集中連載:「パドックの見方を極める」第13回

Paddock13

パドックであくびをしている馬を見て、図太い神経をした馬だなと思うことがあるだろう。何度かレースを経験した馬であれば、パドックを歩いているということは、この先、本馬場に出て、返し馬をして、いざレースが行われることを察知するのが普通である。そもそも、調教が強くなってきたことからレースが近づいていることを感じる馬もいるし、馬運車に乗ることで分かる馬もいる。サラブレッドは敏感な生きものなのである。にもかかわらず、これから極限の競走を強いられることを知ってか知らずか、パドックであくびをするなんて、ずいぶんとリラックスした精神状態である。

そんな時、私の友人が言っていた、あくびに関するひとつの説を思い出す。

「あくびって、眠かったり、退屈だったり、気持ちが緩んでいるから出るっていうのが俗説だよね。でも、俺はそれだけじゃないと思うんだ。あくびって、緊張を解くっていう効果もあるんじゃないかな。敢えてあくびをすることで、緊張を紛らわすというか、リラックスするというか。実際に、俺はそうしているし」

なぜこんな他愛もない会話を正確に覚えているかというと、友人がそれまでの話との脈絡なく唐突に話し始めたことと、さらにその内容のあまりの無意味さに驚いたからであった。だからどうなんだよ、別にどっちでもいいんだけど、と私は心の中でつぶやいたのだ。しかし、あれから9年が経った今でも覚えているということは、その内容には実は深みがあった(!?)のかもしれないし、少なくともパドックであくびをする馬を論じる際にネタとして使えたのだから、友人には感謝しなければならない。

パドックで馬があくびをしているのを見て、やる気の欠如と決め付けるのは早計である。もしかすると、パドックであくびをしている馬はやる気がないのではなく、緊張を紛らわそうと必死に抵抗しているのかもしれない。いや、そうに違いない。サラブレッドは私たちが考えるよりも遥かに敏感である。これから迫り来る恐怖に対する不安を乗り越えるために、意識的にせよ無意識にせよ、なんとかリラックスするためにあくびをしているのではないだろうか。

なんとも雲を摑むような話になってしまったが、私が言いたいことは、いずれにせよ、パドックであくびをしているような馬は買いたくないということだ。たとえやる気や緊張感がなくてあくびをしているのであれば、レースに行っての好走は望めない。そうではなく、極度の緊張状態をなんとか紛らわそうとあくびをしているのであれば、それはそれでレースにおいて力を発揮できるかどうか疑問である。

パドックであくびをしていることから想像できるのは、悪い結果だけである。

(次回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第12回

Paddock12

パドックで歩く馬の蹄の音に耳を澄ませたことはあるだろうか。蹄の音というよりは、蹄に装着された蹄鉄とパドックの路面がぶつかる音である。カッ、カッという鋭い音があれば、カポッ、カポッという鈍い音もある。ほとんど音が聞こえない馬もいるだろう。私たちはパドックに行くと、どうしても馬を観てしまうが、たまにはそれぞれの足音を聴いてみると面白い。

このことに気づいたのは、私が地方競馬に通っていた時代である。平日の地方競馬場に行き、第3、4レースぐらいのパドックに足を運ぶと、ほとんど観客がおらず、ゆっくりと静かに馬を観ることができた。私も最初は馬を観ていたのだが、静まり返ったパドックに鳴り響く馬の蹄の音が、どうしても気になって仕方なかった。

特に、カポッ、カポッという、お椀を返したような音を聴くと、その馬がこれから向かうレースで勝てる気が起こらなかった。なぜかと言うと、上手く説明するのは難しいが、どう考えても勝負とは無縁な音にしか聞こえなかったからであろう。サラブレッドというよりは、農耕馬が歩いているように感じたのかもしれない。実際に、カポッ、カポッという音を立てて歩いていた馬は、レースに行って走ったことがなかった。ほとんどの馬は人気薄であったが、たまに人気がある馬でもあっさり負けたりした。ある時から、カポッ、カポッという音を立ててパドックを歩く馬は走らないというジンクスは、私の中で確信に変わった。

今ならば、ある程度、その理由を説明できる。カポッ、カポッという音がするのは、蹄の外周部分が同時に着地するからである。たとえば、お椀を逆さにして、机の面に平行にして降ろしてみると、カポッと同じような音がするはずである。蹄の外周部分と地面が平行に同時に着くほど、その音は空気を含んだものになる。逆に、蹄の外周部分のどこかが先に着地すれば、カッ、カッという蹄鉄とパドックの路面との衝撃音だけ、もしくはほとんど無音に近くなるのだ。

なぜ蹄の外周部分が同時に着地するのが良くないかというと、それは歩き方の問題である。実は、現役のサラブレッドの多くは、つま先から着地するように歩く。それは速く走らなければならないという意識がそうさせる。常に前へ前へと推進するように調教されているからこそ、前のめりに歩くのである。カポッ、カポッという音がする、蹄の外周部分が同時に着地しているような馬は、緊張感に欠けるか、もしくは勝つ気がないかのどちらかであろう。リラックスしすぎているとも言える。つまり、「きちんと歩けて」いないということである。

前述したように、競走馬にとって「きちんと歩く」ことは非常に大切である。脚を引きずってデレデレ歩くのではなく、きちんと脚を上げてリズミカルに歩く。これは普通の歩き方ではないから、馬に「歩く」という意識、あるいは緊張感が必要である。人に引かれて歩くときは常にそういう歩き方をするのだとしつけておくと、馬は精神的に強くなるのだ。馬にそういう歩き方をさせるのが調教のひとつでもある。素質の高い馬で人気になっていても、きちんと歩いていない場合には、レースで気の悪さを出してということが起きたりする。きちんとした足音で歩けない馬は、きちんと走れないのである。

(第13回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第11回

Paddock11

馬の心理状態が最も端的に表れるのは、耳であると言っても過言ではない。馬の感情がストレートに表れてしまうので、私たちが馬の気持ちを知る手がかりとなることが多い。調教師や厩務員やジョッキーなど、馬に携わる人々は、馬の耳の動きや位置を観察することによって、馬が今何を考えているのか、何を気にしているのか、何を恐れているのかを察するのである。

馬は両方の耳を前後左右に、しかもそれぞれを別々に動かすことができる。左右の耳を別々に動かすことで、聴覚的に周囲の環境を探索するのである。また、耳を動かすことで、仲間同士でサインを送ることにも使われる。仲間の耳の動かし方や位置を見ることで、相手の感情を読み取ることができるのである。

緊張していない時の耳は、ほぼ直立し、前方やや外側を向いている。この基本位置が、周囲の状況を最も把握できる体勢なのである。パドックをこういう耳で歩けている馬は、これから行われるレースに集中できているはずである。それとは逆に、耳を左右に動かしている馬は、不安を感じ周囲を気にしているということが分かる。たとえ同じリズムで歩いていたとしても、耳の動きが違えば、その馬の精神面は全く違うということである。

Ear01レースに集中できている耳

Ear03不安を感じ周囲を気にしている耳

もうひとつ、馬は怒りや不快感を覚えると左右の耳を絞る。絞るというと分かりにくいかもしれないので言い換えると、耳を頭の後方にピタリと張り付け、前からでは見えないようにした状態のことである。馬が攻撃衝動や優越感を抱いた時の典型的な姿勢である。なぜ耳を絞ることが攻撃衝動を表すのかというと、それはかつて仲間の攻撃から耳を守るためにとった姿勢に由来している。耳をピタリとつけてしまえば、かじられたり、引き裂かれたりすることが難しくなるからだ。

Ear02怒りや不快感を覚えたり、他馬を気にしている耳

パドックや返し馬で、他馬が近くに寄ってきた際に耳を絞る仕草を見せる馬は、他馬を気にする馬である。この傾向が極端に見られるようであれば、実際のレースに行って、他馬を気にしてばかりでレースに集中することなく、力を出し切れずに終わってしまうという結末に陥りやすい。もちろん、ジョッキーも他馬になるべく近づけないように工夫して乗ったりもするが、それでも競馬が集団で行われる以上、レースのしづらい馬であることに間違いはない。こういう馬は、よほど力が抜けているか、展開に恵まれない限り勝ち負けになるのは難しい。

これは余談だが、パドックならまだしも、実際のレースに行っても耳あてをしたメンコをして走る馬は買いづらい。耳あてをするのは、周囲の騒音から遮断されることで、馬が大人しくなったり、落ち着くからである。が、馬がレース中、後方にいる他馬との距離を音で判断する以上、馬の耳をレースで覆ってしまうことは判断力を鈍らせることにつながるのである。ジョッキーからの掛け声やムチの音に反応するのもまた耳である。

海外の競馬を見ても、メンコをつけて走る馬はたくさんいるが、両耳をすっぽりと覆う耳あてをしながら走らせるのは日本だけである。前述のように、耳あては馬だけではなく、耳の動きで馬の気持ちを察するジョッキーの判断力も鈍らせることになる。ジョッキーにとっては、何を考えているか分からない馬に乗るのはそれだけで怖いことなのだ。馬券を買う側にとっても、基本的には実際のレースで耳あてをつけて走る馬は買いたくないというのが本音である。

(第12回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第10回

Paddock10

続いて、発汗について。サラブレッドは人間と並び、2大汗かき動物の1種である。1回の競走で、なんと10リットルもの汗をかくとされている。だから、個体別の差こそあれ、汗をかくことは問題ではない。問題なのは、まだ競走が始まっていないパドックという場で、すでに大量の汗をかいていることである。人間よりも暑さに弱いので、夏場は仕方ないにしても、私たちが見て明らかに異常とも思えるほどの汗をパドックで流している馬は、疑ってかかるべきである。運動量が多いとか、新陳代謝が良いという理由ではない、精神的な影響がそこにはあるはずだからだ。

特に、ゼッケンや股が擦れて石鹸の泡状になってしまっている部分が目立つ馬は要注意である。別に石鹸のような汗自体が悪いわけではなく、なぜ石鹸のような汗になってしまうかというと、馬の汗にはラセリンという物質が含まれているからである。ラセリンには石鹸と同じような働きがあり、脂分と水分をなじみやすくすると同時に、表面張力を抑え、汗の水分が被毛を伝わって皮膚全体に広がりやすくする機能がある。汗にラセリンが含まれていることで、汗が全身に広がり、体表からの放熱効果があるのだ。つまり、石鹸のような汗が目立つということは、その馬が大量の汗をかいたということを意味するのだ。

藤沢和雄調教師の管理馬にバブルガムフェローという馬がいた。朝日杯3歳Sを楽勝し、クラシックの最有力候補に躍り出たサンデーサイレンス産駒である。のちに天皇賞秋を3歳馬として初めて勝利することになる素質馬であった。しかし、スプリングS前あたりから調教のピッチが上がるにつれ、発汗が目立ち始めるようになった。

藤沢和雄調教師によると、冬の間ずっと美浦にいたため環境に飽きてしまったという。ストレスがたまって、走ることが嫌になっていたそうだ。そういう精神的な影響が発汗として現れたのである。バブルガムフェローは結局、スプリングSをなんとか勝利するも、皐月賞前に骨折をしてしまい、クラシックを棒に振ってしまった。汗をかくというレベルではない、極端な発汗は、馬の精神的なストレスの兆候だと考えることができるのだ。

それでは、実際のパドックでの例を見てみよう。今年の天皇賞春の当日、私は京都競馬場のパドックにいた。天皇賞春の前の9R(鷹ケ峰特別)に出走する馬たちがパドックに現れた瞬間、「さすがにこれは厳しいな」と感じさせる馬がいた。加藤征弘厩舎のブルーミンバーである。実はこのレースは、このブルーミンバーとスカイノダンという2頭の牝馬が人気を2分していて、実績だけを見ると、どちらが先着するのか見極めが難しかった。

ただ、パドックを見れば明らかであった。ブルーミンバーはゼッケン下と股の部分に石鹸のような汗を大量に発汗しているのだ。これだけの発汗は、精神的なストレスから来るものであって、この馬がこの後のレースに行って力を発揮できるとは思えなかった。対照的に、スカイノダンは悠然とパドックを歩き、川田将雅騎手が跨るとピリッとした気合を見せていた。私はもちろんスカイノダンの単勝を勝って応援した。スカイノダンは私の期待に応えて勝ってくれたが、ブルーミンバーはあれだけの発汗をしながら2着と健闘した。ブルーミンバーがもう少しまともな精神状態で走れていたら、この馬が勝っていたはずである。


天皇賞春が終わり、最終レースのパドックでも発汗の目立つ馬が1頭いた。この馬は口から泡を吹くように発汗していた。藤原英昭厩舎のロードアリエスという馬である。この馬は私が菊花賞で本命を打った馬であり(7番人気11着)、その後は自己条件で好走を続け、このレースでは1番人気に推されていた。自在性と安定感のある走りっぷりから、大きく崩れるとは考えにくかったが、このパドックを見てしまうと、どうしても買えない。休み明けを叩かれて、逆に2走ボケなのか、精神的に参ってしまっているようである。私は馬っぷりもパドックでの様子も素晴らしかったジャコスキーに賭けた。結果はスズカサンバの大駆けにあってしまい2着であったが、ロードアリエスを買わなかったことは正解であった。


このように、私たちが見て明らかに異常とも思えるほどの汗をパドックで流している馬は、疑ってかかるべきである。今回、パドックで発汗していたブルーミンバーとロードアリエスの2頭は、どちらも敏腕として東と西で名を馳せている加藤征弘調教師と藤原英昭調教師の馬である。これだけの調教師が追い切りをかけ、きちんと仕上げても、馬の精神状態が優れなければ、レースでは勝てないのである。1番人気に推されるほどの力の持ち主でも、レースで力を発揮できずに負けてしまうのである。異常とも思えるほどの発汗には、必ずや精神的な影響があるのだ。

(第11回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第9回

Paddock09

「目は口ほどにモノを言う」ということわざがあるように、もともと口がきけない馬にとっても、目は心を映し出す窓である。ディープインパクトやキングカメハメハなど、数々の名馬を探し当てた金子真人オーナーは、馬選びの際に“まずは目を見る”という。私も同感である。馬の目には、喜怒哀楽といった感情や状態だけではなく、その馬の性格すらも映し出される。気性が穏やかで賢い馬は、黒く澄んだ目をしているものだ。

パドックで馬を見る時にも同じことが当てはまる。やる気や気合は目に表れてくるものであり、生き生きとして底光りするような眼光の馬は、間違いなく体調が良い。逆に目に精彩を欠き、どんよりとショボショボしているような目をしている馬は、明らかに調子を落としている。たとえば、連闘で疲れている馬の目はどんよりと濁っているし、走る気のない馬は、ずるそうに相手をうかがいながら、走るフリをしている目になる。この辺りを言葉で説明するのは難しいが、元来、私たち人間には、相手の目を見て心を推し量る能力が備わっているのではないだろうか。あなたが見て、「走る気になっている」、「元気がなさそう」などと感じたら、その直感をまずは大事にしてみて欲しい。

また、パドックにおいて、あまりキョロキョロしている馬は心配である。視覚の構造上、馬は頭全体でモノを見ることになる。モノを見ようとしている馬は、頭を上げたり、下げたり、ぐるりと見回して見たりする。なぜかと言うと、レンズの厚さや形を変える毛様筋の発達がよくないため、網膜の上にきちんとした映像を作るのに時間がかかるからである。そこで、頭を動かすことによって、焦点が合いやすいよう調整する。だから、人間に比べると、頭を動かしてキョロキョロしているように見えるのは当然である。ただし、パドックであまりキョロキョロしている馬は、周りが気になってレースに集中できないというサインでもある。実際のレースでは、ほんの少しよそ見をしただけで、2、3馬身は遅れてしまうのだ。

周りが気になって集中できない馬には、ブリンカーやチークピーシズ、ホライゾネットなどの馬具を着けることもある。馬は両眼でほぼ350度という非常に広い視野を持っていて、左の目で馬場の柵を見ながら、右の目でスタンドの観衆を眺めて走るという芸当ができる。突然の出来事を即座に見て取ることは出来ないかわりに、見える範囲が人間に比べて広く、1度に2つのものを見ることが出来る。このような馬特有の視覚が、後ろを気にする馬や他馬に並ばれるとヒルんでしまう馬にとっては、不都合となる場合もある。そこで、ブリンカーや、チークピーシズ、ホライゾネットによって後方の視野を制限された馬は、馬群を気にすることなくレースに集中することで、見違えるような能力を発揮できる場合もあるのだ。


こういった馬具は、初めて装着する時の効果が最も大きいということも覚えておきたい(良い意味でも悪い意味でも)。初めてブリンカーやチークピーシズ、ホライゾネットを使う馬が、刺激を受けたことによりまさかの激走(または凡走)をすることがある。しかし、その効果は、馬が馬具に慣れてしまうことにより、次第に薄くなっていくということである。そもそも馬具は馬の弱さを補うための道具である。藤沢和雄調教師が「出来ることなら馬具など一切着けずにレースに出走させたい」と語っているように、馬具を着けているということは、その馬のどこかに弱いところがあることの証明に他ならない。私はそういう馬に大金を賭ける気には到底なれない。

(第10回へ続く→)

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関連リンク
「ガラスの競馬場」:チークピーシズ

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集中連載:「パドックの見方を極める」第8回

Paddock08

■舌がハミを越している馬
ここまでは歩き方について書いてきたが、ここから先は、もう少し小さな部分へと論を移していきたい。

まずは舌である。パドックで馬を観ていると、よく馬が舌を出して遊んでいるようなシーンに出会うことがある。舌がハミを越して、口の外に出てしまっている状態である。おそらく、あなたはあまり良い印象を受けないだろう。調教やレースにおいて舌がハミを越してしまうことのデメリットは、書籍「馬券のヒント」や前回の集中連載「調教の全て」に書いた。同じことがパドックにおいても言えて、舌がハミを越してしまうことにプラスの要素は全くない。もっとも、パドックで舌がハミを越していても、レースに行ってしっかり走れば問題ないのだが、それだけの話ではない。


パドックにおいて、馬の舌がハミを越していることには、およそ2つの理由が考えられる。

ひとつは、馬が集中力を欠いてしまっているということ。体調が良くなかったり、競走(競争)する気持ちが失われていたり、何らかの理由があって、競馬に集中できていないからこそ、舌でハミを遊ぶという行為に出てしまう。目の前の状況から逃げたいと思う気持ちの表れでもある。人も落ち着かない時に、つい煙草を吸ったり、貧乏ゆすりをしてしまったりするだろう。人間のように「なんだかやる気が出ないんだよね」とは言えない代わりに、馬はちょっとした仕草でその気持ちを表現するのだ。

ふたつ目は、ハミが合わない、もしくはハミを嫌がっているということである。ハミという言葉が出てきたので、せっかくなのでハミとハミ受けのメカニズムについて少し書いてみたい。ハミは馬を制御するための重要な道具である。ジョッキーの手綱の先の金輪には、2本のこん棒をつないだようなハミがついている。ハミは馬の口の中に入っているので、外から見えるのは金輪だけだが、ここがジョッキーの操作によってアクセルになったり、ブレーキになったりする操縦部分である。

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馬の顔が長いのが特徴であるが、もちろん口(口腔)も長い。その長い口(口腔)の後ろの両端が「口角(くちかど)」と呼ばれる部分である。私たちが小さい頃、両手の指で左右に拡げ、「イーー!」とやっていたあの部分である。口を大きく開くと、この口角の近くに全く歯のない部分がある。この歯のない部分が「ハミ受け」である。ジョッキーの手綱の先についた、こん棒のようなハミが通るのは、この歯のない部分である。

口の中に入ったハミは、舌の上にのって、ハミ受けを通り、口角のところで金輪と繋がる。その金輪につけた手綱を持ったジョッキーがハミを引いたり、緩めたりして、ハミ受けと口角にくわえる圧迫を調整するのである。ハミ受けと口角は極めて敏感な部分なので、圧迫の強弱を感じ取って、速く走るべきなのか遅く走るべきなのか、また止めるべきか走るべきか、といった信号を理解するわけである。

口の構造でハミを嫌う馬や口が硬くなる馬がいる。ハミは馬の舌の上にのって、ハミ受けを通り、口角に端が当たるようになっている。口の構造上、ハミの金具が直接ハミ受けだけに当たってしまう。ハミ受けに痛みを感じると、舌でハミをよけようとしたり、頭を上げてハミを外そうとするのだ。逆にハミを舌の表面で受け止めてしまい、ハミ受けに圧迫を感じない馬もいる。ハミの圧迫が舌と口角だけで受けとめられるから、手綱を引いても手応えがない。いわゆる「口が硬い馬」ということだ。

パドックで舌がハミを越して、ハミをカチャカチャさせている馬には、口の構造上、ハミが合っていないもしくはハミが嫌いという馬が多い。こういう馬にレースでジョッキーが乗ると、道中でハミの操縦に抵抗して引っ掛かったり、勝負どころでハミの伝える騎手の命令に従順に対応しなかったりということが起こる。折り合いがつかなければ馬も騎手も消耗してしまうし、右か左のどちらかの口が硬い馬はしばしば寄れグセを出すので乗りにくい。そもそも、ハミがしっかりと掛からなければスピードに乗ることは出来ないのだ。

(第9回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第7回

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■きちんと歩くこと
馬を歩かせることを常歩(なみあし)というが、常歩は意識して歩くことなので、馬はこれが好きではない。しかし、人に引かれて歩くときは必ずそうするのだと教えておくと、馬は勝手な行動をしなくなり、人間の指示に素直に従うようになる。それによって、人も馬もより安全になるだけではなく、レースに行ってもジョッキーの合図にきちんと応えて走られる馬になる。

日本を代表するトレーナーである藤沢和雄調教師は、著書「競走馬私論」の中で、きちんと歩くことについて以下のように書いている。

競走馬にとって「きちんと歩く」ことは非常に大切である。脚を引きずってデレデレ歩くのではなく、きちんと脚を上げてリズミカルに歩く。馬にもそういう歩き方をさせるのである。

これは普通の歩き方ではないから、馬に「歩く」という意識、あるいは緊張感が必要である。人に引かれて歩くときは常にそういう歩き方をするのだとしつけておくと、馬は精神的に強くなる。我慢が効くようになると言ってもよい。しかも、こうして歩いているときは、馬がそれに意識を集中しているので、急に暴れたりすることがない。

(中略)

競馬場のパドックでは、厩務員が出走馬を引いて歩く。このとき人馬ともに「きちんと歩いているか」を見るとよい。素質の高い馬で人気になっていても、きちんと歩いていない場合には、レースで気の悪さを出して―――ということが起きたりする。きちんと歩けない馬はきちんと走れないのである。

パドックにおいて、私たちはついつい馬体を見てしまうが、何よりも先に見るべきは馬の歩き方なのである。普段からきちんと歩く訓練をしていないと、パドックでもきちんと歩くことはできない。パドックできちんと歩けない馬が、レースに行ってきちんと走れるとは思えない。いくら素質が高く、能力に溢れていたとしても、人間(騎手)の指示に従わずに暴走してしまってはレースで勝利するのは難しいのである。

理想的な歩き方としては、首を下げて、トモ(後肢)をしっかり踏み込み(踏み込みすぎるのは×)、歩くことに気持ちを集中しているということ。これが意外と難しく、急に首を上げてみたり、小足を使ってチャカついてみたり、あたりをキョロキョロと見回してみたりと、オープンクラスの馬でもきちんと歩けない馬もいる。もちろん、上のクラスの馬ほどきちんと歩けるし、古馬の方が若馬よりもきちんと歩ける。きちんと歩けるということは、精神面を含めたその馬の競走馬としての資質をストレートに表していると言えるだろう。

きちんと歩けている馬


きちんと歩けていない馬


ましてや、パドックで順番に歩けない馬など論外である。パドックでは出走番号順に登場し、周回を重ね、そして番号順に退場していく。1番の馬の次は2番の馬で、その次は3番の馬である。そのように歩くのがルールなのだ。しかし、たまに1番、2番、4番というように、3番の馬が番号順の周回から外れてしまっていることがある。どこに行ってしまったのかと見回すと、一番後ろにポツンと付いて回っていたりする。他馬が後ろや前にいることを気にするのだろうか、それとも人間の言うことに従わないのだろうか。いかなる理由があろうとも、この3番の馬はきちんと歩くことができない馬である。このようにきちんと歩けない馬は、まずレースでも勝てない。

すでに自分が買ってしまった馬が、パドックできちんと順番に歩けていないと非常にがっかりしてしまう。この時点で、既にハズレに確定の赤ランプが灯ったようなものだ。いまだかつて、このような馬が好走した記憶がないし、案の定、凡走してしまったというケースがほとんどである。つまり、きちんと歩けないということは、それだけで馬券の対象から消す十分な根拠となりうるのである。

これは余談だが、パドックの外側や内側を歩かせることで順番を調節することもある。気合乗りが良く、前進意欲に満ち、踏み込みがしっかりとしている馬であれば、自然とパドックで歩くスピードも速くなる。パドックでは順番に歩かなければならないため、歩くスピードの速い馬はなるべくパドックの外側を歩き、遅い馬はパドックの内側を歩くことで調整する。同じ馬であっても、調子が良い時はパドックの外側を歩いているが、疲れが出て調子が悪くなってくると内側を歩くことがある。パドックのどこを歩いているかで調子を判断することも出来るのだ。

(第8回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第6回

Paddock05

リズム良くスムーズに歩くと対照的な状態は、「入れ込み」である。一般的に、「入れ込む」とはレースに対して気持ちが入りすぎて、周りが見えないということだろうか。だからこそ、「気合乗りが良い」と「入れ込み」は区別が難しいと思われてしまう。どちらもレースに対して気持ちが向いている状態で、それが自分でコントロールできていれば「気合乗りが良い」、できていなければ「入れ込んでいる」とされる。「入れ込んでいる」にもかかわらず、「気合乗りが良い」と評価されたり、またその逆も然り。そのような例を挙げれば、枚挙に暇がないだろう。

実際のところ、「入れ込み」と「気合乗が良い」はベクトルが全く違う。「入れ込み」は馬が目前に迫ったレースから逃げようとしている状態なのに対し、「気合乗りが良い」はレースに向けて闘争心を滾(たぎ)らしている状態なのである。つまり、馬の精神状態が全く違うということだ。

サラブレッドはレースの苦しさを知っている。記憶力が非常に良く(特に嫌な記憶については)、ほんの些細なことでも永遠に覚えているという。ましてやレースに行って、極限まで全速力で走り続けさせられる競馬に対し、プラスの感情を持っている馬は限りなく少ない。調教が強くなってくれば、レースが近いことを察し、普段から入れ込みがきつくなる馬もいる。いつもと違う場所に連れて行かれ、大勢の人間の前で長時間歩かせられれば、入れ込まない方がおかしいのかもしれない。

それでも敢えて、なぜ馬が「入れ込む」かというと、レースに向けての準備が出来ていないからである。肉体的には、休み明けで体がきっちり出来上がっていなかったり、使い込まれていて余力が残っていない。また、精神的には、レースに飽きてしまっている、逆に実戦から遠ざかって久々である等など、どこか苦しいところがあるのである。誰よりも馬自身が、自分がこのままレースで走れば苦しいことになる、と知っているからである。「入れ込み」の原因はその馬の性格であることも多いが、基本的には体調が良くない時ほど「入れ込み」はキツいと考えてよい。今これから行われようとしている苦しいレースから、一刻も早く、とにかく逃げ出したいと思って「入れ込む」のである。

「入れ込んだ」状態は、あらゆる要素から見極めることが出来るが、歩くリズムとスムーズさはそのひとつである。リズム良くスムーズに歩けていない、つまり、歩いては止まり、また急に急いで歩き出したり、立ち上がったりして、手綱を放すとどこへ行ってしまうか分からない馬は、間違いなく「入れ込んで」いる。鼻歌を歌うとは縁遠く、我を忘れてしまうほど興奮してしまっているである。

入れ込んでいる馬(13頭立ての12着に惨敗)


踏み込みが深すぎる(強すぎる)ように見える馬も要注意である。一般的に、踏み込みが深い馬は調子が良いとされるが、ただ単に気持ちが空回りしている場合が多い。こちらの場合は、レースに対する気持ちが強すぎて、肩に力が入りすぎていると考えてもらえば分かりやすい。グッ、グッと前に進むので、一見、リズム良く歩けているように映るが、決してスムーズとは言いがたい。流れるように歩くのではなく、上下動が激しい歩き方である。このような歩き方をするのは短距離馬に多く、その力みが前向きさにつながり好走することも稀にあるが、ほとんどはレースに行くと力を出せずに凡走することが多い。パドックであまりにも力強く歩きすぎるのも考えものである。

踏み込みが深い馬(逃げて5馬身差の6着に惨敗)


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集中連載:「パドックの見方を極める」第5回

Paddock04_2■歩くリズムとスムーズさ
ここから先は、パドックの見方を極めるためのノウハウについて、詳しく書いていきたい。

まずは歩くリズムとスムーズさである。リズム良くスムーズに歩けている馬は、間違いなく好調だと考えてよい。リズム良くスムーズにとは、手綱を引く必要がほとんどないことに近い。これが意外に難しく、私の感覚だと、リズム良く歩けている馬はほとんどいない。厩務員や調教助手が傍らについて、手綱を引きながら周回しているからこそ、ようやくパドックを回っていられるのである。もし手綱を放してしまえば、どこに行ってしまうか分からない馬がほとんどだろう。もっとも、馬にとってパドックは非日常的な場所なので、落ち着いて歩けというのが無理な話なのだが、それでも精神状態が良い馬ほど、まるで鼻歌を歌うように平常心で歩くことが出来る。

パドックでは馬の精神状態を見ると書いたが、もうひとつ付け加えておくと、パドックではその馬の性格も知ることが出来る。大人しい性格、幼い性格、素直な性格、臆病な性格、激しい性格、のんびりした性格、せっかちな性格などなど、年齢や精神状態と相関して変化することはあっても、その馬の基本的な性格は大して変わることはない。知らない馬同士のレースを予想したり、知らない競馬場に行って競馬を楽しむ時に、パドックを見ることが欠かせない理由がここにある。競馬新聞には書いていない、馬の性格をパドックでは知ることが出来るのだ。

2009年9月20日、私は中山競馬場にいた。この連載を始めようと考えていたので、パドックでサンプル動画を撮るつもりであった。昼ぐらいからパドックに参戦したが、いきなり最初のレースでこれは!と思う馬をみつけた。


この馬が目に留まったのは、実にリズム良くスムーズに歩けていたからである。馬を引いている人の手綱には、ほとんど力が入っていない。もうパドックやレースに慣れているのか、観客を気にする様子も全くなく、自分のリズムで気持ち良さそうに歩いている。チャカチャカと小走りになっているでもなく、変に踏み込みが深すぎたりもしない。サラブレッドがきちんと調教をされて、気分良く出走してくれば、まさにこう歩くという歩き方である。

性格はいかにも素直そうである。人間とのコミュニケーションも良く取れているようで、こういう馬はレースに行ってジョッキーの指示に素直に従うし、多少の不利があっても我慢強く、レースを捨てない。自分の持っている能力を超える走りは出来ないが、出し切って走る可能性の高い馬であることが分かる。

私はこの馬の前走や前々走のパドックを見ていないので、タテの比較は出来ないが、もしかするとこれだけリズム良くスムーズに歩けたのは、今回が初めてかもしれない。たまたま体調が良いからこそ、入れ込むこともなく、悪さをするでもなく、綺麗に歩けているのかもしれない。それでも、今日この馬のパドックを見る限りは、体調が良く、理想的な精神状態で出走してきていることが分かる。だったら、今回こそこの馬を狙ってみたい。そう思わせてくれた。結局、この日で最も良く見えた馬であった。

結果は最後の直線で外から突っ込んできて2着。7番人気の人気薄だったので複勝は650円もつき、馬連は7020円、馬単は10200円の万馬券の立役者となった。もちろん、この時はたまたま結果が良かっただけだが、レースの流れやポジションや他馬との力関係が向けば、この馬が好走する可能性が高かったことは確かであろう。レースに行って、自分の力を出し切れる準備はすでに出来ていたのだ。

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集中連載:「パドックの見方を極める」第4回

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■馬の精神状態を見極める
ビリーがパドックで「Good」や「Great!」と評した馬は、人気の有無にかかわらず好走した。人気薄の馬を指名したかと思うと、次のレースでは人気馬を推したりした。人気馬はブッチぎり勝ち、人気薄の馬は大穴を開けることが多かった。まさに変幻自在で、この人は本当に馬が見えるのだろうなと思わされた。ビリーは競馬新聞こそ手に持っていたが、パドックに馬が歩いている時は、ほとんどパドックしか見ていなかった。

驚かされたのは、脚を引きずるように歩いていた馬や明らかに太目残りに映る馬を指名して、それらの馬があっさりと勝ってしまったことだ。競馬本で馬体の見方について学んだ私にとっては、到底走るとは思えない馬たちであった。最初の頃は、どういう基準で選んでいるのか、私にはさっぱり分からなかった。もちろん、ビリーの評価した馬でも負けることもあった。しかし、明らかに好走する確率が高く、時には大穴が来たりするので、それほど大金を賭けていたわけではないようだったが、かなりの儲けが出ていたことだけは分かった。

私はプライドをかなぐり捨てて、ビリーに尋ねた。

「どうやって馬を見ているのですか?」
「Takaは馬の身体を見ているようだけど、私は馬の身体はほとんど見ていないよ」
「え??じゃあどこを見ているのですか?」

ビリーが何度も繰り返し私に教えたのは、「パドックでは馬の身体ではなく心を見よ」ということであった。大切なのはこれだけと言っても過言ではなかった。少しかじっただけの知識を以って、私が馬の身体についての質問をすると、「Taka、身体を見ても分からないよ。心を見なさい」と優しく説いてくれた。その時は、ビリーの言葉の真意があまり理解できなかったが、今となってはハッキリと分かる。ビリーが伝えたかったことは、パドックという場所で私たちに分かることは、その馬の競馬(レース)に向かうにあたっての精神状態だということである。

馬の仕上がり状態やレースにおける肉体的な適性を把握することは困難である。一旦動き出すと、馬を見ることは難しくなる。静的システムが動的システムに変わった途端、極端に複雑になることに似ている。動いている(歩いたり、走ったりしている)馬を見ることは、私たちにとって至難のワザなのである。毎日馬と接している専門家にとってもそうなのだから、競馬ファンにとってはなおさらだろう。

それでは、どうするかというと、私たちはパドックを歩く馬が発する心のメッセージを読み取らなければならない。人間と同様に、いやそれ以上に、サラブレッドの身体と心はつながっている。体調や仕上がりが良ければ、馬は落ち着いて集中した精神状態になる。その逆もまた然り。馬の精神状態を見極めることが、実は体調や仕上がりを知ることにもなるのだ。「この馬は今どういう精神状態にあるのだろう」と考えることが、パドックの正しい見方なのである。

(第5回に続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第3回

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■ビリー・‘ザ・キッド’
アメリカの競馬場は勝負師たちにとってパラダイスのような場所である。現地でのレースが終わると、続いてアメリカの他場で行われるレースがテレビで始まり、競馬場は一転してウインズと化す。そのうちナイターで行われる馬車レースが始まり、そうこうしていると、なんと香港のレースまで買えたりする。楽しい時間はあっという間に過ぎてゆく。

ある日、夢中になっていて、ふと気が付くと時刻は夜の11時過ぎであった。慌てて競馬場から飛び出し、タクシー乗り場を見ると、タクシーの姿は1台たりとも見当たらない。周りを見渡してみても、こんな所にホテルなどあるはずもない。車で迎えに来てくれる友人もいない。アメリカにやって来て間もない私でも、夜の競馬場周辺に野宿することが、どれほど危険なことかは分かった。生まれて初めて、本気で背筋がゾッとした瞬間である。

真っ白になった頭でようやく思いついたのは、タクシー会社に電話をしてタクシーを呼ぶという方法だ。アメリカにやって来て間もない私の英語力で、タクシーを競馬場まで呼び寄せる自信などなかったが、そんなことを言っている場合ではない。あたりをキョロキョロと見わたしてようやく公衆電話を見つけた。が、肝心のタクシー会社の電話番号が分からない。日本みたいに電話帳などないのだ。エエイ、こうなったら分からないことは人に聞いてみようと覚悟を決め、競馬場の入り口に立って、ポツリポツリと出てくる男たちの一人に意を決して声を掛けた。

「Excuse me!Could you tell me~?」

私が話しかけた長身の男は、彫りが深く、インディアンの血が混じっているような風貌をしていた。私の拙い英語を聞き取ってくれたのか、親切にタクシー会社の番号を教えてくれた。

私は礼を述べ、すぐさま公衆電話へ走った。受話器を取りダイヤルを回してみたが、どれだけコールを鳴らしても相手は出なかった。番号が間違っていたのか、それとも受付が終了していたのか、今でも分からない。私は受話器を静かに置いた。悲嘆に暮れた私は、その場に座り込んだ。深夜の競馬場には残っているのは私だけであった。

まさかこういう形で、競馬で人生が終わるとは…。

そんな時、私の目の前で男の声がした。見上げると、さきほどの男であった。「タクシーは来ないのか?」とかそういうことを聞いていたのだろうが、私には聞き取れなかった。それでも、「車で送って行こうか?」というところだけはなんとなく理解できた。

助かった!と素直に思ったが、すぐさま不安も湧いてきた。あまりにも親切すぎる提案に、もしかしたら法外なお金を取られるのではないか、もしかしたらどこかに連れ去られるのではないか、など悪い妄想も広がっていった。私の頭の中がグルグルと高速回転して、1秒後に出した答えは「Please.」であった。

祈るような気持ちで男の車に乗り込んだ。沈黙が続き、競馬場から私の自宅までのおよそ30分は、1時間にも2時間にも感じた。あまりにも長く感じたので、どこかに連れ去られるのだと思い、何度ドアを開けて飛び降りようとしたことか。それでも私は、その男を信じるしか生きる道はなかった。当時アメリカの最強馬であったシガーがどれだけ強いかという話をすると、ようやく私たちは饒舌になり、お互いに気持ちが通じ合った気がした。

男の名前はビリー、私はTakaと呼ばれることになった。

翌日、私たちは競馬場で再会した。ビリーの周りにはたくさんの競馬仲間がいて、ビリーは私を彼らに紹介してくれた。この時点では、ビリーは私にとって命の恩人にすぎなかったが、それから共に競馬場で時間を過ごすうちに、ビリーは競馬の師匠にもなっていった。彼は馬を見る天才であった。あまり詳しいことは教えてくれなかったが、小さい頃から馬に携わる仕事をしていたらしい。競馬仲間は彼のことを、ビリー・ザ・キッドとかけて、“The Kid(競馬の神の子)”と呼んでいた。

そう、実はこの連載で私が書こうと思っている馬の見方は、決して私が独力で編み出したものではない。ビリーに教えてもらったことに、私が少しだけ味付けをしたものである。偉そうに書いていても、それはビリーからの受け売り半分だということをまずは記しておきたい。

(第4回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第2回

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■私のパドック遍歴
パドックの見方について話を進める前に、私のパドック遍歴について書いておくべきだろう。おそらくほとんどの競馬ファンがそうするように、パドックを見ることを馬券の中心に据えていた時期が私にもある。最初の頃はウインズのモニター中心であったが、競馬を始めて3、4年経った頃だろうか、実際のサラブレッドが見て予想がしたくなり、競馬場のパドックに足繁く通い始めた。主戦場は中央ではなく地方競馬場のパドックであった。

地方競馬(私の場合は南関東)はいつもどこかで開催されているため、毎日でもパドックに立つことができる。前日に全レースを予想し、その中でも自信のある馬を、当日パドックで実際に見てから買うのだ。出走馬をまんべんなく見わたすのではなく、自分の買いたいと思っている馬だけをじっくり見た。地方のジョッキーが毎日実戦で乗ることによって上手くなるように、私も大井、川崎、船橋、浦和競馬場と南関東を転戦し、ほぼ毎日のようにパドックを見て、勝負し続けた。私のパドックの原点は地方競馬にある。

しかし、その頃の成績は良くも悪くもなかった。いや、あれだけ真剣に見たにもかかわらず、負けて帰る方が多かったように思う。良く見えた馬が凡走して、それほど良くは見せなかった馬が好走したりした。不思議に思った私は、数々の馬券本を読み漁り、パドックでの馬の見方の知識を貪欲に吸収した。そして、馬の歩様、踏み込みの深さ、蹄の形、肩の出、トモの張りなど、あらゆる細部にも目を配らせてみたが、やはり結果は同じであった。偉そうに専門用語を並べることは出来るようにはなったが(笑)、馬が本当に見えているのかというと自信がなかった。もっと正直に言うと、馬の歩様、踏み込みの深さ、蹄の形、肩の出、トモの張りなど、見ても全くもって分からなかった。私には馬を見るセンスがないのかと悔しく思ったものだ。

そんな私にとってのブレイクスルーとなったのは、1年間に及ぶアメリカへの留学である。詳細はここでは書かないが(極めて個人的なことなので)、私は競馬歴が6年目となる時期に、アメリカのサンフランシスコに渡るという幸運を得た。サンフランシスコでの生活に慣れるや、私はベイメドウズという競馬場に通い始めた。当時はシガーという馬が圧倒的な強さで大レースを勝ち続け、アメリカ競馬の話題の中心となっていた。

最初はアメリカ競馬の何から何までが新鮮で楽しかった。アメリカの競馬ファンは、レースがスタートするとすぐに盛り上がり始める。「Go、Go!」と道中ずっと声援を送るのである。直線になってようやく声が出始める日本とは大違いである。これはアメリカと日本のレースの質の違いを表していると思った。スタートしてから息をつく暇もなくガンガン飛ばしていくアメリカ競馬と、道中は折り合いを付けることに専念して、直線でヨーイドンになりやすい日本競馬の違いである。

楽しくて仕方なかったアメリカ競馬だが、馬券の方はヒドイ有り様であった。ただでさえ日本に比べると情報が少ない中で、英語の専門用語で書かれた競馬新聞を読んでみても、さっぱり分からない。前走の着順ぐらいしか、予想するための材料はないように思えた。必然的に、私の足はパドックへと向かった。

しかし、ベイメドウズ競馬場のパドックは、私が考えていたパドックとは違った。馬の装鞍所と一緒になっているようで、次走に出走するにもかかわらず、まだ鞍さえ付けていない馬もいる。出走時間が近づいてくると、おもむろに厩務員らしき人が馬を引き始めたと思いきや、1、2周しただけで、あっという間に本馬場へ向けて私たちの前から去って行ってしまう。馬券を買っている競馬ファンに馬を見せようという意識などひとかけらもない。だからか、パドックを熱心に見ようという馬券おやじもチラホラとしか見かけなかった。大勢の人々に囲まれたパドックを、レース前に10分以上にわたって延々と回らされる日本とは大きな違いである。まあ、良く言えば、馬優先主義ということなのだろう。

これではパドックも予想の材料にはならないな、とあきらめようかと思っていた矢先、ひょんなことがきっかけで私はビリーという男に出会った。

(第3回へ続く→)

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集中連載:「パドックの見方を極める」第1回

Paddock01■パドックは宝の山
「ここで馬が走るんだ?競馬場って思ったよりも小さいんだね。」

初めて競馬場に連れて来られたと思わしき女の子が無邪気に聞くと、「アハハ、そんなわけないじゃん。ここはパドックと言って、馬の下見をするところ。実際のレースは向こうでやるんだ」と男は笑いながら本馬場の方を指差す。「へぇー、そうなんだ。知らなかった~。どおりで小さいと思った」と女の子は顔を朱に染める。どこの競馬場のパドックでも見られる微笑ましい光景である。

男の言うとおり、パドックとはこれからレースに出走しようとする馬の下見所である。日常生活で馬に触れる機会の少ない私たちにとって、実物のサラブレッドを初めて目にしたのが競馬場のパドックだった、なんて人も結構多いのではないだろうか。

何を隠そう、私もその一人である。東京競馬場のパドックで、生まれて初めて見たサラブレッドの大きさに、驚きを隠すことができなかった。極限にまで鍛え上げられたサラブレッドの美しさや、勝負服を身にまとったジョッキーたちの神々しさに、私はしばし言葉を失った。あれから20年の時を経た今でも、競馬場に行ってパドックに立つと、あの時と変わらず胸が躍る。

そんな私だが、パドック党かどうかと問われると否である。パドックは競馬予想をする上でのひとつのファクターになりうるが、決定的なものではない。パドックだけを見ても勝ち馬を当てることは難しい。競馬はもっと複雑な要素が幾重にも絡み合って結果が出るため、馬の体調が良くて、走る気になっているだけでは、レースでは勝てないからだ。

だからこそ、日々馬と関わっているプロフェショナルでさえ、「パドックを見ても分からない」と明言するのだろう。リーディングトレーナーの藤沢和雄調教師は、「馬体は見ません。鞍を付けてゼッケンを置いてしまうと私の目には分かりづらいから」と言い、伊藤雄二元調教師は、「これだけ長いこと競馬に携わっている私でも、分かりませんと答えるしかありません」と難しさを語る。また、武豊TVに出演した松永幹夫調教師は、地方競馬のパドックで人気馬の歩様がおかしいことを発見し、絶対に来ないとほくそ笑んで切ったところ、その馬がブッチ切って勝ってしまったという笑い話をしていた。このような話は数え切れないほどある。

だからと言って、私はパドックを見ることそのものを否定したりはしない。どちらかというとその逆で、馬を見る確かな眼さえあれば、勝ち馬を当てることは難しくとも、パドックで走る馬と走らない馬を見極めることはできると思っている。ただし、それにはひとつだけ条件があって、正しい見方をするということだ。私の知る限り、パドックで正しい見方をしている人は意外に少ない。誰も馬を観ていないと言っても過言ではない。

それには理由があって、日本の情報化された競馬では、パドックに立って馬を見ている時点で、どの馬がどれぐらい強いのか(または人気しているのか)等をあらかじめ知っているからである。これらの情報があることで、人気している馬は良く見え、人気のない馬は弱く見えてしまう。調子が良いと言われている馬は良く、調子の良くないと言われている馬は悪く見えてしまうのである。本人が意識的であれ無意識であれ、情報によるバイアスは私たちの目を曇らせるのだ。

元崖っぷちジョッキーこと谷中公一元騎手は、著書「ファンが知るべき競馬の仕組み」の中で、パドック解説者についてこう語る。

「意地の悪い仮定をしてみよう。一切のデータを渡さず、オッズも見せず、パドック解説者に馬の良し悪しを語ってもらったとする。結果はまず間違いなく、メチャクチャになると思う。少なくとも僕は、血統や実績を知らないまま、勝ち馬を見抜くことはできない。明らかにダメな馬は分かる。しかし、どの馬が勝つか、ということまではわからない」

私も谷中氏に同感である。テレビやラジオでパドックの解説をしている方でも、パドックで馬そのものを見ただけでは、なかなか良し悪しは分からないということである。そして、パドック解説者も決して人気馬を挙げているつもりはなく、良く見える馬を挙げているに違いない(人気だから良く見えるのである)。レースが終わってから「あの馬は良く見えた」と言う人も同じで、勝ったという情報があるから良く見えたように思えるのである。つまり、私たちはパドックで歩いている馬を見ているようでいて、実は馬の情報を追っているにすぎない。

こうした状況の中で、私たちのパドックで馬を見る眼が育たないのは当然であろう。馬を本当に見たことがないのだから、馬を見たこともできないし、正しい見方も分からない。あたかも分かっているふうを装ってみても、実は分かっていないのだ。また一方で、超自己流であったりする。自分では見えているつもりでも、それは錯覚もしくは妄想に近い。正直、もったいないと思う。生身のサラブレッドを目の前で見ることは、競馬の原点でもある。私がこれからお伝えしていくパドックの見方を極めて、本来の馬を見るを取り戻してほしい。

そして、競馬場もしくは自宅のテレビで、再びサラブレッドが歩く姿を見てみてほしい。

そうすると、パドックが宝の山に見えるはずである。

Photo by Photo Stable

(第2回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」最終回

Tyoukyou39

ここまで私の知っている全てのことを書いてきたつもりだが、最後に調教師について述べておきたい。調教を語るにおいて、調教師について触れないわけにはいかないだろう。

競馬の予想をするにあたって、調教師の腕が考慮に入れられることは意外と少ない。競走馬はもちろんのこと、種牡馬、ジョッキーなどの成績や適性は入念に調べ尽くされるのに比べると、馬を管理する調教師の手腕がピックアップされることは稀である。「競馬ブック」や「Gallop」の片隅に調教師リーディングがひっそりと載っているだけで、その存在が大きく馬券に影響を与えるとはあまり考えられていないようだ。トップ10に入るような調教師であっても、多くの競馬ファンは顔を思い浮かべることすら難しいのではないか。

調教師は競馬の世界ではいわば裏方だから仕方ない、という考え方もあるだろう。実際にレースで走るのは競走馬でありジョッキーである。調教師はよく経営者にたとえられることが多いように、よほど大きな企業ではないかぎり、そのトップの顔が表舞台に登場することはない。ただし、それが株を買うということになれば話は別だろう。おそらくその経営者の一挙手一投足に注目するようになるはずで、これまでどれだけの実績を上げていて、これからどれだけの成果を収められそうかをチェックするに違いない。同じことが馬券を買う場合にも言える。

結論から先に述べると、調教師の腕はその勝率と連対率に表れる。追い切りの手法から馬の入れ替えの頻度、馬を扱うにあたっての考え方まで、調教師によって大きな違いはあるが、それらを全てひっくるめて、調教師の技術というべきものは勝率と連対率に凝縮されていると考えてよい。もちろん、大レースになると強い調教師、ダート馬を育てたら上手い調教師など、それぞれの特徴はある。ただ、それらはあくまでも各論であって、総論としては勝率と連対率を見なければならない。

これは騎手の巧さを表す指標と同じである。騎手の総合的な上手さというのは勝率と連対率に表れる。リーディング上位の騎手ほど、良い馬が回ってきて、さらに勝てるという好循環を辿るものだが、必ずしも勝利数が多ければ上手いというわけでもない。どれだけ勝ったかというよりも、どれぐらいのパフォーマンスが出来たかの方が重要ということである。調教師も同じく、どれだけ数多く勝ったかではなく、いかに好走するべくして好走させたかということが問われるのだ。

以下、2009年7月18日時点における、リーディングトレーナーの連対率である。

関東
1、藤沢和雄  .261
2、加藤征弘  .231
3、久保田貴士 .260
4、尾形充弘  .151
5、伊藤圭三  .199
6、宗像義忠  .192
7、萩原清   .239
8、鹿戸雄一 .190
9、和田正道 .117
10、田村康仁 .133

関西
1、音無秀孝 .261
2、池江泰郎 .213
3、矢作芳人 .174
4、安田隆行 .272
5、中竹和也 .198
6、池江泰寿 .241
7、角居勝彦 .230
8、松田博資 .228
9、藤原英昭 .281
10、西園正都 .240

関東と関西のリーディング十傑を記してみたが、パッと見て分かるのは、関西の方が圧倒的に連対率の高い調教師が多いということである。関東では連対率が2割を超えている調教師がわずか3名に対して、関西は8名の調教師が連対率2割以上を超えている。西高東低が叫ばれるようになって久しいが、その格差の要因は、調教施設や輸送時間だけではなく、もしかすると調教師の技術にもあるのかもしれない。誰も触れないダークサイドの部分ではあるが。

続いて関東から見ていくと、やはり上位3名の調教師の腕は確かである。藤沢和雄調教師は言わずと知れた、日本が世界に誇るトップトレーナーであり当然としても、加藤征調教師と久保田調教師は新進気鋭のトレーナーである。このような実力のある若手の調教師が台頭してきていることは、関東の競馬だけではなく、日本の競馬界にとっても喜ばしいことである。さらにリーディング9位に目を移すと、あのロジユニヴァースを管理する萩原調教師の名前が目に入る。勝ち星こそ上記3名のトレーナーに劣るが、連対率を見てみれば、ダービートレーナーに相応しい手腕を持っていることが分かる。

関西は非常にレベルの高い争いが行われている。音無調教師と順位こそ4位に甘んじているが安田隆調教師の腕が冴えていることは一目瞭然である。逆に矢作調教師と中竹調教師は勝ち星こそ稼いでいるものの、まだこれからの成長が望めるトレーナーであることが分かる。そして、関西で特筆すべきはやはり藤原英昭調教師であろう。2007年度の年間連対率は.353で、2008年度は.317という驚異的な数字を残している。2年連続で最高勝率調教師賞を獲得しているように、いまやその技術ということだけでいえば、藤沢和雄調教師を超えているのかもしれない。そう考えると、両調教師の管理馬が叩き合った今年のフェブラリーSは印象的であった。

このようにして見ていくと、また新たな視点からの予想も可能になるのではないか。あのジョッキーが乗るならば買い、あのジョッキーが乗るならいらないと馬券を買っていたのと同じく、あの調教師ならば買いで、あの調教師ならばいらないということにもなるだろう。連対率の僅かな差といってあなどることなかれ。連対率には調教師の腕が凝縮されている。そのわずかな差がゴール前の勝敗を分けてしまうことだってあるのだ。そして、これを機に、お気に入りの調教師を見つけてみてはいかがだろうか。「○○調教師のファン」、「○○厩舎の馬であれば買い」などの言葉が、競馬場のそこかしこで聞かれるようになれば、競馬はもっと楽しくなるはずである。

追記
約1年半にわたる連載となりましたが、最後までお読みいただきありがとうございます。秋からは「調教」にこだわった情報発信も計画中ですので、楽しみにお待ちください。これからもよろしくお願いいたします。

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集中連載:「調教のすべて」第30回

Tyoukyou38

■最終追い切りにおける強弱の「変化」
最終追い切りの強さの「変化」で、その馬の体調を見極めることも出来る。ここで言う強さとは、調教時計の一番右に記載されている、“馬也(うまなり)”、“強め”、“一杯”に大別される追われ方の強弱のことである。最終追い切りは、レースに臨むにあたっての最後の仕上げとなるので、ここでの追われ方の強弱は意味を持つことが多い。

たとえば、これまで好走してきたレースの最終追い切りではシッカリと追われていた馬が、なぜか馬也で最終追い切りを終えている場合、もしかすると体調が思わしくなかったり、脚元に不安が出ている可能性があるだろう。たとえ陣営からそういったコメントが出ていなくても、実際は不安を抱えているといったケースも少なくない。馬を預けてくれている馬主や馬券ファンのことを考えると、よほど明らかでない限り、関係者が不安材料をパブリックな場で口にすることは百害あって一利なしだからである。だからこそ、危ないなと思ったら、消しの対象にする、もしくは抑え程度に考えるという対処を私たちがなさなければならないのである。

逆に脚元に不安があって、いつもは馬也でしか追われない馬が、なぜか強めに追われて出走してきた場合、脚元が良くなってきているか、脚元への負担を承知でそのレースに勝負を賭けてきている可能性が高い。このケースは買いのタイミングであり、本命にするもしくは厚めに買うという対処をなすことが出来るだろう。

その馬がこれまでにどのような最終追い切りでレースに臨んできたかということを、1頭1頭しっかりと覚えていることが大切なのである。覚えていなくても調べることは出来るが、その「変化」にパっと気づくことが出来るかどうかが勝負の分かれ目なのである。そのためにも、調教、特に最終追い切りには常に目を留めておかなければならない。

また、休み明けの馬の最終追い切りの強弱を見て、仕上がり状態を見極める方法がある。ごく単純に切り分けると、以下のようになる。

一杯→△(少し太め残りかも)
強め→△(普通の仕上がり)
馬なり→○(仕上がり良好)

休み明けのレースに臨む馬の場合、緩めた馬体を再び走れる状態に仕上げるため、最終追い切りにおいてもビッシリと追われることが多い。あまりにも目一杯に追われていると、太目残りを心配しなければならないが、一杯や強めの追い切りはごく当然のことであり、可もなく不可もない(△)と考えるべきである。

ところが、休み明けのレースに臨む馬が、最終追い切りを馬也で終えた場合、かなり仕上がっていると判断してよい。もちろん、脚元に不安があって、ビッシリ追い切ることが出来ない馬は別とするが、最終追い切りを馬なりで済ませられるということは、それまでの調教過程において、かなり順調に仕上がっている(○)ということを意味するのだ。

たとえば、ダービー馬であるメイショウサムソンにとって、平成19年の天皇賞秋は負けられない戦いであった。天皇賞の春秋連覇が懸かっていただけではなく、馬インフルエンザというアクシデントによって凱旋門賞行きの道が閉ざされてしまった直後の一戦だったからである。出走すら叶わなかった悔しさを晴らさなければならないという気持ちはもちろん、それ以上に、もし負けてしまえば、凱旋門賞での好走など結局おぼつかなかったと烙印を押されてしまうからである。日本の看板を背負って走るはずであった馬が簡単に負けるわけにはいかないのである。

そんなメイショウサムソンの、天皇賞秋に臨むに当たっての追い切りの過程を見てみたい。

天皇賞(秋)(G1) 結果 : 1着
09/26(水) 栗坂 重 助手 53.7-39.0-25.3-12.6 馬也
09/30(日) 栗坂 稍 助手 57.2-42.0-28.1-14.3 馬也
10/03(水) 栗坂 稍 助手 51.9-37.9-24.8-12.4 一杯
10/11(木) 栗坂 良 武豊 51.0-37.4-25.0-12.8 強め
10/17(水) DW 良 武豊 79.7-64.6-51.2-38.1-12.3 一杯
内メイショウディオ一杯を6Fで1秒追走3F併せで1秒先着
10/21(日) 栗坂 稍 助手59.3-43.2-28.2-14.1 馬也
10/24(水) DW 良 武豊 85.0-68.4-53.7-39.2-12.1 馬也

宝塚記念後、放牧に出されることなく厩舎で調整され、9月に入ってからは本格的な乗り込みを再開したメイショウサムソンは、10月には3本の好時計を叩き出すほど仕上がっていた。太りやすい体質のため、いつもは最終追い切りには併せ馬でビッシリ追われることの多い馬が、この年の天皇賞秋では馬也でサラッと流す程度の追い切りに終始したのである。どこか(脚元等)に悪いところがあるわけではなく、まさに仕上がりが良好だったからこその馬也であった。

いざレースに行っても、ロケットスタートから好位を奪い、道中はリラックスして走り、最後の直線に向くやあっという間に先頭に立ち、そのまま後続との差を広げるばかり。G1レースを4勝したメイショウサムソンにとっても、この天皇賞秋はベストレースであろう。あまりにも仕上がりすぎていたため、このあとのジャパンカップと有馬記念では体調を落としてしまったのも仕方ない。休み明けを感じさせない、究極の仕上がりであった。

最終追い切りにおける強弱の「変化」を見るだけで、その馬の体調から脚元の不安の有無まで見て取ることも可能なのである。

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集中連載:「調教のすべて」第29回

次に、調教における「変化」について述べていきたい。「変化」とは、今回の調教がこれまでとは違うということである。決して他馬の調教とのヨコの比較ではなく、その馬自身の過去の調教と今回の調教とのタテの比較ということだ。タテの比較をする以上、それまでの調教を観ている必要があるし、覚えていなければならない。そうしなければ、調教における「変化」には気づけない。

調教における「変化」のひとつ、初時計は前走後に肉体的な反動があったかどうかを知るひとつの目安となる。実戦のレースを走り、どれぐらい間が開いて時計を出し始めたかに着目する方法である。もし反動が出てしまい、肉体的な疲労が取れていなければ、当然のことながら乗り出しは遅くなる。たとえ馬場で乗られていたとしても、時計になるだけの調教が出来ていなければ、前走の反動の大きさが察せられるだろう。逆に、レース後すぐに時計を出せている馬は、元気一杯で、レースによる疲れがほとんどなかったということを意味する。

たとえば、2009年の安田記念のウオッカの乗り出しのタイミングをみてみたい。5月17日に行われた前走のヴィクトリアマイルを、ウオッカは2着馬に7馬身差をつけ圧勝した。ドバイからの遠征帰りということもあって、反動が心配されたが、ウオッカはなんとレース翌週の5月24日には初時計を出して見せたのである。

5/24(日) 栗坂 良 62.4-44.7-28.9-14.4 馬也

Tyoukyou36レース後は疲れを取ることに専念するため、これまでウオッカは翌週に時計を出すことは滅多になく、2週間後に初時計を出すことが多かった。そのウオッカが、ヴィクトリアマイル後は、翌週に馬なりの軽めながらも時計を出した。これは陣営が思っていたよりも反動が少なく、疲労もほとんど見られず、体調が良かったことを意味している。今年の安田記念に臨むにあたっては、最終追い切りの動きの良さばかりが強調されたが、それと同じくらい、もしくはそれ以上に初時計も大きな意味を持っていたということである。

実は、昨年(2008年)の安田記念もヴィクトリアマイルの翌週には時計が出ていた。昨年はヴィクトリアマイルこそ負けてしまったが、海外遠征帰りをひと叩きされ、安田記念に向けて順調この上ない調整が出来ていたことが分かる。また、いまや伝説のレースとなった2008年天皇賞秋に臨むにあたっても、前哨戦である毎日王冠の翌週に時計を出していたことは記憶に新しい。

このように、レース後、どれぐらいの期間(日数)が開いて初時計が出たかを見ることは、前走の反動があるかどうかを見極める目安となるのだ。もちろん、個体差があるので、その馬が普段はどれぐらいから時計を出し始めているかを知っておく必要がある。いつもはレース後の回復に時間が掛かる馬が、翌週から時計を出してくるという「変化」があった場合には、レースにおける反動がなく、体調もすこぶる良好と判断してもよいだろう。

ちなみに、残念ながら回避となってしまったウオッカだが、宝塚記念に臨むにあたっての初時計は6月19日であった。安田記念(6月7日)から12日後。7馬身差で圧勝したヴィクトリアマイルの後よりも、安田記念の後のほうが反動は大きかったということを意味する。もし宝塚記念に出走していたなら、果たしてウオッカは私たちにどんな走りを見せてくれただろうか。こういったタラレバが尽きないのも、また競馬の楽しみのひとつである。

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集中連載:「調教のすべて」第28回

Tyoukyou35

また、調教で「動かない」ことには、その馬自身の完成度が高くないという理由もある。まだ競走馬としての体が出来上がっていないため、実戦ではレースセンスの良さでカバーできても、どうしても調教で速いタイムを出したり、抜群の動きを披露したりすることが難しいのだ。

たとえば、今年のダービーで4番人気に推されたアプレザンレーヴは、最終追い切りの時点で、陣営から調教では「動かない」というコメントが出ていた。

追い切り後の池江泰朗調教師のコメントは以下の通り。

調教では動かない馬だけれど、今日は気分良く動いてくれた。もうやることはない、満足できる状態です。(中略)2400メートルは最適。前走の様な競馬をしてくれれば」(スポーツ報知)

なぜアプレザンレーヴが調教で動かないかというと、ダービー時点では競走馬として成長途上であったということに尽きる。馬体だけを見ても、父シンボリクリスエスの3歳春時点と比べても、明らかに完成度が劣っていることが分かる(写真参照↓)。競走馬としての資質やレースセンスは非常に高い馬なので、青葉賞まではなんとか勝ち上がって来たが、やはりダービーという完成度を競う舞台で勝ち負けするのは難しかったのだ。陣営から「動かない」という言葉が頻繁に出てくるということは、アプレザンレーヴの完成度が高くないということを暗に意味していたのである。

シンボリクリスエス
Sinbori 引用元:競馬ブック

アプレザンレーヴ
Apurezan 引用元:競馬ブック

その他、調教で「動かない」ことには、年齢によってズブさを増している、蹄鉄が薄くなっている、○○コースでは動かない、など様々な理由が存在するが、最も多いのは先に挙げた2つ(「体調が良くない」「完成度が高くない」)である。よって、調教で「動かない」馬はほとんど走らないのである。「ケイコでは動かない馬だから…」、「元々動かない馬だから…」、「実戦タイプだから…」という調教の動きが悪いことを示唆するコメントが出てきたら、その馬は消しと考えてもよいだろう。

ただし、ひとつだけ例外はある。それはその馬がステイヤー(長距離を得意とする馬)であるケースである。基本的にステイヤーはゆったりとしたフットワークで走る馬が多く、気性的にもおっとりしているので、調教のような短い距離で速いタイムを出したり、抜群の動きを見せたりすることはない。

たとえば、私の中でステイヤーというと真っ先に出てくるのがライスシャワーという名前であるが、この馬は本当に調教では動かなかった。500万下の条件馬と併せ馬をしても、食らいついていくのが精一杯という具合。どこにでもいそうな小柄な馬だったので、もし菊花賞や天皇賞春を制したライスシャワーということを知らずに調教だけを見ると、誰もが走らない下級条件馬と認識したはずである。

つまり、ステイヤーが調教で「動かない」ことに関しては、その馬の特徴として大目に見るべきなのだ。3000mを超えるレースになってくると、ほとんどが調教で「動かない」馬たちであることも珍しくない。逆に言うと、調教で「動かない」馬は、もしかすると生粋のステイヤーかもしれないと可能性を探ってみることも、また楽しみのひとつではないだろうか。

(第29回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第27回

Tyoukyou34_2ここまで調教での「動き」について述べてきたが、最後に、調教で「動かない」馬について書いてみたい。

結論から言うと、調教で「動かない」馬は走らない。厳密に言うと、調教で「動かない」馬とは、そのレースに臨むにあたっての調教で陣営から「動かなかない」という意味のコメントが出てきた馬である。コメントケースとしては、「ケイコでは動かない馬だから…」、「元々動かない馬だから…」というものから、「実戦タイプだから…」というものまで、どのコメントにも語尾に…のニュアンスがつく。詰まるところは、今回は調教での「動き」が悪かったことを示唆しているのである。

調教で「動かない」ことには、いくつかの理由が存在する。最も多い理由としては、ただ単純に体調が良くないからである。調子の良い馬は手脚が伸びているので、ゆっくり走っているように見えても自然と速いタイムが出るのとは対照的に、体調の悪い馬はフォームにも伸びやかさがなくなり、また精神的にも疲れているため前進意欲に欠ける走りとなる。時計が遅いということではなく、馬の「動き」自体が悪くなるということだ。その「動き」を見た陣営は、決して体調が悪いのかもとは口が裂けても言えず、前述のコメントでお茶を濁す。

たとえば、国内ダートG1レース6勝した実績を誇るヴァーミリアンの陣営から、昨年(2008年)のJCダート以降、追い切りで「動かない」というコメントが頻繁に出てくるようになった。「ヴァーミリアン 動かない」で検索するとたくさん出てくる中のひとつ、JCダートでのコメントは以下のとおり。

「凄くいい雰囲気。攻めで動かないのはいつものことだから」と古川助手の表情も明るい。(中略)3月のドバイ遠征以来だった前走・JBCクラシック(園田)でも、逃げて勝ちパターンに持ち込んだサクセスブロッケンを首差でねじ伏せる貫禄のレースぶり。左前ザ石の影響で「万全とは言えない状態」だった昨年のこのレースもレコードで圧勝。「何の不安もない」今年、舞台が東京から阪神に替わっても、ダート最強馬の座を簡単に明け渡すつもりはない。(スポニチ 2008年12月6日)

圧倒的な1番人気(2.2倍)に推された実戦では、最後はカネヒキリに出し抜けを食らい、メイショウトウコンには後ろから差され、まったく強さを見せることなく3着に敗れてしまった。第1コーナーで挟まれて苦しいレースを強いられたこともあったが、それまでのダートでの鬼のような強さを思えば、考えられないほどの凡走であった。次走の大井で行われた東京大賞典でも敗れ、翌年(2009年)のフェブラリーステークスに臨んだヴァーミリアンだが、ここでもまた陣営から「調教で動かない」という言葉がちらほらと聞こえてきた。案の定、2番人気に推されたものの、見せ場なしの6着と惨敗を喫してしまった。

ヴァーミリアンには目に見えない疲れが少しずつ出始めていたのだろう。2度にわたるドバイ遠征や国内のG1レースを勝ち続けてきたことによる肉体的、精神的な疲労が、2008年のJCダートを境として噴出してしまったのだ。全盛期に比べ、衰えもあったのかもしれない。確かにそれほど速い時計の出る馬ではなかったが、陣営からこれほどまでに「動かない」という言葉が出てくるということは、もうヴァーミリアン自身が黄色信号を発していたということに他ならない。

(第28回に続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第26回

Tyoukyou33

たとえば、「動き」はゆっくり見えるのに「時計」は速いということがある。どれぐらいのタイムで走っているのか知らないまま調教を見ていると、とてもゆっくりゆったりと走っているように見えるが、走り終わった後に計測されたタイムを見てみると、思っていたよりも速い。速く走っているように見えないのだが、実はかなり速い時計で走っているということだ。これは一流馬の調教によく見られる現象であり、またたとえ同じ馬であっても、調子の良い時にこのような動きをすることが多い。

なぜ「動き」はゆっくり見えるのに「時計」は速いかというと、馬がそれだけ全身を使って走っているからである。馬は体全体を伸縮させて、手脚を伸ばして走る。脚の回転数との関係はあるが、その伸縮の幅が大きければ大きいほど(ストライドが長ければ長いほど)、速く走ることが出来る。

一流馬は追い出されると、他の馬以上に手脚がしっかり伸びて走るため、当然のことながら重心は下がり、沈み込むようにして走る。かつて南井克己元騎手は、オグリキャップに乗った時と同じ、あのグッと沈み込む感覚をナリタブライアンでも味わったという。追い切りよりもさらに速く走ることが求められる実戦のレースでは、まるで地を這うような感覚があったという。道中はリズム良く首を使い、最後の直線で追い出されてから重心がグッと沈み、ゴール前でも決して頭が上がらず、まるで地の果てまで伸びて行きそうなその走りは、今観ても圧巻である。

これは余談だが、ナリタブライアンのシャドーロールは頭の高さを矯正するものではなく、新馬の頃に自分の影を怖がる素振りを見せたため着用したとのことである。その後、精神的にも成長して、シャドーロールを着けて走る意味はなくなったが、「シャドーロールの怪物」という競馬ファンのイメージを壊さないよう、最後のレースまで装着して走った。個人的には、シャドーロールといえばナリタブラインで、ナリタブライアンといえばシャドーロールなので、外さないでいてくれて良かった。女性や初心者にとっては、レース中にどこを走っているか分かりやすいという効果もあったと思う。

また、たとえ同じ馬であっても、調子の良い時に、「動き」はゆっくり見えるのに「時計」は速いということが多い。たとえば、2008年の天皇賞春を勝ったアドマイヤジュピタの最終追い切りは、速く走っているように見えないのだが、この馬にしてはかなり速い時計で走っていた。アドマイヤジュピタは本質的にはステイヤーなので、追い切りでそれほど速いタイムが出るタイプではない(このことについては後述する)。これまでは一杯に追われても53~54秒台でしか坂路を駆け上がって来られなかった馬が、最高の出来にあった天皇賞春では52秒ジャストの速い時計が自然と出たのである。調子が良い時は、自然と手脚がスムーズに伸びて、見た目以上のタイムが出やすいのである。

☆アドマイヤジュピタの天皇賞春の最終追い切りはこちら
http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2008/0504_2/asx/training/14.asx

調子の良し悪しを見極めるためにも、「時計」と「動き」のアンバランスには注目してみるとよい。

(第27回に続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第25回

Tyoukyou32

次に、坂路調教における「動き」について。

坂路調教での「動き」について話を進める前に、まずは坂路コースの「時計」(タイム)について少し述べておきたい。直線を駆け上がる坂路コースは、内外における差がなく、「時計」そのものの確実性は平地のコースに比べると高い。もちろん馬場状態を加味しながらではあるが、ある程度の信頼性を持って「時計」を評価できる。速い時計で駆け上がった馬は、それだけ調子が良かったり、しっかりと負荷が掛けられたことを意味する。

しかし、「時計」はしょせん「時計」であって、実際のレースが行われるのはトラックなので、真っ直ぐに駆け上がる坂路コースの「時計」がそのまま実戦に直結するわけではない。坂路で1番時計を出すような馬が、実戦のレースに行ってあっさりと負けてしまうことなどよくある話だ。坂路調教の「時計」は直線コースを速く走れることの証明にしかすぎず、過大評価をしてはならない。「時計」が速くても「動き」が悪い馬より、「時計」が遅くても「動き」が良い馬の方が、レースに行っても良い結果を出すことが多いのだ。

坂路調教での「動き」でまず見るべきポイントは、シッカリとした脚捌きで、真っ直ぐに駆け上がってきているかどうかである。幸いなことに、私たちは坂路コースを駆け上がってくる映像を提供されるため、坂路調教での馬の左右動は見分けやすい。力強い脚取りで、坂下から頂上まで真っ直ぐに駆け上がって来られる馬は、青写真通りに調教が進んでいて、レースに向けて最高の体調で臨めることが多い。逆に、左右ジグザグにブレて走ってしまったり、どちらかにモタれて走らざるを得なかったりする馬は、それまでの調教過程にどこかしら無理があり、完調手前の体調であることが多い。

たとえば、昨年で言うと、2008年のスプリンターズSを快勝した牝馬スリープレスナイトの最終追い切りの「動き」は圧巻であった。

スプリンターズS最終追い切り
栗坂 重 上村 53.3-38.4-24.8-12.5 強め

☆実際の追い切り映像はこちら

1週間前には49秒台が出たほど、やれば時計の出る馬だけに、走りにくい重馬場であったことを差し引いても、53秒3という「時計」は平凡に映るかもしれない。しかし、シッカリとした脚捌きで、真っ直ぐに駆け上がってきた迫力満点の動きを見れば、スリープレスナイトの体調や仕上がりの良さが伝わってくる。春から夏も休まず走り続けて来たにもかかわらず、調子落ちの心配は全くないという判断が出来たのではないだろうか。いざレースでは、危なげない横綱相撲で牡馬を相手に5連勝で頂点に上り詰め、上村騎手に嬉しいG1初勝利をプレゼントした。

また、最初から速いペースで飛ばし過ぎたために、ラスト1ハロンの「時計」が掛かるケースもある。坂路調教は前半に飛ばした時のバテ方が平地調教に比べて著しいため、こうした「時計」を見て、体調が悪いと判断してしまうのは早計である。前半を飛ばせば後半にバテるのは当然といえば当然なので、たとえバテバテになっていたしても、シッカリとした脚捌きで、真っ直ぐに駆け上がって来ていれば全く問題ない。私たちが見るべきは、「時計」よりも、あくまで「動き」なのである。

(第26回に続く→)


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集中連載:「調教のすべて」第24回

Tyoukyou31

調教における「動き」において、耳の「動き」にも注目しなければならない。なぜなら、耳には馬の精神状態が最も顕著に表れるからだ。緊張していたり、敵意をムキ出しにしている馬の耳は、絞られて後方を向いている。対照的に、リラックスしている馬の耳は、立って前方を向いている。レース中はもちろんのこと、追い切りにおいても、馬がどのような精神状態で走っているかは、馬の耳の「動き」を見ることによって知ることが出来る。

調教ではないが、私の記憶に最も残っているのが、ディープインパクトの凱旋門賞の返し馬における耳の「動き」である。大観衆に包まれながらパドックから本馬場に入場したディープインパクトは、手綱から放たれるや、武豊騎手を背にゆったりと駆けていった。その時、解説を務めていた岡部幸雄元ジョッキーの口から、「ものすごく理想的な耳の動きをしていましたね。ゆったりと走れて素晴らしい返し馬でした」という言葉が発せられた。

さすがにディープインパクトの耳の動きにまで目を留めていなかった私は、後日、録画VTRを観て、岡部幸雄元ジョッキーが理想的と語る、ディープインパクトの耳の「動き」を確認してみた。風のように走り去るディープインパクトの耳は、完全に立って前方を向いているわけでもなく、絞られて後方を向いているわけでもない。水平になびいていたのである。リラックスしすぎているわけでもなく、緊張しすぎているわけでもない、理想的な状態にあることを私は確かに見て取った。

ところで、調教にて追われる際、ほとんどの馬の耳は絞られて後ろに向けられている。騎乗者や鞭の存在から、後ろより迫り来る捕食者の存在を察知し、サラブレッドの本能が馬を前へ前へと駆り立てる。後ろからの見えない敵を感じるからこそ、サラブレッドは自らの限界を超えて速く走ることが出来るのだ。逆に言うと、追われて速く走らなければならないほど、サラブレッドは緊張し、その耳は極限まで絞られて後ろを向いているはずだ。

そんな厳しい追い切りの中でも、耳が絞られておらず、ブラブラと泳いでいる馬は、余力が残っているだけではなく、リラックスした精神状態を保てていると想像できる。時計にもならないような馬なり調教であれば、そのような耳の動きをすることもあるだろう。しかしそうではなく、ごく普通のキッチリとした追い切りの中で、リラックスした耳の動きをしている馬には要注意ということである。肉体的にも精神的にも調子が良いからこそ、速い時計で追い切っても余裕のある走りが出来るということだ。そういう馬はレースに行ってもキチンと折り合い、騎手のゴーサインに忠実に反応する。

ここ最近で言うと、リトルアマポーラのエリザベス女王杯の追い切りでの耳の動きが抜群に良く見えた。ルメール騎手を背に道中はゆったりと進み、最後の直線に向くと、わずかなゴーサインに応えてスッと伸びていた。リトルアマポーラの耳は、完全に立って前方を向いているわけでもなく、絞られて後方を向いているわけでもなく、リラックスしながらも走ることに集中できていることが窺い知れた。ルメール騎手が追い切り後のインタビューで、「I’m confident.(自信があります)」と答えたのは、決してリップサービスではなかっただろう。結果、リトルアマポーラは3歳馬ながらにして古馬たちを横綱相撲で圧倒して、エリザベス女王杯に優勝した。

★リトルアマポーラの最終追い切り(エリザベス女王杯)はこちら
http://www.jra.go.jp/keiba/thisweek/2008/1116_1/asx/training/15.asx
*分かりづらいかもしれませんが、目を凝らして耳の動きをご覧ください。

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集中連載:「調教のすべて」第23回

Tyoukyou30

本当の調教の「質×量」を把握することが難しくなってきている以上、私たちが見なければならないのは、調教における「時計」や「本数」だけではなく、「動き」と「変化」もということになる。そこで、ここまでは調教時計の見方を説明しながら調教について述べてきたが、最後にもう少し具体的な話をしてみたい。「動き」と「変化」に重点を置いた、調教を見る際のポイントについて述べていきたい。

調教を見る際に最も大切なポイントは、言わずもがな、馬の「動き」である。もちろん、調教が行われた場所や馬場状態、騎乗者、調教タイム、コースの内外、追われ方なども、チェックしておくべきポイントであることに間違いはないが、それら以上に、馬がどんな格好をして走っていたのかということが何よりも大切なのである。特に最終追い切りは、馬の体調や仕上がり状態が如実に表れるので、目を凝らして見るべきである。

たとえば、追い切りで舌を出しながら走っている馬はレースでは狙いたくない。馬がハミを越して舌を出してしまうことには、体調が悪いので苦しくて舌が出てしまう、もしくは走ることに対しての集中力を欠いているなどの理由が考えられる。また、ジョッキーはハミを通して馬の気持ちや手応えを感じ、指示を出すので、舌がハミを越してしまっていては、騎手がレースに行って馬を上手くコントロールできないことになる。いずれにせよ、馬の舌がハミを越していることは決して良い兆候ではない。調教でこういう動き(様子)を見せている馬は、レースに行っても力を発揮できないことが多いのだ。

ダービーを制し、天皇賞を春秋連覇したメイショウサムソンも、調子の悪い時期には追い切りで舌を出して走ることが多かった。1番人気に推された昨年の宝塚記念でも、最終追い切りで舌がハミを越して走っていた。この時期は、体調が悪かったというよりも、3歳クラシックから死闘を繰り返してきたことによる精神面での燃え尽きがあったように思う。走ることに対する前向きな気持ちが完全に切れて、集中力を欠いてしまっていた。舌のわずかな動きだけでも、馬の気持ちが分かることもある。

→メイショウサムソンの宝塚記念最終追い切りの動きはこちら

同じく昨年で言えば、ウオッカのジャパンカップ時の追い切りでも、舌を出して走っている様子が窺われた。ウオッカの場合、走ることに対する集中力というよりも、前走の天皇賞秋を激走してしまったことによる肉体的な疲れがあったのだろう。55秒台の軽めの追い切りだったこともあるが、天皇賞秋の前の最終追い切りとは比べ物にならない「動き」であった。メイショウサムソンにせよウオッカにせよ、走る能力が高いため好走はするが、最後の詰めを欠いてしまった理由は最終追い切りの舌の僅かな「動き」にも表れていた。

→ウオッカのジャパンカップ最終追い切りの動きはこちら

(第24回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第22回

Tyoukyou29

最後に、「本数」について。どれだけの追い切りが掛けられたという回数のことだが、たとえば宝塚記念に臨むにあたってのアドマイヤムーンは、最終追い切りを含めて5本の時計を出していることが分かる(下記参照)。1ハロン15秒以下の時計で走った追い切りが、中間に4本あったということである。

アドマイヤムーン
6/09(土) DW 重 助手      73.5-57.3-42.2-12.0 ⑨ 馬なり
6/10(日) 栗坂 稍 助手      55.8-41.3-27.7-13.9   馬なり
6/13(水) DW 良 岩田   85.4-69.0-53.7-39.5-11.2 ⑨ 一杯
6/16(土) DW 稍 助手 (7)98.4-69.2-55.0-41.1-12.7 ⑨ 馬なり
6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5 ⑨ 一杯

サラブレッドの調教は結局のところ「質×量」に落ち着くと前述したが、追い切りの「本数」とは「量」にあたる部分である。たとえ1本1本の追い切りは軽くとも、多い本数を追い切られれば、全体として馬に掛かる負担は同じになる。

藤沢和雄厩舎の馬たちが馬なりで楽に追い切られているように見えて、実際のレースでは走られる体つきに仕上がっているのは、追い切りの「量(本数)」が多いということでもある。だからこそ、私たちは追い切りの「質(強さ・弱さ)」だけにとらわれてはいけない。どれぐらいの「質(強さ・弱さ)」の追い切りが、どれぐらいの「量(本数)」行われたかということが重要になってくるのだ。

しかし、ここで大切なことは、追い切り以外の運動や短期放牧先での乗り込みなど、私たちの見えないところで進んでいる調教については数字としては表れてこないということだ。追い切り以外の引き運動などを30分程度でサッサと終わらせてしまう厩舎もある一方で、なんと2時間近くもかけてひたすら歩かせる方針を採る厩舎もある。毎日少しずつの違いがレースでは大きな差になって表れるのだが、残念なことに私たちにその違いは見えない。

また、当面レースに使う予定のない馬はすぐに短期放牧に出され、レース直前に入厩させることが当たり前になってきているにもかかわらず、短期放牧先での追い切りの状況などを私たちが知ることはない。入厩してからわずか数本しか時計を出していない馬が、休み明けのレースをあっさり勝利したというケースなど山ほどあるだろう。

つまり、私たち競馬ファンが調教の「質×量」を完全に把握することは本当に難しいということだ。その馬に関わる、ごくわずかな関係者以外には、本当の調教の「質×量」など分かるはずもない。調教師のように馬の調教スケジュールを管理していたり、厩務員のように一日中付きっ切りでもない限り、どうして本当の乗り込み量や運動量などを把握することが出来ようか。調教を見ることの難しさは、ここに集約されていると言っても過言ではないだろう。

(第23回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第21回

Tyoukyou28

■併せ馬をすることの意味
「追われ方」は、“馬也(うまなり)”と“強め”と“一杯”の3つに大別されると述べたが、さらに実際の調教では、“単走”なのか“併せ馬”なのかが加わってくる。“単走”であれば特に表記はないが、“併せ馬”であれば、どの馬とどう走ってどれぐらい先着した(もしくは遅れた)のかが表記される。

たとえば、角居厩舎のウオッカが桜花賞に臨む前の最終追い切りは“併せ馬”で行われた。

2007/04/04(水) CW 良 四位 67.9-52.5-39.1-12.3 ⑦ 馬也
中マヒオレ馬也を5Fで0秒4追走1F併せで併入
外エキゾーストノート馬也を5Fで0秒8追走1F併せで併入

この表記が意味するところは、3頭の併せ馬においてウオッカは、中を馬なりで走るマヒオレに0.4秒、外を馬なりで走るエキゾーストノートに0.8秒遅れたところから追走して、内側に併せて、ほぼ同時に(併せ馬の形で)ゴールしたということである。残念ながらダイワスカーレットの2着に敗れてしまったが、追い切り自体の内容は、手応え十分の素晴らしいものであった。

併せ馬のメリットは、馬同士が互いに競い合って、様々なことを学習することにある。たとえば、3頭併せでスタートして、道中をきちんと折り合って、直線に向いてから目標の馬を交わす練習であったり、自分よりも能力の高い馬の後ろについてその走り方を学ぶなど、併せ馬のメンバーや設定を工夫することによって、実戦に近い形での経験が積めるということである。

これから伸びようという2歳馬を、古馬のオープン馬と走らせることもある。まともに併せたのでは勝負にならないので、2歳馬は内ラチ一杯のコースを走り、古馬のオープン馬は大外を回るというハンデをつけるのである。そうやって年上のオープン馬と互角に走っているうちに、2歳馬は自信をつけてくる。ハナの差を争うような厳しいレースでは、こういった精神面での優劣が大きくものをいうから、馬に自信を与えていくことの意味は大きい。

また、一流馬にはそれぞれ、並の馬にはない何かがあるため、人には決して教えることのできないその何かを、成長過程の馬は一流馬と一緒に走ることで学び取ることがある。主として集団調教を行う藤澤和雄厩舎からタイキブリザード、タイキシャトル、スティンガー、そして角居勝彦厩舎からデルタブルース、ポップロック、ウオッカ、トールポピーなどの一流馬が次々と出るのは、併せ馬という模擬レースの中で、後輩が先輩から何かを学習しているからである。たとえば、スティンガーはタイキシャトルと一緒に走ることによって、タイキシャトルはタイキブリザードと走ることによって、様々なことを学び取ったのである。

それでは、自分よりも格下の馬に胸を貸す一流馬のメリットはなんであろうか?それは、「精神的に燃え尽きない」ということである。強い馬は己の限界を超えて走ってしまうことがあるので、強い馬を強い馬と一緒に走らせてしまうと、お互いが頑張りすぎて最後には精神的に参ってしまうのだ。精神的に燃え尽きさせないために、せめて調教だけでも、なるべく走る馬と走らない馬を一緒に走らせるのである。

(第22回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第20回

■限界まで仕上げられたサラブレッドの激走
ただし、厳しい調教を課されて極限に仕上げられた馬が、己の能力の限界を超えて120%の力を出してしまうことも確かにある。目の前のレースに照準を絞り、考えうる限りの強い追い切りをかけられた馬が、あっと驚く激走をするところを幾度となく私は見てきているのだ。だからこそ、私はこう考える。

「サラブレッドは鍛えれば(少しばかりは)強くなるし、ギリギリに仕上げると(少しばかりは)速く走ることができる」

あくまでも(少しばかりは)という括弧付きではあるが、その(少しばかり)が勝負の行方を左右するのも事実である。サラブレッドの競走は0,1秒を争うものであり、わずか鼻の差でレースの勝敗が分かれてしまうことは少なくない。相手よりも鼻の差だけでも前に出ることができれば、勝負に勝つことができる。そのわずかな差を埋めるために、(少しばかり)速く走ることが必要になるのである。

同じサラブレッドが80%に仕上げられた時と、100%に仕上げられた時で、一緒に走ったと仮定すると、間違いなく100%に仕上げられた時の方が勝利を収める。最後のひと踏ん張りが違ってくるからだ。これまで、限界まで仕上げられたサラブレッドの激走を数多く見てきた経験からも、このことは自信を持って言える。

たとえば、これは皮肉にも藤澤和雄調教師のケースであるが、平成11年のNHKマイルカップを勝った時のシンボリインディはギリギリの仕上げであった。いつもならばゴール前も馬なりのままフィニッシュする藤澤流だが、このレース前の最終追い切りに限っては、シンボリインディをゴール前強めに追い切ったのだ。当日の体つきを見て、もうひと絞り必要だと考えたのかもしれない。それでも、当日のマイナス12kgの馬体重は、藤澤調教師の思惑に反して仕上がり過ぎてしまったはずである。100%に仕上げられたシンボリインディは、己の能力を極限まで出し切って、シンボリ牧場に14年ぶりとなるタイトルをもたらした。

Tyoukyou27 by sashiko

しかし、100%に仕上げられた馬は、肉体的にも精神的にも大きな反動に襲われる。その後のシンボリインディは14着、9着、9着、5着、10着、5着と、G1ホースとはとても思えない惨敗を繰り返した。そのレースが最後であれば、それでいいかもしれないが、ほとんどのサラブレッドの競走は1回で終わるわけではなく、その後も続いてゆくものだ。目先の勝ちだけを追って、馬の成長や将来を考えない調教は、長い目でみるとマイナスの効果しか生まない。

藤沢調教師は、誰よりもそのことを身に染みて分かっている。だからこそ、たとえ仕上げてしまえば勝てるかもしれないレースであっても、ギリギリの仕上げを施すことなく、余裕を持たせて出走させる。我慢をすることができるのだ。だからこそ、藤沢調教師の管理馬は、故障が極端に少なく、高齢までコンスタントに走り続ける馬が多い。

■目に見えない部分
馬は鍛えることで強くなるのかという問いに対して、トップトレーナーたちそれぞれの考え方を紹介してきたが、いずれにせよサラブレッドの調教は「質×量」であるということに落ち着くのではないだろうか。サラブレッドがアスリートである以上、本番で能力を最大限に発揮できるような状態に持っていくことが調教の目的であり、調教師の仕事である。その持っていき方(仕上げ方)に、調教師の思想や技術、ひいては個性が表れていくのである。

実は藤沢調教師や角居調教師の馬は、たとえばグリーンウッドや山元トレセンなどの育成牧場(施設)で乗り込まれて来ているからこそ、それほど速い時計を出さなくても仕上がるという事情もある。調教師一人あたりの馬房数に制限がある現在の制度上では、1頭の馬をずっと厩舎に置いておくのではなく、当面レースに使う予定のない馬はすぐに短期放牧に出し、レース直前に入厩させることによって、馬房の回転数を良くしていくことが厩舎の好成績につながるのだ。こうして育成牧場を効率的に使っている厩舎の馬には、短期放牧先でもしっかり乗り込まれてきているからこそ、レース前に強い追い切りをかける必要はないということである。

また、追い切り以外の引き運動や常歩運動などの運動をどれだけしっかりと行っているかに関しても、数字としては表に出てこない、目に見えない部分である。だからこそ、藤沢調教師や角居調教師の調教は楽で、戸山調教師や白井調教師の調教が厳しいとは一概には言えないのである。運動量という意味においては、もしかすると藤沢調教師や角居調教師の調教の方が馬にとってはハードなのかもしれない。

(第21回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第19回

■角居勝彦調教師の極意
続いて、もう少し具体的に、馬は鍛えても走らないという考えを実践している調教師のケースを紹介したい。牝馬のウオッカで日本ダービーを制し、シーザリオ、デルタブルースで海外のG1レースを勝つなど、驚くべき挑戦をしてかつ結果を出し続ける、日本を代表するトレーナー角居勝彦調教師である。師にいたっては、馬は鍛えても走らないだけではなく、馬は鍛えなくてもよいという考えを持っている。

馬は、自分で強くなる。レースを使えば、本能的に120%の力を出し尽くし、その中から何かを学習して成長してゆく。また、レースで酷使した筋肉は、超回復の原理によって、いったん組織が壊れても、適切な休養さえ取ってやれば、よりたくましくなって回復する。調教師は、それを我慢強く見守り、あせらずにじっと待ちながら、その時点での彼らのベストパフォーマンスを引き出すような、管理の工夫をしていればいい。

鍛えなくていいのである。

違う言い方をすると、それぞれの馬が持って生まれた能力というのは、調教師がつくり変えられるような甘いものではない。私にできるせめてものことは、彼らの能力をできる限り減らさないことくらいだろう。目先の勝ち負けにこだわって、馬に無理をさせるようなことはできないのだ。

わずか10年ぐらいの間に、これほどまで馬を調教することに対する考え方が変わることにまず驚かされる。故戸山為夫調教師も角居勝彦調教師も共に、ミホノブルボンやウオッカといった、時代の最強馬を作り上げたダービートレーナーであるのだ。決してミホノブルボンがウオッカに比べ、素質が劣っていたとは思えない。ミホノブルボンは戸山厩舎に入厩したときから凄い馬だったという説もある。それでも、故戸山為夫調教師はミホノブルボンを鍛えることで、一方、角居勝彦調教師はウオッカを鍛えないことでダービー馬となさしめたのだ。

角居勝彦調教師にとって初めてのG1制覇となったのは菊花賞のデルタブルースだが、このレースに臨むにあたっての調教においても、角居勝彦調教師はデルタブルースを鍛えることはなかった。最終追い切りは、芝コースを馬なりで流したのみという極めて軽い調教であった。これから3000mという過酷な距離のレースをする馬が、これだけの調教で息が持つのかどうかという心配の声も少なくはなかった。従来の考え方であれば、長距離のレース前にはビッシリと追っておくのが常であった。それでも角居勝彦調教師は勇気を持って鍛えなかったのだ。

Tyoukyou26 by fake Place

大丈夫さ、と私は信じていた。デルタブルースはその菊花賞の3週間前に、中山競馬場で2500mの九十九里浜特別を勝っていた。長距離レースの経験がある馬は、よほど長いブランクがない限り、実戦で一度息をつくってさえやれば、調教は軽くてもかまわない。というより、レースに行ったときの息と調教でつくる息は違うので、どんなに厳しい調教を積んでもあまり意味はない、とさえ言えるだろう。
悪影響の方が大きいかもしれない。サラブレッドの腱や関節は消耗品だからである。大きな負荷をかけるのはレースだけでいい。毎日のように長い距離を走らせれば馬は傷むものだし、大事な本番直前に強い追い切りをかけるのも、せっかく高まっている心身のテンションを台無しにする恐れがある。

マラソンランナーや野球の投手、ボクサーなど、人間のアスリートに置き換えて考えてみてほしい。ピークを本番に持っていくために、逆算して、激しいトレーニングを積むのは本番よりかなり前に済ませて、直前には微調整くらいしかしないはずである。

サラブレッドもまったく同じだ。使うレースの距離に関係なく、3000mのレースだろうが1200mのレースだろうが、同じである。トレセンでの調教は、稽古というより、心身の調整程度に考えておいたほうが良いのだと思う。(「勝利の競馬、仕事の極意」より)

随分と長く引用してしまった。いずれにせよ、この両者の考え方において、大きく異なるのは、調教で馬を鍛えることによって能力が上がるかどうかという点である。故戸山為夫調教師や白井寿昭調教師は調教で馬を鍛えることによって走る能力が高くなると考え、藤澤和雄調教師や角居勝彦調教師はそうはならないと考えている。鍛えれば速く走られるようになるのであれば厳しい調教を課すだろうし、そうでなければ調教は心身のコンディションを整える程度のものとするだろう。

私は後者の考えに一日の長があると思っている。もちろん、現代を代表するトップトレーナーたちが実行して結果を出しているというのが何よりの証拠だが、それ以上に、馬の走る能力はサラブレッドが厩舎に入ってくる時点ではほとんど決まっていると考えるからだ。

角居勝彦調教師の言う、「それぞれの馬が持って生まれた能力というのは、調教師がつくり変えられるような甘いものではない」という言葉は、まさにその通りだと思う。競走馬としてトレセンに入ってきた時点で、調教師及びその関係者たちに出来ることといえば、その馬が本来持っている能力を最大限に発揮できるよう、あらゆる手段や方策を工夫してケアすることぐらいなのではないか。

(第20回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第18回

■藤沢調教論の本質
さて、今度は反対に、馬は鍛えても強くなることはないという考えを紹介したい。リーディングトレーナーの座に10年以上にわたって君臨し続けている、藤澤和雄調教師である。当時は革命的でさえあった馬なり調教を貫き、広く認めさせた師は、以下のように語る。

ご存知よくパドックの解説で「うっすらとアバラが浮いた、ギリギリの仕上げ」という言葉を耳にするが、私に言わせれば、やりすぎである。仮にそれでいつもより少しばかり速く走れたとしても(私は速く走れるとは思わないが)、そういう体で目一杯のレースをしたら、馬はそのあと、どうなるのか。そんな競走生活を、二年三年と続けさせられる馬は、はたしてハッピーだろうか。レースのときさえ速く走れれば、そのあとはどんな状態になってもよいという考え方には賛成できない。

(中略)

たしかにレースに出走する馬は、体が出来上がっていなければならないが、痩せていてはダメである。レースで勝ち続けるには、力強い馬体に、元気が満ちていなければならない。(「競走馬私論」より)

まさに、これぞ藤沢調教論の本質である。藤沢調教師と、他の多くの調教師との間にある、たったひとつの大きな違いがここにある。目一杯に仕上げてしまうか、そうでないか、の違い。目一杯に仕上げてしまうことを、藤沢調教師は「やりすぎ」とする。

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その後のことを考えずに100%に仕上げてしまってはいけない。肉体的にも精神的にもダメージを受けた馬は、次第に走ることが嫌になり、それを強いる人間に対しても反抗的になる。果たして、その馬の成績は尻すぼみとなり、競走期間は短いものとなる。

もちろん体が出来上がっていなければレースにならないので、80%程度の仕上げでコンスタントに競走に臨ませることになる。肉体的にも精神的にも、多少の余裕を持たせた状態で出走させるのである。馬に力があればそれでも勝てる。果たして、その馬の能力に相応しい成績を残すことができ、競走期間は長く充実したものとなるのだ。

(第19回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第17回

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“強め”や“一杯”の調教は、馬を鍛えたり、馬体を絞ったりして、レースで全力を出し切れるように仕上げるために施される。当然のことながら、馬にとっては肉体的、精神的に負荷が掛かるため、無理な追われ方をしてしまうと、体調が下降線を辿ってレースで凡走するだけではなく、下手をすると怪我にもつながってしまう恐れもある。それでも、サラブレッドが速く走るために生まれてきた経済動物である以上、狙ったレースに向けて、ギリギリの調教を施されることは避けて通れない。

ところで、馬は強く追うことで本当に走るようになるのだろうか?別の言い方をすると、馬は鍛えることで果たして強くなるのだろうか?おそらくこれは私だけではなく、ほとんど全ての調教師が抱えている疑問であり、悩みなのではないだろうか。あまりにも本質的すぎて、正しい答えというものがあるとは思えないが、それでも考えないよりはましだろう。

まずは鍛えることで強くなるという考えを紹介したい。この連載の冒頭で登場した、2冠馬ミホノブルボンを管理した故戸山為夫調教師である。通常1日2~3本の厩舎が多い中で、1日4本、多い時には1日に5本も登坂することもあり、「スパルタ調教」とも揶揄されたトレーニング方法を確立した。故戸山為夫調教師は、自身の調教理論についてこう語る。

戸山流ハードトレーニングは、いわば必要に迫られてのことであった。天才的に速い馬がどんどん厩舎に入ってくれば、私もハードトレーニングなど考える必要はなかったかもしれない。しかし、発足したばかりの厩舎のジョッキーとして育ち、勝てない悔しさを重ねた。調教師としても天才的な馬には恵まれない悔しさがあった。

ではどうするか。鍛えて鍛えて、鍛え抜いて勝つしかない。ボクサーにしても、力士にしても、練習に練習を重ねたものが強い。100mランナーもマラソンランナーも、人一倍練習するものが最後には栄冠をもぎとるのだ。馬にもそれが当てはまらないはずはない。(「鍛えて最強馬をつくる」 かんき出版)

故戸山為夫調教師はここで、「天才的に速い馬がどんどん厩舎に入ってくれば、私もハードトレーニングなど考える必要はなかったかもしれない」と皮肉を込めているが、本当にそうだとは思っていないだろう。そもそも天才的に速い馬がどんどん厩舎に入ってくることなど、どの厩舎においてもあり得ないことなのだから。それを承知の上で書いている以上、どの厩舎にとってもハードトレーニングは必要だというのが真意であろう。

もう一人、鍛えることで強くなるという考えを持つ調教師を紹介したい。ダンスパートナー、スペシャルウィーク、アグネスデジタルなど、数々のG1ホースを育て上げ、究極の仕上げの上手さは誰もが認める白井寿昭調教師である。白井寿昭調教師は強い調教について、こう語っている。

マラソンでも日々の努力、毎日のハードトレーニングの結果が反復練習となって厳しい試合で活かされるわけですよね。軽い調教をやっていて厳しいレースを勝てるならそれに越したことはないけれども、そういうわけにはいかないのが勝負の世界ですから。

やはり持ったままの調教で競馬に通用するかというと疑問ですね。我々の場合、厳しいレースに対応するにはハードなトレーニングが必要だと思うからこそ、あれだけの調教を課すわけです。かといって馬の競走生命が短かったかというとそうではないと思います。もちろん、なんでもかんでも無我夢中にやってしまうとパンクするでしょうから、待つ時は時期が来るまで待つべきでしょう。(「G1勝利の方程式」白夜書房)

白井寿昭調教師も、故戸山為夫調教師と同じく、毎日の厳しいトレーニングがレースに行って生きてくるという信念を持って馬を鍛えていることが分かる。だからこそ、持ったままの馬なり調教を施された馬が、いきなり厳しいレースで結果を出すことが出来るかどうかには大いに疑問を呈している。

Tyoukyou23 by sashiko


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集中連載:「調教のすべて」第16回

例)6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5  一杯

「タイム」の隣にある数字(赤字)は、「走ったコースの内外」である。すなわち、コースのどのあたりを走ったかを表している数字であり、内ラチ沿いが②、外ラチ沿いが⑨となり、その間を順に③から⑧までに分けている。当然のことながら、外を回った方が長い距離を走ることになるので、同じタイムの調教であったとしても、その価値が違ってくるのだ。

最後は、「追われ方」である。「追われ方」は、“馬也(うまなり)”と“強め”と“一杯”の3つに大別される。“馬也(うまなり)”→“強め”→“一杯”の順で強く追われていることを示す。もちろん、“馬也”でもなく“強め”でもないような微妙なさじ加減の追われ方もあるのだが、あくまでも表記方法として、これら3つの「追われ方」が用いられている。

だからこそ、その調教での「追われ方」が“馬也”であったのかそれとも“強め”であったのかは、トラックマンの判断によるとことが大きい。ある夕刊紙では“馬也”となっていたのが、別の専門紙では“強め”となっていることがあるのはそういうことである。何が正しいという基準はないので、自分が買った競馬新聞のトラックマンを信用するか、もしくはあなたが実際に調教を見て判断しなければならない。

「追われ方」についてもう少し詳しく説明していくと、“馬也”とは、読んで字のごとく、馬の気持ちに任せて走らせることである。手綱を通して全体的なタイムの調節はするものの、基本的に騎乗者には大きな動きはなく、ただつかまって乗っているだけである。当然のことながら、馬にとっては肉体的にも精神的にも最も負担の掛からない調教となるため、今の体調を維持したいといった状況においては最適な「追われ方」となる。

たとえば、最近で言うと、宝塚記念を勝ったエイシンデピュティの最終追い切りは、体調を維持するための“馬也”であった。エイシンデピュティは、昨年の毎日王冠以来、ほぼ月1のローテーションで休むことなく走り続け、今年に入ってすでに4戦を消化していた。しかも、京都金杯と金鯱賞を制し、産経大阪杯でもあのダイワスカーレットの2着と激走していたのだから、もはやギリギリの体調であったに違いない。宝塚記念に臨む最終追い切りと、その他のレース時の最終追い切りの「追われ方」を比べて見てみれば一目瞭然であった。

毎日王冠
2007/10/03(水) 栗坂 稍 野元 53.1-37.6-24.3-12.1 一杯
天皇賞秋
2007/10/24(水) 栗坂 良 野元 53.0-38.0-24.7-12.5 一杯
鳴尾記念
2007/12/05(水) 栗坂 良 助手 51.0-38.3-26.0-13.5 一杯
京都金杯
2008/01/03(木) 栗坂 良 岩田 52.8-38.7-25.4-12.6 一杯
京都新聞杯
2008/01/30(水) 栗坂 重 岩田 53.8-38.7-25.2-12.7 一杯
産経大阪杯
2008/04/03(木) 栗坂 重 岩田 53.1-38.1-24.3-11.9 一杯
金鯱賞
2008/05/28(水) 栗坂 良 岩田 54.1-38.8-25.4-12.8 一杯
宝塚記念
2008/06/26(木) 栗坂 良 内田 57.5-40.5-26.1-12.4 馬也

いつもならば最終追い切りは一杯に追われてレースに臨むエイシンデピュティであったが、野元調教師もさすがにギリギリの体調であることを察し、仕上がり切っていると判断して、“馬也”の追い切りを掛けてきたのだ。馬也なので57秒5と時計は掛かったが、内田博幸騎手を背にしてスムーズな動きであった。幸いにしてレースまでに体調を落とすことなく、エイシンデピュティは宝塚記念で悲願のG1制覇を成し遂げたわけだが、もし最終追い切りで“強め”または“一杯”に追われていたら果たしてどうなっていただろう?最終追い切りを境に、体調が下降線を辿ってしまい、レースでは惨敗を喫していたかもしれない。それほど、サラブレッドの体調とは繊細で移ろいやすく、そんなサラブレッドが集まって走るレースの結果もまた移ろいやすいのである。

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集中連載:「調教のすべて」第15回

前回の続き)
しかし、実は、最終追い切りの全体時計がレースでの結果に直結しなかったケースもまた多い。

2006年毎日王冠(1着)
2006/10/04(水) 南W 良 助手 63.7-49.2-37.3-12.6 6 G強

2006年天皇賞秋(1着)
2006/10/25(水) 南W 重 助手 63.7-48.7-36.0-12.6 1強め

2006年マイルチャンピオンシップ(1着)
2006/11/15(水) 南W 稍 助手 63.9-49.6-36.6-12.3 2馬也


2006年安田記念(4着)
2006/05/31(水) 南W 稍 安藤 61.9-48.0-34.6-11.2 3 G強

上の3つの時計は、ダイワメジャーの2006年秋シーズン時の最終追い切りである。馬場の違いこそあれ、南ウッドコースで全体時計(5ハロン)が63秒台であれば、ダイワメジャーにとってはそれほど速い時計ではない。それでもレースに行くと、圧倒的な力を見せ付けて3連勝した。

Tyoukyou20 by mighty

逆に、2006年の安田記念(1番下の時計)では、全体時計(5ハロン)が61秒台の好タイムを出しているにもかかわらず、最後の直線では伸び切れずに4着に敗れてしまっている。

上記の例からも分かるように、最終追い切りの全体時計の速い・遅いが、レースでの結果に必ずしも直結するわけではない。レースに行けばその他諸々の要素が絡み合ってくることもあり、体調が良いからといって必ずしも勝てるわけでもない。

確かに、最終追い切りの全体時計の速い・遅いがレースでの結果につながることもあるにはある。体調が悪ければ、追い切りで速い時計を出すことは難しく、体調が良いからこそ、追い切りでも自然と速い時計が出るということだ。

しかし、最終追い切りの全体時計の速いからといって、イコール体調が良いかというと疑問である。

たとえば、外国産馬としては唯一の10億円ホースとなったタップダンスシチーは、、凱旋門賞から帰国初戦の有馬記念で2着と好走した後、十分な休養を挟み、金鯱賞を3連覇した勢いを駆って宝塚記念に出走してきた。ハーツクライ、ゼンノロブロイ、リンカーン、スイープトウショウという錚々たるメンバーが揃ったにもかからず、タップダンスシチーは1.9倍という圧倒的な1番人気に推されることになった。前年の覇者だったことに加え、最終追い切りの動きがバツグンに良かったからである。

しかし、結果的には、前年同様早めにスパートをかけたにもかかわらず、直線では後続に次々に交わされて7着に破れてしまった。タップダンスシチーの型に持ち込んでの惨敗だっただけに、本来の走りが出来るだけの体調になかったことが敗因と考えられる。

そこで、宝塚記念に臨む際の最終追い切りと、金鯱賞におけるそれを比べてみたい。

金鯱賞(1着) 快勝!
2005/05/25(水) CW 良 助手 77.5-62.6-49.0-36.9-12.0 8 一杯

宝塚記念(7着) 惨敗…
2005/06/22(水) CW 良 助手 77.6-63.8-50.6-37.9-12.5 9 一杯

6ハロンでわずか0.1秒の差しかない、ほとんど同じ速さの全体時計であることが分かる。宝塚記念時の最終追い切り時計(77秒6)は、確かその日の1番時計であったように、栗東のCWコースでは相当に速い時計の部類に入る。それだけの動きを見せていたにもかかわらず、レースでは本来の走りが出来るだけの体調になかったということになる。

これには2つの理由が考えられる。ひとつは、一流馬になればなるほど、たとえ体調が少しぐらい悪くても、追い切りでは速いタイムで走ってしまうということである。1ハロンを13~14秒のペースで走ることなど、たとえ本来の体調になかったとしても、タップダンスシチーのような一流馬にとっては苦もないことなのだ。それにもかからず、私たちは1番時計が出ると「絶好調!」と囃し(はやし)立て、過剰な人気を作り上げてしまう。一流馬の動きには騙されてはいけないのだ。

もうひとつは、1番時計を出した時点をピークとして、体調が下降線を辿り始めたということである。追い切りで速いタイムで走ることは、体調の良さの表れである一面、あまりにも体調が良すぎると、レースが行われるまでにかえって調子が下向きになってしまうこともある。水曜日には英気が漲っていた馬が、レース当日には抜け殻のような状態になってしまうことなど、よくある話である。

このように考えると、調教の全体時計が速ければ速いほど、必ずしも体調が良いということではないとうことだ。最終追い切りの全体時計がレースでの結果に直結することもあるし、直結しないこともある。つまり、時計が速い=良い追い切りとは限らず、あくまでも「タイム」とは“どのような速さの追い切りが行われたか”という目安にすぎないのだ。

(第16回へ続く→)


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集中連載:「調教のすべて」第14回

次に、全体時計についてはどうだろうか。全体時計の速さは、その調教自体のレベルの高さや厳しさを表すのだろうか?全体時計が速い追い切りを行ってきた馬は、体調も万全で、仕上がりも良好だと判断してよいのだろうか?

美浦の調教横綱と呼ばれていたダイワメジャー(父サンデーサイレンス母スカーレットブーケ)を例にとって考察してみたい。ダイワメジャーの現役最後の年(2007年)、秋シーズンのレース結果及びそのレースに臨むにあたっての最終追い切りの全体時計は以下のとおりである。

毎日王冠
2007/10/03(水) 南W 良 助手 64.0-49.9-36.2-11.9 3 G強

天皇賞秋
2007/10/24(水) 南W 良 助手 66.7-50.8-37.2-11.9 2 強め

マイルCS
2007/11/14(水) 南W 良 助手 61.6-48.8-36.5-12.4 2 仕掛

有馬記念
2007/12/19(水) 南W 良 助手 62.6-49.4-36.3-12.5 2 馬也

休み明けの毎日王冠は、あくまでも叩き台として、ゆったりと仕上げてきた様子が窺われる。最終追い切りもゴール前で強めに追っただけで全体時計(5ハロン)が64秒0という、全体的には8分通りの余裕を持たせた仕上がりであった。レースではハイペースに巻き込まれる形で3着に敗れてしまったが、それでも最後まで渋太く伸びており、次走天皇賞秋の連覇に期待を抱かせる内容であった。

しかし、休み明けをひと叩きした天皇賞秋では、ガラッと変わってくるのかと思いきや、最終追い切りも全体時計(5ハロン)が66秒7という軽めの調整に終始した。おそらくこの時点で、この秋シーズンは4戦することを決めていたのかもしれない。天皇賞秋ではなく、次走のマイルチャンピオンシップをピークに持って来て、余力が残っていれば有馬記念を走って引退というシナリオだったのであろう。また、毎日王冠から200mの距離延長ということを考えて、ダイワメジャーの精神面にゆとりを持たせるために、ビッシリと仕上げなかったという意味もあったに違いない。ご存知のとおり、レースでは最後の直線の勝負どころで致命的な不利を受けてまともに走られなかったが、結果としては9着と惨敗してしまった。

続くマイルチャンピオンシップは、ダイワメジャーにとって適距離であり、負けられない一戦であった。最終追い切りではビシッと追われ、全体時計(5ハロン)が61秒6という猛時計。まさに横綱という迫力満点の追い切りであった。レースでは、前年の走りをトレースするようなレース振りで、スーパーホーネットやスズカフェニックスの追撃を受けて立つ形で快勝した。これでダイワメジャーはマイルCS連覇、そして安田記念を挟んでマイルG1を3連覇となり、あのニホンピロウイナー、タイキシャトルと肩を並べることになった。

Tyoukyou19 by echizen

マイルチャンピオンシップの余勢を駆って出走した、引退レース有馬記念の最終追い切りでは、全体時計(5ハロン)62秒6を出した。前走のマイルチャンピオンシップには及ばないが、なかなかの好時計である。上り目こそないものの平行線という、勝ち負けになるだけの体調にあったのだろう。レースでは、デムーロ騎手の好騎乗にも助けられつつ、2500mという距離を克服して3着と好走した。これで引退するのが惜しいと思わせるだけの、ダイワメジャーらしい迫力満点の走りを披露した。

以上のように、ダイワメジャーの現役最後の年(2007年)、秋シーズンだけを取ってみれば、いかにも最終追い切りの全体時計の速い・遅いがレースでの結果に直結しているように見える。最終追い切りの全体時計が速い時はレースでも好走して、最終追い切りの全体時計が遅ければレースでは凡走してしまう。ダイワメジャーの体調の良さが、最終追い切りの全体時計に反映されているということである。

しかし、実は、最終追い切りの全体時計がレースでの結果に直結しなかったケースもまた多い。

(第15回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第13回

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次は、「タイム」つまり調教時計について話をしたい。調教時計は鵜呑みにしないほうが良い、とこれまで何度も書いてきたが、それは馬場状態や乗り役の体重等によって、時計自体が大きく影響を受けてしまうからである。また、後ほど詳しく説明するが、同じ馬でも「追われ方」によって時計が出るか出ないかは違ってくる。よって、時計が速い=良い追い切りとは限らず、あくまでも「タイム」とは“どのような速さの追い切りが行われたか”という目安にすぎない

まずは基本的なタイムの見方から説明していきたい。アドマイヤムーンの宝塚記念に臨む際の追い切りを、再び例に挙げたい。

アドマイヤムーン 宝塚記念
6/09(土) DW 重 助手      73.5-57.3-42.2-12.0 ⑨ 馬なり
6/10(日) 栗坂 稍 助手      55.8-41.3-27.7-13.9   馬なり
6/13(水) DW 良 岩田   85.4-69.0-53.7-39.5-11.2 ⑨ 一杯
6/16(土) DW 稍 助手 (7)98.4-69.2-55.0-41.1-12.7 ⑨ 馬なり
6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5 ⑨ 一杯

6月13日(水)に岩田騎手が跨って行われた追い切りは、85.4-69.0-53.7-39.5-11.2と計時されている。このタイムは、ラスト6ハロン-ラスト5ハロン-ラスト4ハロン-ラスト3ハロン-ラスト1ハロンを走るのに要した時間という意味である。つまり、13日の追い切りはラスト6ハロンから時計が計時され、ラスト6ハロンが85秒4、ラスト5ハロンが69秒0、ラスト4ハロンが53秒7、ラスト3ハロンが39秒5、そしてラスト1ハロンが11秒2のタイムで走ったということである。

6月16日(土)と21日(木)には、ラスト7ハロンからの時計が計時されている。その際には、(7)という形で6ハロンの時計ではないことが示されている(表記の仕方は媒体によって異なる)。レースを前にして、いつもより少し長めの追い切りを掛けたということになる。当然のことながら、長めを追い切る方が馬にとってはハードであり、馬体が絞りきれない場合や、スタミナを強化しておきたい場合に施されることの多い調教である。アドマイヤムーンの場合は前者で、香港遠征から帰ってきて一旦緩めた馬体を絞る目的で、長めから追い切りを掛けたのだろう。その効果はバツグンで、宝塚記念当日には恐ろしくきっちりと仕上がった馬体で私たちの前に登場した。

調教の「タイム」に関しては、それぞれのコースにおける標準時計(目安)のようなものもあるにはあるのだが、ここで詳しく紹介することはしない。なぜなら、誤解を招く恐れがあるだけではなく、タイムが様々な外的要素に大きく影響される以上、見なくてよい(知らなくてもよい)ケースの方が圧倒的に多いからである。時計の速い・遅いに目を奪われたばかりに、調教の判断を誤ってしまうことの何と多いことか。

たとえば、アドマイヤムーンにおいても同じことがあった。宝塚記念に臨むにあたって、岩田騎手が初めて跨って追い切られた際、「最後の直線で追った時、周りの風景が一瞬消えた。こんなこと初めて」と岩田騎手は取材陣に語った。周りの風景が消えたと思わせるほど、アドマイヤムーンの瞬発力が素晴らしかったということなのだが、なるほどラスト1ハロンのタイムを見ると11秒2の速い時計が出ている。最終追い切りもラスト1ハロンが11秒5のタイムが出て、宝塚記念を実際に快勝したこともあり、アドマイヤムーンは最後に速い時計が出る=調子が良いという図式が強調されることになってしまった。

ところが、夏を越して、秋の天皇賞秋とジャパンカップはどうだったのだろうか。天皇賞秋とジャパンカップの追い切り時計を見てみたい。

アドマイヤムーン 天皇賞秋
09/26(水)  DW 重 助手        62.0-46.0-13.0 ⑨ 馬也
09/29(土)  DW 良 助手        61.0-45.7-12.7 ⑨ 馬也
10/03(水)  DW 稍 助手 88.8-73.1-58.0-42.0-11.6 ⑨ 強め
10/06(土)  DW 稍 助手 90.8-75.1-59.4-43.1-12.3 ⑧ 馬也
10/11(木)  DW 良 助手 85.2-69.2-54.0-39.4-11.9 ⑧ 馬也
10/14(日)  栗坂 良        58.2-42.7-27.6-13.7 馬也
10/17(水)  DW 良 助手 86.4-70.9-55.4-40.4-11.5 ⑨ 一杯
10/20(土)  DW 重 助手     74.5-58.5-42.4-12.4 ⑨ 馬也
10/24(水)  DW 良 助手 86.8-70.4-56.1-41.3-12.1 ⑨ G一

天皇賞秋は、1週間前追い切り(10/17)で、ラスト1ハロン11秒5という切れ味を見せた。この時点で、アドマイヤムーンは好仕上がりだと誤解し、宝塚記念に続き、極上の切れ味でアドマイヤムーンが天皇賞秋の盾をも奪取する姿を思い浮かべた人は少なくなかっただろう。

ところが、最終追い切りはというと、ラスト1ハロン12秒1と、宝塚記念時に比べると、数字だけを見ればやや不満が残る内容であった。天皇賞秋でのアドマイヤムーンの取捨は、ラスト1ハロンだけの時計を見るだけではどちらとも言えない、というのが正直なところであった。

ご存知のとおり、結果は6着に惨敗。直線に向いて、これから追い出される時に他馬に寄られたというアクシデントはあったものの、私の見る限り、隣にいたダイワメジャーに比べると、致命的な不利ではなかったように思える。アドマイヤムーンの天皇賞秋での敗因は、宝塚記念をピークの出来で快勝したことにより、天皇賞秋までの短い期間では本調子にまでは持ってこられなかったことに尽きる。それでもゴールまで渋太く伸びた走りは、さすがゴドルフィンに40億円でトレードされただけのことはあった。

アドマイヤムーン ジャパンカップ
11/10(土) DW 稍 助手    75.1-59.3-44.5-13.5 ⑨ 馬也
11/14(水) DW 良 助手 86.1-70.3-55.3-41.0-12.1 ⑨ 馬也
11/17(土) DW 良 助手        59.9-43.7-11.6 ⑧ 直一
11/21(水) DW 良 助手 86.0-69.8-53.6-39.6-12.3 ⑨ 一杯

続くジャパンカップでは、1週間前の追い切りのラスト1ハロンが12秒1、最終追い切りは一杯に追われたもののラスト1ハロンが12秒3と、結局11秒台を計時することはなかった。前走の天皇賞秋の敗因を最終追い切りでの時計の遅さに求めた人々は、12秒1と12秒3という今回の追い切りのラスト1ハロン時計を理由にして、こぞって宝塚記念時の体調にはないと捲くし立てた。距離不安説も加わり、ジャパンカップでは5番人気と評価を大きく下げることになった。

Admiremoon03 by echizen

しかし結果は、メイショウサムソンやポップロックなどの実力馬を退けて、アドマイヤムーンの完勝であった。岩田康誠騎手の積極的な騎乗や、通ったコースの有利不利は多少あったにせよ、アドマイヤムーンの体調が天皇賞秋からは一変しており、宝塚記念の時の体調に戻っていたことは確かである。結局、1週間前でも最終追い切りでも、ラスト1ハロンで11秒台を切ることが出来なかったにもかかわらず、本番のジャパンカップでは見事な走りを見せてくれたのだ。つまり、アドマイヤムーンの体調は、ラスト1ハロンの時計とは全く関係がなかったということである。

(第14回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第12回

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それでは次に、「馬場状態」に話を進めていきたい。

坂路コース、ウッドチップコース、ニューポリトラックコースでの調教は、程度の差こそあれ、競馬場の芝コースと同じく、良→稍重→重→不良になるにつれ時計が掛かるようになる。対して、ダートコースでの調教は競馬場のダートの馬場状態と同じく、良→稍重→重になるにつれ時計が速くなる(不良の場合、逆に時計が掛かるのも同じ)。

また、これは調教欄には表れないことだが、追い切りが行われた時間帯によっても馬場状態は異なる。馬場の均一が保たれるニューポリトラックコースを除く、坂路コース、ウッドチップコース、ダートコースは朝一が最も馬場状態が良く、追い切りが行われるにつれ、蹄跡が残り、馬場は掘り返されて次第に走りづらい状態へと変化していく。たとえ同じ日に行われた追い切りでも、朝一のまっさらな馬場状態で行われたものと、ハロー掛け直前のボコボコの状態で行われたものとでは、時計の出やすさが全く違うのである。

このように、調教時計は馬場状態によって大きく影響を受けるため、それ自体の遅速をあまり鵜呑みにはしないほうがよい(このことについては「調教時計」の項で詳しく説明する)。時計が速ければ良い追い切りで、遅ければそうではない、ということではないのだ。素晴らしい内容の追い切りでも数字(時計)だけをみれば平凡で、逆にごく普通の内容の追い切りでも速い時計が出てしまうこともあるからだ。

次は「騎乗者」について。「騎乗者」は、基本的にはその厩舎に所属している調教助手やジョッキーであることが多い。アドマイヤムーンの宝塚記念に臨む際の追い切りを、もう一度見てみよう。

アドマイヤムーン
6/09(土) DW 重 助手      73.5-57.3-42.2-12.0 ⑨ 馬なり
6/10(日) 栗坂 稍 助手      55.8-41.3-27.7-13.9   馬なり
6/13(水) DW 良 岩田   85.4-69.0-53.7-39.5-11.2 ⑨ 一杯
6/16(土) DW 稍 助手 (7)98.4-69.2-55.0-41.1-12.7 ⑨ 馬なり
6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5 ⑨ 一杯

6月13日(水)に岩田騎手が跨った追い切り以外は、調教助手が騎乗していることが分かる。追い切りにジョッキーが跨らない理由としては、もちろん体がひとつしかないので全ての騎乗馬の調教をつけられないということもあるが、それ以上に、調教というフィールドにおいては、調教助手の方がしっかり乗れるからである。ここで言う“しっかり”とは、調教師の指示したタイムや内容どおりに乗れるということである。毎日、数多くの追い切りをこなしている調教助手は、調教におけるスピードを把握する体内時計がジョッキーよりも正確なのである。

そこで問題になってくるのが体重である。小柄なジョッキーと調教助手とでは体重が全くと言ってよいほど違うので、当然、50kg前後の体重の軽いジョッキーが乗った方が速いタイムが出る。つまり、調教時計は調教での乗り役によっても大きく影響を受けるため、それ自体の遅速をあまり鵜呑みにはしないほうがよいということがここでも言える。また、ジョッキーが跨ってしまうと、レースが近いことを馬が察知(もしくは勘違い)してしまい、入れ込んでしまうということもある。馬がエキサイトしたことにより、つい予定よりも速い時計が出て、調整過程に狂いが生じてしまうのだ。

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それでもジョッキーが追い切りに乗るのは、一度でも跨っておくことにより、その時点での体調やその馬の個性、特徴、適性などを大まかに把握することができるからである。特にテン乗りの場合などは、レース前に一度跨っておくかどうかで、レースの組み立てが違ってくるし、何よりもジョッキーの心理面での安心度が増すはずである。たとえ一流ジョッキーであろうとも、実際に追い切りで跨ってみて、前もって騎乗馬の個性、特徴、適性などを把握しておくことのメリットは非常に大きい。

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Tyoukyou15それでは、最後に⑦のプールについて。プールでの調教は時計が出ないため、媒体によっては表示されないこともある。中間の追い切りが数本しかないように見えて、実はプールで調教をしていたということもあるので注意したい。

プールにも「プール調教」と「ウォーター・トレッドミル調教」の2種類がある。

「プール調教」とは、文字通りプールに入って泳ぐことでトレーニングをすることである。馬の体は水に入っても沈むことがないので、四肢が水底につかなければ自然と泳ぎ出す。もちろん、馬によって泳ぎの上手い下手や好き嫌いはあるが、基本的には馬は教わるともなく泳ぐ能力を備えている。

「プール調教」の目的は、脚部に負担を掛けることなく、筋力や心肺機能を維持することである。さらに、馬は主に後肢で水を蹴って泳ぐので、後肢の筋力強化にも繋がる。坂路コースや平地コースではビシッと追い切ることが難しい脚部不安の馬を、プールで調教することによって補うことが出来るのだ。そうは言っても、やはり水中での四肢の動きと陸上でのそれは異なるため、走るための筋肉がすべて鍛えられるわけではない。

そこで考案されたのが「ウォーター・トレッドミル調教」である。水中の歩く歩道とでも呼べばいいだろうか、馬は胸元まで水に浸かって、回転するウォーター・トレッドミルの上を歩く。「ウォーター・トレッドミル調教」は、脚元への負担が軽減されるだけではなく、四肢を床につけて陸上と同じ動きをするため、鍛えられる筋肉は陸上での追い切りとほぼ同じになるのだ。

Tyoukyou14

また、「プール調教」も「ウォーター・トレッドミル調教」にも、馬をリラックスさせる効果がある。同じような調教内容では馬も飽きてしまうので、リフレッシュを図るためにプールを使って調教すること調教師が多くなってきている。コースで調教をした後の気分転換として、プールで泳がせるのである。もちろん、泳ぐのが嫌いであったり苦手であったりする馬には逆効果なのだが…。

昨年の皐月賞馬ヴィクトリーは、プール調教を取り入れて成功した例だろう。ヴィクトリーは新馬勝ち後、いきなりラジオNIKKEI杯2歳Sに挑戦して2着と善戦したが、その頃から気の悪さを出し始めた。人間の指示を全く聞かないため、まともに調教することが出来ないのだ。若葉Sの時など、週に3日しか乗れなかったほどであるから、その気性の難しさはうかがい知れる。

そこで陣営が仕方なしに取り入れたのがプール調教であった。プールでは放馬の心配もなく、暴れたりすることが難しいので、悪さをすること自体が出来ないのである。もちろん、陸上での追い切りと同じだけの運動量や効果を望むことは出来ないが、馬場で追い切られなかった分を補うことは出来る。特にヴィクトリーのようなG1レースを狙う馬にとって、運動量の不足は致命傷となる。

ヴィクトリーの皐月賞に臨むにあたっての追い切り時計は、以下のとおりであった。

2007/04/01(日) 栗坂 稍 助手 58.3-42.0-27.9-14.1 馬也
2007/04/08(日) 栗坂 稍 助手 56.2-40.6-27.2-13.9 馬也
2007/04/11(水) 栗坂 良 助手 53.1-39.7-27.2-14.5 G一

本来であれば、4月1日(日)と8日(日)の間に1本、時計になる追い切りがなされていてもよいはずの追い切りがない。これは4日に坂路コースで追われるはずのヴィクトリーが乗り手を振り落としてしまい、追い切りを行うことが出来なかったのである。

これだけを見ると、中間に3本の時計しか出していないのだが、実は中間にプール調教が行われている。繰り返しになるが、媒体によってはプール調教が表示されないこともあるので注意したい。皐月賞に臨むにあたってのプール調教は以下のとおりである。

2007/03/28 プール4周
2007/04/03 プール2周

プール調教が追い切り1本分にあたるとはとても思えないが、陣営としてはなんとしてでも不足分を補いたかったのだろう。その気持ちがヴィクトリーに伝わったのか、11日の最終追い切りは、終いこそ掛かったものの、53秒のタイムでなんとか追い切ることが出来た。結果はご存知のとおり、大外枠から強引にハナを奪い、ゴール前ではサンツェッペリンを差し返しての勝利を飾った。これだけの調教量でG1レースを勝ってしまったこと自体驚きだが、それもプール調教があったおかげではないだろうか。

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⑤のニューポリトラックコースについては、現状で分かっている限りの利点を挙げてみたい。

1、馬の脚元に優しい
2、馬場の悪化が少ない
3、目に外傷を負うリスクが少ない
4、人馬の健康にとっても良い

何といっても、ニューポリトラックコースの最大の利点は、1の「馬の脚元に優しい」ということである。クッション性としては、現状ではダートコースよりも柔らかく、ウッドチップコースよりも硬いといったところだろうか。これは材質の厚さを変えることで調整できるので、将来的にはウッドチップコースと同じくらいの柔らかさになるかもしれない。また、砂にゴムや繊維等を混ぜ込んだものだけに、グリップ性にも優れ、滑る危険も少なく、安心して走ることが出来る。

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2の「馬場の悪化が少ない」のは、ダートコースやウッドチップコースに比べ、ニューポリトラックコースが優れた排水性を持っているからである。素材自体が水分を吸収することが少ないため、すぐに流れて出てしまい、雨が降っても馬場が極端に悪化しない。ポリトラックコースがよく全天候型と呼ばれるのはそれゆえである。天候によって追い切りの予定を変更する必要がほとんどないのだ。

3の「目に外傷を負うリスクが少ない」は、前を走る馬が蹴り上げる木片が目に直撃しやすいウッドチップコースに比べ、ニューポリトラックコースの馬場は素材の関係でキックバックが少ないということである。馬が目に外傷を負ってしまえば、たとえ仕上げが完璧に進んでいたとしても、しばらく休ませざるを得ない。ウッドチップコースで追い切る時には、木片が馬の目や顔に直撃しないように、前の馬との間隔や位置取りには気を遣うものだが、ニューポリトラックコースでは、その心配がほとんどないということだ。

4の「人馬の健康に良い」とは、競馬や馬の競走能力とは直接に関係はないが、走る度に砂や埃が舞い散るダートコースとは違い、ニューポリトラックコースは乾燥時でも埃がほとんど立たないので、乗り役や競走馬がそれを吸い込むことが少ないということだ。当たり前のことではあるが、競馬に携わる人間も馬も健康でなければ、レースに行って好成績を収めることは難しいだろう。

さらに、実際にニューポリトラックコースが用いられるようになり、以下のようなメリットがあることも発見されている。

5、ハローがけの時間のロスがない
6、実戦形式での追い切りが出来る
7、長めの追い切りが出来る

5の「ハローがけの時間のロスがない」とは、通常、ダートコースやウッドチップコースであれば、ある一定の時間の間隔おきに、ハローがけといって、専用の車両を使って、馬の足跡や穴が掘れてしまった馬場をほぐして均一にしなければならないところを、ニューポリトラックコースはその必要がないということである。ハローがけは競走馬の安全を確保するためには必要な作業で、避けられないのだが、どうしても時間が掛かってしまい、特に追い切りが集中して行われる水曜日の朝の時間帯などは、追い切り待ちの馬の渋滞が起こるほどである。馬によっては、待たされることで精神的に疲労してしまうこともあるだろうし、このハローがけの時間がなくなることによって、予定通りのタイミングで追い切りが行われることになるのだ。

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6の「実戦形式の追い切りが出来る」とは、3の「目に外傷を負うリスクが少ない」と大きな関係があり、ニューポリトラックコースでは前を走る馬の蹴り上げを気にしなくてもよいので、馬を後ろに置いた調教が出来るということである。

もう少し厳密に述べると、ウッドチップコースで追い切る時には、前を走る馬の真後ろにつける縦の追い切りはなかなか難しく、どうしても馬を横に置いた併せ馬の形を取らざるを得ない。そもそも、競馬は実戦に行けば、横だけではなく前後ろにも馬がいる形で展開することになる。そのような実戦に即した調教がウッドチップコースでは実現することは難しいのだ。

それでも縦の追い切りをしたい場合はどうするかというと、前の馬との距離を、蹴り上げた木片が馬の顔に当たらず、胸に当たるような間隔に保つのだ。ただし、一定間隔を保って走ることは案外難しく、当然、ひとつ間違えば木片がモロにぶつかってしまうというリスクがある。もうひとつは、後ろから追走する馬を少し内側に置くということだ。なぜ外側ではないかというと、コーナリングの際に、前の馬が蹴り上げた木片は遠心力で外に向かって飛び散ってくるからである。それを避けるために、前を走る馬の内側を走り、コーナーでは内側から抜き去るのだ。とはいえ、やはりレースでは外から抜いて行くことの方が多いため、どうしても実戦的ではない。

以上の点をニューポリトラックコースでの追い切りは克服することができる。併せ馬を行うにしても、前を行く馬の真後ろにつけて折り合いを教え、コーナーでは前の馬の外をキッチリと回りながら抜いていくという実戦さながらの追い切りをかけることが出来るのだ。これは坂路コースにもないメリットであり、レースを経験したことのない新馬や、折り合いに難のある馬を教育するためにはもってこいの調教コースである。

7の「長めから追い切りが出来る」とは、ニューポリトラックコースは美浦トレセンの南馬場、ウッドチップコースと芝コースのさらに外に作られたため、全周が1858mもあり、2つのコーナーを使うだけで6ハロンの追い切りが出来るということだ。これまで6ハロンの追い切りを行うには、ウッドチップコースでは4つのコーナーを回りながらになってしまい、どうしてもスピードを落とさざるを得ず、ビッシリ長めから追い切ることが出来ないでいた。それが脚元に負担の掛からないニューポリトラックコースで、6ハロンの追い切りがビッシリできるようになるのだから、馬のスタミナを鍛える効果は非常に大きい。

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集中連載:「調教のすべて」第9回

それでは、④の芝コースについて説明していきたい。当然のことながら、ウッドチップコースやダートコースに比べ馬場が硬く、馬の脚元に負担が掛かることは避けられない。そのため、何か理由がない限り、芝コースでしっかりとした時計を出す追い切りは行われることは珍しい。その代表的な理由としては、以下のものが考えられる。

1、他のコースの馬場状態が悪い
2、馬体を絞りたい
3、右回りだとモタれて仕方ない

1は降雨で馬場が悪くなったり、冬場に馬場が凍ってしまったりして、他のコースの馬場状態が極端に悪くなってしまったときのことである。たとえば、2007年のセントライト記念に臨むにあたって、ロックドゥカンブの最終追い切りは芝コースで行われた。前日から降り続いた激しい雨の影響で、どのコースの馬場も軒並み芳しくない状態であった。その中でも、堀調教師が実際に歩いてみて「一番良かった」という芝コースを選択したのである。このような特殊な状況においては、芝コースが最も安全な馬場になることもあるのである。

2はレアケースと考えてもらってもいいだろうが、馬体を絞りたい時に芝コースで追い切りを掛けることもある。レースの1週間前になっても、思いのほか馬体が絞れてこない時など、最後の策として芝コースを使うということだ。芝コースは速い時計が出るので、脚元だけでなく、馬の肉体面に対する負荷は最も大きい。そのことを逆に利用して、冬場などに体が絞りきれない馬を一気にシェイプアップさせるということだ。

2006年のフェブラリーSの最終追い切りにおいて、カネヒキリは珍しく芝コースで併せ馬を行った。 その理由として、角居調教師は「芝でのスタートに失敗が多いので…。あとJCダートの時とは仕上げが違います。フェブラリーSは最近、芝馬が好走している。パンと弾くような走りの方がいいと思います」とコメントしているが、おそらくそれだけではなかっただろう。直前に1本芝コースで追い切っただけで、芝コースのスタート部分の走りが速くなるはずがなく、芝を走るための走法にチェンジできるはずがないからだ。

それぐらいのことは、角居調教師が一番良く分かっているはずで、この芝コースでの調教の真の目的は、カネヒキリの絞り切れない馬体をなんとか間に合わせるためだったのではないかと思う。その甲斐もあってか、JCダート以来、3ヶ月の休み明けにもかかわらず、カネヒキリはわずかプラス2kgの馬体重で出走し、見事に勝利を収めた。

Tyoukyou10 by Ichiro Usuda

3はそれほど多くない例だろうが、右回りではどうしてもモタれてしまう馬を、本馬場に入れて左回りで追い切ることがある。鞭で矯正したり、馬を右に置いたりと工夫することも出来るが、右にモタれる癖のある馬を右回りで繰り返し追い切っていると、どうしてもその癖を助長してしまうことになりかねないのだ。そこで左回りのコース(芝であることは関係ないが)で追い切ることによって、悪い癖をなるべく出さないようにするということだ。

たとえば、シンボリクリスエスは苦しくなると右にモタれる馬であった。3歳時の有馬記念では、タップダンスシチーを差し切ったものの、最後の直線で右にササってしまった。次走の宝塚記念でも、休み明けということもあったが、直線で右にモタれてしまい失速した。この癖を出さないように、藤沢調教師はなるべくシンボリクリスエスを左回りの本馬場で追い切ることを心掛けたそうだ。その効果もあってか、ラストランとなった有馬記念では、ペリエ騎手に目一杯に追われても、シンボリクリスエスは真っ直ぐに走り、2着のリンカーンになんと9馬身もの差をつけて圧勝した。

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集中連載:「調教のすべて」第8回

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次は、坂路に対して平地で行われる②ウッドチップコースと③ダートコースに話を移したい。

平地調教と前述の坂路調教の違いは、厳密に言うと、平地調教は有酸素運動的な効果がより多く見込まれるということだろう。たとえば、ダイエットをする時に、激しい運動を短い時間で行うのではなく、比較的緩やかな運動を長い時間をかける方が効果的だとされるが、平地調教はどちらかと言うと後者の運動である。実際に長い距離を、息を入れながらジックリ時間をかけて調教していくため、その疲労度は高く、馬体を絞る効果もある。冬場のレースで、坂路コースで調教された馬が大幅な馬体増で凡走することがあるのは、つまりこういうことだ。

さらに、平地調教だけで鍛えられた馬を、坂路調教だけで鍛えられた馬を比べると、筋肉の付き方が違ってくることが分かる。前者は長距離馬らしいスリムな体型になり、後者は短距離馬らしい筋骨隆々の体型になる。

たとえば、アドマイヤムーンを管理した松田博資調教師は、平地のウッドチップコースを中心として調教するが、その管理馬にはベガ、タイムパラドックス、アドマイヤドンなど、たとえ短距離血統の馬でも、絞り込まれたスリムな体型の馬が多い。対して、坂路コースを中心として馬を仕上げる松田国英調教師の管理馬には、タニノギムレット、キングカメハメハ、クロフネ、ダイワスカーレットなど、たとえ長距離血統の馬であっても、筋骨隆々のマッチョな体型の馬が多い。

坂路コースでもスタミナを強化することは出来るが、やはり長距離戦向きの肉体やスタミナを養うという点については、平地コースの方に一日の長があるということだ。

また、同じ平地調教であっても、やはりウッドチップコースとダートコースでの調教には違いがある。

ウッドチップコースは木片が敷き詰められているため、馬の脚にダートコースで追い切るほどの負担が掛からない。よって、ウッドチップコースでは追い切ることが出来ても、ダートコースでは難しいという馬もいて、現状としては、ダートよりもウッドチップコースを使う調教師の方が圧倒的に多い。脚元に掛かる負担を少なくしつつ、体全体には負荷を掛けながら、長距離馬としての筋肉やスタミナを作っていくという点において、極めて効果的な調教コースなのである。

血統的、体型的にスタミナに不安のある馬がウッドチップコースで調教されたことによって、距離をこなせるようになることもある。上に挙げたアドマイヤムーンなどは、典型的な例だろう。3歳時(天皇賞秋)の馬体と、最後のジャパンカップ出走時の馬体を見比べてみて欲しい。拳1個か1個半分ぐらいは馬体(胴部)が伸びていることが分かる。

3歳時(天皇賞秋)
Admiremoon01
引用元:競馬ブック

ジャパンカップ時
Admiremoon02
引用元:競馬ブック

父エンドスイープ、母父サンデーサイレンスという血統で、かつ3歳時は胴の詰まった体型をしていた同馬が、ウッドチップコースを中心として調教されたことによって、最後は2400mのジャパンカップを勝つのだから驚きである。調教によって馬は造ることが出来るということの証明でもあり、この年の優秀技術調教師に松田博資調教師が選出されたのも当然の結果だろう。

しかし、ウッドチップコースにも欠点はあり、ダートコースに比べて走りにくいため、馬が力を入れて走らなければならず、馬によっては筋肉や腱に負担が掛かりすぎてしまうこともある。実際に地方競馬でダートだけを使ってこれまで調教されてきた馬が、中央に移籍し、ウッドチップコースで調教をされたら、ガタガタになってしまったという例もある。

たとえば、骨が弱い馬がいるとすると、ダートならソエで済むところが、ウッドだと骨折という憂き目に遭うこともあるという。脚元に負担が掛からないはずのウッドチップコースも、ハードな調教に堪えられる馬でなければ、その激しさゆえに、馬を傷めてしまったり、大きなアクシデントに繋がってしまう可能性もあるということである。つまり、走られる体がしっかり出来ていない馬に関しては、比較的負荷の少ないダートコースで追い切るほうが良策ということだ。

もう一つ、ゴスホークケンのように、ウッドチップコースでは木片で蹄の裏を傷めてしまうという馬にとっては、ダートコースで調教することもあり得る。ウッドチップ以外にも、歩いていて金属片が刺さったり、思いっきり小石を踏んずけたりして、蹄の底を痛めてしまうことを「挫石」といい、蹄の弱い馬がなりやすい。それほど重症にはならず、1~2週間ほどそっとしておけば治るのだが、その間はもちろん調教が出来ない。

これは余談だが、藤沢和雄厩舎の馬房前の砂地には、常に箒(ほうき)の目が立てられている。馬は厩舎の外に出る時には必ずこの砂地を通るため、そこに釘などの異物が落ちていた時にはすぐに誰かが気付くようになっていなければならないという理由である。馬や人の足跡が付きっぱなしの状態では、異物が落ちていても誰も気付かず、馬がそれを踏んで挫石してしまってからでは遅いのだ。サラブレッドの蹄にはそれほどに慎重にならなければならず、つまり「蹄なくして馬なし」ということである。

以上がウッドチップコースとダートコースの使用上の違いだが、1周距離の違いによっても2つのコースが使い分けられることもある。たとえば、栗東トレセンのBコース(ダートコース)は、小回りで砂が軽く、時計が出やすいので、古馬にとっては負荷の掛からないコースだが、新馬にとってはコーナリングの練習にちょうど良いという。Bコースの1周は1600mで、京都競馬場のダートコースとほとんど同じなのである。そのような用途としても、調教のコースは使い分けられることもあるということだ。

(第9回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第7回

6の「後躯(腰)の強化につながる」は、坂路コースは後肢に負担が掛かりやすいので、自然と腰から尻にかけての強化につながっていくということだ。坂路に入れたての頃は、後肢に負担が掛かりすぎて、どうしても腰に疲れが出てしまうのだが、腰は一気には壊れることはない。腰に疲れが出てきたときには調教を軽めにする、ということを繰り返していると、グングンと腰が強くなっていく。腰が強くなれば、坂路コースは腰に疲れが出やすいという欠点はあるが、それを乗り越えていけば、逆に欠点が長所となるのである。

腰が強くなれば、当然のことながらレースで成績は上がる。たとえば、ハーツクライは5歳の秋にして、ようやく本格化したのだが、それまでは腰が甘くて、道中でレースのペースについて行くのがやっとの馬であった。最後は素質で追い込んで来ても、時すでに遅しというレースを繰り返していた。5歳の夏休みを経て、腰がパンとしたハーツクライは、ジャパンカップではレコード決着の2着、続く有馬記念ではあのディープインパクトに土を付け、ドバイシーマクラシックでは逃げ切り勝ちを演じ、キングジョージでは歴史に残る名勝負を繰り広げた。

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最後のジャパンカップはノド鳴りの影響で惨敗してしまったが、腰がパンとしてからのハーツクライは、ディープインパクトに匹敵するだけの強さを持っていた。それもこれも、橋口厩舎のノウハウが詰まった坂路調教の賜物であったように思う。もしハーツクライを平坦コースでしか調教できなかったとすれば、果たしてG1レースを勝てるだけの馬になっていたかどうか疑問であるし、あれだけの本格化はまず望めなかっただろう。

7の「頭が低くなる」は、坂路コースは前のめりのフォームでなければ上がれないため、自然とそういうフォームになるということである。頭が低くなるということは、首をうまく使い、前脚の伸びが良くなることにもつながる。もちろん、生まれつき首の高いフォームで走る馬を、その欠点を少しでも矯正するため、坂路コースに入れることも多い。

次に、美浦トレセン(関東)と栗東トレセン(関西)における、坂路コースの違いについて説明したい。同じ坂路コースでも、両者では全体距離や勾配までが違ってくるのである(下図参照)。

栗東トレセン
Rittouhanro

美浦トレセン
Mihohanro

まず大きく異なる点は、何といっても高低差である。栗東トレセンの坂路コースが32mの高低差があるのに対し、美浦トレセンのそれは18mしかない。それに対し、坂路コース全体の距離は栗東トレセンが1085m、美浦トレセンが1200mであるから、その勾配の違いは歴然としている。

また、調教タイムを計測する区間(800m)までの助走距離も異なる。栗東トレセンは、スタートしてわずか70mの助走距離で坂路を駆け上がっていくのに対し、美浦トレセンでは270mもの助走距離があってから坂路を登ることが出来る。総じて美浦の坂路コースの計時タイムの方が速いのは、これが大きな理由である。

つまり、勾配が強いことに加え、助走距離が短いことも手伝って、美浦に比べ、栗東の坂路コースでは競走馬にとって厳しい調教が課せられることになる。美浦に坂路コースが出来ても、一向に関西馬との力差が埋まらなかったのは、この坂路コースの規格の違いによるところが大きい。なるべく助走をつけずに駆け上がるなどの工夫をしても、いかんせん勾配の違いだけは避けがたい。

(第8回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第6回

4の「運動時間が長くなる」については、坂路コースで調教するにはどうしても時間が掛かり、それが運動量の増加につながるということである。従来のコースでの調教では、コースで15分間、厩舎から調教馬場への行き帰りで20分間として、合計しても40分もかからなかった。ところが、坂路では一度駆け上がったら、ダクで坂を下り、逍遥馬道を15分~20分くらいかけて歩いて坂路のスタート地点に戻らなければならない。これを何度も繰り返すのだから、1頭につき1時間以上の時間をかけて調教していることになる。

前述した森秀行厩舎では通常1本しか追い切られないが、準備運動として1時間歩かせてから坂路コースに入り、調教が終わると、クーリングダウンとしてまた1時間歩かせるという。時計になる調教は変わらなくても、それ以外の部分での運動量が多いということである。西高東低の理由として、坂路コースが出来たことは目に見えるそれだが、坂路コースを使うことに伴う運動量の増加が本質的な理由だと森調教師は言う。馬にとっては、歩くことも大切なトレーニングになるのだ。

Tyoukyou02これは余談になるが、馬を歩かせることを常歩(なみあし)というが、常歩は意識して歩くことなので、馬はこれが好きではない。しかし、人に引かれて歩くときは必ずそうするのだと教えておくと、馬は勝手な行動をしなくなり、人間の指示に素直に従うようになる。それによって、人も馬もより安全になるだけではなく、レースに行ってもジョッキーの合図にきちんと応えて走られる馬になる。

また、常歩は足腰の筋肉を鍛えるのに良い。馬の足腰は走ることによっても鍛えられるが、常歩ではそれとはまた違った筋肉の使い方をするので、毎日きっちりと常歩を続けていると、筋肉の付き方が変わってくるのだ。コースを走るだけの調教ではアンバランスになりがちな筋肉の発達を、常歩で歩くことによって防ぐことが出来るのである。

つまり、きちんと歩けない馬はレースでも走らないのである。競馬場のパドックでも、きちんと歩けているかどうかは常にチェックしておくべきだろう。特に若駒戦や未勝利戦でよく見られるが、脚を引きずってダラダラと歩いたり、きちんと足を上げてリズミカルに歩けていないような馬は、レースに行っても気性の悪さを出してあっさり負けてしまうケースが多い。

5の「ピッチ走法をマスター出来る」については、坂路コースは大股では上れないので、小股で脚を速く出そうとするため、自然とピッチ走法をマスターできるということだ。ピッチ走法を覚えると、ゲートから出て、すぐにスピードに乗れる、つまりスッと良いポジションを取られるようになるという利点がある。短距離が中心の新馬戦で、坂路コースで調教された馬が活躍するのは、スタートダッシュの力を養うことが出来るからでもある。

最近でいうと、アストンマーチャンは典型的なピッチ走法である。普通の馬なら31歩で駆け上がってくるところを、35歩かかると言われている。それでも、51秒台で登坂してくる以上、よほど脚の回転数が多いのだろう。究極のピッチ走法であるアストンマーチャンが、速さ自慢の猛者たちが集まるスプリンターズSでも楽にハナを切れたのは、決して不思議なことではない。

Tyoukyou07 by gradeone

それから、ピッチ走法をマスターすることによって、瞬発力を養えるということもある。ここで言う瞬発力とは、上がり3ハロン33秒といった俗に言う“切れる”という意味とは少し違う。勝負どころの直線で騎手がゴーサインを出した時に、即座に反応して伸びることが出来るかどうかということである。瞬時に脚の回転を速くしなければならないが、その際、ピッチ走法をマスターしていることが瞬発力につながるということだ。

たとえば、ポップロックはなかなかG1レースを勝ち切れない馬だが、この馬には瞬発力がないという欠点がある。勝負どころで器用な脚が使えないからこそ、他馬よりもエンジンの掛かりが遅くなってしまい、ジワジワとは伸びるが最後は届かないというレースを繰り返すことになる。府中や京都の外回りのコースであれば克服可能だが、小回りや直線の短い競馬場では苦戦を強いられる。実際に、ポップロックも坂路コースで調教されることはあるが、ピッチ走法で走ることが出来ないため、速い時計が出ない。

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集中連載:「調教のすべて」第5回

それでは、コースについて話を進めて行きたい。

具体的なコースの種類は以下のとおりである(カッコ内は代表的な表記方法)。

①坂路コース(美坂、栗坂)
②ウッドチップコース(南W、CW、DW、函W)
③ダートコース(南D、北C、北B、栗B、栗E、札ダ、函ダ、小ダ)
④芝コース(南芝、栗D)
⑤ニューポリトラックコース(美ポもしくは南P)
⑥プール(プール)

①の坂路コースは、ご存知のとおり、競馬界に大きな革命をもたらした調教コースである。昭和62年に栗東トレセンに新設されるや、確実に効果を上げ、それまでの関東馬優勢の潮流を一気にひっくり返し、その西高東低の流れは現在に至るまで続いている。一方、美浦トレセンでも平成5年に坂路コースが新設されたものの、直線部分の短さなどの問題もあり、未だ関西馬優勢の流れを変えるまでには至っていないのが現状である。

ちなみに、2007年度の年度代表馬および部門別最優秀馬は、かろうじてゴスホークケン、ダイワメジャー、コイウタの3頭の関東馬が選出されたものの、年度代表馬のアドマイヤムーンを筆頭に、11頭中8頭を関西馬が占めている。今でこそそのような状況だが、坂路コースが出来る直前までは、なんと年度代表馬の各部門に関西馬が1頭も選出されない年もあったというから驚きだ。もちろん、坂路コースが全てではないが、強いサラブレッドを作る大きな要素となっていることには異論はないだろう。

坂路コースの利点として、思いつくところを順に挙げてみたい。

1、故障が少なくなる
2、心肺機能が鍛えられる(スタミナがつく)
3、引っ掛かる馬を落ち着かせる
4、運動時間が長くなる
5、ピッチ走法をマスター出来る
6、後躯(腰)の強化につながる
7、頭が低くなる

1の「故障が少なくなる」については、馬場がウッドチップなのでクッションがよくて柔らかいということと、もっと単純に、坂路なので平坦で走るようなスピードが出ないことが理由である。競走馬はスピードが出れば出るほど故障しやすくなり、骨折するケースも多くなる。

また、坂路を走る時の走り方は、後脚に掛かる負担が大きく、前脚のそれは平坦コースに比べ、かなり軽くなる。競走馬の故障のほとんどは前脚の部分なので、前脚に負担の少ない坂路コースで故障が少ないのは当然のことであろう。

2007年度こそ不振に終わったが、栗東で坂路コースを中心として調教を行う森秀行厩舎の馬は、滅多に故障しないことで有名である。レースに出走するような馬でも、騎手が乗って怖くなるような脚元がおぼつかない馬もいるが、森厩舎の馬は安心して乗っていられるという。それはやはり坂路で前脚に負担を掛けないように乗られているということが大きい。だからこそ、たとえばノボトゥルーやシーキングザダイヤのように、高齢まで走り続けることの出来る馬が森厩舎には多いのだ。

Tyoukyou05 by sashiko

故障が少なくなるということは、坂路コースは少し脚元に不安のある馬やソエが出てきた馬に対して使うこともあるということだ。これまで平地コースで追い切られていた馬が、急に坂路コースのみで調教をし始めたら、脚元に不安があるのかもしれないと疑ってみても良いだろう。

2の「心肺機能が鍛えられる」は、坂路調教がインターバルトレーニングになるからである。駆け足で登り、常歩で下るという繰り返しをすることによって、心肺機能の強化につながるのだ。また、同じ距離を走るのでも、平地より坂路の方がキツいのは当然で、坂路コースでの4F(800m)は平地のコースの2000m以上に相当すると言われている。坂路コースでは長距離戦に必要なスタミナはつかないという説もあるが、そんなことはないだろう。

思いつくところでは、坂路を中心として調教されたダインスインザダーク、エアシャカール、ザッツザプレンティ、ソングオブウインドが菊花賞を勝ち、スズカマンボは天皇賞春を勝ち、ビワハヤヒデ、ヒシミラクルはそのどちらにも勝利している。坂路コースは、長い距離をゆったり走るトレーニングではないが、心肺機能を高めることでスタミナを強化することも出来るということの証明である。

Tyoukyou06 by sashiko

3の「引っ掛かる馬を落ち着かせる」は、インターバルトレーニングと大いに関係がある。激しい運動をしたあと、林の間の馬道を常歩で歩くことによって、精神の沈静化をうながし、馬が落ち着くということだ。平坦コースの場合、コースに入ってから出るまで、ずっと走っているので馬がカッカしてしまうのである。引っ掛かって行ってしまうような馬は、平坦コースではますます引っ掛かるが、坂路に入れると落ち着くことが多い。また、坂路コースは一気に行ってしまうと最後まで持たないので、引っ掛かる馬にとっては、息を入れながら走る練習にもなる。

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集中連載:「調教のすべて」第4回

次に、追い切りが行われた「コース」について述べていきたい。

中央競馬では馬1頭1頭に必要な調教を施すことが出来るように様々な種類の施設が設けられていて、関東(美浦トレーニングセンター)と関西(栗東トレーニングセンター)ではわずかに施設が異なる。具体的なコースの種類に話を進める前に、まずは美浦トレセンと栗東トレセンについて説明しておきたい。

★美浦トレーニングセンター★

北馬場
Mihokitababa

・Aコース 内がダートコース(1370m)、外が障害専用の芝コース(1447m)
・Bコース ダートコース(1600m)
・Cコース ダートコース(1800m)

南馬場
Mihominamibaba

・Aコース ダートコース(1370m)
・Bコース ウッドチップコース(1600m)
・Cコース 内が芝コース(1800m)、外がニューポリトラックコース(1858m)
・Dコース ダートコース(2000m)

美浦トレーニングセンターは昭和53年に開設され、北と南に2つのトラックコースを持つ。しかし、南馬場にはウッドチップコースや坂路コース、そしてニューポリトラックコースがあるのに対し、北馬場には障害コースやダートコースしかない。この施設の差からも分かるように、現在、美浦トレセンでは北馬場と南馬場で調教を行う馬の数に大きな差がついてしまっている。北馬場所属でも、南馬場で調教をつける厩舎がほとんどである。

もちろん、北馬場にも存在意義がないわけではなく、たとえば前の週にレースを使った馬や追い切った翌日の木曜日にダク(速足のこと)を踏んだり、キャンター(駈足のこと)で流したりする時には北馬場を使う厩舎もある。その程度の調教であれば、北馬場でも行うことが出来るので、わざわざ混雑を極める南馬場に出て行って、馬にストレスを強いること必要がないからである。


★栗東トレーニングセンター★

フラットコース
Rittoubaba

・Aコース 芝コース(1450m)
・Bコース ダートコース(1600m)
・Cコース ウッドチップコース(1800m)
・Dコース 内が芝コース(1950m)、外がウッドチップコース(2063m)
・Eコース ダートコース(2200m)

坂路コース
Rittouhanro01

栗東トレーニングセンターは昭和44年に開設され、広大な土地に、6つのフラットコースに坂路コースを併せ持つ。美浦トレセンと大きく違うところは、坂路コースがフラットコースとは別の場所に設けられており、直線的に駆け上がることが出来るということである。坂路調教が終われば、逍遥馬道を通ってスタート地点に戻ってくるという、完全に一つの施設となっている。

ちなみに、栗東トレセンは交通の便が良く、小倉へは約7時間半、新潟へも約6時間で行くことが可能である。美浦トレセンはというと、新潟へは約6時間で行くことが出来るが、小倉へ行くにはなんと19時間もかかってしまうのである。関東馬が夏に小倉へ遠征することが極めてリスキーであるのに対し、関西馬は栗東トレセンにいながら小倉か新潟かを選ぶことが出来るのだ。このあたりの地理的格差も、関西馬が躍進しているひとつの理由でもあるだろう。

第5回に続く→

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集中連載:「調教のすべて」第3回

それでは最初に、調教時計の見方から説明してきたい。新聞等によって若干の違いはあるが、基本的な部分は変わらないので、ここではnetkeiba.comの表記方法を用いて、昨年の宝塚記念に臨むアドマイヤムーンの調教時計を示すと、以下のようになる。

アドマイヤムーン
6/09(土) DW 重 助手      73.5-57.3-42.2-12.0 ⑨ 馬なり
6/10(日) 栗坂 稍 助手      55.8-41.3-27.7-13.9   馬なり
6/13(水) DW 良 岩田   85.4-69.0-53.7-39.5-11.2 ⑨ 一杯
6/16(土) DW 稍 助手 (7)98.4-69.2-55.0-41.1-12.7 ⑨ 馬なり
6/21(木) DW 良 助手 (7)95.6-66.5-52.5-38.3-11.5 ⑨ 一杯

一番左から簡単に説明すると、「調教が行われた日」、「コース」、「馬場状態」、「騎乗者」、「タイム」、「走ったコースの内外」、「追われ方」となる。これだけではあまりにも簡略すぎるので、ひとつずつ詳しく述べていきたい。

「調教が行われた月日」を見てもらうと、宝塚記念に臨むにあたってのアドマイヤムーンの最終追い切りが6月21日(木)に行われたことが分かる。1週間前追い切りは6月13日(水)で、それ以外、中間は3本の時計を出している。

調教は基本的に毎日するものだが、ダクやキャンターで馬場を回るような軽い調教は調教時計としては扱われない。具体的に言うと、1ハロン15秒以上で走った調教は調教時計として公表されることはない。上のアドマイヤムーンの例で述べると、香港遠征から栗東に戻ってきてから宝塚記念までの間に、1週間前追い切りと最終追い切りを含め、1ハロン15秒以下の速さでの追い切りが計5本あったということになる。

それから、ふと疑問に思った方もいるはずなので説明しておくと、宝塚記念に臨むにあたってのアドマイヤムーンの最終追い切りは木曜日に行われている。通常、最終追い切り、そして1週間前追い切りは水曜日に行われるのが一般的である。それは土曜日のレースに出走する馬も、日曜日のレースに出走する馬も同じである。全休明けの火曜日に軽めの運動で体を作り、水曜日に最終的な追い切りをかけるというわけである。それでは、なぜアドマイヤムーンの最終追い切りは木曜日になったのだろうか?

結論から述べると、それほど深い意味はない。日曜日のレースに出走する馬で、たまに木曜日に最終追い切りをかけられるケースがあるが、ほとんどが天候やコースの馬場状態の問題であることが多い。水曜日は雨が降って下(馬場)が悪くなりそうだからとか、周りになるべく馬の少ない混雑していない中で追い切りたいとか、そういうほんの些細な理由である。

たとえば、ディープインパクトのラストランとなった有馬記念に臨む過程において、陣営は最終追い切りを木曜日と予定していたが、急遽水曜日に変更した。この際、池江泰郎調教師はこうコメントした。

「朝になって調教を変えることはありますから。木曜が妥当だとは思っていましたが天候が悪い感じもあったので。先週速い時計を出しているから、いく分ゆっくりとね。予定通りの調教ができました。」

暮れの時期の天候不順を考慮して木曜日に変えたものを、慎重を喫して、再度普段どおりの水曜日に変更したのだ。そして、ジャパンカップ時には及ばなかったものの、フランスに遠征する前とは比べものにならない時計と動きでディープインパクトは最終追い切りを終えた。

Tyoukyou04

木曜追いには、脚元や蹄に不安があったり、馬体が細化してしまっていて、回復を1日でも待ってから追い切りたいという理由もあるにはあるだろう。しかし、そこまでの状態であれば情報として伝わってくるはずで、特に何もない状況での木曜追いには深い意味はない。水曜日に追い切りをしなければならないという決まりがない以上、いつ追い切るかはあくまでも調教師の判断である。

(第4回に続く→)


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集中連載:「調教のすべて」第2回

平成19年11月16日、美浦トレーニングセンターに、ニューポリトラック馬場が完成した。そして、わずか1ヶ月も経たないうちに、ゴスホークケンが朝日杯フューチュリティSを逃げ切り、ニューポリトラック調教馬として初めてのG1勝利を飾った。奇しくも、ミホノブルボン以来となる、朝日杯ヂューチュリティSの逃げ切りであった(正確に言うとミホノブルボンは押し切り)。例年に比べ、極端なハイペースにならなかったことは確かだが、それでも逃げ切りが難しい朝日杯フューチュリティSを押し切ったのだから、ゴスホークケンの強さは素直に評価してよいだろう。

ゴスホークケンは新馬戦を1分34秒9という好タイムで圧勝するや、次走、いきなり重賞である東京スポーツ杯に目標を定めた。そこではキャリア1戦にもかかわらず、初戦の勝ちっぷりや、迫力たっぷりの馬体から溢れ出る素質が高く評価され、何と1番人気に支持されることになった。しかし、プラス12kgの馬体重で出走し、レースでは2番手を追走したものの、直線では伸び切れずに4着を確保するのが精一杯という結果に終わってしまった。

惨敗を喫してしまった理由は明らかである。ゴスホークケンは東京スポーツ杯に臨む中間、左前脚の球節に骨膜炎が出てしまい、思い切った調教が出来なかったのである。もちろん、そんな状況の中でも、斉藤誠調教師は精一杯の仕上げを施し、勝つ意志を持ってゴスホークケンを出走させたのだろうが、現実はそんなに甘くなかった。

ここで、ゴスホークケンが東京スポーツ杯に臨むにあたっての調教内容(1週間前と最終追い切り)を、朝日杯フューチュリティS時のそれと比較してみたい。

東京スポーツ杯
11/07 南D良 田中勝 72.3-56.1-41.1-12.1 ⑦ 馬也 (1週間前)
11/14 南D良 田中勝 68.0-53.6-40.2-12.3 ⑥ 馬也 (最終追い切り)

朝日杯フューチュリティS
11/29 美ポ 中谷 81.4-66.6-53.3-39.8-11.5 ⑦ G強 (1週間前)
12/05 美ポ 中谷  65.0-50.4-37.2-11.6 ⑥ 馬也 (最終追い切り)

調教内容の見方については後ほど詳しく説明するが、まず気が付くのは、追い切りが行われたコースの違いである。東京スポーツ杯が行われた時点では、まだニューポリトラック馬場は完成していなかったので当然だが、南Dコースで追い切りが行われている(Dコースとはダートコースのこと)。実は、ゴスホークケンはデビュー戦の前はウッドチップコースで追われていたのだが、後ろ肢の踏み込みが深い同馬は、ウッドチップ(木片)で蹄の裏を傷めてしまった。そのため、東京スポーツ杯ではダートコースで追い切られたのである。

しかし、蹄の裏を傷めただけではなく、左前脚の球節の骨膜炎を患っていたため、脚元に負荷の掛かりやすいダートコースではビッシリと追い切ることが難しく、1週間前も最終追い切りも馬なりの調整に終始せざるを得なかった。たとえ馬なりでも、しっかりとした時計が出ていれば問題ないのだが、時計的にも5ハロンで68秒0という、重賞に臨むにあたってはいささか物足りない内容であった。この調教内容では、当日のプラス20kgは、成長分を含めても重め残りと考えて間違いないだろう。それでも1番人気になったのは、ゴスホークケンの素質が買われたということもあるが、案外、調教の内容について無関心な競馬ファンの存在もあったのではないかと邪推する。

ニューポリトラック馬場が朝日杯フューチュリティS前に完成したことは、ゴスホークケンにとって大きな福音になった。1週間前の追い切りでは、6ハロンから長めに行って、ゴール前で強めに追うことが出来た。これもクッション性が良く、蹄の裏を傷めることのないニューポリトラック馬場だからこその強気の調教であった。1週間前に長めから強く追われたゴスホークケンは、最終追い切りの時点でほぼ仕上がっており、馬なりで5ハロン65秒、ラストの1ハロンも追うことなく11秒6というスムーズな走りであった。

Tyoukyou03 by M-style

ニューポリトラック馬場でキッチリ追い切られたことによって、ゴスホークケンの体調は明らかに一変した。回避馬が出て8分の1の抽選をくぐり抜けたことや、レースではすんなりハナに立ち自分のペースで走れたことも勝因のひとつではあるが、ゴスホークケンが力を出し切れる体調にあったことが大前提であることは言うまでもない。もしニューポリトラック馬場が11月16日に完成していなければ、ゴスホークケンではない他の馬が朝日杯フューチュリティSを勝っていたのではないだろうか。

ミホノブルボンやゴスホークケンのように、競走馬はどのようなハードとソフトで調教されるか(されたか)によって、競走成績だけではなく、その運命さえも変わってくると言っても過言ではない。つまり、どのような施設を使って、どのような内容のトレーニングをしたかが、その馬の成績や能力に直接、反映されるということである。だからこそ、調教師を筆頭とした関係者たちは、どのような調教を施すべきか常に頭を悩ませている。そこには成功もあれば、大きな声では言えない失敗もたくさんあるに違いない。もちろん、レースの結果を予想する立場にいる私たちも、馬の体調や能力を見極めるために、調教を見ない手はないだろう。いや、自分がまるで調教師になったように見るべきなのである。

(第3回へ続く→)

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集中連載:「調教のすべて」第1回

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「もし坂路コースがなければ、ミホノブルボンはダービーはおろか、たった1勝することも出来ずにターフを去っていたかもしれない」

2冠馬ミホノブルボンを管理した、故戸山為夫調教師の弁である。

栗東トレセンに坂路コースが出来たのは、今からおよそ20年前のこと。今でこそ関西馬が強くなったのは坂路コースのおかげともてはやされているが、完成当初の調教師たちの反応は冷ややかなものであった。実際に、坂路コースを使って追い切られる馬などほとんどいなかった。そんな中、故戸山為夫調教師は、坂路コースに活路を見出し、坂路コースに己の調教師生命を賭けた一人であった。

父マグニチュード、母カツミエコーという、これといって目立ったところのない短距離血統のミホノブルボンは、当時、1億円以上の煌びやかな血統を誇る高馬が続出する中、1000万にも満たない価格でひそやかに取引された安馬であった。しかも、脚元には不安があり、頭が高く、走る姿勢が悪かった。

しかし、ミホノブルボンは故戸山為夫調教師によって坂路コースで鍛え抜かれた。「坂路の申し子」と呼ばれ、通常1日2~3本の厩舎が多い中で、1日4本、多い時には1日に5本も登坂することもあった。ミホノブルボンのトモは異常なほどに発達し、幾層の山のように盛り上がっていた。私もパドックで実際にミホノブルボンを見たことがあるのだが、他馬の2倍の大きさがあると言われたお尻から伝わってくる力強さに、しばし圧倒されたものだ。

何と言っても、今でも記憶に残っているのは、惜しくも3冠を取り逃がした菊花賞である。玉砕的に逃げたキョウエイボーガンにペースを乱されながらも、希代のステイヤーであるライスシャワーに最後の最後まで食い下がった走りは、まさに負けて強しであった。それでも、故戸山為夫調教師はジョッキーであった小島貞博に対し、「どうしてミホノブルボンを信じることが出来なかったのだ?」と諭したとされる。この菊花賞を最後にミホノブルボンは引退してしまったが、坂路で内容の濃い調教を積み重ねることによって、距離までも克服できることを証明したのである。

もし坂路コースがなければ、脚元に不安のあったミホノブルボンをここまで鍛え上げることは不可能であっただろう。頭の高い走法も改善されることなく、スタミナのロスも大きかったに違いない。3000mの距離など論外で、もしかすると血統どおりマイル戦でパタッと止まってしまうような馬で終わっていたかもしれない。冒頭の言葉は決して謙遜ではなく、数々の名馬を坂路コースで育て上げてきた故戸山為夫調教師の本音であったように思える。

故戸山為夫調教師は、ちょうどミホノブルボンが入厩してきた頃に食道ガンに冒され、引退する前に息を引き取った。「私から馬を取ったらガンしか残らない」と冗談を言いながら、坂路調教で馬を鍛え上げることに執念を燃やし続けた。スパルタ調教と酷評されても、馬は鍛えて強くなるという信念を曲げることは決してなかった。そのおかげで、今日の坂路調教の基礎があると言っても過言ではない。故戸山調教師の試行錯誤が、現在の坂路コースのノウハウにつながっているのは確かなのである。

(第2回へ続く→)


おまけ
YouTube:時代を熱くした馬、ミホノブルボン

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集中連載:「Good 馬場!」最終回

■ダートの馬場状態
次はダートコースにおける馬場について話を移したい。芝の馬場状態を把握する時と同じように、(1)どれくらいの重さ(軽さ)か?(2)馬場の内外で差はないか?(3)レースで極端な傾向はないか?の3項目に絞って考えてみたい。

まず、(1)どれぐらいの重さ(軽さ)かについては、①砂の深さ(厚さ)②砂の質③馬場が含んでいる水分の量によって大きく変わってくる。

とは言っても、現在では、ダートコースの①砂の深さは8cmに統一されており(滞在馬が多い札幌、函館、小倉競馬場は調教用に砂厚を8.5cmにしているが)、また全ての競馬場において青森県の六ヶ所村から採った山砂が使われているため、どの競馬場のダートコースも、①砂の深さ、②砂の質という点においてはほとんど差がない

そのため、ダートの重さは、③馬場が含んでいる水分の量によって大きく変化する。水分を含んでいればいるほど砂が引き締まり、脚抜きがよくなることによって、馬にとっては走りやすい、軽い馬場状態になる。つまり、芝とは正反対に、ダートでは「良」→「稍重」→「重」の順に馬場が軽くなっていくと考えてよい。ただし、「不良」のダートについては、脚抜きは良いが水が表面に浮いているため、かえって走りにくい馬場となる。

また、馬場が含んでいる水分の量は主に降雨の影響が大きいが、それ以外にも「季節」や「砂を洗った時期」にも影響されることがある。

「季節」については、たとえ同じ良馬場だとしても、適度に水分を含んだ春や秋は走りやすい馬場となるが、砂中の水分が蒸発しやすい夏場と、乾燥しやすい冬場の馬場は比較的重くなる。

「砂を洗った時期」については、砂を洗った直後はサラサラになるため、一時的に引っ掛かりが悪く、走りにくい馬場になる。開催が進むにつれ、どうしても砂は汚れてきて、脚のかかりが良くなって走りやすくなる面はあるが、クッション性が失われてしまう。そのため、どの競馬場も年に1~2度は開催終了後に砂を洗う。たとえば東京競馬場の場合、ダービーの開催が終わって、夏から初秋までの間に行われる。そのため、秋競馬の最初は時計の掛かるダートになることが多い。砂を洗う時期は競馬場によって異なってくるので、JRAのホームページの「馬場情報」でチェックしておくべきであろう。

(2)の内外で差はないかについては、レースが進むにつれて砂は内側に流れるということは知っておくべきである。排水の関係で内側が低くなっているからである。日曜日の最終レースに近づくにつれ内側が重くなっていくのだが、競馬のない平日に内側にたまった砂をコース中央部に戻す作業が行われるため、実際にはトラックバイアスというほどの有利不利はほとんど生じない。ダートという馬場の特性上、やはり芝の馬場に比べると内外のトラックバイアスは少ないと考えてよいだろう。

さらに細かいことを言うと、土曜日に雨が降った翌日の日曜日や、午前中に雨が降った日曜日の午後などは、内側に砂が流れて重くなるということ、札幌、函館、小倉競馬場に関してだけは、調教用に使われる内側2頭分くらいの幅の砂が深くなっているので、内に入った馬が不利になることは知っておいてもよいかもしれない。

(3)のレースで極端な傾向はないか?については、ダートの馬場は雨が降って走りやすくなると、非力な牝馬が活躍する傾向がある。この傾向は特に地方競馬で顕著である。中央競馬であれば芝のレースを使えば良いだけの話だが、ダートしかない地方競馬では、たとえ非力な牝馬でもダートを走らざるをえない。そうした中、普段はパワー不足で負けていた牝馬が、適度に雨が降ってパワーをさほど必要としない馬場になるため、スピードと切れ味で牡馬を相手にあっと驚く好走をすることがあるのだ。

もしそれ以外に極端な傾向があるとすれば、それは馬場状態ではなく、コース設定(形態)によるものである。たとえば、中山のダート1800mは時計が掛かり、前に行った(行ける)馬が極端に有利とされるが、これは中山競馬場のダートコースが全競馬場の中で最も起伏に富む(最大高低差4.4m)ことに起因する部分が大きい。1周回って来た時には、どの馬もすっかりスタミナを消耗してしまっていて、前もバテているが後ろも同じくらいバテているという、行った行ったの典型になりやすいからである。

Goodbaba04 by fake Place

■「場」を知ること
最後に、最近アメリカで話題になっているポリトラックの馬場の話をして締めくくりたい。ポリトラックの馬場とは、ゴムや電線の被覆絶縁体等の廃材、ワックスされた砂、弾力性のある繊維などを活用したものであり、水はけがよく全天候型であるだけではなく、砂ぼこりを抑制するため人馬の健康面にも良く、さらに競走馬の脚元への負担が極端に少ないとされている。現在、カリフォルニア州のすべての競馬場は、従来のダートの馬場ではなく、ポリトラックのような合成素材の馬場を設置することが義務付けられている(日本でも平成19年11月16日より美浦の南Cコースにニューポリトラックのコースが完成した)。

しかし、これだけ安全であることが証明されているにもかかわらず、ポリトラックの導入に反対する馬主や調教師がいるという。なぜなら、ポリトラックの馬場はスタミナを消耗しやすいので、スタートからガンガン飛ばして行くようなアメリカ的な流れにはならず、自分たちが現在所有している、これまでスピードにモノを言わせて勝ってきた馬にとっては活躍の場を失うことにもなりかねないからである。馬場が変わることは、その国で生産される馬の質を変え、育成手段をも変え、最後には調教を施す人間や、レースで騎乗する騎手をも変えてしまうだけの影響があるのである。

競馬を語る上で「馬場」は避けて通れないものである。数多くの馬たちが、馬場に笑い、そして馬場に泣いてきた。 数々のドラマは、時にはJRAによって演出されることもあるし、時には神の意志に拠るところもあるだろう。あの雨さえなかったら、もしかしたら歴史は変わっていたのかも知れない。ターフの上を疾走するサラブレッドたちは、陸上競技のアスリートたちと同じく、「場」というものに計り知れないほどの影響を受けているのである。そして、競馬の予想をする私たちにとっても、「場」を知ることが大きな助けとなることは間違いない。

(最後まで読んでいただいてありがとうございました)

参考文献
「コースの鬼!2nd Edition」 城崎哲 白夜書房
「コースの達人」 坂井千明 メディアアート出版

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集中連載:「Good 馬場!」第10回

(3)のスタミナに不安のある馬とは、つまりバテやすい馬のことだ。馬は自ら走っている時よりも、バテてからジョッキーに追われた時にこそノメやすい。スタミナが切れてしまうと、ほんの少しバランスを崩しただけで、体勢を立て直すことが出来ずにバラバラの走りになってしまうのである。スタミナ不足の馬は、どうしても他馬よりもノメやすいのである。

Hisimiracle by shinji

(4)の気性が後ろ向きの馬とは、自らハミを取って前へと進んでいかない馬である。道悪はどの馬にとっても走りづらく、馬はハミを頼って走り、ジョッキーはハミを強く掛けることによって安定して走らせる。そのハミをなかなか取ろうとしなかったり、しっかりハミを受けることができない馬は、騎手が操縦しづらいだけではなく、自身の走行も安定しないものになる。ジョッキーがコントロールしづらいので、気性が後ろ向きでハミを取らない馬はノメりやすいのである。

さて、(5)の精神的に弱い馬がなぜ道悪を苦手とするかというと、道悪では良馬場で走るよりもさらに精神的な負担があるからである。重馬場、不良馬場では下が滑って走りにくい上に、前を走る馬が蹴り上げる泥が直撃する。そういったコンディションの中でもひるまず、ムキにならず、最後まで走り抜くことのできる馬でないと重馬場で自分の能力を発揮することは難しい。泥を少し被っただけで走る気をなくしてしまう馬もいるのである。

先にも述べたように、馬の精神的な面は体調によっても大きく左右されるため、一概に精神的に弱い馬だからといって必ず道悪は走らないとは限らないが、とりたてて(1)のベタ爪でもなく、(2)の大跳びでもない馬が重馬場で凡走を繰り返すといった場合には、その馬に精神的な問題があることを疑ってみなければならない。

(6)の切れ味勝負の馬は牝馬に多いのだが、直線での一瞬の速い脚が持ち味の馬は、道悪になることによって切れ味が半減してしまうことになる。「道悪を苦手」というニュアンスとは少し違うが、良馬場でこそ100%発揮される鋭い末脚が、走りにくい馬場状態のために威力を失ってしまうということである。

■重馬場によって有利になる馬
ところで、最初に「道悪を得意とする馬はいない」という前提があったが、道悪になることによって有利になる馬は確かに存在する。それは当然、道悪を苦手とする馬の反対の条件を持った馬ということになる。つまり、「立ち爪で、ピッチ走法で、スタミナ豊富で、気性が前向きで、精神的にタフで、切れ味で勝負しない馬」ということである。しかし、それ以外でも、以下の3つの場合によっては道悪が有利になる馬がいる。

①時計勝負に対応できない馬
②ノド鳴りのする馬
③馬込みを苦手とする馬、揉まれ弱い馬
④首の高い走法の馬
である。

時計勝負に対応できない馬
①時計勝負に対応できない馬とは、そのクラスで勝つための絶対的なスピードがない馬ということである。良馬場だと、いくらスローペースであったとしても、ある程度の時計で走ることができなくてはレースで勝つことはできない。例えばオープンクラスの1600m戦では、少なくとも1分34秒前後の時計で走ることは出来なくては勝負にならないだろう。しかし、雨が降って道悪になれば、勝つために必要とされる時計は遅くなり、1分35秒台でしか走破できない馬にとっても勝つチャンスが生まれるのだ。このことからも、「道悪は荒れる」という考え方は基本的には正しいことになる。

しかし逆に、道悪になることによってスムーズなレースになることもある。なぜかというと、道悪では「馬群がバラける」傾向があるからだ。どの馬も泥を被りたくないため、他馬から前後左右に通常よりも間隔を開けて走ろうとすることが理由である。これは雨の日に自動車を運転する際に、普段よりも車間距離を多くとることと同じである。このように、道悪になると各馬がバラけて走るため、両脇の馬に挟まれたり、馬群から出られなかったりなどといった不利のないスムーズなレースになることもあるのだ。

平成5年のマイルCSは重馬場で行われ、ニシノフラワーと人気を二分したシンコウラブリィが逃げるイイデザオウを直線で交わし、堂々と勝利を収めた。レース前には雨が降り重馬場となったため波乱も予想されたが、逆に道悪で馬群がバラけたことにより、シンコウラブリィにとっては何の不利もないスムーズなレースになったのである。道悪を苦手としない馬にとっては、よほどの不良馬場にならない限り、道悪で馬群がバラけることによって、かえってスムーズなレースができることもあるのである。

②ノド鳴りがする馬とは呼吸器系に問題がある馬である。ノド鳴りの馬は雨の日に強いとよく言われるが、それは雨が降ると空気中の湿度が高くなるため、呼吸が比較的楽になるからである。しかし、元々能力がない馬が、呼吸が楽になった途端に走るかどうかは疑問であり、最近はノド鳴りの馬が雨が降ったため好走したという話をあまり聞いたことがない。ほんの些細な影響だけであって、あまりレースにおける結果には直接反映されないのではないかと考える。

③馬込みを苦手とする馬、揉まれ弱い馬にとっても、道悪が有利に働くことがある。それは前述の通り、道悪では「馬群がバラける」傾向があるからだ。道悪になって馬群がバラけることは、他馬があまりに近くにいると嫌がってレースに集中できないような馬にとっては好ましい条件となる。ただし、馬込みを嫌う馬は気性的に難しいところがある馬が多く、道悪でのレースではどうしても泥を被ってしまうことがあるため、そちらの方を気にしてレースを止めてしまうといったケースも少なくない。泥を被ることは平気だが、馬込みを嫌う(他馬を嫌がる)、もしくは揉まれ弱い馬にとって道悪は有利に働くことになるだろう

④首の高い走法の馬とは、体全体を使って走らない馬のことである。サラブレッドは首から尻尾までが一直線になって走るのが理想的なフォームであり、首の高い走法の馬はお世辞にも美しいとは言えない。また、手先脚先にかなり力を入れて走ることになるので、体全体を使って走る効率の良いフォームでもない。しかし、道悪になった場合に限っては、手脚に力を入れて走るがゆえに、ノメることが少なく安定して走ることができるのだ。

(最終回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第9回

■最後の直線ではバランスを崩しやすい
特にバランスを崩しやすいのは最後の直線である。いざ最後の直線でラストスパートをしようとした時に、それまでは悪い馬場でも普通に走ってきた馬が、急にバランスを崩し全く伸びないということがよくある。これには2つの理由が考えられる。

ひとつは、最後の直線では、それまで以上のスピードにギアチェンジするため、体全体を使って走らなければならないからである。そのため、最後の直線までは滑らないように小手先で走っていた馬が、最後の直線ではしっかりと体全体を使って走らざるを得ないため、滑ってバランスを崩してしまうのである。

もうひとつは、最後の直線では肉体的、精神的なスタミナが残っていないからである。そのため、ほんの少しバランスを崩しただけで、体勢を立て直すことが出来ずにバラバラの走りになってしまうのである。

平成10年の高松宮記念は、直前の豪雨によって不良馬場で行われた。1番人気に推された武豊騎乗のシーキングザパールは絶好の手応えで4コーナーを回ったにもかかわらず、直線では前にいたシンコウフォレストを捕らえられなかったばかりか、後ろからきたワシントンカラーらにも差されてしまった。

「それにしても、まさか、あんなにノメるとは思っていなかった。レースはほんとうにいい感じで進められていたんですが、いざ追い出してから伸びてくれませんでした」はレース後の武豊騎手のコメントである。大跳びであるシーキングザパールは、4コーナーまではなんとか重馬場をこなしていたが、最後の直線で追い出してからバランスを崩し失速してしまったのである。

このように、道悪に対する巧拙は最後の直線で最もよく現れるのである。道悪のレースで、道中は手応え十分に走っていながらも直線でさっぱり伸びなかった馬は、道悪を苦手とするのではないかどうか疑ってみた方がよい。逆に重馬場において最後の直線でグイグイと伸びるような馬は、重馬場を苦にしない馬だと考えられる。

■状態が良ければ重馬場は克服できる
大跳びの馬は、下が滑るような馬場ではフォームを崩してしまい実力を発揮できないことが多いのだが、その時の馬の状態によっては悪条件を克服してしまうこともあり得る。普段は重馬場を苦手とする馬でも、肉体的、精神的に100%完璧に仕上がり、絶好調といった場合に限っては、重馬場を克服し素晴らしい走りをすることがあるのだ

体全体を使って走る大跳びの馬であるナリタトップロードにとって、重馬場は明らかにマイナスの要因になる。しかし、3歳時の弥生賞においては、直前に雨が降ったやや重馬場(稍重といっても重に近かったと記憶している)を見事に克服し、のちのダービー馬であるアドマイヤベガを退けて勝利したのだ。しかし、次のレースの皐月賞では、同じように雨が降り表面に水が浮くような馬場(良馬場発表であったが)で3着に完敗してしまった。もちろんメンバーも違うので着順だけを見て単純に判断することはできないため、これら2つのレース後のナリタトップロード騎乗の渡辺騎手のコメントを参考にして比較してみたい。

弥生賞後のコメント「手応えは前走以上。追い出してからの瞬発力には惚れ直しました。」

皐月賞後のコメント「ノメっていました。どこかで外に出したかったんだけど、手応えが悪くて。最後は力だけで来てくれたんですが。」

弥生賞では道悪を苦にしたようなコメントは一切なく、皐月賞では「ノメっていた」と実際に道悪を苦にしていたことを明言している。これら2つのレースの馬場状態に違いがあるのではないか、という反論があるかもしれないが、やや重の弥生賞の勝ちタイムが2.03.5に対して、良の皐月賞の勝ちタイムは2.007である。ペースの緩急などを差し引いても、皐月賞の方が弥生賞よりも悪い馬場で行われたとは考えられないだろう。このことからも分かるように、ナリタトップロードは弥生賞においては苦手とする道悪を克服してしまったのである。

Naritatoproad by sashiko

なぜなら、弥生賞時のマイナス6kgの馬体重が示すように、ナリタトップロードが弥生賞において肉体的にも精神的にも完璧な状態にあったからである。100%の状態にある馬は、精神的にも安定し集中しているため、少々の不利があっても動じることがなく、それを乗り越えてしまうということである。実際、ピークの状態から下降線をたどっていた皐月賞では、悪い馬場にノメってしまったことも手伝い、本来の能力を発揮することはできなかった。本来重馬場を苦手とする馬でも、そのレースに臨む状態次第では、悪条件すらも克服してしまうこともあるということを覚えておいてほしい。

(第10回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第8回

■道悪が苦手な馬の条件
それでは具体的に、雨が降り続けて馬場状態が悪くなる(道悪になる)ことによって、どのような影響が競走馬にあるのだろうか。

ちなみに、道悪(重、不良馬場)のレースでは、良馬場でのレースに比べて着差がつきやすい。なぜかというと、各馬の道悪への巧拙がはっきりと出てしまうからだ。能力的にはほとんど変わらなくても、道悪に対する巧拙が分かれてしまえば、ゴールの時点では大きな着差となって表れてしまうのである。だからこそ、道悪で行われるレースは波乱の決着となることが多い。よって、道悪になった際に考慮されなければならないのは、何よりも各馬の道悪馬場に対する巧拙である。

まず前提にしたいことは、「道悪が得意な競走馬はいない」ということである。つまり、良馬場よりも重馬場の方が走りやすいという馬はいないということで、俗に言う「道悪が得意な馬」というのは、「道悪でも苦にしない」馬ということである。それでは逆に、どういう馬が「道悪を苦にする馬」、つまり「道悪が苦手な馬」なのであろうか?以下に一般的に言われている「道悪が苦手な馬」の条件を挙げてみたい。

(1)ベタ爪の馬
(2)大跳びの馬
(3)スタミナに不安のある馬
(4)気性が後ろ向きな馬
(5)精神面の弱い馬
(6)切れ味勝負の馬

■ベタ爪、立ち爪
(1)のベタ爪とは、馬が普通に立った状態の時に、前脚の爪が標準の状態と比べて「ベタっと寝ている」爪のことを指す。その反対が標準の状態と比べて立っている「立ち爪」である。なぜベタ爪の馬が重馬場を苦手とするかというと、立ち爪と比べて地面に対する着地面積が大きいため、それだけ濡れている馬場では滑りやすいからである。
 
しかし、実際は各馬それぞれに形が少しずつ違っているため、どこまでがベタ爪でどこまでが立ち爪かという判断は微妙であるし、着地面積にはツメそのものの大小も関わってくるので、ベタ爪だからといって必ずしも重馬場が苦手とは言い切ることは出来ない。そのため、一般に言われているほど、蹄の形が重馬場の巧拙を決定づけるといったことはない。

■大跳びの馬
ベタ爪、立ち爪よりも、「道悪が苦手な馬」を判断する上で重要になってくるポイントは、(2)の大跳びの馬かどうかということである。大跳びというのは、体全体を使って走るため、一歩一歩(一跳び一跳び)の幅が大きくなる走法のことを指す。その反対が、手脚だけを使ってピッチ走法で走る馬である。

大跳びの馬には一長一短があり、長所としては、体全体を使って走ることができるため、一歩一歩(一跳び一跳び)で進める距離が大きく、それだけ推進力が優れていることである。そして、体全体のパワーを無駄なく推進力に変えることができ、スタミナのロスが少なくなるため、ステイヤータイプの馬に大跳びの馬が多い。血統的にはステイヤーではない馬でも、走法が大跳びであることによって距離をこなせてしまうこともある。大跳びの馬には比較的能力の高い馬が多く、ひと昔前でいうとスペシャルウィーク、ナリタトップロード、最近でいうとウオッカなどがそうである。

Specialweek by sashiko

しかし、大跳びの馬の短所としては以下の3点が挙げられる。
①不器用な馬が多い
②先行力がない
③重馬場が苦手

■大跳びの馬の弱点 
①の「不器用さ」は小回りコースにおいては弱点となる。小回りコース、つまりコーナーがきついコースだと、跳びが大きいことによってコーナリング毎にどうしてもスピードが落ちてしまい、ノビノビと走ることが難しくなる。また、レース中に前が壁になってしまうなどのアクシデントに巻き込まれてしまった場合、器用な脚(小脚)が使える馬ならば臨機応変に対応することも可能だが、大跳びの馬は一度ブレーキがかかってしまうと、もう一度スピードに乗るのに時間を要するため、ちょっとした不利が致命的になってしまうこともありうる。

②の「先行力がない」は、大跳びの馬は小脚(一完歩の小さい走り方)を使える馬と比べて、スピードに乗るのに時間がかかるためである。そのため、スタートからヨーイドンでのポジション争いでは劣勢に立たされてしまうことになる。だからこそ、スプリント戦などの忙しい競馬は合わず、ある程度の距離があった方がレースはしやすい。もちろん①②の両方に言えることなのであるが、大跳びの馬の中には状況によって器用な脚も使える馬もいるため、必ずしも大跳びの馬が不器用で先行力がないとは限らない。

そして、③の「重馬場が苦手」こそが、大跳びの馬の大きな弱点となる。大跳びの馬は手脚を一杯に伸ばし体全体を使って走るため、重馬場のような下が滑りやすい馬場では体勢を崩しやすく、フォームがバラバラになってしまい、本来の走りが出来なくなってしまう。騎手がハミをしっかり馬にかけてやることによって、馬がバランスを保つための補助をしてやることができるが、馬自身が完全にバランスを崩してしまうと、騎手の力だけではいかんともし難く、その馬の本来の走りをすることは難しくなってしまうのだ。

(第9回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第7回

■雨が降って、芝コースの馬場が悪化した場合
ここまでは芝の良馬場において、馬場の状態を把握する方法を述べてきたが、次に雨が降って、芝コースの馬場状態が悪化してしまったケースに話を移したい。

良馬場が、ある程度、固定された馬場状態であるのに対して、雨が降り続くことによって馬場は稍重から重、そして不良へと大きく変化する。そして、それに伴い、走破時計は遅くなっていく。

とは言っても、今の芝コースは路盤が砂地であるため排水が良く、多少の雨が降ったとしても、昔のようにコース上に水がたまってしまうということはない。たとえ前日に雨が多少降ったとしても、当日晴れてさえいれば、雨の影響はほとんど考えなくてもよい。または当日の午前中に雨が多少降ったとしても、その後晴れれば、メインレースまでにはほとんど回復しているか、悪くてもやや重でレースは行われるだろう。特に開幕週などで野芝が強靭に根付いている時期は、たとえレースがやや重で行われたとしても、ほとんど良馬場と変わらない速い時計の決着になることが多い。

これは余談になるのだが、排水の仕方によっては、馬場の内外でトラックバイアスが生じて、内枠を引いた馬が有利になることがある。

東京競馬場では平成14年~15年の改修時に、バックストレッチから3~4コーナーにかけて、芝コース内側に排水溝が設けられた。コースで最も低くなる部分に雨が集まってしまい、芝が集中して傷んでしまうことを防ぐためである。この排水溝によって、東京競馬場では雨が降ると、コースの内側から一気に馬場が乾いていくため、そのタイミングによっては、馬場の内側を通ることのできる内枠を引いた馬が有利になることがある。特に午前中で雨が上がった時などは、午後のレースで馬場の内側にトラックバイアスが生じることが多い。

平成15年のジャパンカップは、午前中に雨が降り続き、重馬場で行われた。勝ったタップダンスシチーは本来、道悪が得意な馬ではなかったが、この排水溝によるトラックバイアスを利用して逃げ切ったのである。悪い馬場に脚を取られながら追走する他馬を尻目に、タップダンスシチーは乾いた馬場の内側を気持ちよく走り、後続になんと9馬身の差をつけてしまったのである。タップダンスシチーが究極の仕上がりにあったことや、極端なスローの展開に恵まれたことなどもあったが、雨上がりの東京競馬場は内枠が有利になるということを実感したレースであった。

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話を元に戻すと、かなり極端に雨が降り続ける場合は、正直に言うと、馬場状態の把握は極めて難しいものとなる。いつから降り続いている雨か、当日は芝のどのような時期に当たるか、当日までにどれくらい芝が傷んでいるか、そして当日の天気、季節など幾多の要素によって、馬場の状態が刻々と変化していくからである。前のレースと次のレースの馬場状態が全く異なってしまうことも珍しくない。もし道悪になった場合は、馬場状態を正確に把握することはあきらめて、その日は波乱を前提として馬券を買うべきであろう

(第8回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第6回

■馬場の極端な傾向
次に、(3)の極端な傾向とは、前が止まらない(先に行っている馬が残ってしまう)といった傾向があるかどうかということである。つまり、展開の綾や各馬の能力に関係なく、明らかに馬場状態のみが原因で、単純に前に行っている馬が有利になってしまうといった極端な傾向があるかどうかということである。

このような傾向が現れるのは、馬場が極端に良い場合か極端に悪い場合である。もっと正確に言うならば、極端に上がりが速くなってしまう馬場か、極端に上がりがかかってしまう(遅くなってしまう)馬場のどちらかにおいてである。

■極端に上がりが速い馬場
極端に上がりが速い馬場は、開幕週の馬場によく見られる。直線が長く差し馬に有利にみえる東京競馬場においてすら、開催当初のレースでは逃げ切り、先行押しきりが続発することは珍しくない。開催当初は馬場の傷みが少なく、絶好のコンディションでレースが行われるため、どうしても上がりの速いレースになってしまうからである。

たとえば、前に行っている馬がラスト3ハロン33秒台の脚を使って上がるとすると、後ろから行く馬は33秒もしくはそれを切るぐらいの上がりを使わなければ届かないことになる。サラブレッドの限界という意味も含めて、現実的にそれだけの脚を使うことはなかなか難しく、どうしても前に行けない馬にとって、極端に上がりが速い馬場は不利になってしまうのである。

■極端に上がりのかかる馬場 
極端に上がりのかかる馬場は、開催中に何度も雨に見舞われたため極端に馬場が荒れてしまった場合や、芝の発育不良などが原因となって引き起こされる。こういった馬場は極端に力の要る状態になっているため、ほとんどの馬が直線に向くまでに力を使い果たしてしまい、そこからスパートするだけの脚がなくなってしまうことになる。前に行っている馬もバテているが、後ろから行っている馬も同じようにバテているために、最後の直線で逆転は起こらず、道中で行ったそのままの順位で決着してしまうことになる。

かなり昔の話になるが、平成4年の宝塚記念で、一旦は障害入りもした経験のある伏兵メジロパーマーが、圧倒的な1番人気のカミノクレッセを尻目に逃げ切り勝ちを収めたが、この結果は極端に重い馬場が大きな原因となったことは明白である。勝ったメジロパーマの上がりはなんと39秒8で、カミノクレッセの上がりも39秒7であった。逃げたメジロパーマもバテているのだが、カミノクレッセも同様にバテてしまったため、3馬身もの逃げきりを許してしまったのである。

このレースで3着に入ったミスタースペインの石橋騎手のコメント、「最後はどの馬も脚が上がらない状態でした」がこのことを如実に表している。馬場が悪くなることによって極端に上がりが掛かり、前に行った馬にとって非常に有利になるのである。


最後はどの馬もバテバテです(笑)。

(第7回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第5回

■馬場の内外差
(2)のコースの内外での差は、馬場の内側か外側を走るかでどれだけ有利不利が生じるかということである。開催当初は内外均一であった馬場も、レースが行われ、距離ロスをしないように各馬が少しでも内側のコースを走ろうとすると、どうしても内側の馬場、特に3~4コーナーの部分の芝が傷んできてしまう。そのため、馬場の保護を目的として仮柵による馬場の使い分けをしているが、この仮柵の移動によって、どうしても馬場の内と外で大きな有利不利が生まれてしまうことがある。

たとえば、移動柵を最大12m幅で動かせる東京競馬場に比べて、中山競馬場は最大でも6m幅でしか動かせない。中山競馬場は仮柵を移動することによって、内側からA、B、Cの3つのコースが作られる。仮柵を移動する際に、A→B、つまり内側から外側に移動する際には、内外それほど差の無い状態に保たれるが、もしC→A, つまり外側から内側に移動すると、仮柵を移動した部分の内側6mが絶好の状態の芝(グリーンベルトと呼ばれる)になってしまうため、内を通れる馬とそうでない馬とでは圧倒的な不公平が生じてしまうことになる。(下図参照)

Goodbabagraph01

グリーンベルトによる不公平で問題になったのは、平成10年の皐月賞だろう。2枠3番を引いた横山典弘セイウンスカイが、グリーンベルトの上を通って先行し、そのまま押し切ったレースが、1番人気に支持された武豊スペシャルウィークは8枠18番という大外枠のため、終始外を回る羽目になってしまい、3コーナーから強引にマクっていったものの最後の直線ではキングヘイローに差し返されて3着に終わってしまった。弥生賞を勝った反動や当日プラス10kgの馬体重であったことを考慮に入れても、武豊騎手がレース後に指摘した通り、コースの内外の馬場状態の違いは明らかであり、公平な競馬ではなかった。

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こうしたことが考慮されて、最近の皐月賞はAからBコースへの移動(内側から外側への移動)で行われている。昔はG1レースを一番広いコースで行うしきたりのようなものがあったが、最近はグリーンベルトを作らないことを優先してコースローテーションを組んでいる。そのため、G1レースでグリーンベルトが生じることはほとんどない。しかし、その代わりと言ってはなんだが、通常のレースでは内外の差が明らかなケースも多々ある。その他の競馬場でもさまざまな工夫、改善が行われているが、それでも、競馬は毎週休むことなしに開催されるため、馬場の不公平を完全になくすことは難しい。

もちろん公平かどうかは当事者にとっての問題であるので、予想をして馬券を買う私たちにとっては馬券が外れたことの言い訳にはならない。馬券を買う前から内外で差があることは分かっているのだから、それに対応した予想をすることが必要である。

たとえば安田記念は、馬場が最も傷んでくる時期に行われるため、馬場の内外の差が最もでやすいG1レースのひとつである。枠順や通った場所によって勝敗が分かれてしまうことが多く、馬場の内外での差(トラックバイアス)に注目するべきレースである。

東京競馬場
Tokyoturf

Aコース 内柵を最内に設置
Bコース 内柵を3m外側に設置
Cコース 内柵を6m外側に設置

東京競馬場において、CコースからBコースという変更は、内柵を内側に3m移動するということである。つまり、内柵が内側に3m移動することによって、馬場の良いグリーンベルトが3m分出来るということになる。3mといえば馬1~2頭分のスペースであり、このグリーンベルトに各馬が殺到することが予想される。内枠を引いた先行馬はそう簡単には止まらないだろうし、外枠を引いた差し馬は終始馬場の悪いところを走らされるかもしれない。

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たとえば、ブラックホークが大外から差し切った平成13年、アドマイヤコジーンが復活した平成14年は、馬場の内側の傷んだ場所を通らねばならなかった馬が直線で失速し、馬場の外を回ることができた馬にとって有利になった。対照的に、アグネスデジタルがレコードで勝利した平成15年は、仮柵がCコースからAコースに移動されたため、今度は内側の馬場の良い部分を通った馬が有利になった。このように、コースローテーションによって、枠順による有利不利が生まれてくるのである。その年毎にコースは違うので、JRAのホームページの「馬場情報」にて、コースローテーションは常に把握しておかなければならない。

(第6回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第4回

■どのように馬場の重さ(軽さ)を把握するか?
それでは実際に、どのように馬場の重さ(軽さ)を把握すればよいのだろうか。

馬場の重さ(軽さ)を把握するために、最も簡単かつ有効な方法は、「芝の種類」と「芝の傷み具合」を時系列として読み解くということである。「芝の種類」によって異なる馬場の重さ(軽さ)が、開催が進むにつれての「芝の傷み具合」によって変化してくる、その変化から馬場の重さ(軽さ)を把握するという、ごくごく単純方法である。

最初の手順として、レースが行われる競馬場の芝の種類を把握することから始めなければならない。前述したとおり、新潟競馬場は「野芝100%の芝コース」、札幌、函館競馬場は「洋芝100%の芝コース」、東京、中山、阪神、京都、中京、福島、小倉競馬場は「野芝に洋芝をオーバーシードした芝コース」となる。しかし、たとえオーバーシードした芝コースでも、野芝の成長期(6月~9月)には洋芝を取っ払って、野芝100%に近い状態で行われることもあるので、JRAのホームページの「馬場情報」を逐一チェックしたい。

次に、レースが行われる競馬場の芝の「傷み具合」を把握したい。現在のレースが行われている競馬場の芝は、どういう時期で、どれぐらい使われて、どれだけ傷んでいるかをチェックするのだ。野芝の最盛期は7月~9月であって、それ以降は徐々に枯れて重くなっていく。そして、開催が続いたり、開催と開催の間にある芝の養生期間が短かったりすると、野芝の傷みが回復することなく次の開催が始まってしまう。また、運悪く、開催中に連続して雨の日が当たったりすると、芝の傷みは通常よりも早く進行する。そして、これは稀なケースだが、冷夏や暖冬の影響で翌年の野芝の根付きが悪かったり、良かったりすることもある。

馬場の重さ(軽さ)は、『極端に軽い』→『軽い』→『やや軽い』→『やや力の要る』→『力の要る』→『かなり力の要る』という6段階に分けてみた。もちろんこれらの中間に位置する重さ(軽さ)の馬場状態もあり得るが、実際にレースを予想するための材料としてはこの6段階ぐらいで十分である。

かつて、馬場の重さ(軽さ)の段階に数字を当てはめて、より厳密に把握しようと考えたこともあったが、上手くはいかなかった。やはり、馬場というものは、常に変化し続ける生き物のようなものであって、数字に置き換えてしまうと、現実の馬場の重さ(軽さ)の感覚とはズレてしまい、どうもシックリこないことが多い。そもそも、馬場の重さ(軽さ)を数字に置き換えるということ自体がナンセンスなのかもしれない。

前置きはこのあたりにして、野芝の最盛期である9月の開催を起点として、具体的に把握していきたい。
「開催日割(PDF)」を片手にご覧いただけると分かりやすいだろう。

9月
★中山競馬場
この時期の開催は野芝100%の状態で行われる。4月以降の開催になるため、野芝の養生期間が長く、根がしっかりと張った極めて軽い馬場となる。

★阪神競馬場 
7月まで競馬が行われていたため、野芝の養生期間はほとんどなく、全く根付いていない状態。傷んだ芝部分を張り替えただけなので、馬場が良いのも最初だけで、開催が進むにつれすぐに傷みが目立ち始め、やや力のいる馬場へと変化する。

10月
★東京競馬場 
夏の間に十分根を張った、軽いオーバーシード芝。洋芝はまだ芽が出かけた程度で、ほぼ野芝100%の極めて軽い馬場である。

★京都競馬場 
夏の新潟に匹敵する、極めて速い時計の出る芝。東京競馬場同様に、洋芝はまだ芽が出かけた程度で、ほぼ野芝100%の極めて軽い馬場である。

★福島競馬場 
やや力の要る芝。夏の開催からの養生期間が短いため、開催が進むにつれて傷みが目立ち始める。

11月
★東京競馬場 
やや力が要るオーバーシード芝。野芝はすでに成長が止まり、伸びた洋芝が表面を覆った状態となる。

★京都競馬場  
軽いオーバーシード芝。野芝の成長は止まるが、状態が良いため、軽さは維持される。

12月
★中山競馬場 
やや力の要るオーバーシード芝。芝の根付きが良いため、傷みはなかなか進まない。

★阪神競馬場 
傷んで力の要るオーバーシード芝。開催の後半では、内側がかなり傷んで、走りにくい部分が出来てしまう。

★中京競馬場 
軽いオーバーシード芝。養生期間が長く、秋最初の開催になるので、冬の時期に行われる競馬ではダントツに馬場の状態が良い。

1月
★中山競馬場 
秋競馬で使われなかったCコースを使うため、やや軽いオーバーシード芝

★京都競馬場 
秋競馬で使われなかったCコースを使うため、非常に軽いオーバーシード芝

★小倉競馬場
軽いオーバーシード芝から傷んだオーバーシード芝へと、1ヶ月の間に変化する。この時期の小倉には他場で減らされている芝のレースを肩代わりする役割があるため、レース数が多く、後半は傷みが目立ち始める。

2月
★東京競馬場
やや力の要るオーバーシード芝。Dコースを使用して、芝のレース数も少ないため、傷みは最小限に抑えられている。

★京都競馬場
Cコース開催2週目となるため、やや力の要るオーバーシード芝

3月
★中山競馬場
やや力が要るオーバーシード芝

★阪神競馬場
力が要るオーバーシード芝

★中京競馬場
やや力の要るオーバーシード芝

4月
★中山競馬場
力の要るオーバーシード芝。洋芝が伸びて、見た目ではなかなか分からないが、ベースの野芝は相当に傷んでいる。

★阪神競馬場
傷みも目立ち始めて、力の要るオーバーシード芝

★福島競馬場
力の要る芝。昨年の11月から養生期間は長いが、野芝はまだ芽も出ていない段階で、次第に傷みが目立ち始める。

5月
★東京競馬場
やや力の要るオーバーシード芝。野芝はまだ芽が出かけた段階で、根は張っておらず、傷みやすい。ダービーまではなんとか持ちこたえても、それ以降はボロボロになることが多い。

★京都競馬場
やや軽いオーバーシード芝。1、2月は芝のレースが少なかった上に、Dコースに変更されることによって、春の競馬では最も速い馬場。

★新潟競馬場
昨年の夏以来となるため、野芝100%でやや軽い芝。ただし、野芝はまだ成長期にないため、傷みやすい状態の馬場。

6月
★阪神競馬場
力の要るオーバーシード芝。阪神競馬場は宝塚記念があるこの開催に備えて、2回開催終了後に芝を張り替える。そのため、宝塚記念時点の芝の状態は、洋芝100%に近い。

★函館競馬場
洋芝が密に生え揃って絶好の芝の状態。洋芝の性格上、重くて力の要る馬場

★中京競馬場
傷んで力が要るオーバーシード芝。3月の開催から間がなく、かなり傷んだ状態の馬場。

★福島競馬場
傷んで力が要る芝。野芝が成長をし始めるものの、1回開催から期間が短いため、馬場の傷みは回復することなく進行していく。

7月
★新潟競馬場
野芝100%である上に、成長期であるため、極めて軽い馬場

★小倉競馬場
ほとんど野芝100%に近い、軽い馬場

★函館競馬場
かなり力の要る馬場。梅雨の影響で、開催に雨が当たることも多く、洋芝の傷みが目立ち始める。

8月
★新潟競馬場
まだ野芝が成長している時期であるため、馬場が悪くならず、極めて軽い馬場が維持される。

★小倉競馬場
新潟と同じく、まだ野芝が成長している時期であるため、馬場が悪くならず、軽い馬場が維持される。

★札幌競馬場
洋芝が密に生えた絶好の馬場。梅雨の影響を受けないため傷みづらいが、洋芝の性格上、力の要る馬場

以上のように、芝の最盛期の状態を起点としてイメージしつつ、そこから開催が進むにつれて馬場が傷み、重くなって力を要する馬場になっていくという過程を、時系列で把握するということである。最盛期から時間の経過とともに傷んで枯れていくという、生物としての不可逆な1年の営みを利用するのである。もし開催中に連続して雨が降ったり、冷夏や暖冬などイレギュラーなことが起これば、その都度、上記の基準の重さをほんの少し調節すればよい。

これまで私は色々な方法を試してみたが、結局のところ、この方法以上に簡単かつ正確に馬場の重さ(軽さ)を把握することは出来なかった。たとえば、ある競馬ソフトの基準タイムを用いて馬場差を出す方法がある。しかし、そもそも競馬のレースは生き物であり、展開や馬場の内外、メンバーの力関係などがあるにもかかわらず、(たとえ補正したとしても)勝ちタイム等から馬場差を正確に出すのは普通に考えても無理がある。また、開催中の勝ち馬、もしくは2着に好走した馬の血統から馬場状態を読み解く方法は、サンプル数が少なすぎるため、独自のバイアスが掛かってしまうことが多い。

もちろんこれらもある程度は有効であっただが、小難しかったり時間が掛かったりする割には上の方法と同じ、もしくはそれ以下の結果しか出なかったのである。これらの方法の問題点は、すでに終わった事柄(タイム、好走馬の血統等)を材料とするため、全てが後追いになってしまうということである。また、馬場の重さ(軽さ)を把握するために馬場以外の要素を判断材料にしているため、その他の関係ない要素までが紛れ込んでしまうことも問題である。馬場のことは馬場に聞くのが一番なのである。だからこそ、誰にでもスグ出来て、しかも間違いが少ないのだ。

(第5回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第3回

■芝の傷み具合
次に、「芝の傷み具合」については、ごく単純に、開催が進むにつれて傷んでいくということである。今週よりも来週、来週よりも再来週の馬場の方が傷んでいるのが普通である。芝が良くなるという逆向きのベクトルはなく、当たり前のことではあるが、開催が進むにつれて芝は傷んでいくということは「馬場」を把握する上で重要である。

傷みの進行度合は、野芝の成長する時期によって異なってくる。野芝の成長期にあたる6月~9月は、たとえば夏の新潟開催のように、傷んでも次の週までには回復しているということがある。同じオーバーシードされた芝でも、野芝が成長している時期は傷みにくいのに比べ、冬から春先にかけては、ちょっとしたことで傷みが急速に進んでしまう

特に、繰り返し各馬が殺到する3~4コーナーの内側は、最も傷みが進行しやすい部分である。それを補うために、仮柵を外したりしてコース変更をするのだが、これによって生まれる内外のトラックバイアスについては、(3)馬場の内外で差はないか?において後述したい。

また、雨の影響によって、「芝の傷み具合」が急激に早まることもある。開催日(土曜日、日曜日)に雨が降って、重馬場でレースが行われた場合、芝はあっという間に掘り起こされてボコボコになってしまう。特に春の時期は、まだ野芝が芽を出しただけで根が張っておらず、路盤が柔らかい。その上を雨に弱い洋芝が覆っているだけなので、馬場が極端に傷みやすいのだ。開催日に連続して雨が降るようなことがあれば、馬場の性質が一変してしまうこともある。

たとえば、平成18年春の東京開催では、これでもかというぐらい週末に雨の日が集中した。NHKマイルCは当日に雨が降り、ヴィクトリアマイルも降雨の影響でやや重まで馬場が悪化した。それによって、芝の傷み具合は急激に進み、オークスは極めて力の要る馬場で行われることになった。結果はご存知のとおり、カワカミプリンセス(父キングヘイロー)が勝ち、494kgのフサイチパンドラが2着、488kgのアサヒライジングというパワーに優る馬たちが上位を独占することになった。1番人気に推された444kgのアドマイヤキッス、422kgのキストゥへヴンという小柄な馬たちが、4、6着に惨敗したことを考えると、どれだけ力の要る馬場だったかが分かるだろう。

Goodbabakawakami

さらに続くダービーも、前日から雨に見舞われ、パワータイプのオペラハウス産駒メイショウサムソンが、道悪の皐月賞に続く2冠を手に入れた。全体の時計が2分27秒9の時計で、メイショウサムソン自身のラスト3ハロンの上がりは35秒1であった。翌年(平成19年)のダービーの勝ちタイムが2分24秒5で、ウオッカの上がり3ハロンが33秒0と比べると、ペースの差こそあれ、この2つのダービーは全く違う要素を問われたダービーであったと言えるだろう。馬場の傷み具合が違えば、ダービー馬さえ変わってくるのである。

Goodbabasamson

(第4回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第2回

まずは、芝コースの良馬場に限定して話を進めていきたい。芝コースのレースがどのような馬場で行われているかを把握するためには、以下の3つの項目をきっちりと把握しておかなければならない。

(1)どれくらいの重さ(軽さ)か?
(2)馬場の内外で差はないか?
(3)レースで極端な傾向はないか?

■どれくらいの重さ(軽さ)か?
馬場状態を把握するために最も重要なのは、(1)のどのくらいの重さ(軽さ)かであり、それは「芝コースの種類」と「芝の傷み具合」によって大きく違ってくる

まず、「芝コースの種類」は大きく3つに分けられる。

1、野芝100%の芝コース(新潟競馬場)
2、洋芝100%の芝コース(札幌、函館競馬場)
3、野芝に洋芝をオーバーシードした芝コース(東京、中山、阪神、京都、中京、福島、小倉競馬場)

1の野芝は暖地性の芝草であって、気候が暖かくなる6月から成長を開始し、8月の一番暑い時期に最盛期を迎える。野芝は非常に強靭で、耐久性が高い。地面に地下茎を張り巡らせて横にネットワークを作るため、馬の蹄が当たって多少の衝撃があろうともビクともしない。野芝が生え揃った状態の馬場には、押すと弾き返すといったクッションが感じられ、硬くてスピードが出る

Nosiba

野芝の弱点は、寒さに弱く冬枯れしてしまうということである。野芝しか使っていなかった昔の中山競馬場の馬場は、暮れになると芝がまるで土のような色になり、見映えは決して褒められたものではなかったことを思い出す。当時、ジャパンカップに来た外国人関係者が、「芝のコースはどこにあるのですか?」と尋ねたという笑い話は有名である。

2の洋芝は寒地性の芝草である。洋芝の葉の密度は野芝よりもずっと濃いため、馬の蹄が芝の上に着地してから、芝が倒れて足の裏が地面に着くまでに時間差があるように感じる。野芝が押すと弾き返すクッションであれば、それとは対照的に、洋芝は押すと凹んで力を吸収するクッションである。それゆえ、洋芝の芝コースは重くて、パワーとスタミナが必要とされる

Yousiba

また、洋芝の芝コースは極めて美しい。次々に新しい芽が吹いて密度がどんどん高まり、しかも寒い時期でも冬枯れしないため、芝コースを1年中緑に保つことも可能である。野芝に比べ、洋芝はテレビ映りが断然にいいのだ。

しかし、強度と耐久性という点では野芝に劣る。馬の蹄が強く当たると、根こそぎ芝が剥がれてしまうこともあり、ポカっと穴があいてしまい危険である。また、高温の夏には夏枯れしてしまうことがあり、さらに雨が降ってしまうと途端に馬場が悪化することもある。だからこそ、洋芝100%の芝コースは札幌と函館競馬場のみでしか成立しない。

3の野芝に洋芝をオーバーシードした芝コースとは、野芝をベースとして、その上に洋芝のイタリアンライグラスを植えたコースのことである。中央4場(東京、中山、阪神、京都)でオーバーシード芝が必要なのは、開催時期が9月から翌年の6月までと、真冬の季節を含むからである。

前述のように、野芝は暖地性の芝草であり、11月以降は冬枯れして見た目が悪いばかりではなく、枯れている時期に開催が集中すると、芝の発育が阻害され、翌年以降に悪い影響が出ることになる。野芝の強靭さと耐久性をベースとしつつも、見た目が美しく、発育が早い洋芝で上から覆うようにしてサポートしているという構造になる(下図)。

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枯れた野芝の上を洋芝が覆っているのが分かる。

そのため、洋芝がいくら茂って見た目が青々としていても、馬場が良好であるということにはならない。特に春になって野芝のネットワークが擦り切れてしまうと、いくら洋芝で取り繕ってみても、馬場が柔らかすぎてクッションが失われてしまう。オーバーシード芝の場合、見た目に騙されてはいけないのだ。あくまでもベースとなる野芝がどういう状態にあるかを見極めることが大切である。

また、春競馬が終了すると同時に、野芝を覆っていた洋芝は根ごと引っこ抜かれる。夏にかけて成長する野芝の上に丈の高い洋芝があると、日光を遮ってしまうからだ。夏の間は野芝100%の状態でゆっくりと養生されるため、10月ぐらいまでの開催では、オーバーシード芝とはいえ野芝100%と考えてもよい。

(第3回へ続く→)

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集中連載:「Good 馬場!」第1回

Goodbaba01

■国立競技場で知ったこと
私が学生だった頃、国立競技場でアルバイトをしたことがあった。世界陸上のための準備で競技場の中に入り、機材を運んだりする仕事を手伝っていたのだが、その休憩時に、国立競技場の係員の方がこんな話をしてくれたのを覚えている。

「国立競技場のトラックは、とても走りやすいように工夫して作られているんだよ。なぜかというと、世界のトップアスリート達が日本に来て世界レコードでも出してくれれば大きなニュースになるだろうし、日本、もしくは東京で行われたということも覚えてもらえる可能性も拡がるからね。記録として残るし、人々の記憶にも残るようにね。」

この話を聞いて私は純粋に驚いた。なぜなら、選手の能力とは関係のないトラックまでもが、競技に大きな影響を与えているとは思いもよらなかったからである。誰よりも速く走ることのできる競技者が、どこよりも走りやすいトラックの上で走って、初めて世界レコードが生まれる。そんなこと当たり前ではないかと思われるかもしれないが、当時の私にとっては目からウロコが落ちるような思いがしたのだ。

つまり、選手達がいかに速く走るかだけではなく、競走が行われる「場」の状態も、競走の結果に大きく影響を与えるということを知ったのである。その話を聞いた後、国立競技場のトラックを軽く駆けてみると、確かに硬すぎず柔らかすぎず、クッションが利いていて、足でしっかりと地面を捉えている感触があった。

■競馬における「馬場」の影響
競馬における「馬場」も、レースの結果に非常に大きな影響を与えている。その影響は人間の競走とは比べものにならないほど大きく、「馬場」が変われば、勝ち馬も変わると言っても過言ではない。速いタイムの出る「馬場」では、軽い馬場を得意とするスピード優先の馬が勝ち、時計の掛かる馬場を得意とするパワータイプの馬は苦戦を強いられる。また、雨が降って道悪の「馬場」になれば、良馬場では勝負にならなかったはずの、道悪を苦手としない馬が堂々と勝つ。

それはまるでトランプの大富豪(関東では大貧民)の“革命”のようである。これまで最も強かったはずの「2」のカードが、ひとたび“革命”が起こってしまえば、あっと言う間に最も弱いカードになり下がってしまう。これまで最も強かった馬が最も弱い馬に変わるという天変地異。「馬場」が変わることは、それぐらいの大きな影響がある。そして、当然のことながら、その「馬場」の変化を把握する術(すべ)を持たなければ、私たちがレースの結果を正しく占うことはまず不可能となる。

special photo by fakePlace

(第2回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」最終回

10頭の名馬の馬体をチェックしてきたが、あなたのパッと見た瞬間の評価と、馬を見る天才の評価は、どのくらい違っていただろうか?もちろん、一人ひとりの印象(主観)には違いはあるので、全く同じ評価になるはずはないが、ここまで真剣に読んでいただいた方であれば、おそらくそれほど大きな違いはなかったのではないだろうか。

しかし、実を言うと、正しい馬体の評価というものはない。あるのは正しい馬体の見方だけなのである。馬体の評価とはその人にとって固有に存在するものであるが、あなたが正しい見方で馬体を見なければ、あなたは決して馬を見ることはできない。もし馬を見る天才とあなたとの間に僅かばかりの違いがあるとすれば、それは馬体の見方だけなのである。

それでは、正しい馬体の見方とは何か?

私が挙げた5つのポイント(胴体、バランス、毛艶、メリハリ、目つき・顔つき)に沿って馬体をチェックしていくこと、ではない。スター馬体チェック法は、あくまでも馬を見る天才の無意識を、あえて意識化してみたに過ぎない。馬を見る天才は、実際には5つのポイントを意識的にチェックしながら馬を見たりはしない。そうではなく、全く逆の見方をしなくてはならないのである。

馬を見る天才の見方を説明する前に、ひとつ間違った馬体の見方を以下に示してみたい。

追い切り前でもすでに余分な脂肪がなく、腰椎周辺や首はスッキリしている。肩甲骨の角度がなだらかで胴が長めの体形。前脚のつなぎはバネを生かせる芝向きの角度で、後軀は臀端→飛端へのカーブが大きく、うまく衝撃を緩和できる構造になっている。

どこにでも良く見かける馬体解説の例であるが、何を言っているか意味が分からないし、本当にそうなのかさえ分からない、というのが私たちの正直な感想ではないだろうか。このような見方に付き合って、自分では馬体を見ても分からないと思わされてしまった読者は悲劇である。

このような馬体の見方が根本的に間違っているのは、馬の体全体を部分(パーツ)へと切り分けて見てしまっているからである

こういうたとえ話がある。魚の体について詳しく知りたいと思った人が、釣った魚を解剖してみることにした。目、あご、歯、尾ひれ、背ひれ、尻尾、肺、心臓などなど、各部分(パーツ)に切り分けて行ったところ、目は目、あごはあご、歯は歯であることは分かったが、ついに魚は動かなくなってしまった。慌てて元に戻してみたが、もちろん魚は生き返ることなく死んでしまった。

馬の体についても同じことが言える。全体を理解するために、部分(パーツ)に解剖(分解)してみても、結果としては全体を失ってしまうことになる。たとえば上の例のように、馬体を腰椎、肩甲骨、前脚のつなぎ、臀端、飛端などと各部分(パーツ)に分解して見てしまうと、その時点で、馬体全体は死んでしまうのである。部分(パーツ)を見れば見るほど、全体は動きを失っていく。これが、私たちが専門用語など知っておく必要はない、使ってはいけない理由である。馬体全体を見るには、意識的に馬体全体を見なければならないのだ

つまり、馬体は意識的にパッと全体を見なければならないのである。これまで、しつこいくらいにパッと見るということを述べてきたのは、そういう意味である。そんなことかと思われるかも知れないが、馬体は決して部分(パーツ)を見るのではなく、全体をパッと見た瞬間の印象で判断しなければならないということである。もちろん、これはパドックで馬を見る時にも応用できる。パドックでは馬の「動き」や「雰囲気」を見るが、全体をパッと見た瞬間の印象で判断するという馬の見方については、そのまま使えるはずである。

とはいっても、最初から全体をパッと見た瞬間の印象で判断するのは難しい。だからこそ、スター馬体チェック法を使って、馬を見る天才の思考プロセス(たった5つの点しか見ていない!)を意識的に真似るのである。そうして、いつの間にか馬体全体をパッと見た瞬間の印象で判断できるようになった時、馬を見ることは、あなたにとって決して難しいことではなくなっている。そして、その時、あなたはこう言うだろう。

「勘だよ、勘」

Ketudan03
special photo by Ichiro Usuda

追記
誤解があるかもしれませんが、馬を見る天才とは決して私のことではありません。私の知っているある人から教えてもらったことを、私なりに解釈して説明したつもりですが、もしうまく説明できていない部分があればご容赦ください。この連載で言いたかったことは、誰でも馬を見る天才になれるということです。最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第10回

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ここまで、スター馬体チェック法の5つのポイントに沿って馬を見てきたが、最後の仕上げとして、それら5つのポイントを一挙に使って馬を見てみよう。

これから10頭の名馬の馬体をチェックしていくが、一流とされている馬の完成された馬体をイメージに刷りこむことは非常に効果的な学習法である。なぜなら、一流馬の良い状態の時の馬体を見ることによって、あなたのイメージの中に最高の形(馬体)が刷り込まれるからである。最高の形(馬体)を知っておくことは、他の馬の馬体を見るときの物差しになる。何かが足りない、どこかがおかしいという判断ができるのも、最高の形(馬体)と比べてどこかが“違う”という感覚が生じるからある。“違い”を分かるためには、最高の形(馬体)を知っておかねばならないのだ。

パリで多くの画家が育つ理由は、パリには本物の絵がたくさんあるからだという。環境の整った専門学校があるからでもなく、とびきり優秀な講師がいるからでもない。パリにあるたくさんの本物の絵を何度も何度も観て、多くの素晴らしい画家が育つのである。本物の絵には、そうでない絵との“違い”があり、その“違い”を細胞レベルにまで浸透して感じられる人が本物の画家となっていくのである。一枚の本物の絵を鑑賞することが数百枚の絵を観ることにつながるように、一流馬の最高の形(馬体)を目に焼き付けることは、馬を見る天才になるための近道となるのだ。

まず、各馬の馬体を見て、パッと見た瞬間のあなたの評価を答えて欲しい。それが正しいか、誤っているかは気にしなくてよい。大切なのは、パッとみた瞬間にあなたが受けた印象を答えることである。その後に、馬を見る天才の評価と比べてみて欲しい。

1、シンボリクリスエス
Goodmodel01 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
体長(胸から尻の先まで)が長く、窮屈なところが全くない。
距離が伸びて良さの出そうな体型である。
☆2 バランス
脚がスラッと長く、首回りは力強いがも太すぎず、背中の傾斜も標準的である。
550kgの巨漢馬であるが、理想的な馬体のバランスをした馬である。
☆3 毛艶
非常に毛艶も良く、黒光りしている。皮膚の薄く、柔らかい馬であることが想像できる。
☆4 メリハリ
前後にバランスよく筋肉が付き、非の打ち所のない完成形の馬体
☆5 目、顔つき
レースであれだけの走りをする馬とは思えない、愛くるしい目をしている。
人間との信頼関係の高さが見て取れる。

2、アドマイヤコジーン
Goodmodel02_1 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
短距離馬らしく、胴は詰まってコロンとしている。
☆2 バランス
重心が低く、首回りに柔らかな筋肉がついている。
背中の傾斜も標準的で、前後のバランスもよい。
☆3 毛艶
白に近い芦毛のため分かりにくい。
☆4 メリハリ
芦毛のため馬体が膨張して見えるが、それを差し引いても、全身を柔らかな筋肉が覆っている。
☆5 目、顔つき
真っ黒な瞳は、素直な気性を表している。
大きな骨折にもかかわらず、性格は曲がらなかったようだ。

3、トゥザビクトリー
Goodmodel04 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
牝馬にしては、ゆったりとした長めの体型
☆2 バランス
脚の長さ、首回り、背中のラインも、牝馬としては理想的。
全体の流れるようなバランスが美しい。
☆3 毛艶
毛艶は文句なしで、妖艶さすら漂わせる
☆4 メリハリ
筋骨隆々ではないが、その分、不必要な部分を削ぎ落としたスマートさを感じさせる。
☆5 目、顔つき
少しこちらが気になるのか、耳を向けている。
表情からは、カッと燃えやすい気の強さが伺える。

4、タニノギムレット
Goodmodel05 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
ガッチリとしている分、胴は短めに見える。
☆2 バランス
脚も首も太く、背中の傾斜はすこしキツイが気にするほどでもない。
☆3 毛艶
内臓の強さを表すような毛艶の良さ
☆4 メリハリ
まさに筋骨隆々で、相当なパワーを感じさせる。
☆5 目、顔つき
派手な流星が気の強さを演出しているが、気性は素直そうな目をしている。

5、ネオユニヴァース
Goodmodel07 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
標準的な長さと幅で、マイナス材料はない。
☆2 バランス
脚がスラッと長く、首もスリムで、背中のラインは滑らか
☆3 毛艶
好調時のサインである斑点も出ているように、毛艶は文句なし
☆4 メリハリ
牡馬としてはスマートな馬体なので、メリハリには欠けるが、これがこの馬の特徴か
☆5 目、顔つき
メンコをしているため分かりづらいが、気の強そうな表情がうかがえる。
かといって、気性難があるわけではない。

6、タップダンスシチー
Goodmodel10 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
ガッシリしているが、長さも十分あり、窮屈さはない。
☆2 バランス
重心は低く、首から肩にかけて力強い筋肉が付いている。
背中のラインも非の打ち所がない。
☆3 毛艶
柔らかさは感じさせないが、毛艶は悪くない。
☆4 メリハリ
あばら骨が3本ほど見えているように、引き締まった見事な馬体。
☆5 目、顔つき
持ち前の闘争心の強さが見事に表情に表れている。

7、アドマイヤドン
Goodmodel06 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
標準より少し長めで、距離は長くても良さそう。
☆2 バランス
脚も首も細いため、スラッと見える。
背中の傾斜は気持ちキツく、腰高に見える。
☆3 毛艶
光の加減もあるが、ピカピカに輝いた毛艶
☆4 メリハリ
ダート馬とは思えないくらいの、なめらかな肉付きで、パワーを感じさせない。
☆5 目、顔つき
少しひねくれたところがありそう。

8、キングカメハメハ
Goodmodel11 引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
いかにもマイラーといった、中身の詰まった体型
とはいえ、窮屈さはなく、ある程度の距離まではもちそう。
☆2 バランス
脚はそう長くはない。肩回りの筋肉が発達しているので、それに伴って、首も太い。
背中の傾斜は、至って標準的。
☆3 毛艶
光の加減もあるが、ピカピカに輝いた毛艶
☆4 メリハリ
筋肉の鎧で覆われていて、かなり鍛えられている様子
☆5 目、顔つき
まだ子供っぽさを残すが、気性は穏やか

9、シーザリオ
Goodmodel012
引用元:競馬ブック

あなたの評価
☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
窮屈さの全くない、伸びのある体型
☆2 バランス
脚がスラッと長く、しなやかな長い首が伸びている。
背中の傾斜も理想的
☆3 毛艶
特に良くはないが、あくまでも普通の毛艶
☆4 メリハリ
牝馬とは思えない、豊富な筋肉量で、パワーも相当なものだろう。
☆5 目、顔つき
実に素直で賢そうな表情

10、ディープインパクト
Goodmodel12 引用元:競馬ブック

☆1 胴体 →
☆2 バランス →
☆3 毛艶 →
☆4 メリハリ(筋肉の付き方) →
☆5 目、顔つき →

馬を見る天才の評価
☆1 胴体
標準的ではあるが、窮屈さのない体型
☆2 バランス
脚はきれいに伸びており、首差しもしなやか。
背中の傾斜のラインは標準的
☆3 毛艶
みずみずしさの漂う皮膚の良さで、体の柔らかさが伝わってくる。
☆4 メリハリ
まだ若さの残るメリハリの少ない体つきだが、その分、体中からバネの良さを感じさせる。
☆5 目、顔つき
大人しそうで、賢い。
レースに向かって、集中力が高まっている。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第9回

Starcheck05

スター馬体チェック法の「目、顔つき」には、馬の性格や精神状態が如実に表れる。「目は口ほどにものを言う」という諺があるように、目つきを含む顔の表情には、ものを言えないサラブレッドの心が映し出される。気性の素直な馬は素直な顔つきをしているし、キツいところのある馬はキツい顔つきをしている。普段は温和な馬でも、疲労が残っていて状態が思わしくない時には、厳しい表情をしているものだ。じっくりと観察することによって、馬の目、顔つきから、私たちはサラブレッドの喜怒哀楽をうかがい知ることができる

■気性の素直な馬の目、顔つき
Kaosunao01 引用元:競馬ブック
大きく、澄んだ、黒目勝ちの目は素直さを表す

■気性のキツい馬の目、顔つき
Kaokitui01 引用元:競馬ブック
いかにも神経質そうな、三白眼のような目は性格のキツさを表す

■幼さの残る目、顔つき
Kaowarui01 引用元:競馬ブック
悪さをしたくて仕方ないといった表情

■凛々しい目、顔つきの馬
Kaoririsii01 引用元:競馬ブック
凛々しい表情は、集中力の高い、大人びた気性を表す

■ぼんやりとした目、顔つきの馬
Kaobonnyari01_1 引用元:競馬ブック
ぼんやりとした表情は、闘争心の欠如を表す

さらに、目、顔つきからだけではなく、耳からも馬の精神状態をうかがい知ることもできる。馬の耳の位置は気分によって変化する。緊張していないときの耳は、ぼぼ直立し、前方やや外側を向いている。反対に、恐怖心や敵対心を抱き、緊張しているときの耳は、後ろ向きに絞られている。

耳を絞る仕草を頻繁に見せる馬は、気難しく反抗的か、もしくは精神的に追い詰められていることが多い。こういった馬がレースに行って好走することは難しい。ちょっとした接触や不利を受けただけで、レースをやめてしまったりして、本来の力を出し切ることができない。

■緊張していないときの耳
Mimigoodex_1 引用元:競馬ブック
人間を信頼し、リラックスしている様子

■恐怖心や敵対心を抱き、緊張しているときの耳
Mimibadex 引用元:競馬ブック
怖がっているのか、怒っているのか、とにかく気難しそうな様子

このように、さまざまな目、顔つきをした馬がいて、パッと見た瞬間の表情は、その馬の性格、精神的特徴を如実に切り取っていることが多い。また、耳のちょっとした動きからも、その馬の本質を掴むこともできる。馬を見るということは、馬体を見ることだけではなく、馬の喜怒哀楽などの精神状態をも見ることでもある

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第8回

スター馬体チェック法の「メリハリ」とは、筋肉のつき方のことである。しっかりとした調教を積んで、走れる状態にあれば、自然と馬体にもメリハリが出てくるものだ。また、幼い馬体だった馬が、その成長過程において、メリハリのついた完成形に変化することもある。つまり、たとえ同じ馬でも、その時々の仕上がり状態や完成度によって、馬体のメリハリは変わってくるということである。

それでは、実際に見てみたい。

■メリハリの利いた馬体
Meriharigood01
筋肉量が豊富な迫力のある馬体

Meriharigood02_1
筋肉が細かく発達して、極限にまで仕上げられた馬体

■メリハリの感じられない馬体
Merihariosanai05
全身の筋肉が未発達で、運動神経だけで走っている馬体

Merihariosanai01
競走馬として未完成で、これからの成長が待たれる馬体

■古馬になっても幼い馬体
Merihariosanai02
古馬になっても、コロンとしてメリハリがない馬体
個体の特徴ではあるが、馬体が幼い馬であることは否めない


馬体のメリハリについて付け加えておくと、馬体を絞り、余分な部分を削ぎ去っていくと、あばら骨が見えることがある。あばら骨は、3本くらい薄く浮いているのがちょうど良いとされる。しかし、ある程度の腹袋も必要で、ガリガリに見えるほどあばら骨が(3本以上)見えてしまっているようでは、かえって走らないことが多い。

■あばら骨が見えている馬
Abara01
あばら骨が3本くらい、うっすらと浮いているのが分かる絶妙な仕上がり

このように、「メリハリ」を見ることによって、その馬の筋肉の発達度合いと、仕上がりの良し悪しが分かる。2歳戦などの若駒のレースでは、まだノッペリとした馬体の馬もチラホラ見られるが、古馬ともなれば、それなりに完成された馬体を誇る馬がほとんどになる。また、条件戦では余裕のある造りであった馬が、グレードレース、そしてG1レースともなればきっちりと仕上げられて、メリハリの利いた馬体で登場する。

といっても、馬体のメリハリにも個体の特徴があるので、メリハリがあれば良いということでは決してない。筋肉質でゴツゴツした馬もいれば、柔らかい筋肉をしなやかに隆起させる馬もいる。実際に、あのディープインパクトはそれほどメリハリの利いた馬体を誇る馬ではなかった。ご存知の通り、馬体が小さかった馬であるが、メリハリという意味においても傑出している馬ではなかった。ディープインパクトは、筋肉の量ではなく質で走った馬である(もちろんそれだけではないが)。つまり、この馬はこういう肉体的な特徴があって、時系列的に見て、前回や前々回と比べると仕上がりが良さそうだな、馬体が成長してきたなということが、「メリハリ」をパッと見ることによって見分けることが出来るのである。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第7回

Starcheck03

「毛艶」は馬の内臓の状態を映し出す鏡のようなものである。内臓の状態がよければ、毛艶はピカピカに輝き、疲労から内臓に問題のある馬の毛艶はくすんでしまう。ブラッシングをすれば、ある程度取り繕うことは出来るが、滲み出てくるような毛艶の良さは、やはり内臓の状態が良くないと表れてこない。目に見えない内臓面の疲れも、意外と毛艶を通して伝わってくることは多い。さらに、毛艶が良いということは、皮膚が薄いということもつながる。皮膚が薄い馬は、総じて馬体が柔らかく、伸びのある走りをすることができる。

それでは、実際に毛艶を見てみよう。

■ピカピカの毛艶の馬
Keduyagood02 引用元:競馬ブック
一点の曇りもない、美しい毛艶

■くすんだ毛艶の馬
Keduyabad03 引用元:競馬ブック
内臓面がダメージを受けているためか、毛艶が悪い

このように、普通の毛色の馬であれば、パッと見た瞬間に見分けることができる。しかし、芦毛の馬に限っては、白毛が差し毛のように混じって入っているため、毛艶の良し悪しを見分けることが非常に難しい。皮膚のなめらかさや光具合から、毛艶を判断するのが難しいのである。

そこで、芦毛の馬の毛艶については、いつもより黒く見えるかどうかという見方をする。芦毛にも白さの度合いがあるので、他の馬と比べて黒く見えるかどうかではなく、1頭の馬を見る時に、いつもと比べて黒く見えたときは毛艶が良いということである。

■芦毛の馬の毛艶
Keduyaasigebad01 引用元:競馬ブック
芦毛の馬の毛艶は見分けにくい

■同じ馬で黒く見えるとき
Keduyaasigegood 引用元:競馬ブック
上と同じ馬であるが、毛艶の良い好調時は、地肌の黒色が浮かび上がって見える

また、サラブレッドは冬場になると冬毛が伸びるため、どうしても毛艶が悪く見えてしまうことは仕方がない。しかし、レースを間近に控えた馬が、あまりにも毛艶が悪いのはいただけない。冬毛が生えてきて毛艶が冴えないのは、内臓が休眠状態に入っているということを意味するからだ。内臓機能が優れていて、新陳代謝が活発な馬ならば、冬でもほとんど冬毛が生えることなく毛艶が悪くなることはない。あのサクラローレルが冬場でもピカピカに毛艶を輝かせていたのは有名な話である。

■冬場でもピカピカの毛艶の馬
Keduyagood01 引用元:競馬ブック
冬場にもかかわらず(11月撮影)、黒光りのする毛艶

■冬毛が伸びてくすんだ毛艶の馬
Keduyabad02 引用元:競馬ブック
同じ冬場であるが、冬毛が生えてきて毛艶が冴えない

つまり、どんな時期でも、毛艶の良い馬=体調も良いということである。いつもピカピカに毛艶が輝いている必要はないが、毛艶が悪いということは、体調が悪いか、どこかに問題があるということになる。毛艶は馬の内臓の状態を映し出す鏡であり、決して嘘をつかない。厩舎サイドが絶好調とコメントしても、毛艶が悪いようであれば疑ってかかった方が得策である。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第6回

それでは、実際のレース(先月に行われたフェブラリーS)の1~3着馬を例に挙げて、この「バランス」を見てみたい。

Sunrize 引用元:競馬ブック
サンライズバッカス
コロンとした胴体の短い体型であり、背中から腰にかけての傾斜もきつい。いかにも後輪駆動のスピード馬で、速い時計の決着には強いはず。これらのことからも、この馬にとって1800mの平安Sで2着したことは好走と言ってよく、マイル戦へ距離が短縮されることは、大きなプラス材料になることが分かる。

Blueconcord 引用元:競馬ブック
ブルーコンコルド
昔と比べると胴体が少し伸びて、それでもズングリとした形である。重心も低く、首も太く、典型的なパワータイプの短距離馬の馬体である。年齢を重ね、折り合いがつく分、距離がもつだけで、馬体だけを見ると、肉体的な距離適性はマイル戦であることが分かる。また、力の要る重い馬場を得意する。

Bigglass 引用元:競馬ブック
ビッググラス
前述の2頭と比べ、胴体も脚もスラリと長く、背中から腰にかけての傾斜も理想的で、全体的なシルエットのバランスが良い。馬体を見る限り、とても短距離馬のそれではなく、前走(根岸S)からの200mの距離延長はむしろプラスに働くはずである。

もちろん、レースでは様々な要素が絡み合うので、イコール結果とはならないこともある。ブルーコンコルドは、マイル戦自体はベストの距離なのだが、時計の速いペースに苦しがってしまった。砂の深いダートで行われていたら、おそらく圧勝していたに違いない。ビッググラスにとって、距離延長自体は好材料であったが、上位2頭と比べると、能力が一枚下であった。また、もう少し時計の掛かる馬場の方が良かったかもしれない。

ここで大切なことは、「バランス」を見るということである。全体的な「バランス」をパッと見て、その馬の肉体的な特徴がどういったものかを把握することである。どれぐらいの距離がベストで、どれぐらいの距離までもって、どのような馬場を得意とするのか。これだけのことが、たった4点(胴体、脚の長さ、首の太さ、長さ、背中(腰)の角度)の「バランス」から、大まかにイメージできるのだ。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第5回

Starcheck02

スター馬体チェック法の「バランス」とは、馬体全体をシルエットのように見た時の、「胴体」を含む、以下4点のバランスのことである。

1、胴体
2、脚の長さ
3、首の太さ、長さ
4、背中(腰)の角度

1、胴体
前述のため省略

2、脚の長さ
サラブレッドは、身長(首の付け根から脚先まで)と体長(胸から尻の先まで)が基本的に等しい。つまり、胴が短い馬は脚も短く、胴が長い馬は脚も長い。ということは、短距離馬は脚が短く、長距離馬は脚が長い傾向にあるということになる。

短距離馬は脚が短いため、ピッチ走法で走り、スピードに乗りやすい。短距離の見分け方は、重心の位置を意識するとよい。短距離馬は脚が短い分、長距離馬に比べて重心の位置が低くなる。

では、実際の馬を見てみよう。

■全体のバランスとして脚が短い馬
Asishort01 引用元:競馬ブック
ガッチリした胴に短めの四肢が付いている。
脚が短いため、重心の位置が低い。
ピッチ走法で走るため、短い距離が合いそう。


対照的に、長距離馬は脚が長く、ストライド走法で走るためスピードに乗るのに時間がかかる。人間と比べると、どのサラブレッドも脚は長く見えるのだが、その中でもスラっと脚が伸びているのは典型的な長距離馬であることが多い。

それでは、実際の馬を見てみよう。

■全体のバランスとして脚が長い馬
Asilong02 引用元:競馬ブック
脚がスラっと伸びているのが分かる。
重心の位置も高い。
ストライドが大きく、長い距離が合いそう。

パッと見た瞬間に脚が短いな、重心が低いなと思ったら短距離馬であり、脚がスラっと長いな、重心が高いなと感じたら長距離馬である。どちらとも言えないのであれば、平均的な脚の長さの馬ということになる。必ずしも、脚の長さだけで短距離・長距離を見分けられるわけではなく、どっちつかずの脚の長さの馬の方が圧倒的に多いのが実際である。そんな中で、パッと見て脚の長さの違いに気付いたならば、その馬は典型的な短距離・長距離馬である。

3、首の太さ、長さ
サラブレッドが走るために、首は重要な役割を担っている。馬は首を使わなければ走れないので、全力疾走後の馬の首の疲労は大変なもので、首の使い方が上手ければ、それだけ疲労も少ない。首と頭を加えた重量は、なんと100kg以上(体重の約20%)を占めるため、そのバランスがいかに走りに大きな影響を与えるかは想像がつくだろう。

首の太さと長さは、その馬の体型と関係してくるため、距離適性を計るための材料となる。胴の分厚い馬体には、肉体の構造上、しっかりとした太い首が付いているのが自然である。その逆もまた然りである。直感的にお分かりいただけるはずだが、マッチョでズングリムックリしている馬の首は短くて太く、ヒョロっとしてスマートな馬の首は長くて細い。

つまり、短距離に適性のある馬の首は短くて太く、長距離に適性のある馬の首は長くて細い。あまりにも首が太くて短い馬は、首の筋肉に無理な力が入り、疲れやすく、距離が長くなると息がもたなくなってしまうからだ。

それでは、実際の馬を見てみよう。

■首が短くて太い馬
Kubihutoi03_1 引用元:競馬ブック
ガッチリした胴から、そのまま太い首が伸びている。
立派な首が付いており、かなりのパワーを感じさせる、典型的な短距離馬の首である。

■首が長くて細い馬
Kubihosoi01 引用元:競馬ブック
適度に長く、太すぎずにスラっとした理想的な首である。

パッとみた瞬間に、首が太くて短ければ短距離馬で、細くて長ければ長距離馬である。どちらとも言えないのであれば、平均的な首なのであろう。必ずしも、首だけで短距離・長距離を見分けられるわけではなく、実際には、どっちつかずの首の方が圧倒的に多いのだが、そんな中でパッと見て分かるのであれば、その首は典型的な短距離・長距離馬のそれである。

また、頭の大きい馬は、その分、首が太くなるのは必然である。頭が大きくて首が太いということは、それだけ負担が大きく、ロスがあるということになる。それゆえ、頭の大きい馬は嫌われるのだが、それも絶対的なものではない。頭が大きくても走る馬は走るが、あまりにも首が太くて短い馬は、走りに対する負担が大きく、ロスがあることは事実である。

4、背中(腰)の角度
背中(腰)の角度とは、馬の背中から腰にかけてのスロープの角度のことである。なだらかな傾斜で上がっていくのが普通であるが、やはりこの角度にも個体差はある。短距離を得意とする馬は傾斜の角度がきつく、反対に、長距離を得意とする馬は傾斜の角度がなだらかであることが多い。とはいえ、わずかな角度の差であるため、ほとんどは見分けがつかない。

しかし、中には傾斜が極端にきつく、腰が高く見える馬や、反対にほとんど水平に近い馬もいる。たとえば、背中の角度が極端に切れ上がった馬は、腹が巻き上がっていることや、背中が極端に短いために、そう見えることが多い。また、背中(腰)の角度が水平に近い馬は、後脚の発育が悪いために、そう見えることが多い。つまり、見た目に分かるくらいの馬は、馬体のどこかに不具合が生じているわけで、こういった馬はまず走らないと考えてよい。

それでは、実際に見てみたい。

■普通の背中(腰)の角度の馬
Pp06 引用元:競馬ブック
背中から腰にかけて、なだらかなスロープを描いている

■傾斜がきつい馬
Kositakai01 引用元:競馬ブック
腹が巻き上がっているせいもあるが、背中から腰への傾斜がきつく見える。
背中が短く、スタミナ不足を感じさせる。

■傾斜が水平に近い馬
Senakanadaraka01 引用元:競馬ブック
ほとんど水平に近い傾斜で、他馬と比べると腰が落ちているように見える。
推進力に欠けるのは否めない。

背中から腰の角度は、ほとんどの馬がなだらかなスロープを描いて上がっていくもので、各馬の個体差によって、わずかな角度の差が出るだけである。つまり、なめらかな角度であれば問題がなく、パッと見た瞬間に、傾斜がきつ過ぎる、または水平に近いと感じたならば、その馬に問題があるということになる。

馬体をシルエットとして観察する際に、ここまで説明してきた4点「胴体」、「脚の長さ」、「首の太さ、長さ」、「背中(腰)の角度」のバランスをチェックするのが、「バランス」の意味である。

つまり、馬体の「バランス」をチェックしながら、各馬の馬体の肉体的な特徴をシルエットとして掴むのである。馬1頭1頭の個性(個体の特徴)として、このバランスは異なっていて当然であり、たとえば胴体は長いのに脚は短い馬や、首が太くて、なおかつ長い馬もいるはずである。

また、同じ馬でも、その時々によって、馬体のバランスは異なってくる。前走では理想的な背中(腰)の角度を保っていた馬が、今回はなぜか腹が巻き上がったように傾斜がきつく見えるということもあるだろう。過去のシルエットを頭にインプットしておくことによって、その馬の今の状態を過去の状態と比較して把握することもできるのである

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第4回

Starcheck01

まずは、スター馬体チェック法☆1の「胴体」から順に説明していきたい。

よく言われることであるが、馬体が厚くて短い馬が短距離馬向き、薄くて長い馬が長距離向きであるという考え方は基本的には正しい。厚い薄いというのは、馬体(胴体)の幅のことであり、短い長いというのは馬の体長(胸から尻の先までの長さ)のことである。マッチョでズングリムックリしているのが短距離馬で、ヒョロっとしてスマートなのが長距離馬と言えば分かりやすいか。

もちろん、各馬には個体差があるので、短距離馬がみなマッチョでズングリムックリで、長距離馬がみなヒョロっとしてスマートということではない。距離適性には気性面の影響も大きいのだが、各馬の馬体(胴体)を総体的に見ると、そういう傾向があるということである。そのため、胴体を見れば、ある程度の距離適性は分かる。

分かりやすいように、かなり極端に表すが、典型的な短距離馬の胴体を平面で表すと(図1)、典型的な長距離馬の胴体を表すと(図2)のようになる。

Doutai

つまり、胴体を真横から見て、胴の短い馬だと思ったら短距離馬であり、長い馬だと思ったら長距離馬である。さらに、胴体を正面から見て、胴の幅が厚い馬だと思ったら短距離馬であり、薄い馬だと思ったら長距離馬である。

ひとつだけ問題なのは胴体の幅である。なぜなら、私たちは胴体を正面から見る機会になかなか恵まれないからである。ほとんどの立ち写真は、馬を真横から撮影したものであるし、競馬場のパドックでも、基本的には歩く馬を横から見るようになるからである。ゆえに、胴体を正面から見た幅を材料にして、各馬の距離適性を測ることはあまりない。パッと見た胴体の長さ(体長)を基に、どのくらいの距離を得意とするのかを見分けることになる。

それでは、実際に見てみよう。

■典型的な短距離馬の胴体
Taikeishort02 引用元:競馬ブック
胴体の幅が分厚そうで、体長(胸から尻の先まで)が短い。
マッチョでズングリムックリしている。

■典型的な長距離馬の胴体
Taikeilong01 引用元:競馬ブック
胴体の幅が薄そうで、体長(胸から尻の先まで)が長い。
ヒョロっとしてスマートである。


さて、確認してみよう。
これは短距離馬の胴体だろうか?それとも長距離馬の胴体だろうか?
Taikeishort03 引用元:競馬ブック
その通り!
コロンと胴が詰まっていて、正面から見ると、馬体の幅も相当にありそう。
いかにもスピードがありそうな短距離馬の胴体である。

それでは、こちらはどうだろうか?
Taikeilong02 引用元:競馬ブック
その通り!
胴に窮屈なところがなく、上の馬と比べると、拳(こぶし)2個分は馬体が長い。
フットワークが大きく、長い距離が合いそうな長距離馬の胴体である。

実に簡単である。これから何度も述べることになるが、パッと見た瞬間の印象でいいのである。パッと見た瞬間に、胴が短いな、詰まっているなと思ったら、短距離馬の胴体である。反対に、胴が長く、窮屈なところがないなと感じたら、長距離馬の胴体である。

どちらとも言えないのであれば、平均的な馬体の馬なのであろう。必ずしも、体型のみで短距離・長距離を見分けられるわけではなく、どっちつかずの体型の馬の方が圧倒的に多いのが実際である。そんな中で、パッと見て分かる体型なのであれば、その馬は典型的な短距離、もしくは長距離馬なのである。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第3回

第1回の冒頭で、馬を見る天才の“勘”の話をした。

その“勘”とは、「ある思考プロセスを経た無意識の評価」のことに他ならない

馬を見る天才にしてみれば、無意識で行っていることなので、ある思考プロセスを経ているという意識はないかもしれない。また、あまりにも一瞬で判断できるため、本人にとっては“勘”のようなものでしかないだろう。しかし、馬を見る天才も、必ずある思考プロセスを経て、馬体の評価を行っている。

その思考プロセスを真似ることによって、私たちは馬を見る天才と同じ馬の見方ができるようになるのである。馬を見る天才が無意識に行っている馬体評価の思考プロセスを借りてきて、意識的に馬体の評価をするという訓練を繰り返す。最初のうちは、ぎこちなさが伴い、判断ミスを犯すこともあるかもしれないが、次第に、あたかも自分の頭で考えているような感覚が芽生えてくるだろう。そして、いつの間にか、あなたも一瞬にして、馬の馬体を適切に評価することが無意識のうちに出来ているはずなのである。

馬を見る天才の思考プロセスとは、
実はわずか5つのポイントを辿って馬体を評価しているに過ぎない。

その5つのポイントを視覚的に意識しやすくするために、スター(☆)の形をとった「スター☆馬体チェック法」を私は考案してみた。馬を見る天才は、必ず以下の5つのポイントを無意識のうちにチェックしながら、その馬が走られる体調・状態にあるかどうかを選別して、馬券の予想に役立てているのである。

Starcheck

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第2回

まず初めに断っておかなければならないが、これからお伝えする馬の見方は、決して革新的なものでもなく、これまでの常識を覆すようなものでもない。しかし、他の馬体解説本と決定的に違うのは、「誰にでも分かり」、「すぐに実践できる」という点である。つまり、馬券に直結する馬体の見方だけを、できるだけシンプルに理解してもらえることを目的としている

というのも、巷に出回っている馬の見方に関する本の内容を、ほとんどの人は理解できないだろうという実感があるからだ。これまでたくさんの馬体解説本を読んできたが、私たち競馬ファンに分かるように書かれたものに一度も出会ったことがない。馬体については詳しく書いてあるが、馬体の見方については書かれていないのである。むしろ、馬体について知れば知るほど、馬を見ることが出来なくなっていくという皮肉に陥ってしまっているのが現状であろう。

たとえば、「飛節の角度が浅い直飛節や、深い曲飛節はよくない」と解説本には書いてあるが、実際に馬を見ても、飛節の角度の差は曖昧で見分けることは難しい。なぜなら、脚を付く位置によって、同じ馬でも直飛節にも見えたり、曲飛節にも見えたりするからだ。馬が静止している状態ならわずかに判別できる可能性はあるが、一旦動き出してしまうと、私たちにとって飛節の角度を測ることは至難の業となる。つまり、馬体解説本を読んだ時は分かったつもりになるが、実際にいざ馬を見てみると違いが分からないのである

Hisetu_1そして、飛節の角度を見分けることが、馬券につながることはほとんどない。大種牡馬サンデーサイレンスの飛節が曲がっている話は有名だが、その特徴は少なからずとも産駒にも遺伝している。それでも、産駒がバンバン走ったことは周知の事実であり、あのサイレンススズカでさえも飛節は曲がっていた。飛節が曲がっていても走る馬は走るのであり、はっきり言ってしまうと、私たちが馬を見る時に飛節の曲がりなどに注目する必要はないということになる。つまり、馬がレースで走るか走らないかに直結しない知識があまりにも多すぎて、私たちは余計に混乱してしまうのである

また、専門用語が多すぎるのも問題である。たとえば、“飛節”、“臀部”、“腰角”、“前胸”など、どこを指しているか曖昧であり、もはや覚える気にもなれないだろう。馬の体を細かい部位に分けていくと、それぞれの名称が出てきて当然だが、馬券を買う私たちがそこまで知っておく必要はない。肩とか尻とか目とか、そういうレベルで十分なのである。むしろ各部位に分けて馬を見ることは弊害になる(この理由は最後に分かる)。だからこそ、私は専門用語をあえて使わず、なるべく誰にでも分かるような言葉で説明していくつもりである。

馬体について語ることは専門家の特権であるし、私はそれを奪うつもりはない。

しかし、このままでは、馬を見ることがますます難しくなってしまう。

馬を見ることは、決して難しいことではないのだ。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬を見る天才になる!」第1回

馬を見る天才は、一瞬にして、
その馬が走るかどうかを見分けることができる。

「なぜそう簡単に見分けられるのか?」

と彼に尋ねると、彼はこう答えるだろう。

「勘だよ、勘」

その“勘”の正体とは一体なんだろうか?

(次回へ続く→)

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」特別編

Longchamp
■ロンシャン競馬場2400m
スタート地点から400mはほぼ平坦であるが、そこから残り1400m地点である3コーナーまで、なんと標高10mの上り坂が1000mも続く。最高地点まで上ると、そこからは一気に下り、残り880m地点である4コーナーから最後の直線に向いてゴールするまでは平坦である。

3コーナーはスパイラルカーブだが、4コーナーはほとんど直線と言ってもよいくらいの複合カーブである。3コーナーから4コーナーの中間にある、最後の直線と見間違えてしまうほどのフォルスストレート(偽りの直線)を入れると、最後の直線が異常に長く、騎手にとってはかえって仕掛けどころが難しい。凱旋門賞に出走してくるレベルの馬なので、なかなか前も止まらないが、コースの特性だけを見れば、力のある馬であれば後ろから行っても十分に差し切ることが出来る。

「ロンシャン競馬場の最大の特徴は、やはり高低差10mという「アップダウンの激しさ」である。日本で最も高低差のある中山競馬場でも、わずか5.3mのアップダウンでしかないことを考えると、まるで山と丘ほどの大きな違いがある。たとえ同じ距離でも、アップダウンがこれだけ異なれば、要求されるスタミナは全くといってよいほど違ってくる。私たちの2400mという距離感覚以上のスタミナが、ディープインパクトに要求されることは間違いない。

馬場もまた、日本の競馬場とは別物である。深くて重い芝は、雨が降ろうものなら、あっという間に極重馬場に変身する。なぜかこの時期は雨が降って馬場が悪くなりやすく、ここ10年で6回は稍重~不良馬場でレースが行われている。特に重かったのが、エルコンドルパサーが敗れた1999年で、なんと2分38秒5というタイムで決着している。あの重い馬場で、モンジューを苦しめたエルコンドルパサーの強さは計り知れない。

ロンシャン競馬場の2400mで行われる凱旋門賞では、パワーとスタミナと底力、そして何よりも我慢強さが求められる。ヤワな馬は次々と脱落していく、サバイバルレースとなるのだ。あのディープインパクトをしても、これまでに体験したことのない、激しく厳しいレースに驚くに違いない。想像を絶するほどのタフなレースを強いられたディープインパクトは、果たしてゴール前の最後の一完歩を踏み出すことが出来るだろうか。

(終わり)

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」おまけ④

■阪神競馬場
阪神の芝が重たいとされる原因は、もちろん路盤の砂質や洋芝もそうなのだが、コース幅が狭く、内回り外回りコースがないために、どうしても芝が過酷な使用条件にさらされてしまうということが大きい。それに加え、最も芝が発育する夏の養生期間が短いことも原因のひとつである。様々な工夫が施されては入るが、他の競馬場と比べて、どうしても力の要る馬場になってしまうことは否めない。2006年の改修工事によって外回り内回りが出来ることにより、最も芝が荒れやすい3~4コーナー部分の傷みは多少なりとも軽減されることを期待したい。

3コーナーから徐々に下って、ゴール前で1.8mの登り坂があるのだが、それ以外はほとんど平坦であり、全体的に見てもアップダウンをあまり気にしなくてよい競馬場である。1~2コーナーはスパイラルカーブであるが、3~4コーナーは複合カーブでスピードが出やすい。また、ポケットから発走のトリッキーなコース設定が多かったが、今年の改修工事によって外回り内回りが出来ることにより、実力の反映されやすいコースへと変わるのではないか

また、改修後は内回りで5m、外回りで122mもゴール前の直線が長くなる予定である。外回りの直線の長さは、京都競馬場の外回りのそれを上回り、最後の直線はごまかしの利かない底力勝負のレースが増えるに違いない。

コース全体図を見る→

(特別編へ→)

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」おまけ③

■京都競馬場
京都競馬場は全周のコース幅が35mと均一であるために、仮柵の移動幅を12mも取ることができる。さらに、Aコース→Bコース→Cコース→Dコースと内から順にローテーションしていくことができ、グリーンベルトができてトラックバイアスが生まれる余地が全くない。しかも、それぞれのコースは1年に1回しか使われないため、芝の根付き、耐久性、速さの面では、間違いなく日本一の競馬場である。芝の状態という面だけであれば、最もフェアな競馬場ともいえる。

1~2コーナーは同じくスパイラルカーブであるが、内回りの3~4コーナーはスパイラルカーブで、外回りの3~4コーナーは複合カーブと形状が異なる。同じ距離で2つのコースがある場合は、スピードの出る外回りを上級条件のために、回りやすい内回りを下級条件で使用する。内回りよりも外回りの方が、実力が正直に反映されるフェアなコースである。

コースが全体はほぼ平坦で、3コーナーに丘がある。そのため、実質的には3コーナーの下り坂からペースは速くなり、およそ800mを目一杯走ってゴールまで流れ込む競馬になる。ゴール前に坂がないことも手伝って、ラスト800mは驚くほど速い上がりになる。

外回りコースの場合、4コーナーの出口で内回りコースと合流するため、そこで内がぽっかりと開くことになる。そのため、直線で馬群に包まれたり、行き場を失ってしまう不利が少ない。脚が残ってさえいれば、内を突いても必ずや抜け出してこれるコースである。

コース全体図を見る→

(おまけ④へ→)

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」おまけ②

■中山競馬場
日本の競馬場で、最も高低差の大きなコースである。ゴール前の直線入り口が最も低く、1コーナーから2コーナーの丘部分が一番高い。ホームストレッチで丘を上がり、それ以降は下りが続く。芝のマイル以下のレースでは、スタートから下りが続く高速コースとなる。逆に1800m以上のコースでは、丸ごと丘を越えなければならない。ゴール前200mの地点にある急坂があり、力のない馬は最終的に振り落とされる。

内回りコースと外回りコースによって、コーナーの設定が異なる。内回りコースでは全てのコーナーがスパイラルカーブであるが、外回りコースでは2コーナーと3コーナーが複合カーブとなる。レースが内回りで行われるか、外回りで行われるかによって、勝ち馬に求められるものも違ってくるので注意が必要である

コースの幅が広くないため、移動柵を13m幅で動かせる東京競馬場と違い、中山競馬場は最大でも6m幅でしか動かせない。たとえ内回りと外回りコースを使い分けても、3~4コーナーの芝はどうしても荒れてしまうことは避けられない。オーバーシード芝に完全移行したことにより、以前ほど芝が悪くなることはなくなったが、それでも春開催の最終日に行われる皐月賞では、重くて力の要る馬場になることが多い

コース全体図を見る→

(おまけ③へ→)

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」おまけ①

■東京競馬場
東京競馬場では国際レースが多く行われ、国賓も来るので、芝が剥げたり、馬場が傷んでいたりというみっともないことは許されない。また、日本では、格式の高い春と秋の天皇賞、ジャパンカップ、ダービーが行われる時期の東京と京都の芝を最高の状態に保つように開催が組まれている。そのため、梅雨や秋雨の時期を避け、広い幅員(コース幅)を利用してマメにコースをローテーションしているからこそ、年間を通じて、芝コースの状態が極端に悪くなるということはまずない

最大の特徴は、東京競馬場は日本で最大の競馬場であるということだ。ゴール前の直線は525mと最も長く、さらに全てのコーナーが複合カーブであるため、スピードが落ちることがなく、息の入りづらい流れになりやすい。さらに、向こう正面直線の後半部とゴール前に2つの坂があり、たとえマイル戦であっても2回の坂越えをしなければならない。息の入らない流れで坂を2度越えるという、非常にタフなコースである。東京競馬場では、距離の字ヅラ以上にスタミナが問われるのは、ここに原因がある。

2003年の改修工事の際に、芝コースの内側に排水溝を通し、特に水はけの悪いところにはコースを横断する配水管を地面の下に埋めた。これにより、少々の雨が降ろうが馬場が重くならないようになった。ただし、内側からコースが乾いていくため、雨の降り方によっては、内側のコースだけが走りやすいというトラックバイアスが顕著に表れてしまうことにも注目したい

コース全体図を見る→

(おまけ②へ→)

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」最終回

Course15

ここまで読んでくれた方はお分かりいただけたと思うが、「7つの仕掛け」とは、つまり、“レースにどれだけ紛れを生じさせるか”という演出に他ならない。全てのレースが直線だけのコースで行われるとすれば、ほとんどのレースにおいて実力のある強い馬が勝ってしまうところを、コースに施された様々な仕掛けによってレースに紛れが生じ、あっと驚く結末が演出されるのである。

つまり、これら「7つの仕掛け」を読み解くことによって、強い馬が力を出し切ることが出来るコース設定かどうかを、大まかに把握することができるのである。もっと分かりやすく言えば、このコース設定で行われるレースが、実力通り順当に収まりやすいのか、それとも波乱の舞台となってしまうのかを、ある程度の精度で予測することができるということである。もちろん、コース設定だけで本命が来たり、穴が出たりするわけではないが、実力通り順当に収まりやすいコース設定で、大穴を狙うのはあまりにも分が悪く、反対に、波乱の舞台となりやすいコース設定のレースで、ガチガチの本命馬に大金を賭けるのはリスクが大きい。

そして、なんと言っても、「7つの仕掛け」からコース設定を把握することの最大の利点は、コース設定は状況によって移り変わることがないということである。たとえば菊花賞というレースにおいて、毎年出走してくる馬や騎手は異なるが、京都3000mというコース設定だけは不変である。もちろん、コースの改修によって違う競馬場で行われたりすることも稀にあるが、ほとんどの年においては、コース設定は不変である。また、たとえば馬場状態のように、日々刻々と変化していくものでもない。

だからこそ、レースを予想する上での大前提の要素として、安心して組み入れることが出来るのである。レース前にあらかじめ分かっている数少ない不変の要素だけに、予想の参考にしない手はない。コースを知らなければ、私たちは競馬について考え始めることすらできないのである。

(おまけ①へ→)

Photo by fake Place

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第13回

Course14

競馬場のコースを構成する「7つの仕掛け」を、もう一度振り返ってみたい。

①回り(右回り、左回り)
サラブレッドは、右回りでも左回りでも、どちらかの手前だけを使って走るわけではなく、基本的にはどちらの手前もバランス良く使って走ることになる。ほとんどの馬にとっては、コースが右回りか左回りかということはそれほど競走成績には影響がない。実際のレースを想定して予想をする上では、左回りか右回りかはほとんど気にする必要はないだろう。

もし明らかに左右どちらかの回りで走らないといったことがあるとすれば、それは利き脚の問題ではなく、コースの幅やコーナーの角度に理由を求めたほうがよい。
【詳しく知りたい方はこちら→】

②コースの広さ(幅)
コースの幅が狭くなればなるほど、レースがゴチャつきやすく、紛れが多くなる。逆に、コースの幅が広ければ広いほど、紛れがそれだけ少なくなる。

また、コース幅が狭いことによって、内を通った馬は伸びて、外を回された馬は失速してしまうというような、トラックバイアスが生まれやすいということになる。トラックバイアスが大きければ、それだけ紛れも多くなることはご存知の通りである。
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③大回り、小回り
同じ距離を走るにしても、途中のコーナーで一息つける小回り(スパイラルカーブ)のコースと、そうできない大回り(複合カーブ)のコースでは、要求されるスタミナが違ってくる。さらに、コーナーがきつければきついほど、それだけスピードを落として曲がらなければならず、コーナーのきつい(小回りの)コースではペースが落ち着きやすい。

また、コーナーがきつい(小回りである)ことによって、ペースのアップダウンが激しくなり、展開にも大きな乱れを与えることが多く、小回りのコースでは展開的な紛れが多々生じるという結果につながる。
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④コーナーの数
回らなければならないコーナーの数が多いほど、ペースのアップダウンが激しくなる。基本的には、コーナーの数の多さとレース全体のペースの速さは反比例する。回らねばならないコーナーがあればあるだけ、道中のアップダウンが激しくなり、その分、紛れが生じやすくなるのだ。
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⑤直線の長さ
最後の直線が長いコースほど、紛れが少ないコースであると言える。直線の長いコースでは最終的には力の勝負になる。脚を余して負けたりすることはなく、どの馬も最後まで力を出し切ることができるので、力の足りない馬が実力馬を出し抜くチャンスは限りなく少ない。

そして、直線もジワジワとしか伸びない馬にとっては、直線の長いコースの方がレースがしやすい。逆に、瞬発力は素晴らしいものを持っているが、良い脚が長続きしないという馬は直線の短いコースでその能力を存分に発揮できる。
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⑥坂があるか、平坦か
コースにおいて坂の高低差が大きいということは、直線が長いことと同じように、それだけコースが苛酷であることを意味する。そして、坂を駆け上るにはスタミナや精神的な強さだけではなく、物理的な力強さ(パワー)も要求される。腰の甘い馬(腰の力の弱い馬)は坂のあるコースを苦手とする。
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⑦1コーナーまでの距離
ポジション取りの際には、1コーナーまでの距離が大きな問題になってくる。

1コーナーまでの距離が短いコースでは、どうしても前にポジションを取りたいという馬が数頭いた場合、1コーナーまでの間に激しい先行争い(ポジション争い)が繰り広げられることになる。そのため、前半がハイペースになってしまったり、ポジション争いに巻き込まれて接触したりなどの不利を受けてしまう馬もいるだろう。

反対に、1コーナーまでの距離が長いコースでは、各馬比較的にゆっくりとポジション取りができるため、あわてて馬を急かせることなく前半を進めることが出来る。そうすると、前半のペースは自然とスローになる。

このように、1コーナーまでの距離は、どのようにレースが始まるかということをあらかじめ推測するための材料になる。
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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第12回

Course13

■コーナーを回る競走の原理原則
ここまで、競馬場のコースを構成する「7つの仕掛け」について説明してきたが、最後にコースと密接な関係にある「枠順」についての基本的な考え方を示しておきたい。

コーナーを回る競走の原理原則は、「基本的には内枠が有利である」ということである。走るコースが限定されていない、スタート直後からオープントラックのコースでは、外から切り込まなければならない外枠が不利になるのは当然のことである。

特に地方競馬では内枠有利は定説となっているが、これはスタートしてから1コーナーまでの距離が極端に短いからである。1コーナーまでの距離が短いとそれだけポジション争いは激しくなり、外枠の馬にとっては不利になってしまう。地方競馬ほどでないにしても、内枠と外枠の違いを意識しなければならないことは中央競馬でも同じである。

内枠が有利な理由としては、良い位置を取るためのロスが少ないことと、距離に無駄のない経済コースを通って走ることができるからである。外枠は先行して良いポジションを取るための距離ロスが多く、もし内にコースを取れなかった場合には、レース中、終始外々を回らなければならず、内を通った馬と比較すると、かなりの余分な距離を走ることになってしまう。

■内枠・外枠の不利な点 
このように「基本的には内枠が有利」なのだが、場合によっては内枠であることによって不利になってしまうこともある。以下に内枠・外枠が不利になる場合をそれぞれ整理して挙げておきたい。

内枠が不利になる場合  
・包まれてしまって能力を発揮できない  
・他馬を気にする馬が馬込みで走らなければならない  
・他馬の出方を見ることが困難   
・外から寄られて不利を受け易い

外枠が不利になる場合  
・外々を回らされて距離ロスをしてしまう  
・引っ掛かる馬、素直過ぎる馬が前に馬で壁を作ることが出来ずに折り合いを欠いてしまう  
・1コーナーまでの進入で無駄な力を費やさなければならない  
・スタンド前では観客に近い所を通らなければならない  
・内側の仮柵が外された時期に、芝の状態の良い部分(グリーンベルト)を通れない  

ここに挙げた不利な点の裏返しが有利な点であり、内枠・外枠それぞれに一長一短があることをお分かりいただけたと思う。つまり、「基本的には内枠が有利である」ことに間違いはないのだが、外枠・内枠共にメリット・デメリットを併せ持ち、まるでコインの裏表のようにレースの綾を織りなしていくのである。

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第11回

Course12

■仕掛け⑦「1コーナーまでの距離」 
スタートから1コーナーまでの距離によって、全体の展開は大きく変わってくる。

まず、スタートして1コーナーに向かうまでの間に、レースにおけるポジション争いが行われる。1コーナーを回り2コーナーにかかるまでには、各馬の位置取りは決まり、レースはひとまず落ち着くため、ポジション取りの際には1コーナーまでの距離が大きな問題になってくるのである

1コーナーまでの距離が短いコースでは、どうしても前にポジションを取りたいという馬が数頭いた場合、1コーナーまでの間に激しい先行争い(ポジション争い)が繰り広げられることになる。そのため、前半がハイペースになってしまったり、ポジション争いに巻き込まれて接触したりなどの不利を受けてしまう馬もいるだろう。反対に、1コーナーまでの距離が長いコースでは、各馬比較的にゆっくりとポジション取りができるため、あわてて馬を急かせることなく前半を進めることが出来る。そうすると、前半のペースは自然とスローになる。

しかし、この考え方には可逆性があって、あまりにも1コーナーまでの距離が長いと、ひとまず息を入れるまでの距離が長いことや、先行馬が気分良く行き過ぎてしまうことによって、意外とハイペースになってしまうこともある。もちろん、展開というものはメンバーや枠順などの他の様々な要素にも影響を受けるため、1コーナーまでの距離だけでペースが決まるということはないが、どのようにレースが始まるかということをあらかじめ推測するための材料にはなるであろう。  

1コーナーまでの距離についてもう1つ頭に入れておくべきなのは、1コーナーまでの距離が短いコースにおける、枠順による有利不利の問題である。フルゲートなどの場合、1コーナーまでの距離が短いと、外枠に入った馬は、内枠に入った馬と比べて、1コーナーまでのポジション取りのためにどうしても余計な力を使わざるを得なくなってしまう。

特に先行したい馬にとっては、1コーナーまでの距離が短いコースで外枠を引いてしまうと、多少無理をしてでも行かないと、最後まで自分の競馬ができないまま終わってしまうことになりかねない。このことからも、1コーナーまでの距離が短いコースにおいては、「枠順」の有利不利(内枠と外枠の差)という要素が極めて重要になってくるのだ

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第10回

Course11

■仕掛け⑥「坂、平坦」
次に、坂のあるコースと、そうでないコースの違いに話を移そう。ここでは、4コーナーを回って最後の直線において高低差が1メートル以上あるコースを、坂のあるコースと定義する。そうすると、京都競馬場は、3コーナーに向かうまでに急勾配な坂があるが、直線はほぼ平坦であるため平坦コースということになる。

コースにおいて坂の高低差が大きいということは、直線が長いことと同じように、それだけコースが苛酷であることを意味する。同じ1600mという距離を走るのでも、坂を登ったり下ったりするコースと、真っ平らでそのままのコースでは要求されるタフさが違う。スタミナが豊富であると同時に、精神的にも強くなくてはならないだろう。  

さらに、坂を駆け上るにはスタミナや精神的な強さだけではなく、物理的な力強さ(パワー)も要求される。車で坂道を登ることを考えてもらえれば分かりやすいが、車で坂道を登る時に、私たちは必ずアクセルを力強く踏み込むはずである。それと同じように、馬も坂を登るときにはグッと全身に力を入れて走らなければならない。さらに厳密に言うと、後脚に力を入れて登らなくてはならない。坂を上るには腰から後の筋肉が発達していなければならないのである。よって、腰の甘い馬(腰の力の弱い馬)は坂のあるコースを苦手とする

また、牝馬は総じて牡馬よりも力が弱いので、坂のあるコースよりも平坦コースの方がより実力を発揮できることになる。牝馬は夏に強いという定説は、牝馬の方が牡馬よりも暑さに強いというよりも、夏競馬になり、直線に坂のないローカル競馬場に開催が移って、非力な牝馬が平坦コースで力を発揮するという意味に解釈するべきである

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第9回

Course10_1

■仕掛け⑤「直線の長さ」
直線の長さは、実力を発揮することが出来るコースかどうかを判断する物差しのひとつになる。最後の直線が長いコースほど、紛れが少ないコースであると言える。レースにおける勝負所である、最後の直線が長いということは、すなわち、ごまかしが利かないコースであるということを意味する。直線が短いコースでは、道中の位置取り、コーナーワーク、仕掛けるポイント等によって馬の能力の低さをカバーすることが可能であるが、直線の長いコースでは最終的には力の勝負になってしまうのである脚を余して負けたりすることはなく、どの馬も最後まで力を出し切ることができるので、力の足りない馬が実力馬を出し抜くチャンスは限りなく少ない

また、馬の特性も大きく関わってくるだろう。例えば、勝負所で騎手のゴーサインの合図に瞬時に反応することが出来ず、直線もジワジワとしか伸びない馬にとっては、直線の長いコースの方がレースがしやすい。逆に、瞬発力は素晴らしいものを持っているが、良い脚が長続きしないという馬は直線の短いコースでその能力を存分に発揮できる。このように、直線の長さよって、馬の特性が生きてくるかどうかも判断することも可能である。  

馬の脚質においては、直線が長い方が差し馬にとって有利で、短いと先行馬にとって有利であるという考え方もあるが、必ずしもそうとは言えない。一見、直線が長いほうが差し馬にとっては有利に働きそうだが、逆に、直線が長いことを意識して騎手が余裕を持ちすぎるため、スローペースになり、先行馬にとって有利になってしまうこともある。その逆もまた然りである。よって、直線の長さと馬の脚質の関係については、予想をする上ではあまり意識する必要はないだろう。


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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第8回

Course09_1■仕掛け④「コーナーの数」
コーナーの数は、レースの流れ(緩急)に大きな影響を与える。同じ競馬場でも、使用されるコースによって、コーナーの数は違ってくる。たとえば、東京競馬場を例に取ると、1600mのレースだと2つ、2000mだと3つ、2400mだと4つコーナーを回る設定になっている。有馬記念が行われる中山競馬場の2500mではなんと6つもコーナーを回らなければならない。

回らなければならないコーナーの数が、レースの流れにどういった影響を与えるかというと、数が多いほどペースのアップダウンが激しくなるということになる。「大回り、小回り」のところでも触れたように、必ずコーナーでは多少のスピードダウンをしなければならないため、コーナーが多ければ多いほど、道中で一息入れてペースダウンする場所が増えるということになる。そうすると、自然と全体のペースも落ち着いてしまうことが多く、基本的にはコーナーの数の多さとレース全体のペースの速さは反比例するのである

このことが分かれば、暮れのグランプリ有馬記念が荒れやすいことには納得がいくだろう。コーナーが6つもあるということは、それだけペースが落ちる場面があり、極端に遅い流れになってしまったり、また逆に、ペースが急激に上がったりと、展開のアップダウンが激しくなることがあるということである。この連載の冒頭で、コーナーのない直線だけのレースは力どおりの決着になりやすいと述べたが、つまりはこういうことである。回らねばならないコーナーがあればあるだけ、道中のアップダウンが激しくなり、その分、紛れが生じやすくなるのだ。

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第7回

Course08_1

■コーナーリングが上手くない
コーナーを回るのが上手くない馬も、小回りコースを苦手とする。
どの馬にとっても、スピードを落とさないようにコーナーを回ることは難しいのだが、明らかにコーナーリングが下手な馬は、特にコーナーの進入角度がきつい小回りコースでは、その都度、余分な減速をしなければならず、リズムを崩してしまうことにつながる。いくらスピードやスタミナを豊富に備えていたとしても、コーナーを回るたびに極端な減速をしていては、その能力を十分に発揮することは難しい。  

コーナーを回ることが不得手な大型馬の代表として、アグネスワールドが挙げられる。この馬はイギリスとフランスのG1レースを制したにも関わらず、結局日本のG1レースでは2着が精一杯であった。アグネスワールドは、短距離のレースにおいては相当な能力を持っていて、スピードの絶対値という面においては歴史的名馬と比較しても遜色ない。

それでは、なぜこれほどの名馬が、日本のG1レースの勲章をひとつも獲得できなかったかというと、コーナーリングが上手くなかったことが大きな原因なのである。だからこそ、コーナーのない直線だけのコースで行われる海外のスプリントレースにおいては、持てる力を最大限に発揮し活躍することが出来たのである。馬の個性を的確に把握して、直線レースのG1レースがある海外に連れて行った森調教師も素晴らしいが、その反面、アグネスワールドほどの十分過ぎるほどのスピード能力を備えていたとしても、コース設定によっては、その能力を発揮することが出来ないということも起こり得る。G1レースという舞台では、ほんの少しのマイナス材料のために勝ち切れないということが往々にしてあるのだ。

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第6回

Course07

■大跳びの馬 
コーナーがきつい(小回りである)ことによって、能力を発揮できない馬もいる。大跳びの馬、もしくはコーナーを曲がるのが上手くない馬にとっては、コーナーが少なく、緩やかなコースの方がレースをしやすい。大跳びの馬というのは、フットワーク、つまり1歩1歩のストライドが大きく、小脚が使えなかったり、不器用だったりする馬のことである。この反対が、ピッチ走法で走る馬と考えてもらえれば分かり易いだろう。手脚を伸ばして、綺麗なフットワークで走る、その長所がコーナーのきついコースでは逆に仇となってしまうのである。

もちろん、跳びが大きいからといって小回りコースで全く能力を発揮できないということではないが、大跳びの馬は、幅が広く、コーナーも緩やかなコースの方がノビノビと走り、より能力を発揮することができる東京競馬場のような広いコースは、大跳びの馬にとってはプラス材料になるのである

平成12年のダービーを制したアグネスフライトは、器用な脚が使えないタイプであった。小脚(ピッチ走法)をうまく使えないタイプと言い換えてもよい。そのため、全体の流れに上手く乗って好位を進むことができず、幅が狭くコーナーもきついコースではあまり上手く立ち回ることができない。ダービー直前のレース、京都新聞杯(京都2000m内回り)では3~4コーナーにかけて道中追っつけ通しでなんとか勝利したが、次走のダービーではさらにペースが上がることを考えると、いささか不安の残る前哨戦であった。

しかし、本番のダービーでは道中も楽に追走し、4コーナーでの手応えも抜群で、最後は東京競馬場の長い直線を味方にして、皐月賞馬のエアシャカールを差し切ったのだ。もちろんエアシャカールの体調が万全ではなかったことや、アグネスフライトの持っている能力が優れていたことは言うまでもないが、東京競馬場の2400mという広いコースによって、アグネスフライトの能力が最大限に発揮されたのである。

もしダービーが小回りの小倉競馬場2400mで行われていたとしたら、違った馬がダービー馬の称号を得ていたかも知れない器用な脚が使えないタイプのアグネスフライトにとって、東京競馬場の広々としたコースがプラス材料になったことは間違いない

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第5回

Course06

■仕掛け③「大回り、小回り」
大回り、小回りとは2種類のカーブ、「複合カーブ」と「スパイラルカーブ」のことである。

Hukugoucurve_1大回りの「複合カーブ」とは、直線が集まってそれが全体としてカーブになっているものと考えてほしい(右図は分かりやすくしたもの)。直線で構成されているため、複合カーブではあまりスピードを落とさなくてもコーナーを回ることができるその反面、コーナーでスピードを落とすことが出来ないため、競走馬にとっては息を入れることが難しくなる


Spiralcurve_1小回りの「スパイラルカーブ」とは、円のように回っていくカーブである(右図参照)。スパイラルカーブで外に振られないように回るためには、どうしてもスピードを落とさざるを得ないスピードを落としながら回るため、競走馬はコーナーで息を入れることができる

つまり、同じ距離を走るにしても、途中のコーナーで一息つける小回り(スパイラルカーブ)のコースと、そうできない大回り(複合カーブ)のコースでは要求されるスタミナが違ってくる。すべてのコーナーが「複合カーブ」である東京競馬場が、タフなコースであると言われるゆえんはここにある。

■コーナーがきついとペースのアップダウンが激しくなる
コーナーが大回り(複合カーブ)か、小回り(スパイラルカーブ)によって、展開が大きく影響されることがある。人間でも同じことなのだが、馬もコーナーを曲がる時には、必ずスピードを落としながら曲がる。そうでないと、どこに吹っ飛んで行ってしまうか分からないからである。

かつてサクラエイコウオーという馬がいたが、この馬は新馬戦で抜群の手応えで4コーナーを回りながら、コーナーを回りきれずに逸走(正規のコースから外れてしまうこと)してしまったのだ。後には重賞を勝つほどの馬であったが、あれほどの勢いでコーナーから飛んで行ってしまった馬を後にも先にも私は見たことがない。

話を元に戻すと、コーナーがきつければきついほど、それだけスピードを落として曲がらなければならないため、コーナーのきつい(小回りの)コースでは、ペースが落ち着きやすいことになる。しかし、一概にコーナーがきついと全体のペースが緩くなってしまうかというと、必ずしもそうとは言えない。なぜなら、小回りのためコーナーでペースが落ち着きやすく、先行している馬に有利な流れになることを騎手が意識しすぎることがあるからである。そのため、焦って普段より早く仕掛けてしまうことによって、結果的にペースが速くなってしまうこともあるのだ。

いずれにせよ、コーナーがきつい(小回りである)ことによって、ペースのアップダウンが激しくなり、展開にも大きな乱れを与えることが少なくなく、小回りのコースでは展開的な紛れが多くなるという結果につながる

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第4回

Course05

■仕掛け②コースの広さ
「コースの広さ」 コースの広さとは、コースの幅のことである。以下に、中京競馬場を含むG1レースが開催される5場の、芝コースの最大の幅員(最もコースを広く使ったときの幅)を挙げておく。

東京競馬場中山競馬場京都競馬場阪神競馬場中京競馬場
41m 32m 35m 25m 28m

コースの幅がレースにどういった影響を与えるかというと、幅が狭くなればなるほど、レースがゴチャつきやすく紛れが多くなり、コースの幅が広ければ広いほど、紛れがそれだけ少なくなる。

コースの幅が狭いと、各馬の間隔も狭くなり、横にいる馬にぶつかられたり、前をカットされたりなど様々なアクシデントに遭遇する可能性が高くなる。また、馬にとっても、幅の狭いコースで走ることはストレスになる。

その反対に、幅の広いコースでは、思わぬ不利を被ることも少なく、各馬のびのびと走ることができるため、持っている能力を発揮しやすい。コースの幅が広ければ広いほど、紛れがそれだけ少なくなるのは当然である。

さらに、コース幅が狭いと、移動柵を大きく使って、芝の養生スペースを取ることができない。たとえば、最大幅員が25mの阪神競馬場の場合(下図参照)、16頭立てのレースに必要な19~20mの幅員を確保するには、わずか5mの養生スペースを取ることしか出来ない。

Souro(阪神競馬場)

そうすると、たとえばCコースからAコースへと替わった時には、内の5mがグリーンベルトで、外の20mが荒れ馬場ということになってしまう。コース幅が広い東京競馬場や京都競馬場であれば、C、DコースからAコースへと替わった場合、芝コース全体が良馬場に替わる。つまり、コース幅が狭いことによって、内を通った馬は伸びて、外を回された馬は失速してしまうというような、トラックバイアスが生まれやすいということになる。そして、トラックバイアスが大きければ、それだけ紛れも多くなることはご存知の通りである

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第3回

Course03

■仕掛け①「左回り、右回り」
左回り(半時計まわり)と右回り(時計回り)では、実際のレースにおいてどのような違いが生じるのであろうか。

人間は足を交互に前に動かすことによって走ることが出来るが、4本足の馬は左右どちらか2本の脚を軸にして走らなければならない。左脚を軸にする走り方を「左手前」、その逆を「右手前」と呼ぶ。左回りだと「左手前」で、右回りだと「右手前」でコーナーを回るが、実際のレースではスタートからゴールまでずっと一方の手前で走り切ってしまうことはまずない。片一方の脚だけを軸にして走っていると当然負担がそちら側だけに掛かってしまうため、コーナーを回りながら騎手が意識的に手前を変えさせたり、馬が苦しくなって道中で手前を変えてしまったりするからである。

道中を「左手前」で走れば、直線では「右手前」、道中が「右手前」であれば、直線では「左手前」で走ることになる。たとえば、「左手前」で走るのが得意な馬がいるとすると、左回りのコースでは、道中は得意の「左手前」で進むことができるが、直線では「右手前」で走ることになる。「左回りの方が行きっぷりがいい」ということは“左手前で走る方が右手前で走るよりも得意である”ということを意味する。

しかし、たとえ道中の行きっぷりがいいとしても、不得意な「右手前」で走る直線での伸びがいいかどうかは別問題である。結局のところ、右回りでも左回りでも、どちらかの手前だけを使って走るわけではなく、基本的にはどちらの手前もバランス良く使って走ることになるのである。

■グラスワンダーは左回りが苦手ではなかった
グラスワンダーは、2歳時にG1朝日杯フューチュリティーS(当時の朝日杯3歳S)を勝利した。その後骨折してしまい、10ヶ月に及ぶ休養後、毎日王冠で復帰し5着。次走のアルゼンチン共和国杯では、6着に敗れてしまった。しかし、休養後3戦目の有馬記念で見事に復活し、その頃から、左回りは苦手で右回りに強いと言われるようになった。

安田記念でエアジハードの2着に敗れた時にも、左回りの東京競馬場が敗因のひとつに挙げられた。しかし、この馬の場合、たまたま敗れたレースが左回りの東京競馬場であったということで、断じて左回りを苦手としていたということではない。 実際にグラスワンダーは2歳時に左回りの東京競馬場で強い勝ち方をしているし、4歳時の京王杯SCにしてもまた然りである。さらに5歳時には、得意であるはずの右回りの日経賞、宝塚記念を惨敗している。 このことからも、グラスワンダーは右回りが得意で、左回りが苦手という説にはなんの根拠もないことが分かる。東京競馬場で負けたレースには他の原因があったと考えるべきで、左回り、右回りはこの馬の走る能力にほとんど影響を及ぼしてはいなかったのである。

Course04

■左回り、右回りは競走成績に影響を与えない
グラスワンダーの例からも分かるように、この馬は右利きであるとか、左利きであるという認識は専門家による恣意的なものであって、実際の競走においてはそれほど意味を持たない。もし明らかに左右どちらかの回りで走らないといったことがあるとすれば、それは利き脚の問題ではなく、後に詳しく述べるコースの幅やコーナーの角度が関係しているのではないだろうか。たとえば中山競馬場では走るのに東京競馬場では走らないといった馬のケースでは、それは左回り、右回りが原因ではなく、コースが大回りか小回りかいうことに理由を求めた方が良いかもしれない。

つまり、ほとんどの馬にとっては、コースが右回りか左回りかということはそれほど競走成績には影響がない。最も分かりやすい違いなので仕掛け①として挙げたが、実際のレースを想定して予想をする上では、左回りか右回りかはほとんど気にする必要はないだろう。

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第2回

Course02_2■「7つの仕掛け」
現在、JRA(日本中央競馬会)には10の競馬場が存在する。そして、ひとつの競馬場の中でも芝、ダートのコースがあり、芝・ダートコースの中でも、距離によってスタート地点が異なるため、どれひとつとして同じ設定・性格のコースはない。

そういった考えのもとJRA(日本中央競馬会)の全競馬場のコース設定を合計すると、約110という数字が出てくる。もちろん全てのコース設定・性格について精通しておくに越したことはないが、約110ものコース設定・性格を把握しておくのは難しいだろう。

しかし、競馬場のコースは、実は「7つの仕掛け」によって構成されている。つまり、「7つの仕掛け」さえ知っておけば、いつ、どこでも、たとえ海外の競馬場に遊びに行った時でも、そのコースの設定・性格について把握することができ、予想をする上でのひとつの大切な要素として加えることが出来るようになる

「7つの仕掛け」とは以下のとおりである。
①回り(右回り、左回り)
②コースの広さ(幅)
③大回り、小回り
④コーナーの数
⑤直線の長さ
⑥坂があるか、平坦か
⑦1コーナーまでの距離

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集中連載:「サラブレッドはコースで演技する」第1回

Course01
■コースは舞台装置である
想像してみてほしい。

もし、全てのレースが、直線だけのコースで行われたらどうなるだろうか?

たとえば、2500mの有馬記念も、3200mの天皇賞春も、直線だけのコースで行うのである。思い浮かべるだけで、壮観な光景である。

どうなるかというと、有馬記念も天皇賞春も、どのレースでも、強い馬があっさりと勝ってしまうことになるだろう。直線だけのレースでは、展開、コース取り、コース適性などによる有利・不利がほとんど生まれないため、弱い馬が強い馬を出し抜くことが難しいからである。

いつも強い馬が勝ってばかりでは、馬券に対する私たちの興味は半減してしまうかもしれない。ある程度の紛れがあってこそ競馬は面白いし、そこにドラマが生まれるのであろう。つまり、どのようなドラマが演じられるのかは、どのようなコースで行われるのかと密接なつながりを持っていて、コースとは、競馬を演出してくれる数々の仕掛けが施された舞台装置なのである。

舞台装置を知らずして、演出されるレースを予想することは難しい。

そして、競馬というドラマをもっと楽しむためにも、私たちはコースについて知っておかなければならない。

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集中連載:「馬体重は語る」-最終回-

Umaweight04■馬体重は雄弁に語る
「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースにおいてではなく、レースの後になる」

もちろん、この原則はあくまでも原則であって、全てのケースに当てはまる訳ではない。馬体重の増減などおかまいなしの例外的な馬も存在するだろうし、<体調>が悪くても走ってしまう馬もいるだろう。馬は生き物であり、馬体重という数字だけで杓子定規的に<体調>を判断してはいけない。しかし、一方で、この原則を知らずして、馬体重から<体調>を読み取ることは出来ないこともまた事実なのである。

もし、馬の<体調>を読み取ることができれば、馬の気持ちも少しは理解できるようになるかもしれない。なぜあの馬は直線で走る気をなくしてしまったのか、なぜあんなに苦しがって引っ掛かってしまったのか、私たちの「なぜ?」に馬は直接答えてはくれないが、実は馬体重を通して多くの信号を送っているそれに気付くか気付かないかは、私たちがどのように馬体重を読み解くかにかかっているのである。馬体重が語っていることを解釈するのは私たちである。私たちが馬体重を注意深く観察すればするほど、馬体重は雄弁に語り始める。

(終わり)

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集中連載:「馬体重は語る」-第9回-

■ナリタブライアンの場合
具体的な例を挙げてみよう。平成6年の年度代表馬であるナリタブライアンは、同年に3冠を取った後、有馬記念で古馬を一蹴した。しかし、翌年の緒戦である阪神大章典を楽勝したものの、股関節炎を発症してしまい、約8ヶ月の休養を余儀無くされた。

Umaweight11_2休養明けの天皇賞秋では、前走比マイナス6kgの馬体重で登場した。8ヶ月ぶりのレースである上に、調教でもまだ本来の動きにはなかったが、やはりナリタブライアンの底力を信じたファンは多く、最終的には1番人気に支持されることになった。しかし、結果は12着と惨敗。その後もジャパンカップ、有馬記念と本来のナリタブライアンの姿を見ることは出来なかった。

ところが、年が明けた阪神大章典において、歴史的名勝負のひとつとされるあのマヤノトップガンとの叩きあいを制して、復帰後の初勝利を挙げたのだった。次のレースでは本格化したサクラローレルに負けてしまったが、ナリタブライアン自身の体調が戻ったのは、レース結果だけを見ても、平成8年の阪神大章典(正確に言うと平成7年の有馬記念以降)ということになる。このことは馬体重の増減の推移から読み解き、予測することが出来たのである。

平成7年    馬体重     着順 
阪神大章典   472kg    1着
<股関節炎のため8ヶ月休養>
天皇賞秋    466kg   12着  休み明けにもかかわらずマイナス体重で出走
ジャパンカップ 468kg    6着  まだ戻っていない
有馬記念    478kg    4着  馬体重が戻った!

平成8年    
阪神大章典   486kg    1着  復調!
天皇賞      478kg    2着

つまり、「馬体重が減る前の体重に戻ったとき、次のレースからは<体調>が戻ったと判断することができる」ことから、平成7年の阪神大章典の体重(472kg)に戻った時点で、その次のレースでナリタブライアンの調子も戻ると判断することが出来たのである。

このように、馬体重の見方が分かっていれば、少なくともジャパンカップと有馬記念ではナリタブライアンの調子は良くないと判断して馬券を買うことはないだろうし、阪神大章典においては自信を持って単勝を買うことができたのではないだろうか。

*昨年の有馬記念を制したハーツクライも、このパターンに当てはまるかも知れない。
興味のある方は、ぜひ馬体重を調べてみてください。

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集中連載:「馬体重は語る」-第8回-

Umaweight03_1■復調の判断
馬体重から読み取れる<体調>が悪くなる2つのパターンを示したが、その反対に、馬体重から<体調>が良くなってきた(戻ってきた)ことを確認できる方法がある。

その方法とは、「馬体重が大幅に減った前のレースの数字に戻った時、次のレースからは<体調>が戻ったと判断する」というものである。

気をつけるべき点としては、馬体重が戻ったレースではなく、その次のレースで初めて復調するということである。というのも、「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースにおいてではなく、レースの後になる」という原則があるからである。たとえ馬体重が戻ったとしても、当日のレースではなくその次のレース以降に影響が出るため、復調するのも次のレース以降になるのである。

■再びAという馬
最初に挙げたAという馬の例をもう一度思い出していただきたい。この馬は3戦目に馬体重が476kg→470kgへと急激に減り、その反動が4戦目に出てしまった。その後の戦績として、5戦目では476kgと馬体重を戻し、レースでは直線あとひと踏ん張りが足らず4着という結果。

ここで「馬体重が大幅に減った前のレースの数字に戻った時、次のレースからは<体調>が戻ったと判断する」に照らし合わせてみると、つまり体調が戻るのは6戦目以降ということになる。

果たせるかな、体調が戻った6戦目には、逃げ切ろうとする馬をなんとか捕らえて2勝目を手に入れたのである。このように、馬体重が大幅に減少する前の体重(476kg)に戻った次のレース(6戦目)から、調子が戻ると判断することができる。

馬体重    着順
2戦目    476kg   2着
3戦目    470kg   1着  急激に減った
4戦目    474kg   8着  まだ戻っていない
5戦目    476kg   4着  馬体重が戻った!
6戦目    480kg   1着  復調!


(次回へ続く→)

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集中連載:「馬体重は語る」-第7回-

Umaweight10
■休み明けのレースをマイナス体重で走った後
②の休み明けのレースをマイナス体重で走った後というのは、休養前に走ったレースにおける体重よりも、休み明け初戦における体重が減っている場合である

休養に入る前には数戦のレースをこなしているため、馬体重も絞れて、ベスト体重の範囲にあることが多い。究極の仕上げを施された後、疲れが出たため、放牧に出されることも少なくないだろう。そういった最も仕上がった状態の馬体重よりも、放牧をされた休養後に、馬体重が減って出てくるということは決して良い現象ではない。

牧場でのんびりして英気を養った馬は、普通であれば、体もふっくらとして厩舎に帰って来る。そして、いったん馬体が緩んだ状態から再び調教を開始するため、休養明けのレースにプラス体重で出てくるのは当然といえば当然である。

体が減って休養明けのレースを迎えるということは、放牧先での休養がうまく行かなかったのか、帰厩してからの調教を失敗してしまったのか、つまりは肉体面においての調整が上手くいかなかったことを示す。

しかし、そういった状態にもかかわらず、休み明けのレースでは好走してしまう馬も実は少なくない。

なぜかというと、馬体重が減っているため(ここでは敢えて「絞れている」とは書かない)、思っているよりも<仕上がり>が良いからである。いわゆる「急仕上げ」もこれに当たり、調教の中身以上に<仕上がり>が良いことを意味する。それによって、休み明けのレースでも予想以上に走ってしまうのである。

もう一度、ここで忘れてはならないのが、

「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースにおいてではなく、レースの後になる」

という原則である。

通常、休み明けを叩いた次走では上積みが期待される。しかし、休み明けのレースをマイナス体重で走ってしまった場合は、上積みがどころか、かえって逆に<体調>が悪くなってしまうため、次走は思いのほかの凡走をしてしまうのである。

■ナリタトップロードの場合
ナリタトップロードの3歳時と4歳時の秋を比べてみると分かりやすい。

ナリタトップロードは、3歳時の春にダービーを2着して休養に入った。そして、休養明けの京都新聞杯の馬体重は+2kgの486kgで出走。結果はダービー馬のアドマイヤベガに差し切られてしまい2着に負けてしまったが、休み明けを1回叩いたことで、次回の本番菊花賞では万全の状態で出走できる手応えを感じさせた。そして、本番の菊花賞では早めの仕掛けからアドマイヤベガ、テイエムオペラオーを退けて見事優勝した。

4歳になったナリタトップロードは、天皇賞春で3着の後、3歳時と同じように休養に入った。その後、休み明けの京都大賞典ではなんと-4kgの480kgで出走となった。レースではテイエムオペラオーの2着となり、やはりテイエムオペラオーの連勝を止めるのはこの馬であると思われた。

しかし実際は、3歳時の秋と比べても成長しているどころか体は減少しており、休養前のレースからマイナス体重であるように、休養の効果もあまり無く、上積みすら期待できない状態であったのだ。案の定、秋の天皇賞5着、ステイヤーズS4着、有馬記念9着と目も当てられない成績で平成12年のシーズンを終了することになった。

3歳時
京都新聞杯 2着  486kg 【休養前のレースと比べて+2kgでの出走】 
↓ 
菊花賞   1着

4歳時
京都大賞典 2着  480kg 【休養前のレースと比べて-4kgでの出走】
↓ 
天皇賞秋 5着

つまり、休養明けのレースにマイナス体重で出てきた場合、それ以降のレースでの上積みは期待できないどころか、休養明けのレースよりも体調はさらに下降線を辿ってしまうことが分かる。たとえ休み明けのレースで好走したとしても、叩いた次走ではさらなる良化が望めると考えてしまうのは早計である。休み明けのレースにおいては、わずかな馬体重のマイナスでさえも、その後の明暗を分けることも覚えておきたい。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬体重は語る」-第6回-

Umaweight08 by sashiko
■レース後に<体調>が悪くなる2つのパターン
当日の大幅なマイナス体重が、レース後の<体調>に悪い影響を与えるパターンは、以下の2つに大きく分けられる。
①100%の状態に仕上げられた後
②休み明けのレースにおいてマイナス体重で走った後

■100%の状態に仕上げられた後
①の100%の状態に仕上げられた後の反動は、よくあるパターンである。反動とはコインの裏であって、たとえ良い結果が出た場合でも、そこに至る過程に少しでも無理があるとツケがレース後に回ってくるのである。

特にG1などのレベルの高い競走を勝つためには、極限までの仕上げをしなければならない場合があり、100%の状態にまで調教で仕上げられてしまった馬の<体調>は、その後必ず下降線を辿ってしまうことになる。

馬の<体調>にもピークというものがあり、ゴムを引っ張れば引っ張るほど反発力が強まるように、急激に馬を仕上げればそれだけ反動も大きく出てしまうのである

■エアシャカールの場合
少し古い話になるが、平成12年の皐月賞、菊花賞の2冠を制したエアシャカールを例に挙げて説明したい。平成11年暮れの中山で行われたホープフルステークスを、エアシャカールが快勝した時の体重は496kgであった。そして、約3ヶ月の休み明けで臨んだ弥生賞には+4kgの500kgの馬体で現れ、フサイチゼノンの2着と好走し、楽々と皐月賞の出走権を獲得した。

本番の皐月賞では、-8kgの492kgでパドックに登場し、結果は直線で先頭に立った1番人気のダイタクリーヴァをラスト100mで差し切って優勝した。しかし、ダービーでは、皐月賞で100%に仕上げられた反動が出てしまい、良く走ったもののアグネスフライトにハナ差で負けてしまう。

               馬体重        着順
ホープフルステークス   496         1
(休み明け)
弥生賞            500         2
皐月賞            492         1   ピークに仕上がってしまった
ダービー           494         2   反動が出て惜敗

Umaweight09 by sashiko

その後、エアシャカールはイギリスに遠征し、キングジョージ・&クイーンエリザベスSに挑戦する。そのレース当日の馬体重は不明だが、帰国直後の一戦である神戸新聞杯では500kgの馬体重で、まだ太めが残っていたのか、直線で苦しがり3着に負けてしまった。

秋の最大の目標である菊花賞では、これでもかというくらいの調教が課され、当日の馬体重は-6kgの494kgに仕上がっていた。結果は武豊騎手の好騎乗もあってトウホウシデンの追撃を振り切り2冠を達成した。しかし、1ヶ月後のジャパンカップでは世代の代表として古馬に挑戦したものの、なんと当日馬体重-14kgの480kgで結果14着と惨敗してしまった。

               馬体重       着順
神戸新聞杯        500         3   
菊花賞           494         1  ピークに仕上がっていた
ジャパンカップ       480        14  反動が出て惨敗

エアシャカールのベスト体重は492~500kgと判断でき、数字を見るだけでも春は皐月賞、秋は菊花賞を目標にきっちり仕上げられたことは一目瞭然である。そして、100%の状態に仕上げられた後に、いかに反動が出てしまうかも明白に見て取れる。

仮定の話になってしまうが、もし皐月賞ではなくダービーで100%の仕上がりに持って行けていれば、当時のエアシャカールの実力からするとアグネスフライトに負けることはなかったのではないだろうか。もちろん森調教師としてはダービーを目標に調教をしていたのであろうが、エアシャカールは思っていたよりも早く、皐月賞の時点で仕上がってしまったということなのだろう。

また、秋のジャパンカップでのマイナス14kgは、体調がピークを過ぎてしまったエアシャカールが、レースを嫌がって必要以上に入れ込んでしまったことによるものではないだろうかと解釈できる。

(次回に続く→)

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集中連載:「馬体重は語る」-第5回-

umaweight05■馬体重に関する考え方の基本
それでは、当日の馬体重がその日の<体調>に影響を与えないとすれば、その影響はいつ現れて来るのだろうか。

以下が馬体重に関する考え方の基本原則となるのだが、

「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースにおいてではなく、レースの後になる」
ということである。

馬体重の増減はその場、その時の馬の<体調>には影響は持たず、レース後の<体調>に影響を与える。ということはつまり、もしレース当日の馬の<体調>を見極めたいとすれば、当日の馬体重の増減ではなく、前のレースまでの馬体重の推移を手がかりとしなければならない。

■Aという2歳馬
たとえば、Aという2歳馬が入厩してきたとする。入厩時に体重を計ると500kgであった。少しずつピッチを上げながら調教を重ね、やっとレースで力を発揮できるだけの状態になったため、とりあえず出走することになった。

デビュー戦での馬体重は480kgで、レースでは中団から直線で2~3頭抜いて5着という成績。すぐに3週間後の新馬戦に向けて調教再開。

2戦目の馬体重は前走から-4kgの476kg。前走は1戦目ということもあって多少太かったので、一度レースを使われたことによって馬体が締まったようである。レースでは最後の直線で鋭い切れを見せて結果2着。

それを見て次回はチャンスと考えた調教師は、今まで以上のトレーニングをこの馬に課し、3戦目の未勝利戦には100%の仕上げで臨んだ。

3戦目当日の馬体重は470kg。レースでは直線楽々と先頭に立ち、そのまま押し切ってしまう横綱相撲であった。レース後、見た目には疲れも残っていないようなので、次走へは十分な間隔を取って調教を開始した。

4戦目の500万条件での馬体重は+4kgの474kg。しかし、レースでは見せ場なしの8着に終わってしまった。

さて、この馬の1戦目からの馬体重と着順だけを並べると以下のようになる。

       馬体重    着順
1戦目    480    5着
2戦目    476    2着
3戦目    470    1着
4戦目    474    8着

これらの数字から、1戦目の馬体は太め残りであったと解釈すると、この馬の現時点でのベスト体重は470~476kgとなる。470kgという馬体重がこの馬にとって最も仕上がった状態であって、そこから476kgぐらいまでが競走能力を削ぐことのない<仕上がり>ということになる。ベスト体重の幅は各馬によって異なるが、結果さえ出ていれば、その馬体重はその馬の許容範囲であるとい考えてよいだろう。

それでは、ベスト体重の範囲内である4戦目の474kgで、なぜ8着に惨敗してしまったのだろうか。

「当日の馬体重の増減が馬の<体調>に影響を及ぼすのは、その日のレースではなく、レースの後になる」という基本原則から読み解くと、3戦目における大幅な馬体重の減少(マイナス6kg)が、4戦目に影響を与えたと考えることができる。つまり、3戦目で最高の状態に仕上げたことによる反動が、4戦目に出てしまったということになる。

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集中連載:「馬体重は語る」-第4回-

umaweight07 by sashiko

■当日のプラス体重
では、当日のプラス馬体重はどう解釈すればいいのだろうか。

わずかな増加であれば全く気にする必要はないが、明らかに大幅なプラスを示していたとすれば、<仕上がり>について疑問を持たなければならない。十分な調教をこなしているかどうかをチェックしてみる必要がある。可能性としては、以下の3つが考えられる。

1、休み明けで調教が不十分である
2、休み明けではないが、中間楽をさせた
3、脚元に不安があって、強い調教ができていない

以上3つの項目に当てはまらない場合は、当日の大幅なプラス体重でもレースへの影響は皆無である。十分な調教をこなしていながらのプラス体重は、その馬の成長分、もしくは季節的(時期的)なものと解釈できるだろう。

たとえば、平成11年のスプリンターズステークスでは、ブラックホークが当日の馬体重プラス10kgでアグネスワールド以下を差し切り、初G1制覇を成し遂げた。このレースに臨む過程で、ブラックホーク陣営は中間も普段以上にきっちりと乗り込み、最終追い切りでもおつりを残さないくらいの強い調教を課していた。その上での当日+10kgであるから、調教不十分により絞れていないという心配は全くなかったのである。

ここ数年では、平成15年天皇賞秋のシンボリクリスエスが休み明け+10kgで圧勝しており、平成16年菊花賞ではデルタブルースが当日馬体重+10kgで勝利している。

つまり、プラス体重=太め残りと単純に考えるのは間違いであり、十分な調教を消化した上でのプラス体重ならば、レースに行っての影響は全くないのである

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集中連載:「馬体重は語る」-第3回-

umaweight06 by sashiko

■当日の馬体重はその日の<体調>に影響しない
レース当日の馬体重から<体調>を把握することができないのは、当日の馬体重がその日の<体調>に影響しないからである。

競走馬は肉体的にも精神的にも極限の状態でレースを迎えるため、たとえ当日の馬体重が大幅に増えたり減ったりしても、その日のレースにおいての<体調>への影響はほとんどないと考えてよい(影響がないというよりも、“その日のレースでは何とか持ちこたえてしまう”という表現の方が適切かもしれない)。十分な調教さえ施されていれば、たとえ大幅な馬体重の増減があったとしても、その日のレースは何とか走り切ってしまうのである。

注)大幅な馬体重の増減とは、各馬の馬体重によって多少の違いはあるが、標準的にはプラスマイナス6kg以上と考えてもらいたい。

■当日のマイナス体重
したがって、もしあなたの買おうとしている馬の馬体重がたとえ当日に大きなマイナスを示したとしても、全く心配する必要はない。それよりも、当日の馬体重が大きく減っている場合には、調教師が馬に今まで以上に厳しい調教を課し、勝負を賭けてきたという意味に解釈することもできる。特にG1レースにおいては、そのレースを目標に仕上げてきて、そして仕上がったと考えることができる。

たとえば、平成11年のNHKマイルカップを優勝したシンボリインディは、当日マイナス12kgの馬体重で出走してきた。前走までは460kg台で走っていたので、この急激な馬体重の減少は不安視されたが、それをあざ笑うかのような鮮やかな末脚を繰り出しての勝利であった。翌年の平成12年だけでも、フェブラリーSではウイングアローが-18kg、桜花賞ではチアズグレイスが-16kg、秋華賞ではティコティコタックが-20kgの当日馬体重減でいずれも優勝している。

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集中連載:「馬体重は語る」-第2回-

umaweight02 by StudioU

■私たちの決定的な間違い
私たちの決定的な間違いとは、馬の<体調>と<仕上がり>を同じものとして扱っていることである。

ここで私が言う<仕上がり>とは「馬体の出来」、つまり<良い仕上がり>とは「必要な筋肉が充実していて無駄なぜい肉がない状態」のことを意味する。それに対して、<体調>とは「肉体的、精神的な面を全て含め、トータルとして走ることのできる状態にあるかどうか」ということである。いくら<仕上がり>が良くても<体調>が悪ければ、そのレースで能力を発揮することは出来ないということになる。

厩舎関係者、つまり競走馬を仕上げる側の人たちは、その日のレースにおける馬の<仕上がり>を確認するための目安として、馬体重を使っている。例えば、前回のレースでは少し太めで負けてしまったので、今回のレースではもう少し絞った体で出走させようとして調教をする。そしてレース当日、測定された馬体重の数字を見て、「まだ少し重かった」「絞り過ぎた」というようにして当日の馬の<仕上がり>を判断するのである。

ところが、アウトサイダーとして競馬の結果を予想する私たちも、厩舎関係者が<仕上がり>を見るのと同様の見方で馬体重を用いてしまっているのである。つまり、レース当日に発表される馬体重を見て、前走からの増減の幅が大きければ大きいほど気になり、「この馬は減りすぎているから来ない」「この馬は太め残りだから消しだ」などと考えてしまっているということである。

なぜそのような馬体重の用い方が決定的に間違っているかというと、当日の馬体重から知ることができるのは、あくまで馬のそのレースにおける<仕上がり>であって<体調>ではないからである。予想をする私たちにとって大切なのは、レースでの結果に大きな影響を与える<体調>であって<仕上がり>ではない。だからこそ、極論してしまうと、私たちは予想をする際に当日の馬体重を見る必要は全くないのである。

(次回へ続く→)

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集中連載:「馬体重は語る」-第1回-

umaweight01 by StudioU

■馬体重と馬の状態の密接な関係
かつて、中央競馬会(JRA)がレース当日の馬体重を計測し公表することを決定した際、ある厩舎関係者は「そんなことをしたら、馬の状態が一般の人に分かってしまうじゃないか!」というセリフを口にしたそうである。

馬体重という客観的な数字を公表してしまうことによって、それまでは競馬サークル内部の人間のみが知り得た情報を、一般の人でも簡単に入手することができるようになる。当時、八百長が行われていたとは思いたくないが、レースによっては馬を仕上げずに出走させるようなこともあったのかもしれない。もし馬体重を公表することになってしまえば、そのようなことは許されなくなるし、また、自分の仕上げの手腕が数字として如実に表れてしまうことを恐れたのかもしれない。

いずれにせよ、関係者がそのような危惧を抱いてしまうほど、馬体重と馬の状態は密接な関係にある

■疲れは目に見えない
そもそも、馬の状態を把握することが難しいのは、馬は口をきくことができないからである。「体の調子が悪いから今回の出走は見合わせてくれ」とか、「前走で頑張りすぎた反動からか、全く走る気がしない」などと馬自ら語ることはない(何を当たり前のことをと思われるかもしれないが、まずは当たり前のことから押さえておきたい)。よって、馬を管理する人間側は、外から様子を観察して、馬の状態を判断することになる。

けれども、あえて断言するならば、いかに毎日生活の大部分の時間を馬と接している人、たとえ厩務員であったとしても、外から観察しただけで自分の馬の状態を正確に把握することは難しい。その証拠として、レース後によく聞く「見えない疲れがあったのかもしれない」というコメントがあるだろう。普段と変わりがないように見えたが、実際に走ってみるとサッパリであったという時に用いられる常套句である。

「目に見えない疲れ」という表現が結果論的に語られるのは、本来疲れとは目に見えないところで蓄積されているからである。疲れが目に見えてしまう時には、その馬の状態は既に赤信号の状態にあり、まずレースに出走してこないだろう。黄色信号の状態にある馬、つまり目に見えない疲れを抱えた馬が、レースに行って遂に疲れを噴出させ、思わぬ大敗を喫することになるのである。

■私たちに与えられた唯一の手段
疲れが目に見えない以上、私たちに与えられた唯一の馬の状態を知る手段は馬体重となる。馬の状態と密接な関係にある馬体重を用いて、そのレースで馬は能力を発揮できる状態にあるのかどうかを判別しなければならない。いくら能力がある馬でも、走れる状態になければ馬券の対象にはならない。走れる状態にない馬を馬券から外すことができなければ、私たちは走るアテのない馬を永遠に買い続けることになってしまう。

だからこそ、私たちは中央競馬会から発表された馬体重に耳を傾け、馬体重が映されたモニターに目を凝らし、人によってはその数字を新聞に丹念に書き込む。その光景は、まるで肉市場のようでもある。にもかかわらず、見えない疲れを気付かれることのないまま敗れ去っていく人気馬はあとを絶たない。

なぜなら、本来ならば馬の状態と密接な関係にあるはずの馬体重を用いる際に、私たちがある決定的な間違いを犯してしまっているからである。

(次回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-最終回-

jockey17 by StudioU

■『頭のよさ』と『意志の強さ』
このように武豊騎手の武豊騎手たるゆえんを並べてみたが、それでも武豊騎手を形づくっているものを表現することが出来ていない気がする。いくら技術や精神の一部を抜き出して、解析してみたところで、それは武豊という騎手の全体を説明することには遥かに及ばない。霧を手で掴むように、その本質は私たちのもとからスルリと逃げ去ってしまうのである。

それでも敢えて、ここまで述べてきたことをまとめて、一流の騎手としての条件を私なりの視点で切り取ってみると、『頭のよさ』と『意志の強さ』ということになるだろうか。

ここでいう『頭のよさ』とは、もちろん勉強ができるかどうかということではなく、「考える」という作業を通じてどれだけ自分の能力、素質を高めていけるかどうかということである。そのためには、自分が直接的に意識できる<世界>と、人を見たり人から聞いたりすることによって間接的に意識させられる<世界>とを継続的にすり合わせていかなければならない。

『意志の強さ』とは、「~したい」という強い気持ちであり、そういった強い意志、信念に支えられているからこそ、外的要素に影響されることなく、自分の信じた道を進むことができる。そして、そのことによって、正しい選択、判断をすることが可能になるのではないだろうか。

『頭のよさ』と『意志の強さ』のどちらかを欠いてしまえば、騎手として本当の成功を得ることは難しいだろう。頭がよいだけの騎手はいくらでもいるし、意志の強い騎手においてもそうである。騎手として同じ舞台に立っている以上、それぞれの持てる能力や素質は、元々それほど違いはないと考えてよい。

それでも、競争をしていく上で優劣が生まれてしまうとすれば、それはここでいう『頭のよさ』と『意志の強さ』に依るのではないか。このことは逆に言うと、『頭のよさ』と『意志の強さ』さえ備えていれば、すでに一流への道は開かれているということになるだろう。

頭のよさと意志の強さ。一流騎手を一流騎手たらしめているものは案外シンプルな要素なのかもしれない。オリビエ・ペリエ騎手や武豊騎手の活躍を見て改めてそう感じる。

(終わり)

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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集中連載:「一流の騎手とは」-第17回-

jockey16 by M.H

■勝ちたいという強い気持ち
そして、何よりも武豊という騎手を最も深い部分で支えているのは、「勝ちたい」という強い気持ちなのではないだろうか。一見クールに見える武豊騎手ではあるが、百四十億の脳細胞、六十兆の全身の細胞のすべてが競馬に勝つことに徹していて、その信念の強さと目的意識は他の騎手の比ではない。

同期である蛯名正義騎手は、武豊騎手の凄いところとして、「大レースでも条件戦と同じように落ち着いて乗れるところ」を挙げているが、なぜ武豊騎手がプレッシャーに押し潰されてしまうことがないかというと、「勝ちたい」という明確な意識から生まれる集中状態に入ることができるからではないか。勝つためには、馬をいかに速くゴールさせるかに集中しなければならず、それ以外の外的要素、たとえばプレッシャーなどは入り込む余地はない。つまり、プロセスに没頭することによって、極限の集中状態に自分を落とし込むことに成功しているのである。

勝つためには時として無謀と見える騎乗をしなければならないこともあるだろう。無難な乗り方をすれば掲示板に載ることは確実な馬でも、ギリギリまで追い出しを我慢してみたり、思い切って仕掛けていったりすることによって勝機が拡がることがあるからだ。そうした場合、武豊騎手は迷わず「勝ちに最も近い騎乗」を選択する。大レースにおいてもこのような騎乗ができるのは、こうすれば勝てるという強い信念と自信があるからこそではないか。

ナリタタイシンを駆って出走した平成5年のダービーはその好例である。皐月賞を後方一気の差し脚で勝利したナリタタイシンであるが、4コーナーを10番手以内で回らなければ勝てないといったダービーポジションがまことしやかに囁かれていた時代でもあり、皐月賞と同じ乗り方をしたら届かないと専門家たちは口々にしていた。そんな中で武豊騎手はナリタタイシンを先頭から20馬身以上はあろうかという最後方を進ませたのである。これではレースにならないのではという心配をよそに、直線ではグイグイと伸びて、ウイニングチケット、ビワハヤヒデに遅れはしたが3着を確保した。

もちろん勝つことができなかったので武豊騎手にとっては悔しいレースであったにちがいないが、あれだけの大舞台で、自分のベストとする乗り方を貫いたことに私は驚嘆した。今考えても、2400mという距離が少し長いナリタタイシンにとって、持ち味の末脚の切れを生かすにはあの乗り方がベストであったと思う。負けはしたが、ナリタタイシンの100%の能力を出し切った好騎乗であった。

(最終回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第16回-

jockey15■技術を超えた何か
前回までは、一流の騎手に備わっているべき技術について述べてきたのだが、それらはあくまでも技術であって、ただそれだけで一流の騎手であるということにはならない。たとえ技術にだけ秀でていたとしても、それは他の騎手より少しだけ多く勝てるということしか意味しないだろう。

それでは、技術以外の部分で、一流の騎手とそうでない騎手を隔てるものは何なのだろうか。ハナ差、首差で鎬を削る厳しい勝負の世界で、ほんの一握りの騎手だけが長年に渡って勝ちを重ね、幾多の大レースを制することができるのはなぜなのだろうか。きっとそこには技術を超えた部分においての何かがあるに違いない。

■「考えて乗る」
武豊騎手が日本を代表する一流騎手であることは、疑う余地がないだろう。彼は天才型のジョッキーとして知られているが、武豊騎手ほど「考えて乗る」騎手はいないのではないか。

兄弟子であった河内騎手は、まだ見習いの頃の武豊騎手を、「自分で考えて自分で消化するタイプの子」であると評し、「“自分ならこう乗る”とシュミレーションしながら、ずっと僕を見ているのは感じていた」と語っている。そして、武豊騎手は今の若手に対して、「レースや調教でもっと考えることがあると思うんだけど」という苦言を呈している(Number Plus 10月号)。

このように、武豊騎手は決して閃きや勘でレースをしているのではなくて、普段の調教からレースに臨むにあたるまで、常に「考える」ことを通じ、最上のものを選択しながら騎乗しているのである。

ここでの「考える」とはどういうことかというと、「自分が直接的に意識できる<世界>と、人を見たり人から聞いたりすることによって間接的に意識させられる<世界>とを比較した上で、いいとこ取りをする」ことである。

たとえば安全な運転のできる良いドライバーは、運転している自分の視点だけではなく、バックミラー、サイドミラーなどを通して得た情報を用いて、自分の車を真上から見たような視点によって周りの車との位置関係を把握している、というイメージが分かりやすいだろうか。そうすることによって、どれくらいのスピードで走るのが適切か、どの辺りからブレーキを踏むべきかを正確に割り出し、はたまた突然のアクシデントにも多少の余裕を持って対処することができるのである。

つまり「考える」とは、内的な視点と外的な視点とのあいだを行き来することによって、相互における異和を認識し、良い部分は残し、悪い部分は矯正するというすり合わせの作業のことなのである。

自分が直接に意識できる<世界>が大きければ大きいほど、その世界における素質は高い。さらに、高い素質を洗練させていくためには、人を見たり人から聞いたりすることによって間接的に意識させられる外的な<世界>と向き合わなければならない。

武豊騎手は人一倍研究熱心であることは騎手養成校時代から有名であったそうで、自由時間にはいつも過去のレースのビデオを観ていたというエピソードも残っている。栗東トレーニングセンターに在厩しているほとんどの馬についてのデータが頭に入っているので、歩く競馬四季報とも冗談で呼ばれているそうだ。その世界をもっと深く知りたい、知ることによって自分の<世界>をも拡げたいという欲求を持つ武豊騎手が、さらなる高みを目指して世界に挑戦するのはごく当然のことである。

このような競馬に対する姿勢だけでなく、公の場で見せるスマートな立ち振舞いを見るにつけ、武豊騎手の非凡さを感じざるを得ない。記者会見、勝利騎手インタビューでの的確かつユーモアに溢れた丁寧な受け答え。自分を誇示するのではなく、過剰ではない程度のファンサービス。騎手としての自分は何をするべきかという認識をしっかりと持ち、人間としてのバランス感覚が優れていることが窺い知れる。勝負師としてだけでなく、一人間としても、「考える」という作業を通じて、内的な自分と外的な自分とのすり合わせが見事になされているのである。

Photo by StudioU

(第17回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第15回-

jockey14 by M.H

同じ手応えの馬を同時に追い出せば、必ずや追う技術のある騎手の馬が勝つ。今や伝説的な騎乗とされている、L・デットーリ騎手による平成8年と平成14年、【平成17年】のジャパンカップでのライディングは、馬を追う技術に依るところが大きい。たとえハナ差といえども、決して後ろの馬に抜かせない勝負強さは、デットーリ騎手の追う技術の確かさを証明している。

もちろん、馬が追えるからという理由だけで、これら3つのレースを制することが出来たわけではない。スタート、道中の位置取り、コーナリング等、全てにおいてがパーフェクトライディングである。デットーリ騎手自身も、決して馬が追えるだけの騎手ではなく、これまで述べてきた技術のあらゆる面においての平均点が飛び抜けて高い騎手である。

それでも、これらのレースを制した決め手となったのは、デットーリ騎手の馬を追う技術と言ってよいだろう。馬を遊ばせることなく、最後の最後まで力を振り絞らせることができるからこそ、2400mの距離を走ってハナ差という決着を制することができる。わずかでも気を抜かせたり、あきらめさせたりしてしまえば、アッという間に後続の馬に抜き去られてしまうだろう。

まず、ハミを通した手綱さばきであるが、デットーリ騎手はかなりしっかりとハミをかけるタイプである。道中もしっかりとハミを掛けながら追走させ、直線に向いてからは、さらにキッチリと掛けたハミを通して、馬の伸縮運動を補助しながら末脚を伸ばしてやる。肘を支点にして、かなり強い力で追っているのが分かる。

そして、ステッキも場面に応じた使い方をしている。直線入り口でゴーサインの意味のステッキ、馬の走りの伸縮に合わせて一発ずつ入れるステッキ(ステッキは馬が縮んで伸びようとする瞬間に入れる)、さらにゴール前でもうひと踏ん張りさせるためのステッキの連打。デットーリ騎手は、ステッキを用いて騎手の意志を馬に伝えるのが上手い。

また、下半身はピッタリと鞍に張り付き、全くブレていない。これは馬を追う動作だけに限ったことではないが、デットーリ騎手の“鞍ハマリ”は抜群に良いのだろう。馬は人間が背に跨った感覚で、その人となりを察知するとされるが、彼がその背に跨っただけでも馬は走る気になるのだろう。だからこそ、馬を動かすことができ、これまで他の騎手では先行できなかったズブい馬でも、デットーリ騎手が乗るとあっさりと前に行けることは多い。

この“鞍ハマリ”は極めて感覚的な部分で、なぜデットーリ騎手が乗ると馬が走る気になるのかははっきりとは分からない。とにかく、ある騎手が乗っても全く動かなかった馬が、別の騎手が乗ると走り出すという“鞍ハマリ”というものが騎手の世界では存在する。技術的な部分では説明できない、馬と人間との感覚的な部分での相性というものだろうか。

私の感覚で言うと、この馬と騎手との“鞍ハマリ”は、組織でいうところの上司と部下の関係に当たるのではないだろうか。ある上司の下では全く働かなかった部下が、上司が変わって猛烈に働くようになったとか、あの上司のためなら滅私してでも奉公したいとか、そういう感覚ではないかと思う。たとえは卑近になってしまったが、つまり、デットーリ騎手にかかると、どんな馬でも彼のために最後まで全力を尽くしてしまうのだ。

(第16回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第14回-

jockey13 by M.H

「馬が追える」とはどういうことなのだろうか。バテた馬を最後まで持たせてしまうような騎手を「剛腕」などと言うが、言葉のイメージから連想されるのは腕っぷしの強さである。そのため、「馬が追える」ということを、腕力が強いと同じ意味に捉えている人が多いのではないだろうか。しかし、腕っぷしが強い騎手イコール馬を追えるという認識はあまり的を得ていない。そもそも馬は力で追うものではないからである。

ではどうやって馬を追うかというと、①手綱によるハミ(馬の口の部分金属)のかかり、②ステッキの使い方、③足で馬の腹を押し出す操作によってである。

特に①手綱によるハミのかかりは、馬を追う技術の中心となる。馬を追っている騎手の動作を見ていると、力で馬の首を押しているようにも見えるが、実はハミを通して手綱を引いたり押したりすることによって、馬の走りの補助をしているのである。500kgもある馬を人間の腕力だけで動かしたりすることは、どう考えてもできないだろう。手綱を伸ばす、縮めるといった往復運動の繰り返しで馬は前へ前へと進んで行くのであって、もしハミがしっかりとかかっていなければ、手綱を通した伸縮運動の効率が悪くなることになる。しっかりとハミをかけて追えるかどうかによって、馬の末脚をどれだけ伸ばすことができるかが違ってくるのである。

②ステッキの使い方ではよく誤解されるところだが、ステッキを入れれば入れるだけ馬が伸びるわけではない。ステッキは馬に対する合図である。これからスパートするぞ、もっと左を走れ、がんばれがんばれ、などステッキ1本で騎手は馬にさまざまな合図を送ることができる。ステッキの叩き方、叩く場所、叩くタイミングによって、その合図の意味は違ってくるのである。ここで詳しくは述べないが、ステッキひとつをとっても、どれだけ有効に使いこなせるかどうかは、馬の能力を発揮させることができるかどうかに大きく関わってくるのである。

③足で馬の腹を押し出す操作はあまり注目されない部分だが、「馬を追う」ためには欠かせない要素である。前述した手綱やステッキによる追い方は上半身によるものであり、足で馬の腹を押し出す操作は下半身によるものである。つまり、馬は上半身だけで追うのではなくて、下半身も使わなければならない。上半身のハデなアクションに惑わされて、下半身の運動を見落としてはならない。故野平佑二調教師は、「上体だけで馬を追ってはいけない」とよく語っていたが、それは上半身だけで馬を追っても伸びないからである。ペリエ騎手の騎乗をよく見ると、下半身で馬をきっちりと抱え込みなが腹を足で押し出していることが分かる。

以上の3つの技術がひとつとなって「馬を追う」ことができる。そのうちのどれかが欠けてしまうと、馬が真直ぐに走らなかったり、真剣に走らなかったりして馬は能力を出し切ることができない。ひとつひとつの技術がゴール前での鼻差、クビ差につながることもある。

繰り返しになるが、「馬を追う」のは力ではなくて技術である。「手綱」「ステッキ」「足による押し出し」のバランスが保たれていなければ、きっちりと「馬を追う」ことはできない。その難しさゆえに、「馬を追う」ということは騎手にとっても永遠に満足することのない課題になりうるのだろう。

(第15回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第13回-

jockey12 by Studio U

■内を回るか、外を回るか
コーナーリングの差が、そのまま勝敗へとつながってしまうことも多い。コーナーリングの内外が、ゴール前のわずかな差となって現れてくるのだ。もちろん、内を通って馬群をさばくよりも、ゴチャつかない外を回すという選択の方が、馬の個性や他馬との能力差を考慮すると得策なこともある。しかし、内と外を回すという単純な比較であれば、内を回した方が明らかに有利であり、内を回したからこそ勝てたというレースも少なくない。

たとえば、平成16年安田記念で、安藤勝己騎手がツルマルボーイに初のG1タイトルをもたらしたレースがそうである。それまで外を回して追い込んで届かずというレースを繰り返していたツルマルボーイを、テン乗りの安藤勝己騎手が、この安田記念の4コーナーではピッタリ内2頭分のコースを回ったのだ。馬群を割って伸びたツルマルボーイは、追いすがるテレグノシスを退けて、見事に念願の1着でゴールインを果たした。勝浦騎手には申し訳ないが、この1、2着の差は4コーナーでのコーナーリングの差である。内で脚をタメながらピッタリと回ってきた安藤ツルマルボーイに対して、外をブン回してしまった勝浦テレグノシスの距離ロス・スタミナロスは首差以上に大きかったはずである。

また、安藤勝己騎手がスズカマンボに乗った2つのレース【平成16年菊花賞】【平成17年天皇賞春】を比較しても、内外のコーナーリングの差がどれだけ勝敗に直結しているかが分かる。平成16年度の菊花賞では、スズカマンボは4コーナーで外々を回り(回らされて)、その結果、最後の直線でガス欠を起こしてしまった。その失敗を踏まえて臨んだ平成17年度の天皇賞春では、内々をピッタリと回る芸術的な騎乗で快勝している。もし外々を回っていれば、ゴール前はきわどい接戦になったかもしれないし、もしかするとビッグゴールドに負けていたかもしれない。

ここ数年、外国人ジョッキーや地方競馬出身の騎手の活躍が目立つが、その要因のひとつとして、コーナーリングに対する厳しさの違いが挙げられる。特に4コーナーのコーナーリングの違いは顕著で、外国人ジョッキーや地方出身騎手はとにかく内を希求する。余程のことがない限りは内を狙う、という意識が徹底しているのだ。内を突いたばかりに前が壁になったり、馬群を捌けなかったとしても、それはそれで仕方ないと割り切っているのだろう。勝つためには、とにかく内を回り、内を突く。それは、彼らにとっての勝つための至上命令に等しい。

(第14回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第12回-

jockey11 by StudioU

■コーナーワーク
コーナーワークは、騎手の技術面で明らかに差が出てしまう部分である。特に4コーナー(最終コーナー)では、各馬がスピードに乗って回るため、いかに馬に負担をかけず、距離をロスすることなく回れるかという技術が必要とされる。さらに、手前を替える必要もあるので、きちんとした手前で走らせることにも留意しなければならない。

日本人ジョッキーは、コーナーワークが課題であるとされる。世界の競馬と比べると、日本の競馬は、道中の馬同士の間隔がまだまだ離れすぎている。楽をして適当な距離をとって走らせているので、コーナーを回る際、外の馬ほど内からの遠心力を受けることにより余計な力を消耗してしまう。

例えば外に振り回された場合、内からの圧力をモロに受ける。遠心力の原理と同じで、2頭目よりは3頭目、3頭目よりは4頭目と圧力が大きくかかってくる。それも単純に数に比例するのではなく、2倍、4倍と圧力がかかる。馬にとってはたまらないほどのスタミナの消耗である。

そうならないためには、各馬の間隔をもっと詰めて、少しでも最短距離を回るようにしなければならない。強引に大外を回して、馬の末脚を失わせてしまう騎乗を見るにつけ、「コーナーワーク」の大切さを思い知ることになる。

なぜきちんとコーナーリングができないかというと、馬を真直ぐに走らすことができないからである。下半身で馬をしっかりと抱え込み、ハミを操作して、左右にブレないように安定して走らせるという基本的な技術が足りないために、コーナーにおいても自分の進ませたいコースに馬を操ることができないのである。馬を真直ぐに走らせることができない騎手は、アクシデントを引き起こしやすく危険であるばかりでなく、自身の馬にとっても大きなロスを強いることになる。

(第13回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第11回-

jockey10
Photo Data:(C)Carrot Lunch

■デルタブルースを掴んだ岩田康誠騎手
地方ジョッキーとして初めて中央競馬のG1レースを勝利した岩田康誠騎手は、本番の菊花賞で初めてデルタブルースに跨った。もちろんある程度の事前情報はあったのだろうが、その場で実際に跨ってから分かることの方が圧倒的に多い。パドックで跨り、返し馬から輪乗り、そしてゲートに向かうまでのわずかな時間で、岩田康誠騎手はデルタブルースがどんな馬で、どんな乗り方をするのがベストかを判断したのだ。

スタートして、岩田康誠騎手はデルタブルースを馬群の外を走らせることにした。多少の距離ロスがあろうとも、フットワークの大きなデルタブルースをノビノビと走らせるためには、外を回した方がいいと判断したのだろう。内に潜り込んで経済コースを走っても、デルタブルース本来のフットワークで走れなければ意味がないということである。この判断により、デルタブルースは自身のリズムで3000mを気持ちよく走ることができた。

さらに、ビリッと切れる脚がないという弱点を補うために、岩田康誠騎手はデルタブルースに4コーナーのかなり手前からゴーサインを送った。ロングスパートをかけてもゴールまでタレることはないという感触を、岩田康誠騎手が実際に跨ってみて掴んでいたのだろう。この積極的な仕掛けにより、デルタブルースは速い脚がないという弱みを突かれることなく、バテない強みを生かして、先頭でゴールすることができた。

馬の個性を瞬時に把握して、テン乗りで結果を出さなければならないのは、外国人ジョッキーだけではない。地方から乗りにくるジョッキーも同じく、レース一戦一戦が勝負なのである。岩田康誠騎手もこういった真剣勝負を繰り返し、その結果、地方ジョッキーとして初めての中央競馬のG1レース勝利につながったのである。

【平成16年菊花賞の映像はこちら】

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集中連載:「一流の騎手とは」-第10回-

jockey09■馬の個性を把握する
「馬の個性を把握する」ことは、騎手にとって最大の使命であるといっても過言ではない。なぜなら、個性を把握することは、その馬の良いところを存分に発揮させることにつながるからだ。どれだけ走る能力を持った馬でも、騎手の手によってその能力を引き出されることがなければ、ただの凡馬で終わることになるだろう。

個性を把握するとは具体的にどういうことかというと、「どのような競馬(乗り方)をするのがその馬にとってベストかどうか」を見定めることである。たとえば、他馬を少し怖がるようなところがある馬は、馬群になるべく入れないように走らせる。たとえば、走り出すとエキサイトして折り合いがつきづらくなる馬は、ゲートをゆっくり出す。たとえば、あまり切れる脚は使えないがバテない強みを持っている馬は、先行して早めのスパートで押し切る。このように、馬の精神的特徴から肉体的な特徴までを把握することによって、その馬が最も能力を発揮できる競馬(乗り方)を見出してやるのである。

一流の騎手は、返し馬だけで馬の個性を掴むことに優れているとされる。何度か騎乗している馬や、普段から調教で乗っている馬であれば、その馬の個性は頭にインプットされているだろう。しかし、急遽騎乗を依頼されるなど、事前に全くの情報がない状態で騎乗しなければならないもテン乗りの場合であっても、返し馬に入ってから輪乗りまでのわずか数分で、精神的特徴から肉体的特徴まで、その馬の個性を見抜くのである。

(第11回へ続く→)

Photo by M.H


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集中連載:「一流の騎手とは」-第9回-

jockey08

■平成17年桜花賞に見る福永祐一騎手の成長
福永祐一騎手がラインクラフトで制した桜花賞は、「ペース判断」と「仕掛け」が見事にマッチングした芸術的な騎乗であった。もちろんラインクラフトの競走能力や器用さがあってこその勝利ではあるが、福永騎手が僅かでも騎乗ミスや判断ミスをしていれば、猛追してきたシーザリオに交わされていたかもしれない。

レースに臨むにあたっての福永騎手の不安は、やはり大外枠を引いてしまったということであったろう。桜花賞は最初のコーナーまでの距離が短いため、外枠から先行するには無理を強いねばならず、ラインクラフトへの負担はその分大きくなる。もし先行できずに中途半端な位置しか取れなかった場合は、道中は終始馬群の外々を回される羽目になる。それを避けるためには、馬を一旦後方まで下げるしかない。つまり、ラインクラフトの負担を承知の上で無理をして先行するか、レースの主導権を渡す覚悟で後方まで下げるか、という2つの選択肢があった。

最終的に福永騎手は、ラインクラフトの行く気に任せて先行しようというスタンスで騎乗した。スタートを切って、もしラインクラフトが行く気を見せれば、それを利用して先行する。行く気になっている馬を抑えても、スタミナをロスするだけである。どうせロスをするならば、ある程度の負担は承知で、先行して好位をキープした方がよいだろう。まずは馬の走るリズムを優先しようというスタンスである。案の定、ラインクラフトはスタートから行く気満々で、外枠から切れ込むようにして、極めてスムーズに好位を取ることができた。考えうる範囲内の、最小限のロスで抑えることができたのだ。

しかし、そのまま馬の行く気に任せ過ぎると、魔の桜花賞ペースにハマってしまいやすい。少しオーバーペースで流れているという「ペース判断」を福永騎手もしたはずで、その状況の中で、ラインクラフトをなだめながら、少しずつレースの流れに乗せていく必要があった。ハイペースだからといって、必ずしも後方に位置するのが正解ではない。ラインクラフトのリズムを崩さないように、レース全体の流れに乗せていったのである。

「仕掛け」は4コーナー手前であった。デアリングハートの手応えが良く、この馬をどこで捕らえるかと、後ろの馬に差されないという2つの命題を天秤にかけて「仕掛け」を判断しなければならなかったはず。結果的には、少し早めのスパートが功を奏して、デアリングハートを捕らえ、追い込んでくるシーザリオを凌ぎきったところがゴール。ラインクラフトの持てる力をゴール時点で全て出し切った、まさに究極の「仕掛け」であった。

福永騎手は馬のペースを崩すことなくレースの流れに乗ることに長けているが、その真骨頂が存分に発揮されたのがこのレースである。この後、ラインクラフトはNHKマイルも制することになるが、桜花賞に比べると実に危なげのない楽な勝利であった。桜花賞は不利な条件を克服する必要があり、そのためには、馬の力だけではなく騎手の技術がものを言ったのである。

【平成17年桜花賞の映像はこちら】

(第10回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第8回-

jockey07 by M.H

■ペース判断
「ペース判断」とは、“レース全体の流れに対して自分の馬がどのくらいのペースで走っているか”を把握することである。「武豊騎手は体内時計を持っている」という言い方をよくされるが、単純に自分の馬がどれくらいの時計で走っているかどうかであれば、たとえ見習い騎手でもほぼ正確に分かるだろう。調教などで、「ハロン15ー15くらいで行って、上がりを38秒くらいで」という指示どおりに乗ってくることなど騎手にとっては朝飯前なのである。

では、なぜ武豊騎手が「ペース判断」に優れていると言われるかというと、レース全体の流れに対する自分の馬のペースを正確に把握することができるからだ。少し言い方を変えれば、“自分の馬のリズムを崩すことなくレースの流れに乗っていくことが上手い”のである。

それぞれの馬にそれぞれの走るリズムがあり、そのリズムを壊してまでレースの流れに合わせようとしても逆効果になってしまう。レースの流れが速いからといって後ろから行けばいいというものではないし、遅いからといって前に位置すればいいというものではない。あくまで馬とのリズムを大切にした上で、速いペースなら後ろに、遅いペースなら前に位置できればよいのである。自分の馬のペースだけではなくレース全体のペースを正確に、そして瞬時に把握することができなくてはならない。

■仕掛け
「仕掛け」とは勝負どころを見極めて動き出すタイミングである。「仕掛け」が早すぎてもゴール前でバッタリと止まってしまうし、遅すぎても脚を余して不完全燃焼のままレースを終えてしまうことになる。ほんのひと呼吸、ふた呼吸の仕掛けのタイミングの違いが、ゴール前の1完歩、2完歩の差となって勝負を左右することになる。ゴールした時点で、馬に全く余力が残っていないという「仕掛け」が理想である。

基本的には「仕掛け」をギリギリまで我慢した方が馬は伸びるのであるが、馬によってはタメてもあまり伸びない馬もいるので、やはり「仕掛け」のタイミングはその「馬の個性」によっても違ってくる。さらにレースのペースによって早く「仕掛け」ざるを得なかったり、道中で馬群から出られずに「仕掛け」が遅れたりすることもあるだろう。勝つためにはどのタイミングで「仕掛ける」のがベストかという判断を正確にできて、なおかつそれを実行できなければならない。

(第9回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第7回-

■武豊とサイレンススズカの「リズム」
スローペースに持ち込まないと逃げ馬は勝負にならない、という競馬の常識を見事に覆したのは、武豊騎手とサイレンスズカのコンビである。今や伝説となっている平成10年の金鯱賞は、スローに落としてスタミナを温存するよりも、その馬との間に心地よい「リズム」をつくる方が良い結果につながることを証明したレースである。このレースで武豊騎手は、道中のラップやレースの流れなどは関係なく、サイレンススズカを自分の「リズム」で気分良く走らせることだけに集中している。

サイレンススズカは天性のスピードを持ってはいたが、騎手がどれだけ制止しようとも、ゲートが開くや無我夢中でガムシャラに走る馬であった。そんなサイレンススズカに対して、武豊騎手は馬の走る「リズム」を優先するという態度を貫いた。サイレンススズカの能力に全幅の信頼を置いているからこそ成せる業であって、並の騎手であれば、どこかでペースを落とそうとしてサイレンススズカの「リズム」を崩してしまっただろう。

天皇賞秋で悲劇的な最期を迎えてしまうのだが、武豊騎手とサイレンススズカが培ったコミュニケーションの結晶が【平成10年の毎日王冠】である。このレースでサイレンススズカは59kgを背負いながらも、のちにジャパンカップを勝ち、フランスの凱旋門賞でも2着したエルコンドルパサーや、有馬記念や宝塚記念を制しワンダーホースと呼ばれたグラスワンダーらを歯牙にもかけなかった。人馬一体の境地とは、まさにこの1分44秒のことである。

(第8回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第6回-

jockey06 by StudioU
■馬とのリズム(折り合い)
次に、馬との「リズム」について。馬との「リズム」は、いかにして馬と上手くコミュニケーションが取れるかということに尽きる。円滑なコミュニケーションをとるためには、騎手と馬との間に、ある程度の緊張関係がなくてはならない。馬を甘やかしすぎてもいけないし、かといって厳しく押さえ付けすぎるのもよくない。

馬の個性によっても、その関係性は異なる。“よーし、よーし”とおだてながら乗った方が良い結果が出る馬、“ファイト!ファイト!”と励ましながら乗った方が良い馬、“言うことを聞け!”と叱りながら厳しく乗った方が良い馬など、馬1頭1頭で円滑なコミュニケーションのとり方は異なるのだ。もちろん、同じ馬でも時と状況が違えば、異なる乗り方が求められる。

また、競馬のレースでよく言われる「折り合い」とは、つまり、騎手と馬との「リズム」のことに他ならない。「折り合い」とはレースの流れに乗ることではなく、騎手と馬との間に絶妙な「リズム」を保つことである。馬が行きたがっているところを無理に押さえ付けてしまったり、行きたがらない馬を無理に行かせてしまったりして、その馬の「リズム」を崩してしまうと、「折り合い」はなかなかつきにくい。

適度な緊張関係の中で、騎手は馬の感情を理解してやり、そして自分の意志も馬に伝えなければならない。このような理想的な関係を保つことができなければ、馬は勝手に暴走してスタミナをなくしたり、騎手が合図を出しても反応しなかったりする。馬を気分良く走らせながら、かつ気を抜かせないようにすることが、いわゆる人馬一体の境地であり、一流騎手は馬との間に心地よい「リズム」をつくるのが非常に上手い。

(第7回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第5回-

jockey05 by M.H

■ペリエ騎手が見せた「ゲートを出てから3完歩目までのテクニック」
ここで挙げた2001年の3つのG1ではないが、昨年(2004年)の有馬記念でペリエ騎手が見せた、「ゲートを出てから3完歩目まで」のテクニックをぜひ見ていただきたい。

【平成16年有馬記念の映像はこちら】

スタートしてから推進力のないゼンノロブロイに対して、ペリエ騎手が重心を後ろに移動→ハミをかけて前に出すという動作を2完歩と3完歩目に行っている。この動作によって、ゼンノロブロイに対し、“今日のレースはいつもよりも前に行こう”という意思表示をしたのである。

ペリエ騎手に促されたゼンノロブロイは、前半から好位を進み、最後の直線では逃げ粘ったタップダンスシチーをなんとか交わしてゴールした。もしあの時、ゼンノロブロイの出たままの位置取りであったならば、展開を考えるとタップダンスシチーを捕らえることは難しかったかもしれない。ペリエ騎手の展開の読みと、それを支えるスタートの技術が光ったレースであった。

(第6回へ続く→)


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集中連載:「一流の騎手とは」-第4回-

jockey04 by StudioU

■一流騎手の技術
なぜペリエ騎手の勝った3つのG1レースを振り返ったかというと、そのわずか3つのレースの中に、一流騎手として必要とされる技術が凝縮されているからである。一流騎手に必要な技術とは、以下のとおりである。

1、スタート
2、馬とのリズム(折り合い)
3、ペース判断
4、仕掛け
5、馬の個性把握
6、コーナーワーク
7、馬が追えること

■スタート
まずはスタートについて述べていきたい。スタートは、「ゲートを出るスピード」と「ゲートを出てから3完歩目まで」の2つのパートに分けて考えたい。前者の「ゲートを出るスピード」については杓子定規に判断することが難しく、この騎手はゲートが上手い・下手だと一概に決めつけることはできない。なぜなら、ゲートの良し悪しは、騎手というよりも、どちらかというと馬の方に起因するところが多いからである。いくら騎手がゲートから馬を速く出そうとしても、馬にゲートのセンスやダッシュがないとそれは叶わない。

騎手にできることといえば、ゲート内で苛立つ馬をなだめることや、ゲートの後方にトモを落とし気味で重心が後ろにある馬に対して、重心を前に持っていくよう指示することなど、ごくわずかなことである。それでもゲートの悪い馬は出遅れてしまうこともあるし、どんな馬でも素晴らしいスタートを切らせることのできる騎手などはいない。スタートが上手い(ゲートが速い)といわれているあの武豊騎手でさえも、馬によっては出遅れることもあるのだ。

それに対して、後者の「ゲートを出てから3完歩目まで」は、騎手の巧拙が如実に現れてしまう部分である。サラブレッドは走り始めてから3完歩目までにスピードに乗るので、そこまでの3完歩でいかにスタミナのロスをしないようにバランスをとって速く走らせるかが、スタートの良し悪しを大きく左右する。ここで馬に負担をかけてしまうと、後半の競り合いに大きな影響を及ぼすことになる。

馬に無理をさせずに、いいポジションを取れるかどうかは、3完歩目までの騎手による手綱さばきによるところが大きい。馬が少しでも楽にスピードに乗れるように、ハミなどを通じて補助することによってバランスをとってやるのが騎手の役割である。スタートの上手い騎手は先手を取って攻めることができるので、常にレースの主導権を握ることができる。そういった意味で、スタートが良いことは一流騎手の条件のひとつであることは間違いない。

(第5回に続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第3回-

jockey02 by sashiko

■ジャパンカップ
ジャパンカップは勝つべくして勝ったというレースだ。評論家の井崎脩五郎氏は、『Gallop 2001 臨時増刊号』にて、「角田騎手がジャパンカップで乗っていたら2馬身半ちぎっていた」と語っている。私も同感であり、たとえペリエ騎手ではない他の騎手が乗っていたとしても勝っていたと思う。ペリエ騎手が追って追ってやっと勝てたようだが、あれだけの接戦になってしまったのは、井崎脩五郎氏の指摘するように、スタートしてから1コーナーまでの直線で無理をして、他馬に挟まれてしまったというペリエ騎手のミスがあったからである。その後、慌てることなく無難に乗りこなしたため、かろうじて勝利できたが、ペリエ騎手にとっては冷や汗ものの勝利だったに違いない。

しかし、ひとつのミスも許されないという状況に立たされて見せた、4コーナーでのコーナーリングや、直線でのテイエムオペラオーを目標にした馬の追い出しにペリエ騎手の本領を見た気がした。

■阪神ジュべナイルF
阪神ジュベナイルFは、ある意味においてラッキーな勝利であった。タムロチェリーはブリンカーを装着していることからも分かるように、他馬を気にするところのある、気性的に難しい馬である。このように気性に問題を抱えている馬は、G1のように厳しいレースでは、弱点を露呈してしまい、本来の力を発揮できないことがほとんどである。特に阪神1600mのコースでは入れ代わり立ち代わりの激しい競馬になることが多く、気性に問題のある馬が好走できる可能性は低い。騎手の操縦いかんによって、ある程度の不利な状況は回避することができるが、最終的には他馬の出方やレースの流れなどの不確定要素に大きく影響されることになる。

ペリエ騎手にとってラッキーだったのは、道中でタムロチェリーの前に馬群のポケットができたことである。先行しようとする馬たちと、差しに徹しようとする馬たちとの間に、他馬に邪魔されず気分よく走ることができるスペースがポッカリと開いたため、道中はこのポケットを利用して進み、あとはタイミングを窺って外に持ち出して追うだけという、タムロチェリーの弱点を出すことのないようにレースが運んだ。もちろん、前半から(スタートから)積極的に攻める騎乗や、直線での馬の脚の伸ばし方など、特筆すべきは多いが、このレースに限っては、タムロチェリーが気性の難しさが出ないような状況になったという幸運が大きかった。

以上、2001年の秋シーズンにペリエ騎手が制した3つのG1について検証してみた。要約すると、マイルチャンピオンシップは、積極的なレースをして流れに乗り、スローペースを見越して早めに動いた。ジャパンカップは、前半でミスをしてしまったが、慌てることなく冷静にそのロスを補った。阪神ジュベナイルFでは、ラッキーを生かして最後には追い比べを制した、ということになる。

個人的には、マイルチャンピオンシップが最も絶妙な騎乗であったと思う。あのレースはペリエ騎手でなかったら良くて2着止まりであっただろう。もちろんジャパンカップと阪神ジュベナイルFも素晴らしい騎乗なのだが、マイルチャンピオンシップこそ、ペリエ騎手の真髄が随所に見られたレースであった。

(第4回に続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第2回-

jockey01 by sashiko

ペリエ騎手が勝った3つのG1を、ひとつずつ検証してみたい。

■マイルチャンピオンシップ
まずは、マイルチャンピオンシップから。騎乗馬であったゼンノエルシドは、秋の緒戦となる京王杯オータムHをレコードで圧勝したものの、続くスプリンターズSでは前走の反動からか、「4コーナーで弾けることがなく(横山典騎手)」惨敗してしまい、このマイルチャンピオンシップがG1への再挑戦であった。

ゼンノエルシドはもともとスタートのいい馬であったが、このレースでは他馬より1歩かそれ以上速いスタートを切り、この時点で、すでにペリエ騎手の先制攻撃が始まった。

これだけいいスタートを切れれば、あとは他馬の出方によって馬を下げてもいいし、そのまま流れに乗ってもよい。この時はあまり飛ばしていく馬がいなかったので、出たなりの2番手で逃げるクリスザブレイブのすぐ後ろにつけた。

そのまま3コーナーを回り、4コーナーまで持ってくる。ここまでの動きは至って自然で、全くと言っていいほど馬に負担をかけていない。馬としても、ほとんど無理をすることなく、いつのまにか4コーナーまで走って来てしまったという感覚だろう。まさに馬なりで4コーナーまでレースを進めてしまったのだ。

さらに、仕掛けのタイミングも絶妙であった。4コーナーまで馬に負担をかけることなく持ってきたこと、レースの流れが非常に遅いこと、そしてゼンノエルシドは一瞬の切れというよりも長くいい脚を使える馬であることを計算に入れた上で、4コーナーを出る時点(4コーナーを回り終える時点)まで追い出しを待つことなく、4コーナーを回りながらすでに馬にゴーサインを出した。いくら自分の馬に手応えが残っているとはいえ、もう少し仕掛けを待ち、他馬が来てから追い出した方が得策かと考えがちであるが、ペリエ騎手は迷うことなくどの馬よりも先に追い出したのだ。

このことは、たとえあの時点から(4コーナーを回りながら)追い出しても、ゴールまで持たせることができるという自信によるところが大きいだろう。「馬が追える」という絶対的な自信が、ペリエ騎手の積極的な騎乗を支えていた。

マイルチャンピオンシップにおいて、ゼンノエルシドは自身の持っている能力の100%に近い力を出し切っている。「出し切った」というよりも、「出し切らされた」と言った方が適切かもしれない。騎手として大切なことではあるが、馬の持っている能力を100%出し切るということは非常に難しいことであるし、ほとんどの騎手はそれができない。騎手の優劣は、どれだけ馬の持っている能力を出すことができるかで決まると言っても過言ではない。

結果論で言わせてもらえば、この後の香港マイルでは圧勝しているように、2着に来たエイシンプレストンの力がこのメンバーの中では一枚上であった。ゴチャついてしまい、思うようなコース取りができず、スローペースで脚を余していた。もし福永騎手が完璧な騎乗をしていたなら、ゼンノエルシドの勝利はなかったであろう。

マイルチャンピオンシップにおいて、ゼンノエルシドの体調は万全ではなかったと私は考えている。しかし、本調子にない馬でも、騎手が騎乗馬の能力を100%出し切る完璧な騎乗をして、もし相手の有力馬がミスをしてくれれば、勝利が転がり込んでくるチャンスが生まれることをペリエは証明した。

(第3回へ続く→)

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集中連載:「一流の騎手とは」-第1回-

jockey by M.H

■ペリエ騎手の衝撃
2001年の秋のG1レースにおいて、これまでの予想スタイルを見直すべき時期が来たと思わせられる衝撃的な出来事があった。その出来事とは、ペリエ騎手がマイルチャンピオンシップ→ジャパンカップ→阪神ジュベナイルFというG1を3連勝したことである。

ペリエ騎手が勝利した3つのG1レースうち、どのレースも決して乗り馬に恵まれていたわけではない。ちなみに人気だけ取ってみても、4番人気、2番人気、7番人気である。普通に乗れば勝てる馬を、普通に乗って勝ったものではない(それだけでも容易なことではないが)。普通に乗れば勝てない馬を、ペリエ騎手が普通に乗って勝たせたのである。

■「馬7騎手3」の真の意味
「馬7騎手3」と言われるが、この出来事があるまで、私はこの言葉の意味を真には理解できていなかった。それまでは、馬と騎手との比較において、馬の力の方が7:3の割合で優先されるという程度の理解でしかなかった。ハルウララに武豊騎手が乗っても勝てないように、騎手ではなく、結局は馬が走るのだという浅い理解。競馬新聞を見ても、そこにあるのは馬についての詳細なデータばかりであり、競馬とは“どの馬が勝つのかを当てるゲーム”だと考えていた。

しかし、そうではなかった。「馬7騎手3」という言葉の真の意味は、「騎手の技量が全体の3割も占める」ということである。もちろん馬の走る能力がベースにはあるのだが、少しぐらいの馬の能力差ならば、騎手の腕ひとつで逆転できるということだ。このことは、分かっていても意外と見落とされがちである。なぜなら、競馬新聞を読めば馬の能力はある程度は把握できるのに対し、騎手の技量は目に見える形で現れてこないからだ。ピンとこない、というのが正直なところだろう。それをピンとこさせてしまったのが、今となっては世界一の騎手であるオリビエ・ペリエ騎手である。つまり、競馬は“どの馬に乗ったどの騎手が勝つのかを当てるゲーム”なのだ。

(第2回へ続く→)

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