしまう限界であり、一旦要素(部分)に分解されてしまうと、各要素を繋いでいた<関係>が消滅してしまい、そのことによって全体としての機能(動き)をも失ってしまうのである。

よって、<関係>そのものを、私たちの認識可能なものとして(たとえば数値化するなどして)捉えることは不可能なのである。もちろん競馬という『複雑』なゲームにおいても同様のことが当てはまり、たとえば馬の気性とコース設定、そしてローテーションの間にある<関係>を認識することは不可能ということになる。

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集中連載:「複雑系の競馬」第3回

Hukuzatukei03■『複雑』とは
ところで、『複雑』な現象とは一体どういうことなのだろうか。ここで問題にしている『複雑』とは、単純またはシンプルの反対、つまり無数の要素がごちゃごちゃと絡み合っているという意味ではない。

『複雑』を定義すると、「全体を構成している無数の要素が、各々に相互作用を行っているため、「全体」が「部分(要素)」の総和以上のものになってしまう」ということである。

これだけでは分かりづらいので、ひとつ具体的なたとえを使って説明したい。

皆さんは、子供時代にプラモデルを作ったことがあるだろうか?私は、小学生の時にガンダムのプラモデルが好きで、よく作っていた記憶がある。作るプロセスは、部品を接着するという単純な作業の積み重ねであったが、それでも小学生の私にとっては、設計図どおりに組み立てる作業はかなり複雑なものに思われた。

部品の量が増え、種類も増えると、ますます複雑になってゆく。設計図にしても、部分図のパターンが増えると、全体図は小学生の私を圧倒するほどの大きさになった。たとえ単純な部品の接着の繰り返しであったとしても、部品の量と種類が増加すると複雑度は増大することを、私は学んだ。

しかし、ある日、これとはまた違った種類の複雑さがあることを私は知った。

ある日、ガンダムのプラモデルに飽き始めていた私は、ぜんまい仕掛けの車のおもちゃを修理しようとしたことがあった。それは、ぜんまいのバネを動力にした外車のおもちゃであった。ネジを外して車を分解しようとすると、中には大小さまざまな歯車があり、渦巻き状の金属のバネが納まっている。一見したところ、車の中身もガンダムのプラモデルの部品に似た複雑さのように思えた。しかし、どんなに歯車を組み立て直しても車は一向に動いてはくれなかったのである。おそらくバネが壊れていて、弾性を失っていたのだろう。

おもちゃの車の修理の難しさは、私に本物の複雑さを教えてくれた。

バネという動力を備えたこのシステムは、ガンダムのプラモデルとは異なり、バネの弾性に特徴をもっている。部品の歯車をいくら積み重ねても、そこにバネの弾性が加わらなければ、おもちゃの車の動力は回復しない。弾性は部品の和以上のものであり、それがおもちゃの車を動く『複雑』なシステムに変えていたのである。

ガンダムのプラモデルは1プラス1が2になる静的なシステムであるであるのに対して、おもちゃの車はバネと歯車の間にある弾性というの相互作用のために、1プラス1が2にならない動的なシステムということになる。

静的なシステムにおいては、「全体」がどれだけ複雑に見えたとしても、結局、「全体」は一つ一つの「部分(要素)」の積み重ね(和)によって成り立っている。そのため、「全体」を理解するためには、それを「部分(要素)」に分解した上で分析するという手法が極めて効果的になる。

その一方、動的なシステムにおいては、「全体」は「部分(要素)」の和以上となってしまう。なぜなら、部分と部分の間に相互作用が起こり、「関係」が生まれてしまうからである。おもちゃの車のたとえでいうと、歯車とバネの間に存在する弾性という「関係」である。

このように、各部分(要素)の間に「関係」が存在するために、1プラス1が2にならない、「全体」が「部分(要素)」の総和以上になってしまう動的なシステムこそが、つまり『複雑』であるということなのである。

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(第4回へ続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第2回

Hukuzatukei02

■20世紀における競馬予想理論
競馬の複雑さについて語る前に、まずは20世紀における競馬予想理論を振り返ってみたい。ピッツバーク・フィルのクラス理論からアンドリュー・ベイヤーのスピード指数、そして競馬の神様と呼ばれる大川慶次郎による展開の発見など、どの理論も競馬という「全体」から、血統・タイム・展開・騎手・各馬の能力などの「部分(要素)」を取り出し、それらを深く分析するという手法を取っていることがわかる。

複雑な「全体」を理解するために、それを単純な「部分(要素)」に分解してから考察するという要素還元主義の思考スタイルは、フランス人の哲学者デカルトによって確立され、それ以来、自然科学の発展にも大きな影響を与えてきた。

その結果、科学文明の中で生きている私たちにとって、「どれだけ全体として複雑に入り組んでいるものでも、それを一つ一つの分かりやすく、認識可能な部分に分解してから分析することによって、理解することができる」という発想は極めて一般的なものになった。

そして、この要素還元主義の考え方は、いつしか、私たち人間は全てを知り極めることができるという幻想にすり替わってしまったのだ。競馬でいう必勝法のゴールドラッシュである。こうすれば競馬で必ず絶対に勝つことが出来る、というマッチョな予想理論は、多くの人々を惹きつけたが、それと同時に、多くの人々を誤った方向へと導いてしまったのである。

しかし、この20年~30年来、要素還元主義という考え方は、生命科学、経済学、物理学などあらゆる分野において、明らかに限界を示すことが分かり始めた。

たとえば、木の葉がどこに舞い落ちるのか、パチンコの玉がどこの穴に入るのか、そして1週間後の天気さえも、どれだけ近代科学が発達しようとも、正確には予測することができない。もちろん競馬の世界においても同じで、どれだけのスーパーコンピューターを使っても勝ち馬を正確に当てることはできないのである。

「どれだけ全体として複雑に入り組んでいるものでも、それを一つ一つの分かりやすく、認識可能な部分に分解してから分析することによって、理解することができる」、という要素還元主義の考え方では、このような『複雑』な現象を理解することは出来ないのだ。

(次回に続く→)

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集中連載:「複雑系の競馬」第1回

Hukuzatukei01

■競馬は複雑である
高校時代の友人らと始めたG1レース予想大会が、20年経った今でも続いている。大会とはいっても私と友人2人という極めて小規模なものではあるが、別々の場所に住み、多忙な私たちがたまに会ったりできるのは競馬のおかげだと思っている。大会のルールは実にシンプル。その年に行なわれる22のG1レースの予想を披露し合い、1レース1万円の賭け金として収支を計算し、順位を争うのだ。

お互いに勝ったり負けたりを繰り返しながら楽しくやってきたつもりであったが、つい最近、集計係をしてくれている友人から、過去8年のトータルの結果が発表されて驚愕した。以下、恥ずかしながらも、G1レース予想大会における私と友人2人の収支と回収率を公開したい。こんなことをバカ正直に教えるなんてと思われる方もいるかもしれないが、私がこの先に語る競馬の真実への導入として、自ら腹を割っておく必要があると思ったのだ。ぜひご覧頂きたい。

        私・治郎丸  友人T  友人A
2006年   -183000  +98200  +197200
2007年   -108000  -117000  -40000
2008年   -155000   -77000  -62000
2009年  +61000  -141000  -36000
2010年  -93000   -31600  -110000
2011年   +219000  +221200  -189000
2012年  -96000  -220000  -134800
2013年  -42000  -110000  -5400
収支   -397000   -377200  -380000
回収率      76%        77%      77%

2006年から2013年の上半期まで、全165レースに賭け、3人ともマイナス収支であることは自明の理として、40万円近いマイナスの金額もほとんど同じ。しかも恐ろしいことに、76~77%の回収率もほぼ同じである。そう、25%の控除率を引いた、競馬の期待値(75%)とピッタリ一致するのだ。ある程度は予期していた結果ではあるが、ここまで明確に数字で示されてしまうと、もうグウの音も出ない。

ひとつだけお断りしておくと、私を含め、友人2人とも競馬歴20年以上というベテランである。長ければ良いというものでもないが、それぞれが競馬についてある程度は語れる知識を持ち合わせており、馬券に関しても独自の方法論を用いて予想をしている(はず)。今年になって競馬の存在を知って、オグリキャップとゴールドシップの違いもまだよく分らない初心者とは違う。そんな私たちでさえ、見事に競馬の期待値である75%に回収されてしまっているのだ。

ここでひとつの問いが生じる。「競馬予想に技術はないのか?」という問い。過去のデータやあらゆる経験に基づいた理論を駆使し、これだけ懸命に予想をしても、誰もが回収率75%に収束していってしまう以上、そこには技術やノウハウや知恵といったものが存在しえないのではないだろうか。そう思ってしまうのは当然であり、もはやこれは私たち3人だけの問題ではない。結論を少しだけ述べておくと、競馬予想に技術はあるにはあるが、それが全体の結果に結びつくことは少ない。なぜなら、競馬は複雑であるからだ。

(第2回へ続く→)

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フェブラリーSの前だから、再掲「ダート競馬の楽しみ」最終回

最後に、集中連載「ダート競馬の楽しみ」の締めくくりとして、ダートコースにおける具体的な勝ちポジについて解説していきたい。実際のレースをサンプルに観てみることで、どれだけダート競馬における勝つためのポジション取りが限定されているか分かるだろう。さすがに全てのコースというわけにはいかないので、G1レースが行なわれる東京ダート1600mと阪神ダート1800m(JCダート)の2つに限定してみてみたい。

まずはフェブラリーSが行なわれる東京ダート1600mから。スタート直後に80mほど芝部分を走るが、外枠の方が若干長く芝コースを走ることができる。それを利して外側の馬が内側に圧力をかけながらコーナーに突入するため、内側の馬は窮屈になりやすい。実質的な第1コーナーは3コーナーとなり、スタートから第1コーナーまでの距離は670mと非常に長く、先行馬にとっては息を入れることのできない速いペースになってしまうことが多い。それでも、東京のダート戦は速い時計で決着することが多く、前に行った馬も簡単には止まらない。

Febs

以上のことを踏まえて考えると、馬群の内で揉まれたり、窮屈になってしまう馬ではなく、スタートして外から切れ込む形で先行し、スムーズに最終コーナーまで走ってこられる外の2、3番手が勝つためのポジションということになる。このポジションを走るためには、真ん中よりも外の枠を引いていることが望ましく、それよりも内だと、外から被せられる形で馬群に押し込められてしまうリスクが多分にある。たとえば、2009年のフェブラリーSを勝ったサクセスブロッケンは勝ちポジを走って勝った典型的なケースである。このレースはカネヒキリとカジノドライブ、そしてサクセスブロッケンがほぼ互角の力を有していたが、最後に勝敗を決したのは、どこのポジションを走ったかであった。

次に、JCダートが行なわれる阪神ダート1800mについて。勝ちポジは内の2、3番手となる。力が一枚抜けている馬であれば、包まれる心配がない分、ハナを切るか外の2、3番手でも我慢が利くだろうが、基本的には内の2、3番手が望ましい。そのため、1コーナーまでの主導権争いは厳しく、外からも先手を奪いたい馬が殺到することになり、多頭数になればなるほど内枠の方が勝ちポジを取りやすい。

Jcdirt

たとえば、2008年のJCダートは、カネヒキリが最終的に勝ちポジを走って勝利した。10番枠を引いてしまったカネヒキリは、普通に回ってくるとしたら、勝ちポジを走ることは難しかっただろう。しかし、道中で内の2、3番手にスペースを見つけたルメール騎手が、いつの間にか勝ちポジを走らせることに成功したのである。最後のコーナーでは、外を回る他馬を横目に内々で脚をため、カネヒキリは末脚を爆発させた。外から迫るメイショウトウコンとヴァーミリアンを、ゴール前でなんとか凌ぎ切ったのである。外を回されたメイショウトウコンとヴァーミリアンとは対照的なレース振りであり、ルメール騎手のファインプレーであった。

このように、わずか200mしか違わないダートのレースであっても、競馬場やコースが異なってくるだけで、勝つためのポジションは全く違ってくる。力差のあるメンバーではあまり目に付かないかもしれないが、クラスが上がり、力関係が拮抗してくればくるほど、わずかなポジション取りが勝敗を決するのである。

これまで述べてきたように、ダート競馬に対する適性が各馬に問われるのはもちろんのこと、最後の最後は道中のポジションが明暗を分けてしまうのだ。だからこそ、その馬の脚質や気性が勝ちポジを走るのに適しているかどうか、また騎手は勝ちポジに導いてくれそうなのか、勝ちポジを取りに行ける枠順を引いたのかどうかなど、しっかりと見極めなければならない。それが私にとってのダート競馬の楽しみであり、この連載がダート競馬を楽しむ上での皆さまの一助になることを願ってやまない。

(終わり)

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」最終回

最後に、集中連載「ダート競馬の楽しみ」の締めくくりとして、ダートコースにおける具体的な勝ちポジについて解説していきたい。実際のレースをサンプルに観てみることで、どれだけダート競馬における勝つためのポジション取りが限定されているか分かるだろう。さすがに全てのコースというわけにはいかないので、G1レースが行なわれる東京ダート1600mと阪神ダート1800m(JCダート)の2つに限定してみてみたい。

まずはフェブラリーSが行なわれる東京ダート1600mから。スタート直後に80mほど芝部分を走るが、外枠の方が若干長く芝コースを走ることができる。それを利して外側の馬が内側に圧力をかけながらコーナーに突入するため、内側の馬は窮屈になりやすい。実質的な第1コーナーは3コーナーとなり、スタートから第1コーナーまでの距離は670mと非常に長く、先行馬にとっては息を入れることのできない速いペースになってしまうことが多い。それでも、東京のダート戦は速い時計で決着することが多く、前に行った馬も簡単には止まらない。

Febs

以上のことを踏まえて考えると、馬群の内で揉まれたり、窮屈になってしまう馬ではなく、スタートして外から切れ込む形で先行し、スムーズに最終コーナーまで走ってこられる外の2、3番手が勝つためのポジションということになる。このポジションを走るためには、真ん中よりも外の枠を引いていることが望ましく、それよりも内だと、外から被せられる形で馬群に押し込められてしまうリスクが多分にある。たとえば、2009年のフェブラリーSを勝ったサクセスブロッケンは勝ちポジを走って勝った典型的なケースである。このレースはカネヒキリとカジノドライブ、そしてサクセスブロッケンがほぼ互角の力を有していたが、最後に勝敗を決したのは、どこのポジションを走ったかであった。

次に、JCダートが行なわれる阪神ダート1800mについて。勝ちポジは内の2、3番手となる。力が一枚抜けている馬であれば、包まれる心配がない分、ハナを切るか外の2、3番手でも我慢が利くだろうが、基本的には内の2、3番手が望ましい。そのため、1コーナーまでの主導権争いは厳しく、外からも先手を奪いたい馬が殺到することになり、多頭数になればなるほど内枠の方が勝ちポジを取りやすい。

Jcdirt

たとえば、2008年のJCダートは、カネヒキリが最終的に勝ちポジを走って勝利した。10番枠を引いてしまったカネヒキリは、普通に回ってくるとしたら、勝ちポジを走ることは難しかっただろう。しかし、道中で内の2、3番手にスペースを見つけたルメール騎手が、いつの間にか勝ちポジを走らせることに成功したのである。最後のコーナーでは、外を回る他馬を横目に内々で脚をため、カネヒキリは末脚を爆発させた。外から迫るメイショウトウコンとヴァーミリアンを、ゴール前でなんとか凌ぎ切ったのである。外を回されたメイショウトウコンとヴァーミリアンとは対照的なレース振りであり、ルメール騎手のファインプレーであった。

このように、わずか200mしか違わないダートのレースであっても、競馬場やコースが異なってくるだけで、勝つためのポジションは全く違ってくる。力差のあるメンバーではあまり目に付かないかもしれないが、クラスが上がり、力関係が拮抗してくればくるほど、わずかなポジション取りが勝敗を決するのである。

これまで述べてきたように、ダート競馬に対する適性が各馬に問われるのはもちろんのこと、最後の最後は道中のポジションが明暗を分けてしまうのだ。だからこそ、その馬の脚質や気性が勝ちポジを走るのに適しているかどうか、また騎手は勝ちポジに導いてくれそうなのか、勝ちポジを取りに行ける枠順を引いたのかどうかなど、しっかりと見極めなければならない。それが私にとってのダート競馬の楽しみであり、この連載がダート競馬を楽しむ上での皆さまの一助になることを願ってやまない。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第13回

ダート競馬は、芝のレースに比べて、勝つためのポジション取りが限定される。勝つためのポジションについては、「勝ちポジを探せ!」ライブにて話したので詳細は省くが、つまり、芝のレースよりもダート競馬の方が勝つために走らなければならないポジション(以下、勝ちポジ)が少ないということだ。そのため、ジョッキーたちは勝ちポジを走らせようとしてポジション取りが激化し、当然のことながら、勝つチャンスがある馬も限られてしまう。走る能力の差というよりは、道中をどこのポジションで走られたかによって、勝つチャンスがある馬とない馬に分かれてしまうのだ。

私が勝ちポジという概念を発見したのもダートのレースであった。2008年の平安Sにて、角田晃一騎手が騎乗した6番人気のクワイエットデイが、まるでそこに一本のライン(道)があるかのようにスタートからゴールまでを駆け抜けた姿を見て、競馬には勝つためのポジションがあることを確信したのである。それ以来、京都1800mダート戦において何度も勝ちポジを走って勝つ馬を見続けてきた。人気馬であれ、人気薄の大穴であれ、勝つ馬はほとんどいつもと言ってよいほどに勝つためのポジションを走っているのだ。勝った馬がそのポジションを走っているのではなく、そのポジションを走ったからこそ勝ったのである。

笠松競馬場から中央競馬に移籍した安藤勝己騎手も、中央競馬の特に芝のレースのバリエーションの豊富さについて語っていた。地方競馬の時代は、ほとんどのレースにおいて勝つポジションが同じであり、馬の競争能力の多寡や騎手同士の駆け引きというよりは、どうやってそのポジションを目掛けて馬を走らせるかに集中しなければならなかった(するだけで良かった)。そういう競馬を何十年も続けていると、さすがに飽きてくる。対する中央競馬のレースでは、コース設定や道中の展開が多様であり、レースごとに勝つためのポジションが異なってくる。道中には騎手同士の駆け引きがあり、乗り方次第では騎乗馬の未知の能力を引き出したりすることもできる。安藤勝己騎手にとって中央競馬のレースが新鮮に映ったのもうなずける。

それでは、なぜダート競馬の方が芝のレースよりに勝ちポジが限定されているのだろうか。理由は2つあって、ひとつ目は、ダート競馬が行なわれるコースが小回りかつ幅員(幅)が狭いからである。中央競馬の芝レースのように、コースの幅が広くて、比較的ゆったりとコーナーを回ることができるのであれば、多少外を回してしまったとしてもロスは最小限に抑えることができる。しかし、地方競馬のようにコースの幅が狭くて、カーブのきついコーナーを何度も回るレースでは、ひとつひとつのコーナリングでのロスが馬に掛ける負担は想像以上に大きい。中央競馬のダートコースも芝コースの内側に作られているため、小さく回るという点で状況は同じである。

2つ目は、ダート競馬ではサラブレッドの使える脚に限界があるからだ。ダート競馬で上がり32秒の末脚を使って差し切ったという話など聞いたことがなく、馬場状態によって多少の違いこそあれ、芝のレースほどに鮮やかな脚を使っての逆転劇はない。つまり、最後のコーナーを回って直線に向くときには、ある程度の位置にいないと勝負にならない(勝てない)レースが多いのである。だからこそ、道中をどこのポジションで走るかが極めて重要なのだ。

(最終回へ続く→)

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第12回

ダート競馬ではジョッキーたちの豪快な追い方にも注目してみたい。冒頭に書いたように、かつて平日の南関東の地方競馬場によく足を運んでいたことがある。大井、川崎、船橋、浦和とまるで武者修行をするかのように転戦していたのだ。その頃は、的場文男騎手や石崎隆之騎手といった脂の乗り切ったトップジョッキーたちが鎬を削っていて、この2人を絡めた馬券を買っていればまず外れないという時代であった。

私は競馬場に行くと、競馬新聞を見て、まず初めに「的場文」という名前を見つける。どれだけパドックで入れ込んでいようと、覇気のない返し馬をしようとも、的場文男騎手が乗る馬は買わなければならない。人気馬であればあっさりと勝ち、人気薄であれば2着へと突っ込んでくる。「大井の天皇」と呼ばれているように、特に大井競馬場での的場騎手の豪腕には凄みすら感じさせる。大袈裟かもしれないが、「的場文」という男が乗る馬の馬券だけを買っていれば、まず負けて競馬場を後にすることはなかった。

的場文男騎手は1973年に大井競馬の第5レースでデビューした。大井で初めてのリーディングを獲得したのは、10年後の1983年。2002年には363勝を挙げ、念願の全国リーディングを獲得し、地方競馬の頂点に立った。続く2003年も335勝を挙げ、地方競馬全国リーディングと共に、地方競馬最優秀騎手賞も受賞した。内田博幸騎手に抜かれるまで、なんと20年近くにわたって大井競馬のトップに君臨し続けていたのだ。

そんな状況の中では、のちに日本の競馬における年間最多勝利数記録を打ち立てることになる内田博幸騎手も、ほとんど目立たない存在であった。「石崎さん、的場さん、厳しいところで揉まれたから、今の自分に自信が持てる」と語っているように、内田博幸騎手の勝つことに対する執念は、数々のレースで先輩ジョッキーたちに揉まれたことで叩き込まれたものである。特に、的場文男騎手への尊敬の念は強い。

的場文男騎手といえば、やはりその独特な追い方が印象的である。典型的というか、究極的なダート競馬の騎手の追い方である。体全体を上下に動かしながら、腰を入れて馬を前に押し出すことで、鞍上から馬を叱咤激励する。直線に向いて、脚が止まったと思った馬が、息を吹き返したようにまた伸びるシーンを何度も見せられてきた。たとえバテた馬でも何とかゴールまで持たせてしまうのだ。大袈裟かもしれないが、追い比べになって的場騎手が負けたところを見たことがない。

なぜダート競馬の騎手には、的場騎手のような大きなアクションの追い方が求められるのかというと、小手先では動かないタイプの馬を、深い砂の馬場で動かさなければならないからである。総じてダート馬の方が芝馬よりも馬体が大きく、地方馬にはどちらかというとズブいタイプが多い。素軽さに欠ける馬や能力が足らずに直線に向いたところで簡単にバテてしまう馬を、なんとかして走らせなければならない。馬の持てる能力を完全に出し切るだけでは足りず、120%の力を発揮させなければ勝てない。ごく自然発生的に、ダート競馬の騎手独特の追い方が生まれたのである。

(第13回へ続く→)

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第11回

AEI(アーニングインデックス)を使うと、サイアーランキングでは埋もれてしまっているダート血統の種牡馬を見出すこともできる。サイアーランキングのトップ10から下に目を移してみると、AEI(アーニングインデックス)が飛び抜けて高い数値を出している種牡馬がいる。出走馬(産駒)こそ少ないが、その少ない産駒が確実にダートで走っているということを意味する。

ダートランキング(地方含む) AEI
31、エイシンサンディ 2.04
38、Tapit 21.44
49、フィガロ 2.70
56、エンパイアメーカー 8.37
72、Kingmambo 8.25
73、Bernardini 6.41
81、Fusaichi Pegasus 2.10
100、Giant’s Causeway 2.53

以上の8頭の種牡馬は、2以上の高いAEI(アーニングインデックス)を示している。特にエイシンサンディは、産駒の出走頭数が61頭と多く、データの信憑性も高い。代表産駒としては、初年度産駒のミツアキサイレンス(兵庫チャンピオンシップ、佐賀記念など)、セイクリムズン(根岸S、カペラSなど)がいる。エイシンサンディは、競走馬としては一度もレースに出走することがなかったという変り種であり、オーナーブリーダーであったゆえに種牡馬になれたのだが、こうしてダート競馬で結果を出して、地方競馬のレベルアップに大きく貢献しているのだから血統とは面白い。

これらの隠れたダート血統にほぼ共通するのは、北米血統ということ。もう少し分かりやすく言うと、ノーザンダンサー系とミスタープロスペクター系が揃っているということだ。フィガロ、Giant’s Causewayはノーザンダンサー系、エンパイアメーカー、Kingmambo、Fusaichi Pegasusはミスタープロスペクター系である。Tapitはミスタープロスペクターの3 x 4という血統構成である。

これは10年前から変わらない傾向である。アサティス、ポリティッシュネイビー、アジュディケーティングというノーザンダンサー系、スマコバクリーク、キンググローリアス、ジェイドロバリーというミスタープロスペクター系の種牡馬らが、当時も高いAEI(アーニングインデックス)を示していた。北米血統の日本のダート競馬における強さを物語っているといえるだろう。

もしこれら8頭の種牡馬を父に持つ、隠れたダート血統の産駒たちがダート競馬に出走してきたときには、ぜひ注目してみたい。ランキング上位に来る種牡馬の産駒ではないので、意外や人気の盲点になっていることが多い。また、それまでは芝をずっと走ってきてはいてもが、実はダートの鬼であり、たとえばファリダットやセイクリムズンのように、ダート競馬に転戦した途端に連勝街道を歩み始める可能性を秘めている馬たちでもあるのだ。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第10回

芝とダートでのAEI(アーニングインデックス)を比べると、より詳細にダート血統の種牡馬を理解することができる。

AEI(アーニングインデックス)とは、種牡馬の成績を示すひとつの指標である。獲得賞金の順ではなく、産駒の1頭あたりの獲得賞金の比率を表したものである。ある種牡馬の産駒の1頭あたりの獲得賞金の比率は、以下の式にて求めることができる。

産駒の総獲得賞金        全出走馬獲得賞金
────────   ÷   ──────────
産駒の出走頭数            総出走頭数

1を基準として、1より大きい場合は産駒1頭あたりの獲得賞金が平均より多く、1より小さい場合は産駒1頭あたりの獲得賞金が平均より少ないことを表す。種牡馬の偏差値のようなものと考えてもらえば良いだろう。産駒が少なければどうしても獲得賞金も少なくなるが、その産駒たちが確実に走っていればAEI(アーニングインデックス)は自然と高くなる。極端に高い数値を示すこともあるが、出走頭数の母数が少ないからであって問題はない。

ダート(地方含む) AEI(アーニングインデックス)
1、キングカメハメハ  2.73(芝1.84)
2、ゴールドアリュール 2.17(芝1.02)
3、クロフネ 1.86(芝1.71)
4、シンボリクリスエス 1.62(芝1.06)
5、フジキセキ 1.53(芝1.17)
6、サウスヴィグラス 1.89(芝0.30)
7、ネオユニヴァース 1.40(芝0.76)
8、アグネスデジタル 1.71(芝0.63)
9、ブライアンズタイム 2.31(芝0.77)
10、スペシャルウィーク 2.19(芝0.75)

当たり前ではあるが、ダートのサイアーランキングのトップ10に入るような種牡馬は、芝よりもダートでAEI(アーニングインデックス)の数値が上がっている。特にゴールドアリュールやサウスヴィグラス、アグネスデジタル、ブライアンズタイム、スペシャルウィークの5頭は、1以上数値を上げている。サイアーランキングだけでは分からなかったが、スペシャルウィークがこれほどダートに偏った血統であり、クロフネはダート血統のように見えて意外やそれほどでもない。

スペシャルウィークの産駒に関しては、大きく産まれる馬が多いことがひとつの理由として考えられる。馬体重が重く、芝で使うと脚元に負担が掛かるため、あえてダートを使っている馬が多いのではないだろうか。血統的にはダート向きとは思えないが、そういった意味ではダートで本領を発揮している以上、スペシャルウィークもダート血統の種牡馬と考えることができる。逆に、クロフネはダートで強いイメージが先行しているが、芝でも同様に高いAEI(アーニングインデックス)の数値を示しており、芝で使って来た時こそが狙い目の種牡馬ではないだろうか。

また、ブライアンズタイムのように、かつては芝でもG1ホースを出したことのある種牡馬であっても、年齢を重ねることによって、産駒がダート向きに変わってゆく傾向がある。潜在的にそういう傾向があったことは間違いないのだが、それ以上に、種牡馬としてのピークを過ぎてしまったことで、産駒にスピードや瞬発力を伝えられなくなってきていることが大きい。同じ種牡馬でも、年齢によって産駒の傾向が変わってくることがあることも覚えておきたい。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第9回

「ダート血統」という言葉がある。ダート競馬に向いた血統ということだが、もう少し分かりやすく言うと、芝よりもダートの競馬でこそ走る血統ということである。前述したとおり、中央競馬におけるレース体系は、芝のレースが中心に構成されている以上、ダート血統はどうしても副次的な意味合いが強い。最初からダート競馬で活躍できる血統を狙っていたわけではなく、いざ産駒が走ってみたら、芝よりもダート競馬で強さを発揮する馬が多かったということである。

産駒からダートに無類の強さを誇る馬が出てくると、生産者も馬主も調教師もダートで強い種牡馬(血統)であることを意識するようになり、ダート色の強い繁殖が集まるばかりか、産駒の行き先が中央だけではなく地方競馬にも生まれ、ダート戦に使われる回数がますます多くなる。そこでさらにダート競馬での実績を積み上げることで、良くも悪くも、ダート血統としての評価が定着していくのだ。

そうしてダート血統としての評価が定まった種牡馬の産駒を見てみると、やはりというか、「走法」や「体型」から「気性」に至るまで、ダート馬の特徴をはっきりと認めることができる。前肢を上に持ち上げて、叩きつける、いわゆる前肢のかき込みが強い「走法」であり、前躯(胸前から脇まで)の筋肉が発達している「体型」であり、砂を被ってもひるまない、向こうっ気が強い「気性」である。全てを兼ね備えている場合もあるし、どれか一つだけでも卓越している場合もある。

それでは、「ダート血統」について具体的に論じていきたい。どの種牡馬が「ダート血統」の種牡馬かを見分けるには、芝とダートでの産駒の成績を比較してみるとよい。「ダート血統」が芝よりもダートの競馬でこそ走る血統ということであれば、芝よりもダートでの成績が良い馬が「ダート血統」の種牡馬である。比べ方は様々あるのでどれが正しいとは決め付けられないが、最も簡単な方法は、芝とダートにおけるリーディングの順位を比べること。もう少し詳細に見ていく方法なら、芝とダートでのAEI(アーニングインデックス)を比べることである。

まず、2012年7月8日時点での中央競馬における芝とダート別のサイアーランキング(10位まで)を見てみると、以下のとおり(詳しくはJBISサーチを参照)。


1、ディープインパクト
2、キングカメハメハ
3、ステイゴールド
4、ダイワメジャー
5、ハーツクライ
6、シンボリクリスエス
7、マンハッタンカフェ
8、クロフネ
9、フジキセキ
10、サクラバクシンオー

ダート(地方含む)
1、キングカメハメハ
2、ゴールドアリュール
3、クロフネ
4、シンボリクリスエス
5、フジキセキ
6、サウスヴィグラス
7、ネオユニヴァース
8、アグネスデジタル
9、ブライアンズタイム
10、スペシャルウィーク

パッと見て、芝とダートのサイアーランキングに大きな違いがある。まずダートにおいてはディープインパクトの姿がどこにも見当たらない。それに対して、キングカメハメハは実は芝(2位)だけではなくダート(1位)でも走る血統であることが分かる。そして、ゴールドアリュールは芝の26位に対してダートはいきなり2位に浮上するように、明らかにダートでこその種牡馬である。クロフネは芝(8位)→ダート(3位)とまるで現役時代の走りをなぞるかのように、芝でも十分に走るがダートでは滅法強い。現役時代のことを考えると、シンボリクリスエスやフジキセキがダートで順位を上げているのは不思議であるが、これは血統のなせる業なのだろう。

サイアーラインキングの順位から、これぞ「ダート血統」という1頭を挙げるとすれば、サウスヴィグラスを置いて他にはいない。芝が74位に対して、ダートが6位と、なんと68頭もぶっこ抜いてトップ10にランクインしている。出走頭数の違いはあるにせよ、ダートで129勝を挙げているのに対して、芝ではわずかに1勝のみ。もし競馬の世界が芝だけのレースであったとしたら、サウスヴィグラスの血は永遠に淘汰されてしまっていたことだろう。ネオユニヴァース(芝14位→ダート7位)やスペシャルウィーク(芝19位→ダート10位)は意外とダートに強い血統であることが分かるし、アグネスデジタル(芝38位→ダート8位)やブライアンズタイム(芝34位→ダート9位)はダートでこそ狙い目である。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第8回

ダート馬の競走生活は長い。その長さは、芝で走るよりもダートの方が肉体的な(特に脚元に対する)負担が少ないことに理由がある。硬い馬場で激しいスピードレースを強いられる芝コースの競馬では、馬の走る能力が高ければ高いほど、どうしても故障の危険にさらされてしまう。実際に脚元を傷めてターフを去る馬もいるし、故障のリスクを考えて少しでも早く引退してしまう馬もいる。ダート馬はいくら強くてもなかなか種牡馬になれないという実状も加わって、ダート馬の競走生活は自然と長いものになってゆく。

もうひとつ、ダート馬の競走生活が長いことの理由としては、前述したように、ダート競馬では経験が問われる割合が大きいということが考えられる。ダート競馬に適応するために経験が必要ということは、強くなるためにはさらなる経験が必要ということになる。芝からダートに路線変更をして、いきなり結果を出し、頂点まで登り詰めてしまうアグネスデジタルのような馬は稀であり、ほとんどは下級条件からレースを重ね、あらゆるレースを経験して、ダート競馬における走りを習得してゆく。だからこそ、芝の競馬に比べて、ダート競馬では年齢を重ねた馬が活躍するケースが非常に多い。スピードやスタミナだけではなく、レース経験がモノを言うのがダート競馬なのだ。

ミスタートウジンというダート馬がいた。父ジュニアス、母父ジルドレ、半兄に鳴尾記念やダイヤモンドステークスを勝ったミスターシクレノン。私が競馬を始める少し前から走り始め、それ以降の10年間、結局、15歳になるまで走りつづけた。99戦11勝。惜しくも100戦には届かなかったが、当時オープンであった平安SやガーネットSをなんと8歳にして勝利した。驚くべきは、9歳になったときの帝王賞で、15番人気ながらも2着に突っこんだ。私の周りのミスタートウジンファンが狂喜乱舞したのを今でも覚えている。非常にタフで競走意欲が旺盛、年齢を重ねるにつれ、ますます強くなっていった名馬であった。

競走生活が長いということは、それだけ競馬ファンにとっても愛着が深いということだ。私は熱狂的なミスタートウジンファンではなかったが、レースに出走してくると、その一挙手一投足に注目せざるを得なかった。強くなっていったところも、全盛期の走りも、そして衰えていく姿も、全て見ることができたという感触がある。彗星の如くターフに現れて、華々しい活躍をして、すぐに引退してしまう名馬もいるが、本当の意味で競馬ファンの記憶に残るかどうかは疑わしい。私たちは同時代にその走りを共有したという体験を通して、まるで自分が走ったかのようにその馬のことを身体で覚えているものだ。競馬ファンと共に走り続け、いつまでも記憶に留まる個性的なダート馬の出現を、これからも願ってやまない。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第7回

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日本の競馬やサラブレッドの生産が日本ダービーを最大目標として行なわれることが多い以上、最初からダートで走ることを目的として生産され、調教される馬は少ない。だからこそ、芝ではなくダートを使い始めるときには、少なからず理由がある。前述したマヤノトップガンのように脚元に不安があったり、またはホクトベガのように芝では勝ち切れなくなってしまった馬がダートに下ろされることが多いのだ。そこで初めてダート競馬に対する適性が見出されるというケースもある。

このように使い出しの理由は様々ではあるが、ダートで走るようになる馬にはある共通点がある。それは馬がダート向きの身体になってゆくということだ。ダートを使うにつれ、前肢の付け根や脇の部分に筋肉がついてきて、首差しや肩先に重厚感が出てくる。そして、前駆だけではなく、トモにも筋肉がついて、芝を走っていた頃とはまるで別馬のような馬体になるのだ。

身体だけではなく、レースの流れにも対応できるようになる。芝のレースは、スタートしてから道中はできるだけ脚をためて(ゆっくり行って)、最後の勝負所で爆発させる(スピードを一気に上げる)というレースになることがほとんどである。緩急のあるレースということだ。それに対し、ダートの競馬はスタートからガンガン飛ばしていって、道中でペースが極端に緩むこともなく、最後はどれだけ踏ん張れるかというレースになりやすい。そういう流れの変化の中で、どう走るのが良いのか馬が覚えてくるということである。

変化に対応するという点において、最たるものはコーナリングであろう。芝とダートでは、脚の引っ掛かり方が全く違う。ダートは小回りで、かつ砂が流れるため、馬の脚も外に流れてしまうのだ。コーナーを回ろうとして脚を踏ん張るとき、砂と一緒にどうしても脚も外に流れてしまう。これは芝では絶対にないことであり(芝が剥がれでもしない限り)、脚が外に流れるような馬場でもスピードを落とさずに回ってくるためには、馬にある程度の実戦での経験が必要とされるのだ。

だからこそ、どれだけ走る能力の高い馬であっても、初めてのダート戦は割り引いて考えるべきである。このことを痛感させられたのは、2010年のフェブラリーSである。このレースには、ダービー2着馬のリーチザクラウンや高松宮記念とスプリンターズSという両スプリントG1を制したローレルゲレイロ、スワンSや毎日王冠を勝ち、マイルCSで2着した実績のあるスーパーホーネット、そして、前走の東京新聞杯を快勝してきたレッドスパーダと、芝コースで実績のある馬たちが勢揃いした。どの馬もダートでの経験は全くなかったが、未知の魅力があることも手伝い、レッドスパーダは3番人気、リーチザクラウンは4番人気に推されたのだ。

しかし、勝ったのは前年のJCダート馬であるエスポワールシチーであり、以下、テスタマッタ、サクセスブロッケン、ケイアイテンジン、グロリアスノアと、歴戦のダート馬たちが掲示板を独占した。芝コース実績組の中で最も先着を果たしたのはローレルゲレイロの7着で、リーチザクラウンは10着、レッドスパーダは12着、スーパーホーネットは15着と大敗を喫してしまった。レッドスパーダの走破タイムは1分38秒4であり、前走の東京新聞杯を1分32秒1で走った馬とは思えない負け方であった。芝とダートは全く別ものであり、レースの流れからコーナリングの方法に至るまで、ダートに適応するためには経験が必要であることを改めて知らさせられたレースであった。

Photo by H.Sugawara

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第6回

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ダート馬と芝馬の特徴には大きな違いがあるが、ダート馬の特徴を持っているからダートのレースへ、芝馬だから芝のレースへという単純なことではない。特に、ダートのレースに出走する馬には、その時々の事情があることが多い。たとえば、本当は芝でこその馬なのだが、脚元に不安があったり、体が出来上がっていなかったりして、当面はダートを使うという馬もいるということである。

マヤノトップガンは新馬戦から7戦目までをダートのレースに出走した。のちに菊花賞を制し、天皇賞馬に登り詰めた馬が、ダートの1200m戦を6回も走ったのである。なぜそこまでマヤノトップガンがダートにこだわったのかというと、ダートに向いていると思われていたからではなく、脚部にソエの症状が見られていたからである。陣営が大事をとってダートのレースを走らせていたわけだが、やはり勝ち上がるのに4戦を要してしまった。しかし、もしあの時点で芝を使っていたとしたら、マヤノトップガンの力を発揮できるようになる前に怪我をしたり、もしかするとターフを去らなくてはならないようなアクシデントに見舞われていたかもしれない。結局、ダートでは7戦して2勝しかできなかったが、その後の芝での活躍の礎となった時期であることは間違いない。

マヤノトップガンように、たとえダート戦を走っていてもダート馬ではない馬もいることに注意したい。こういった馬は、脚元が固まったり、もしくは体が出来上がったりして、芝のレースに出走してきたときこそが狙い目である。ダート馬だと思いきや、芝のレースに路線変更した途端、まるで別馬のように走り出す馬もいる。そういった馬を見出すためにも、「走法」と「体型」、「気性」というダート馬と芝馬の特徴の違いを知っておくべきなのである。

反対に、今は芝を走っているけれど実はダート馬ということもある。よほどのダート血統でなければ、馬主も調教師もまずは芝のレースを使ってみようと考えるため、このようなケースが起こりえる。たとえばアンタレスSを連覇したゴルトブリッツは、デビューから7戦は全て芝のレースに出走した。結果、1勝もすることができずに地方競馬に移籍となり、そこで2戦2勝するや(しかも圧勝)、ダートでの素質が見出され、中央競馬へと再入厩となった。厩舎が変わったたこともゴルトブリッツの成功の要因のひとつであることは確かだが、何よりもダートがこの馬には合っていたということである。血統的に見ると、父スペシャルウィークかつディープインパクトの近親でもあり、芝でこそと考えるのは自然であろう。それでも走ってみると実はダートの鬼であった。ゴルトブリッツの場合は、偶然にも地方競馬で走ったことが幸運を呼んだのだろうが、芝のスピードについて行けない、もしくはラストの切れ味に欠けるからダートを使うという理由でダートを走ってみたら、実は大化けしたという例は枚挙に暇がない。

この馬は今ダートを走っているけど実は芝の方が向いている、または今は芝を走っているけどダートで走ったら相当に強いだろうな等、想像を膨らませながらレースを観るのも競馬の楽しみのひとつである。

(第7回へ続く→)

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第5回

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最後に、ダート馬と芝馬の3つ目の違いは「気性」である。どういう気性の馬がダート競馬に向いているのかというと、砂を被ってもひるまない、向こうっ気が強い馬である。芝のレースであれば、たまに前の馬によって掘られた芝と土がまとまって飛んでくる程度だが、ダートのレースになるとそうはいかない。蹴り上げられた砂が常に前から飛んでくる状態である。実はかなり痛く、それに耐えなければならないのだ。砂を被るのを嫌がったり、首を上げて避けようとする素振りをするような馬では到底勝ち目はない。

元々、砂が顔に当たってもビクともしない気性の馬もいるし、また初戦は戸惑ったり嫌がったりしたとしても、2戦目からは慣れてきて、我慢が利くようになる馬もいる。そういった意味では、ダート競馬を走った経験は重要であることが分かる。たとえダート競馬向きの体型や走り方をする馬であっても、初戦は砂を被ることを嫌がって、思わぬ大敗を喫してしまうことだってある。またこれは珍しいケースであると思うが、砂を被った方がやる気が出るという馬もいるという。普段はぼんやりした馬がダート競馬に行って砂を被った途端に、闘争心に火がついて走るようになるのだ。

「走法」と「体型」、「気性」がダート馬と芝馬を大きく分けていることが分かった。それでは、芝を走った名馬の中でも、もしダートを走ったら強かったという馬はいるだろうか。真っ先に思い浮かぶのは、やはりグラスワンダーだろう。朝日杯3歳Sをレコードで制し、有馬記念を連覇、さらに宝塚記念を勝ち、ワンダーホースと言われた名馬である。典型的な前肢を上に持ち上げて、叩きつけるような走法であり、前肢のかき込みが異常に強かった。アメリカ産馬らしく、体型的にもコロンとして映るほどに筋骨隆々で、パワーに溢れていた。気性的に砂を被ったらどうかだけは分からないが、闘争心の塊のような馬だったので、それぐらいで滅入ってしまうことはなかったはずである。

個人的には、スペシャルウィークがあっさりとねじ伏せられた宝塚記念が記憶に鮮明に残っている。グラスワンダーが前走の安田記念でエアジハードにまさかのハナ差負けを喫していたのに対し、スペシャルウィークは古馬になって本格化し、前走の天皇賞春を完勝して臨んできた。勢いのあるスペシャルウィークが1番人気に推されたのは当然のことだった。しかし、グラスワンダーは終始絶好の手応えで道中を走った。グラスワンダーの肉体から的場均騎手の手綱に伝わってくる力強い感触が、観ている私にも伝わってくるようであった。勝負所でグラスワンダーが仕掛けると、スペシャルウィークはスッと離されてしまい、もうついて行くだけで精一杯となった。最後の直線では、的場均騎手の肩ムチが一発飛んだだけで、あっという間に後続を3馬身突き放してフィニッシュした。

今から思えば、グラスワンダーは力の要る重い馬場に滅法強かったのである。レコードが出るような絶好の良馬場よりも、他馬が苦にするような荒れ馬場でこそ本領を発揮したのだ。シーズンオフに最も近い有馬記念や宝塚記念が行なわれるころの中山や阪神の馬場は、季節的なことや開幕最終週ということもあって馬場が傷んでいることが多いのだ。ダート馬の特性からはほど遠いスペシャルウィークを、ダート馬の要素に富んでいるグラスワンダーが2度もグランプリレースで負かしたのは決して偶然ではない。そう考えると、グランプリホースと呼ばれるような馬は、ダート競馬でも活躍できる特性を持ち合わせていると言ってもよいのではないだろうか。

(第6回へ続く→)

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第4回

ダート馬と芝馬では体型が違う。骨格から筋肉の付き方に至るまで、砂の上を走るのに適した馬体と、ターフの上を走るのに適したそれとは異なるのだ。ダート馬は前肢のかき込みが強くなければならない以上、前躯(胸前から脇まで)の筋肉が発達していることが求められる。ダートでは芝に比べてパワーが問われるため、馬格があって(馬体が大きくて)、マッチョな馬が向いていることは確かなのだが、特に前躯の筋力の強さが重要なのである。

私の知る限りにおいて、最も前躯の力が強そうだと感じたのはアブクマポーロという馬であった。東京大賞典や川崎記念、帝王賞などの地方のダートG1をほとんど総なめにして、中央にも殴りこみをかけたダートの鬼である。特に7歳になってからは凄みを増して、向かうところ敵なしの6連勝で圧倒的なパワーを見せ付けた。海外遠征も視野に入ってきた8歳の川崎記念の返し馬が圧巻であった。私は現地(川崎競馬場)でアブクマポーロの肉体を目のあたりにしたのだが、恐ろしさすら感じさせる馬体であった。もしダンベルを持ち上げさせたら、どれだけ重くとも持ち上げてしまいそうだなと思ったものだ。そして、実際のレースにおいて、最後の直線に向いて、並ぶまもなく他馬を抜き去る様は、まさにパワーの違いを見せ付けたという表現がぴったりとくるだろう。あのときの衝撃は今でも忘れられない。

アブクマポーロのような、いかにも筋骨隆々な馬体であれば分かりやすいが、筋肉の強さは見た目だけでは分からないこともある。たとえば、サンデーサイレンス直仔の中でも、ゴールドアリュールは自身もダートを得意とし、さらに産駒からもスマートファルコンやエスポワールシチー、シルクフォーチュンなどのダートの鬼を出している。彼らに特徴的なのは、決していかにもダート馬というマッチョな馬体ではないということだ。ゴールドアリュール自身もそうであった。パッと見ると、芝でも走られるのではないかと思わせるほど、スマートな馬体である。それでも彼らはダートでこそ恐ろしいほどの強さを発揮する。

それは前躯の筋肉が異常に強いからである。見た目以上に、筋肉の質が良く、パワーがあるのである。人間でいうところの上半身の筋肉が以上に発達しているということだ。格闘技をやっている人ならなんとなく分かるはずだが、外見からは分からなくても、組んでみると恐ろしく筋力が強いという人がいる。ゴールドアリュールはまさにそのタイプであり、上半身の強さ、つまり前躯の筋肉の質や発達の良さが産駒にも直接に遺伝しているのだろう。見た目だけでは分からない筋肉の強さがあるのである。

対して、筋肉の柔軟性という点においては、芝を走る馬は筋肉が柔軟であることが求められるが、ダートでは芝ほどに柔軟でなくともよい。まれに筋肉の柔軟性と強さを併せ持っている馬もいるが、ほとんどの馬たちはどちらかに偏っている(もしくはどちらもない)ことが多い。ダートを走る馬は筋肉の柔軟性よりも、筋肉の強さが求められるのである。

それ以外の馬体的な特徴を挙げてゆくと、ダート馬の蹄は小さく、立っているほうが良いという説がある。なぜかというと、ダートコースでは着地するときに馬の脚が砂の中に沈むので、脚を抜くときに蹄が小さく立っているほうが砂から受ける抵抗が少ないというわけだ。いかにもと思わせられるのだが、実際には蹄が大きくてもダートで走っている馬はたくさんいる。同じことが、ダート馬は繋ぎが短い方が良いとされている説にも当てはまる。それほど大きな影響があるとは思えず、ダートを走るための絶対条件ではない。


最後の直線におけるパワーの違いを見よ!


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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第3回

ダートで強い馬は芝でも走るとは言っても、カリブソングのような馬はごく稀であることを知ったのは、のちのことである。それはダート馬が芝で走っている馬より弱いということではなく、ダートと芝のレースはやはり全く別のものだからである。たとえが正しいかどうか分からないが、テニスでいうと軟式と硬式ぐらい、格闘技でいうと立ち技系と寝技系ぐらい別ものなのである。どちらのジャンルもこなしてしまうプレイヤーが出現することも稀にあるが、あくまでも例外的な存在でしかないだろう。ほとんどの馬にとっては、ダートか芝か、どちらかに適性が寄っているはずである。

それでは、ダート馬と芝馬を分けるものは何であろうか。なぜダートを走る馬は芝も走ると言い切れないのか(またその逆も然り)。同じサラブレッドであるのに、どこが違うのか。ダート馬の特徴を見ながら、まずはそこから考えていきたい。

ひとつ目の違いは走法である。ダート馬と芝馬では走り方が違う。なぜかというと、当然のことながら、馬場が全く違うからである。現在、ダートコースには路盤の上に約9cmの厚さの砂が敷かれている。馬が砂の上を走るとき、着地の衝撃と馬自身の体重の重みで、脚は砂の中に沈む。砂の厚みが9cmに設定されているのは、馬が着地したときに、ちょうど蹄の先が路盤に引っ掛かるもしくは引っ掛からないぐらいにするためである。つまり、ダートコースに着地しているとき、馬の脚はいつも9cmぐらい砂の中に浮いている(埋まっている)ことになる。

このことがダートでの走り方に大きな影響を与える。ダート馬と芝馬の走法の違いを比べてみると明らかである。ダート馬は前肢を上に持ち上げて、叩きつけるような走法が要求される。いわゆる前肢のかき込みが強い馬ということである。対して、芝馬は後ろ肢のキック力を活かして前に進み、前肢は払うように前に伸ばす、車でいうと後輪駆動の走法が求められる。

なぜ芝では後ろ肢のキック力が必要で、ダートでは前肢のかき込みが重要かというと、ダートでは脚が砂の中に深く沈むので、前肢を投げ出すような走り方ではうまく走れないからである。そうなると前肢が伸びないので、一完歩の大きさは必然的に小さくなり、ピッチ走法で走ることになる。芝馬はその逆で、前肢を出来るだけ伸ばして一完歩の大きさを伸ばすことによって、より速く走ることができる。前肢か後ろ肢か、主に身体のどこを使って走るかで、一完歩の大きさまで変わってくるということだ。ダート馬と芝馬では走法がまず違うのである。

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前肢は払うように前に伸ばすマンハッタンカフェの走法

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前肢のかき込みが強いメイセイオペラの走法

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第2回

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ダート競馬の歴史を振り返ってみると、中央競馬にダートが登場したのは1961年のこと。もともとは芝コースを保護する目的で導入され、芝が冬枯れしてしまう時期や芝が育つシーズンには、芝の代用品としてダートで競馬が行なわれた。特に下級条件のレースで、多くのダート競馬が実施された。導入当初はアメリカの競馬を参考にしてダート(土)を使っていたが、雨の多い日本では水はけの悪いダート(土)は管理が難しく、結局のところ、管理がしやすい今の砂主体のダートに取って代わられた。

ダート競馬が誕生した経緯を考えると、中央競馬から競馬を始めたファンにとっては、芝を走らない馬がしょうがないからダートへ行く、といったイメージを払拭するのは難しいだろう。長きにわたって実際にそうであったし、格の高いレースが芝を中心に構成されている以上、芝のレースを目指して生産され、調教され、レースを使われる馬が多いのは当然である。しかし、私にとって、意外にもダート競馬は芝よりも格下ではなかった。格上とまでは思えなかったが、少なくとも芝と同列ぐらいのイメージを持ちながら、ダート競馬を楽しむことができたのだ。

それは前回も述べたように、ダートがメジャーな存在であることに気づかされたという理由もあるのだが、もっと原初の記憶を探っていくと、ある馬との出会いが私のダート競馬観に大きく影響を与えたと言ってよいだろう。

その馬とは、カリブソングという、ダートと芝の両方で活躍した名馬である。マルゼンスキーを父に持つカリブソングは、私が競馬を始めたちょうど1990年にダートで頭角を現した。3連勝でガーネットS(当時オープン)を勝つと、フェブラリーH(当時G3)をも制し、秋にはウインターSこそナリタハヤブサに負けたが、2連勝してダートの鬼として活躍したのである。インパクトのある名前とダートでの比類なき強さが共鳴し合って、いつの間にか、私はカリブソングのファンになっていた。カリブソングは土曜日の競馬中継のメインレースに出走することが多く、その走りを目に焼き付ける機会も多かった。レース実況でカリブソングの名前が呼ばれると、競馬好きの友人と「カリブの歌が聞こえてきた!」とテレビの前で叫びながら、興奮して応援していたことを思い出す。

翌年の1991年、カリブソングはダートから芝のレースに転向した。59kgの斤量を背負った金杯をあっさり制すると、AJCCでの2着をはさみ、目黒記念ではなんと60.5kgの酷量をものともせずに勝ってしまったのだから、驚きを隠せなかった。この時、まだ競馬を始めたばかりであった私はこう考えた。ダートで強い馬は芝でも強い。たとえば重いバットを振って練習しているバッターが軽いバットに持ち替えたようなもので、カリブソングのようにダートで滅法強い馬は芝でも強いのだと考えたのである。カリブソングとの出会いが、ダート馬はサラブレッドとしては2線級だという呪縛から私を解放してくれたのだ。

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集中連載:「ダート競馬の楽しみ」第1回

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ダートは芝よりもメジャーな存在である。と言うと、驚かれる方もいるかもしれないが、本当にそうなのである。日本全国で行なわれている年間の芝レースの数、およそ1600に対し、ダートレースはおよそ25000、と桁が違う。中央競馬がイギリスを手本としてレース体系をつくっただけに、ダートは補完的な存在にすぎないという考えがどこか私たちの中にあるが、レース数の多さという点では、実はダートは芝よりもメジャーな存在であると言っても過言ではない。

そのことに私が気づいたのは、競馬を始めてから3、4年目の地方競馬に足繁く通うようになった頃。週末の中央競馬だけでは飽き足らず、平日にも競馬を楽しめないものかと考えたところ、最も身近なところに大井、川崎、船橋、浦和競馬場があった。平日は南関東4場を回って、土日は中央競馬というヘビーローテーションな競馬生活を続けていると、ふと自分がダートのレースばかり見ているような気がした。よく考えてみると、実際に私が楽しんでいたのはほとんどダートのレースであり、週末になると芝のレースがたまに登場したにすぎなかった。つまり、日本で恒常的に競馬を楽しもうとすれば、ダート競馬が中心になるのは当然のことなのだ。

さらに日本全国に目を向けると、津々浦々の地方競馬場でダートのレースが行なわれていることが分かる。今こうしているうちにも、地方競馬場のどこかでサラブレッドが砂を蹴って走っている。地方に旅行や出張に行く際には、必ずや近くに競馬場がないかどうか調べ、自由になる時間があれば寄ってみたい、そう思うのは競馬ファンの常であろう。私も高知に旅行すれば高知競馬場に赴き(どちらかというと競馬がメインだが)、大阪に出張すれば園田に足を運んでみる。そうして行く先々の競馬場で楽しめるのもまた、ダート競馬なのである。

そして、私にとってダメ押しとなったのは、1年間に及ぶアメリカへの留学である。詳細はここでは書かないが(極めて個人的なことなので)、私は競馬歴が6年目となる時期に、アメリカのサンフランシスコに渡るという幸運を得た。当時はシガーという馬が圧倒的な強さで大レースを勝ち続け、アメリカ競馬の話題の中心となっていた。サンフランシスコでの生活に慣れるや、私はベイメドウズという競馬場に通い始めた。もちろん、馬場はターフではなくダート。アメリカの競馬では、それまでの私のダート競馬に対する認識が覆されるほど、スピード感に溢れる、激しい闘いが繰り広げられていた。私がダート競馬に魅了されたのは言うまでもない。

度重なる偶然、もしくは必然のおかげで、それまでに慣れ親しんだ芝のレースと同じぐらい、私はダート競馬が好きになった。そういった私の心境の変化と共に、時代も大きく変化していった。「開放元年」と呼ばれた1995年には、多くの中央地方指定交流競走が設けられ、東京大賞典などの地方の大レースにも中央馬が出走できるようになった。「激しい場所には芝は生えない」というキャッチコピーが生まれたのも、たしかこの頃。ライブリマウントが地方の競馬場で勝ちまくり、ホクトベガが18馬身差の圧勝で競馬ファンの度肝を抜いたエンプレス杯は今でも記憶に残っている。芝とダートは全く別物であり、ダート競馬にはダート競馬の楽しみがある。そう私は悟ったのだった。

(第2回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」最終回

Paddock16

■ビリーの教え
ビリーとの別れは突然にやってきた。アメリカに来てあっという間に1年が経ち、そろそろ日本に戻らなければならない日が近づいていたのだ。正確に言うと、私にとってはだいぶ前から分かっていたことだが、ビリーには打ち明けられずにいた。競馬場に行けば、ビリーやその仲間たちは、まるで私が永遠にそこにいるかのように接してくれたし、私もこの空間にずっといたいとさえ願ったこともあった。違う国で生まれ育ち、社会的なバックグラウンドも全く異なる私たちが、同じ競馬を見て一緒に興奮して感動する。そこには競馬の原点のようなものがあった。それでも、私は日本に帰らなければならなかった。

「I gotta go.」(行かなければ…)

私はついに切り出した。間髪入れずに、「To where?」(どこに?)とビリーは返してきた。

「Japan.」

私が答えると、長い沈黙が流れた。しばらくして、ビリーは私の目を見ながら、「I miss you.」(君がいなくなるとさびしいよ)と言ってくれた。私も無意識のうちに、「I miss you too」と言葉が出た。

まるで英語の教科書に出てくるようなやり取りだが、私にとっては、つい先ほどのことのように鮮明に思い出せるシーンである。言葉と言葉の間(ま)から、あの時のビリーの表情まで。10年以上経った今でも、地球上のどこにいても、私の頭の中で再生できる。

ビリーからはたくさんのことを学んだが、「パドックでは馬の身体ではなく心を見よ」という教えは、私の中に深く染み入った。パドックの見方が180度変わったと言ってよい。ビリーが伝えたかったことは、パドックという場所で私たちに分かることは、その馬の競馬(レース)に向かうにあたっての精神状態だということ。パドックで私たちは馬の発するメッセージを読み取らなければならない。そのためには、馬の行動や仕草がどういう意味を持つのかを知っておかなければならないのだ。それは決して簡単なことではない。

「あの馬を見てごらん、ほら、厩務員に甘えているだろう」とビリーがつぶやいた。私はビリーが目線を送った先の馬を見た。黒鹿毛の牝馬が、厩務員にもたれかかるようにして歩いていた。体は真っ直ぐに歩いていても、首はずっと厩務員の方を向きっ放しであった。よほど厩務員と仲が良いのだろうと思っていると、「いつもになく甘えている仕草をみると、今日は体調が優れないのか、競走に気持ちが向いていないね」とビリーは言い切った。

その言葉を聞いた瞬間、私に1頭の黒鹿毛の牝馬がパドックを歩いているシーンがフラッシュバックした。1995年の有馬記念のパドック。一線級の牡馬を差し置いて1番人気に支持され、私の大本命でもあったヒシアマゾンは、厩務員の小泉さんに妙に甘える仕草で歩いていた。アマゾネスと呼ばれた馬らしからぬ姿であった。歴戦の古馬たちに囲まれていたからこそ、余計にそう映ったのかもしれない。もうすでに馬券を買っていた私は、漠然とした不安を抱えながらも、その仕草を牝馬らしいと解釈することにした。

しかし、結果は凡走。スタートして1週目のスタンド前を走るヒシアマゾンの目はうつろであった。前走のジャパンカップでドイツの強豪ランドを最後方から追い込んだとき、力を出し尽くしてしまっていたのだろう。彼女は有馬記念のパドックからメッセージを送ってくれていたのだ。あのときは分からなかったが、今ならば分かる。分かってあげられる。それでもたぶん私は彼女の単勝を買ってしまうのだけれど。

(終わり)

*ずいぶんと途切れ途切れの連載になってしまいましたが、なんとか最後までたどり着きました。最後までお読みいただいてありがとうございました。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第16回

Paddock15

■馬の感情も尻尾の動きに表れる
昨年末、我が家に犬がやってきた。トイプードルである。名前はチョコちゃんと子供が付けた。私自身、カメ以外の動物を飼うのが初めてなので、いささか緊張していたが、チョコちゃんは何とか私になついてくれたようである。今では、私が家に帰ると、皆はすでに寝ていて、迎えてくれるのはチョコちゃんだけという始末に(笑)。私が玄関のドアを開けると、尻尾を振って、飛びついてこようとするのだから可愛らしいことこの上ない。遊んでもらえる相手が帰ってきて嬉しいのだろう。

犬がそうであるように、馬の感情も尻尾の動きに表れる。とはいえ、馬が尻尾を振っているからといって、決して喜んでいるわけではない。むしろ、何か気になることがあるからこそ、尻尾を振っていることが多い。体調が良くなかったり、脚元に不安があったり、精神的に燃え尽きていたりと様々な理由が考えられるが、パドックを歩いている馬の尻尾が左右に何度も振られている場合、その馬はこれから行われるレースに対して集中できていないと解釈することができる。感情の乱れが、尻尾を繰り返し振るという行為として体現されてしまうということだ。

このように、尻尾を振る動き自体はマイナスにしか考えられないが、ひとつだけ例外もある。夏の競馬場のパドックで、馬が尻尾を振っている動きは問題とはならない。なぜかというと、ハエやアブを追い払っているからである。

またこれとは別に、牝馬がフケ(発情)になっている場合も尻尾を振る仕草が目立つようになる。それが何か気になるところがあるからなのか、それともフケなのか、見分けがつきにくいのは確かだが、牝馬がパドックで尻尾を頻繁に振っているようであれば、いずれにせよレースに行っての好走はあまり望めないということだ。

たとえば、昨年の秋華賞のパドックで、サンテミリオンの歩く姿が気になった方はいるだろうか。落ち着き払って歩くアパパネと比べ、サンテミリオンはしきりに尻尾を振って歩いていた。サンテミリオンに本命を打っていた私は、京都競馬場のパドックでひとり冷や汗を流していた。ブッツケの出走だけに仕上がっていなかったのだろうか、それとも初めての輸送が応えたのか。もしかすると、フケが出ているのかもしれない。フケは春に出やすいが、1年中出る牝馬もいるし、定期的に出てしまう牝馬もいる。あらゆるマイナス要素が頭に浮かんできて、私は絶望的な気持ちになったのだ。

レースでは大きく出遅れ、他の馬の走るペースに全く付いていくことができず、最後の直線に向いて巻き返すどころか、ズルズルと後退して行ってしまった。自分が本命を打った馬が、これだけ大きく凡走をするのは久し振りのことであった。もはやサンテミリオンは競走する状況にはなかったということである。オークスで激走した反動で体調が悪かったこと、初めての長距離輸送が応えたこと、もしかするとフケも出ていたのかしれない、ありとあらゆる全ての理由が絡み合っての凡走であった。そうでなければ、あそこまで大きく負けたりはしないだろう。

馬の感情は尻尾にも表れる。気持ちが安定している時は、尻尾の動きにも無駄がない。左右に大きく振り回されたり、変な動きをしたりもしない。もし尻尾を必要以上に動かしている馬を見つけたら、体調が良くないか、どこか痛いところがあるか、レースに集中できない(走りたくない)か、いずれかの理由があってものもかもしれない。尻尾を振ることによって、それを表現しているのだ。つまり、馬の精神面を読み解くためには、私たちは尻尾の動きにも注目するべきなのである。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第15回

Paddock14_2■「鼻鳴らし」と「いななき」
音を発することは、言葉のない馬同士の交信には欠かせない行為であり、馬が発する音にはたくさんの種類がある。ただし、競馬場のパドックで読み取ることのできる音に限定すると、「鼻鳴らし」と「いななき」の2種類ではないだろうか。

まず、「鼻鳴らし」は危険を伝えるために使われる。口は閉じたままで、鼻に思い切りブワっと空気を送り込むことによって、鼻孔が振動してブルブルという音が0.8秒~0.9秒ほど持続する。「鼻鳴らし」をする馬は、好奇心と恐怖心の葛藤状態にある馬である。これから行動を起こす準備として自分の気管をすっきりさせると共に、群れの仲間に危険があるかもしれないという警告を発するのだ。また、雄馬が他の雄馬に挑戦するときにも鼻鳴らしは行われる。つまり、パドックで「鼻鳴らし」をしている馬を見たら、これから行われるレースに対して、興奮と恐怖を感じていると考えてよい。

もうひとつの「いななき」も、防御的な合図である。新馬戦のパドックでいなないている若駒をよく見かけるが、あれは初めての場所に連れてこられて、不安で仕方ないからである。不安な気持ちが昂ぶって、「誰か~!」と叫び出したくなった経験は私たちにもあるのではないか。また、相手に対して、やめないと報復を受けることになるぞ、というほのめかしにもなる。いななきが高く、しかも大きくなるにつれ、「やめろ!」という攻撃的な意味が強くなる。

マイルCS、安田記念、スプリンターズSなどG1レースを5勝し、20世紀最強のマイラーとの誉れ高いタイキシャトルは、パドックでいななく癖があった。パドックに現れた瞬間に、高く大きくいななき、それから周回を始めるのだ。ライオンのような風貌でもあり、あれだけの圧倒的な強さを誇っていた馬だから、まるで百獣の王がレース前に「オレが王様だ!」と一喝しているようであった。フランスのジャック・ルマロワ賞では、直前で蹄鉄が外れるというアクシデントで人間がパニックになっていたところ、タイキシャトルがいつもどおりパドックの入り口でいなないてくれたことで、陣営は我に返ることができたという逸話もあるほどだ。

ただし、タイキシャトルのように他馬を威圧するいななきを発する馬は稀である。ほとんどの馬は極度の興奮や不安を抑え切れずにいなないてしまう。「鼻鳴らし」と同じことだが、その馬の精神的な弱さや若さが、音を発するという形で現れてしまうということである。だからこそ、私は鼻鳴らしをする馬やいななく馬の馬券を買うことはまずない。

(第16回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第14回

Paddock13 by Scrap

■興奮状態にある馬の特徴
「パドックでの馬は、どの馬も興奮状態にあります。興奮状態になるから力が入る。言い方を変えると、気が弱いから力が入るんです。逆に言うと、チャカついたりするのはもちろんですが、力強く見える馬というのは、弱いから強く見える。強い馬というのはそれを表に出しません。もちろん彼らも興奮しているのですが、それを抑えることができるのです」

私の尊敬する故野平祐二氏の、パドックにおける馬の興奮状態に対する弁である。実は、ビリーも全く同じことを言っていて、パドックであまり力強く見えるような馬はかえって危険であると。気が弱いからこそ、力強く見える。本当に強い馬は、それを表に出さずに抑えることができるのである。

パドックで力強さが前面に表れる部分のひとつは首であろう。人間は緊張すると自然と肩から首に力が入ってしまうように、馬も緊張すると首に力を入れて鶴首になる。鶴首というのは、文字通り、鶴が弓のように首を曲げるところに由来する。この首の形を気合が入ってきたと解釈することもできるが、ほとんどの場合、緊張していることから、余計な力が首に入ってしまっているだけである。過度に鶴首を保ち続けている馬をパドックで見かけたら、敬遠してしまって正解だろう。

逆に、パドックで好印象を受けるパドックでの首の使い方は、牧場で草を食む時のように、首を前方下に伸ばしたそれだ。リラックスしていないと、こういう首の使い方はできない。つまり、首に力強さを感じさせず、リラックスして歩けている馬を狙いたいということだ。

同じく、牡馬が興奮した時に起こる現象として“馬っ気”がある。ただ単に、発情して起こるだけではなく、馬が興奮して、その興奮に体が反応して起こるのだ。つまり、近くに牝馬がいない時でも起こりうる現象であり、体が生理的に反応してしまうぐらいの興奮状態にあると考えてよい。先日、天に召されたオグリキャップが、2009年に東京競馬場のパドックに姿を現した時、“馬っ気”を出していたのを覚えているだろうか。あれを見て、オグリキャップはまだまだ元気だなあ、とか言っていた人がいたが、そうではない。オグリキャップは久し振りに競馬場に連れて来られて、極限の興奮状態に陥り、体の一部が反応してしまったのである。

これも有名な話だが、パドックで“馬っ気”を出していたにもかかわらず、ジャパンカップを勝利したピルサドスキーというイギリス馬がいた。格調高い国際レースだというのに、激しく“馬っ気”を出しているピルサドスキーを見て、馬券を買い戻した競馬ファンも多かったという。そのせいか、BCターフやエクリプスS、愛チャンピオンSなどのG1レースを制し、凱旋門賞で2着した実績馬であるにもかかわらず、バブルガムフェロー、エアグルーヴに次ぐ3番人気で、単勝は460円もついた。ただし、ピルサドスキーのケースは例外であって、私が見た限りにおいて、パドックで“馬っ気”を出していて勝った馬はいない。

もうひとつ、パドックでボロ(糞)をするのも緊張している証拠である。「これだけ多くの人々の前でボロをするなんて、緊張感のないやつだなあ」と思われるかもしれないが、そうではない。私もお腹が弱い方なのでよく分かるのだが、競走馬も緊張しているからこそボロをしてしまうのだ。

このように、ちょっとした現象の中にも、馬の精神状態、つまり馬の心を読み解くカギが隠されているのである。

(第15回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第13回

Paddock13

■あくびをする馬
パドックであくびをしている馬を見て、図太い神経をした馬だなと思うことがあるだろう。何度かレースを経験した馬であれば、パドックを歩いているということは、この先、本馬場に出て、返し馬をして、いざレースが行われることを察知するのが普通である。そもそも、調教が強くなってきたことからレースが近づいていることを感じる馬もいるし、馬運車に乗ることで分かる馬もいる。サラブレッドは敏感な生きものなのである。にもかかわらず、これから極限の競走を強いられることを知ってか知らずか、パドックであくびをするなんて、ずいぶんとリラックスした精神状態である。

そんな時、私の友人が言っていた、あくびに関するひとつの説を思い出す。

「あくびって、眠かったり、退屈だったり、気持ちが緩んでいるから出るっていうのが俗説だよね。でも、俺はそれだけじゃないと思うんだ。あくびって、緊張を解くっていう効果もあるんじゃないかな。敢えてあくびをすることで、緊張を紛らわすというか、リラックスするというか。実際に、俺はそうしているし」

なぜこんな他愛もない会話を正確に覚えているかというと、友人がそれまでの話との脈絡なく唐突に話し始めたことと、さらにその内容のあまりの無意味さに驚いたからであった。だからどうなんだよ、別にどっちでもいいんだけど、と私は心の中でつぶやいたのだ。しかし、あれから9年が経った今でも覚えているということは、その内容には実は深みがあった(!?)のかもしれないし、少なくともパドックであくびをする馬を論じる際にネタとして使えたのだから、友人には感謝しなければならない。

パドックで馬があくびをしているのを見て、やる気の欠如と決め付けるのは早計である。もしかすると、パドックであくびをしている馬はやる気がないのではなく、緊張を紛らわそうと必死に抵抗しているのかもしれない。いや、そうに違いない。サラブレッドは私たちが考えるよりも遥かに敏感である。これから迫り来る恐怖に対する不安を乗り越えるために、意識的にせよ無意識にせよ、なんとかリラックスするためにあくびをしているのではないだろうか。

なんとも雲を摑むような話になってしまったが、私が言いたいことは、いずれにせよ、パドックであくびをしているような馬は買いたくないということだ。たとえやる気や緊張感がなくてあくびをしているのであれば、レースに行っての好走は望めない。そうではなく、極度の緊張状態をなんとか紛らわそうとあくびをしているのであれば、それはそれでレースにおいて力を発揮できるかどうか疑問である。

パドックであくびをしていることから想像できるのは、悪い結果だけである。

(第14回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第12回

Paddock12

■足音に耳を澄ませる
パドックで歩く馬の蹄の音に耳を澄ませたことはあるだろうか。蹄の音というよりは、蹄に装着された蹄鉄とパドックの路面がぶつかる音である。カッ、カッという鋭い音があれば、カポッ、カポッという鈍い音もある。ほとんど音が聞こえない馬もいるだろう。私たちはパドックに行くと、どうしても馬を観てしまうが、たまにはそれぞれの足音を聴いてみると面白い。

このことに気づいたのは、私が地方競馬に通っていた時代である。平日の地方競馬場に行き、第3、4レースぐらいのパドックに足を運ぶと、ほとんど観客がおらず、ゆっくりと静かに馬を観ることができた。私も最初は馬を観ていたのだが、静まり返ったパドックに鳴り響く馬の蹄の音が、どうしても気になって仕方なかった。

特に、カポッ、カポッという、お椀を返したような音を聴くと、その馬がこれから向かうレースで勝てる気が起こらなかった。なぜかと言うと、上手く説明するのは難しいが、どう考えても勝負とは無縁な音にしか聞こえなかったからであろう。サラブレッドというよりは、農耕馬が歩いているように感じたのかもしれない。実際に、カポッ、カポッという音を立てて歩いていた馬は、レースに行って走ったことがなかった。ほとんどの馬は人気薄であったが、たまに人気がある馬でもあっさり負けたりした。ある時から、カポッ、カポッという音を立ててパドックを歩く馬は走らないというジンクスは、私の中で確信に変わった。

今ならば、ある程度、その理由を説明できる。カポッ、カポッという音がするのは、蹄の外周部分が同時に着地するからである。たとえば、お椀を逆さにして、机の面に平行にして降ろしてみると、カポッと同じような音がするはずである。蹄の外周部分と地面が平行に同時に着くほど、その音は空気を含んだものになる。逆に、蹄の外周部分のどこかが先に着地すれば、カッ、カッという蹄鉄とパドックの路面との衝撃音だけ、もしくはほとんど無音に近くなるのだ。

なぜ蹄の外周部分が同時に着地するのが良くないかというと、それは歩き方の問題である。実は、現役のサラブレッドの多くは、つま先から着地するように歩く。それは速く走らなければならないという意識がそうさせる。常に前へ前へと推進するように調教されているからこそ、前のめりに歩くのである。カポッ、カポッという音がする、蹄の外周部分が同時に着地しているような馬は、緊張感に欠けるか、もしくは勝つ気がないかのどちらかであろう。リラックスしすぎているとも言える。つまり、「きちんと歩けて」いないということである。

前述したように、競走馬にとって「きちんと歩く」ことは非常に大切である。脚を引きずってデレデレ歩くのではなく、きちんと脚を上げてリズミカルに歩く。これは普通の歩き方ではないから、馬に「歩く」という意識、あるいは緊張感が必要である。人に引かれて歩くときは常にそういう歩き方をするのだとしつけておくと、馬は精神的に強くなるのだ。馬にそういう歩き方をさせるのが調教のひとつでもある。素質の高い馬で人気になっていても、きちんと歩いていない場合には、レースで気の悪さを出してということが起きたりする。きちんとした足音で歩けない馬は、きちんと走れないのである。

(第13回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第11回

Paddock11

■耳
馬の心理状態が最も端的に表れるのは、耳であると言っても過言ではない。馬の感情がストレートに表れてしまうので、私たちが馬の気持ちを知る手がかりとなることが多い。調教師や厩務員やジョッキーなど、馬に携わる人々は、馬の耳の動きや位置を観察することによって、馬が今何を考えているのか、何を気にしているのか、何を恐れているのかを察するのである。

馬は両方の耳を前後左右に、しかもそれぞれを別々に動かすことができる。左右の耳を別々に動かすことで、聴覚的に周囲の環境を探索するのである。また、耳を動かすことで、仲間同士でサインを送ることにも使われる。仲間の耳の動かし方や位置を見ることで、相手の感情を読み取ることができるのである。

緊張していない時の耳は、ほぼ直立し、前方やや外側を向いている。この基本位置が、周囲の状況を最も把握できる体勢なのである。パドックをこういう耳で歩けている馬は、これから行われるレースに集中できているはずである。それとは逆に、耳を左右に動かしている馬は、不安を感じ周囲を気にしているということが分かる。たとえ同じリズムで歩いていたとしても、耳の動きが違えば、その馬の精神面は全く違うということである。

Ear01レースに集中できている耳

Ear03不安を感じ周囲を気にしている耳

もうひとつ、馬は怒りや不快感を覚えると左右の耳を絞る。絞るというと分かりにくいかもしれないので言い換えると、耳を頭の後方にピタリと張り付け、前からでは見えないようにした状態のことである。馬が攻撃衝動や優越感を抱いた時の典型的な姿勢である。なぜ耳を絞ることが攻撃衝動を表すのかというと、それはかつて仲間の攻撃から耳を守るためにとった姿勢に由来している。耳をピタリとつけてしまえば、かじられたり、引き裂かれたりすることが難しくなるからだ。

Ear02怒りや不快感を覚えたり、他馬を気にしている耳

パドックや返し馬で、他馬が近くに寄ってきた際に耳を絞る仕草を見せる馬は、他馬を気にする馬である。この傾向が極端に見られるようであれば、実際のレースに行って、他馬を気にしてばかりでレースに集中することなく、力を出し切れずに終わってしまうという結末に陥りやすい。もちろん、ジョッキーも他馬になるべく近づけないように工夫して乗ったりもするが、それでも競馬が集団で行われる以上、レースのしづらい馬であることに間違いはない。こういう馬は、よほど力が抜けているか、展開に恵まれない限り勝ち負けになるのは難しい。

これは余談だが、パドックならまだしも、実際のレースに行っても耳あてをしたメンコをして走る馬は買いづらい。耳あてをするのは、周囲の騒音から遮断されることで、馬が大人しくなったり、落ち着くからである。が、馬がレース中、後方にいる他馬との距離を音で判断する以上、馬の耳をレースで覆ってしまうことは判断力を鈍らせることにつながるのである。ジョッキーからの掛け声やムチの音に反応するのもまた耳である。

海外の競馬を見ても、メンコをつけて走る馬はたくさんいるが、両耳をすっぽりと覆う耳あてをしながら走らせるのは日本だけである。前述のように、耳あては馬だけではなく、耳の動きで馬の気持ちを察するジョッキーの判断力も鈍らせることになる。ジョッキーにとっては、何を考えているか分からない馬に乗るのはそれだけで怖いことなのだ。馬券を買う側にとっても、基本的には実際のレースで耳あてをつけて走る馬は買いたくないというのが本音である。

(第12回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第10回

Paddock10

■発汗している馬
続いて、発汗について。サラブレッドは人間と並び、2大汗かき動物の1種である。1回の競走で、なんと10リットルもの汗をかくとされている。だから、個体別の差こそあれ、汗をかくことは問題ではない。問題なのは、まだ競走が始まっていないパドックという場で、すでに大量の汗をかいていることである。人間よりも暑さに弱いので、夏場は仕方ないにしても、私たちが見て明らかに異常とも思えるほどの汗をパドックで流している馬は、疑ってかかるべきである。運動量が多いとか、新陳代謝が良いという理由ではない、精神的な影響がそこにはあるはずだからだ。

特に、ゼッケンや股が擦れて石鹸の泡状になってしまっている部分が目立つ馬は要注意である。別に石鹸のような汗自体が悪いわけではなく、なぜ石鹸のような汗になってしまうかというと、馬の汗にはラセリンという物質が含まれているからである。ラセリンには石鹸と同じような働きがあり、脂分と水分をなじみやすくすると同時に、表面張力を抑え、汗の水分が被毛を伝わって皮膚全体に広がりやすくする機能がある。汗にラセリンが含まれていることで、汗が全身に広がり、体表からの放熱効果があるのだ。つまり、石鹸のような汗が目立つということは、その馬が大量の汗をかいたということを意味するのだ。

藤沢和雄調教師の管理馬にバブルガムフェローという馬がいた。朝日杯3歳Sを楽勝し、クラシックの最有力候補に躍り出たサンデーサイレンス産駒である。のちに天皇賞秋を3歳馬として初めて勝利することになる素質馬であった。しかし、スプリングS前あたりから調教のピッチが上がるにつれ、発汗が目立ち始めるようになった。

藤沢和雄調教師によると、冬の間ずっと美浦にいたため環境に飽きてしまったという。ストレスがたまって、走ることが嫌になっていたそうだ。そういう精神的な影響が発汗として現れたのである。バブルガムフェローは結局、スプリングSをなんとか勝利するも、皐月賞前に骨折をしてしまい、クラシックを棒に振ってしまった。汗をかくというレベルではない、極端な発汗は、馬の精神的なストレスの兆候だと考えることができるのだ。

それでは、実際のパドックでの例を見てみよう。今年の天皇賞春の当日、私は京都競馬場のパドックにいた。天皇賞春の前の9R(鷹ケ峰特別)に出走する馬たちがパドックに現れた瞬間、「さすがにこれは厳しいな」と感じさせる馬がいた。加藤征弘厩舎のブルーミンバーである。実はこのレースは、このブルーミンバーとスカイノダンという2頭の牝馬が人気を2分していて、実績だけを見ると、どちらが先着するのか見極めが難しかった。

ただ、パドックを見れば明らかであった。ブルーミンバーはゼッケン下と股の部分に石鹸のような汗を大量に発汗しているのだ。これだけの発汗は、精神的なストレスから来るものであって、この馬がこの後のレースに行って力を発揮できるとは思えなかった。対照的に、スカイノダンは悠然とパドックを歩き、川田将雅騎手が跨るとピリッとした気合を見せていた。私はもちろんスカイノダンの単勝を勝って応援した。スカイノダンは私の期待に応えて勝ってくれたが、ブルーミンバーはあれだけの発汗をしながら2着と健闘した。ブルーミンバーがもう少しまともな精神状態で走れていたら、この馬が勝っていたはずである。


天皇賞春が終わり、最終レースのパドックでも発汗の目立つ馬が1頭いた。この馬は口から泡を吹くように発汗していた。藤原英昭厩舎のロードアリエスという馬である。この馬は私が菊花賞で本命を打った馬であり(7番人気11着)、その後は自己条件で好走を続け、このレースでは1番人気に推されていた。自在性と安定感のある走りっぷりから、大きく崩れるとは考えにくかったが、このパドックを見てしまうと、どうしても買えない。休み明けを叩かれて、逆に2走ボケなのか、精神的に参ってしまっているようである。私は馬っぷりもパドックでの様子も素晴らしかったジャコスキーに賭けた。結果はスズカサンバの大駆けにあってしまい2着であったが、ロードアリエスを買わなかったことは正解であった。


このように、私たちが見て明らかに異常とも思えるほどの汗をパドックで流している馬は、疑ってかかるべきである。今回、パドックで発汗していたブルーミンバーとロードアリエスの2頭は、どちらも敏腕として東と西で名を馳せている加藤征弘調教師と藤原英昭調教師の馬である。これだけの調教師が追い切りをかけ、きちんと仕上げても、馬の精神状態が優れなければ、レースでは勝てないのである。1番人気に推されるほどの力の持ち主でも、レースで力を発揮できずに負けてしまうのである。異常とも思えるほどの発汗には、必ずや精神的な影響があるのだ。

(第11回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第9回

Paddock09

■目を観る
「目は口ほどにモノを言う」ということわざがあるように、もともと口がきけない馬にとっても、目は心を映し出す窓である。ディープインパクトやキングカメハメハなど、数々の名馬を探し当てた金子真人オーナーは、馬選びの際に“まずは目を見る”という。私も同感である。馬の目には、喜怒哀楽といった感情や状態だけではなく、その馬の性格すらも映し出される。気性が穏やかで賢い馬は、黒く澄んだ目をしているものだ。

パドックで馬を見る時にも同じことが当てはまる。やる気や気合は目に表れてくるものであり、生き生きとして底光りするような眼光の馬は、間違いなく体調が良い。逆に目に精彩を欠き、どんよりとショボショボしているような目をしている馬は、明らかに調子を落としている。たとえば、連闘で疲れている馬の目はどんよりと濁っているし、走る気のない馬は、ずるそうに相手をうかがいながら、走るフリをしている目になる。この辺りを言葉で説明するのは難しいが、元来、私たち人間には、相手の目を見て心を推し量る能力が備わっているのではないだろうか。あなたが見て、「走る気になっている」、「元気がなさそう」などと感じたら、その直感をまずは大事にしてみて欲しい。

また、パドックにおいて、あまりキョロキョロしている馬は心配である。視覚の構造上、馬は頭全体でモノを見ることになる。モノを見ようとしている馬は、頭を上げたり、下げたり、ぐるりと見回して見たりする。なぜかと言うと、レンズの厚さや形を変える毛様筋の発達がよくないため、網膜の上にきちんとした映像を作るのに時間がかかるからである。そこで、頭を動かすことによって、焦点が合いやすいよう調整する。だから、人間に比べると、頭を動かしてキョロキョロしているように見えるのは当然である。ただし、パドックであまりキョロキョロしている馬は、周りが気になってレースに集中できないというサインでもある。実際のレースでは、ほんの少しよそ見をしただけで、2、3馬身は遅れてしまうのだ。

周りが気になって集中できない馬には、ブリンカーやチークピーシズ、ホライゾネットなどの馬具を着けることもある。馬は両眼でほぼ350度という非常に広い視野を持っていて、左の目で馬場の柵を見ながら、右の目でスタンドの観衆を眺めて走るという芸当ができる。突然の出来事を即座に見て取ることは出来ないかわりに、見える範囲が人間に比べて広く、1度に2つのものを見ることが出来る。このような馬特有の視覚が、後ろを気にする馬や他馬に並ばれるとヒルんでしまう馬にとっては、不都合となる場合もある。そこで、ブリンカーや、チークピーシズ、ホライゾネットによって後方の視野を制限された馬は、馬群を気にすることなくレースに集中することで、見違えるような能力を発揮できる場合もあるのだ。


こういった馬具は、初めて装着する時の効果が最も大きいということも覚えておきたい(良い意味でも悪い意味でも)。初めてブリンカーやチークピーシズ、ホライゾネットを使う馬が、刺激を受けたことによりまさかの激走(または凡走)をすることがある。しかし、その効果は、馬が馬具に慣れてしまうことにより、次第に薄くなっていくということである。そもそも馬具は馬の弱さを補うための道具である。藤沢和雄調教師が「出来ることなら馬具など一切着けずにレースに出走させたい」と語っているように、馬具を着けているということは、その馬のどこかに弱いところがあることの証明に他ならない。私はそういう馬に大金を賭ける気には到底なれない。

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関連リンク
「ガラスの競馬場」:チークピーシズ

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集中連載:「パドックの見方を極める」第8回

Paddock08

■舌がハミを越している馬
ここまでは歩き方について書いてきたが、ここから先は、もう少し小さな部分へと論を移していきたい。

まずは舌である。パドックで馬を観ていると、よく馬が舌を出して遊んでいるようなシーンに出会うことがある。舌がハミを越して、口の外に出てしまっている状態である。おそらく、あなたはあまり良い印象を受けないだろう。調教やレースにおいて舌がハミを越してしまうことのデメリットは、書籍「馬券のヒント」や前回の集中連載「調教の全て」に書いた。同じことがパドックにおいても言えて、舌がハミを越してしまうことにプラスの要素は全くない。もっとも、パドックで舌がハミを越していても、レースに行ってしっかり走れば問題ないのだが、それだけの話ではない。


パドックにおいて、馬の舌がハミを越していることには、およそ2つの理由が考えられる。

ひとつは、馬が集中力を欠いてしまっているということ。体調が良くなかったり、競走(競争)する気持ちが失われていたり、何らかの理由があって、競馬に集中できていないからこそ、舌でハミを遊ぶという行為に出てしまう。目の前の状況から逃げたいと思う気持ちの表れでもある。人も落ち着かない時に、つい煙草を吸ったり、貧乏ゆすりをしてしまったりするだろう。人間のように「なんだかやる気が出ないんだよね」とは言えない代わりに、馬はちょっとした仕草でその気持ちを表現するのだ。

ふたつ目は、ハミが合わない、もしくはハミを嫌がっているということである。ハミという言葉が出てきたので、せっかくなのでハミとハミ受けのメカニズムについて少し書いてみたい。ハミは馬を制御するための重要な道具である。ジョッキーの手綱の先の金輪には、2本のこん棒をつないだようなハミがついている。ハミは馬の口の中に入っているので、外から見えるのは金輪だけだが、ここがジョッキーの操作によってアクセルになったり、ブレーキになったりする操縦部分である。

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馬の顔が長いのが特徴であるが、もちろん口(口腔)も長い。その長い口(口腔)の後ろの両端が「口角(くちかど)」と呼ばれる部分である。私たちが小さい頃、両手の指で左右に拡げ、「イーー!」とやっていたあの部分である。口を大きく開くと、この口角の近くに全く歯のない部分がある。この歯のない部分が「ハミ受け」である。ジョッキーの手綱の先についた、こん棒のようなハミが通るのは、この歯のない部分である。

口の中に入ったハミは、舌の上にのって、ハミ受けを通り、口角のところで金輪と繋がる。その金輪につけた手綱を持ったジョッキーがハミを引いたり、緩めたりして、ハミ受けと口角にくわえる圧迫を調整するのである。ハミ受けと口角は極めて敏感な部分なので、圧迫の強弱を感じ取って、速く走るべきなのか遅く走るべきなのか、また止めるべきか走るべきか、といった信号を理解するわけである。

口の構造でハミを嫌う馬や口が硬くなる馬がいる。ハミは馬の舌の上にのって、ハミ受けを通り、口角に端が当たるようになっている。口の構造上、ハミの金具が直接ハミ受けだけに当たってしまう。ハミ受けに痛みを感じると、舌でハミをよけようとしたり、頭を上げてハミを外そうとするのだ。逆にハミを舌の表面で受け止めてしまい、ハミ受けに圧迫を感じない馬もいる。ハミの圧迫が舌と口角だけで受けとめられるから、手綱を引いても手応えがない。いわゆる「口が硬い馬」ということだ。

パドックで舌がハミを越して、ハミをカチャカチャさせている馬には、口の構造上、ハミが合っていないもしくはハミが嫌いという馬が多い。こういう馬にレースでジョッキーが乗ると、道中でハミの操縦に抵抗して引っ掛かったり、勝負どころでハミの伝える騎手の命令に従順に対応しなかったりということが起こる。折り合いがつかなければ馬も騎手も消耗してしまうし、右か左のどちらかの口が硬い馬はしばしば寄れグセを出すので乗りにくい。そもそも、ハミがしっかりと掛からなければスピードに乗ることは出来ないのだ。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第7回

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■きちんと歩くこと
馬を歩かせることを常歩(なみあし)というが、常歩は意識して歩くことなので、馬はこれが好きではない。しかし、人に引かれて歩くときは必ずそうするのだと教えておくと、馬は勝手な行動をしなくなり、人間の指示に素直に従うようになる。それによって、人も馬もより安全になるだけではなく、レースに行ってもジョッキーの合図にきちんと応えて走られる馬になる。

日本を代表するトレーナーである藤沢和雄調教師は、著書「競走馬私論」の中で、きちんと歩くことについて以下のように書いている。

競走馬にとって「きちんと歩く」ことは非常に大切である。脚を引きずってデレデレ歩くのではなく、きちんと脚を上げてリズミカルに歩く。馬にもそういう歩き方をさせるのである。

これは普通の歩き方ではないから、馬に「歩く」という意識、あるいは緊張感が必要である。人に引かれて歩くときは常にそういう歩き方をするのだとしつけておくと、馬は精神的に強くなる。我慢が効くようになると言ってもよい。しかも、こうして歩いているときは、馬がそれに意識を集中しているので、急に暴れたりすることがない。

(中略)

競馬場のパドックでは、厩務員が出走馬を引いて歩く。このとき人馬ともに「きちんと歩いているか」を見るとよい。素質の高い馬で人気になっていても、きちんと歩いていない場合には、レースで気の悪さを出して―――ということが起きたりする。きちんと歩けない馬はきちんと走れないのである。

パドックにおいて、私たちはついつい馬体を見てしまうが、何よりも先に見るべきは馬の歩き方なのである。普段からきちんと歩く訓練をしていないと、パドックでもきちんと歩くことはできない。パドックできちんと歩けない馬が、レースに行ってきちんと走れるとは思えない。いくら素質が高く、能力に溢れていたとしても、人間(騎手)の指示に従わずに暴走してしまってはレースで勝利するのは難しいのである。

理想的な歩き方としては、首を下げて、トモ(後肢)をしっかり踏み込み(踏み込みすぎるのは×)、歩くことに気持ちを集中しているということ。これが意外と難しく、急に首を上げてみたり、小足を使ってチャカついてみたり、あたりをキョロキョロと見回してみたりと、オープンクラスの馬でもきちんと歩けない馬もいる。もちろん、上のクラスの馬ほどきちんと歩けるし、古馬の方が若馬よりもきちんと歩ける。きちんと歩けるということは、精神面を含めたその馬の競走馬としての資質をストレートに表していると言えるだろう。

きちんと歩けている馬


きちんと歩けていない馬


ましてや、パドックで順番に歩けない馬など論外である。パドックでは出走番号順に登場し、周回を重ね、そして番号順に退場していく。1番の馬の次は2番の馬で、その次は3番の馬である。そのように歩くのがルールなのだ。しかし、たまに1番、2番、4番というように、3番の馬が番号順の周回から外れてしまっていることがある。どこに行ってしまったのかと見回すと、一番後ろにポツンと付いて回っていたりする。他馬が後ろや前にいることを気にするのだろうか、それとも人間の言うことに従わないのだろうか。いかなる理由があろうとも、この3番の馬はきちんと歩くことができない馬である。このようにきちんと歩けない馬は、まずレースでも勝てない。

すでに自分が買ってしまった馬が、パドックできちんと順番に歩けていないと非常にがっかりしてしまう。この時点で、既にハズレに確定の赤ランプが灯ったようなものだ。いまだかつて、このような馬が好走した記憶がないし、案の定、凡走してしまったというケースがほとんどである。つまり、きちんと歩けないということは、それだけで馬券の対象から消す十分な根拠となりうるのである。

これは余談だが、パドックの外側や内側を歩かせることで順番を調節することもある。気合乗りが良く、前進意欲に満ち、踏み込みがしっかりとしている馬であれば、自然とパドックで歩くスピードも速くなる。パドックでは順番に歩かなければならないため、歩くスピードの速い馬はなるべくパドックの外側を歩き、遅い馬はパドックの内側を歩くことで調整する。同じ馬であっても、調子が良い時はパドックの外側を歩いているが、疲れが出て調子が悪くなってくると内側を歩くことがある。パドックのどこを歩いているかで調子を判断することも出来るのだ。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第6回

Paddock05

リズム良くスムーズに歩くと対照的な状態は、「入れ込み」である。一般的に、「入れ込む」とはレースに対して気持ちが入りすぎて、周りが見えないということだろうか。だからこそ、「気合乗りが良い」と「入れ込み」は区別が難しいと思われてしまう。どちらもレースに対して気持ちが向いている状態で、それが自分でコントロールできていれば「気合乗りが良い」、できていなければ「入れ込んでいる」とされる。「入れ込んでいる」にもかかわらず、「気合乗りが良い」と評価されたり、またその逆も然り。そのような例を挙げれば、枚挙に暇がないだろう。

実際のところ、「入れ込み」と「気合乗が良い」はベクトルが全く違う。「入れ込み」は馬が目前に迫ったレースから逃げようとしている状態なのに対し、「気合乗りが良い」はレースに向けて闘争心を滾(たぎ)らしている状態なのである。つまり、馬の精神状態が全く違うということだ。

サラブレッドはレースの苦しさを知っている。記憶力が非常に良く(特に嫌な記憶については)、ほんの些細なことでも永遠に覚えているという。ましてやレースに行って、極限まで全速力で走り続けさせられる競馬に対し、プラスの感情を持っている馬は限りなく少ない。調教が強くなってくれば、レースが近いことを察し、普段から入れ込みがきつくなる馬もいる。いつもと違う場所に連れて行かれ、大勢の人間の前で長時間歩かせられれば、入れ込まない方がおかしいのかもしれない。

それでも敢えて、なぜ馬が「入れ込む」かというと、レースに向けての準備が出来ていないからである。肉体的には、休み明けで体がきっちり出来上がっていなかったり、使い込まれていて余力が残っていない。また、精神的には、レースに飽きてしまっている、逆に実戦から遠ざかって久々である等など、どこか苦しいところがあるのである。誰よりも馬自身が、自分がこのままレースで走れば苦しいことになる、と知っているからである。「入れ込み」の原因はその馬の性格であることも多いが、基本的には体調が良くない時ほど「入れ込み」はキツいと考えてよい。今これから行われようとしている苦しいレースから、一刻も早く、とにかく逃げ出したいと思って「入れ込む」のである。

「入れ込んだ」状態は、あらゆる要素から見極めることが出来るが、歩くリズムとスムーズさはそのひとつである。リズム良くスムーズに歩けていない、つまり、歩いては止まり、また急に急いで歩き出したり、立ち上がったりして、手綱を放すとどこへ行ってしまうか分からない馬は、間違いなく「入れ込んで」いる。鼻歌を歌うとは縁遠く、我を忘れてしまうほど興奮してしまっているである。

入れ込んでいる馬(13頭立ての12着に惨敗)


踏み込みが深すぎる(強すぎる)ように見える馬も要注意である。一般的に、踏み込みが深い馬は調子が良いとされるが、ただ単に気持ちが空回りしている場合が多い。こちらの場合は、レースに対する気持ちが強すぎて、肩に力が入りすぎていると考えてもらえば分かりやすい。グッ、グッと前に進むので、一見、リズム良く歩けているように映るが、決してスムーズとは言いがたい。流れるように歩くのではなく、上下動が激しい歩き方である。このような歩き方をするのは短距離馬に多く、その力みが前向きさにつながり好走することも稀にあるが、ほとんどはレースに行くと力を出せずに凡走することが多い。パドックであまりにも力強く歩きすぎるのも考えものである。

踏み込みが深い馬(逃げて5馬身差の6着に惨敗)


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集中連載:「パドックの見方を極める」第5回

Paddock04_2■歩くリズムとスムーズさ
ここから先は、パドックの見方を極めるためのノウハウについて、詳しく書いていきたい。

まずは歩くリズムとスムーズさである。リズム良くスムーズに歩けている馬は、間違いなく好調だと考えてよい。リズム良くスムーズにとは、手綱を引く必要がほとんどないことに近い。これが意外に難しく、私の感覚だと、リズム良く歩けている馬はほとんどいない。厩務員や調教助手が傍らについて、手綱を引きながら周回しているからこそ、ようやくパドックを回っていられるのである。もし手綱を放してしまえば、どこに行ってしまうか分からない馬がほとんどだろう。もっとも、馬にとってパドックは非日常的な場所なので、落ち着いて歩けというのが無理な話なのだが、それでも精神状態が良い馬ほど、まるで鼻歌を歌うように平常心で歩くことが出来る。

パドックでは馬の精神状態を見ると書いたが、もうひとつ付け加えておくと、パドックではその馬の性格も知ることが出来る。大人しい性格、幼い性格、素直な性格、臆病な性格、激しい性格、のんびりした性格、せっかちな性格などなど、年齢や精神状態と相関して変化することはあっても、その馬の基本的な性格は大して変わることはない。知らない馬同士のレースを予想したり、知らない競馬場に行って競馬を楽しむ時に、パドックを見ることが欠かせない理由がここにある。競馬新聞には書いていない、馬の性格をパドックでは知ることが出来るのだ。

2009年9月20日、私は中山競馬場にいた。この連載を始めようと考えていたので、パドックでサンプル動画を撮るつもりであった。昼ぐらいからパドックに参戦したが、いきなり最初のレースでこれは!と思う馬をみつけた。


この馬が目に留まったのは、実にリズム良くスムーズに歩けていたからである。馬を引いている人の手綱には、ほとんど力が入っていない。もうパドックやレースに慣れているのか、観客を気にする様子も全くなく、自分のリズムで気持ち良さそうに歩いている。チャカチャカと小走りになっているでもなく、変に踏み込みが深すぎたりもしない。サラブレッドがきちんと調教をされて、気分良く出走してくれば、まさにこう歩くという歩き方である。

性格はいかにも素直そうである。人間とのコミュニケーションも良く取れているようで、こういう馬はレースに行ってジョッキーの指示に素直に従うし、多少の不利があっても我慢強く、レースを捨てない。自分の持っている能力を超える走りは出来ないが、出し切って走る可能性の高い馬であることが分かる。

私はこの馬の前走や前々走のパドックを見ていないので、タテの比較は出来ないが、もしかするとこれだけリズム良くスムーズに歩けたのは、今回が初めてかもしれない。たまたま体調が良いからこそ、入れ込むこともなく、悪さをするでもなく、綺麗に歩けているのかもしれない。それでも、今日この馬のパドックを見る限りは、体調が良く、理想的な精神状態で出走してきていることが分かる。だったら、今回こそこの馬を狙ってみたい。そう思わせてくれた。結局、この日で最も良く見えた馬であった。

結果は最後の直線で外から突っ込んできて2着。7番人気の人気薄だったので複勝は650円もつき、馬連は7020円、馬単は10200円の万馬券の立役者となった。もちろん、この時はたまたま結果が良かっただけだが、レースの流れやポジションや他馬との力関係が向けば、この馬が好走する可能性が高かったことは確かであろう。レースに行って、自分の力を出し切れる準備はすでに出来ていたのだ。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第4回

Paddock04

■馬の精神状態を見極める
ビリーがパドックで「Good」や「Great!」と評した馬は、人気の有無にかかわらず好走した。人気薄の馬を指名したかと思うと、次のレースでは人気馬を推したりした。人気馬はブッチぎり勝ち、人気薄の馬は大穴を開けることが多かった。まさに変幻自在で、この人は本当に馬が見えるのだろうなと思わされた。ビリーは競馬新聞こそ手に持っていたが、パドックに馬が歩いている時は、ほとんどパドックしか見ていなかった。

驚かされたのは、脚を引きずるように歩いていた馬や明らかに太目残りに映る馬を指名して、それらの馬があっさりと勝ってしまったことだ。競馬本で馬体の見方について学んだ私にとっては、到底走るとは思えない馬たちであった。最初の頃は、どういう基準で選んでいるのか、私にはさっぱり分からなかった。もちろん、ビリーの評価した馬でも負けることもあった。しかし、明らかに好走する確率が高く、時には大穴が来たりするので、それほど大金を賭けていたわけではないようだったが、かなりの儲けが出ていたことだけは分かった。

私はプライドをかなぐり捨てて、ビリーに尋ねた。

「どうやって馬を見ているのですか?」
「Takaは馬の身体を見ているようだけど、私は馬の身体はほとんど見ていないよ」
「え??じゃあどこを見ているのですか?」

ビリーが何度も繰り返し私に教えたのは、「パドックでは馬の身体ではなく心を見よ」ということであった。大切なのはこれだけと言っても過言ではなかった。少しかじっただけの知識を以って、私が馬の身体についての質問をすると、「Taka、身体を見ても分からないよ。心を見なさい」と優しく説いてくれた。その時は、ビリーの言葉の真意があまり理解できなかったが、今となってはハッキリと分かる。ビリーが伝えたかったことは、パドックという場所で私たちに分かることは、その馬の競馬(レース)に向かうにあたっての精神状態だということである。

馬の仕上がり状態やレースにおける肉体的な適性を把握することは困難である。一旦動き出すと、馬を見ることは難しくなる。静的システムが動的システムに変わった途端、極端に複雑になることに似ている。動いている(歩いたり、走ったりしている)馬を見ることは、私たちにとって至難のワザなのである。毎日馬と接している専門家にとってもそうなのだから、競馬ファンにとってはなおさらだろう。

それでは、どうするかというと、私たちはパドックを歩く馬が発する心のメッセージを読み取らなければならない。人間と同様に、いやそれ以上に、サラブレッドの身体と心はつながっている。体調や仕上がりが良ければ、馬は落ち着いて集中した精神状態になる。その逆もまた然り。馬の精神状態を見極めることが、実は体調や仕上がりを知ることにもなるのだ。「この馬は今どういう精神状態にあるのだろう」と考えることが、パドックの正しい見方なのである。

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